LIGHTNING STRIKERS : START 02-03
「バルディッシュ、エリオの位置は特定できる」
《……sorry》
ある意味、予想通りの答えではあったが思わずフェイトからは重い溜息が漏れてしまう。
だが、落胆している暇も今は無い。
再び顔を上げ、フェイトは改めて視線を柵越しに広がる眼下の景色へと移す。
彼女はいま、病院の屋上へ出てきていた。
周辺の様子を探るべくフェイトが選んだのがこの場所だ。
この病院は広大な敷地を確保する為か、郊外の山の麓に建てられている。
病院を境として表側には市街部へと続く道が続き、背後には自然のままの山間部が広がっている。
フェイトが、今見ているのは木々がひしめく山側の方だ。
市街方面への道は見通しがよく、隠れるには適していない。くわえて主要な交通路には既に検問が敷かれているだろう。
それはエリオも解っている筈だ。ならばもし逃亡しようとするならば行く先は山側しかない。
おそらくアトラスもそう考えている筈だ。今頃、山狩りでもするべく応援を呼んでいるのかもしれない。
そんな彼の応援が到着するまで、遅くとも十分。それまでにフェイトはなんとしてもエリオを見つけ出さなければならない。
とはいえ、人の手が入っていない山は広大だ。背の高い木々が生い茂り、屋上から山の斜面を眺めたところで手がかりらしきものは何一つ見つける事は出来ない。
アトラスのような人海戦術を使えない今、フェイト一人で広大な山中からエリオを探し出すのは至難の技と言えるだろう。
だが、アトラスにはない武器をフェイトも持っている。
それはエリオ・モンディアルの人となりを誰よりも知っているという自負だ。
自然保護隊で任務についているエリオは自然との接し方を知っている。どういったルートが適切で、どう進めば安全に経路を確保できるか。
それに合わせ、エリオの癖。追跡を巻く為にどのような知識、魔法を利用するか。
それらを統合して、エリオが辿るべきルートを頭の中で描き出す。
だが、この追跡方法にはひとつ問題があった。
それは、エリオが自らの意思でこの場から逃げようとしていなければならない、と言うことだ。
例えばの話。エリオが何者か――フェイトの知りえぬ第三者の手により連れ去られたと仮定するならば、エリオの思考をトレースするこの方法はまったく意味を為さなくなる。
けれど、フェイトにとってそれはある意味、求めてやまない答えなのかもしれない。
フェイトは、エリオが監査部に掛けられた嫌疑から逃げ出したとは考えたくなかった。
エリオが犯罪に手を染めることなどありえないし、万が一そのような事実があったとしても彼が自分やキャロに一言の相談もなく姿を消したとは思いたくなかった。
ならば先の想像通り、誰かに無理矢理連れ去られてしまったと考えた方が、よっぽど気が楽だ。
もちろん、その時は更なる不安の種が生まれることになるが、エリオを助け出すことが出来れば事態は概ね解決するだろう。
だが、どちらにしろエリオが消えた理由は彼と再会できなければ確認しようがない。
故に、フェイトは大きな矛盾にぶつかる。
エリオが何者かに連れ去られていたならば、今から行う追跡に意味はなく。
エリオの元に辿り着けたとき、それは彼が自らの意思で逃走している事を証明してしまうのだ。
「けど……迷ってられないよね」
おおよそのルートを予想し、フェイトは待機状態のバルディッシュを手にとる。
自分が今から進むべき道の果てに、どんな結果が待ち受けようとも受け入れてみせると、そう心に誓いながら。
その誓いが、どのような結末を迎えることになるか、フェイトはまだ知らなかった。
「行こう、バルデッシュ」
《Yes sir.》
バルディッシュの答えと共に、彼女の身はバリアジャケットに包まれ、追跡の準備は整った。
●
キャロはただ一人、この何もない部屋に取り残されていた。
フェイトは既に去り、エリオもここにはもういない。
故に、キャロは一人ぼっちだった。
世界をどう定義するかは、人それぞれだ。
しかし、今のキャロにとって世界と呼べるのはこの伽藍堂の部屋でしかなかった。
世界に、ただ一人取り残されたキャロは、どうすることもできずにただ立ち竦むしかない。
縋るものも、頼るものも、もういない。
それでも、いつものキャロならばフェイトが最後に残した言葉を聞き届け、この部屋に留まり続けたかもしれない。
だが、今キャロの掌の中にはエリオの残滓が残っていた。
ストラーダ。
壊れてしまい、もはや用を為さない腕時計の成れの果て。
キャロはそれを暫くの間、眺め続けた。
ストラーダが少女の抱く不安に応える事はない。
しかし、キャロは残されたストラーダが、自分とエリオを繋ぐ最後の絆であると信じ、それを大切な宝物か何かのように優しく握り締める。
「ごめんなさい、フェイトさん」
響くのは、もうこの場にいないフェイトへ向けられた謝罪の言葉。
それは交わされた約束が反故されることを示していた。
キャロは、取り出したハンカチに丁寧な動作でストラーダを包み、ポケットに大事にしまいこむ。
そうして、覚悟は決まった。
キャロもまた、大事な人の元へと行く為に、病室を飛び出す。
その先に、待ち受ける運命を知ることもなく。
●
「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ――」
断続的に響く短い呼吸音が山間に流れていた。
声の主は年若い赤毛の少年。彼は木々の間をすり抜けるように走り続けている。
地面に溜まった水溜りを蹴立て、まるで風のように。
木々の間から覗く空は暗雲に覆われ、遠雷の音が先程から断続的に響いている。
降り注ぐ雨も、時を追うごとに強くなっており、彼の行く先にまるで不安が待ち構えているような気分にさせる。
だが、少年の足取りは力強く、その歩みに迷いは無い。
「あははっ、ははははっ――」
少年の呼吸の音が、笑いのそれに変わる。
何が楽しいのか、少年は呵々とした笑いを森の中に木霊させながら走る。
全てを覆う漆黒の雷雲。
それこそが、自分の求めているものだと言うかのように。
そこへ辿り着くことこそが、目的と言うかのように。
やがて、世界に綻びが生じる。
木々を抜け、広い空間へと辿り着いたのだ。
そこで、少年は足を止め、振り仰ぐように空を見上げる。
雨が頬を叩く、傘も差さずに走り続けた彼の身は既に濡れそぼり、しかし彼はまるでそれを気に留めることもなく乾いた笑いを上げる。
「ボクは、ボクは――やり遂げてみせる……」
呟かれるのは、強い決意の言葉。
けして揺らぐことはなく、覆すことの出来ない意思の表れ。
しかし、呟かれた言葉は遠くで響く雷の音に掻き消され、彼の背後に何時の間にかいたその人影まで届くことはなかった。
●
ようやく、辿り着いた。
そんな思いがフェイトの胸の中で渦巻く。
彼女の視線の先にはこちらに背を向けたままの一人の少年の姿があった。
顔が見えずともフェイトが彼を見間違えるわけがない。
その後姿をフェイトが間違えるわけがないのだ。
「……ほら、こんなとこにいちゃ風邪ひいちゃうよ、帰ろう?」
あえて、いつもと変わらぬ口調でフェイトは語りかける。
彼女の中には未だに、この不可解な事態に迷いを覚えている部分がある。
けれど、今だけはそれを忘れ、フェイトはエリオと共に帰ることだけを考えていた。
今、こうしている間にも、アトラスの息の掛かった者達がエリオの追跡を続けているはずだ。
そんな彼等がエリオを見つけてしまえば、どうなるかは解らない。
逮捕なら、まだいい。
だが、最悪の場合。脱走したエリオを危険人物とみなして処理することも考えられる。
その前に、フェイトはエリオを保護しなければならなかった。
未だに、なぜエリオが管理局から脱走したのか、その理由はフェイトには解らない。
彼が無実であるということはキャロもフェイト自身も知っている。そう、信じている。
なのに、彼は病院から逃げ出した。
ならば、そこには何らかの理由があるはずなのだ。
それを知りたい、とフェイトは思う。だが、今は何よりも時間が惜しかった。
今は一刻も早く、エリオを連れてこの場から移動しなければならない。
だから、フェイトはその背中に手を伸ばし、声を掛ける。
帰ろうと、一緒に帰ろうと。
だが、エリオから返ってきたのはどうしようもないほどの沈黙だけだった。
そのまま彼は、フェイトの言葉が聞こえていないかのように歩を進め、そのままこの場から立ち去ろうとする。
「ま、待って! なんで、黙って言っちゃおうとするの!」
もちろん、フェイトもそれを黙って見過ごすわけにはいかない。
その背に向けて、縋るように手を伸ばし、どうにかして彼の歩みを止めようとする。
しかし、なんの力もない言葉では彼を留めることは出来ない。
それでも、エリオを力尽くで連れ帰ることはフェイトにはできなかった。
「理由を教えて……、それがどんな理由だってきっと……きっと力になってみせるから――」
だから、だから――。
「私達は……家族だから」
彼女は、信じることにした。自分たちの間にある確かな絆を。
けれど、それは――。
「――――ハハッ」
嗤った。
エリオがフェイトの言葉に、嘲るように、見下すかのように。
「カカッ、ハハハハハッ、アハハハハハハハハハハハッッ!」
エリオの歩みは、フェイトの希望通り確かに止まった。
だがしかし、その代わりに狂ったかのように空に向けて嗤うエリオの姿がそこにはあった。
そんなエリオの変貌に、フェイトはただ言葉を失う。
彼が嗤う理由も、意味も、フェイトには理解することができなかった。
そんな彼女に、何も解っていない彼女に、真実を伝えるためにエリオは振り返った。
もう、彼は嗤っていなかった。
ただ、何処までも冷たい凍えるような視線がフェイトを射抜いていた。
その瞳を見た時、フェイトは一瞬そこにいるのが誰か解らなかった。
姿形は見間違える筈もないエリオ・モンディアルそのものだ。
だが、エリオをよく知る者程、それがエリオ・モンディアルとはとても思えなかっただろう。
彼がフェイトの事を、そんな瞳で見ることなどあるわけがなかった。
「なんで……なんでそんな……」
しかしフェイトは知っていた。エリオのその瞳を思い出していた。
それはかつて、フェイトが違法研究の産物として監禁されていたエリオを救い出した後、浮かべていた瞳そのものだった。
そう、あの時もエリオはそうして睨んでいた。まるで世界の全てを憎んでいるかのような瞳で、何もかもを。
だが、何故、どうしてあの頃のエリオがここにいるのだ。
あれはもう、終わった出来事の筈だ。エリオはそれを乗り越え、世界を憎む事を止めた筈なのだ。
けれど、それは本当に終わっていたのだろうか。
その憎しみは、ただひた隠しにされていただけで、エリオの奥底に存在し続けていたのではないだろうか?
そんな疑念を証明するかのように、エリオは凍えるような眼差しでフェイトを睨みつけたまま――
――絶望の言葉を、告げた。
「貴女なんか、ボクの家族じゃない」
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