LIGHTNING STRIKERS : START 02-04
「…………え?」
その言葉は、何よりも鋭い刃となってフェイトを刺し貫いた。
痛みは無い。痛みを感じるために必要な心を麻痺させなければ、フェイトはそれに耐えることはできなかっただろうから。
それを、その言葉を受け止めてしまえば、彼女の心は壊れてしまうから。
そんな彼女に浮かぶ表情は、ただ信じられないと――いや、エリオの言葉を信じたくないと語っている。
エリオの言葉は確かにフェイトの耳朶に届いた筈なのに、それを受け入れられないまま、彼女はただ呆然と呟く。
今のは何かの聞き間違いか何かだと……そんな儚い希望に縋ったまま。
けれど、そんなフェイトの心を磨り潰すかのように、切り刻むかのように、言葉の刃は降り注ぐ。
「貴女は、本当に何の繋がりも無い他人と家族になれるって思っていたんですか?」
呟かれるのは否定の言葉。いままでのフェイトとエリオの関係、全てをかなぐり捨てる拒絶の言葉。
そんなエリオの言葉に、フェイトは身を引き裂かれるような痛みを覚える。
エリオとフェイトは家族ではない。
あくまで、ただの保護責任者と保護者の間柄である。いつか時が経ち、エリオが一人で生きていけるようになった時、その関係は解消されるものなのかもしれない。
周囲の者達は、フェイトを指して母と、エリオやキャロの事を子と呼ぶ者は多い。おそらく誰から見ても彼女達は理想の親子に見えたからだろう。けれどフェイトは自身をエリオ達の母であると言った事はなかった。
なぜなら、それは彼を縛り付けることにしかなら無いと思っていたからだ。だからフェイトはあくまで自分は被保護者であると、常に語っていた。家族でありたいという願いを抱えながらも、いつか訪れるかもしれない別れの時の為に。
だが、それはけしてこんな結末の為なんかじゃなかった筈だ。
こんな、あまりにも唐突で、あまりにも理不尽で、あまりにも悲しい別れをする為なんかじゃなかったはずだ。
「それは……でもっ!」
「貴女は、ただ同情したかっただけなんじゃないんですか。目の前にいたモノが、あまりにも哀れで、あまりにも可哀想で――あまりにも自分に似ていたから、見ていられなかっただけなんじゃないんですか?」
「――っ!?」
語られる言葉は、何処までも淡々と、何の感情も表すことはない。
そんなエリオの言葉に、フェイトは沈黙を返すことしか出来なかった。
なぜなら、エリオの語ったこともまた真実の一つなのだから。
かつて、母に捨てられた自分がいた。そんな悲しい過去があったから、だからフェイトは助けたいと願ったのだ。
もう、自分のような境遇の者が現れないように、ほんの少しでもこの世界から悲しみを減らせるようにと――そう願ったからこそ、フェイトは時空管理局の道を選び、辛い現実に晒される人達を助けてきたのだ。
だがそれは、辛い過去を背負ったフェイトが背負う業であり、彼女の優しさなのだ。
けれど――
「もうボクに、そんな優しさはいりません」
エリオはフェイトの優しさを、その全てを否定した。
迷うことも躊躇うことも無く、断絶の言葉を告げるエリオ。
「なんで……どうして、いきなりそんなこと言うの? ねぇ、どうしちゃったの、いったい?」
フェイトはただ震える声でエリオにそう尋ねることしかできなかった。
目の前にいるエリオの言葉は、フェイトにとってあまりにも唐突過ぎて。
だから、彼女は現実を受け入れる事ができなかった。
エリオが紡ぐその言葉が、別れの言葉であるということすら。
「なんで――ですか? そんなの決まってます。父さんと母さんを僕が蘇らせるからです」
エリオは己の目的を語る。確固たる意思を持って。それ以外の何もかもを、捨てる覚悟を持って。
けど、エリオのその決意の言葉は、フェイトにとっては世界の終わりを告げる喇叭の音と同じ物だ。
「そうして、ボクは全て取り戻すんです。あの時失った幸せを、何もかもを! だから――もういらない。偽者の優しさなんて、僕はいらない」
「ダ、ダメだよ……それは、ダメだよ……」
「……ダメ? なんでですか?」
「その先に、幸せなんて無いんだよ。どんなに悲しくたって、失った者はけして戻ったりはしないんだ! だから、その先にあるのは絶望だけだよ」
それはフェイトだから、フェイトだからこそ否定しなければならない言葉だった。
そして、それは――
「それは、貴方も知ってるはずじゃない!?」
プロジェクトFと言う名の忌まわしい生命操作技術に翻弄されたエリオも同様ではないのか。
そんなフェイトの懇願にも似た言葉に、しかしエリオはただ一言。
「だから、ボクたちはその先にいけるんです」
まるでそれが誇らしげなことであるかのように、彼は呟く。
「知っているから、僕は運命に抗う事が出来るんだ。その、向こう側に辿り着く事が出来るんだ!」
そこに、求めて止まない幸せがあると、疑うことなくエリオはそう言った。
「……それを邪魔するんなら、誰だって排除してみせます」
そうして、エリオは見る。
しっかりとフェイトへと向けて、その世界の全てを憎むかのような視線で。
それは明確な殺意を灯し、フェイトを敵と認識していた。
「…………」
もはや、そこにいるのはエリオ・モンディアルと呼ばれていた少年ではなかった。
かつてのプレシアのように、大切な何かの為に、それ以外の全てを犠牲にすることを厭わない者が持ち得る狂信の眼差しがそこに存在した。
それを、その瞳を、誰よりも近くで見つめてきたフェイトだから。
何よりも、誰よりも大切だったのに、救うことができなかったフェイトだから。
彼女は、エリオを止めなければならなかった。
「何が、君をそこまで追い詰めちゃったのか私には解らない……」
エリオのことを、君と呼ぶフェイト。彼女はゆっくりとバルディッシュを掲げ、その先端をエリオへと突きつけた。ただ構えたわけではない、守りたい筈の存在と、大切な筈の存在と戦うことを決めた、覚悟の印だ。
ただ、そうしているだけでフェイトの胸の奥で、鈍い痛みが走る。
一度は心が通じ合えたはずの存在に、否定される事はフェイトにどうしようもない痛みを感じさせる。
張り詰めた緊張の糸を切れば、その場に崩れ落ちてしまいそうになる。
けれど、フェイトはここで膝を折るわけにはいかなかった。
「でも、それが間違いだって、私は知ってるから」
決意を胸に、フェイトは呟く。
時空管理局の一員として。エリオ・モンディアルの家族として。そして、運命の名を与えられたフェイト・T・ハラオウンであるから。
目の前にいるエリオの間違いを正すために、フェイトは彼に刃を向けた。
「貴方を止めるよ」
宣言するように、フェイトは呟いた。
それが本当に正しい事かどうかは解らない。それでも、フェイトは間違おうとしているエリオを救う為に、彼と戦う事を決意した。
「は、ははは……強いですね、貴女はとてもとても強い」
そんな彼女に見据えられ、エリオは乾いた笑いを上げながら、僅かに後退る。
エリオの言葉はフェイトの精神的な強さを指摘すると同時に、単純な今の二人の実力関係も表している。フェイトも、そして彼も理解しているのだろう、実力的にエリオとフェイトが戦えば、勝つのはフェイトだということを。
エリオが弱いというわけではない。ただ、経験量も魔力量もエリオはまだまだフェイトには遠く及ばない。
その上、フェイトはまだ知らないことだが、今のエリオはデバイスを持っていない。どれほどの幸運が重なろうとも本気のフェイトが相手では、逃げ切ることさえ難しいだろう。
それがオーバーSランクの魔導師であり、幼いころから研鑽を積み重ねてきたエースの実力だった。
だから――
「なら、誰なら貴女に勝てますか?」
エリオは尋ねた。
そんな、規格外とも言える彼女が勝てる存在とは、いったい誰なのか?
問われたところでフェイトが今のエリオに応える義務は無い。今はそれよりも優先しなければならないことがあるのだから、当然だ。
しかし、彼女の無意識の更に奥。そこで思考だけが回る。
浮かぶビジョンはフェイトが今まで剣を交わしてきた者の姿だ。
エースオブエースと称えられる幼馴染、好敵手と呼ぶに相応しいベルカの騎士、類まれなる実力を誇る義兄、今まで戦ってきた数多くの犯罪者たち。
そのどれもが、一筋縄ではいかない相手だろう。中にはフェイトでさえ苦戦を強いられる相手も存在する。
だが、例え相手が誰であろうとも、絶対に勝てないとフェイトは思ったことは無い。
どれほどの戦力差があろうとも、自分が今まで積み重ねてきたものをぶつけることができれば勝機は必ずあると彼女は信じている。
なぜなら、彼女はそう教えられたからだ。
共に研鑽を積んできた友人たちに、偉大なる先人たちに、そして――そして?
ほんの僅かな疑問がフェイトの脳裏に浮かぶ。
誰が自分に戦い方を教えてくれたのか、魔法の使い方を、剣の握り方を、戦う術を。
絶望を打ち払い、希望を手にするための力を――自分は誰に与えられたのか、フェイトは思い出していた。
そして考える。自分は、果たして彼女に勝てるのだろうか、と。
そう、考えてしまった――。
そんな無意識の奥の出来事とは別に、フェイトの視線はエリオを油断無く見据えている。
だからフェイトは、エリオが懐から何かをゆっくりと取り出す動きを確かに捉えた。エリオに逃げられることを何よりも危険視していたフェイトは、そんな彼の一挙手一投足を見逃すまいと、見据え続ける。
だから、彼が取り出したものをフェイトはしかと見た。彼は、ゆっくりと掌に納まる程度の何かを握り締め、まるで見せ付けるように高く掲げる。
ソレは鏡だった。
一見すればただの手鏡でしかない、だがフェイトにとってそれは驚愕に値する代物だった。
いまだに記憶に新しいそれは、ほんのつい先程、資料のひとつとして彼女が見たものと全く同じ代物。
アトラスが提示した資料の中で、その手鏡はこう記されていた――遺失物管理部より盗難された古代遺物――と。
それをエリオが持っているという事実に、フェイトがほんの一瞬だけ硬直した瞬間――光が生まれた。
●
眩い光の輝きが周囲を包んだ。
エリオが掲げた鏡から生まれた光はフェイトの視界を灼き、一瞬だけだがその視力を完全に奪う。
同時に、空気を裂く音が小さく響いた。
それは、気の所為と言われればその程度のノイズでしかなかったが、フェイトはその音と、自分の背筋に伝わる寒気に突き動かされるようにその場から飛び退る。
周囲が見えない状態での飛翔。けれどもフェイトの動きに迷いはなかった。
なぜ、そうしたのか、論理的な答えはない。ただ幾度となく修羅場を潜り抜けたフェイトの経験が彼女の体を突き動かした。
そんな彼女の勘は確かに的中する。徐々に回復する視界の中、先程までいた場所に魔力で編まれた刃の群れが連続して突き刺さる光景が見えた。そして、攻撃は止まない。こちらが避けたことを悟ったのか、木々の向こうからは魔力刃が次々に飛翔してくる。
的確にこちらの足元を狙う牽制の意味を含めた連続攻撃。それらに追い立てられるようにフェイトは背後へと跳躍を続ける。それは、自分とエリオの距離がその分離れていくことを示している。
「彼女を足止めしてください」
深い森の木々は、数歩距離を離すだけで視界をあっさりと奪う。既に見えなくなったエリオのそんな声がフェイトの耳に届く。
「エリオッ!」
同時に気配も遠のいていく彼に向かって、フェイトは制止の声を投げかけるがそれに応える声はない。
変わりにフェイトが感じたのは、新たに感じるもうひとつの気配。
自分でもエリオでもない、何者かが今この場に存在している。明らかにこちらに敵対の意思を持った何者か。
姿は見えずとも、こちらを射抜く視線を感じる。獲物を見定める肉食獣のような視線――それに晒されていることをフェイトは理解していた。それは降り注ぐ魔力刃の群れよりも、狙われている事を自覚できる代物だ。
だが、怯んでいる暇はない。今のフェイトの目的はエリオに追いつき、彼を止めることだ。
それを邪魔するというのならば、例え相手が誰であろうと容赦するつもりはない。
そんな思いを証明するかのように、フェイトは大地に着地すると同時に吼えた。
「バルディッシュ!」
《Yes sir.》
裂帛の叫びに黒のデバイスが応答を返す。それに合わせるように、フェイトの手の中に収められた戦斧が変形を開始した。ヘッド部が変形し、黄金色に輝く魔力刃がそこから伸びる。
腰を落としてフェイトが構えると、彼女の手には戦斧ではなく、長大な死神を思わせる鎌が握られていた。
フェイトはそのままバルディッシュを振りかぶり、一度溜めを作ると――
「ハァケン・セイバァッ!!」
それを一気に解き放った。円弧を描くようにフェイトを中心に振り切られる光の軌跡はまず、こちらへと押し迫る幾つもの魔力刃へと向けられた。フェイトを刺し貫こうと中空を疾走する強固なはずの光の刃は彼女の振るうその一撃にあっさりと叩き割られる。ガラスが砕け散るかのように、魔力の残滓が周囲に舞う。
だが、それだけではない。フェイトの一撃は、敵の魔力刃を迎撃するだけに留まらず、そのまま攻勢に転じる。
バルディッシュから伸びる光の刃が、フェイトの放った一閃に合わせるように発射されたのだ。放たれた刃は自ら回転を続けながらまっすぐ飛翔する。その行く先には成人男性の胴回りよりもなお太い木々が乱立していたが、光の刃はそこに迷わず飛び込んでいった。
結果、抵抗する様子さえ見せることなく太い木の幹が一斉に断ち切られていく。盛大な葉ずれの音を響かせながら射線上に存在する大木が伐採されていく光景は目を見張るものがあった。
もはやフェイトの目の前にあるのは木々が鬱蒼と茂る森ではなく、見晴らしのよい一本道だ。あまり誉められたやり方ではないが、彼女はわずか一撃でフィールドの様子を一変させることに成功した。
「邪魔をするなら、誰だろうと容赦しません」
バルディッシュを振りぬいた姿勢のまま、いまだ姿を見せぬ何者かへと向け、泰然と呟くフェイト。紡がれた言葉以上に、纏う空気が妨害を許さないと語っていた。
だが、そこへ場違いな音が響く。
ぱちぱちぱち、と響く乾いた音。それが拍手の音だとフェイトが理解するのと、残った木々の合間から彼女が姿を現したのはほぼ同時であった。
「元々才能のある子でしたが、ますます磨きが掛かってますね、フェイト」
よく通る、穏やかな女性の声。その声を聞いた時、フェイトにどうしようもない程の混乱が襲いかかった。
我知らず全身から力が抜け、張り詰めた空気が弛緩する。
フェイトの頭に浮かぶのは「なぜ?」という言葉だけ、それ以外に思考することはできず、ただ呆然と言うべき表情を彼女は己の顔に張り付かせていた。
「――リニ、ス?」
意思ではなく、ただ口が開いてその名を呟いていた。
かつて、フェイトの師であり、友人であり、家族であった彼女の名を。
「ええ、お久しぶりですね。フェイト」
そんな彼女の呟きに、リニスと呼ばれた女性はかつてと変わらぬ柔らかな笑みを浮かべて応えた。
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