LIGHTNING STRIKERS : BREAK 01-01




 そこには人形が転がっていた。

 あまりにも精巧に作られた人形だ。
 人と見紛う程の肌をしていたし、人と見紛う程の髪も持っていた。

 もしかしたら、それは元々人だったのかもしれない。

 だが、あまりにも長い時間人として生きていなかった、
 もしくは生きれなかったソレはもはや人の形をしたなにかでしかなかった。

 だからそれは人形なのだろう。

 それはぴくりとも動こうとしなかった。
 当然といえば当然かもしれない。なぜならそれは魂なき存在なのだから。

 人形の瞳はまるでガラス玉を埋め込んだかのように一切の輝きを持つことなく、天井を見ている。
 薄汚れた明かりひとつない暗い天井を。

 天井を見つめながら人形は考える。魂ではなく、ただ惰性をもって。
 その壁の向こうになにがあるのかを。

 ずっと昔、まだ人であった頃ならばその答えを知っていたかもしれない。
 だが、もう忘れてしまった。
 それほどまでに長い時間、人形はここに閉じ込められていた。

 いや、時間という概念すらもはやその人形に与えられるべきものではなかった。
 それはもはや飽きられた玩具のように、暗闇に覆われた箱に閉じ込められたとても哀れな存在だった。

 人形にもその事実は知らされているのだろう。
 直接言われずとも理解することができたのだろう。だから彼は人間であることをやめたのだ。

 それは精神の死を免れるための最後の抵抗だった。

 なにも求めることなく、なにも感じることなく、なにもしない。
 それは確かに彼の心を強固な鎧で覆った。

 だがしかし、生きることを放棄したその選択は、言い換えれば迂遠な自殺でしかない。
 いますぐ死ぬか、ゆっくり死ぬかの選択しか彼には残されてなかったのだ。

 そして、彼が必死で延ばしたその時間ももうそろそろ尽きようとしていた。

 ただ、ぼんやりと見開かれていたまぶたがゆっくりと、閉じられていく。
 それが一度完全に閉じられれば、再び開かれることはないのだろう。

 最後の最後のその瞬間、彼の瞳に映ったのは、やはり薄汚れた明かりひとつない天井だった。


 そうして、一人の名も無き少年の生はひどくあっさりと潰えてしまった。


 ●


「――ああああっ!」

 肺にある空気を全て吐き出すかのような悲鳴を上げて、エリオ・モンディアルは深い眠りから目覚めた。

 足元から這い上がってくる恐怖の感情から逃れたい一心で足掻くように手足を振り回すエリオ。
 理性が働くことはなく、彼はまるで怯える子供のように、ただただ暴れる。

 エリオが見たものはただの夢で、過ぎ去った過去の映像でしかない
 ――などという理屈は今の彼には通じない。

 だが、それをとめるものがあった。

 振り回されるエリオの手が誰かに握られる。
 そこからは人肌の温かさと共に確かな安堵が湧き上がってくる。

「大丈夫、安心して……」

 柔らかな声が、エリオの耳に届く。
 彼を怯えさせまいと配慮した優しくゆったりとしたリズムで。

「……お、母さん」

 涙で滲んだ視界のまま、エリオは縋るように声のした方向へと首を巡らせる。
 いつの間にか、エリオを襲っていた恐怖の感情は霧散していた。

 だが、問うた声に返ってきたのは否定の言葉。

「ご期待に沿えず申し訳ありませんが、私には母親になった記憶はありませんよ」

 打って変わって、随分と冷静なため息混じりのその声に、エリオは動きを止める。
 同時に意識がようやく目覚めへと向かい始めた。

 未だに滲む視界の向こう側、意外なほど近くにこちらを半眼で見据えるリニスの顔があった。

「な、なにしてるんです……?」

 そこでようやく状況を理解したエリオはなんとか声を搾り出すが、完全に震えてしまっている。
 当然、恐怖によるものではない。いや、ある意味恐怖しているのだろうか。
 そんな彼の言葉にリニスは不機嫌そうに眉根を寄せるのであった。

「なにって酷い言い草ですね。突然倒れた主人を介抱していたところですよ」
「そ、そんな事命令していません。いいから離れてください!」

 ただただ羞恥の感情から声を張り上げるエリオ。
 そんな彼に対し、リニスはなぜか微笑むように唇を歪ませる。
 その表情はまるでお気に入りのおもちゃを見つけた猫のようだ。

「そりゃあ、ご命令ならば従いますけれども……だったらその前に手を放して頂けるとうれしいですね」

 そういって、眼前に右手を掲げるリニス。
 その手にはなぜかエリオの右手が繋がっており、強く強く握られている。それもエリオの方からだ。
 先ほど、咄嗟にリニスの手を掴んでからずっと握り締めたままだったのだ。

 それに気づいたエリオの口から『うわぁっ』と情けない悲鳴が上がり、同時に弾かれるように手を放す。
 そんなエリオのリアクションにリニスの不機嫌度はますます右肩上がりに上昇していく。

「うわぁ、と言いましたか、いま」

 言葉の中に静かな怒りの感情を籠めつつ小さく呟くリニス。

「解ったから離れて! 手はもう放したでしょう!!」

 頬を僅かに赤らめながら叫ぶエリオにリニスはやれやれと肩を竦める。

「はいはい、解りましたから暴れないでください。体調のほうはいかがですか?
 見た限りでは魔力も回復してきているみたいですが」

 ベッドの傍らの椅子に腰掛けたまま、立ち去る様子も見せずにそんな事を尋ねてくるリニス。
 そんな彼女をエリオは半眼で睨み据える。

「ボクは、離れろって命令したはずですけど……」

 それが命令であるのならば絶対に遵守しなくてはならない。
 それがシュピーゲルによって交わされた契約の筈だ。

 そもそも、シュピーゲルは生命の蘇生のような奇跡を生む古代遺物ではない。
 創ることができるのはあくまで記憶を糧とした人形であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 だというのに、目の前にいる彼女はまるで自由意志を持っているかのように勝手気ままに振舞う。
 それに加え――
「ええ、命令はもちろん遂行させていただきますよ?
 ただ、どのタイミングで離れるかは言われてませんので、そこは私が適切に決めさせていただこうかと」

 明らかな屁理屈まで言ってくる始末だ。
 まともに相手をしたところでただひたすらこちらが疲労するだけだろう。
 ゆえにエリオはささやかな抵抗として彼女に背を向けるように簡易ベッドの上に寝転ぶ。

「ふむ、まだ寝足りないですか? まぁ、魔力が枯渇しかけてましたし、
 回復のためにも睡眠をとるのは悪くない判断ですが」

 その背中に向けて、リニスは懲りずに語りかけてくるが無視することを心がける。
 相手にするから疲れるんだ。と心の中で言い聞かせる。

「怖い夢を見ないように、手を握っておきましょうか?」
「ボクは、そんな子供じゃない!」

 だが、その決意も僅か一秒で崩れてしまった。
 ムキになって反論すると手痛い反撃を受けると理解しているのにだ。

「おやおや、先程は泣いて感謝して頂けたというのに、悲しいですねぇ」
「……ぐっ」

 あっという間にチェックメイトを掛けられる。相手にさえなっていない。
 結局エリオにできることと言えば怨めしげにリニスを睨みすえるだけだ。

 改めてシュピーゲルの命令権を使えば、彼女を遠ざける事は可能かもしれないが
 リニスに指摘された後では、それもなんだか負けたような気がしてしまう。

 妙なところでプライドが邪魔するエリオであった。

 諦めたように一度溜息をつき、エリオは先程から気になっていたことを口にすることにした。
 猫と付き合う場合、適度に構ってやるのが一番だと物の本に書いてあったのを思い出したからだ。

「あれから、どうなったんですか?」

 周囲に視線を走らせながらエリオが呟く、
 目覚めた直後は状況が状況だったために気にするどころではなかったが、
 改めて回りの様子を見て疑問が沸いてくる。

 どうにも記憶が曖昧だが確か自分は魔力減衰の影響で意識を失っていた筈だった。

 エリオが覚えている最後の光景は、雨の降る暗い森の風景だ。
 だが、今いるこの場所は森ではなく、ホテルの一室かなにかを思わせる小さな部屋だった。

 調度品は少なくベッドと机がひとつ。
 それ以外に目立った特長の無いシンプルな部屋だった。
 エリオが寝ているベッドもマットレスを敷いただけの簡易的なものでしかない。

 ただ、特徴らしい特徴を述べるのならば窓が無いことだろうか。
 光源は天井に備えられた蛍光灯からの明かりだけだ。
 妙な圧迫感を感じるその佇まいから、地下という言葉が思い浮かぶ。

「貴方が気絶した後、遺憾ながらあの白衣の男の指示に従いました。
 貴方を休ませる必要がありましたし、どうやらあの男は貴方のお知り合いのようでしたしね」

 またもやはぐらかされるかとも思ったが、意外にもこちらの質問にリニスは真面目に答えてくる。
 その事実に、驚きを覚えるエリオ。

「貴方は何か勘違いしているようですが、私はこれでも優秀な使い魔であると自負しているんですよ。
 まぁ、私自身はただのコピーですが」

 そんなエリオの心胆を見抜いているかのように、リニスが不満の声を上げる。
 しかし、エリオからしてみれば文句を言いたいのはこちらの方だ。

「さっきは人のことを散々からかっていた癖に……」
「ユーモアを解していると言って下さい」

 だが、こちらが文句を言ったところでこの始末である。
 彼女とは相性が恐ろしく悪いのだと、エリオは心から認識する。

 とりあえずエリオは真面目な答えが返ってきそうな質問を続けることにした。

「ここは、どこなんです?」
「さぁ、私もあの男に先導されてここまで貴方を担いできただけですからなんとも
 ……ああ、そう言えばこう仰ってましたね」

 エリオの問いかけに、リニスは頬に指を当て一度考える仕草を見せると、
 思い出したかのようにこの場所を示す言葉を告げた。


「たしか……モンディアル邸、と」


 ●


 モンディアル邸。
 クラナガン北部の郊外に建てられた豪邸で、その広大な敷地は緑に囲まれており美しい情景を見せていた。

 だが、それもかつての話である。持ち主がいなくなった後は管理されることも無く放置された結果、
 かつての豪邸は廃墟へとその姿を変えつつあった。

 しかし、それはあくまで表層部の話だ。
 高名な学者であったセディチ・モンディアルは邸の地下に個人的な研究施設を設けていた。
 地下シェルターとしての側面も持っている地下研究施設は邸と比べ、
 たかが数年の歳月を経たところで腐食のかけらも見せはしない。

 エリオがいたのはその地下研究施設であった。

「やぁ、おはよう。いや、ここはおかえり、と言うべきかな? エリオ・モンディアルくん?」

 仮眠室から出てきたエリオは巨大な端末に向かう白衣の男からそんな言葉を投げかけられた。
 知らず、彼と出会えたことに対して笑みが漏れてくる。

「やめてくださいトーラスさん。父さんと母さんのいないこの場所は、ボクの帰るべき場所じゃないですよ」

 トーラス・フェルナンド。それがこのどこか頼りなさげな白衣の男の名前だった。
 彼はその見た目どおり科学者であり、そしてエリオの父――セディチ・モンディアルの友人だった。

 管理局最高評議会が運営する最高学術機関、賢人会議にて同様の研究を進めていた彼はセディチの同僚であり、
 プライベートでの付き合いもある親友同士だったのだ。

 かつて、もはやどうしようもなく朧な幸せだった時の記憶の中で、
 まだ美しかったこのモンディアル邸に彼が訪れていたことをエリオも覚えていた。

 そんな父と彼――トーラスが共に研究していたこと。それが生命蘇生技術。

 プロジェクトFと呼ばれた、忌まわしき――
 そして今のエリオにとっては福音となる――生命操作技術であった。

「なるほどねぇ、ここに君の求めているものは無いということか。
 残されている研究資料は私から見ると随分と貴重なものばかりなんだけど」

 周囲を見渡しながらトーラスは感慨深げに呟く。
 おそらくここには彼の親友であった者が歩んできた軌跡が刻まれているのだろう。
 同じ高みを目指していた者としては貴重という言葉だけでは済まされるものではないのかもしれない。

 けれど、エリオにとってそれは大切、というには些か味気なさ過ぎるものだ。

「計画に必要なら重要視はします。でも、大切なものじゃない」
「大切なのは、お父さんとお母さんのことかい?」
「あたりまえです」

 エリオにとって大切なのはそれだけだった。
 他は何もいらない。思い出に浸る必要もない。
 それらをすべて投げ打ってでも、彼は取り戻してみせると誓ったのだから。

「はは、エリオくんはすごいねぇ。なんていうかブレがない」

 こちらからの問いかけに即答してきた事に、トーラスは楽しそうに微笑みながら呟く。

「ブレ?」
「ああ、気持ちの揺らぎってやつさ。これがぐらぐらしていると大体痛い目にあうのさ。
 誰かさんたちみたいにね」

 そこで、トーラスはふと表情を引き締める。
 彼の言葉はその内容とは違い誰かを貶めるようなものではなく、
 どこかエリオに注意を促すかのような真摯な声音であった。

「だけど、それは経験則として学ぶものであって、率先して傷つけていいものじゃない。解るかな?」
「それは……あの娘のことですか?」

 エリオが思い出したのは、一人の少女のことだった。
 よく、顔も思い出せない、見知らぬ少女。
 その時の記憶は曖昧だったが、自分が彼女を酷く傷つけたという事だけはしっかりと覚えていた。

「別にあの子に限定したことじゃないよ。誰だって人を傷つける権利なんて持ってやしない。
 とくに私たちみたいなアウトローなら尚更さ」
「だけど、僕は誓いました。どんな犠牲を払ってでも父さんたちを生き返らせて見せるって」

 返す言葉に躊躇は見られない。それが今のエリオの確かな感情だった。
 あの少女を傷つけた事に対して罪悪感がないとは言わない。
 だが、後悔だけはまるでしていなかった。
 そうすることが、一番正しいことなのだと確かに思えた。

「確かに、君の覚悟は立派だと思うし、私も協力者としてできる限りは賛同させてもらうつもりだよ?
 でもさ、だからって悪いことはやっぱりいけない」

 だが、そんな彼を諌めるようにトーラスは言葉を紡いだ。
 それはまるで生徒に教えを授ける教師のような口ぶりだ。
 しかし自分の決意に水を差されたような形となったエリオは思わず口を開く。

「けど……」
「もちろん、僕達のしていることそれ自体がそもそも一般的見地から見れば悪と断じられることなんだろう。
 いくら正論を述べたところで僕たちは管理局からは追われる立場だし、それ相応のことをやってきている」

「僕達のしていることは間違いなんですか?」
「間違いだとか間違いじゃないとかは個人が決めるべきものさ。
 いや、そもそも私は正義や悪などと言ったものがこの世界に存在するとは思っていない。
 あるのは自分勝手な理屈だけさ。知ってるかい?
 一部の次元世界では絶滅危惧種の動物を食べる習慣があるらしいが、ミッドチルダではこれは犯罪になるんだ。
 当然、彼等にとってそれは罪ではなく生きるための当然の行為なんだろうけどね」

 そこでトーラスは一度言葉を区切ると椅子から立ち上がり、周囲を歩き始めた。
 あてどなく歩きながら語るその姿はまるで講義を執り行う学者そのものだ。

「もっと身近な例で言うと、時空管理局では十代にもなっていない少年少女がデバイスを手に、
 戦場に立つこともままある。それはこの世界ではよくある当たり前の事でしかないのだけど、
 でもこれだって異なった倫理感でみると、酷く残酷で糾弾すべき事象なんだと私は思うね」
「正しいことなんて無いって事ですか?」

 その問いかけに、トーラスは足を止め、エリオの方に振り向くと深く頷く。

「私はそう思ってるよ。ただ一人の人間として私は人を傷つけることはよくないと思うし、
 人を愛することはとても素晴らしいことだと思ってる。これも自分勝手な理屈だけどね。
 だからエリオくん。エリオ・モンディアルくん。
 君にも私の勝手なお願いを聞いて欲しい。ならべくなら人は傷つけないでくれ」

 請い願うように、トーラスは呟いた。

「君の大切なものを守る為に戦わなければならない時はあるだろう。
 それを責めるつもりは欠片も無いし、私の思想を強制的に押し付けるつもりも無い。
 ただ、その時は私の言葉を思い出して、考えて欲しい。何が正しく、何が悪いのか」

 そうして、彼はエリオに向けて手を差しのべる。
 その差し出された掌の中に、赤と黒に彩られた腕時計が鈍い輝きを放っていた。


「それを約束してくれるのなら、私は君に新しい力を授けよう。君の正しさを貫くための力だ」





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