LIGHTNING STRIKERS : BREAK 02-01



 時間は戻る。
 記憶は遡る。

 燃え盛る炎が空気を焦がしつくす。
 崩壊を続ける航空機の中、二人の少年が対峙していた。

 一人は突撃槍を掲げる少年。彼は目の前に存在する光景に、ただただ驚愕の表情を浮かべていた。

《カウントゼロ。脱出を推奨します》

 手に握り締めたデバイスから、タイムリミットを告げる電子音声を響かせた。
 だが、その言葉は届かない。

 その意味を理解する事が出来たとしても、背を向けて逃げ出す事は許されなかった。
 自分と対峙する少年――そのフードに覆われた深淵の向こう側を覗き込んだ時から、その身は完全に呪縛されてしまっていた。

「おまえが、父さんと母さんを殺したんだ」

 まるで全てを憎んでいるかのような、まるで全てを恨んでいるかのような。
 世界の全てを唾棄するかのような感情を、全て自分へと付きつけながら対峙する少年は告げた。

 それを――その瞳が見据えるものを、その感情を少年は誰よりも知っていた。
 なぜならそれは、幼き頃の少年が瞳に宿していたものとまったく同一のものだったからだ。

 憎しみ。

 この世に存在するありとあらゆるものを、信じる事無く、ただ憎悪することしか出来なかったあの頃の自分。
 そして、同じなのはその瞳に込められた意思だけでは無かった。

「おまえが存在していたから、おまえが生まれたから、おまえがのうのうと生き続けているから!!」

 そこには自分と同じ顔を、同じ身体を、同じ瞳をした誰かが存在していた。
 まるで鏡の中から抜け出してきたかのようなそれは、しかし瞳に憎悪の色を浮かべたままこちらを見据え、叫ぶ。

 ――おまえが悪いのだ、と。

「君……は……」

 対する少年は掠れる声で、言葉を紡ぐことしかできない。
 唐突に現れたもう一人の自分からの弾劾の言葉を、理解できぬまま。

「ハッ、君は――だって?」

 そのあまりにも筋違いな問いかけに、彼は笑う。
 あまりにも場違いな質問を投げかける彼を、心の底から嘲笑う。

「ボクはエリオだ。ボクこそがエリオ・モンディアルだ!」

 エリオ・モンディアル、、、 、、、、、、の言葉に、もう一人の誰かは違う、と反射的に首を横に振っていた。

「それは、その名前は僕の――」
「黙れシックザールできそこない!」

 少年が必死で紡いだ言葉は、激昂の言葉に掻き消される。

シックザールガラクタ! シックザァアッルッまがいもの! おまえみたいな疫病神が、その名前を語るんじあゃない!!」

 エリオは怒りを籠めた言葉を誰か、、に投げつける。
 彼は怯えるように一歩を下がり、ただただ畏怖の表情でエリオを見つめてくる。

 その全てが、その何もかもがエリオに新たな怒りの感情を覚えさせる。

「僕がエリオだ。エリオ・モンディアルなんだ! 偽者なんかじゃない、本当の、本物の、エリオ・モンディアルなんだ!」

 エリオの言葉に、彼は何一つ反論する事は出来なかった。
 なぜなら、彼は自分が偽者であることを知っていたからだ。

 だから、彼は一度何もかもを失ったのだ。その事実を、その真実を今更覆すことは出来ない。

 優しき運命に救われたとしても、彼のその業だけはけしてなくならないのだ。

 エリオの放つ言葉が真実かどうかは解らない。
 それでもエリオの言うとおり、少年が偽者であると言う事実だけはけして変わることはないのだ。

 まるで親に叱られた子供のように、言葉を失い、怯えるように後ずさる少年。
 その少年の挙動が、怯えるような眼差しがエリオを苛立たせる。

「なんでだよ……?」

 静かに、淡々と囁くエリオ。だがその内側で渦巻く激情はなお激しく燃え上がっていた。
 目の前の存在が、自分と同じ顔をした偽者が憎くて仕方なかった。

「なんで、父さんと母さんの事を見捨てたんだよ、おまえ?」
「ちがっ……だって、それは……」

 震える少年を弾劾するように言葉を放つ。エリオの言葉を彼は慌てて否定するが、それすらも今のエリオにとっては火に油を注ぐ行動でしかない。

「じゃあなんで! おまえは笑えるんだよ! なんで、幸せそうなんだよ!」

 エリオは見た。

 彼が、できそこないの存在でしかない彼が、幸せそうに笑っているのを。
 父と母ではない。赤の他人と幸せそうに過ごしている光景を。

「なんで、父さんと母さんを殺しておいて、おまえが幸せそうにしてるんだよ!」
「ころ……した……?」

 彼はその意味さえ理解していないようで、ただ呆然と呟くことしかできない。
 そんな彼の態度に、エリオはもはや怒りを通り越して呆れの感情を抱くまでに至った。

 けれど、憎しみだけはそのままに、ただ見下すように告げる。

「おまえが、殺したんだ――おまえが居たから、父さんと母さんは死ななくちゃいけなかったんだ」

 彼等の周囲に漂う炎が一際強く燃え上がった。
 一挙に吹き上がった炎は少年達の姿を覆い隠し、お互いに視認すらできない状況となる。
 それでも、エリオの放った最後の言葉を少年は、確かに聞いた。

 彼の存在を、その一欠片まで全て否定する、言葉を。


「おまえなんか、生まれてこなければよかったんだ」


 そして、彼は――シックザールという名しか与えられなかった彼は、何もかもを知った。


 ●


 白い、部屋があった。

 果てというものが存在しない、無限に連なる空間。
 床も、壁も、天井も、ひたすらに真っ白な空間。

 いや、そもそも壁や天井なんてものは存在すらしてなかった。
 もしかしたら踏みしめるべき床も存在していないのかもしれない。

 ただ、白だけがそこには存在していた。

 そんな白一色の空間に、一人の少年が居た。
 幼い、まだ親の庇護が必要であろう小さな少年だ。

 何も無いこの空間で、少年は一人でテレビのチャンネルを弄っていた。

 テレビ。そうテレビだ。
 古臭い骨董品のようなダイヤル式のテレビ。

 それをガチャリガチャリと回し、少年は絶えずチャンネルを変え続けていた。

 他には何もない空間だった。
 だから少年はチャンネルを回すことしかできなかった。

 ブラウン管に映し出される映像は二つ。
 それが先程から交互に切り替わっている。

 一つは、幸せな家族の映像。
 小さな森の中にある館に住む、どこにでもいるような少年とその家族。

 両親に愛され、この世に生を受け、そして名を与えられた少年の物語。
 けれど少年は自分が幸せであるなどと気づくことはできなかった。

 父親に守ってもらえる事は少年にとって当たり前だったし、
 母親に愛してもらえる事は少年にとって当然の事だった。

 だから、それが幸せであるなどと気付く事無くずっと過ごしていたし、
 ずっとこんな日々が続くのだと思っていた。

 ガチャリ、ガチャリ――チャンネルが切り替わる。

 ブラウン管に映し出されたのは、暗黒の景色だった。
 黒い絵の具をぶちまけたかのように真っ暗で、そして何もなかった。

 この部屋と同じだ。何も無い漆黒の空間。

 ただ、唯一の違いがあるとするならばその部屋には床も壁も天井もあった。
 そこに一人の少年が閉じ込められていた。画面に映る漆黒は、彼が見ている光景だ。

 少年はずっと、この星明り一つ無い漆黒の空間で、まるで人形のようにぼんやりと天井を見詰めながら、ただ生きていた。
 ゆっくりと、死を待つように生きていた。

 ガチャリ、ガチャリ――チャンネルが切り替わる。

「生まれてきてくれてありがとう。私達のところにきてくれてありがとう」

 生まれたばかりの赤子を見て、愛しそうに囁く母の姿。
 少年がこの世に生まれてきた事に祝福の言葉を投げかける。
 そんな光景を見て、幼子を抱く父も目に涙を滲ませる。

「きっと、誰よりも幸せにして見せるよ。君もこの子も、必ず」

 決心の言葉。今この瞬間の幸せがずっとずっと続くようにと願う言葉。
 この時、彼等は確かに幸せだった。

 ガチャリ、ガチャリ。

 どこまでも虚無的な漆黒の空間が映る。

 だが、黒一色のこの空間にも偶さかに光が灯る事があった。
 まるでノイズのようにブラウン管に走る、こちらを照らすライトの眩い輝き。

 白一色の穢れ無き衣服に身を包んだ大人達の群れ。
 彼等は少年をまるでガラス玉のような瞳で見詰める。

「ではただいまより第十七回耐久実験を開始します」
「いやだいやだやめて痛いのは嫌だよ誰か助けてお父さんお母さんいやだ死にたくない虐めないで何でもしますから言うこと聴きますからお願いだからいやだいやだいやだいやだ――」

 悲鳴。

 絹を引き裂くような、聞いているだけで不快になりそうな悲鳴がテレビの向こうから響く。

 ガチャリ、ガチャリ。

「やぁ、はじめましてボクの名前はトーラス。トーラスおじさんと気さくに呼んでくれたまえ」

 父の友人を名乗る優しい人。
 まだ幼い少年を相手に、見下す事無く同じ視線で語ってくれた数少ない大人。

「ボクの夢はね。世界中に住む人たちを幸せにすることなんだ」

 そんな夢物語のような事を大真面目に言う、楽しい人だった。

「そうだね、病気になりにくく、愛する人達の笑顔に囲まれ、笑って死ねる――たったそれだけの事がこんなにも難しい。ああ、でもそうだね。親愛なる君達を幸せにするぐらいならボクにもできるかな」

 そう言って、彼は儚げに微笑んだ。心の底からそうであって欲しいと願うかのように。

 ガチャリ、ガチャリ。

「ほうら、餌だ」

 そういって、腐ったパンが一切れ暗闇の中に放り込まれた。
 それを拘束衣で手足も満足に動かせない少年が虫けらのように這いずり、貪り食うさまを見下すのがその男の唯一の楽しみだった。
 だが、少年は動かない。まるで死んでしまったかのように。

「あ、おい? なんだ……マジか? 勘弁してくれよ。死体掃除は面倒臭いってーのによ」

 そう言って、少年を覗き込む男。
 その瞬間、気の遠くなるような時間をかけて生き続け、例え爪が剥がれ落ちようとも分厚い拘束衣を削り続け、
 男が油断するほんの僅かな一瞬を狙い続けていた少年は、この瞬間、獣のように男に襲いかかった。

 解体した拘束衣の金具で男の喉笛を貫く。

 戦う術も、身を守る力さえ持たなかった少年はこの時、ただ生きたいと願う本能に従い、実に的確に男の命を刈り取った。
 悲鳴すらあげれず絶命した豚のような男を暗い部屋のなかへと引き摺り込みながら少年はうわ言のように呟く。

「帰るんだ……帰るんだ。僕は、父さんと母さんのところへ、帰るんだ……」

 ガチャリ、ガチャリ。

「――ッ。だめっ! いかないで! 私たちを置いていかないで!」

 少年は、死の淵に立たされていた。
 満足に思考することさえできず、視力ももはや残ってはいない。

 視界には、ただ茫洋とした景色だけが映る。
 もう、そこに誰がいるのかも解らない。

 ただ、とても、とても大切な人だったことだけは覚えていた。
 彼等は少年に縋りつき、行かないでと叫び続ける。

「なぜだ……なぜ私は、愛する息子一人救えない……なぜ、この子を幸せにしてやれないんだ!」

 絶望に塗れた誰かの叫び。だが、彼等の絶望を引き裂くように、誰かが言った。

「そう君達家族は、幸せであるべきだ」
「トーラス……君は……」
「諦めちゃダメだよ。キミとボクなら、きっと皆幸せにできるさ。だから力を貸してくれ。ボクはもう二度と大切なモノを失いたくないんだ」

 懇願するように、呟く誰か。
 その手がゆっくりと、少年の身体を持ち上げた。

「大丈夫、きっとボクが彼を……いや、君たちを幸せにしてあげるさ」


 ガチャリ、ガチャリ、ガチャリ、ガチャリ。


「例え、それが間違いだとしても、幸せな時間を取り戻したくはないかい――エリオ・モンディアルくん」

 激しい豪雨が降り注ぐ中、荒れ果てた邸宅の前でエリオは、トーラス・フェルナンドの言葉を聞いた。
 幸せになりたくないかと、こちらに手を差しだすその白衣の男の言葉をエリオはじっと見詰める。

 彼が求め、辿りついた先にあったのはどうしようもない絶望だった。
 そこに現れ、手を差し伸べるトーラス。

 それは、エリオにとって最後の希望だった。

 きっと彼は、トーラスの手を握らなければ、その絶望に押し潰されていただろう。
 だから、だからエリオは、彼のその手を――

「取り戻したい……僕は、何もかもを取り戻したい!!」


 ガチャリ、ガチャリ、ガチャリ、ガチャリ――――ぶつん。


 テレビの電源が落ちる。
 何も映し出されないブラウン管の向こうに見えたのは、

 ――顔の無い、できそこないの少年の姿だった。



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