LIGHTNING STRIKERS : BREAK 02-03


 倒れ伏した少年に、ハルベルトの切っ先を突きつけるエリオ。

 少年は武器を失い、左手も使えない状態だ。
 ここから彼が反撃に転じるのはほぼ不可能だろうが、それでもエリオは油断する事無く少年の姿をしっかりと見据えていた。

「くっ……そ……、ごめん、キャロ……」

 左肩を抑えながら、悔しげに呻く少年。エリオを責めるのではなく、不甲斐ない自身を責めるような言葉。
 それをエリオは、ただぼんやりと見詰めていた。

 エリオは、いま目の前に倒れ伏す少年を恨んでいた。憎んでいた。
 それは確かな事実だ。
 だが、彼に勝利したという事実があっても、彼は何一つ充足を得る事が出来なかった。

 当然と言えば、当然かもしれない。

 エリオの最大の目的は、両親を蘇えらせることだ。少年に勝利したところで、その目的が叶うわけではない。
 更に言えば、その恨み自体、逆恨みでしかない事は彼自身理解していた。

 そうでなければ、誰かを恨んでいなければ、絶望に押しつぶされそうになっただけなのだ。
 その対象として、エリオは最も解りやすい相手を選んだだけに過ぎない。

 それが、目の前の少年だったのだ。

 だが、それはやはり幻の目的でしかない。それは彼が生きる為に作り上げた虚構の理由でしかないのだ。

「…………わる、かった」

 気付けば、エリオの口からは自然とそんな言葉が紡がれていた。
 少年に、勝利したことで、エリオは少年に対する憎しみが虚構のものであると理解した。

 そして、なによりも今のエリオには生きるための意味が存在していた。
 憎しみに、憎悪に支えられなければ生きていなかった昨日までの彼とは違う。

 口うるさくて、皮肉ばかり言って、まるで気まぐれな猫みたいな使い魔。
 彼女が、今のエリオに生きる目的を与えてくれていた。

「おまえの事は……きらいだけど、それでもあの人達を傷つけた事は、謝るよ……」

 今更謝ったところで許されるような事ではないと、自身も理解している。
 それでも、エリオの言葉は心の底から紡がれた確かな真実だった。

 自分の目的を、邪魔する者に敵意を感じるのは変わらない。

 それでも、あの少女を傷つけた時、あの使い魔は本当に、心の底から怒っていた。
 だから、きっと自分がしたのは、いけないことなのだろう。
 そうだ、エリオはただ、あの使い魔に、胸を張れる様な主でいたかった――それだけなのだ。

「…………なんで……?」

 そんなエリオを、信じられないと見上げる少年。
 当然だ。彼はエリオの心情など知らないのだから。
 けれど、別によかった。これは、誰かのためではない、自分自身が誇れる者である為に行なう事なのだから。

「信じなくていいさ。それでも、ボクのやるべき事が全部終わって、罪を償う時がきたら、あの人達にきっと謝る。許してくれるなんて思ってないけど、それでも謝るよ」

 己の決意を露にするエリオ。そこでようやく少年の表情からも険が抜けた。

「君は……いや、信じるよ……僕も、同じだったから」

 少年は、正しくエリオの気持ちを理解する事ができた。
 いや、彼だけがエリオの気持ちを真に理解することができるのだろう。

 なぜならば、彼等は正しく同じものだからだ。

 彼もまた今のエリオと同じように、世界に裏切られ、すべてを憎んだ事があるのだ。
 唯一違う部分があるとするならば、少年には救いがあり、エリオには今の今まで救いがなかった――それだけだ。

 少年は優しい運命に救われた。

 この世界には、絶望だけなんかじゃないと。
 世界は悲しいことばかりなんかじゃないと。
 だからこそ、彼はあの深い闇のような絶望を。紅蓮の炎のような憎しみを、乗り越えることができたのだ。

 けれど、もし、そうでなかったら? 彼がフェイト・T・ハラオウンに出逢っていなければ?

 それがおそらく目の前の自分エリオだ。

 彼等は、そのタイミングが僅かにズレていただけなのだ。

 立場が違えば、エリオは少年のように幸せだったのかもしれない。
 立場が違えば、少年はエリオのように誰かを傷つけていただろう。

 結局、その程度の問題なのだ。彼等はきっと、どうしようもないくらい同じものなのだから。

 そんな少年の眼差しに、エリオは突きつけていたハルベルトを引いた。これ以上目の前の少年を傷つけるつもりは彼には無かった。
 それでも、けして変わらない誓いもある。

「ボクは、行く。父さんと母さんを蘇えらせる。それを邪魔するんなら、容赦しない」

 改めて、宣言するようにエリオは呟いた。
 少年ではなく、自分自身に言い聞かせるように。
 例えその身が憎悪から解放されたとしても、それだけは覆すことの出来ないエリオの目的だった。

「プロジェクトF……ダメだ。あれはそんなものじゃない。アレは僕みたいな歪みを生み出す代物でしかないんだよ」

 その本質を、理解している少年が彼を止めるように言葉を紡ぐ。

 死者は蘇えらない。時間は戻らない。
 それがこの世界の絶対法則。それを無理に変えようとすれば、世界は必ず歪む。

 あまりにも歪に。あまりにも醜悪に。

「それでも……決めたんだ」
「なんで、そんな……そもそも、誰が君にそんなことを――」

 少年が、そこまで呟いたところで――音が響いた。
 降り注ぐ雨音に混じるような音。それは拍手の音だった。

 ぱん、ぱんとゆったりとしたリズムで打ち鳴らされる音。
 それと共に彼等の前に現れたのは、傘を差した白衣の男――トーラス・フェルナンドだった。

 ●

「やぁ、こんばんわ――――久しぶりだね、エリオ・モンディアルくん」

 鷹揚な微笑を見せたまま、少年に――左肩を外され、地面に倒れ伏した少年に――微笑かけるトーラス。
 彼は、こちらを見ていなかった。

 まるでエリオが空気か何かであるかのように、その視線がまるで交じり合わない。

「トーラス……おじさん?」

 エリオはその名を呼びかけてみる、そこで初めてトーラスはそこにエリオがいると気付いたかのように呟きを漏らす。

「ん、ああ、ごめんごめん。居たんだ。いやぁ、ありがとね。彼に会いたくて仕方なかったから、助かったよ。うん」
「彼って……こいつに? トーラスおじさんが、なんで……?」

 そう呟きながら、視線を少年の方へと滑らせるエリオ。
 その少年の瞳が驚きに見開いていた。そこに浮かぶ感情は驚愕――そして僅かな、恐怖だ。

「トーラス・フェルナンド……」
「ああ、覚えていてくれたのかい? いやぁ光栄だなぁ。もしかしたらすっかり忘れられているのかと思ったよ」

 慄きながら呟く少年。
 対するトーラスはまるで十年来の知己と話すかのような気安さで少年に語りかける。
 そんな二人の姿に、エリオは混乱する。

 この二人は知り合いなのか?
 なぜ、少年はトーラスの事を恐れている?
 トーラスは、少年の事をなんと呼んだ?

「賢人会議人類進化学研究所所長――トーラス・フェルナンド。あなたは……貴方はまだあんなことを続けているんですか!」

 少年の、怒りの篭った叫びが響く。
 人類進化学研究所――それはかつてフェイト・T・ハラオウンが壊滅させた違法研究所であり、幼い頃の少年が、監禁されていた場所でもある。

 彼はその最高責任者だった。フェイトによって主要研究者の逮捕や、施設の封印等は行なわれていたが、
 彼だけは捕まることなく、今の今まで完全にその姿を消していた男――それが今目の前にいるトーラス・フェルナンドだった。

「うん? まぁ、肩書きはなくなったけどね。ああ、まだ続けてるよ。どうやら今度は上手くいきそうなんだ」

 少年の言葉を否定する事無く、簡単に頷くトーラス。
 だが、それを信じられない者がいた。

 エリオだ。彼はただ呆然と事の成り行きを見守るしかできなかった。
 自分の理解できない事態の展開に、エリオはただ縋るような視線をトーラスへ向ける。

「トーラスおじ……さん。これはどういう――」

 呟きながら、トーラスのほうへと向かって歩み寄るエリオ。
 だが、そんな彼を止める警告の声が轟いた。

「ダメだっ、そいつに近づいちゃ!?」

 少年からの制止の声。それに「え?」と振り返ったのがいけなかった。

 痛みが。強烈な痛みがエリオを襲った。

 痛みの正体は、腿を貫く魔力刃だ。
 殺傷設定の光の刃は正確にエリオの右腿を貫き、赤い鮮血を撒き散らす。

「ッガ――――ああっ!?」

 熱さとも、寒さとも違い妙な感覚。それが耐えがたい痛みであると自覚すると同時に、エリオは声にならない苦悶の叫びを上げ、その場に倒れ伏す。

「それにしても再会できて本当によかった。あれから元気にしていたかい? 心配で心配で堪らなかったんだよ」

 その隣で。
 悲鳴を上げ、のたうつエリオの隣で、エリオを瞬時を刺し貫いたトーラスは、まるで何事も無かったかのように、少年との会話を続けていた。

「な、なんで……?」

 瞳に涙を浮かべながら、困惑の声を紡ぐエリオ。
 彼には自分の身に何が起きたのか。誰が自分を刺し貫いたのかさえ解らなかった。

 正確に言えば、理解することができなかったのだ――なぜ、トーラスが自分を刺し貫いたのかが。

 縋るように、求めるように倒れ伏したままトーラスへと手を差し伸べるエリオ。
 そこで、トーラスはようやく地を這うエリオを再認識した。

「ん……ああ、そうだそうだ。そういえばこれを回収しておかないとね」

 その言葉と同時に、天から魔力刃が落ち、差し伸ばされたエリオの右手を貫き、大地に縫いとめた。

「――――――っっ!!」

 耐え難い痛みに、喉の奥から声にならない悲鳴を迸らせるエリオ。

「なっ……や、やめろぉ!? なんで、なんで彼を傷つけるんだ!?」

 その惨状に、制止の声を投げかける少年。
 そんな少年に、トーラスはすまなさそうに、声をあげる。

「ああ、話の腰を折ってすまないね、エリオ君。大丈夫、すぐにすむからさ。悪いけどちょっと待っていてよ」

 まるで、エリオを傷つけた事など、なんでもないと言うかのように、すまなさそうに詫びるトーラス。
 彼はそのまま倒れ伏すエリオに歩み寄ると、刺しつかれた掌の手首を足で踏みつけ、固定する。

 当然のように、その一撃にエリオは卒倒しそうなほどの激痛を覚えるが――それは始まりにしか過ぎなかった。
 トーラスはそのまま、彼の右手に刺さった魔力刃を掴むと、それをゆっくりと引き抜き始めた。
 同時に、ミチリと、彼の右手に潜む何かが、その身を内側から食い破るように、ミチリ、ミチリと音を立て、引き裂き始めた。

「――ッッ!? ――――ッ! ――――――ッッッ!!」

 それにあわせるように、耐え難い痛みがエリオを襲う。
 聞くものの心を侵すかのような苦痛の声が響き渡る。
 なのに、トーラスはそれを聞きながら眉一つ動かす事無く、淡々と作業を続けた。

 やがて、エリオの右手の皮膚を破りながら現れたもの――それは、ロストロギア、シュピーゲルだ。

 トーラスはエリオの右手と融合していたそれを力付くで、摘出したのだ。
 無論、そんな真似をすれば使用者には物理的なものだけではない。魔力で繋がっている以上リンカーコアにも多大なダメージを負う事となる。
 それを理解していながら、トーラスは、まるで躊躇する事無くその作業を実行してみせた。

「いやぁ、ごめんごめん。お待たせしちゃったかな……ええと、それで何の話だったっけ?」

 血塗れのシュピーゲルを手に、平然と会話を続けようとするトーラス。
 その姿に、少年は怒りに打ち震えるかのように、唇を噛み締めトーラスを睨み据える。

「ん、あれ? もしかして怒っているのかい? 何か僕は君に悪い事をしたかな。だったら謝るよ。ごめんね、許して欲しいな」

 そう言って頭を軽く下げるトーラス。その口調はどこまでも軽い――が、それよりも恐ろしいのは彼が本気で謝っていると言う事実だ。
 彼は、すまないと本気で思っている。口にしたその言葉に、嘘偽りなど欠片も無い。
 なのに、彼は繰り返すのだ。なんの良心の呵責も無く、一切の躊躇いも無く、彼はエリオを傷つけることができる人間だった。

 悪意無き邪悪。それがトーラス・フェルナンドの真の姿だった。

 それでも、そのありのままの事実を見せられても、目の前の真実を信じられない者がいた。

「トーラス、おじさん……な、んで……」

 トーラスの手によって血塗れになった手を、それでも彼のほうへと差しのばすエリオ。
 そのか細い声が、耳に届いたのか、彼は視線を倒れ伏したエリオの方へと向ける。

「あ、まだ居たんだ。ごめんね、すっかり忘れていたよ」

 皮肉ではなく。彼はきっと本当にそこにエリオがいる事を、自身が傷つけた者がいることを忘れていたのだろう。
 彼にとって、今のエリオはその程度の存在でしかないのだ。

「なんで……ボクを裏切って、最初から、騙してたんですか……父さんや、母さんを生き返らせてくれるって……」
「裏切る? 騙す? やだなぁ、人聞きの悪いこと言わないでよ。ボクの目的はただひとつ。
 モンディアル家の皆に幸せになってもらうこと。みんなを生き返らせて本当に幸せな家庭を築いてもらうことだよ」

 ――彼は、ほんの僅かな嘘もついていなかった。
 それがトーラスの最終目的で、唯一の目的だった。

「ボクはね。君たちは幸せになるべき人達だと思うんだ。セディチはいいやつだし、リアーナさんはステキだった。エリオくんだって本当に良い子だったんだよ。
 彼等みたいな善良な人達が幸せになれないなんて、そんなの酷いじゃないか」
「だったら、だったらなぜ、ボクを裏切るんですか!?」


「え? だって、君はエリオくんじゃないじゃないか」


 それは、不思議そうに紡がれたトーラス・フェルナンドのその一言は、エリオ・モンディアルという存在を完膚なきまでに打ち砕いた。
 腿を刺し貫かれるより、掌を刺し貫かれるより――それは余りにも致命的な一撃だった。

「ははは、やだなぁ。まさか君は自分がエリオ・モンディアルだとでも思っていたのかい?
 それはちょっと自意識過剰なんじゃないかい? やめてくれよ、それはさすがにちょっと不愉快だよ」

 嘲るように笑うトーラス。
 エリオは――いや、名も無き少年は、トーラスを見詰めながら震える声を紡いだ。

「ちが……う。ボクは、ボクはエリオ・モンディアルだ……」
「頑固だねぇ。んじゃあ聞くけど、君はご両親の、セディチとリアーナの事を覚えているかい? 些細なことで構わない、
 どんな顔をしていた? 髪の色は、目の色は? ご両親は、君の事をなんて呼んでいたんだい?」
「そ、それは……」

 ガチャリ、ガチャリ。

 頭の中でチャンネルを回す音がする。記憶を探るスイッチの音。
 けれど、思い出せない。トーラスの言う、両親の記憶を彼は何一つ思い出せない。

「思い出せないだろう? そりゃあそうだ。君には元々そんな記憶は無いんだよ。これっぽっちもない。欠片も無い。だってそれは作られた記憶なんだから」
「つく……られた……?」
「劣化した記憶と言った方が正しいかな? いいよ、君の正体を教えてあげる」

 そういって彼は微笑んだ。
 どこまでも慈悲深い、穏やかな笑みを浮かべながら。

 そこには一欠けらの悪意すら込められていなかった。
 彼にとって、その一言は無知な存在に真実を教授する善行でしかなかった。

「君はね、君がシックザールできそこないと呼ぶ彼がボクの研究所に居た頃に、その遺伝情報を元に造り上げた魔導生命体だよ。
 ええと、うん。つまり君はオリジナルとは一切の関係のない、言うなれば出来損ないの劣化品シックザールさ」

 それがなんでもない事実であるかのように、淡々と語るトーラス。
 全ての真実を語り終えた彼は、そこでふと不思議そうに首を傾げた。

 彼は本当に、心の底から腑に落ちないといった様子で、力なく項垂れる血塗れの少年を見詰め、呟く。

「あれ? そういえば、なんで出来損ないの君が、まだ生きてるんだい?」


 ぶつん、と。電源が落ちるような音が彼の――シックザールの頭の中で響いた。



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