LIGHTNING STRIKERS : BREAK 02-04



「やめろぉぉぉぉぉっ!」

 怒りの声と共に、立ち上がったのは左肩を外された少年――エリオ・モンディアルだった。
 折れた長槍を片手に、その切っ先を彼はトーラスへと向ける。

「ん? あれ? どうしたんだいエリオくん。そんなに怒って……なにか悪い事しちゃったかなぁ、ボク?」

 そんなエリオを困ったように見詰めるトーラス。
 からかっているわけではない。彼は本当に、なぜエリオがこれほどの憤激に駆られているのか、まるで理解していないのだ。

「貴方は……貴方は何一つ変わっていない」

 かつて、研究所に囚われていた頃の事をエリオは思い返す。
 その時に見たトーラスと、今のトーラスは何一つ変わっていなかった。
 彼は欠片の悪意すら持たず、人を傷つけることのできる存在なのだ。

「貴方は彼を……人を傷つけてそんなに楽しいのか!?」
「え、ええっ! 心外だよ。ボクはそんな人を傷つけて喜ぶような人間じゃないよ?」

 驚いたように、首を横に振るトーラス。
 だが、そこで彼は得心言ったかのように手を打つと、笑いながら蹲る血塗れのシックザールを指差した。

「ああ、なるほど。アレの事を言ってるのかい。大丈夫大丈夫、アレはほら、人間じゃないじゃないか。
 ただの出来損ないだよ。だからエリオくんが気にするようなことじゃないんだ、ね?」

 出来の悪い生徒を必至に諭すかのように、笑みを浮かべながらエリオを宥めようとするトーラス。
 そこで、何かが決裂した。
 いいや、始めからエリオは知っていた。トーラスが説得――いや、まともな会話さえ通じる相手では無いと言うことに。

「貴方は……やっぱりここにいちゃいけない人間なんだ」

 もはや問答に意味は無かった。
 エリオは折れた長槍を握ったまま、トーラスへと向けて飛び掛かった。
 その挙動に、トーラスは「え?」と信じられないと言った表情で後ずさりながら、情けない悲鳴をあげる。

「う、うわぁっ! え、ええと……ちょっと止めてよ、ねぇ!」


「はい、我が主」


 声が。エリオとトーラスの間に割り込むかのように凛と響く声が紡がれた。

 瞬間、トーラスへと向けて突き込まれた長槍が、輝く防御魔方陣によってあっさりと阻まれた。
 彼の命令に従って、何者かがその一撃を止めたのだ。
 それを成し遂げた存在に、エリオは信じられないといった表情を浮かべる。

「なっ――なんで、あなたが!?」

 エリオは、彼女の事を知っていた。
 フェイトから、何度か聞かされた事がある。
 強く、厳しく、とても優しかった自分の魔法の師の話として、彼女の事を。

「リ……ニス」

 離れた場所から、エリオの一撃を受け止めた彼女の名が紡がれた。
 それは血に塗れたまま、意思の消えた茫洋とした瞳で周囲の状況を窺っていた少年――シックザールの紡いだ声だった。

 縋るような声。救いを求めるような声。
 その言葉に、リニスと呼ばれた使い魔は視線を声のした方向へと向け、僅かに微笑んだ。

「ごきげんよう。元我が主」

 シュピーゲルによって作られた魔導生命体である彼女には、一つの枷が設けられている。
 それは、シュピーゲルの所有者の命令には逆らえないという被絶対命令権だ。
 そして今、シュピーゲルの持ち主はシックザールではなく、

「ふぅ……驚いたなぁ。いきなり襲い掛かってくるだなんて、酷いじゃないかエリオくん」

 白衣に付いた埃を払いながら、ゆっくりと立ち上がる――トーラス・フェルナンドの右手にシュピーゲルが握られていた。

「お怪我はありませんか、我が主」
「ああ。君も贋作にしては役に立つよね。うん、すごいすごい。その調子でボクを守っててよ」

 リニスの声に、感心したように呟くトーラス。けれどそこには守ってもらったことに対する感謝の念など欠片もない。
 おそらく、トーラスにとってシュピーゲルによって造られたリニスは使い捨ての道具程度といった認識しかないのだろう。
 シックザールと同じだ。彼は自分が人間と認めないものにはまるで感心を示そうとはしない。

「どうして貴方がここに……それになんでトーラスなんかと……!」

 事情を知らぬエリオが、こちらの一撃を完全に防いでいるリニスに問いかけるように叫ぶ。
 フェイトからの話を思い返す限り、彼女は既にこの世界にいない筈の存在だ。
 そんな彼女が今自分の目の前にいること。そしてトーラスを守るように立ち塞がることに、エリオは戸惑いにも似た感情を覚える。

「申し訳ありません。私自身も遺憾ではありますが、所詮は契約に縛られた身ですので」

 相対するリニスは困ったような笑みを浮かべはするものの、僅かも退こうとはしない。

「命令である以上、我が主に危害を加えるの者を見過すことはできません。一撃を通したくば、是非ご遠慮なく私を打倒して下さい」

 そう言って、にこりと微笑むリニス。その背後で、魔力が渦を巻くようにしていくつもの光槍が形作られる。
 リニスの得意魔法たるフォトンランサーの群れだ。それらは弓に番えられた矢のように己が身を震えるように引き絞ると、一斉にエリオへと向けて疾駆する。

 足元を抉るように打ち込まれる光槍の群れに追い込まれ、エリオは弾かれたように後方へと跳び退る。
 あくまで威嚇射撃なのだろうが、遠慮や躊躇など欠片も感じられない一撃だ。

 かつて話に聞いただけではあるが、あのフェイトの師でもある存在が、いまエリオの前に分厚い壁となって立ち塞がる。
 魔法行使に制限の掛かっている身に加えて、シックザールとの戦闘で左腕が使い物にならない今の状況で太刀打ちできる相手ではないと思わせる気迫を彼女は笑顔の中に確かに備えていた。

 エリオとリニスの間に一触即発の空気が流れる。
 だが、そんな緊迫した空気を打ち破ったのは、渦中の人物たるトーラス本人だ。

「ちょっとちょっと。ケンカはよそうよエリオくん。ボクは君と争うつもりなんかこれっぽっちもないんだ」

 リニスの影から「まぁまぁ」とこちらを宥めるように、声を放つトーラス。

「ボクの目的はたったひとつ。君のご両親を生き返らせたい――そして君たちに幸せになってほしい。本当にたったそれだけなんだ」

 歌うように、己の目的を告げるトーラス。そこにはやはり嘘や偽りは微塵も無い。
 そこにあったのはまるで神の教えを語る宗教家のような純粋極まりない感情だけだった。

「かの魔導師のように次元震を引き起こすような凶行に走るつもりなんてないし、例の科学者みたいに世界に認められるべくテロリズムに浸る予定だって無い。
 ボクの目的が達成できたなら罪を認めて自首したって構わないさ」

 そして、トーラスはエリオへと手を差し伸べた。
 かつて、絶望に飲み込まれかけていたシックザールを救ったあの時のように。

「ただ、君の協力が必要なんだ。ねぇエリオくん。けして悪い話じゃないはずだ。君だってセディチやリアーナを恨んでいるわけじゃないんだろう?
 できるなら、また何も知らなかったあの時のような、幸せな時間を過ごしたいだろう?」

 トーラスは優しく、包み込むような言葉を紡ぐ。

「さぁ、一緒に力を合わせて、幸せだったあの時に戻ろうよ」

 けれど、エリオは――天使の誘惑のようなその言葉を、

「貴方は――間違っている」

 僅かも揺れる事無く、僅かも迷う事無く、跳ね除けた。

「死んだ人は絶対に生き返らないし、失ったものは戻ったりしない。貴方もあの人達も……そして僕も、その根底から間違っているんだ」

 自身が、どうしようもない“歪み”だからこそ、エリオは言葉を紡ぐ。
 それはともすれば石木に向けて言葉を放つより意味を為さないことだっただろう。

 なぜなら、トーラスは自分の行いを悪だとは思っていない。
 彼にとって自分のやっていることは確かな善行で、それを邪魔するものこそ悪なのだろう。
 だから、エリオの弾劾の言葉も意味の無い事だったのだろう。

 証拠にトーラスは、ただおかしそうに笑い、呟いた。

「はははは、違う、違うよエリオくん。死んだ人は生き返るし、失ったものだって取り戻せるんだよ。このボクが、そう願う限り、きっと幸せにしてみせるんだ」

 自分の行いに、不安や躊躇どころか、疑問すら抱かぬまま、胸を張り答えるトーラス。
 しかしその表情が崩れた。破顔と呼ぶべき笑みを浮かべたのだ。

「でも、良いね。すごく良いよ。君のその言葉、とってもステキだよ! やっぱりあの出来損ないなんかより君の方がエリオ君に相応しい」

 腰を曲げ、楽しそうに嬉しそうに呵々と笑うトーラス。

「うんうん、そうそう。セディチもそう言ってボクを止めようとしたんだよね。すごいね、これも以心伝心ってヤツかな。さすが家族って感じだよね」
「な、なん、だっ……て?」

 トーラスの言葉に、エリオは戦慄にも似た感情を覚えた。
 じわり、と足元から影が這い寄るような感覚がエリオを襲う。

「セディチもさ、いきなり「私達は間違えてたんだ」とか言い出して、ボクの研究の邪魔をしてきたんだよ。ふふふ、アイツらしいよなぁ。ああいう正義感の強いところもボクは憧れていたんだよ」

 昔を懐かしむように語るトーラス。
 だが、エリオの脳裏に掛かる暗い思いは晴れない。
 それはエリオが知った事実から導きだされる推論だった。

 彼が知った――モンディアル夫妻は自殺したという事実。

 しかし、それは、本当に自殺だったのだろうか?
 なぜ――彼等は、死ななければならなかったんだろうか?

「まさか……あなたは……」
「ん? ああ、そうそう。さすがに研究を邪魔されるのは困ったからね。セディチとリアーナにはちょっとの間、退場して貰うことにしたんだよ。二人一緒に、ね」

 
 ●


 その言葉の意味を、彼等は正しく理解した。
 理解、してしまった。

「あなたは……最低だ……」

 奥歯を噛み締め、振り絞るように声を紡ぐ。そうしなければ、どうしようもない怒りが溢れ、制御することが出来そうになかった。
 けれど、そんな怒りの感情すら、この男には届かない。

「ん、あれ? セディチとリアーナを殺した事を怒ってるのかい? なら安心しなよ、君が協力してくれたらすぐに生き返らすからさ。ねっ、だから力を貸してよ」

 まるで邪気のない笑みを浮かべ、手を差し伸べるトーラス。
 けれど、エリオの怒りの感情がそれによって鎮まる事などない。殺意にも似たそれを一身に浴びながら、けれどトーラスは揺るがない。
 本当に理解していないのだ。相手がなぜ怒りに駈られているのか。なぜ分かり合えないのか――。

「――――――ああああっっ!」

 その瞬間だった。獣の咆哮にも似た叫びが、響き渡った。
 音のした方へと視線を向ければ、右手と左腿を光刃に貫かれたままのシックザールが、傷口が開くことも厭わずに立ち上がろうとしていた。
 喉奥から迸るのは痛みに耐える呻きとも、怒りに震える唸りとも知れぬ音を迸らせ、血に塗れながら、シックザールが立ち上がる。

「おまえが……おまえがっ! おまえがおまえがおまえがっ父さんとっ、母さんをっっ!!」

 憎悪に淀んだ眼差しが、トーラスを見据える。
 だが、当の本人は明確なまでの殺気を受けながらも、その態度を変える事はなかった。
 彼はただ、煩わしそうに眉根を寄せ、

「なんだい突然……」

 話の腰を折られた。その程度の感情しか抱かぬまま、シックザールへと視線を向ける。

「君もなに怒ってるんだよ? 君には関係のない話なんだから、邪魔しないでよ……」
「うるさいっ! うるさいうるさい!」

 トーラスの言葉を振り払うように叫び、シックザールは左手にハルベルトの柄を握りしめた。

「おまえは、おまえだけはっっ――」

 そのまま戦斧を振りかぶり、トーラスへと駆けるシックザール。
 血を撒き散らし、まっすぐ進むことも叶わないシックザールの突撃。
 それを酷く詰まらなさそうに、いらなくなった玩具を捨てるように見詰め、


「ねぇ、鬱陶しいからさ。アイツを殺してくれる?」


 命令が、下された。



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