LIGHTNING STRIKERS : BREAK 02-04



「ねぇ、鬱陶しいからさ。アイツを殺してくれる?」

 トーラスは、リニスへとそう命じた。
 そして次の瞬間、いくつかの事が同時に起きる。

「はい、我が主」

 感情を見せぬ声でリニスがそう応えると同時に、彼女はトーラスとシックザールの間にその身を滑り込ませた。
 その姿を。トーラスを守るように立ち塞がるリニスの姿を視界に納めたシックザールは、一瞬だけトーラスに対する憤激を忘れ、悔しげな表情を浮かべた。

「――ニスッ」
「お覚悟を――」

 その感情の動きに吊られるように、シックザールの動きが一瞬だけ制止する。
 エアポケットのような空白のその時間に、しかしリニスは迷う事無く動いていた。

 彼女の右手に、光り輝く魔力の槍が構築される。
 純度の高い魔力によって練られた殺傷設定の一撃。それに貫かれればシックザールの命は確実に失われるだろう。

 ほんの僅かな躊躇が明暗を分けた。
 この状態からでは、リニスから放たれるであろう光槍の一撃は防ぐことも避けることもできはしない。

 ――死ぬ。

 シックザールの脳裏に、ただその言葉が浮かぶ。
 だが、彼の中で絶対的な死に抵抗する気持ちは、驚くほど浮かばなかった。
 死にたくない、と。誰もが思うはずのそんな感情さえ、彼の中にはなかった。

 トーラスに対するどうしようもない怒りは存在する。
 けれども、生きる意味は。生きる理由は既に彼の中には存在していなかった。

 ――ボクは、出来損ないだ。

 それを、トーラスに事実として突きつけられる以前から、シックザールはなんとなくではあるが、
 自分が本当の【エリオ・モンディアル】ではないのだろうと気付いていた。

 あまりにも断片的な過去の記憶。両親の顔すら、思い出せない自分。
 それでも、その事実を認めたくは無かった。

 自分がエリオ・モンディアルではない、ただの劣化品であることを認めれば、この世界に自分が生きている理由がなくなると、彼は信じていたからだ。
 そんな幻想で、シックザールはトーラスにずっと縛られていたのだ。
 そして、その幻想はトーラスの手によって粉々に打ち砕かれた。

 ――だから、ボクには生きる意味なんて無い。生きてる意味なんてない。

 それでも、唯一の救いがあるとするならば、リニスが自分に引導を渡してくれる事だ。
 ほんの短い時間ではあったが、彼は誓った。

 彼女のために、生きようと。

 こんな結末を望んでいたわけではない。
 もしかしたら、それは諦めにも似た感情から来る思いなのかもしれない。

 絶望に押し潰されないように。儚い希望に縋りつくように。
 このどうしようもない運命に弄ばれた自分の最後に彼女が引導を渡してくれることに、それでもシックザールは安堵にも似た感情を得た。
 走馬灯のように引き延ばされた時間のなか、そんなことを想うシックザール。

 そして、どれほど長く感じたとしても時間が止まる事はない。
 煌く光槍は、シックザールを刺し貫くべく、その身を震わせるように収縮し、飛翔した。

 鮮血が、飛び散った。

 紛う事なき殺傷設定の一撃は、その身を裂き、骨を貫き、真っ赤な鮮血をあたりへと撒き散らした。

「………………え?」

 シックザールの、呆然とした呟きが漏れる。
 死を覚悟していたはずの彼は、ただ目の前で起こった真実を信じられずに、動けずにいた。
 見れば驚愕に身を強張らせていたのは彼だけではなかった。

 光槍の一撃を放ったリニスも、彼を殺せと命じた筈のトーラスさえも、今この場で起きた事実に驚愕を隠せずにいた。
 この場に居た者のなかで、唯一驚きを顕にしなかった者はただ一人――

「……よかった、間に、合った」

 その身を抉られるように、光槍に貫かれた、エリオ・モンディアルだけだった。


 ●


 ほんの僅かに、微笑んだかと思うと、エリオはそのまま膝から崩れ落ちるようにその場に倒れ伏した。

「う、うわぁっ!? 血、血だ。エリオ君から血がたくさん。死、死んじゃうこのままじゃエリオくんが死んじゃうよ!?」

 始めに、声を張り上げたのは予想外にもトーラス・フェルナンドの恐慌に煽られたかのような声だった。
 人の命を、どこまでも軽く見積もっていた彼だが、今この瞬間だけは慄き、軽いパニックさえ起こしている様子だった。

「だ、ダメだよ。ここで死なれちゃあ計画がダメになるじゃないか。エリオくんにはもう代わりはいないし、セディチ達は殺しちゃったしさ。
 あ、あんな出来損ないから記憶の抽出はできないし、どうしよう、どうしよう! これじゃあ皆を幸せに出来ないよ……」

 ぶつぶつと独り言のように呟きながら、判断能力を失ったかのように視線を彷徨わせるトーラス。
 そんな彼の独白を遮るかのように、リニスの声が強く響いた。

「我が主、ご命令を。彼を生かすおつもりでしたら出来る限りお早めに」

 口調そのものは慇懃ではあるが、有無を言わせない力強い口調に、トーラスが視線を上げる。

「う、うん。あそこの研究所ならまだ医療設備が動く筈だ。大丈夫、まだなんとかなるぞ……」

 爪を噛みながら、震える声で呟くトーラス。けれどリニスの叱責の言葉に、その瞳には僅かに理性らしきものが戻っていた。

「い、急いでエリオくんを運ぶんだ。応急処置も忘れるなよ……いいか、この役立たずっ! エリオくんを死なせたりしたらただではすまないからな!」
「……はい、我が主」

 叱責の声に、しかしリニスは反抗する事無く頷くとトーラスから視線を切る。
 その眼差しの先に、意識を失ったのか血の気のない表情で瞼を落としたエリオと、

「…………あ、あ……あ……」

 くず折れた彼を背中から抱きとめた血塗れのシックザールの姿がそこにあった。
 彼は、その身を貫かれた自分と同じ姿をした存在を見詰め、喉の奥から声にならない震えの音を発している。
 その瞳には先のトーラスよりもなお、理性の輝きが感じられない。
 目の前の事実を、掌にべっとりと張り付いた血の感触すら理解できていないかのように、シックザールはただ震えている。

「彼を、渡してください」

 そんなシックザールに、淡々と語りかけるリニス。
 しかし、その反応は劇的だった。

「ひっ――ああっ!?」

 悲鳴のような、甲高い叫びを上げるとシックザールは抱きとめていたエリオの身を離し、弾かれるようにその身を翻した。
 シックザールに投げ出され、崩れ落ちそうになるエリオの身を咄嗟の判断で受け止めるリニス。

 慌ててエリオの容態を確認し、リニスは誰にも悟られぬように安堵の吐息を漏らす。
 トーラスは混乱のあまり今にも彼が死に掛けていると思っているらしいが、エリオが射線に割り込んできた瞬間、リニスはその軌道を瞬間的に外している。
 失血で意識を失っており、適切な処置が必要なのは変わらないが、致命傷ではないだろう。

 もちろん、自分の失態であることには変わりないが、命に別状がない事を確認し肩の力を抜くリニス。
 だが、その視線を上げたところで――その表情が再び緊の一字に変わる。

「あ……あ、ああああ……」

 シックザールがそこにいた。
 彼はその場に腰を落としたまま、背後へと逃げるように身を引き摺りながら距離を離そうとしていた。

 その視線はこちら――リニスではなく、彼女の腕の中で意識を失ったままのエリオへと向けられている。
 そこに浮かぶ表情は恐怖。怯えにも似たその眼差しには涙すら浮かんでいた。

「……マイマス――」
「うわあああああああああああああっっ!!」

 思わず、かつてと同じ呼び名でシックザールを呼び、手を差し伸べようとするリニス。
 だが、彼女の言葉は雨の降り注ぐ森林に響き渡る叫びに掻き消された。

 そして、次の瞬間。シックザールは――逃げ出した。

 悲鳴をあげながら、こちらに背を向け、けして振り返ろうとしないまま。
 その背中を、エリオを抱えたままのリニスはただ呆然と、その名を呼ぶこともできずに見詰めることしかできなかった。

「……? なにをボサッとしてるんだ! さっさとエリオくんを連れて来るんだよ!」

 その背後から、トーラスの苛立ちに塗れた叱責の声が響く。
 もはや彼は、シックザールがどうなろうと、なんの関心も抱かないのだろう。
 その命令に逆らうことの出来ないリニスは、トーラスの言葉に静かに頷くとエリオを抱きかかえたまま静かに立ち上がる。

「……はい、我が主」

 最後に、リニスは夜の闇の向こう。シックザールの駆けていった方向を見詰めてから――踵を返し、トーラスの後に付き従っていった。


 ●


 雷光が、空を裂いた。

 轟々と降り注ぐ雨、空は曇天に覆われ、星の光一つ見つからない。
 けれども、世界を白く照らす雷光だけは鳴り響く重低音と共に断続的に続いていた。

 だが、そんな暴風の中に、突如として足音が響いた。
 それは、森の木々の間を走る音。大地に溜まった雨水を蹴立てて、何者かが疾走している音だった。

「ひぃ……ひぃ、あ、ああ、あああああっ!!」

 それは少年だった。
 その身を赤い血に染め、その瞳から涙を零し、何かに追われているかのように走り続ける少年。

 だが、踏み出した足が太い木の根に取られた。
 バランスを崩し、その場で転ぶ少年。その身は大地に溜まった泥に塗れ、彼の身を斑に汚す。
 泥水に身を沈め、けれど少年は足掻くように、這うようにして、その場から少しでも前へと進もうとする。

 彼は今、逃げていた。

 何からか、と問われたところで彼は答えられなかっただろう。
 それでも、一瞬たりともこの場に立ち止まる事などできなかった。

 だから、彼は走り続ける。
 恐怖に駆られ、涙を流し、叫びながら。

 みっともなく、恥ずかしげもなく、逃げ続けていた。

「やだ……いやだぁっ…………」

 懇願するような言葉がその口から漏れる。
 けれどそれを聞き届ける者も、彼を責める者もこの場にはいない。

 ただ、彼は目に見えぬ何かに追われ、逃げ続けていた。
 やがて、暗い夜の森が途切れる。

 その先に、何があるか、少年は知っていた。


 ――そこには、なにもないのだ。


 どうしようもないくらい、そこには何一つ存在しないがらんどうなのだ。
 まるで自分の身のように。まるで自分の心のように。
 そこには何も、何も、何も存在しないのだ。


 だから、少年は夜の森を駆けながら、空を見上げ――


「あああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!」


 雷光が、空を裂いた。


 LIGHTNING STRIKERS : BREAK - END

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