LIGHTNING STRIKERS : ACCEL 01-02
機械音が地下の施設に響いた。
ずらりと並ぶ培養ポッドの群れ。その中の一つが大きな音を立てて開いたのだ。
溢れ出す培養液。
その流れに押し流されるように、小さな影がひとつ、地面へと転がり出た。
まだ年端もいかない。幼年と言うに相応しい赤毛の男の子だ。
彼は己の身に何が起こったのかを理解できずに、ただ驚きの表情を浮かべていた。
突如として、世界に放り出されたかのような感覚。
今まさに、この世界に生み出されたかのような恐怖。
そんな感覚を味わいながら、少年はその小さな身を震わせ、立ち上がろうとした。
本能的なその動きに、しかし肉体の方が付いていかない。
震える足は培養液に濡れた床を滑り、彼は何度も転びそうになる。
それでも、生まれたばかりの小鹿のように必死で立ち上がろうとする少年。
「う…………あ…………」
周囲を見回し、縋るような声を放つ。
まるで言葉を知らないかのようなその呟きは、しかし何かを求めていると言う事を如実に伝えていた。
そう。彼は誰かに縋りたかったのだ。誰かに支えてもらいたかったのだ。
けれど、近くには誰もいない。彼を支えてくれるものはいない。
その事実に、少年に瞳にじわりと涙が浮いた――瞬間だった。
「エリオッ――」
名を、呼ばれた。
それが自分の名であると言う事を少年は知っていた。
その記憶は、確かに彼の頭の中に刻まれていた。
声のした方向へと振り返る。そこには培養液に溢れた床を蹴立て、駆け寄ってくる一組の男女の姿があった。
彼等は迷う事無く、少年の下へとたどり着くと、まず女性の方が彼の小さな身体を優しく、しかし離さぬようにぎゅっと抱きしめた。
その暖かさに触れ、しかし戸惑いの表情を見せる少年。
動かした視線の先、少年を抱いた彼女はこちらの肩に顔を埋め、泣いていた。
すすり泣く声。それを聞いて、自らもとても悲しい気持ちでいっぱいになった少年は、その小さな掌で女性の背中を撫で、思うままに呟く、
「泣か……ないで、お、母さん」
母、と少年は自らを抱きしめる女性の事を呼んだ。
――そう、この人が僕のお母さん。
自分の頭の中にある記憶が、確かにそう告げていた。
そんな少年の一言に、母親は再び強く少年に身を抱き、大きく咽び泣いた。
「痛い……よ。お母さん」
「ごめんね……ごめんね……」
ごめんねと何度も呟き、しかし少年の身体をけして離そうとはしない母。
そんな母の抱擁に、少年が困ったように眉を寄せる。
「エリオッ……私が、私の事が解るか?」
そこへ、震える声が届いた。先程から少年と母親の抱擁を見守っていた男性だ。彼はやや慌てた表情のまま、少年にそう問いかけてくる。
少年は、声のした方向を見上げ、柔らかな笑みを浮かべる。
「どう……したの、お父さん? お父さんのこと、忘れたりするわけ、ないじゃない」
不安そうな父の表情が、どこかおかしくて笑みを浮かべつつ応える少年。
その一言に、今度は父が脱力したかのようにその場に膝をついた。
そのまま彼は「ひっ」と喉を震わせると、少年を抱く母共々包み込むように、少年の身体を抱いた。
喉から漏れる啜り泣きの声が、少年の元にまで届いてくる。
「く、くるしいよぉ、お母さん……お父さん……」
父と母。両親に抱きしめられ、くすぐったそうに呟く少年。
けれど、両親は涙を流し、声を震わせながら、けして少年を離そうとしない。
その姿を見ていると、なぜか少年も悲しみが溢れてきた。
「…………う、あ」
後は、もう止められなかった。
瞳に涙を浮かべた少年も、そのまま大粒の涙を溢しながら、わんわんと泣き喚き始める。
それは、産声だった。
エリオ・モンディアルという少年が、この世界に生まれてきた事を意味する産声。
彼はこの時、病気の治療の為に、暫くの間、この治療用ポッドの中に入っていたのだと説明された。
――けれど、真実は違った。
彼は今この瞬間、生まれたのだ。
プロジェクトFと言う名の技術を用いて、彼は今この瞬間に造りあげられたのだ。
その身は人工的に造られた器で、その記憶は転写された仮初のもので、
そして母の胎内からではない、どこまでも無機質な培養ポッドから。
しかし、その誕生は、たとえ紛い物であれ、確かに両親からの祝福と共に行なわれた。
●
鈍い痛みが競りあがるような感覚に、エリオ・モンディアルは瞼を開いた。
未だハッキリしない意識のなか、目の前の景色が歪んでいる事に彼は気づく。
『ここ……は……』
ごぼり、と声の代わりに酸素マスクの吸気口か気泡が溢れる。
液体の中に浸されている、とエリオがすぐに理解できたのは遠い昔の記憶を思い出したからだろうか。
ここは、エリオ・モンディアルが生まれた場所。
母の胎内ではなく、機械によって作り出された人工子宮――培養ポッドの中。
――そうだ、僕はここで造られたんだ。
視界を動かし、周囲を見る。
液体を通した彼の視界は僅かに歪んでいるものの、周囲の状況を窺う程度の事はできた。
暗い地下施設。幾つも並ぶ培養ポッド。ケーブルの這う地面。部屋を僅かに照らす非常灯の輝き。
どれもこれも見覚えのある光景だった。
なぜならそれは、エリオ・モンディアルの原初の記憶。
彼は、ここで生まれ。そして両親に抱き上げられたのだ。
覚えている。忘れた事など一度も無い。
それ以前の出来事は、本当のエリオ・モンディアルから複製された記憶として彼の中に存在してはいた。
しかし、彼が彼として始めて記憶し始めたのが、この場所なのだ。
――ここで、僕は父さんや母さんと出逢ったんだ。
かつての記憶を思う、エリオ。だがそんな感傷に浸る彼の耳に、声が響いた。
「やぁ。お目覚めかな。エリオ・モンディアルくん」
エリオ視界、透明な防護壁の向こうに、歪んだ人影が立つ。
その声を、その姿を忘れることのできないエリオは、声に怒りを滲ませつつその名を呟く。
『トーラス・フェルナンド……』
ごぼりとエリオの口元から溢れる気泡。その声が伝わっているのかいないのか、
「ああ、よかった。本当によかったよ。このまま死んじゃったらどうしようかって本当に悩んでいたんだ、うん」
よかった、よかった。と子供のようにはしゃぐトーラス。
その姿は本当にエリオが死ななかった事を喜んでいる様子だ。しかし、その態度に納得のいかないエリオの脳裏には疑問が浮かんでいる。
『僕を……どうするつもりだ……。貴方の目的は、いったい何なんだ』
「ん? 僕の目的はもう伝えた筈だよ。君のご両親の復活――そして君たちに幸せになってもらうことさ」
何一つ悪びれもせずに言葉を紡ぐトーラス。
それ以外はどうでも言いと言わんばかりの態度に、エリオには怒りよりも前に怖気のような感情を覚える。
『貴方が……父さんと、母さんを殺したんだろう! なのに幸せにするだって……貴方は自分がやっていることが矛盾していることに気付かないんですか!?』
「矛盾なんてしてないさ」
エリオから弾劾の言葉が飛ぶ。しかしトーラスはその言葉に対し、一切の迷いも躊躇も見せる事無く、応えた。
その程度の問い掛けなど、今更無意味でしかないと言うかのように。
「いいかいエリオくん。この研究が成功すれば君たちは……いいや、人類は死という呪縛から解放されるんだよ。
身体が滅びそうになれば、作り直せばいい。記憶が欠落したならば転写すればいい。
死と言う運命から逃れられないのならば、それを捻じ曲げればいい――それがプロジェクトFの真の姿なんだ。
もはや死などというファクターはどうしようもなく些細なことでしかないんだよ?」
『違う! 死んだ人間は生き返らない! いくら生命を造りだしたところで、それはよく似た別の人間でしかないんだ。
僕自身がそうだから解る……死んだ人間は、絶対に蘇えらないんだ!』
「それは、君に使われた技術がまだ未完成だったからさ」
やはり、エリオの言葉は届かない。彼の言葉をまるで風に揺れる柳のようにかわすと、彼は再び講義を進めるかのように朗々と語り始める。
「エリオくん。いいかい、エリオ・モンディアルくん。今までのプロジェクトFは二つの段階に分けて行なわれてきた。即ちそれは、肉体の生成と記憶の転写だ」
人差し指と中指を立て、見せ付けるように掲げるトーラス。
「まずは器となる肉体の生成。強力な魔術適正を持った人造魔導師素体。機械との融合を果たした戦闘機人。
そして君達のように生前の姿をそのまま再生することのできるクローン体。
その技術は多岐に渡り、これに関してはもはや完成の域に達していると言っても過言ではない。
よくよくクローン体は子供を生めないなんてデマが流れてはいるが、あんなのはただのプロパガンダだよ
――まぁ、腹を痛めないと我が子と思えないなど、親のエゴでしかないとボクは思うけどね。君はそう思わないかい、エリオくん?」
トーラスの問い掛けに、エリオは唇を噛み締めたまま答えない。
それを否定する事は、エリオの存在そのものを否定することになりかねないし、彼の言葉に肯定するつもりもまた無かったからだ。
トーラス・フェルナンド。彼の言葉は正しいのかもしれない。
だが、彼の思想はあまりにも歪んでいるのだ。それを認めるわけにはいかなかった。
ゆえに、無言を貫くエリオだが、トーラスは気にする事無く話を先に進める。
「そして二つ目が精神の拠り所となる記憶の転写だ。生前の記憶をそのまま生成した肉体に移し、同様の人格を形成させる技術。
けど残念な事にこれは未だ未完成な技術でもある。
人間の膨大な記憶をそのままコピーするのは現代科学でも至難の技だし、コピー時にはどうしても幾ばくかの劣化が生じる。
あのシックザールのように記憶が不確かになることもあれば、記憶の差異によって性格や癖などが変わることもある。
ゆえに、プロジェクトFにおいては記憶容量が比較的少なくなる幼少時、加えて複製回数が少ない方が成功確立が高いのだよ」
それはエリオも知らない事実ではあった。
だが、よくよく考えてみれば確かにエリオやフェイトが生み出されたのは幼少期の頃だ。
また、かつての聖王の記憶や魔力資質を受け継いでいるはずのヴィヴィオが成人状態ではなく、
幼少期の状態で生み出されたのかを考えれば確かに辻褄の合う持論だ。
『なら、結局父さんと母さんを生き返らせることなんて――』
「いやいや、ちょっと待ちなよエリオくん。まぁそう答えを焦るなって」
両手を広げ、まぁまぁ、とジェスチャーを入れながら、トーラスは続ける。
「今までのプロジェクトFには圧倒的に足りないものがあった。解るかい? 肉体と記憶だけじゃ足りない。人間を構成するべき第三の要素。それが――」
――魂さ。
●
『――魂、だって?』
「そう、魂だ。ははは、非科学的だと笑うかい? 確かにボクだってそれが21グラム分の重さの代物だとは思ってもいないけど、
ボク達を構成するものが肉体や記憶だけというのは些か寂しいと思わないかい?
魂、心、願い、想い。呼び方は様々あるけど、それはボクや君が各々持っている確かな代物だよ。
例えば君とあのシックザールは厳密に言えば多少の劣化は見られるものの、同じ肉体と同じ記憶を有している。
君たち両方の誕生に関わったボクが言うんだからそこは間違いない」
トーラスの両隣。空中にホログラムウインドウが浮き上がる。
右のウインドウには人体を構成する様々な成分表が書き連ねられ、
左のウインドウにはエリオを中心とした家族の肖像が無数という数をもってスクロールしていた。
「けれど、君とシックザールは別個の存在だ。残念なことに私にはそれを証明する事は出来ないが、君ならば解るだろう。
君はエリオくんであってシックザールじゃない。君は自分と彼が違う存在であると知っている筈だ。
我思う故に我在り。つまり、その差異が埋まらない限り死者の蘇生は絶対に成功しない。
肉体と記憶による生成で出来あがるのはよく似たただの出来損ないだよ」
彼の言動を耳にしながら、エリオは背中に冷たいものが走る感覚を得た。
彼が言っているのはもはや科学や魔法というレベルの話ではない。
それは――彼の言っている事はそれこそ神の領域の話だ。
だというのに、トーラスは、己がそこに至れると信じている。
それが目的なのだと、それを叶える為に自分はここにいるのだと自覚している。
『あなたは……魂の生成さえ可能にするって言うんですか』
「やだなぁ、エリオくん。違う。違うよ。魂とは作り出すものじゃない。この世に産み落とされるものなんだ。人の輝き、生命の神秘。
それを作り出すなんて無粋な真似は進んでやるべきものじゃない」
頭を振るトーラス、そのまま彼は掲げた人差し指を、透明な防壁の上へと突き立てた。
その先に居るのは、エリオ自身。
「ホラ、そんなことをしなくてもさ――――ここに、ちゃんとあるじゃないか」
液体によって歪んだエリオの視線の先、透過防壁の向こうで、トーラスが微笑んだように見えた。
口の端をあげ、可笑しそうに、楽しそうに。
その笑みに、エリオは自分の背筋にぶるりと震えが走った事を自覚する。
それを為した感情をエリオは知っていた。
恐怖だ。地の底からせりあがって来るかのような暗黒の気配に包まれ、気を抜けばすぐさま引きずり込まれてしまいそうな感覚。
それを今、エリオは微笑むトーラスから確かに感じ取っていた。
「エリオくん。エリオ・モンディアルくん。君は本当に素晴らしい。君は何よりも尊い。
君は人を愛する事を知っていて、君は人に優しくする事をしっていて、君は人を傷つけることに惧れを抱く。
その行いは、その意思は、その御心は――なによりも素晴らしい君なら、今の君ならきっとエリオ・モンディアルに成れる!
君の高潔なる魂を使えば、きっと今度こそ本当に、君たちを幸せにする事が出来る。だから――」
背を逸らし、振り仰ぐように天を見上げ、カカと笑いながら、
「ボクは君を材料に――もう一度、エリオ・モンディアルを創り出す」
そうしてトーラスは、己の目的を――語った。
「無から有をつくり出す必要なんて無い。君の肉体を再利用し、君の記憶を抽出し、そして君の魂を、捧げる。
セディチとリアーナの分も必要だから、君から魂を分解抽出したら三等分に分けようか?
そうしてエリオ・モンディアルの肉体と記憶と魂を利用した、エリオ・モンディアルの再誕だ。
これならば、これならばきっと君は本当のエリオくんになれる。本当のエリオ・モンディアルに……」
恍惚とした表情を浮かべ、ああ、と唸るように言葉を紡ぐトーラス。
だが、彼のその姿を、彼のその声を、エリオはただ静かに、解りきった事実を告げる。
「貴方は……間違っている。そんな夢物語みたいな空論が、本当に成功すると思っているんですか!」
「ふふふ、やだなぁエリオくん。失敗したのなら、もう一度やり直せばいいんじゃないか。安心してよエリオくん。
もし君が失われたとしても、ボクは絶対に君を生き返らせて見せる。しばしのお別れは辛いけど、なぁに、きっとまたすぐに逢える筈だよ。
だから、ああそうだ。安心して死んでいいんだよ?」
誰よりも、何よりも人の命を軽く見た言動。
彼にとって、もはや命とは失われるものではない。
代えの利く、代替品でしかないのだ。
「さて……と、じゃあお話はここらでおしまいだ。エリオくん。エリオ・モンディアルくん。
今から君の記憶をこのシュピーゲルで抽出させてもらう。君の記憶からセディチとリアーナの記憶を再生させなきゃいけないからね。
ちょっと苦しいかもしれないけど、君達の幸せの為だ。我慢してくれよ」
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