LIGHTNING STRIKERS : ACCEL 01-03


 暗い、どこまでも暗い道がずっと続いていた。

 深夜の病院。
 消灯時間を過ぎた院内の明かりは落とされ、廊下を照らすのは足元に灯る非常灯だけだ。

 ほんのりと淡く光る緑光を頼りに、ゆっくりと歩を進める人影が一つ。
 シックザールだ。

 彼は壁に肩を預けるようにもたれ掛かりながら、ゆっくりと暗い廊下を前へと進む。
 だが、彼自身どこに向かっているのかは解らない。
 ただ、前へ進む事が目的であるかのように、シックザールは重くゆっくりと歩を進める。

「なにをやっているんだろう……ボクは……」

 自分が何故、こんな事をしているのかさえ朧である事実に、少年はおかしそうに唇を歪める。
 零れるのは自嘲の笑み、しかしそれを聞き届けるものはここにはいない。
 故に、少年の笑みはただ静かに暗い病院の廊下に木霊した。

 なにを、すればいいのかが、解らなかった。
 頑なに信じていた、己がエリオ・モンディアルであるという存在意義を失ってしまった彼は、どうしようもなくカラッポだった。

 父と母を生き返らせる事が、彼の生きる目的だった。
 自分の居場所を取り戻す事が、彼の確固たる目標だった。

 彼は、幸せに、なりたかった。

 けれど、それは全て嘘で、デタラメで、できそこないが見た、ただの幻想でしかなかった。
 父も母も自分も幸せも、シックザールには何一つとして元から存在しないものだったのだ。

 始めから存在しないものを取り返す事などできない。

 ――だったらボクはなんの為に生きればいいんだ?

 問いかけたところで答えは返ってこない。
 なぜならば、それこそがどこまでも明確な答えだからだ。

 そうだ、シックザールには何も無い。
 造られた彼の身には生きる目的など一つも無く、確固たる目標などひとつもなく、幸せなど、欠片も存在しなかった。

 ならば、生きる意味がないと言うのなら。

 ――ボクは、死ぬしかないじゃないか。

 ハハ、と再び笑みが零れる。
 紡ぎだした最後の答え。それがシックザールにとっての最初で、最後の選択肢。
 それが、あまりにも自分に相応しすぎて、知らぬ間に笑みが零れた。

 ――そうだ。最初から、そうしていればよかったんだ。

 思う。
 エリオ・モンディアルの死のビジョンに怯え、激情のままに溢した言葉だけが真実だったのだ。

 ――ボクなんか、生まれてこなければよかったのに。

 この世界に自分が生まれた事――それが、唯一にして最大の間違いだったのだ。
 自分が生まれてさえ来なければ、きっと誰も傷つくことなどなく、誰もが幸せでいられた筈なのだ。
 それを自分が歪めた。自分が生まれてしまったことでどうしようもなく歪めてしまった。

 だけど、まだ取り返しはつくだろう。
 自分が、この世界から消えさえすれば、すべてはきっと元通りになる。

 だから、だから、だから――

 シックザールはゆっくりと歩を進める。
 病院の暗い廊下を、非常灯の明かりに導かれるように、一歩一歩、ゆっくりと。

 廊下の先にはきっと階段があるだろう。
 そこを昇っていけば、そのうち屋上に出られる筈だ。
 その後は、その後は?

 決まっている。そんなのは、もう決まりきっている。
 だから。行こう。ゆっくり、それでも確実に、自分の唯一の目的を果たしに――

 幽鬼のような足取りで、ゆっくりと前へと進むシックザール。
 その瞳からは輝きが失せ、ただ目の前の風景を映し出すだけのガラス玉のようになっていた。

 だが、ふいにそのガラス玉に映し出された光景が、彼の歩みを一瞬だけ引きとめた。
 集中治療室、と描かれた扉。その脇に掲げられたプレートに刻まれた名前が、薄れ行く彼の意識を僅かに引き戻した。

 キャロ・ル・ルシエ。

 その名に、シックザールは己の心臓を締め付けられるような痛みを覚えた。
 先程までゆっくりだが確実に進んでいたはずの足はまるで棒になったかのように動かず、指先は小さく震え続けていた。

 その名を、シックザールは思い出す。
 それは、自分が傷つけてしまった少女。

 父と母の為だからと、どうしようもない大儀名分を掲げ、傷つけてしまった少女。
 今はそんなハリボテの建前すらなく、ただ――深く、深く自分が傷つけてしまった少女。

 彼女が、ここにいる。
 この扉の、向こうにいる。

 その事実が、どうしようもなく恐ろしくて、シックザールはただ怯えるように大きな扉を見詰めていた。

 行こう、と誰かが呟いた。
 はやく目的を果たしに行こう。そんなのはもうどうでもいいじゃないか。だってボクにはもう関係ないんだから。

 ――もう、死んじゃうんだから。

 耳元で囁く誘惑の声。しかし、シックザールは自分の奥底に僅かに残っていた意思を総動員し、首を横に振った。

 違う。ここで逃げるのだけはいけない、と。

 ここで逃げてしまったら、自分は今度こそ本当に存在しなくなってしまう。
 死ぬ価値さえ存在しない。ただのがらんどうになってしまう。

 それだけはイヤだった。ソレさえも失ってしまえば、自分はもはや何処にも辿り着けなくなってしまう。
 そんな恐れに突き動かされるように、シックザールは自分の中に芽生えた感情を強く否定する。

「それに……約束、したんだ」

 思い出す。自分と同じ顔をした少年と交わした約束を。
 すべてに決着がついたら、必ず謝りにいくと。

 もはや、すべてに決着をつける事はできないだろう。できたとしても、それは自らの死というカタチの終わりでしかない。
 なら、その約束を守る必要は無いのかもしれない。
 それでも、自分の勝手な都合でそれを反故するのは、いけないことなのだろうとシックザールは考える。

 行こう。

 伝えられないかもしれない。意味など無いのかもしれない。許される事なんて、あるわけがない。
 それでもシックザールは強く拳を握ると、廊下の向こうではなく、集中治療室の扉へとゆっくり歩を進めた。


 ●


 重い扉を開くと、中は白一色の光景だった。

 その色を見た瞬間、シックザールの脳裏にいつか見た光景がフラッシュバックする。
 どこまでも果ての無い白一色の部屋。そこに置き捨てられた一台の古いテレビ。
 かつて見たあれは、シックザールの記憶なのだろう。

 どこまでも広がる真っ白な記憶。
 テレビに映し出される偽りの記憶。

 その心象風景として、あの白い部屋があったのだろう。

 それは、シックザールが正真正銘のニセモノであるという証左だ。
 だから、彼はその白の光景に僅かに恐怖を覚える。

 だが、そこには古びたテレビなどなく、あるのは白いカーテンに遮られたベッドと多くの機械群だけだ。
 容態が安定しているのか、医師や看護師が常駐している様子は無い。

 ただ、心音を表示する機器の音が一定のリズムで響くだけの空間。
 それ以外に音を立てるものはなく、シックザールは誰に咎められることも無く集中治療室の中へと這入りこんだ。

 心臓の鼓動が、高鳴るのが解った。
 額からは冷たい汗が噴出し、震えが止まらない。

 白い部屋を見たから、という理由だけではない。
 そのカーテンの向こうに、自分が傷つけた少女が居るという事実に、シックザールは抑えきれない恐怖を感じていたのだ。

 できるならば、今ここで逃げ出したかった。
 みっともないと、卑怯だと罵られようとも、今すぐに背を向け、この部屋を飛び出したかった。

 それでも、シックザールは震える足でゆっくりと前へ進んだ。

 今、逃げ出してしまえばきっとその先に何も無いと、理解していたからだ。
 彼が前へ進めたのは、彼女に謝る勇気を持っていたからではない。
 ただ、どちらへ転ぼうとも、どうしようもない恐怖が待ち受けていたからに過ぎない。

 そうだ。恐ろしかったのだ。

 シックザールは、自分が傷つけた彼女と対峙することも、自分が傷つけた彼女から逃げ出すことも、どうしようもなく恐ろしかっただけだ。
 彼の選択はただ、マシな方を選んだと言うだけに過ぎない。

 それでも、それでもシックザールはベッドの傍らまで歩んできた。
 目の前にかけられたカーテンを開けば、そこに少女はいるのだろう。

 だから、彼は意を決したように、翻るカーテンをゆっくりと開いた。
 彼の視線の先、そこにベッドに横たわり静かに眠る少女の姿があった。
 そんな少女の顔を見た瞬間、シックザールは氷塊によって身を貫かれるような、そんな衝撃を覚える。

「う、あ……あ、……」

 その表情は今にも泣きだしそうに歪み、彼はそのままゆっくりと後退さる。
 少女の顔は、その多くが白い包帯で包まれていた。

 顔の右半分を斜めに覆うように巻かれた包帯。
 瞼を閉じた左目と口元が僅かに覗いてはいたが、それは無事な部分とそうでない部分をより明確にさせる効果しか得られなかった。

 顔の半分以上を傷つけられた少女。
 それが、自分の為した事だと、自分の犯した罪なのだと、突きつけられているかのような気分。
 込み上げて来た嘔吐感を必死で飲み込み、シックザールはよろよろとその場に崩れ落ちる。

「……これが、ボクのしてきたこと……」

 ただ、呆然と呟くシックザール。
 彼は自分が罪を犯してきた事を自覚していた。

 けれど、その罪の大きさを理解しては居なかった。

 傷つき、死んだように眠る少女。その姿を見て、シックザールはようやく己のしてきた事を知ったのだ。
 それは、どんな大義名分を掲げていたとしても、けして許されることの無い罪の証だった。

 震えが、止まらない。
 言わねばならない事がある筈なのに、ただ震えることしか出来ず、シックザールはベッドの上の少女を怯えながら見詰めることしかできなかった。

 だから、だからシックザールは――――彼女の唯一覗く左目の瞼が、震え、ゆっくりと持ち上げられたその瞬間。
 比喩ではなく心臓が、止まった。

 身体が、磔にされたかのように動かない。
 そんな中、彼女は未だに意識が覚醒しきっていないのか、どこか焦点の定かでは無い瞳で、しかしシックザールの事を確かに見詰めていた。

 何故ここに、シックザールがいるのかまるで解っていない様子の彼女。
 だが、落ち着きを取り戻せば彼女は何か言葉を紡ぐ筈だ。
 それは自分を傷つけたものに対する悲鳴か、それとも弾劾の言葉か。

 それとも――彼女はまた彼の名を呼ぶのだろうか?
 シックザールではない、もう一人の、正しい彼の名前を。

 それだけは――それだけは耐えられそうに無かった。
 どれほど非難されようとも、どれだけ罵倒されようとも最後には耐え切る事ができただろう。

 それこそが彼の望みだからだ。
 けして許されることは無く、しかし罪を認め、罰を受ける。それだけがシックザールに許された贖罪だ。

 だけど、彼女が――自分が傷つけた彼女が、自分を見ていなかったら?
 彼女が見ているのは自分ではなく、エリオ・モンディアルだったら?

 それはなんて滑稽な話だろう。
 結局のところ、それは自分と言う存在が欠片も必要が無かったと言うことでは無いか。

 それだけは――イヤだ。

 それが例え自分の身勝手な言い分だとしても、それだけは耐え切れられそうになかった。
 だから、シックザールは彼女がなにか言葉を紡ぐ前に、謝ろうとした。

「ご――ごめ、――――」

 だが、言葉は出ない。
 恐怖に震え、喉は上手く言葉を作る事ができない。

 喉の奥から押し出されるそれは、ただの空気の震えでしかなく、彼女にその意思はなに一つ伝わらない。
 そして、シックザールは言葉を紡げぬまま――、


「ごめ、ん……ね」


 彼女の、そんな言葉を聞いた。



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