LIGHTNING STRIKERS : ACCEL 01-04



 唇を動かすたびに、強い痛みがキャロを襲っていた。

 それでも、伝えなくてはならない事がある。
 目の前の少年に、絶対に伝えなくてはならない事がある。

「ごめんね……わたし、ひどいこと、しちゃった、よ……ね」

 伝える。

 一語一語、しっかりと相手に届くようにと、謝罪の言葉を。
 何故、彼が目の前にいるのかキャロには解らない。

 それでも、彼女は彼に伝えなくてはならなかった――ごめんね、と。
 けれど、少年はキャロの言葉に、怯えるように首を横に振った。

「な、なんで……」

 紡がれる声は、慄くように震えている。

「なんで……君が謝るんだ? だって、だって君を傷つけたのは……」

 ボクだ。と少年は搾り出すように呟いた。
 覚えている。そうだ、自分は彼に傷つけられたからこそ、こうして病院のベッドの上にいる。

 けれど、それが事実だとしても。

「だって……先に、傷つけちゃったのは、私だもん」

 ただ自分の非を認めるように、彼女は呟いた。
 己の犯した罪を、懺悔するかのように、深く静かに。

 だが、キャロの罪の告白を少年は理解できない。

「なにを……言ってるん、だよ。だって……君を傷つけたのはボクで、君はただ、ボクの名前を――」

 彼の名前を呼んだだけ。
 そうだ。それこそがキャロ・ル・ルシエの罪だ。

「イヤ……だったよね。だって貴方は、エリオくんじゃないもんね。名前……間違えられたら、イヤ、だよね」

 キャロは、知っていた。

 彼が、エリオ・モンディアルでない事を一目見た瞬間から理解していた。
 フェイトがそうであったように、キャロもまた彼を見間違えるわけが無い。

 その姿かたちがどれほど似ていたとしても、彼を見誤る事などある筈がないのだ。

 なのに、だというのに――

「私は、あなたを、エリオくんのかわりにしちゃった……」

 キャロは、彼をエリオと呼んだ。

 それが、エリオ・モンディアルではないと知っていたのに、彼を――名も知らぬ彼をエリオ・モンディアルの代替物としたのだ。

 あの夜、エリオを見失ったキャロの心は折れかけていた。
 だから、ただ彼の姿を追い求めて夜の森を彷徨っていた彼女は目の前の少年の姿を見つけた瞬間――彼をエリオ・モンディアルにしてしまった。

 見失ってしまった彼の、代わりにしたのだ。

 だけど、それは――なんて残酷なことなんだろう。

「あなたは……あなただもんね。他の誰かじゃない、あなただもんね。なのに……私の勝手を押し付けちゃって……本当に、ごめんね」

 伝える。あの時できなかった事を。あの時、伝えられなかった言葉を。
 だが、そんなキャロの言葉に、彼はただ愕然とした表情を浮かべているだけ。

「そんなこと……君は、気にして……なのに、ボクは君を傷つけたのに……」

 首を横に振り、何もかもを否定するように呟く少年。
 自分を傷つけた事を気にしているんだろう。もしかしたら謝りにきてくれたのかもしれない。

 だから、そんな少年の姿を見て、キャロは心の底から、よかった、と微笑んだ。
 この子もきっと、誰かを傷つけた事を後悔して、それでも勇気を出して謝れる人なのだと。

 だから、キャロはゆっくりとベッドから右手を引き出す。
 それだけの動きで、全身に激痛が走ったけれど、キャロは歯を喰いしばり、そのままゆっくりと右手を少年の前に差し出した。

「ん……じゃあ、おあいこだね。だから……仲直り、しよ」

 そう言って、微笑む。
 今の自分にできる精一杯の微笑を、少年に送る。

 そんなキャロの言葉に、少年はただただ戸惑っているかのような、今にも泣き出してしまいそうな表情を浮かべていた。
 どうすればいいか、解らないと。そんな彼の態度に、思わずくすりと笑みが漏れた。

「仲直りの……あくしゅ」

 その言葉に導かれるように、少年はゆっくりと差し出されたキャロの右手を握った。
 両手で、優しく包み込むように。

 その指先が、震えているのがキャロにも解った。
 だから、キャロはそんな彼を安心させようと、笑みを浮かべたまま、

「ねぇ……あなたの、なまえを教えて」
「っ……ボクは、ボクに名前は……」

 キャロの言葉に、少年の身が固く強張るのが解った。
 だから、彼に大丈夫だよ、と伝えるようにその手をぎゅっと握り返しながら。

「じゃあ……エリオくん。それが彼とは違う、あなたの名前……それじゃあ、ダメかな?」

 今目の前にいる彼の為の、彼だけの名前。

 そう、心に刻みながら、キャロは少年の名を呼ぶ。
 かつて、彼を思って呼んだ名では無い。その名前を。

「ねぇ、エリオくん。私と、おともだちになってください」

 そう――尋ねた瞬間だった。

 キャロの掌が、ぎゅっと握り締められた。
 少年が、キャロの手を握り締め、俯きながら肩を震わせていた。

 そのまま彼は、言葉を紡ぐ。
 嗚咽交じりの、震える声で、それでも頑張って。

「ごめ……ごめん。傷つけちゃって、本当にごめん、なさい……」

 その手を縋るように握り締め、言葉を紡ぐ少年。
 心からの謝罪の言葉。

 だから、キャロもそんな少年の言葉に応えるように頷いた。

「……うん、いいよ。私こそ、ごめんね」

 そういって、お互いの手を握り締めながらごめんねと伝え合う二人。
 漏れる涙の音は、暫くの間やむ事がなかった。


 ●


 重く、厚い扉を開くと夜風が一斉に吹き込んできた。

 気付けば、雨が止んでいた。
 空は未だに厚い雲によって星空を覆い隠してはいるが、あれほど降り注いでいた強い雨は、どうやら何時の間にかあがっていたようだ。

 病院の屋上へと続く扉。それをゆっくりと押し開けたシックザールは視線の先に金糸の髪を持った女性が一人。
 フェンスの向こうを見詰めるようにして立っているのを見つけた。

 フェイト・T・ハラオウン。

 いったい何時からここにいたのだろうか。
 どちらにせよ自分の浅はかな行動は全て読まれていたと言うことだろうか。

 彼女は扉が開いた音に振り返り、こちらへと視線を送ってきた。
 しかし、こちらを見たところでその表情が一瞬だけ驚きのそれに変わる。
 予想外の出来事に直面したとでも言いたげなその表情に、シックザールは首を傾げ、尋ねる。

「どうか、しましたか?」

 そんな彼の問い掛けに、フェイトはほんの少しばかり言い難そうに頬を掻き、

「えっと……イヤだったらごめんね。一瞬、君の事がエリオに見えたんだ」
「それは……なんというか。えっと、褒め言葉として受け取っておきます」

 嘘を言えない性分なのだろう。
 つい数十分前の自分ならそれこそ脇目も振らずフェンスの向こうにダイブしかねない言葉だったが、今はそれほど悪い気分ではない。

 しかし、複雑な気分はそのままにシックザールはゆっくりとフェイトの方へと歩み寄る。

「キャロの、様子はどうだった……?」

 唐突に、そう問われる。
 しかし、もはや驚くこともなくシックザールは彼女の問いに応える。

「……今はまた、眠っています。…………ごめんなさい。彼女を傷つけたこと、謝っても許してもらえるなんて思っていませんけど……」

 深く、深くフェイトに向けて頭を下げるシックザール。
 激情に突き動かされるような謝罪の言葉ではない。心の底から紡がれたその言葉に、フェイトは優しく微笑んだ。

「キャロ、許してくれたんだよね。だったら、私が責めるような事じゃないよ」

 まるですべてを見てきたかのようなその言葉に、シックザールも苦笑を返す。

「……えーっと、いったい、どこから見てたんですか。ボク、けっこう恥ずかしいことしてたと思うんですけど」
「見なくたって解るよ……だって、私の家族なんだもの」

 凛と、夜空を見上げ誰憚る事無く呟くフェイト。
 けれど、そのまま彼女は僅かに頬を赤くして視線を宙へと彷徨わせ、

「えっと、それで、その……恥ずかしいことってその……う、うん! 男の子だもんね!
 しょうがないかもしれないけど、えっと……その、やっぱりそういうのは……ほら……ねっ」
「な・に・も・し・て・い・ま・せ・ん!」

 何をいきなり言い出すんだこの人は、とこちらも頬を赤くしながらフェイトへと視線を送るシックザール。
 だが、そこで彼女の表情に僅かに影が差していることに気づいた。

 どこか無理をしているかのような表情。
 それに気づいたシックザールも表情を曇らせた。

「すみません……貴方にも謝らなきゃいけないことばかりで……」

 すまなさそうに呟くシックザール。しかしそんな彼の言葉に、フェイトはゆっくりと首を横に振った。

「大丈夫……私は、これから全部取り返しに行くから。きっと全部元通りになるって、そう信じてるから」

 力強く呟くフェイト。
 どこか無理をしているという事実は変わらないだろう。

 それでも、必ず大事な者を守って見せるという強い意志が曇ることはなかった。
 そんな彼女の横顔を見て、素直に羨ましいと思う。

 今から自分のしようとしている事は、フェイトのように褒められることではない。
 ただ自分のやり残した事を清算するだけの尻拭いでしかないのかもしれない。

 それでも――。

「ハラオウンさん」

 彼女の名を呼ぶ。すると彼女は少し困ったように。

「私のことは、フェイト、って呼んでほしいな……」
「でも、それは……」

 フェイトの言葉に、言い難そうに言葉を噤むシックザール。
 なぜなら、彼が彼女をそう呼んでいる事を知っているからだ。だからこそ、あえて違う呼び名を使ったのだが。

「エリオだけじゃない。キャロも、私の友達も、そう呼ぶんだよ。まぁテスタロッサって呼ぶ人も居るけどね」

 だから、気にする必要なんかない。と言外に伝えるフェイト。
 そんな彼女の精一杯の気遣いに応えるように、シックザールは静かに頷き、言葉を紡ぐ。

「フェイトさん。彼はいま、トーラス・フェルナンドの元に囚われています」
「トーラス……!?」

 改めて紡がれた彼の名に、フェイトは驚きの表情を隠す事ができなかった。
 なぜなら、それはかつて彼女が追っていた男の名だからだ。

 人造魔導師実験施設の総責任者であり、かつてエリオ・モンディアルを監禁していた男。
 当時のフェイトは彼の下からエリオは救いだし、違法実験施設を封鎖することに成功した。

 この事件を切っ掛けとして、数々の違法研究が発覚、それらを統治していた最高評議会お抱えの学術機関『賢人会議』は解体する運びとなった。
 だが、トーラス・フェルナンド。彼だけはその行方を晦ましたままであった。

 唯一の汚点ともいえるそのツケが、いま長い時を経て巡ってきた――その事実にフェイトは強く歯噛みする。

「そうか……トーラス・フェルナンド。彼はやっぱり諦めてなかったんだ……」
「……おそらく、トーラスはかつて彼が捕まっていた施設に連れて行かれていると思います。
 ヤツが今なにを考えているのかボクにも解りません。どちらにせよ……急いで救出に向かった方がいいと思います」

 トーラス・フェルナンド。彼は、どうしようもなく狂っている。
 エリオの命が失われることを極端に怖れていたトーラスだが、それが彼の安全を保証するわけではない。

 彼は目的の為に手段を選ばない、わけではない。
 目的の為に、目的を選ばないのだ。

 それが明らかに矛盾していたとしても、彼とって正しければそれは絶対の真実となる。
 そんな狂人じみた思考に囚われているのだ。彼の真意に触れたシックザールだからこそ、それが解った。

 シックザールと彼が始めてであった時、トーラスは本当に自分を救うつもりだったのだ。
 あれはこちらを騙そうとしたわけでも、利用しようとしたわけでもない。
 トーラスにとって、あの時はそれが絶対の真実だったのだ。

 ただ、それがちょっとした切っ掛けで切り替わっただけなのだ。
 心変わり、という言葉だけで済ますには明らかな異常だが、それが彼にとっての真実なのだろう。

 だからこそ、彼がエリオを傷つける可能性は高い。それも致命的なレベルでだ。
 フェイトもトーラスの危険性は理解しているのだろう。シックザールの忠告に頷き返す。

「ありがとう……これで、私はエリオを助けに行ける……。君はここにいて。この病院の中なら監査部の人達も追ってこないと思うから――」
「いえ、ボクも……行きます」

 ここに残れというフェイトの指示に、しかしシックザールは首を横に振った。
 彼にも、やらなければならない事があったからだ。
 だが、そんなシックザールの言葉に、フェイトは困った表情を浮かべる。

「……犯罪者のボクが、好き勝手動くのは確かにいけないことだと思います。けれど――」
「違う。そうじゃないんだよ……」

 先んじて言葉を放つシックザール。しかしフェイトはそんな彼の言葉に首を横に振る。

「君はもう、傷つかなくてもいいんだよ。ううん、ちがう。私が、もう誰も傷つくとこなんて見たくないだけなんだ」

 己の思いを吐露するように、呟くフェイト。

「私は……弱い。誰かを守れる強さなんてもっていない。だけど、それでも……守りたいって、そう思うんだ。
 どうしようもなく、思っちゃうから……守れなかった時が、辛い」

 リニスに言われた一言が、フェイトを縛り付ける。
 フェイトの事を、弱いと彼女は言った。

 そのとおりだ。だからこそ彼女は多くの者を傷つけてしまった。
 だから――もうこれ以上、自分の弱さで誰かが傷つくところを、フェイトは見たくなかった。

 けれど。だからといって、シックザールはすべてを諦める事などできはしなかった。

「じゃあ、お願いです。強くなってください!」

 それは、どこまでも身勝手な言葉だ、と彼自身思う。それでも紡がれる言葉は止まらない。

「ボクはアイツじゃあない! 貴方の事を守ってあげれるほど強くない!
 だけど……ボクも一人でなんとかできるぐらい強くなりますから……だから、手を貸してください。ボクの願いを叶える為に!」

 それが、冷酷な願いだと。あまりにも理不尽な言葉だと、シックザールは自覚している。
 それでも――たったひとつだけニセモノの彼が望んだ願いがあるのだ。

「ねぇ、一つだけ聞かせて」

 フェイトが、問う。

「貴方は、何の為に戦いに行くの?」

 復讐の為? 清算の為? 自身を取り戻す為?


 違う。今のシックザールの目的はただ一つ。


『ねぇ、一つだけ、お願いしてもいいかな』
『…………?』
『エリオくんを助けてあげて……エリオ、くん』


「約束したんです! トモダチに、あいつと一緒に帰ってくるって!」
 
 



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