LIGHTNING STRIKERS : ACCEL 02-01



 リニスは考える。
 自分が何者か、ということを。

 プレシア・テスタロッサの使い魔。
 フェイト・T・ハラオウンの記憶の残滓。

 造られた生命。
 造られた記憶。

 何もかもがニセモノで、本物など何一つとして存在しない彼女。
 ただ利用するためだけに造られ、意味がなくなれば消えていく運命の存在。

 なら、彼女が生きていることに意味はあるのだろうか?
 なら、彼女がここに在ることに意味はあるのだろうか?

 リニスには、それが解らない。

 かつて、プレシアに仕え、フェイトを見守った“彼女”ならば、その問いに答えられたのかもしれない。
 だが、古代遺物の力によってただフェイトの記憶から構成されたニセモノの彼女にはその答えが解らない。

 自分が正しいのか、間違っているのか。
 生きていていいのか、ここにいていいのか。

 それでも、それでもたった一つだけ――例え借り物の思いだとしても確かな自負を持って言えるのは、

「私は使い魔。主の為に造られ、主の為に生き、そして主の為に消える――ただそれだけの存在」

 ゆえに、この世に再び生み出された彼女は己にそんな思いを科した。
 それこそが絶対の誓いにも似た拠り所。
 ただ、主の命に従い、用が無くなれば消えていく。
 何も感じる事無く、何も理解する必要は無く、何も思考する意味は無い。

 リニスは、自身をそう定義づけた。

 所詮は泡沫の夢。
 この物語にいかなる結末が待ち受けようとも、ニセモノの彼女に待っているのは消滅だけだ。
 ハッピーエンドだろうと、バッドエンドだろうとそれは変わらない。

 それだけは不文律ともいえる運命なのだ。
 それだけがどんなご都合主義の上にも成り立つことのない、けして叶わぬ奇跡なのだ。
 ならば、足掻く意味など無く、ただの道具として自分の役割を果たせられればいい。

 そう――思っていた。

 だからこそ、彼女は自分が消えることに抵抗を覚えた事は無かったし、いつ消えたとしても何一つとして後悔しなかっただろう。
 けれど、そんな彼女の思いは、一人の少年に否定された。

 生きろ、と。
 死ぬ事を望むなんて許さない、と。

 彼は、リニスにそう言った。

 そんな彼の言葉を聞いたリニスの第一印象は明確だった。

 ――この人は、もしかしてバカなんでしょうか。

 自分は人間では無い。もはや使い魔ですらない。
 魔力によって造られた身体に、仮初の記憶を与えられただけの紛い物にしか過ぎない。
 そんなリニスに、どこまでも懸命に、どこまでも必死に、生きていて欲しいと願う少年。

 それは、人形に向かって、生きろと言っている様なものだ。
 なんて滑稽で、なんておかしな話だろう。
 それでも、それでも彼はけして笑う事無く、今にも泣き出しそうな顔で、請い願った。

 リニスに、生きていて欲しいと。共に、生きて行きたいと。

 それが、同情から導き出された言葉だという事は解っていた。
 けれど、少年のその一言が――今のリニスに生きる意味を与えてくれた。
 それだけは、どうしようもないほどの事実だったのだ。

 だから、リニスは誓った。
 彼の為に、生きようと。

 例え、残りほんの僅かな時間しか残っていないのだとしても、ただ少年の為に生きたいと、彼女は想い、願ったのだ。

 ●

 だが――

 ずぐり、と身体を深く貫かれるような感覚がリニスを襲った。
 時刻は夜。未だに轟々と降り注ぐ雨を浴びつつ、シグナムを相手どり撤退戦を続けていたリニスは、不意に己が身を襲った衝撃に身を震わせた。

 相手からの攻撃を喰らったわけでは無い。己が身を内側から食い破るかのようなその衝撃。
 初めて味わう感覚ではあった、しかしこの瞬間何が起きたかを知るのは容易い。

 シュピーゲルによるリニスの支配権が、移ったのだ。
 かの古代遺物によって造り出されたリニスだからこそ、その事実を疑いようも無く受け入れる事ができた。
 それは――リニスの主がシックザールではなくなった事を意味する。

 ――いや、違う。

 例えこの身が穢れようとも、もはやリニスの主はあの少年一人だけだ。
 彼女自身が、そう心に決めたのだ。
 だが、シュピーゲルの支配権が他の何者かに委譲されたのならば、彼女はその所有者の命令を必ず実行しなくてはならなくなる。

 シュピーゲルによる絶対命令権。

 それは意思や想いの力で左右できるものではない。それがシュピーゲルによってこの世に仮初の命を得た代償なのだ。
 故に――リニスの判断は一瞬だった。

 彼女は己の右手を手刀の形に構えると、それを自分の喉元目掛け一切の躊躇無く振り抜こうとしたのだ。
 自害。それがリニスの選んだ選択肢だった。

 状況から考えるに、シックザールからシュピーゲルを奪ったのは彼に明らかな敵意を持つ存在だ。
 そのような輩の命令を利くと言う事は、彼の身を傷つける可能性があると言う事だ。

 それだけは――それだけは我慢できそうになかった。
 自らがどれほど傷つこうとも、どれだけの汚名を被ろうとも耐え切れる自身はあった。

 だが、彼の身を害するくらいなら――死んだ方がマシだ。
 その言葉を、その意思を示すかのように、リニスは迷う事無く己の死を選んだ。

 しかし――、

「ぐっ……なにも、こんな命令だけ、残らなくてもいいでしょうに……っ」

 悔しげなリニスの声が響く。
 見れば、振りぬかれた筈の右手の手刀はリニスの身にほんの僅かだけ爪先が触れたところで制止していた。

 彼女の意思では無い。

 それはかつてシックザールがリニスに与えた「自ら死ぬ事を許さない」という命令によるものだった。
 それもまたシュピーゲルによる絶対命令権。
 自らの意思すら無視して強制させるその力を、リニスは改めて思い知る結果となってしまった。

「まったく……我が主はどうでもいいところで命令するんですからっ! するんだったらもうちょっとこう膝枕して欲しいとか、添い寝して欲しいとか、楽しげな命令を……ああもう、失敗した!」

 自分の思うようにならない右手を恨めしげに見詰め、呟くリニス。
 と、そこへ上空から白銀の煌きが落ちてきた。

 リニスにとっては完全な死角からの奇襲。しかし彼女は瞬時に身を屈ませると、それこそ猫のような動きで背後へと跳躍した。
 目の前を銀光が走り抜け、大地を抉る。
 それを見て、リニスはようやく思い出す。自分が今戦闘の真っ只中だと言う事を。

「一瞬だが動きが鈍ったな……どうした、逃げてばかりではなく少しは本気で掛かってきたらどうだ?」

 地面に突き刺さった刀剣型デバイスを苦も無く抜き放ち、こちらへとその切っ先を向け挑発してくる女剣士。
 リニスは今現在、彼女と戦闘中だった。シグナムと呼ばれる彼女はフェイトの記憶を元に造り出されたリニスも知っている。
 その実力は折り紙付きで、先程のように油断すれば躊躇なく致命的な一撃を仕掛けてくる。

 と、そこまで考えたところで、宙返りを一つ決めて地面へと着地したリニスは「しまった」と歯噛みした。

 ――今の避けなかったら、いい感じに逝けてたんじゃないでしょうか……。

 自殺ではなく、他殺ならばシックザールの命令もノーカウントだろう。
 しかし、それに気付いてしまったのならばもう遅い。これ以降、リニスがワザと力を抜いてシグナムと対峙すれば、それは迂遠な自殺と取られるだろう。そうなればこの身はそれを回避するために全力での戦闘を強制してくる筈だ。

 もし、彼女に倒して貰う方法をとるならば、こちらも全力で挑まなければならない。
 だが、それはいけない。
 もしこちらが全力を出したりしたのならば、

「……そんなことしたら私が勝っちゃいますしね。そりゃあもうほら楽勝で。ええ。優秀な使い魔ですから」
「……随分と余裕のようだな」

 思わず口をついて出たセリフに、シグナムが僅かに青筋を立てているのが見て取れた。
 どうやら怒らせてしまったようだ。

「まぁ……わざとですが」

 実際のところ、本気のシグナムが相手ならば勝負の行方は解らない。
 だが、最大の問題として彼女はこちらを殺害する気などさらさら無い筈だ。

 当然と言えば当然だが、シグナムとしてはこちらを拿捕するのが目的なのだ。殺してしまっては元も子もない。
 それぐらい、彼女と言えど自覚している筈だ。

 ――えーっと、その筈ですよね?

 些少の期待を抱くものの、やはりシグナムにはリニスを倒す理由はあっても、殺す理由は無い。
 つまりシグナムが相手ではリニスの目的はどうしたところで果たされないだろう。

 ならば――やはり自分で何とかしなくてはならないのだろう。
 そう結論付けたリニスは、対峙するシグナムにまず深く一礼を送った。

「申し訳ございません。シグナム様。少々急用が出来ましたので本日はこれにて失礼させていただきます」
「…………は?」

 慇懃に頭を下げて紡がれる言葉に、シグナムが思わず面食らっているのが解った。
 しかし、これ以上相手をしている暇も無い。 
 シグナムの返答を待たずに踵を返した彼女は、そのまま夜の森に溶け込むようにその身を闇の中へと溶け込ませた。

「――しまっ! ま、まてっ!」

 虚を疲れたように一瞬硬直した隙を縫って、彼我の距離を引き離す。
 先程まではシグナムの足止めが目的であった為、常に付かず離れずの距離を保っていたがそれを一気に引き離しに掛かった。

 障害物の多い森林部なら、一度姿を眩ませられれば逃げる事は容易い。
 故に、あっというまに戦闘圏外へと離脱したリニスはそのままシュピーゲルの反応がある方向へと迷う事無く疾走を開始した。

 今、シックザールが如何なる状況に置かれているのかリニスには解らない。
 駆けつけたところで、シュピーゲルによる支配権に縛られたリニスは彼を救う事ができないかもしれない。
 だが、自ら死を選ぶことも出来ない。

 ならば――、

「出来る限り、こちら側で解釈すれば……まだっ」

 シュピーゲルの命令は絶対だ。だが、それも完璧と言うわけでは無い。
 例えばの話。最悪の予想ではあるが「シックザールを殺せ」と命令されたと仮定する。
 そうなれば、リニスは絶対にシックザールを殺さなくてはならない。

 それはどうしようもない事だ。シュピーゲルによって下された命令である以上、彼女はそれを全うする義務がある。
 だが特別な命令が無い限り、その事細かな内容についてリニスの意思に一任される。
 それはシックザールが主であった時に、幾度か検証済みである。

 ならば、例えシックザールを殺せと命令されたとしても――いつ、どこで、どんなふうに、その命令を実行するかはリニスが選択することができるのだ。
 この古代遺物の欠陥とも言える隙を利用すれば、

 ――我が主を、ギリギリのところで救えるかもしれない。

 強い核心を得た答えに、リニスは強く拳を握る。
 だが、この命令を解釈する方法にも弱点はある。
 それはシュピーゲルの持ち主がその欠陥に気付き、命令を訂正されればそこで終わりだと言うことだ。

 「今すぐ、迅速に、一撃でシックザールを殺せ」と命令を下されれば、もはやリニスに回避する方法は無い。

 彼女はその命令が下された瞬間、躊躇う事無く一撃でシックザールの命を奪ってしまうだろう。
 それだけは、絶対に回避しなければならない。
 だからこそ、

 ――我が主。今から私は、貴方を裏切りにいきます。

 今から、彼女はシュピーゲルの持ち主の従順な人形となる。
 その命令に逆らう事無く、その身を盾として守り、その者の為に死ぬだけの人形に。

 けして疑われないように、けして悟られぬように。
 ギリギリのところまで、名も知らぬ、何一つとして忠義のない相手の命に従う。
 そうすれば、最悪の事態に直面した時に、きっと我が主を守れる筈だと、そう信じて。

 裏切り者と、恨まれるかもしれない。
 嘘吐きだと、蔑まれるかもしれない。

 約束を破ったと、嫌われるかもしれない――。

「は、あはは……それはちょっとキツいですねぇ……」

 覚悟はしている。
 どれだけ己の身が傷つこうとも、どれほど己の心が穢れようとも、我が主が生きていてくれるのならば、きっと耐えられると。

 それでも、だとしても――。

「約束、守れそうになくて、すみません」

 ほんの少しだけ寂しげに、リニスは呟いた。
 それが、この世界にリニスが残す最後の真実。

 次の瞬間、彼女は俯き気味だった顔を上げ、しっかりと前を見据えた。

 行くべき場所へ。
 守るべき、真の主が居る場所へ。

 夜空に煌く一滴の水滴は、もしかすると雨ではなかったのかもしれない。



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