LIGHTNING STRIKERS : ACCEL 03-01


 雷の、音が鳴る。

 宵明けの空は、漆黒の曇天に覆われ、未だに夜の闇を世界に留めている。
 しかし、そんな暗闇に満ちた世界を照らすものがあった。

 雷、だ。

 黒い雲の只中から、黄金の輝きが眩い輝きを発している。
 一瞬で空を翔け、そして消えていく光。
 けれど、それは確かにこの暗く淀んだ世界を引き裂くように輝いていた。

 そんな雲間に煌く輝きに照らされる人影が一つ。

 病院の屋上。早朝とも呼べる時間帯であるがゆえに、その広い空間には小さな人影が一つ、ぽつんと存在しているだけだ。
 人影の正体は少女、だ。その身の所々を白い包帯で覆ったままの少女。

 彼女は屋上の入り口から、ゆっくりと中央の開けた場所まで進もうと歩を進める。
 けれど、その歩みは稚拙で、今にもその場に転げてしまいそうな危うさを見せている。 杖の一つも無ければまともに前へ進むこともままならない様子だ。
 この場に良識ある第三者がいれば、その痛ましい姿にすぐさま駆け寄り、前へと進むのを留めていることだろう。

 彼女の目的が、いったいなんなのかさえ知ろうとせずに。

 だから、彼女は病室のベッドから抜け出し、誰にも気づかれぬようにと屋上まで足を運んだ。
 荒い吐息がその唇から漏れる。もはや一歩前へと進むだけで言葉にできぬ苦痛が彼女を襲っているのだろう。
 それでも少女は、引き返すことなく。諦めることなく、一歩一歩前へと進み続けた。

「大丈夫。……このぐらい、へっちゃらだよ」

 ふと、微笑を浮かべ、そんな言葉を紡ぐ少女。
 けれど、この場には彼女以外に人影は無く、彼女を案じてくれる者の姿も無い。
 それでも、少女は見るものを安堵させるような柔らかな微笑を浮かべ、歩き続けた。

 やがて、彼女はようやくの事で屋上の中央部分へと辿り着いた。
 そこで足を止めた少女は、ゆっくりと天を見据える。

 雷の、鳴り響く空を。

 腹の底に響く雷音は、大なり小なり聞く物の不安を呼び起こすものだ。
 古の頃から、人々に畏れられ、または敬われてきた超常の音鳴り。
 けれど、その音を聞いた少女は、優しく微笑んだ。

「うん、待っててね。私も、すぐに行くから」

 雷の音に、応えるように呟く少女。
 その右手が、ゆっくりと天に掲げられる。その掌を包むのは、甲の部分に桃色の宝玉を設えたグローブだ。

「蒼穹を走る白き閃光――」

 少女の口から、朗々と詞が紡がれる。
 強き力の宿る、奇跡の言葉を。

「我が翼となり、天を駆けよ――」

 その詞に合わせるように、掲げた少女の右手を包む宝玉が淡く光り輝く。
 同時に、彼女の足元からも同色の輝きが生まれ始めた。

 屋上の上を走る光の帯は、幾何学的な文様を紡ぎ、巨大な魔法陣を足元に作り出す。
 そうして、完成する、魔法の呪文。

「来よ、我が竜フリードリヒ――竜魂召喚!」

 まず、声が響いた。

 気高き獣の咆哮だ。大地より生まれた高鳴る嘶きは雷の音に負けじと天へと昇る。
 次に新たな色が得られる。それは魔を打ち払う白銀の輝き。
 輝く銀光で己の身を覆い、主を覆う闇を打ち払わんと強く雄々しく、その場に巨躯が顕現する。

 そして、最後に風が生まれた。

 広げた翼が生み出す風は、少女の髪を攫い流していく。
 その強い風を受けてなお、満身創痍の少女は揺らぐことは無かった。

 なぜならば、その風は少女が従えるべきもの。
 彼女自身の力なのだ。それが主たる少女を傷つけるわけがなかった。

「ふふ、ありがとう。力を貸してくれて」

 そう、微笑み。目の前に現れたその巨大な白竜の姿を見上げる少女。
 対する白竜は、その瞳を細め。鼻先を少女へと擦り付ける。小さく甲高い泣き声が響く。それが少女の身を案じている声だと、聞けば誰もが理解することができただろう。

「ごめんね。フリードにも心配かけちゃったよね」

 その額を安心させるように撫でる少女。
 そして、彼女はもう一度だけ、空を見上げた。

「うん。それじゃあ行こうか。フリード」

 そうして、少女もまた最後の戦場へと進み始める。

 ●
 
 ふいに、胸の奥を貫く痛みが走った。

 それまでけして走る事をやめなかったシックザールは、感じたその痛みにふと足を止め、振り返る。
 今、自分が駆け抜けてきた向こう側は深い木々に覆われており、その様子を知る事は出来ない。

 ただ、音が止んでいた。
 先程までは空を渡って響く派手な魔法行使の音が、僅かながらも断続的にここまで響いてきたが、今はそれが止んでいる。
 耳を澄ましても、聞こえるのは厚い曇天の向こうで偶さかに輝く雷光から発せられる重低音のみだ。
 向こうの戦闘は、もしかしたら終わっているのかもしれない。

「リニス……」

 ふと、その名を呼ぶ。それはもはや振り切った筈の名前。
 けれど、その名を紡ぐと同時に再び胸の奥で、心臓を締め付けるような鈍い痛みが生じる。
 鼓動を深くする心臓を、右手で胸を掻き毟るようにして無理矢理に抑え付ける。

 ――まだ、ボクにはやらなくちゃいけない事がある。

 己の目的をけして見誤らないようにと、強く意思を保とうとするシックザール。
 痛みに身を折りながら、しかし一度深く息を吸い込んだ彼は、そのままゆっくりと面を上げた。
 その眼差しに迷いはない。
 ただ、自分が歩んできた道を見て、

「全部終わったら――謝りに行くよ。リニス」

 そう、別れの言葉を告げた。
 返事は無い。けれど、シックザールはその言葉を最後に深い木々の群れから視線を切り、再び前へと向き直る。

 そんな彼の視線の先、朽ち果てた施設が存在していた。言葉にするならば廃墟と、それだけで事足りてしまえそうな施設だ。
 周囲に乱立する木々に隠れるように作られた、背の低い建築物。二階建ての高さながら、その一階部分は半ば大地に埋まっており、加えて上階の一部がまるで嵐に巻き込まれたかのように吹き飛んでしまっている。

 それ以外にも、一見しただけであちこちが朽ち果てており到底この施設が未だ稼動しているようには見えない。
 けれど、

「――いる」

 朽ち果てた施設を見据え、呟くシックザール。
 この場所に彼が――そしてトーラスがいると、シックザールは理解する事ができた。

 予言めいたスキルや共感覚を得ているわけでは無い。
 ただ、彼等が――そして自分が行き着く先は、もはやここしかないと確信を持って言えるからだ。

 ――そうだ、ここから何もかもが始まったんだ。

 思い出す。ここが全ての始まりの場所だと言う事を。

 ここで、エリオ・モンディアルが生まれ。
 ここで、エリオ・モンディアルは囚われ。
 ここで、エリオ・モンディアルがフェイトに救われたように。

 そして、彼と同様にシックザールもまた、ここで、この場所で生まれたのだ。
 ここから自分の、そして彼の物語が始まったのだ。

 異物としてこの世界に生まれた、どうしようもなく歪んだ存在として。
 もはやそれを理由に逃げるつもりはない。それでも――いや、だからこそ、

「ここで、決着をつけます……」

 この場所で終わらせる。全ての歪みを正して見せると、シックザールは強い意志を持って言葉を紡ぐ。
 その結末が、どうなるかは解らない。
 けれど、たった一つだけ彼が望む事は、

「約束、守らないといけないからね」

 大切な友人と、約束を交わした。必ず彼を救い出すと。
 だから、それだけはけして違えないようにと、心に誓いながら――。
 シックザールはゆっくりと再び歩み始めた。

 ●

 白い部屋、だ。
 ただ真白がどこまでも延々と続く部屋の中に、彼はいつの間にか居た。

「ここ……は?」

 周囲を見渡すが、どちらを向いてもそこにあるのは白という色ばかり。
 果ては見当たらず、この場を部屋と呼ぶべきかどうかも解らない。

 いや、そもそも何故自分がこんな場所にいるのかさえ、少年には理解する事ができなかった。
 突然空中に放り出されたかのような感覚を覚えつつも、記憶が定かでは無い彼はただ不思議そうな表情を浮かべたまま周囲の様子を探る。
 けれどこの白い空間の中は、どちらを向こうとも出入り口に相当するものさえ見当たらない。

 ただ唯一の調度品として、古いブラウン管のテレビが一つ、足元に転がっていた。
 その画面を覗き込んでみる。けれど壊れているのか映し出されるのはノイズに塗れた意味を為さない映像ばかりだ。

 なんなんだろう、ここは?
 何で僕は、こんなところにいるんだろう?

 壊れたテレビの映像を見つめながら考えるが、答えはでない。
 熟考を繰り返しても記憶が定かではなく、自分が今まで何をしてきたのかさえ解らない。
 記憶が、まるで途切れてしまったかのように――存在しない。
 いや、そもそも、

「僕は……いったい、誰なんだ?」

 名前が浮かばない。自らの、自己を定めるはずの名が、浮かんでこない。
 先程まで、それは確かに自分の中に確固たるものとして存在していた筈なのだ。

 けれど、今はそれが――ない。

 少年は、自身が何者なのかすら、もはや思い出す事ができなかった。
 ザリッ、と砂を噛むような音が壊れたテレビから漏れる。

 その音に壊れたテレビ画面を反射的に覗き込めば、荒れていた画面はゆっくりと整調されていき、確かな像を結び始める。
 映し出されたのは、航空機の中の映像。
 心配そうな表情を浮かべた桃色の髪の少女が、画面の向こうに映し出されている。

『■■■くん、大丈夫? 随分うなされてたみたいだけど……?』

 そう、尋ねている少女。彼女は今、確かにこちらの名を呼んだ筈なのだが、それが少年には伝わらない。
 いや、理解することができない。
 自分の名前だけではない。少年は画面に映る少女の事すら思い出すことが出来なくなっていた。

 とても――大切な人の筈だった。
 どうしようもなく、守りたいとそう思っていた筈だった。
 けれどもう、彼女の名前すら、少年は思い出せない。

「なんだ……なんなんだ、これ……」

 慄くように呟く少年。その間に、テレビに映し出される映像が切り替わった。

「■■■。助けてくれて、ありがとね」

 どこか表情の乏しい紫色の髪をした女の子。

「大丈夫、■■■? 派手に吹っ飛ばされてたけど」
「悔しいわねぇ。次は負けないわよ、■■■」

 訓練着を纏った仲の良さそうな二人組の少女達。

「■■■はスピード重視の魔導師だからね。その長所をもっと生かしていこう」

 空を飛翔する綺麗な魔導師。

「近頃は剣閃から迷いが消えたな。随分と上達したものだ■■■」

 剣を奮う凛々しい女剣士。

 次々と切り替わるブラウン管の映像。
 そこに映し出される誰も彼もがこちらに向けて自分の名を呼んでいる筈なのに、それを聞き取れない。

 いや、そもそも彼女達が、誰なのかさえ解らない。
 ゆっくりとノイズに塗れ、少年の記憶が塗り潰されていく。
 けれど、少年にそれを留める術はなく、ただ消えていく映像を呆然と見詰める事しかできない。

「■■■がいま悲しい気持ちも許せない気持ちも、私はきっと全部は解ってあげられない」

 誰かに。とて大切な誰かに抱かれながら、聞いた言葉があった。
 けれど、もはや己の名前だけではなく、大切な人の声も、大切な人の顔も思い出せない。

「だけど少しでも分かりたい、悲しい気持ちも分け合いたいって思――」

 ノイズに塗れ、映し出された映像が消えていく。
 同時に、少年の中からも大切だった記憶が、まるで泡のように消えていった。

 そうして、その場に取り残されたのはノイズしか映し出さなくなった古いテレビと、呆然と立ち竦む少年の姿しかなくなっていた。
 気付けば、少年にはそれが消え行く事を惜しむ気持ちすら失せてしまっていた。
 ただ、胸の中心にぽっかりと穴が空いてしまったような虚無感だけが彼の元に残る。

 どうすればいいかも解らず、何をすればいいかも理解できず。
 ただ、ゆっくりと死を待ちわびるかのように、呆然と佇む少年。
 けれど、

「エリオ――」

 誰かに、名を呼ばれた気がした。
 懐かしい、とても大切な人たちの声。
 その声に導かれるように、彼はゆっくりと背後へ振り向く。

 視線の先、身を寄せ合う一組の男女が、どこか悲しそうな表情を浮かべたまま、こちらを見詰めていた。
 彼等の事を、少年は知っていた。
 消え行く記憶の中、それでも原初の光景として彼等の事を少年は覚えていた。

「父さん……母さん……」

 セディチ・モンディアル。
 リアーナ・モンディアル。

 かつて生まれたばかりの少年を優しく抱きとめてくれた二人の姿が、いまそこにあった。




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