LIGHTNING STRIKERS : ACCEL 03-02
そこは、奇妙な部屋だった。
形だけを見るならば縦三メートル、半径十メートル程度の巨大な円筒状の空間。
けれどその壁や床、天井にまで大小無数のケーブルが隙間なく張り巡らされていた。
その光景はまるで無数の蛇に部屋中が埋め尽くされているかのような不快感を見たものに感じさせる。
重く断続的に響く機械の作動音はまるで、心臓の鼓動のよう。そんな見るものに嫌悪の感情を湧き上がらせる異常な空間に二つの人影があった。
一つは白衣を着た細身の男。触れただけで折れてしまいそうな痩せぎすの身で、その身には老いという疲れも見え始めている。
けれど、瞳に宿った輝きだけが鈍く、爛々と光り輝いているように見えた。
白衣のポケットに手を突っ込み、肩を揺すらせ静かに笑う男。トーラス・フェルナンド。
そんな彼の視線の先に、その巨大な装置は存在していた。
円筒形をした部屋の中心部を貫く巨大な生体ポッドだ。
よくよく見れば床や天井を張っている無数のケーブル類は問題の生体ポッドの機械部へと全て集約していた。
それはつまり、この機械の為だけに、この巨大な部屋が存在すると言う事だ。
透明なガラスで覆われた円柱の中は淡く緑に輝く液体に満たされており――その中心に、この部屋に存在する二つ目の人影が存在していた。
未だ少年、と呼べる体格の姿形。けれど、その頭部は無骨なヘッドギアによって鼻から上が完全に覆われており、その表情を全て伺い知ることは出来ない。
だが、強く結ばれた口元からは時折苦悶に満ちた呟きを漏らすように、僅かな気泡が生まれていた。
「は、はははは。どうしたんだいエリオくん。エリオ・モンディアルくん。
辛いのかい? 苦しいのかい? 記憶を無理やり引きずり出されると言うのは一体どれほどの苦痛を伴うものなんだろうねぇ。
残念ながらボクにはまったく解らないのだけれど……大丈夫、もう少し。あと少しの辛抱だよ。エリオくん」
カ、カ、と掠れたような笑みを浮かべ生体ポッドに浮かぶエリオを見つめるトーラス。
そこに浮かぶ表情は明らかな喜悦。
だが、彼はエリオが苦しんでいることに歪んだ喜びを得ているわけではない。
――当然だよね。人が苦しんでいるのに、それを喜ぶなんて、そんなの間違っている。
トーラスにとって、今もっとも大事なのは、これから自分の夢が叶うと言う事だ。
それはつまり、セディチが、リアーナが、そしてエリオ・モンディアルがこの世に再誕する事に他ならない。
――そうすれば、きっと彼等は今度こそ幸せになれる筈だ。そうなってくれれば、一体どれほど素敵な事だろう。
その幸せな未来予想図に、己の姿が無い事を知りながらトーラスは微笑んでいた。
彼にとって、自身の目的はモンディアル家が幸せになること――ただ、それだけだった。
それ以外の事象――例えば全てが終わった後、自身が時空犯罪者として裁かれる事があっても。
この命が失われる事になったとしてもトーラスにとってそれはどうしようもなく些細な事でしかなかった。
なぜなら、彼の目的にトーラス・フェルナンドというパーツは存在しない。
その目的の中に自身の処遇は欠片もなく、興味すら彼は持っていなかった。
恐らくは、多くの者がそんな彼の願いを聞いた時、疑問を持つだろう。
何故、そんな願いを抱いたのか。
何故、そんな願いを抱けるのか、と。
けれど、彼が何故そのような願いを抱いているのか――それを常人に納得させるのは至極簡単なことだ。
トーラス・フェルナンドは正しく狂っている。
その一言で全てに決着をつけることが出来るだろう。
既に彼の思考は常人のそれを遥かに超越し、我々の常識と呼ばれるそれとは異なる存在となっている。
その思いを理解することも、正すことも不可能。
故に、彼を止める言葉は最早存在せず――。
その時だった崩落の音が広大な地下空間に響き渡った。
天井が砕け、そこに空いた穴から大小様々な瓦礫の降り注ぐ音だ。
硬質の床で瓦礫の弾かれる音が響く。それに続くように、黒い影が音もなく着地した。
その身は黒を基調としたバリアジャケットに包まれ、左手には同色のハルベルトが握られている。
シックザール。今はまだそう呼ばれるべき少年がそこにいた。
●
「見つけた……トーラス・フェルナンドッ!!」
機械の稼動音を目印に、地上階から一直線にこの地下空間へと舞い降りてきたシックザールは仇敵の名を叫んだ。
けれど、突然の闖入者であるシックザールの覇気に満ちた叫びを耳にしてなお、トーラスは驚く事無く、至って変わらぬ調子のまま立ち尽くしていた。
「んー、なんだい。騒がしいなぁ。今、ちょうどいいところなのにさぁ」
白衣のポケットに両手を突き入れたまま、困ったなぁ、とでも言いたげな口調で、こちらへと振り返るトーラス。
だが、その眼差しが闖入者へと差し向けられた瞬間、トーラスの表情に疑問の色が浮かんだ。
彼は突如として現れたシックザールの姿をまじまじと見つめ、首を傾げたかと思うと心の底から不思議そうに尋ねてくる。
「えっと……君、誰だい? どうして、こんなところにいるの?」
「――っっ!? 貴方は……どこまでも人を……っ」
トーラスのそんな言葉に、激昂を隠せぬシックザール。ハルベルトの柄が強く握り締められ、ギリギリと音を鳴らす。
だが、シックザールのそんな明らかな怒りの色に対し、トーラスは嘲るわけでもなく、どこか焦りの感情を見せながら額に手を当てる。
「ああ、ごめんねっ。ちょっと待っていて、今思い出すから……ええと、そう……君は確か……」
表情にどこか苦悶の色を浮かべ、真剣に思い悩んでいる様子のトーラス。
そんな彼の挙動に、シックザールは怒りの感情を忘れ、疑問を得る。
トーラスの言動はどこか真に迫っており、こちらを嘲る為の芝居にはとてもではないが思えない。
そもそもトーラスという男は一片の躊躇なく人を傷つけることのできる男だが、そこに明確な悪意は存在しない。
彼は何処までも純粋な狂気によって人を傷つけるのだ。
それを身をもって体験しているシックザールだからこそ、今の彼には明らかな違和感を感じる。
――本当に、忘れている? ボクのことを?
見れば、トーラスは未だにシックザールが誰なのか解らず、首を傾げている。
しかし、シックザールとトーラスが最後に別れたのはたった半日前の出来事。もはやシックザールがトーラスにとってなんの興味を持たぬ対象だとしても、ここまで忘却すると言うのは異常と言うほかない。
――シュピーゲルを使った後遺症、か?
シックザールの脳内に、記憶障害という言葉が思い浮かぶ。一時的にではあったが、シックザールもシュピーゲルの直後に軽い記憶障害に陥った事がある。ただ、その理由が何であろうと、
「ま、どうでもいいか。それで、何か用かい? えっと、キミはエリオくんのお友達か何かい?」
トーラスは記憶を思い起こすのを止めたらしい。諸手を広げ、闖入者たるシックザールを歓迎するかのような素振りを見せるトーラス。
その態度に、シックザールは歯を強く噛み締める。
自分という存在の罪を誰かに擦り付ける気はない。それでも、目の前のこの男が全てを忘れ、飄々と自分の視界の中に存在することにシックザールは強い怒りの感情を覚える。
だが、二度目の激昂は始めのそれと比べ自制することができた。
シックザールの目的は復讐ではない。その気持ちが失せた訳ではないが、今はそれよりもまず、取り返さなければならないモノがある。
「違います。けれど……ソイツを、返して貰いにきました」
深く、静かに。怒りを抑え込むかのように、シックザールはハルベルトを掲げ、呟く。
その切っ先の向こうには生体ポッドの中に浮かぶ少年の姿がある。
シックザールは約束した。
たった一人の友達と。彼をきっと連れて帰る、と。
「貴方の目的や野望なんて、どうでもいい。ただ、彼だけは無事に連れて帰らせて貰います」
ハルベルトを突きつけたまま、静かに宣戦布告とも取れる言葉を紡ぐシックザール。
そんなシックザールの言葉に、トーラスはどこか困ったように後頭部を掻きながら、
「うーん、そっかぁ。エリオくんを、ねぇ。そいつはちょっと困るかなぁ……彼は今後の研究の為にも必要だし……ううん……」
そう、呟きながら左手の腕時計に視線を落とすトーラス。彼は文字盤の内容を確認すると「ああ、そうか」と得心したかのように頷いた。
「ああ、ええっと……キミ。待たせて申し訳ないけれど、あと三十秒程待ってくれないかな?」
腕時計の表示をこちらに見せるようにして提案するトーラス。
その動きに、シックザールはトーラスの真意が掴めず、困惑の表情を浮かべる。
「三十秒……?」
「ああ、あと三十秒ほど待ってくれれば――」
見る。
トーラスの手首に付けられた時計の表示板は時刻ではなく。八列のデジタル数字を刻々と刻んでいた。
その中にはゼロのまま固定されたされた数字もあれば、目に見えぬほど高速で刻まれていくモノもある。
その中で確認することのできる数字の連なりが、三十から二十九へとその数を減らした。
「エリオくんの記憶の抽出が完全に終了するんだ――それが終わればさ、コレもただの抜け殻になるし、キミもホラ、諦めがつくんじゃないかな?」
カウントダウンが、二十八を刻んだ。
●
同時に、シックザールは動いた。
ハルベルトを振りかぶったまま全力のスプリントを開始する。
途上にいるトーラスには目もくれない。その真横を抜き去るように通り過ぎ、シックザールはエリオのいる生体ポッドまで一秒も掛けることなく辿り着いた。
「うおおっっああっっ!!」
身を捻るように力を溜め、引き戻す勢いをそのまま乗せたハルベルトによる強烈な斬撃が放たれる。
真一文字の軌道を描き、空間を割断する一閃。
だが、生体ポッドを覆う強化ガラスに触れる直前――ハルベルトの一撃が弾かれた。
シックザールの手指に強烈な反動が返る。けれど対する生体ポッド側には傷ひとつ入っていない。
――堅いっ!?
けれどその結果を確認する間も惜しむかのように、シックザールの二撃目が走った。弾かれたハルベルトを力任せに振り回し、そのまま再度生体ポッドに重い一撃を放つ。
瞬間、光が走った。斧部のインパクトと同時に、生体ポッドの表面に幾重にも光の壁が生まれ、シックザールの一撃を再度弾いたのだ。
「ああ、無駄だと思うよ? 複合式の魔力障壁で守られているからね。地下にある魔力炉と繋がっているから、個人レベルでそうそう破れやる代物じゃないよ」
背後から、トーラスの淡々とした声が流れてくる。彼自身はこちらを邪魔するつもりも、止めるつもりもないようだ。
ただ、シックザールの行為を無駄だと、憐れむように言葉を紡ぐ。
――どうする!?
シックザールの心に焦りの感情が浮かぶ。
先の二合の斬撃を弾かれた感覚から、生体ポッドを囲う障壁の強固さはいやと言うほど理解する事ができた。
複合型の障壁は未だに一枚も破壊できていない。
魔力炉本体を破壊するか、それとも魔力の供給線を断つか。
幾つかの案は浮かぶが、魔力炉がどこに存在するか判らず、この部屋の中の無数のケーブルのうち、どれを潰せば生体ポッドへの魔力供給が途切れるかも解らない。
制限時間三十秒を切った今、そのどちらも現実的ではない。
ならば、
――今は、迷うな!
シックザールは自身にそう言い聞かせる。
目の前に、取り戻すべき存在がいる。
今はただそれに向かって愚直に手を伸ばす。
途中に壁があるのならばブチ壊す。
「ハルベルトッ!」
《OK.My master!》
叫びと同時にナックルガードを兼ねたコッキングレバーを引き上げる。
その動作に魔力カートリッジが装填、撃発、排莢と流れるような動作で行われ、シックザールの魔力値が瞬間的に跳ね上がった。
蓄えられた魔力はハルベルトの斧部に集中し、巨大な魔力刃を展開する。
シックザールはエリオのように雷撃変換能力を有していない。
その変わりとでも言うかのように魔力の一極集中、固定化には並々ならぬセンスを有しており――ハルベルトはそんなシックザールの特性を最大限発揮させる為に創り上げられたデバイスだ。
まだ手にして一日と経過していない筈なのに、まるで自分の手足のように奮う事のできる感覚を覚える。
そんなシックザールの為のデバイスを創り上げたのがトーラスだという事は、大きな皮肉なのだろう。
裏切られ、もはやその記憶からも消え去った――それでも、かつてのトーラスはシックザールの為にこのデバイスを創ったのだ。
でなければ、ここまで自在に扱えるわけがない。何が目的だったのかすらももはや希薄ではあるが、彼の創り上げたこのデバイスがホンモノであるという事実は変わりない。
「――ボクに付き合って、いいの。一応、あの人は生みの親なんでしょ?」
最後の突撃の直前、握り締めた柄の頼もしさに、そんな事を思い返したシックザールはハルベルトに尋ねる。
付いてきて、くれるのかと。
トーラスの造ったこのデバイスを疑っているわけではない。
ただ今更ながら、自分の我侭に望まぬ存在を連れて行くことに躊躇を覚えただけだ。
《Yes. He is my Meister. but――》
そんなシックザールの問いかけに、ハルベルトはどこか楽しげな声で、
《――My husband only is you.》
からかうようなハルベルトの返事に、シックザールも僅かに頬を歪め、笑みを漏らす。
「……驚いた。まったく、ボクみたいなののどこがいいんだか……」
《fall in love at first sight》
「……光栄の至りっ」
力強くハルベルトの柄を握り締める。力を溜めるように身を沈め、一瞬の爆発に備える。
もはや時間は無い。ならば刹那の間に全てを込めるかのようにシックザールは全身に力を張り巡らせる。
タイムリミットが残り十五秒を示す。
同時に、シックザールはハルベルトを振りかぶり、一気に生体ポッドへと向かって飛翔した。
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