LIGHTNING STRIKERS : ACCEL 03-03
「父さん……母さん」
見上げる視線の先、父と母が寄り添うように立ち尽くしていた。
その表情に浮かぶのは慙愧の念――とでも言えばいいのだろうか、どこか辛そうな、とても悲しそうな、儚い面立ちでじっとこちらを見詰めていた。
そんな両親の姿に、エリオは思わず差し伸べるように、その手を伸ばす。
そこで、違和感に気づいた。
己の手足が、驚くほど縮んでいる――いや、戻っている。
かつて、自分が辛く悲しい別れを体験したあの日の姿に。
だが、今はそれよりも両親の元へと駆けつけなければと、エリオは衝動に突き動かされるように前へと駆ける。
けれど、辿り着くことができない。
その幼い両足でどれだけ必死に駆け寄ろうとしても、自分と両親達との距離は縮まることなく、その手が届く事は無い。
「お父さん……お母さん……」
呼ぶ。かつてと同じように、愛した人達の事を。
けれど、父と母がその呼びかけに応えてくれる事は無い。
彼等はただ、己の罪を悔いるかのように、その視線をエリオから外すことしかしてくれなかった。
なぜならば、これは過去の繰り返しだからだ。
あの時、両親はエリオの差し伸べた手を握り返してはくれなかった。
それが、エリオ・モンディアルに定められた運命。
けして覆すことのできない運命なのだ。
「あ…………」
それが、無駄でしかないと悟ったエリオは、求めるように指し伸ばされた手を引き、駆け続けていたその足を止めた。
何もかもを諦めたかのように、エリオ・モンディアルはただ力なくその場に立ち尽くした。
視線の先、両親は変わらずそこにいる。
けれどもはやその距離が縮まることは無く、けして触れることなどできないのだ。
そんな彼等を見詰めながら、エリオは小さく呟く。
「なんで……」
それは、エリオ・モンディアルの原初の思い。
忘れようと、そう願いながらけして忘れることのできなかった疑問。
どれだけ心の奥底に強く強く押し込めても、けして消し去ることのできなかったエリオの思いだった。
「なんで……僕を、助けてくれなかったんですか?」
フェイト・T・ハラオウンに救われた。
確かな愛情を彼女は注いでくれた。
自分は、幸せなんだと思った――そう、思おうとした。
「なんでっ……なんで、あの時、僕を捨てたんですか!?」
けど、見捨てられた。
両親に。
大切な者に。
愛すべき人達に。
エリオ・モンディアルは捨てられたのだ。
それはどれだけ誤魔化そうとも、けして消すことの出来ない過去の傷痕だった。
「僕が、偽者だから……僕が、貴方達の本当の子供じゃないから、だから、いらなくなったんですか?」
何度も何度も納得しようとした。
自分は、幸せなんだとそう思おうとした。
それは、確かにできていた筈だった。自分には愛すべき新たな家族がいると、もう過去に囚われる必要なんてないのだと。
けれど、そんなものはただの欺瞞でしかなかった。
自分の心の奥底には、どうしようもなく暗く淀んだ感情が身を潜めて続けていたのだ。
「じゃあ、なんで…………どうして、僕を生んだんだよっ! なんで、僕みたいなのを造ったんだよ!」
感情が、爆発する。
今まで、けして表に出る事なく、しかし彼の心の中で燻り続けた炎が噴き上がる。
彼等の事を憎んでなどいないつもりだった。
いや、エリオはきっと彼等の事を恨んでなどいなかったのだろう。
フェイトに救われ、確かな暖かさに触れた彼は誰かを憎むことなんてできない。
それでも今、その大切な思い出すら奪われ、自身のルーツとも言える両親と対峙したエリオに生まれたのは断罪の言葉だった。
「アンタ達が僕を造ったりしなければっ! こんなことにはならなかったんだっ! 誰も、悲しい目にあったりせずに済んだんだっ!」
強く、責めるようにエリオは叫ぶ。
忘れようとして、それでもけして忘れることの出来なかった、もしもの話を。
「僕は、僕なんか――生まれてこなければよかったんだっ!」
その瞳に、涙が浮かぶ。
頬を伝い、足元に落ちる雫。けれど零れた涙は大地に吸い込まれる前に白い世界に溶け込むように消えていく。
いや、消えているのはそれだけではない。
少年の身となった、エリオ・モンディアルの身体そのものが、ゆっくりと薄れ、消えようとしているのだ。
その記憶と共に、彼は自身を否定することで完全に消えようとしていた。
だが、消え行く己の存在に、エリオは恐怖しない。
それが、正しい事なのだと。
それが、本来の世界の在り方など。
死者が蘇ることなどありえない。
ならば、どう取り繕ったところでエリオ・モンディアルは――もはや存在してはならないのだろう。
だから、ここで消えることにもはや抵抗は無かった。
ゆっくりと、消え行く自身を見つめながら、エリオは薄く微笑む。
「そっか……そうだよね――これで、いいんだよね」
そう、納得した――――瞬間、だった。
世界に。白一色のどこまでも果てのない世界に、巨大な亀裂が走ったのは。
●
激突の瞬間、シックザールは見た。
生体ポッドの中、顔の上半分をヘッドギアに包まれたままのエリオが、何かを呟くのを。
もちろん、厚いガラスに覆われているエリオの声はシックザールにまで届かない。
そもそもそれが何を伝えようとする言葉かどうかも解らない。
それでも、シックザールは彼の唇の動きに、何故か強い怒りを覚える。
「いいわけ、ないだろうっっ!!」
叫び、同時にハルベルトを生体ポッドに叩きつける。
同時に、その一撃を防ぐべく魔力障壁が強く光り輝く。けれど、カートリッジによって強化されたシックザールの一撃はガラスを砕くような盛大な音を響かせ、魔力障壁を叩き割る。
だが、通ったのはそこまでだ。
複合式の魔力防御システムは、その名の通り複数の防御魔法によって展開されている。一層目を叩き割ったところで、二層目、三層目と魔力障壁が存在する限りそのダメージは通らない。
本来ならば次元航行艦や管理局の重要物保管施設において使われるような防御機構だ。トーラスの言葉通り、そう易々と突破出来るものではない。
けれど、シックザールはその結果に構うことなく、流れるように二撃目へと繋げる。
「人に、偉そうに説教しておいて、自分だけそんな道を選ぶつもりかよっ! ふざけるなっ!」
怒りに身を任せたまま、シックザールは身体を独楽のように回転させ、そのまま再度ハルベルトの強力な一撃を生体ポッドに叩きつける。
その一撃に、二層目の魔力障壁が粉砕された。
だが、障壁は未だに層を成し、その攻撃が本体に届くことは無く、手指に掛かる重い手応えに、シックザールは苦悶の表情を浮かべる。
「キミは、あんなに幸せな癖にっ、あんなに、大切にしてくれる家族がいる癖にっ!」
気づけば、ハルベルトを握り締めるシックザールの指先から、赤の色が溢れていた。
本来ならば一枚の障壁を破るだけでも相当な威力を込めなければならない筈だ。それ程の威力を込めた一撃をカートリッジを利用することで無理矢理に魔力を底上げして、連続で叩き込んでいるのだ。
その負荷がどれほどのものなのかを量り知ることは出来ない。ただ、それがシックザールの身体に看過することの出来ない強烈な負担となっていることは確かだ。
「眠いこと言ってるんじゃない! 勝手に死のうとするんじゃないっ! キミを連れて帰らないと、あの子がっ、悲しむだろうがっ!」
それでも、決めた。もう迷わないと。
故に、シックザールは手指から舞い散る赤の色をそのままにハルベルトを振るう。
だが、繰り出した三撃目は続く魔力障壁に皹を入れはするが砕くには至らない。先のものよりその威力が落ちているのだ。
「ああああああっっ!!」
コッキングレバーを叩き上げ、追加のカートリッジをロード。
それにより、魔力値は跳ね上がりハルベルトに展開した魔力刃も輝きを取り戻すが、無謀とも言える魔力供給にシックザールは己の身体が軋む音を聞く。
それでも連撃の流れるような動きを止めることなく再度、強力な一撃を生体ポッドへと叩き込み、三枚目の魔力障壁を砕き割った。
カウントダウンが残り十秒を切る。
果たして、後何度魔力障壁を砕けばその一撃が通るのか。
そもそも、本当にこれが正しい選択なのか、シックザールには解らない。
けれど、もう引き返す時間は無い。考える余裕などない。
ならば、シックザールにできるのは一つだけだ。
彼を、救う。
ただ一人の友と交わした約束を守るために。
その為に、速く。
もっと速く。
迫り来る終わりの時間に負けぬ速度で、シックザールは重い一撃を放ち続ける。
届け、と。終らせはしない、と。
速く、速く、速く――。
●
世界の全てが揺れるような音と共に、空間に亀裂が走る。
その有様を、エリオ・モンディアルはただ呆然と見ていた。
彼は、今自身がどういう状況に陥っているのか、外側で何が起きているのかさえ知らない。
シックザールの言葉は彼の元に届くことなく、ただ彼は諦めたように滅び行く世界と、そして自分自身を静かに見つめるだけだ。
「…………それでも、僕は生まれないほうがよかったんだよ」
光の粒子となって消え行く己の身を、ただ呆と見つめるエリオ。
眼前に掲げた掌は、半透明となり向こうの景色を幽かに映し出していた。
そこにいるのは、一組の男女の姿。
父と母――その姿をした何かだ。
エリオは知っている。あれが自分の記憶から造りだされたただの幻影でしかないと言う事を。
記録した過去の映像を、ただ再生しただけの代物でしかないのだ。
だから、エリオがどれほど彼等に救いを求めても、どれだけ怒りをぶつけたところで、それはまるで意味の無い行動でしかない。
それでも、それでもエリオは彼等に問いたかった。
いや、問わねばならなかった。
「ねぇ……お父さん、お母さん…………僕は、貴方達の子供にはなれなかったんだよね?」
そう、できれば。
そう、在る事ができればきっと幸せでいれた筈なのだ。
フェイトやキャロ、後に出会う大切な人達との出逢いは失われるかもしれない。
それでも彼等の子供に――エリオ・モンディアルに成ることができていれば、きっと、それは確かな幸せだった筈なのだ。
けれど、そんなささやかな願いは叶う事無く――、
「すまない…………」
そんな言葉が、透けた掌の向こうで紡がれた。
見る。視線を上げた向こう、先ほどまでこちらと視線を合わせぬようにと俯いていたセディチとリアーナが、しかとこちらを見据えていた。
記憶の残滓。
泡沫の幻影。
けして答えを与えてくれる事のない筈の彼等は、しかしこの時だけは真っ直ぐとエリオを見つめ、言葉を紡いだ。
「いくら……謝罪の言葉を連ねたところで意味などないだろう。君はきっと私達を許せないだろうし、私達は許されるべきではない事をしたのだから、それでも、すまないと言わせて欲しい」
「お、父さん……」
唐突に紡がれるセディチの言葉に、なんと返すべきか解らず、戸惑いの表情を浮かべるエリオ。
「あなたに過酷な運命を背負わせてしまったこと。それをけれど、偽りの言葉で覆すことはできないわ。……私達が、救いを求めるあなたを見捨てたことは、確かな事実ですもの」
「お母さん……そうか、そう……だよね」
父と母の姿をした者達の口から語られる言葉。それはあの時、あの瞬間の確かな事実を語っていた。
もし彼等の口から、貴方を見捨てるつもりなどなかった、と。
自分は偽者ではない、本当のエリオ・モンディアルだと、そう言葉にしてくれれば、救われたのかもしれない。
けれど、そんなものはただの嘘で。偽者でしかない。
いくら彼等が都合のいい幻想だとしても、その真実を変えることなどできはしない。
エリオ・モンディアルもまた――どこまで行っても、ニセモノでしかないのだ。
プロジェクトF。
それはホンモノの、代替物としての在り方を強いられるべき存在なのだ。
ならば――そうだと、言うのならば。
「やっぱり、僕に生きている理由なんて、ないんじゃないか」
真実の残酷さに、ただ静かに涙で頬を濡らすエリオ。
けれど、それは――、
「違う。それは、違うよ」
「…………え?」
父と、母の姿をしたものの言葉に否定された。
ハッ、と視線を持ち上げるエリオ。その視線の先で、二人の男女はそれぞれを支えるかのように、肩を寄せ合い、ただ静かにこちらを見つめていた。
「君が生きている理由は確かに在ったんだ。ただ、私達の弱さがそれを費えさせてしまった……君が悔やむことなんて。諦める必要なんて無いんだ」
「そんなのは詭弁だよっ! だって、だって僕は――」
エリオ・モンディアルになれなかった。
どれほど足掻いた所で、自分は彼等の息子ではいられなかったのだ。
なぜなら、彼はホンモノのエリオ・モンディアルではなかったから。
ただの作り物の、人形でしかなかったから。
「そう……ね。貴方はエリオじゃない。そんなこと、始めから解っていた筈なのに、私達は貴方の事をエリオと呼んだ。きっとそれが私達の一つ目の罪」
「そして、それは僕の罪でもあるんだっ」
エリオ・モンディアルとして生まれなかったこと。
ニセモノの、出来損ないとして生まれてしまったこと。
それはエリオが責を負うべき事ではないのかもしれない。
けれど考える。
もし、自分がエリオ・モンディアルとして生まれていれば?
ホンモノの、エリオ・モンディアルとして生まれていれば?
如何なる魔法であれ、死者の蘇生などできない。
そんなことは解っている。それでも、それでもっ――。
「僕が、ホンモノのエリオ・モンディアルなら、こんなことにはならなかった筈なんだ」
それがどうしようもなく無意味な望みだとしても。
それがどうしようもなく儚い想いだとしても。
そう、願わずにいられなかった事など、自分には一度としてないのだ。
「――違う」
泣き叫ぶように紡がれるエリオの言葉。しかし、それを打ち払うように静かに、しかし凛と通る否定の声が響いた。
ハッ、と顔をあげる。その視線の先には寄り添うセディチとリアーナの姿があり、
「貴方が生まれたことは間違いなんかじゃない。だって、貴方には、貴方の事を愛してくれる家族がいるじゃない」
その声に合わせるように、壊れかけの世界に風が吹き抜けた。
それは、失われた筈のエリオの記憶だ。
父と母を失い――それでも生き続けてきたエリオの記憶。
フェイトに、救われた。
この世界がけして絶望だけではないと知った。
自分の名を呼んでくれる人達がいた。
帰るべき、場所があった。
大切な、家族ができた。
「それは、間違いなんかじゃない。触れれば消えるようなニセモノなんかじゃない。貴方が――貴方だから手に入れることのできた。ホンモノなの」
「そうだ。君は――君だ。誰に非難されることのない。ホンモノのエリオ・モンディアル。かつて、天に召された私達の子では無かったとしても、君は私達の息子だった」
懺悔するかのように、後悔しているかのように。けれど大切な事を我が子に伝える親のように、真摯な眼差しで彼等は言葉を紡ぐ。
「簡単な事だった筈だ。けれど、私達にはそれができなかった。結局、最後まで私たちは君に失ってしまった自分の子供を重ね続けた。それが、どれだけ君を傷つけるのか知りながら!」
「怖かった。造られた命であると知った貴方が私達を愛してくれないんじゃないかって……貴方に愛してもらう資格なんかないんじゃないかって。でも、そうじゃなかった。言ってあげればよかった。愛してるって。貴方は私達の息子だって!」
「父さん、母さん……」
それは、救いの言葉だった。
例え目の前の彼等がエリオの記憶が創りだした、ただの幻だとしても。
それが、あまりにも儚い夢なのだとしても。
「僕は……僕、は……」
生まれてきてもよかったのだろうか?
ホンモノじゃあない。
ニセモノのエリオ・モンディアルだとしても。
生まれて、良かったのだろうか?
言葉にはせず、少年は父と母に問う。
その問いに、返ってきた言葉は、
「ありがとう」
きっとエリオは。
エリオ・モンディアルは、ただその一言が聞きたかっただけなのだ。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
それは、子の誕生を祝福する言葉だった。
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