LIGHTNING STRIKERS : ACCEL 03-09



 トーラス・フェルナンド。

 彼の話をここではしよう。
 魔導にも精通した類稀なる科学者である彼が賢人会議と称される学術機関に席を置くことになったのはある意味当然の結論だった。

 その頃の彼は、おそらくは真っ当な人物であった筈だ。
 少なくとも、彼を狂わせてしまった契機はそこにはない。
 彼がこの世界とズレてしまったのは、とある一つの事件によるものだ。

 PC事件、と呼ばれる無差別テロがかつて起こった。

 魔法というあまりにも不安定な力を忌み嫌い、質量兵器による世界の再統合を望んだプルート・チルドレンと名乗る組織によるテロだ。
 彼等はミッドチルダ北部の市街地――現在は廃棄都市区画と呼ばれるその場所で化学兵器による質量兵器の優位性を示す実験を行おうとした。

 実験、という名の大量虐殺を――だ。
 下手をすれば数千人規模の死傷者を出す可能性のあった恐るべき事件。

 だが幸いな事にこの事件は、当時偶然現場に居合わせた幾人かの魔導師によってその被害は最小限に食い止められた。
 魔導の力によって、数え切れぬほど多くの人々が救われたのだ。

 質量兵器の優位性を示したかったテロリスト達だったが、結果的に彼等の行いが魔導という力の優位性を世間に知らしめてしまった。
 だが、それはあくまで管理局が後の世に報じたプロパガンダでしかない。

 十三人。それが防ぐことのできなかった最小限の数だ。

 事実として推定される死傷者の数が大幅に減ったのは優秀な魔導師達が居たおかげだろう。
 だが、それでも重軽傷者や後に後遺症を負った者の数を含めれば、それこそ百人規模の被害者が発生した事件だったのだ。
 それは後の世に大きな影響を与え、事件に関わった人々の人生を狂わせた事件。

 そして、トーラス・フェルナンドもその事件に巻き込まれた人物の一人だった。
 彼もまた、事件の被害を抑えるべくテロリスト達に立ち向かった魔導師の一人だった。
 事実、彼が居なければ更なる被害者が存在していた事は確かだ。

 けれど、運命はあまりにも残酷だった。
 その力によって多くの人命を救ったトーラスではあったが、彼の妻子はこの事件でその命を失った。
 トーラスの最愛の人々が十三人の犠牲者に含まれていたのだ。

 それは、あまりにも悲しい出来事で。あまりにも無慈悲な現実。
 この広い世界で、たった十三の生贄の席に、彼の妻子は選ばれてしまったのだ。

 生体兵器の効果範囲内に取り残された妻子を救おうと無謀な救出に向かったトーラスは、しかし眠るように抱き合い、息を引き取った妻子の姿を最後に視界に納め、意識を失った。
 だが、彼の運命を狂わせたのはそれが原因ではない。

 最愛の人達の死を眼前にしたトーラスが何を思ったのかは最早定かではない。
 何故ならば、次に彼が目覚めた時。彼の記憶からは妻子に関する情報の何もかもが消え失せていたからだ。

 記憶喪失。

 生体兵器により、脳に深刻なダメージを負ったトーラスはある種の記憶障害に陥った。
 自分が何者で、何故ここにいるのかを理解することはできた。
 だが、妻や子に関する記憶。その顔や思い出さえトーラスは思い出す事が出来なくなっていた。

 それが本当に化学兵器による後遺症か、それとも妻子を失った事による精神の防衛行動なのかは結局判明することは無かった。
 だが、事実として意識を取り戻した後。妻子の死を告げられた時もトーラスの中には悲しみという感情は生まれなかった。
 ただ、胸の奥にぽっかりと空いた大きながらんどうに違和感を覚えただけ、と当時の彼は語っている。

 それでも、どこか生きる気力を失ったかのように病室で呆と日々を過ごす彼を支えたのがモンディアル夫妻だった。
 医療関係者として事件当時死の淵を彷徨っていたトーラスの命を救ったのもまた彼等であった。
 妻子を失い、そしてまたその記憶さえ失ったトーラスを彼等は医療関係者としてではなく、一人の人間として支えようとしたのだ。

 モンディアル家とトーラスの間に友誼が芽生えたのはこの頃からだ。
 特に研究者としても、類似した分野に手を染めていたセディチ・モンディアルとは、意気投合し共に研究を進めていく友人となる。

 それが正しいことなのかどうかは、解らない。
 けれどトーラスは妻と子のことを忘却したまま、再度人生を歩み始めた。
 それは偽りなのかもしれなかったが、そこには確かにセディチと共に、研究に切磋琢磨する日々に充足を得始めたトーラスがいたのだ。

 だが、そんな日々も長くは続かなかった。

 モンディアル夫妻の一人息子――エリオ・モンディアルが不治の病の身であることが解ったのだ。
 友人としてモンディアル邸に幾度か訪れた事のあるトーラスにとっても、その少年は知己の身であった。
 そんな彼が日を重ねるに連れ、やせ細り衰弱していく。それと合わせるようにしてモンディアル夫妻達も憔悴していく姿をトーラスは他の誰よりも近くで観察していた。

 大事なものが、壊れていく感覚。
 そんなトーラスを襲ったのは、恐ろしいまでの焦燥感だった。

 ダメだ――と。このままではいけない、と。

 トーラスは理解していた。“それ”が自分の失ったものなのだと。
 「幸せ」と呼ばれる感情。それがトーラスの失った記憶の正体だった。
 そして、今またそれは奪われようとしていた――どうしようもなく残酷な運命という名のシステムによって。

 ――いけない。そんなのはいけない。

 イヤだ、とそんな子供じみた言葉がトーラスの胸の内に芽生えた。
 それを失えば、今度こそトーラスは終わってしまう。

 彼にとって、モンディアル家の人々は道標だったのだ。
 幸せという名の、トーラスが既に自分が失ってしまった感情。それを彼等は持っていた。
 トーラスが求めていたのは“それ”だった。

 失った幸せを、取り戻したいと、彼は心の底から願っていたのだ。
 けれど、もはや思い出すことはできない。取り戻すことも出来ない。

 それでも、モンディアル家の皆が幸せであれば、自分もいつかそこに辿り着けるのではないかとトーラスは幻視した。
 そこに幸せがあれば、自分もいつか辿り着けるのではないか、と。
 だから、幸せを失った自分の代わりに、彼等は幸せにならなければいけなかった。

 “それ”を彼等から失わさせるわけにはいかなかった。

 彼等は幸せでなければいけなかったのだ。
 だから――だからトーラスは。
 エリオ・モンディアルが息を引き取った夜、モンディアル夫妻にこう告げたのだ。

「運命に、抗おう」

 運命と、戦おうと。

「この子をきっと幸せにしてあげるから」

 ●

「エリオくん。エリオ・モンディアルくん。君の両親の真の願いは君が幸せで居てくれる事だった。それがセディチやリアーナの、幸せだった。だから、ボクが君を幸せにしてあげる。セディチとリアーナを生き返らせ、君に幸せをあげる。それがボクの、けして違えられる事の無い目的なんだ!」

 ああ、と謡うように二人の少年に己の目的を語り聞かせるトーラス。
 対し、エリオとシックザールは彼の独白にも似た言葉を、ただ静かに聞いていた。

「ねぇエリオくん。エリオ・モンディアルくん。理解してはくれないかい。ボクはね、君にただ幸せになってほしいだけなんだ。なんでそれを邪魔しようとするんだい? なんでそれに抗おうとするんだい? ねぇエリオくん。ボク達はさ、きっと解りあえ――」
「――――です」

 トーラスの声が、動きが、笑みが――――止まった。
 少年達の囁いた、たったひとつの言葉に、トーラスは時を止めたかのように停止した。

「…………え?」

 呆然、という言葉をそのまま形にしたような戸惑いの声を上げるトーラス。
 彼は空を仰ぐような姿勢のまま、微動だにすることなく。エリオ達に問いかける。

「エリオくん。エリオ・モンディアルくん。今、君はなんて言ったんだい」

 確認するかのように。
 それが聞き間違いだと。それがただの幻聴だと、確かめるように。
 そんなトーラスの問いかけに、二人の少年は強く、己の意思を伝えるように先程と同じ言葉を紡いだ。

「僕は――」
「ボク達は――」

 それは、二人の少年が導き出した。まったく同一の答え。

「――もう幸せ、なんです」

 二人同時に放たれる言葉。
 静かに、だが強く宣言するかのような言葉。
 今度こそ間違いなくその一言を受け取ったトーラスは、ひとつの反応を返した。

「――カ、ハ……ハハハハハハハッッッ!!」

 彼は笑ったのだ。
 腹を抑え、身を捩るようにしながら紡ぎだされるトーラスの笑い声が、世界に木霊する。

「それは――それは、なんて出来の悪い冗談なんだい。エリオくん。エリオ・モンディアルくん」

 笑いすぎた所為か、目尻に溜まった涙を拭いながらおかしそうにトーラスは尋ねてくる。
 彼はクツクツと未だに残る笑いの余韻に肩を震わせながら、

「君が、幸せだって。ブッ……クッ、ハハハ。何を、何を言ってるんだいエリオくん? やめてくれよ、強がりでもそんな事を言うのはさ!」

 ハ、と荒い呼気をトーラスは吐き出し。

「いいかいエリオくん。エリオ・モンディアルくん。現実から逃げちゃいけないよ。君は幸せなんかじゃないんだよ。だってさぁ、君は両親に見捨てられたじゃないか。人造生命体として実験動物のように扱われてきたじゃないか。大事な人を傷つけられて心が痛んだろう? 信じた筈の人に裏切られて想いが軋んだだろう? 君はさぁ、ボクに両親を殺されたのに、幸せなわけないじゃないか」

 諭すように、言葉を重ねるトーラス。だが、

「そうじゃない」

 少年達の言葉が重なる。

「絶望の底にいた僕を、救ってくれた人がいた」
「道を間違えたボクを、叱ってくれる人がいた」

 覚えている。
 自分を救ってくれた人がいた事を。

「僕を、家族と呼んでくれる娘がいる」
「ボクを、友と呼んでくれた娘がいる」

 忘れない。
 自分を支えてくれた娘がいた事を。

「例え僕のこの身がニセモノだとしても」
「例えボクの記憶がニセモノだとしても」

 変わらないものが、ある。
 確かなホンモノがそこには在る。

 悲しい別れがあった。
 辛い現実があった。
 泣きたくなるような、夜があった。

 けれど、そんな人生の中で少年達は見つけた。
 幸いの運命を。

「嘘だ……っ!」

 だが、それを否定するようなトーラスの叫びが響く。
 叫びに込められているのは、恐怖と呼ばれる感情だ。まるで怯える子供のように身を振りながら喚き散らす。

「そんなものがっ。君が、幸せなわけがないっ。こんなものが、幸せだなんて断じてあるもんかっ! 君が言ってるのはただの負け惜しみじゃないかっ、自分は幸せだって言い聞かせて、そうしないと押し潰されちゃうから、強がっているだけじゃないかっ!」

 エリオ達の言葉は、トーラスにとって目的の消失そのものだ。
 それが無くなれば、トーラスはもはやトーラスではなくなる。
 まだ自分は何もしていないというのに、終わってしまう。
 だから、トーラスは今にも泣き出しそうな表情のまま、エリオ達の言葉を否定することしかできかった。

「そうじゃない……そうじゃないんだよエリオくん。エリオ・モンディアルくん。君は、君はもっと、もっと幸せになれるんだ。ボクが幸せにしてあげれるんだ。だからさぁ、そんな嘘にすがらなくたって――」
「違うっ!」

 強い否定の言葉がトーラスの言葉を遮る。

「これは嘘なんかじゃない」
「これはボク達が手に入れたホンモノなんだ」

 だから、
 それをニセモノとは呼ばせない。呼ばせてなどなるものか。
 彼女達の生や死や出逢いまでも無かったことにさせてなるものか。

 少年達はデバイスを構える。
 戦いの為に。

 偽者の誇りを。本物の想いを。幸いの運命を。
 手に入れる為に。

「貴方をここで止めます。トーラス・フェルナンドッ!」

 かくして、最後の戦いの幕は開く。



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