愛しい貴方に輝きを (1)
フェイト(1)
原因を問うというのならば……なんのことはない。
単なるお喋りの時間に告げられた一言が原因であった。
「なんや、気づいたら私等もあと少しで大人の仲間入りかー」
ホットココアを口にしながら感慨深そうに呟くはやて。
対面に座るフェイトはそんな彼女の言葉に、目を丸くした。
「突然どうしたの、はやて?」
「ん? いやー、私等も後一年でハタチやん? そう思うと、あっという間に成人してまうなって思うて」
はやてのそんな呟きに、フェイトはようやく理解したとばかりに相槌を打つ。
「ああ、そっか……日本では二十歳で成人なんだったね」
思い出したとばかりに呟くフェイト。
もちろん、彼女もそれは知っていた。しかし、幼い頃から地球で育ったとはいえ、元を辿ればフェイトも幼年期はここミッドチルダで過ごした人間だ。馴染みの薄い、そういった風習に対してはあまり感慨はない。
ちなみにミッドチルダにおいてはそういった明確な成人とみなす年齢は存在しない。
飲酒や喫煙、もしくは結婚などの医学的に理由が存在する事例においては年齢制限は存在するが、明確に大人と子供を区別する境界線は存在しない。
なにしろエリオやキャロ、それに、かつてのフェイトたち自身のように二桁にも満たない年齢の少年少女が職に就き、立派に働くことが可能な世界だ。
まぁ、そこらへんは極端な例だが、大人への境界線は酷く曖昧だ。
フェイトとしては、義務教育期間が終了し、管理局の仕事に専念し始めた時点でその境界を跨いだという認識なのだろう。
「せやけどなぁ……」
そんな、はやてとは違った考えに耽っていたフェイトだったが、はやてのため息交じりの声に意識を戻す。
「どうかしたの? なんだか辛そうだけど?」
眉間にシワを寄せて渋面をつくるはやてに尋ねてみる。
話の流れからすれば、大人になることを忌避しているかのようにも見えるそんな態度である。
けれども、はやては何時までも子供であることを望むような性格をしてるようには思えないフェイト。
そんな彼女の予想通り、彼女の悩み事はまた別口の代物であったようだ。
「いや、なんや気づけばまったく色恋沙汰に縁のない十代やったなぁって思って……」
深く、深くため息をつくはやて。
そんな彼女の言葉に、フェイトは「ああ……」となんとも言えない表情を浮かべたまま相槌を打つことしか出来なかった。
フェイトたちの母校である聖祥大付属学校は中等部から男女別となっている。ゆえに、彼女達の青春時代にそういった甘酸っぱいイベントは殆ど存在しない。
いや、それ以前に、彼女達はそういった色恋沙汰についてあまりにも積極的になれなかった。
それよりも、彼女達はそれぞれに思い描いた夢に向かって進むので手一杯だったのだ。
もちろん、はやてもそれを後悔している訳ではないのだろう。こうして機動六課を設立することが出来たのだって、その時から欠かさず努力を続けた結果なのである。
ただ、いざ成人を目の前に迎えたとき、そういったあるべきイベントが欠片も存在しなかったことに、ほんの少しだけガクリと来たのだろう。重大な責任を負うべき立場であるはやてだって、一人の女の子であることは変わりないのだ。
まぁ、ちょっとした発作のようなものだ。
「だ、大丈夫だよ。だってはやては可愛いし……今はお仕事が忙しいから無理かもしれないけど、もう少しすれば!!」
「あ……いや、そこまで真剣に悩んどるワケやないって言うか、マジで慰められるとヘコたれそうになるから勘弁してフェイトちゃん」
がくりと机に突っ伏し、意気消沈といった感じで呟くはやて。
本人にしてみれば、軽い冗談のつもりだったのだが、フェイトにトドメを刺されたといった感じだろうか。
もちろん、フェイトが悪いわけではないが、こうなってしまっては彼女も「あ、あはは」と曖昧に笑うしかない。
「うがー! だいたい、フェイトちゃんの方はどうなんよ! 私を慰める余裕なんてあるん!」
ガバっと跳ね起き、獲物を見定める猛禽のような視線でフェイトのことを睨み据えるはやて。
そんな彼女の詰問に、フェイトは思わず身を竦めてしまう。
「え? わ、わたし? 私もそういうのは別に……」
パタパタと手を振って否定の言葉を連ねるフェイト。
彼女もまたはやてと同じく、今までの人生において色恋沙汰にはとんと縁のない人間だ。
そんなのははやてもよく知っていることだろうと、フェイトは思うのだが、はやての視線は僅かも緩まない。
「じーっ……なんや、あの事件の後から、フェイトちゃん――エリオのことよー見るようになってへん?」
はやての言葉に、フェイトの背筋が一瞬だけビクリと震えた。
脳裏を過ぎるのはJS事件の際の出来事だ。エリオとキャロ、二人の言葉に救われ――そして、崩壊するスカリエッティのアジトから助け出された。
あの時、どのようにして助け出されたのか――その詳細をフェイトは今まで誰にも話したことはない。
なぜか、誰にも話したくなかったのだ。
それでも、フェイト自身はしっかりと覚えている。忘れるわけがない。
ほんの少し前までは、まだ子供だと思っていた。
けれども、自分を抱きあげたその腕は思いのほか力強くて――ああ、男の子なんだなと自然に思えた。
「フェイトちゃん? フェイトちゃーん?」
「ひ、ひゃい!? え? あ……なんでもない、なんでもないよ!?」
思わず過去の光景に引っ張られ、放心していたフェイトははやての呼びかけに驚きの声を上げる。
だが、それはあまりにも失策だった。
はやての表情がみるみるうちに、ニヤリという言葉がひたすらに似合う表情に歪んでいく。
「へー、ふーん、ほーかほーか。そーやったんやぁ」
「な、何を納得してるの!? わ、私はエリオの被保護者だし、そんなこと別に――」
「いや、まだ特に何も言ってへんねやけど」
ムキになって反論するフェイトだが、その姿は墓穴を掘っているとしか言いようがない。
結果、はやての表情はますます面白そうに緩んでいくのであった。
「まぁ、エリオの方もまぁ憧れっぽい感情もあるみたいやけど、脈なしって雰囲気でもなさそうやしなー」
「だ、だからぁっそんなんじゃ――!!」
「ふーん、じゃあフェイトちゃんはエリオのこと好きやないん?」
何気ないはやての質問。
途端に、フェイトの顔は驚くほど朱に染まり、二の句も告げない状態になってしまった。
「ぇ……ぁ……ぅ……」
「ははっ、ちょおからかい過ぎてもうたかな。まぁ、なんや。別に急ぐ必要はないんやし、ゆっくりやっていったらええやん。私は応援しとるでー」
「だから……そーゆーのじゃなくてぇ」
反論の言葉ももはや蚊の鳴くような有様である。
結局、フェイトはこの後も、暫しの間はやての質問に悩まされることとなる。
しかし、その間もはやてが何気なく呟いた一つの言葉。それがフェイトの頭の中を時間が経過するにつれ、ぐるんぐるんと目まぐるしく駆け回っている。
気づけば、フェイトは誰にも聞こえないように、小さく呟いていた。
「どう……なのかな?」
●
エリオ(1)
エリオ・モンディアルは騎士である。
正確に言うのならば未だに騎士見習いではあるが、いずれは立派な騎士となるべく精進を続ける毎日である。
だが、実際に騎士と名乗るのは実のところそれほど難しいことではない。
この世界において騎士と言う称号は中世のような爵位ではなく、あくまでベルカ式の使い手に付けられる称号なのだ。
言うなれば、魔導師と同じ役職名でしかない。
その観点から言えば、既にエリオは騎士と呼ぶに相応しい実力を持っている。
だが、エリオが目指しているのは、そういった形だけに寄るものではない。
そもそも、エリオはなぜ騎士を目指しているのか。
確かにエリオの素質から言えば、近接戦闘を得意とする近代ベルカ式システムとは相性がいい。
けれども、似たようなタイプであるフェイトはミッドチルダ式魔導師である。
もちろん、彼女が魔法を習得し始めた頃に近代ベルカ式魔法が確立していなかったという理由もあるだろうが、フェイトの事をよく知るエリオがミッドチルダ式を目指したとしても不思議ではない。
それこそ、なのはに憧れたスバルのように。近代ベルカ式であっても魔導師というクラスになっていたとしても不思議ではない。
それでも、エリオは騎士を目指した。
それは何故かと問うならば――エリオが男の子であったからだろう。
エリオにとって、フェイトは憧れの人である。そこに込められた思いは違えど、それこそスバルと同じような眼差しでフェイトを見ていたことがある。
しかし、いやだからこそと言うべきか――エリオは騎士になろうと志した。
それは、どうしようもなく単純な話でしかない。
この人を守りたいと、エリオはそう思ったのだ。
憧れから、同じ道を選ぶのではなく。いつか、彼女と共に在れる対等の存在となるためにエリオはフェイトとは違う道を選ぶことにした。
その為に、彼女と同じ魔導師ではなく、対となるべき騎士を目指したのだ。
とはいえ、それはあくまで幼い頃の衝動に任せた結果でしかない。それでもエリオの奥底にそういった願望があるのは確かだろう。
何時になるかは解らない。
それでも、いずれフェイトと対等となり、彼女を守れるような存在になった時こそ――彼は心から騎士となることができるのだろう。
前置きが長くなったが、そんなわけでエリオは本日も憧れの騎士となるべく訓練に勤しんでいた。
「せやぁっ!」
裂帛の掛け声と共に、シグナムから剣閃が浴びせられる。
最上段から振り下ろされる一撃は速度、威力共に苛烈極まりない。
今のエリオでは真正面から受けることは無謀極まりないだろう。
ゆえに、彼は持ち前のスピードを生かして背後へと滑るように移動する――が、
「退いてばかりでは意味がないぞ!」
シグナムの叱咤の声が響いた。
目論見どおり、エリオはシグナムの一撃を回避することには成功したが、次の瞬間には身体ごと回転させるように、シグナムは前へと距離を縮めつつ横凪ぎの一閃を放つ。
流れるようなその動作に隙は一切ない。大振りの一撃をかわした後に攻勢に転じる心積りであったエリオにしてみれば、驚愕と言うほかない。
一連の回避動作が終了し、一瞬だけ足を止めた瞬間を狙ってシグナムの攻撃が迫る。
「あっ……」
その時、どこからか思わず漏れてしまったかのような、そんな声が聞こえてきた。
しかし、エリオはそれどころではない。
有効打を防ぐために、ストラーダをシグナムの剣筋に合わせるように掲げる。
そして次の瞬間、衝撃がエリオを襲った。シグナムの一撃は重く鋭い鋼の音を響かせ、エリオは驚くほどあっさりと弾き飛ばされる。
だが、その手応えにシグナムは表情を曇らせる。いくらシグナムとは言え、なんの魔法行使も行っていない今の一撃では、エリオをあれほど軽々と吹き飛ばすほどの力はない。
激突の瞬間、エリオは自分から背後へと飛び退ってその威力を減衰させたのだ。
「ストラーダッ、フォルムツヴァイ!」
宙を飛翔していたエリオはそのまま体勢を立て直し、ストラーダを構える。そのまま爆音を響かせ、エリオは飛翔。
だが、シグナムもその時には迎撃の態勢を整えていた。このまま突撃したところで彼女の技量を持ってすれば打ち落とされるのは必然。
しかし、エリオの目的はシグナム自身ではなく――その前面。何も無い地面だ。
そのままエリオは直下の大地に向けて、ストラーダの穂先が地面へと突き刺さり、同時にストラーダの噴射口から暴風が吹き荒れる。
その勢いに、土埃が舞い上がり、煙幕を形成する。
所詮は一時凌ぎのものではあるが、一瞬とはいえシグナムの視覚を潰せれば上等である。
見れば、シグナムは当然巻き起こった粉塵にたたらを踏むように後退している。
その隙を突いて、エリオは一気に決着をつけるために最大速度をもって、シグナムに向けてストラーダを構えたまま突撃する。
しかし、
「あっ……だめっ」
「へ?」
シグナムのものではない、その声に一瞬だけ気をとられる。
そして、その時にはもう既に決着はついてしまっていた。
「甘い」
シグナムの声が真隣から響いた。
しまった、と思ったときにはもう遅い。シグナムを捕らえるはずだった穂先は何もない空中しか刺し貫いておらず、先程の隙はシグナムがわざと作り出した誘いでしかなかったという事実。
次の瞬間には、シグナムの足払いがものの見事にきまり、エリオは派手にスッ転んでしまう。
慌てて身体を起こそうとするが――、
「チェックメイトだ」
その前に、レヴァンテインの切っ先がエリオの胸前に突きつけられてしまっていた。
その事実に、エリオは全身から力が抜けるように、その場に倒れ付してしまう。
「負け……ました」
悔しそうに呟かれるそんな言葉。それにシグナムは満足そうに頷きながら、レヴァンテインを引いた。
「うむ……隙を見逃さずしっかりと攻勢をかける判断はいいが、常に反撃は予測しておけ、手負いでもいつ牙を向けられるかは解らん」
「はい、ありがとうございました……」
項垂れながら呟くエリオ。
最近のエリオの訓練はだいたいがこんな様子だった。
シグナムの「組手に勝る修行はなし」の教えに従い、近接戦闘のエキスパートであるシグナムやヴィータとひたすらに一対一の模擬戦――もちろん、ハンディキャップ付きではあるが――を繰り返すのがここ最近のエリオの訓練風景であった。
ちなみに、戦績についてはあまりにも芳しくない。
もちろん、目的は勝敗を競うことではなく、訓練内容からより多くのことを学ぶことにあるのだが、ハンディつきで満足な勝ち星を得られないこの状況はエリオにとって悔しいこと極まりない。
いつか必ず勝ってみせる――とは思うものの、どうやらそれはまだまだ先の事のようである。
今の戦闘を脳裏で繰り返しシュミレートし、何処が悪かったか、どうすればもっと効率よく出来るのかを思考するエリオ。
そんな彼の様子を、成長する弟子を見守るように微笑ましく眺めていたシグナムだったが、唐突にその表情を険しくしたかと思うと、エリオから視線を動かした。
「ところで……どういうつもりだ、テスタロッサ」
そんな軽い怒りのこもった声に、エリオも身体を起こしてそちらを見る。
果たして、そこには木の陰からこちらの様子を見ていたフェイトが、天敵に見つかった小動物か何かのようにビクッと背筋を震わせていた。
そこでエリオもようやく思い出した。
最後の攻防の瞬間、いやそれ以前にも何度か響いた言葉は確かにフェイトのものだ。
模擬戦の最中はエリオも必死だったために誰かを特定するには至らなかったが、思い返せば確かにフェイトの声であった。
「え、えーっと……その、訓練の方はどうかなって思いまして……」
バツが悪そうに姿を現すフェイト。それにシグナムはひとつ大きな溜息をつく。
「観戦するのは別に構わんが……試合の途中で口出しするのは感心しないな。模擬戦とはいえ、一応真剣勝負だぞ」
「はい……ごめんなさい、シグナム」
シグナムの叱咤の声に、しゅんと項垂れながらも謝罪の言葉を告げるフェイト。
それにシグナムはやれやれと肩をすくめたかと思うと、
「とりあえず、今日の訓練は終了だ。エリオも身体をほぐしたら上がってよし」
「あ……はい、ありがとうございました……」
シグナムはそれだけ言うと、レヴァンテインを肩に担いでそのまま隊舎の方へと向かって去っていく。
後に残されたのは、先程シグナムに叩きのめされたばかりのエリオと、怒られたばかりのフェイト。
どうにも気まずい空気が流れてしまう。
ともすれば、重い沈黙に包まれてしまいそうな雰囲気に、エリオが気恥ずかしげに声を上げる。
「あっと……恥ずかしいところ、見られちゃいましたね」
「え!? い、いや、そんなこと……」
エリオの言葉に、慌てたように首を振るフェイト。
しかし、そんな彼女の反応に、エリオは首を傾げた。
なぜか、フェイトの様子が何時もとどこか違うと感じたのだ。明確に何処がおかしいのかは、うまく言葉には出来ないのだが、いつもの彼女ならエリオの事を慰めるとしても、真っ直ぐこちらの目を見て告げる。
しかし、何故か今のフェイトはエリオと視線を合わせない。というか、視線が定まらずに彷徨ってしまっている。
そんな彼女の反応に、エリオは単純に調子が悪いのかと心配そうな表情で歩み寄る。
「大丈夫ですかフェイトさん? なんか顔も赤いみたいですし、熱とかあるんじゃ……」
自然とエリオはフェイトに向かって手を差し伸べる。幼い頃、フェイトがそうやって熱を測ってくれたこと思い出しての行動だった。
しかし、エリオが手を差し伸べた瞬間、
「ひやぁっあっ!?」
エリオが今までに一度も聞いたことも無い類の悲鳴がフェイトの口から響いた。
フェイトはそのまま、エリオと距離を離すように後退する。
その過剰な反応に、エリオはただ呆然とフェイトの様子を見るしかない。
「えっと……あの、ごめんなさい。迷惑でした……か?」
突然の事態にワケのわからぬまま呟くエリオ。
そこでようやくフェイトも自分の今のリアクションを鑑みたのか、慌てたように首を振る。
「え、あっ、ち、違うよ。今のはそういうのじゃなくて、え、えっとその――」
しかし、こちらも冷静ではないようだ。しどろもどろな口調のまま意味を為さない言葉だけが流れ出る。
そして、結局そのまま――
「ご、ごめん、エリオッ!!」
そう言い残した後、フェイトは踵を返してこの場から走り去っていってしまった。
後には、ただ何もない空中に手を差し伸べた格好のままのエリオが一人取り残される形となってしまった。
●
フェイト(2)
フェイト・T・ハラオウンは悩んでいた。
もちろん、悩みの種はエリオのことである。
結局、フェイトはあの後、逃げ帰るように自室へと戻ってきた。
そしてその後、彼女に襲い掛かってきたのは言いようのない羞恥の感情であった。
エリオがあの時、自分のことを心配して手を差し伸べてくれたことはフェイトも理解している。
けれども、彼に触れられると思った瞬間、頭の中がパニックを起こしてあんな醜態を晒してしまった。
もし、変な人だと思われてしまったら。
いや、それならばまだいい。あんな態度をとってしまったことにより、嫌われてしまったらと思うと、フェイトはどんよりと沈み込みたい気持ちに苛まれてしまうのであった。
もちろん、エリオがフェイトのことを嫌いになるなど、第三者から見れば杞憂にしか過ぎない出来事なのだが本人はいたく真剣に悩んでいる様子であった。
いつものフェイトならば、自分に非があればすぐに本人に謝罪の言葉を告げに行っていただろう。
だが、それすらも今のフェイトには出来なかった。
結果、彼女は部屋の中に引きこもり、頭から布団を被って先程から延々と懊悩しているのであった。
「フェイトままー、大丈夫ー、おなか痛いのー?」
そんなフェイトの様子を心配して先程からヴィヴィオがぽふぽふと布団の上から優しく撫でてくれているのだが、今のフェイトにしてみればそんな優しさも痛かった。
「ごめんねヴィヴィオ……フェイトママ、もうダメかもしれない……」
「ふ、ふえっ!? フェ、フェイトママー! 死んじゃやだー!」
涙目で布団の上からフェイトの身体を抱きしめてくるヴィヴィオ。いつの間にか大惨事の様相を呈し始めていた。
そこへ、なのはが半ば呆れたような表情で帰ってきた。
彼女は、フェイトの様子を見た後、一度何処かへと連絡を取りに出ていた。
今はそれも終わったのか、フェイトとヴィヴィオがもつれ合ってるベッドに近づくと取り合えずヴィヴィオを抱き上げる。
そんなもう一人の母親の登場に、ヴィヴィオは涙目のまま縋るようになのはの方を見る。
「なのはママ! フェイトママが、フェイトママが死んじゃう!!」
「へ? あー……大丈夫だよヴィヴィオ。フェイトママのは死んじゃうような病気じゃないから」
思わぬヴィヴィオからの懇願に、驚くなのはだが、すぐに笑みを浮かべると、宥めるようにヴィヴィオにそう告げる。
「ホント?」
「ホント、ホント。なのはママに任せておきなさいっ。それでなんだけど、フェイトママの病気を治すためにヴィヴィオはちょっとアイナさんのとこに行っててくれるかな?」
「それでフェイトママ治るの……?」
「うーん、どうかなぁ……とりあえず、死んじゃったりはしないから安心して、ね」
なのはがそう言うと、ヴィヴィオは涙目のままではあるが「うん、解った」としっかり頷くとなのはの抱擁から離れ、出入り口のほうへと小さく駆けていく。
「アイナさんの、お手伝いしてくるね」
そう言って、出掛けていくヴィヴィオをなのはは小さく手を振って見送る。
そうして、ヴィヴィオが姿をけした後、なのはは改めてベッドの上で丸くなっている物体の方へと目を向けた。
「それで……フェイトちゃんはどうしたのかな?」
ベッドの傍らに腰掛け、布団の塊を撫でながら尋ねてみる。
しかし、返ってくるのは返事ではなく、もぞもぞと動くなんともいえない反応だけである。
「いやまぁ、さっきはやてちゃんとかシグナムさんから色々と話を聞いたからある程度は予想がついてるんだけど……」
ビクッ、と布団が跳ねた。
「でも、フェイトちゃんの口からちゃんと聞きたいなー、私じゃ相談できない?」
甘えるようななのはの口調。それに対してフェイトはようやく布団の中から顔を出した。
涙目である。
「なのは……ずるい」
「にゃはは、友達……だからね。それでいったいどうしたのかな?」
なのはが改めてそう尋ねると、フェイトはボソリと呟いた。
「エリオに、嫌われたかもしれない……」
「はい?」
そんなフェイトの言葉に、なのはは何を言っているのか解らないと言った様子で首を傾げる。
本人以外から見れば、そんなものである。
しかし、フェイト自身は至って真面目な様子である。自分で口にしたことにより、更に危機感が煽られたのか、今にも泣き出してしまいそうに表情をふにゃっと崩してしまう。
「ど、どど、どうしよう、私、エリオに嫌われちゃうのかなぁ? やだぁ、そんなのやだよぅ」
「ちょ、ちょっと落ち着いて。うん、落ち着こうフェイトちゃん!」
思いのほか重症のようである。ヴィヴィオの言ってたこともこれではあながち間違いにならなさそうなところが恐ろしい。
「とりあえず、何があったか教えてくれる。嫌われるかもしれないってことは、それらしいことがあったの?」
「え、えっと――」
フェイトは、たどたどしい口調で先程あったことをなのはに伝える。
エリオの訓練を見ていて邪魔してしまったこと。
その後、自分のことを心配してくれたエリオに対して、思わず逃げてしまったことなどなど。
そして、それらを聞いた後のなのはの感想はと言えば、
「そ、それだけ?」
「うん、それだけだけど……や、やっぱりダメだったかな、エリオに嫌われちゃったかな?」
自分で言いながらオドオドと小動物のように震えるフェイト。そんな彼女の様子を見て、さすがのなのはも頭を抱えたくなる。
「えっとね、例えばの話だけど、私がエリオの訓練を邪魔しちゃったりしたとするよ。その時にフェイトちゃんはエリオが私のことを嫌いになると思う?」
「え……そっ、そんなことないよ! だって私が言うのもおかしいけど、エリオは優しいし、そんなので怒ったり、嫌ったりは……」
「だよね、私もそう思う。でも、だったらおかしいよね。エリオはそんな子じゃないってフェイトちゃんは知ってるのに、なんで今は嫌われたかも知れないって思うの?」
そう言われて、フェイトもそんなあまりにも単純な矛盾にようやく気づく。
エリオがそんな事で不満を募らせるような人間ではないことをフェイトは誰よりもよく知っている。
しかし、胸の奥にわだかまる不安は一向に消えない。
「フェイトちゃんはさ、エリオに嫌われるのが怖いんじゃない?」
「え……でも……」
そんなのは、当たり前のことじゃないのだろうか。
誰だって、人に嫌われるのは怖い。
フェイトにしてみればそれはエリオだけの問題ではない、なのはや機動六課の同僚達に対しても同様に思っているはずだ。
それでも、なのはは「ううん」と首を横に振る。
「そうじゃなくて……私たちはそれぞれ色んな意見を持っている人間だから、偶には対立したり、言い争っちゃたりすることがあるよね。私とフェイトちゃんが出会ったときもそうだった」
なのはの言葉に、フェイトは昔を思い出す。
確かに、あの時フェイトはなのはとはまだ友人と呼べる関係ではなかった。
それでも、敵対したのは、なのはの事が嫌いだったわけではない。いや、あの真っ直ぐにこちらを見詰めてくる眼差しはとても嬉しいものだった。
けれど、なのはとフェイトはジュエルシードを巡って戦った。
それはただ、自分達の求めるものがそれぞれ違っただけという話。
そして、それは必要なことだ。
出会いはけして最良ではなかったが、あの一連の出来事がなければなのはとフェイトは親友とは呼べない間柄であったかもしれない。
ならば、それは大切な思い出なのだろう。
お互いの事を解り合う為には、衝突することもまた悪いことではない。
「でも、今のフェイトちゃんは、エリオに嫌われたくないって思っている。嫌われたかもしれないことが怖いんじゃなくて、嫌われることがどうしようもなく怖いんだよね」
「…………うん」
自分でも理解することが出来なかった自分の気持ちをなのはに諭され、フェイトは小さく頷く。
そうだ、フェイトはただ、エリオに嫌われたくないと心から思っていただけ。
そんな思いから、こんな有様になってしまっているのだ。
だが、なぜ自分はそう思ってしまったのか。
それこそ、フェイトはなのはの事が好きだ。できれば嫌われたくないと思うし、ずっと仲良くありたいと願う。
だが、例えなんらかの原因があって衝突したとしても、ここまで不安になることはない。
きちんと話合えば解りあえると信じているし、だからこそ今も彼女と友人でいられると思っている。
だというのに、エリオに対してはそう思うことが出来ない。
嫌われたらどうしよう? 変だと思われたらどうしよう?
考えるだけで、そんな不安が次から次に溢れ出して来る。
そんな葛藤を続けるフェイトに向けて、なのははおかしそうに微笑みながら問いかける。
「フェイトちゃんは、エリオの事が信じられない?」
「そ、そんなことはないよ!」
返答は、フェイト自身も驚くほど反射的に告げられていた。
「だって……エリオは優しいし、ちゃんと人の痛みとかそう言うのが解るし、最近は逞しくなってきて、それでも間違ったりしないでちゃんと自分の夢に向かって真っ直ぐに進んでいけてる。それに、私が悩んだり迷ったりした時は絶対に助けにきてくれるって約束してくれたんだ! だから、だから……」
とめどなく言葉が溢れる。
それは考えての言動ではない。ただ単純にフェイトの心のうちにある思いが堰を切ったように溢れ出しているだけだ。
そんな必死な様子のフェイトをなのはは、ただ嬉しそうに見つめる。
「じゃあ、そういうことなんだよ」
なのははただそれだけしか言わなかった。
あとはただ、フェイトに微笑みを向けるだけで、けっして答えを述べることはなかった。
フェイトはそんな親友の笑みをただ見て――それから、顔を赤く染めると、そのまま再び布団の中に潜り込んでいってしまった。
「わかんないよぅ……」
力無い、そんな呟きが布団の中から漏れる。
「にゃはー! フェイトちゃんは可愛いなぁ、ホントに」
そう言って、なのはは先程のヴィヴィオと同じように布団の上から丸くなったフェイトを抱きしめるのであった。
●
エリオ(2)
エリオ・モンディアルは悩んでいた。
もちろん、悩みの種はフェイトのことである。
似たもの同士ここに極まれり、と言った様子であるがフェイトの今の状況がどんなものか知る由も無いエリオに言っても詮無いことだろう。
とにかく、彼は先程から悩み続けていた。
なにしろ、自分はフェイトに嫌われたのかもしれないのだ。
まったくもって、第三者から見れば呆れ交じりの溜息しか出ない状況である。
しかし、エリオにしてみれば重大極まりない案件である。
説明するのも今更ではあるが、彼が悩んでいるのは先程のフェイトが見せたリアクションによって引き起こされた代物だ。
エリオにしてみれば、あの時はフェイトの様子がおかしく、思わず手を差し伸べただけなのである。
だが、フェイトに逃げられた――しかも、悲鳴まであげられて。
そんなフェイトの反応は、エリオに思いのほか深いダメージを負わせていた。
もちろん、フェイトが懸念していたように、彼女のことを嫌いになったりはしない――するわけがない。
ただ、エリオは自分がフェイトに対して何かしでかしたのではないかと、暗澹たる気持ちになるだけであった。
しかし、その原因がエリオにはまったく解らない。
いきなり触れようとしたのがマズかったのだろうか?
それとも、始めから様子がおかしかった事から鑑みるに、以前になにかしでかしてしまったのだろうか?
思えば、最近のフェイトの様子はどこかおかしかった。
JS事件が収束し、六課全体が落ち着き始めた頃からだろうか。気づけば、特に話しかけてくる用件も無い様子なのにフェイトはエリオの事を観察するようにチラチラとこちらを見ることが多くなっていた。
だというのに、いざ正面から話す機会が訪れるとどこか上の空で、視線がうまく交わらないことが度々ある。
うまく噛みあっていないというか、避けられているかのようなそんな感覚。
他のものからすればあくまで気のせいと言っても仕方の無いレベルの差ではあったが、幼い頃からフェイトのことをよく知るエリオにとって、それはどうしても拭いがたい違和感であった。
そうして、そんなエリオの感じる違和感は先程の一件において、明確な異常となった。
やはり、気づかぬ間に、何かフェイトに失礼なことをしてしまったのではなかろうか?
そう思考すると、ますます気持ちは消沈していく。
だが、やはりエリオはその原因についてまったく心当たりがない。
騎士を目指すものとして、普段から清廉な行いを心がけているエリオではあったが、何気ない一言が誰かを傷つける可能性が無いわけではない。
できることならば、その原因を突き止め、フェイトに謝りたいと思うエリオではあったが、その手掛かりすらまるで解らない。
ゆえに、エリオは手っ取り早く、その原因を探るために第三者に相談してみることにした。
そうして、一連の出来事を一から順序だてて説明した後、相談相手から告げられた言葉は、
「そりゃあ、フェイトさんがオマエの事を好きなんじゃねーの?」
そんな、確実に的を射た答えだった。
しかし、相談を持ちかけたエリオにとって、それはどこまでも非現実的な回答としか思えなかったようだ。
どこまでも、呆れたような表情のまま溜息混じりに呟くエリオ。
「ヴァイスさん、僕……これでも真面目に相談してるんですけど」
エリオは、この人を相談相手に選んだのは間違いだったんじゃないだろうかと思いつつ呟く。
しかし、こんな相談を持ちかけることが出来る人間が他に思い浮かばなかったのも事実だ。
チームメイトであるスバルやティアナに持ちかける案もあったが、会話するだけならまだしも、相談事を持ちかけるには異性であるという事実がどうしても気後れしてしまう要因になる。
その点、ヴァイスは同姓であり、エリオからしてみれば頼れる兄貴的存在である。
相談を持ちかけることに掛けては適任だろう――と、エリオは思っていた。
本来ならば、フェイトの事でありキャロに相談してみようとも思ったが――それが彼にとって幸か不幸かは解らないが――何故か捕まえることができなかった。
そうした諸々の理由が重なり、ヴァイスに相談したわけなのだが、これもまた失敗だったかとエリオは深い溜息をつく。
だが、そんなエリオの態度にヴァイスはいたく不満げに表情を歪めた。
「おいおい、これでも真面目に考えて言ってやってるんだぜ? なにが不満なんだよ」
「だったら、なんでそんな奇天烈な答えになるんですか!」
真面目にそう反論するエリオではあったが、そんな彼の言にヴァイスは僅かに表情を引き締める。
「んじゃあ聞くが、なんでオマエはありえねえって言えるんだよ?」
僅かにも笑みを含ませない真面目な口調で呟かれる疑問の声に、エリオは気圧されるように息を呑む。
ここで、エリオもヴァイスが冗談でそんな事を口走ったのではないとようやく理解する。
だが、そうだとしても、ヴァイスの言葉は突飛に過ぎる――とエリオは思うのであった。
「ヴァイスさんが言ってるのって家族愛とかそういうのじゃないんでしょ? だったらそんなの、ありえませんよ……」
「なんでだよ」
どこか寂しげに呟くエリオの言葉に、ヴァイスは間髪いれずに理由を尋ねる。
その思わぬ迫力に、エリオも思わずたじろきながらも、たどたどしく理由を語りはじめる。
「だって、僕ですよ? フェイトさんから見れば、まだまだ子供みたいなもんですし、そんなことあるわけが――」
自分で言っていて、なぜか胸の奥がズキリと痛んだ。
エリオは子供であり続けることを望んでなどいない。
無理に背伸びするつもりなどないが、立派な騎士となり、フェイトと対等の関係に――彼女を守れるような存在になりたいと心から願っている。
それでもフェイトから見れば、自分はまだまだ子供でしかないのだろう。
そう思いながらも、実際に口にすると痛みが生まれるのは、自分が理想の姿にまだまだ届いてないことを再確認してしまうからだろうか。
だが、それはあくまでエリオの個人的な感想である。
ヴァイスは、エリオの述べる言葉にただ呆れたような眼差しを送るだけであった。
「そりゃあよ、俺だってフェイトさんがオマエのことどう見てるかなんて明言できねえけどよ。オマエのいう子供ってなんだよ?」
「え?」
ヴァイスの言葉に、エリオは俯きがちになりかけていた自分の顔を上げる。
確かに、ミッドチルダにおいて明確な大人と子供の境界線など無い。
いや、どんな世界にだってそんなものは無いのかもしれない。
では、どうやって人は子供から大人になるというのだろう。
立派な騎士――ひいては大人になりたいと願うエリオであったが、その境界について真剣に悩んだことはなぜか今まで無かった。
今よりも更に力をつけて、フェイトよりも強くなれたのならば大人になれるんだろうか?
フェイトの元から自立し、一人で生きることが出来るようになったら大人なのだろうか?
考えては見るが、どうにも実感が沸かない。
そんなエリオの呟きを耳にして、ヴァイスはおかしそうに笑う。
「ははっ、なんかオマエの基準ってフェイトさんなんだな」
ヴァイスのそんな言葉に、エリオは思わず押し黙ってしまう。
確かに、彼の言うとおりだった。
結局のところ、自分はフェイトに認めてもらいたいのだろう。
そうして、初めて一人前になれるのだと、エリオは思っているのだ。
ならば、自分は何時、彼女に認められるんだろう?
「でもよ大人なんてもんは誰かに言われてなるもんじゃねえよ、気づけばいつの間にかなっちまってるもんなんだよ」
「そういうもの……なんですかね」
ヴァイスの言うことも解るが、やはりエリオには実感が沸かない。
不満げな表情を隠すこと無いエリオに、ヴァイスは「そんなもんさ」と手をひらひらさせるだけだ。
「ま、深く考えてもしょうがないってことだろーよ」
「……結局、そういう結論になるんですか」
軽く呟くヴァイスの言葉に、エリオは呆れ気味の表情を浮かべるしかなかった。
これ以上相談を続けても実りある解答は得られないだろうと考えたエリオはお礼の言葉を言ってその場から立ち上がる。
だが、そんなエリオの背中にヴァイスは言葉を投げかけた。
「ああ、そうだエリオ、ちょいと聞いてみてもいいか?」
はい、と振り替えるエリオ、しかしヴァイスはどこか言い難そうに頬をかいていたりする。
「いやぁ、これは単なる例え話って事で考えてもらいたいんだが……」
「なんかヴァイスさんらしくないですね。なんですか?」
「いや、さっきの話の続きさ。フェイトさんがオマエのことを好きかもしれないって話」
「だから、それは――」
エリオとしては、それはあまりにもありえない話である。
だから、そう否定の言葉を重ねるが、そんなエリオの反論をヴァイスは手で制する。
「まぁ待て、例え話だよ。もし、そうだったとしたら、オマエはどうするつもりなんだ?」
そう言われ――――エリオは答えることができなかった。
反論の声も、どうするつもりなのかも言うことができなかった。
「言いたくないなら別にいいさ、けどよ、何も言えないだけなら、ちょっとは考えておいた方がいいぜ」
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