愛しい貴方に輝きを (2)
フェイト(3)
フェイト・T・ハラオウンは思考する。
考えるべきなのは、もちろんエリオの事だ。
なのはが相談に乗ってくれたことで、なんとかネガティブ方向へと向かってしまいがちな精神状態から復帰する事はできたが、ぐるぐると回る思考が正常に戻ることは無かった。
より、明確に言うのならば自分の気持ちがどうにも解らない。
なのはが、自分に何を言いたかったのか――それぐらいはフェイトにだって理解することはできる。
それ以前に、はやてにも随分と直接的に尋ねられたのだ。
しかし、本当にそれがフェイトが今抱えている悩みなのかどうかが解らない。
フェイトにとってエリオは大切な存在である。
それだけは、決して間違いない。
彼が自分と同じ運命と言う名の業に囚われた存在だからではない。
被保護者となって、彼と一緒に過ごした日々。
そして、機動六課で同じ部隊の仲間として戦った記憶。
それらの積み重ねが、エリオ・モンディアルという存在がフェイトにとって大切なものであることを確固足るものにしている。
だが、それはあくまで前提条件にしか過ぎない。
大切であると言うのならば、キャロやなのは、それに機動六課の仲間達。彼等もまたフェイトにとって掛け替えのない大切な存在である。
だと言うのに、今、自分の中で彼女達とエリオを明確に分ける境界のような物が出来上がってしまっている。
エリオにだけしか抱かない思いが、フェイトの胸の底にあるのだ。
それはもう、認めざるを得ない真実だ。
フェイトはエリオの事を意識している。
だが、なぜそうなのかが、フェイトには解らない――いや、あえてその答えを避けている。
だから、彼女は可能性を一つ一つ潰していく。
その先にあるのが真実の答えであると信じて。
フェイトにとってエリオというのは大切な家族だ。
それ以上もそれ以下もない――掛け替えのない存在なのだ。
だが、今のフェイトにとってエリオはただ家族と言うだけではないのかもしれない。
家族と言うのならば、アルフやハラオウン家の人々、それにキャロだってそうだ。
試しにと、彼等の顔を脳裏に思い浮かべてみる。
誰もが、愛すべき大切な人たちである――それはいい。
しかし、最後にフェイトがエリオの顔を思い浮かべた途端、心臓の鼓動が一際高く鳴り響いたかのような錯覚に陥る。
抑制することの出来ないドクンドクンと脈打つ鼓動の音に、頬が赤くなっていくのが解る。
ダメだ。これはもう、決定的だ――と、フェイトはその場に崩れ落ちそうになりながら観念する。
本当は、最初から解っていた。
ただ、気恥ずかしさから意識の外側へと無意識にその答えを追いやっていただけなのだ。
だが、もはや決定的だった。
エリオの顔は、もう脳裏にこびりついて離れることなどないし、油断すれば人の目も憚らず大声で叫びだしたくなるような衝動が襲い掛かってくる。
ありったけの自制心を動員し、口を塞ぐフェイト。
それでも、体温はタガが外れたように上がっていき、心臓の鼓動はもう耳にうるさいほどにバクバクと鳴り響いている。
どこかで、発散しなければ爆発してしまいそうだった。
だから、フェイトは誰にも聞こえぬように、小さく呟く。
「………………好き」
そう呟いた途端、足下から急激に力が抜けた。
まるで腰が砕けてしまったかのように、その場に膝を突き、壁に寄りかかってようやくバランスを得る。
無言のまま、フェイトは自分の顔を覆う。自分でも充分理解できるほど真っ赤になった顔は誰が見たって不審に思えると、理解したうえでの行動だ。
羞恥に耐えるように、フェイトはそのまま熱が引くのをただ待つ。
それだけしかできそうになかった。
「や、やだ……私、何で……」
頬を抑えつつ、呟いてみるが答えが返ってくるはずもなかった。
ただ、返ってきたのは――
「あの、フェイトさん、大丈夫ですか?」
心配そうに背後から降りかかるそんな声だった。
瞬間、フェイトはまるでバネ仕掛けの人形か何かのように、その場から跳ね上がり、軽く数メートルはその場から後退する。
自分でも驚くほどの挙動だと思った。戦闘でもこれほど反射的に動くことは稀である。
先程とは、また趣の違う心臓音を耳にしながら、フェイトは声のした方向を注意深く眺める。
そこには、唖然とした表情のまま立ち尽くすティアナ・ランスターの姿があった。
「ティ、ティティティティアニャ!? ど、どうしたの!?」
「いえ、それはこちらのセリフなんですけど……本当に大丈夫ですか?」
不思議そうに首を傾げるティアナ。
まぁ確かに、誰が見たって今心配されるべきなのはフェイトの方だろう。
そこで、ようやく自分がいまどういう有様か思い返したフェイトは、千切れるのではなかろうかと心配なくらいに首を横に振る。
「だ、だだだ、大丈夫! うん、大丈夫だから!」
「はぁ……」
どう見ても大丈夫な様子でないフェイトに、ティアナもどうしたものかと非常に困った表情を浮かべている。
「なんでしたら、別の機会にしておきましょうか? なんだか調子悪そうですし」
手に持った資料を掲げながら呟くティアナ。
それは執務官試験に関するテキストやら何やらが詰まったものだ。
そこでフェイトは自分が何処に向かっていたのかを思い出す。
今日は今からティアナの執務官試験対策に、いろいろと簡単な説明や抗議を行う予定だったのだ。
その為、フェイトは布団から抜け出し、待ち合わせ場所である食堂に向かっていたのだ。
「だ、大丈夫だよ! 体調が悪いとかそんなんじゃないから……じゃあ食堂の方に行こうか」
とりあえず、やるべき目的を思い出したことによって、フェイトもようやく落ち着きを取り戻す。
それでも、やはり本調子とは程遠いギクシャクとした足取りで食堂へと向かって歩を進める。
ティアナもとりあえずその隣に並ぶが、どう好意的に見ても今のフェイトの様子は限りなくおかしい。怪しいと言っていいかもしれない。
「フェイトさん、なにかあったんですか?」
「ナ、ナニモナイヨ?」
何かあったと言葉よりも、その表情が明確に物語っていた。
この尊敬すべき執務官が戦闘においては無敵と言っても過言ではない程の能力を誇ると言うのに、日常生活においてはちょっとした逆境に弱い事をティアナも機動六課に所属して数ヶ月でなんとなく程度には理解していた。
「私でよければ相談に乗りますよ。フェイトさんにはいつもお世話になってますし……力になれるかどうかは解りませんが……」
フェイトの歩みが唐突に止まる。
思わず先を言ってしまったティアナも慌てて停止する。
「あっ、もしかして、あんまり触れられたくないことでしたか、だったらすみま――」
フォローの言葉と共に振り返るティアナ。
だが、そんな彼女の視線の先には、
「ティ、ティアナぁ……」
瞳に涙を浮かべる尊敬すべき執務官の姿があった。
●
エリオ(3)
エリオ・モンディアルは思考する。
考えるべきなのは、もちろんフェイトの事だ。
本来ならば、悩み事を解決するためにヴァイスに相談を持ちかけたのだが、結果はあまり芳しいとはいえない。
いや、むしろ新たな悩みが増えてしまった。
がくりと肩を落としつつ、日も落ちた六課の遊歩道をフラフラと彷徨うエリオ。
本日の訓練も終了し、オフシフトとなっていたが特別やるようなことなど何もない。
休息をとるにしても、このままだと悪夢に苛まれそうな予感すら感じる。
いや、確実に見る。
夜空を見上げ、深い溜息をつく。
そんなエリオの脳裏にこびりついてるのは、別れ際に尋ねられたヴァイスの些細な問いかけだ。
「あんなこと、言われてもなぁ……」
例えばの話。
もし、フェイトが自分のことを好きだとするのならば、自分はどうするのか?
それは、エリオにとってあまりにも現実離れした例え話だ。
いっそ、バカバカしいと表現してもなんら差し支えは無い。
そんなこと、あるわけがないのだ。
エリオは心の底から、そう思っている。
事実がどうあれ、エリオにとってはそれが真実なのだ。
だから、ヴァイスの問いかけを真剣に考える必要など無い。
それがありえない状況である以上、考えることなど時間の無駄でしかないのだから。
だというのに、エリオの胸の奥にはわだかまりのように、そんなつまらない例え話がこびりついている。
無意識のうちに、その言葉を考えてしまっている自分が存在する。
なんて、自意識過剰な――と、自己嫌悪に陥ってしまいそうになるエリオ。
「例えば、そう、本当にありえなくて、バカみたいな妄想だけど、フェイトさんが僕のことを好きだとする……」
あえて声に出してみる。
そのあまりの違和感に「やっぱり、ありえないよなぁ」と自問するも、思考を続ける。
もし、そうだったとして、自分はどう思うのだろう?
それは、エリオにとって忌避すべき出来事なのだろうか?
そんなわけがない。
エリオにとって、フェイトというのは保護者と被保護者の関係である以前に、尊敬すべき憧れの存在である。
そんな人に、好意を寄せられて、嫌なわけが無い。
ならば、それは喜ばしい出来事なのだろうか?
考え、そして、それもまた何か違うような気がすると、エリオは思う。
フェイトの事が嫌いなわけじゃない。
それでも、それはなにか違うような、そんな気がするのだ。
付き纏うのは、どうしようもないほどの違和感。
自分がフェイトの隣に居る光景を思い浮かべると、それがどうしてもエリオに襲いかかってくる。
似合わない、どうしようもなく、そんな光景が自分には似合わないのだ。
家族として、彼女の傍らに存在すると言うのならばしっくりくる。
それ以外に、在りようは無いと言っても過言ではないくらいだ。
だが、パートナーとして彼女の隣に自分が居るところを想像すると、その印象は百八十度反転する。
変だ。おかしい。滑稽すぎる。
「……なんだ、やっぱり、ありえないんじゃないか」
小さくエリオは呟く。
想像の中でさえ、それはやはりありえない光景でしかなかった。
ならば実際にそんなことが起こる筈が無い。
それについて、悩むなどあまりにもバカバカしいことでしかないのだ。
そう考えると、幾分か気が楽になった。
このまま眠りに付いても悪夢に悩まされることはない程度には。
そうやってエリオが自己完結し、いい加減、夜の一人歩きもどうだろうと考え始めた、その時だった。
背後から、聞き覚えのある声が聞こえた。
「あれ? エリオ?」
振り返り、声の主を視界に入れる。
そこにはトレーニング中だったのだろうか、いつもの訓練服に身を包み、額から汗を流すスバルの姿があった。
「あ、スバルさん……自主トレですか?」
「うん、ちょっと軽く走ってたんだけど……エリオは?」
問われ、エリオは一瞬だけ言い淀んだ。
だが、すぐに気を取りなおすと、何時もと同じ笑みを浮かべて答える。
「ちょっと散歩です。もうそろそろ戻ろうと思ってたとこですよ」
「あ……そう、なんだ……」
何故か、エリオのそんな言葉に不思議そうに首を傾げるスバル。
なにか、今の自分の言動におかしなところがあっただろうかと考えてみるが、それほどおかしな部分は無いはずだ。
どちらにしろ、あまり引き止めてしまうのも悪い。
そう考えたエリオは、さっさとこの場から退散することにした。
「っと、お邪魔しちゃったみたいで、すみません。僕はもう行きますね」
そう言って、その場から離れようとするエリオ。
だが、その動きはスバルから掛けられた声によって、引き止められることになる。
「エリオ……なにか悩み事?」
そのものズバリを言い当てられて、思わずドキリとする。
だが、エリオはならべく動揺しないようにと勤めながら、振り返る。
「えっと……実はちょっと前まで色々と悩んでました。でも、もう解決したから大丈夫ですよ」
そうだ、エリオを悩ませていた悩みはもう解決したのだ。
だから、もう自分は悩んでいない。
エリオは自分にそう言い聞かせる。
けれど、スバルにはそんなエリオの意図は伝わらなかったようである。
「うーん……それってさ、嘘、だよね」
嘘じゃない。
嘘なんかじゃない。
だって、それはもう終わった悩みなのだから。
「ち、違いますよ! 確かに、さっきまでは悩んでましたけど……」
「エリオはそう言うけどさ、もう悩んでない人は、そんな泣きそうな顔してたりしないよ?」
言われ、エリオは思わず自分の顔に触れる。
笑っている、つもりだった。
いつもとなんら変わらない表情を浮かべている筈だった。
しかし、それはやはりエリオがそうしようと思っていただけで、彼の表情はスバルの言うとおり今にも泣きそうなくらいに歪んでしまっていた。
「えっとさ、言いたくない悩みなら言わなくてもいいよ。でもさ、相談して、ちょっとでもエリオの悩みが軽くなるんなら……聞いてあげるよ? 私たちは仲間なんだからさ」
●
フェイト(4)
「それで、どうしたんですか、フェイトさん」
夕食時もとうに過ぎ、閑散とした食堂の片隅。
そこでフェイト・T・ハラオウンは目の前のティアナに対して、なんと言ったらいいものか悩んでいた。
相談に乗ってくれるという彼女の言葉は確かに嬉しかった。
だがしかし、年下。それも六課卒業後は直属の補佐官になるかも知れない相手に対して恋愛相談と言うのは如何なものか。
ここまで来る途中で我に返ったフェイトはそんな当たり前の対面をようやく思い出した。
いや、まだ普通の恋愛相談ならいい。
シャーリーとも、恋愛事はほぼ皆無だがそうした何気ない相談にはいつも乗って貰ったりもしている。
それ自体は、それほど気にすることではないのかもしれない。
だが、だがしかしだ。
いま、フェイトが恋煩っている相手と言うのが些か問題だった。
フェイトはエリオ・モンディアルという少年に恋している。
よくよく考えてみれば、コレは些かとんでも無い事態だ。
保護者と被保護者という関係もおおいに問題があるが、それを除外しても度外視できぬ問題がある。
年齢だ。
十歳。それは誰がどう見たって少年と呼ぶしかない年頃である。
そんな少年に本気で恋してしまった。
ダメだ。これはダメすぎる。
頭の中を心配されてもしょうがないレベルの代物である。
これを正直に告白してしまっては、フェイトの沽券はガラガラと音を響かせながら崩れ去ることだろう。
別段、尊敬されたいとかそういう欲求の無いフェイトだが、これからも付き合っていくことになるティアナに信用されなくなると言うのは些か問題があった。
そんな想像を張り巡らせて行くと、フェイトの顔はみるみる内に青褪めていく。
「ほ、本当に大丈夫ですか、フェイトさん!?」
「え!? あ……う、うん、大丈夫。大丈夫だよ!」
心配そうに尋ねてくるティアナに反射的にそう答えるものの、自分が既に大丈夫でない状態であることはフェイトにも充分理解することが出来た。
さすがに、このまま有耶無耶で終わらせることは不可能だろう。
いや、それ以前に、フェイトはもう自分の気持ちを偽りたくは無かった。
エリオの事を好きだと言う事実は彼女にとってもはや大切な思いだ。
それを冗談として、笑って済ますことは純粋なフェイトには出来そうになかった。
だが、その思いをそのままティアナに伝え、相談することもできない。
そこで、フェイトの頭の中に天啓が閃いた。
少なくとも、フェイトにとって、それは天啓以外の何者でもなかった。
「あ、あのっ、ティアナ! こ、これはね、例えばの話。そう、例えばの話なんだけどね!!」
「は……はぁ」
フェイトは、話のはじめにそう強調することにした。
あくまで、今から話すことは架空の作り話と言うことにしたのだ。
そうだ、なにも正直に話す必要など無いのだ。
これならば、相談したところでフィクションということで通せる筈。
フェイトは心の底からそう思っていた。
だが、それで果たしてティアナを騙せることができるのかどうか、そこまでフェイトは考えが至らなかった。
結局のところ、フェイトは未だに落ち着きを取り戻せていなかったのだ。
「その……ね、とある人のことが、好きになっちゃったんだ」
頬を染め、恥ずかしがりながらも、しっかりと告げるフェイト。
それは誰がどう見ても、彼女自身の確かな思いではあった。
しかし、ティアナはそんな必死な様子のフェイトに対してふと、笑みを浮かべる。
「それは、とある人、の話ってことでいいんですよね」
「う、うん、そう、た、例え話だよ!」
我に返り、慌てて首を縦に振るフェイト。
しかし、ティアナもそれ以上言葉を挟むことなく、フェイトに続きを促す。
「で、でもね……その、相手が凄く年が離れてるって言うか……年下って言うか……」
「はぁ……なるほど……」
この時点で、ティアナもフェイトのいう人物が誰かはおおよそ特定できたのだろう。
恋愛に対してはティアナも得意ではない。むしろ苦手な部類の話になるが、それくらいは解る。
その上で、ティアナもまた難しそうに眉根を寄せた。
「あ、あはは、や、やっぱりこういうのっておかしいよね」
そんなティアナの反応に、フェイトも自嘲気味に笑う。
「あっ、いや、そういうわけじゃなくて……ただ、私も経験は無い方なんでちょっと驚いたと言うか、十歳も年が離れてるとどーなのかなって」
「ち、違うよっ。九歳差だよ! ギリ一桁だよ!」
慌てて反論するフェイト。かなり必死の様子と言うか、そこは譲れないラインらしい。
それにしても、例え話という前提は何処に行ってしまったんだろうか?
「ほ、ほら一桁だったら、それほど珍しい年の差ってワケじゃないよね!」
「ま、まぁそれはそうかもしれませんけど……やっぱり多少の犯罪臭が……」
「は、犯罪!? ダ、ダメなのかな! やっぱりダメなのかな!」
フェイトも理解はしていた。
これが例えば九歳年上の相手だとすれば、それほど問題ではないだろう。
だがしかし、その逆と言うのが少々いただけないと言うか些か良俗的ではない。
その事実を、こうして第三者の口から改めて聞かされ、フェイトの表情は悲壮感漂うものとなる。
解っていた。解っていたのだ、所詮叶わぬ恋であるということは。
「う、うふふふ、そうだよね。私なんて、おばさんだよね。あはははは……」
何処か遠い世界を見つめ始めるフェイト。
なにやら臨界間際の様子である。
「た、例えば! とある人の話ですよね!!」
「いいの、うん、もういいんだ、ティアナ……」
慌ててフォローを入れるティアナだが、フェイトは既に椅子の上で膝を抱え、黄昏続けている。
その姿はもはや威厳もへったくれもない。
そんな執務官の様子に、小さく溜息をつきながら諭すように呟く。
「ですから、あくまで今のは一般的な意見ですよ……でも、フェイトさんはもう決めたんですよね?」
「ふ、ふぇ……?」
「そんな風に見られるかもしれないって、解っていても、それでも好きになっちゃったんですよね」
ティアナにそう言われ、フェイトは考える。
そうだ、そんなことは最初から解っていた。
自分が年端も行かない少年に恋したこと。
それが祝福されがたい関係であること。
ともすれば、糾弾されるかもしれないものであること。
でも、それでも――
「うん、好きになっちゃったんだ……」
その気持ちだけは、けして揺るがない。
「じゃあ、この相談に意味ないじゃないですか」
「あ、あははは、そ、そうだね……」
笑みを浮かべたまま呟くティアナに、フェイトは照れたようにはにかむ。
結局のところ、気づいた思いを止めることは誰にもできそうになかった。
●
エリオ(4)
「はい、これ。スポーツドリンクだから、あんまりおいしくないかもしれないけど」
「いえ、ありがとうございます」
そう言って、エリオはスバルの差し出したカップを受け取る。
六課の敷地内に敷かれた遊歩道、そこから少し離れた芝生の上に、今二人は座っている。
「それで何があったの? お姉さんに話してみ?」
スバルもそんなエリオの隣に座り、安心感を与えるような笑みをエリオの方へと向けてくる。
その表情に、エリオもつられたように、ぎこちない笑みを浮かべた。
正直なところ、スバルに話すことなどなかった――筈だった。
エリオの中で、答えはもう出てしまったし、それを覆すつもりもない。
はじめはスバルの誘いを断り、このまま帰ろうかとも思ったが、それはできなかった。
悩んでいない。
そう、自分に言い聞かせようとも、腹の底に溜まった言葉に出来ない黒々としたものが、ずっと否定し続けていた。
だから、気づけばエリオは知らぬうちに口を開いていた。
「ちょっと、フェイトさんと色々ありまして……」
「フェイト隊長と? それはまた……珍しいね……」
「あ、いえ、それ自体はもうそれほど悩んでいないんです」
空を見上げてそう呟くエリオ。
事の発端は確かに、フェイトの様子がおかしかったことだろう。
けれど、今のエリオはそれについて悩み続けているわけではない。
自分でも驚くことだが、それよりももっと、エリオを苦しめている事が今はあるのだ。
自分自身の気持ち。
それが、今のエリオには解らない。
答えを見つけたはずだった。
それが、全てを解決するためのたった一つの解答のはずだった。
けれど、スバルの言うとおり、わだかまりが残る。
それはエリオにとって、信じ難いことだった。
「それで、ヴァイスさんに相談したんですけど、その時に言われたんです――もし、フェイトさんが僕の事を好きだとしたら、僕はどうするのかって?」
だから、エリオは考えた。
そして、答えをだしたのだ。
「そんなことありえないんですけど、考えました……それで、僕はどうやったって、フェイトさんの隣に居るには相応しくないって、そう思ったんですけど」
自分で呟きながら、胸の奥がズキリと痛むのを感じた。
そうだ、この痛みだ。
この痛みが、自分を幻想に繋ぎとめる。
現実を、直視させようとしない。
そんな、ありえない光景を求めてやまない自分が存在する。
過ぎた願いだと言うことを、誰よりもエリオ自身が理解していながら。
それは、おそらく幸せな光景なのだろう。
彼女の隣に、ずっと自分が居られる。
それがどれほど幸いなことか、エリオは知っている。
だが、それはあくまで自分が幸せであると言うだけの話だ。
果たして、自分が隣に居ることでフェイトは本当に幸せになれるんだろうか?
解らない。そんな未来のこと、エリオは解らない。
もし、フェイトの隣に居る自分が、彼女を傷つけてしまったら。
もし、彼女を悲しませるようなことになったら?
そんなこと、あるはずが無いと言い切れるほど、エリオは傲慢ではなかった。
なら、そんな不確定な未来に思いを馳せるくらいならば――最初から求めない方がどれほど救われるだろうか。
故に、エリオは否定する。
そんな、未来の全てを。
「ははっ。なんか、バカみたいですよね。ちゃんと決めたはずなのに、ズルズル引き摺っちゃって――カッコ悪いなぁ」
だから、エリオは自嘲気味に笑いながら、悲しそうに呟いた。
まだ、胸の奥に残る痛みに耐えながら。
そんなエリオの独白を、ただ黙したまま聞き続けていたスバルは、そんなエリオの最後の言葉を聞いて、
「うん、今のエリオ、カッコ悪いよ」
まるで、止めを刺すかのような、痛烈な言葉の一撃が、エリオの胸に突き刺さった。
その痛みを感じながら、それでも、これでよかったんだろうと、エリオは考える。
だが、そんな諦めの表情を見せるエリオに、スバルは表情を引き締めながら告げる。
「エリオはさ、ただ怖がってるだけだよね」
「そう……ですね」
言われ、納得する。
そうだ、自分は怖がっている――と。
フェイトを幸せにする自信が無いのだ。
だから、求められた答えを否定する。
それが、逃避であることなど理解していた。
ただ、圧し掛かる責任と言う名の重圧から、無様に背中を晒し、逃げようとしていることなど知っていた。
「でもっ……でもっ、それはいけないことなんですかっ!」
言葉は叫びとなり、夜気を震わす。
胸の奥に溜まった思いが暴発するように、曝け出される。
「僕は子供で! まだ全然未熟で! だから、逃げたって仕方ないじゃないですか!! そんなもの背負えって言われたって僕にどうしろって言うんですか!?」
それこそ、ただの子供のようにエリオは叫ぶ。
それが、みっともない事であろうが、もはや構わなかった。
ただ、彼は逃げたかったのだ。
しかし、スバルは、そんなエリオの姿を真っ直ぐに見つめたまま。
「それは、違うよね?」
「……え?」
スバルから告げられた否定の言葉に、エリオは激情の中から我に返る。
「それはエリオの本心じゃあないよね?」
「そ、そんなこと……」
スバルの言葉にエリオは言い淀む。
なぜか、その言葉に強弁に反論することは出来なかった。
「六課の皆が知ってる。エリオは子供だからとか、未熟だからとか、そんな言い訳をして逃げるような子じゃないって」
「そ、それは――」
それは、ただの過大評価だ。
だって、自分は今それを盾にして、逃げようとしている。
だが、エリオはいったい何処から逃げようとしているのか?
何から、逃げようとしているのか?
「エリオが怖がってるのは責任とかなんかじゃなくて。ただ、フェイトさんに捨てられるかもしれないのが、怖くて怖くて仕方ないんだよね?」
ぶるり、と身体の芯が震えたような気がした。
それこそが、エリオ自身気づくことの出来なかった、本当の気持ち。
自分の矜持や信念をかなぐり捨ててまで、隠し通したかった――本音だった。
「な、なんで……そんな、ことっ。フェイトさんが、そんな……」
けれど、エリオはそれを認めない。
認めるわけにはいかなかった。
だが、必死に声を紡ごうとしても、身体の震えを抑制することが出来ない。
スバルの言葉を必死で否定しようとするが、それを許さない存在が居る。
真実と言う名の、エリオ自身がよく知る思いそのものが――だ。
フェイトが自分を捨てる。
そんなこと、あるわけが無いのに、震えを止めることができない。
エリオの深奥に刻まれた傷跡が、彼を苛ませ続けていた。
エリオ・モンディアルは一度捨てられている。
大切な、それこそ捨てられることなど無い筈の大事な、大事な人たちに。
エリオは彼等のことを愛していた。
そして、彼等もエリオの事を愛していてくれた――筈だ。
少なくとも、エリオはそう信じてきた。
けれど、捨てられた。
それは、彼等の意思によるものではなく、もっと大きな力に引き裂かれた結果なのかもしれない。
それでも、エリオにとって、それは捨てられた事とそれほど変わらなかった。
そうして、その一連の出来事は彼の心に大きな傷跡を残した。
だが、それはもう過去の出来事。
既に癒された傷跡でしかない。
エリオはフェイトに救われた。
絶望の淵からエリオを救い出し、そして新たな絆となってくれたのだ。
それもまた確かな真実だろう。
だからこそ、いまエリオはこうして生きていられるのだ。
しかし、心に付いた傷痕は、癒されることはあったとしても、その傷が完全になくなることなど無い。
もう二度と捨てられる事など無いと、果たしてエリオに断言することができるだろうか?
エリオにとって彼等は大事な……大事な人たちだった。
別れが来るなんて、考えたことも無かった。
けれど、別れは唐突に訪れた。
エリオの思いなど嘲笑うかのように、至極あっさりと。
ならば、フェイトに捨てられないと明言することなど出来るわけがない。
例え、世界中の誰もがそんなこと起きるわけがないと言おうとも、エリオ自身がそれを信じることができるわけが無かった。
今はうまくいっている。
それが奇跡なのか、ただの偶然なのかは解らないが、家族としてエリオはフェイトとちゃんとやっていけている。
けれども、もし、その前提が崩れてしまったら?
大きく、二人の関係が変化した時――果たして、今のままで居られるのだろうか?
それを実践することなどエリオにはあまりにも恐ろしすぎてできやしない。
気づけば、エリオは膝を抱え、ただ怯えるように震え続けていた。
「エリオはさ……フェイトさんの事が、好きなんだよね」
そう尋ねられ、エリオは震えながら、それでも確かに首を縦に振った。
そうだ、好きだ。
エリオ・モンディアルはフェイト・T・ハラオウンの事がきっと、誰よりも。
だからこそ、怖い。
捨てられることが、失うことが何よりも怖い。
だから、怯え続ける。
怖くて、怖くて仕方がなくなる。
だから、エリオは無様な理由に縋り、そんな希望を自ら打ち砕こうとするのだ。
けれども、それはやっぱり逃避でしかない。
だから、スバルはそんなエリオを嗜めるように呟く。
「だったら、逃げちゃ……ダメだよ」
「でもっ、でもっ怖いんです! そんなことある筈無いって解ってるのに、それでも、恐ろしいんです」
エリオも解っている。
例え、この先自分がフェイトとどのような関係になろうとも、彼女が自分を見捨てることなどありえない事など。
フェイトもまたエリオと同じ悲しみを知っている。
そんなフェイトが、エリオを見捨てることなどありはしない。
いや、できやしないと言った方がいいだろう。
それでも、身体の奥底から沸きあがる恐怖を払拭することは出来ずにいた。
それは、もうどうしようもないほどエリオの一部となって存在しているのだ。
二度と解くことの出来ない呪いのように、それはエリオを蝕み続ける。
それを消すことなど、誰にもできはしないのだ。
顔を伏せるエリオ。
そんな彼の姿をスバルはただ悲しそうに見つめる。
「そう……だね。別れが絶対に訪れないなんて、私にも断言できない。それはどうしたって訪れちゃうものなのかもしれない」
「そうですよ……だったら……だったら――」
そうして、エリオは諦めの言葉を紡ごうとする。
自分の思いも、フェイトの思いも何もかもを捨て去る、悲しい言葉を。
だが、その言葉は、スバルの最後の呟きに、掻き消されてしまった。
「じゃあ、頑張ろうエリオ」
「…………え?」
「怖いよね? 辛いよね? でも、諦めちゃダメ。それだけはダメだよ。それは皆を裏切ることになっちゃう。フェイトさんだけじゃない。エリオ自身の気持ちも裏切っちゃうことになる……だから、もうちょっとだけ頑張らないとエリオ」
それは、なんて無責任な言葉なのだろう。
そんな一言で、全てを吹っ切れる程、エリオの過去は軽くない。
それでも、スバルは言葉を続ける。
「みっともなくったって、カッコ悪くたって、その気持ちを捨てちゃいけないよ。それはきっと大事な、大事な気持ちだから」
「でも……でも僕は……」
できない。できやしない。
だって、それは本当に怖くて、恐ろしいことなのだから。
「エリオなら大丈夫だよ」
それでも、スバルは何一つ疑うことなく、そう言い切った。
なぜなら――
「だってエリオは男の子でしょ――だから、がんばれ」
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