かいだんをしよう!! 前編


 ――――ぴちゃり、と水の跳ねる音が響いた。

 その音に、足を止め振り返る一人の女性がいた。
 時刻は深夜。
 隊舎の明かりもその大部分が落とされており、光源となるのは足元に灯る非常灯の淡い輝きだけと言う状況。

 そんななか当直担当であった彼女は、今しがた夜の見回りを追え、当直室に戻ろうとしていた所だった。
 ちなみに見回りの内容には当然ながら水周りの確認も含まれている。

 今しがたそれらを確かめてきたはずなのに響く水音。
 それを訝かむかのように足を止める女性。

 気のせいか、とも思った。

 けれど、ぴちゃり、と再び聞こえないはずの水音が響く。
 それも意外な程近くからだ。

 けれど、この近くには水の出るような機器や施設など無い。
 なのに三度響く、ぴちゃり、という水音。

 その発生源を探るべく、彼女は周囲を見回し、一歩進んだところで――足元に違和感を感じた。
 視線を落とせば、廊下の中央に小さな水溜りができていた。

 そこへ、天井から落ちてきたか、水滴が降り注ぎ波紋を作る。

 雨漏り、という単語が女性の脳裏に浮かぶ。
 しかしここはそれなりに古い隊舎ではあるがそこまで安普請ではない筈だ。

 天井の配管に傷でもついたのだろうか。
 そんな事を考えながら、天井へと視線を移す彼女。


 しかし、そこには全身から血を滴らせ、天井に吊り下げられた男が居て、


「おまえの血をよこせぇぇぇぇ!!」


 ●


 悲鳴が、二つ程重なって響いた。

 可愛らしい少女達の悲鳴。それに合わせて物が散らかる、擬音で言うならばドタバタと表現すべき音が流れ、

「っていうのが、私達が前居た警備隊に代々伝わる怪談なんだけど……」

 続けて、ティアナ・ランスターの声と共に、照明が付けられ部屋の様子が露になる。
 彼女は涙目でひしっ、と抱き合うスバルとキャロの様子を見て、少しばかり呆れた口調で、

「……なにやってんのあんた達?」
「ティ、ティ、ティアの話が怖いんだよぉ!!」

 涙目のスバルに抗議された。
 見ればキャロも悲鳴を押し殺すかのように下唇を噛み締め、コクコクと激しく首を上下に振っている。
 けれど、ティアナはそんな彼女達の対応に不思議そうに首を傾げる。

「……そこまで怖い話かしら? だいたい、キャロはともかく、アンタも同じ部隊にいたんだからこの話何回か聞いてるでしょ?」
「あの時は先輩達からなんかこう笑い話っぽい雰囲気で――そんな情緒たっぷりに語られてなかったからだよ!!」

 確かに、スバルの言うとおり無意識なのかどうかは解らないが、ティアナには咄家としての才能があるらしく、
 導入部からここまでやけに臨場感に満ち溢れた話の内容にスバルやキャロはすっかり取り込まれてしまっているようだ。
 どうにかツッコめてるスバルはともかく、キャロなどは未だにスバルの服の裾をぎゅっと握り締めている。

「うーん、そんなに怖かったかしら。ねぇ、エリオはどう思う……ってあれ? エリオ?」

 と、そこで意見を求めた相手がいない事にティアナは気付く。
 確か、先程まではティアナの対面にはテーブルを挟んで右からスバル、エリオ、キャロと並んでいた筈なのだが、今はその姿が忽然と消えている。

「エ、エリオくん!?」

 その事にようやく気付いたキャロが、再び悲鳴にも似た声をあげ、周囲を見回す。すると、

「……ええと、なんて言えばいいのかよく解りませんが、とりあえず生きています」

 エリオのくぐもった声が、床側――キャロとスバルの真下から響いてきた。
 テーブルの陰になっている部分を覗き込めば、ひしっと抱き合った二人にクッション代わりにされた、うつ伏せ状態のエリオが垣間見えた。

 どうやら、スバルとキャロの両サイドからの抱き付きを避けようとした結果、二人の下敷きになったらしい。
 絡み合うような体勢から、エリオは無事を示す為に手を掲げようとする。しかし――

「ひゃ、ひゃうん! だ、だめだよエリオ。そんなとこ触っちゃぁ……」

 頬を赤くしたスバルの困ったような声が聞こえた。

「え? あの、ど、どこをですか!? って、不可抗力!? 不可抗力ですよ!? ってイダッ!? イダダダダッも、腿が――腿が痛い!?」

 ジタバタと暴れ始めるエリオ。見ればどこか不機嫌顔のキャロがぷいっ、と視線を剃らしていた。
 その右腕はエリオの大腿部へと伸びてるように見えなくも無い。

「あー、もういいからとりあえず離れなさいよ、あんたら……」

 そんな光景を見て、呆れたように呟くティアナ。
 その言葉を契機としてやっと落ち着きを見せ始めたスバル達は、抱き合ったり、踏み潰されている状態からようやく抜け出し、それぞれに安堵の吐息を漏らす。
 ちなみに、一番大きな溜息をついたのは、やはりと言うかなんと言うかエリオで、

「ああ、重」

 そこまで言ったところで、物凄い笑顔でスバルとキャロに見詰められている事を本能的に理解したエリオは口を咄嗟に噤む。
 もう後ほんの少しでも言葉を連ねていたら、彼の命は無かったかもしれない。

「にしても、ここまで劇的に反応してくれるだなんて思ってもいなかったわね。それで……どうする? このまま続ける?」

 唯一、関係の無いティアナだけが、済ました表情で話を進める。
 そもそも、彼女達がなぜこんなことをしているのかと言えば――色々と原因を上げることはできるが、その最大の理由は暑かったから――だからだろうか。
 ここ、ミッドチルダは基本的に年中穏やかな気候だが、それでも雪の降る日もあれば、水浴びをしたくなるような猛暑も偶に起こる。本日の天候は後者だ。
 うだるような熱気のなか訓練を終え、ようやく日も落ちたのだが、絡みつくような暑さが収まる事無く過ごしていると、

「そうだ。怪談をしよう」

 スバルが突然そんな事を言い出した。
 ルームメイトであり、その言動を聞きつけた唯一の人物であるティアナ・ランスターも始めは「ハァ?」と怪訝な表情を浮かべ、
 歓迎ムードではなかったものの、部屋を飛び出していったスバル(ランニングシャツとホットパンツのみ)が
 戸惑いの表情を浮かべるエリオとキャロを引き連れてきたことによって、なし崩し的に「第1回チキチキ納涼怪談話大会」が開催される運びとなった。

 しかし、スバルの推薦でトップバッターとなったティアナの話を聞いただけでこの有様である。
 肝は冷えても、ドタバタした所為でみんな汗だくである。

「明日も早いし、今日はここら辺でお開きにしとく?」
「えー、まだ始まったばかりじゃーん。それにほら、アレだよ。地球じゃ、こういう怪談話は連続で百個やらなきゃ呪われちゃうんだよ?」
「ハードル高いわっ! てか、そんな面倒なのに人を誘うな!」

 ズビシ、とティアナの空手チョップがスバルの頭頂部に突き刺さる。
 容赦の無いツッコミに「あーうー」と涙目になるスバルだが、そんな彼女を救うべく、一人の少女が立ち上がった。

「あ、じゃ、じゃあ次は私がやります!」

 そう言って、元気よく手を上げたのはキャロである。
 先程の反応から見る限り、この中で一番怖い話に耐性がないのはおそらくキャロだろう。
 だから、というわけではないが、ティアナが心配そうに眉根を寄せる。

「大丈夫なのキャロ? コイツの言うことなら気にしなくていいわよ。このバカの地球知識は大体が聞き齧っただけのデタラメ情報だから」
「デタラメ、ってティアひーどーいー。嘘じゃないもん、八神部隊長が言ってたんだもん」

 ぶーたれるスバルだが、情報源からして信用がおけない。
 しかし、キャロは拳を強く握り、

「いいえ、折角の怪談大会ですし、私も頑張ります! それに聞くより自分で話す方が怖くないと思いますし」

 確かに、キャロの言い分は理に叶ってると言えなくも無い。

「んー、解ったわ。じゃあ次はキャロお願いね。別に無理はしなくていいから」
「はい! えーっと、では……これは、私がまだ自然保護隊に居た頃の話なんですが――」


 ●


 私はスプールスっていう辺境世界でミラさんとタントさんっていう自然保護隊員の方のお手伝いをしていました。

 ミッドチルダみたいに開発はされていませんけど、自然の豊かなとっても素晴らしいところでした。
 ミラさんとタントさんはお互いに仲がよくて、私にもすごくよくしてくれた――私にとってお兄さんや、お姉さんみたいな人達でした。
 そこで自然や動物たちと過ごすお仕事や生活はすごく充実していて、いまでもとってもいい思い出です。

 ……でも、それはとある夜のことでした。

 なにか妙な気配を感じて、私はふっと目が覚めたんです。
 この頃、私達はテント暮らしをしていてミラさんやタントさんも同じテントで過ごしていました。

 けど、目を覚ますとお二人の姿がどこにも見当たらなかったんです。
 不安になった私は、二人を探す為に外に出たんですが、あたりは真っ暗で、星明かりで辛うじて周囲の様子が窺えるくらいです。

 とっても怖かったんですけど、ミラさん達が居ないことの方がずっと怖くて私は森の茂みへと進んでいきました。
 普段は目を瞑っていても歩けるくらいに慣れ親しんだ森でしたけど、
 この時だけはそれがまったく様子が違って見えて――とても恐ろしく感じたのを覚えています。

 それでも、私は勇気を振り絞って一歩森へと近づいたんですが……、

 その時でした。

 森の奥、茂みの向こうから聞いたこともない生き物の鳴き声が響いてきたんです。
 でも、それはおかしな話でした。

 なぜなら、私はその時にはもう自然保護隊の仕事でこの森に住む動物の事なら殆ど知っていたからです。
 夜行性の動物とも思いました。

 けどやっぱりその泣き声は、それらとはまったく違う泣き声で……、

 そうですね、例えるなら甲高い女性みたいな声で「あっ、ああんっ、あっ、ああんっ」って感じの――


 ●


「うわあああああああああああああっっ!?」
「ぴぎっ!? な、ど、どうしたんですティアさん!?」

 突然のティアナの絶叫に、キャロが驚きに目を見開いて飛び上がっていた。
 見ればスバルとエリオも予想だにしなかった方向からの叫びに驚きの表情で立ち上がったティアナを見詰めている。

 そんな中、ティアナも肩を上下させつつ、ちょっと待って、とキャロに掌でジェスチャーを送り、

「え、えっと……い、いちおう聞いておくけど、その……キャロ、その……み、見たの?」

 顔を真っ赤にしながらのティアナの問い掛け。それにキャロは不思議そうに首を傾げ、

「そ、その泣き声の動物ですか? い、いえ……その後は流石に怖くなってテントに引き返して布団を被っていたら、いつの間にか寝ちゃってて……」
「その……ミラさん達は?」

 まるで恥ずかしがっているかのように、掌で表情を隠しつつ尋ねるティアナ。

「それがですね、朝になって目が覚めるとミラさんもタントさんもいつのまにか戻っていて
 昨日の夜何処に行ってたのか尋ねても「ドコニモイッテナイヨ」って言われて……
 もしかして寝惚けて夢でも見てたんじゃないかなぁ、って今では思うんですけど」

 そういってはにかむキャロ。しかし直後に頬に人差し指を当て「そういえばあの時のミラさん、なんかやけにお肌がツヤツヤしてたなー」と一人呟く。
 そんなキャロの様子を見て、ティアナは疲れたようにガックリと肩を落とし、「あ、そう……」とだけ呟いた。

 そこに、スバルがやけに嬉しそうな笑顔で近寄ってくる。

「もー、ティアってばいきなり悲鳴をあげるだなんて意外と怖がりなんだから。この、お・茶・目・さん♪」

 相棒の意外な弱点を見つけられて嬉しいのか、楽しそうにティアナを突っつくスバル。
 しかしティアナの方はといえば、そんなスバルを相手にするでもなくただ疲れたような溜息をつくだけである。

 なにやらこの二人の間では見解の相違が発生しているようだが、スバルはまるで気付いていないようである。
 ツッコミさえ放棄したティアナ。そこへ新たな声が響く。

「ええっと、じゃあ順番的に次は僕ですかね?」

 エリオだ。彼は少し自信なさげに自らを指差しながら呟く、

「おおー、エリオの怖い話。楽しみだなー」
「あ、あんまり怖いのはヤダからね、エリオくん」

 スバルとキャロのそれぞれ異なる期待の眼差しに、エリオは苦笑を浮かべる。

「ええと、じゃああんまり自信は無いですけど……そうですね。これは機動六課の一部でまことしやかに流れている噂なんですけど……」


 ――続く



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