らいとにんぐひーろー番外編 〜そして伝説へ〜 (上)
あなたは自分のことを不幸だと思ったことはないだろうか?
こんなはずじゃなかったのに。
こうなるわけがないのに。
降りかかる災いを前にして、そう思ったことはないだろうか?
けれど、よく考えてみてほしい。
その不幸は、もしかしたら回避できたものなんじゃないだろうか。
もう少し、注意していれば。もう少し考えを巡らせていれば――それはなんとかなった類の物ではないだろうか。
神様を恨む前に、まずは自分のことをよく見直してみよう。
そうすれば、きっと何とかなった道があるはずなのだ。
けれども、そうやって自己を見つめなおすにしても、既に災厄に遭遇してしまえばそれほど意味はない。
結局のところ、神に祈ろうが、自己を見詰めなおそうが、当人にとってはそれほど関係ないのだから。
特に、現在進行形で不幸に見舞われている者にとって。
「誰か助けてぇぇぇぇぇぇぇ!!」
そんな悲鳴を上げながらエリオ・モンディアル落下中であった。
●
始まりは何のことはない、何時もどおりの朝の風景だった。
ストレッチを終え、いざ訓練場へと向かおうとしていたエリオは、同じく訓練場へと向かうヴィータの姿を見かけて、その背に声をかけた。
「おはようございます。ヴィータ副隊長!」
「ん? エリオか……おはよう。キャロの方はどうした?」
肩にグラーフアイゼンを掲げたまま振り返るヴィータ。
今日もどうやら訓練に向けてやる気満々なご様子だ。
「ええと、それが今朝は何か用事があるとかで出掛けてましたけど。ヴィータ副隊長は何も聞いてないんですか?」
「いや、別に……まぁ、サボるような奴じゃねえし、なのはかフェイトにゃあ話が通っているだろうよ」
ここまでは、まぁ何時もの光景と言っても過言ではない。
キャロは居なかったが、特別に異常があるというわけではなかったし、異常が起きる予兆など皆無だった。
だから、次の瞬間にそんな平和な光景が足元から崩れ去ることなど、誰も予期することはできなかった。
「あ、そういえば、ヴィータ副隊長――」
どうせ、目的地は同じなのだ。縦一列で行ってもしょうがないだろう。
そんな思いを抱きつつ、世間話でもしながらと先を行くヴィータの隣に並ぶエリオ。
だが、その時。ガコン、と何らかの機械が作動するような音が響いた。
ちなみに、ここは隊舎から訓練場へと伸びるジョギングコースでもある。周囲には芝生が設けられており、重厚な機械音を発生させるものなど何一つとして存在しない。
では、いまの音はいったいなんだったのだろうか?
その正体を見定めようと、エリオが真下を向く。そこには何も存在していなかった。
先ほどまで、確かに踏みしめるべき地面が存在していた筈の、そこには、はたして何も無かったのだ。ただどこまでも続く深い縦穴が暗い深淵を覗かせて、そこにあるだけだった。
文字通り、世界の常識は足元から音を立てて崩れ去ったのだ。
「え?」
「は?」
エリオが疑問の声を上げる中、ヴィータもその隣で何が起こったのかわからないといった様子で口を開けている。
そして、次の瞬間。エリオは重力という言葉を思い出したかのように――その縦穴の底へと向けて、落下を開始した。
「ちょ!? うえぇ? エ、エリオオオオオオォォォォォ――」
瞬時にエリオの視界が暗転し、頭上から響くヴィータの叫びも徐々に掻き消えていく。
落とし穴に引っかかった哀れな冒険者の如く、エリオはひたすらに落下し続けていくのであった。
以上が、エリオ・モンディアルが災厄に巻き込まれた顛末である。
●
「うぐぇっ!」
さて、そんなエリオの落下開始から三分少々。
一時は世界の裏側にまで突き抜けるのではないかと思われた長時間の落下だったが、最終的に緩やかなカーブを描いた縦穴は、プールとかにあるスタイダーの要領で、エリオを出口に吐き出した。
しかし、全ての衝撃を和らげるにはいたらなかったのか、出口から飛び出たエリオはそのままの勢いで転がり続け、最終的には壁に激突。
轢かれたカエルのような悲鳴を上げて、その場に崩れ落ちた。
「な……何がいったい……」
だが、鍛えられていることはある。節々の痛みを堪えながら頭を挙げ、周囲を見渡すエリオ。
そんな彼の前に広がる光景は、なにやら随分と由緒正しそうな洋間であった。
木でできた書架が並び、高価そうなテーブルとソファーの応接セット。壁には絵画が掲げられており、時代錯誤な暖炉まで設えられてある。
どうやら、転がり出てきた位置関係からみて、その暖炉が縦穴の出口だったようである。ウィーンとある種まぬけな機械が作動する音を響かせ、奥のほうから壁が競りあがり、出口を完全に塞いでしまった。
そして、最後に日の光が差し込む窓辺の一席で、優雅に紅茶を啜る金髪の美しい女性の姿があった。
見覚えのある。いや、ありすぎるその姿を見て、エリオは疲れたように肩を落とす。
そんなエリオの様子をまるで気にすることなく、金髪の女性は受け皿にティーカップを音もさせずに載せたかと思うと。
「お待ちしておりました。事件です、ライトニングヒーロー」
そう言って、優雅に微笑むのは聖王教会騎士。カリム・グラシアであった。
ライトニングヒーロー番外編 〜そして伝説へ〜
原作:コン(敬称略)
「と、とりあえずいま何が起こっているのかご説明いただけますかね。騎士カリム」
主に精神的に、痛む頭を手で抑えつつ尋ねるエリオ。
そんな彼のある意味当然の疑問にカリムは「なにをいまさら」と言わんばかりのまぶしい笑顔を浮かべて呟いた。
「世界の危機です。ライトニングヒーロー」
「またそれですか! いったいこの世界はどれだけ危機に瀕していればいいんですか!」
「落ち着いてくださいエリオ。物語の構成上、必要であれば世界の危機など一山幾らでザクザクと出てまいります」
ご都合主義万歳、である。
エリオは更に頭痛が増していくのを感じながらも、努めて冷静に立ち振る舞おうと頭の中を整理する。
そうだ、KOOLになれ。KOOLになるんだエリオ・モンディアル。
激情に任せて行動した結果、最後には任務を引き受けざるを得ない状況になるのだ。
主に泣き落としとか……、泣き落としとか……。
どんだけ、情に弱いんだ僕は――と、過去の自分の所業を反省し、冷静に振舞おうと試みるエリオ。
「と、とりあえずひとつずつ行きましょう。まず、あの落とし穴はいったい何なんですか?」
「あれは先日、他次元世界からこんなものを取り寄せまして……」
そういって、サン○ーバードとタイトルが描かれたDVDパッケージをエリオに見せるカリム。
「ライトニングヒーローもこんな感じで現れたらカッコいいかなぁ、と思いまして」
「ふるっ!! 昭和の臭いどころじゃありませんよ! いったい、どれだけの読者がついてこれると思ってるんですか!!」
「けれど……エリオはなんだか無様に転がり落ちてきて……ダストシュートみたいでしたね♪」
「でしたね♪ じゃ無いですよ!! ていうか、そもそも位置関係おかしいでしょう!? なんで僕は真下に落下したのに、カリムさんの部屋に辿り着いてるんですか!!」
「それは魔法です!」
便利な言葉だった。
もはやツッコむ気力も失せてしまいそうなエリオ。
だが、ここで屈するワケにはいかなかった。
だがしかし、いまから細かい事象にツッコみを入れ続けたところで、最終的になんやかんやで任務とやらを受けさせられるヴィジョンが明確に浮かんでしまうエリオは、とりあえず妥協案を試みることにした。
「…………解りました。とりあえず、その世界の危機とやらの内容を聞かせてください」
「あら? 意外と素直な反応ですね?」
意外そうに呟きながら、その手にスタンバっていた目薬を収納するカリム。
すごく嫌なものを見てしまった気がする。
だがまぁ、ここでゴネ続けるよりも、カリムが提唱する内容をさっさと終わらせたほうが、結果的に早く開放されるとエリオは踏んだのであった。
まぁ、概ね間違った選択ではない。どうせ物語の構成上、このまま無事に逃げ切ることなど不可能だからだ。
「今ものすごい、不適切かつ楽屋的なこと喋りませんでしたアンタッ!」
「誰に向かって叫んでるのですか、エリオ?」
心配そうな表情を浮かべながら尋ねるカリム。
「いえ、時たま多次元世界から電波が飛び込んでくるだけです」
「ふむ、それは……ご愁傷様です。それでは、今回の任務の内容なのですが――」
何事も無かったかのように、先を促すカリム。
そんな彼女が指をぱちんと鳴らすと、室内の照明が落ち、スクリーンがガシャーンと落ちてきた。
そのまま、カタカタとアナクロな音を立てながら映写機が回りだす。フィルムか、フィルムなのか。
「あの、なんでホログラムウインドウを使わないんですか?」
「さて、今回の任務ですが、舞台はここになります!」
エリオの素朴なツッコみをスルーして、スクリーンに大写しになった建物を指し棒で突くカリム。
それはエリオも知っている場所だった。一時期、六課卒業後の進路として提示されていた物のひとつだ。
ザンクト・ヒルデ魔法学院。ここ聖王教会系列のミッション・スクールだ。
「あの……それで、ここで僕は何をすれば?」
「はい、そこで重要になってくるのが、次のシーンです」
そう言って、次に映し出されたのは授業風景だ。子供たちがずらりと机に並ぶ光景が広がっている。
その中に、エリオもよく知っている人物も映し出されていた。
ヴィヴィオだ。カメラの存在には気づいていないのか、まじめの表情で黒板を見詰めている。
「あの、どうでもいいことなんですが、コレって時間軸とかそこらへんはどうなってるんでしょう? ヴィヴィオが学院に入学するのって機動六課解散後の四月だったような気がするんですけど……」
「今回の件は彼女――ヴィヴィオが重要な要素となっております」
「あ、スルーですか。これもスルーなんですね」
そこでフィルムは終了なのか、照明が再び灯り、スクリーンがするすると上がっていく。
まったく持って今の一連の映像が無駄でしかなかったような気がするのはエリオの気の所為だろうか?
手に持っていた指し棒を収納したカリムは、ひとつ吐息をついて間を開けると目を見開いて叫ぶ。
「いま、ヴィヴィオが――いいえ、あの学校に居る多くの生徒たちが魔の手に晒されようとしているのです!!」
「え、ええ!?」
確かに、カリムの言葉はある種の現実感めいたものを漂わせていた。
極秘扱いとなっているがヴィヴィオはかつての聖王の血筋を受け継ぐものなのだ。
それは、何者かに狙われるには十分すぎる理由である。
彼女を玉座へと座らせることによって凄まじい脅威となる聖王のゆりかごのような例もある。
ゆりかごは既に消滅したが、それと似たような機能を持つロストロギアが存在しており、その為にヴィヴィオを利用しようと企む輩が居たとしてもなんの不思議も無いのだ――おそらく。
「そ、それって真面目に大変な事態じゃないですか! こんなことしてる場合じゃないですよ。ちゃんと機動六課に正式に依頼した方が……」
「え? ……いえ、確かに危機は危機ですが、そんな機動六課を動かすほどのものじゃあ……」
しかし、エリオのそんな正論とは裏腹に、なぜか乗り気ではないカリム。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう。下手をすればテロになりますよ!」
「テロ? あの、エリオ? 先程からあなたは何を言っているのですか?」
話が、まったく噛み合わない。
なにか根本的な部分でエリオとカリムの間に情報の齟齬が生じている模様である。
そう感じたエリオは、ひとまず落ち着きを取り戻して、改めてカリムに尋ねた。
「あの……すみません、ヴィヴィオに迫っている危機ってなんなんですか?」
「ふっ、よくぞ聞いてくれましたライトニングヒーロー。今ここに迫る危機、それは……」
一旦、言葉をためた後に、カリムは高らかに叫んだ。
「制服ドロボウです!!」
エリオが派手にすっ転ぶ音が盛大に鳴り響いた。
「な……なんなんですか制服ドロボウって!?」
「読んで字の如く、幼女の制服を盗んでハァハァする人間失格の事ですが……いえ、最近それらしき不審者が度々目撃されており、頭を悩ませているのですよ」
「そ、そうじゃなくて、なんでそんないきなり程度の低い問題がっ!」
「何を仰るのです、ライトニングヒーロー!!」
エリオの言葉に、カリムが怒ったように叫ぶ。
その迫力に、思わず身を引いてしまうエリオ。
確かに、程度の差はあれ犯罪は犯罪である。それを軽く見るような今の自分の発言は、確かに責められてしかるべきものだろう。
「で、でも世界の危機って言ってませんでしたっけ?」
「……思慮が足りませんね、ライトニングヒーロー。これはまさしく世界の危機なのですよ」
搾り出したエリオの反論に、カリムは呆れたような溜息を返す。
「例えばの話です。ヴィヴィオが制服ドロの被害にあったとしましょう。そうなるとどうなると思いますか」
「いや、まぁ確かに許せない話ですが。やっぱり世界の危機と直結しないような……」
「ノン! そんな事態になったら管理不十分とかの名目で、私が白い人にSLBぶちかまされることになるじゃないですか!!」
「我が身可愛さですか、アンタッ!!」
「何を言うのです、世界とはすなわち私の見ているこの光景。つまり、私が死ねば世界がひとつ終わってしまうということなのですよ!」
なんだか、すごく哲学的なことを語っているような気もするが、カッコ悪いことこの上ない。
もはや精根尽き果てたかのように、エリオはがっくりと肩を落としてしまう。
ツッコみではなく、至極冷静に言葉を連ねる。
「と、とりあえずそう言うのはキチンと警備体制を見直すとか、そういう現実的な対応をですね」
「え? あー、うん、そうですねぇ……ですが……」
「なんでそんなに歯切れが悪いんですか。なにか問題でもあるんですか?」
「いえ、やはりここはライトニングヒーローが出動するから物語になるわけで、そう的確な指摘をされると困るなぁ、と思いまして」
「ぶっちゃけた! この人、とんでもないことぶっちゃけたよ!?」
世界はいつだって面白おかしい方向に突き進むのであった。
「や、やですよ。僕は行きませんからね! そんなご都合主義的展開に流されてたまるか! 今日は泣き落としでも行きませんからね」
「そ、そんなっ……お願いですエリオ。貴方だけが頼りなんです!」
「さっきといってること違うじゃないですか! ていうか、せめて目薬は隠しましょうよ!」
お徳用。と書かれた目薬を隠しきれていないカリムであった。
しかし、彼女は「ふぅ」と困ったようにひとつ吐息をつくと、ペットボトルサイズの目薬をテーブルの上においてから、やれやれと首を振った。
「なにか勘違いしているようですね、エリオ・モンディアル」
「な、何がですか?」
妙な迫力を漂わせるカリム。なんだか有無を言わせぬ雰囲気が周囲に漂い始めていた。
「これはあくまで外伝的作品。つまるところ設定など完全無視で、私が貴方にしおらしく迫る必要など無いのです!」
「外伝とか設定とか、だからそういう裏話的なワード並べるのやめましょうよ!!」
「まぁ、そういうわけで、拒否権はありません。ゴートゥヘル!!」
そんなカリムの言葉に合わせるように天井から、するすると紐が降りてきた。
エリオが止める間もなく、カリムがそれを引っ張ると、ガコンとどこかで聞いたような音がして、エリオの居る床が開いた。
は? とエリオの呆けた声が響く。
そうして再び、エリオは落下し始めた。
「またですかあああああああああああああ!!」
そうして、エリオの悲鳴が地下へ地下へと掻き消えていったのを確認した後、床が静かな音とともに閉まる。
そんな顛末をもはや視界に入れることなく、カリムは窓から外の世界を愛しそうに眺め。
「がんばってください、ライトニングヒーロー。(私の)世界の危機を救えるのは貴方だけです……」
なんか、ひとまず締めていた。
●
「ひでぶっ!!」
本日二度目の落下を終え、エリオは再びどことも知れない場所へと飛ばされてしまっていた。
「いつの間にこの世界は一昔前の悪の組織みたいな構造に……」
痛む後頭部を抑えながら立ち上がるエリオ。
周囲を見渡してみれば、そこはどうやら学校の廊下じみた場所である。左手側には外の景色を写す窓がズラリと並び、反対側には教室が整然と存在していた。
話の流れから言って、ザンクトヒルデ魔法学院なのだろう。
しかし、本当に位置関係を無視しっぱなしである。
「いやまぁ、ツッコんでも仕方の無いことなんだろうけど……」
はあ、と溜息をつくエリオ。
しかしこれからどうすればいいものか、と悩む。
カリムの言った制服ドロ云々をどうにかするにしても、いきなり学校に飛ばされても何をすればいいのかが解らない。
いっその事、このまま帰ってしまおうかと、そんな思いが頭を過ぎる。
「けど、学校の敷地を出た途端に、また落とし穴に引っかかりそうだなぁ……」
まぁ、このまま逃げ出したところで連れ戻されるのは目に見えている。
ここまで来たのならば、やはり逃走を考えるよりも制服ドロを捕まえるほうが手早いだろう。
『よい心がけですライトニングヒーロー!』
唐突に、エリオの脳髄に大音量でカリムの声が響いた。
どれくらいの音量かというと、思わずその場に耳を塞いで、倒れこんでしまうほどに。
『どうしましたライトニングヒーロー、
バイタルが低下していますよ?』
「音! 音量を下げてください!!」
『ああ、これは失礼……新機軸の技術ですので、まだ設定に難がありまして……』
とりあえず、音量が通常の会話程度にまで下がり、脳を内側から破壊しかねない振動波から逃れることができたエリオ。
だが、未だに耳の奥のほうでぐわんぐわんと反響しているような錯覚を覚える。
「新技術って……思念通話じゃないんですか、コレ?」
『いいえ、これはいつでも連絡が取れるようにと、エリオが寝ている間にこっそりインプラn――ゲフゲフ。いいえ、愛の力です!!」
「ちょっと待てぇ!? いまなんか人権侵害どころじゃない、脳改造手術というかロボトミー的なワードが出かけませんでしたか!?」
『愛の…………力です!!』
力強く宣言するカリム。どうやら愛の力とやらで全てを済ませる心積もりのようである。
「この件が終わったらどうにかしてもらいますからね、いいですか、絶対ですよ!」
『あら、私の愛をどうにかしたいだなんて……エリオったら……』
ふふふ、と微笑むカリムの声がエリオに聞こえてくる。
本当に、どうすればいいんだろうか、この人は。
「わかりましたっ! それで、僕は何をすればいいんですか!」
『そうですね、それでは、まずは現地協力者の方と接触してください』
現地協力者、とオウム返しに聞き返すエリオ。
そんな彼の背後から、申し訳なさそうな声が聞こえてきたのはそんな時だった。
「すみません、エリオ。また騎士カリムがご迷惑をかけてしまったみたいで」
さっきから、登場の機会を伺ってでいたのだろうか、すまなさそうに頭を下げるシャッハがそこにいた。
「えっと、現地協力者って……」
「はい、私です。お手数ではありますが、ご協力していただけると大変助かります」
そういって、真摯に頭を足れるシャッハ。
さすがに、そう真面目にお願いされるとエリオとしても教鞭に反対するワケにはいかない。
根っこのところでは正義感あふれる非常に扱いやすい――頼もしい騎士見習いなのである。
「いまどこかで、悪意のある人物批評がされたような気がしますが……解りました。僕でできることなら手伝わせていただきます!」
「ありがとうございますっ! では、とりあえずこちらへご案内いたします」
そう言って、どこかへと向かって歩き始めるシャッハ。
エリオも逃げることはせずに、素直にその後を付いていく事にする。
しかし、数歩を行ったところで、シャッハがエリオのほうに振り向いた。
そのまま、彼女はなぜか、どこか微妙な表情を浮かべた後、
「それにしても……その……なんといったらいいのかよく解りませんけど……すごくお似合いですよ!」
エリオを励ますかのようにそんな言葉を投げかけてくるシャッハ。
しかし、なにがお似合いなのか、エリオにはわからない。
この境遇に、だろうか。だとしたらそんな慰めはいや過ぎる。
だが、そこでエリオはようやく自分の身に起こっている異常に気づいた。
なぜか、下半身がスースーするのだ。
ここへ来る前は、訓連用のズボンを履いていた。だからそんな感覚が起こるはずがない。
その時、廊下の一角に大きな姿見が設置されているのをエリオは発見した。
果てしなく、嫌な予感を覚えつつも、エリオはその大きな鏡を覗き込む。
その中には、見事なまでにザンクトヒルデ魔法学院の制服に身を包むエリオの姿があった――ただし、女子用制服の。
エリオの声にならない悲鳴が、学院に響き渡った。
●
『とりあえず、なぜ僕がこんな異常でしかない格好にさせられているか、納得の行く理由が欲しいんですが』
『例のシューターで降りる途中に衣装を自動的に変更してくれるシステムを搭載しておきました。うまくいったようで、なによりですね』
『そういう物理的にどうやって着替えさせたかじゃなくて!』
『それはもちろん囮捜査の為です。ライトニングヒーロー』
『……………………もう既に、聞いても無駄なような気もしますけど。その囮っていうのは……』
『突如として現れた美少女転校生! 話題になりますね。格好のターゲットですね』
『失礼を承知で言わせていただきますが、アンタはアホです』
『あらあら、エリオも随分とキャラ設定が歪んできましたね。まぁすでに事態は突き進んでおりますし、ここは潔く諦めて女子学生ライフを満喫しては?』
『そんな倒錯した人生送りたくないですよっ!』
『ああ、それとこの件におきましては私と現地協力者以外に話は通しておりませんので、正体がバレて変態の十字架を背負いたくなければ、頑張って女の子を演じることです』
『アンタは悪魔だ! 正真正銘の悪魔だっ!!』
『なお、あなたが逮捕あるいは社会的に抹殺されても当教会は一切感知いたしませんのでよしなに。なお、このメッセージは自動的に消滅します。どかーん』
文字通り、脳内でそんな会話がなされていた時、エリオは人生最大のピンチに陥っていた。
彼の視線の先にあるのは、興味ぶかげにこちらを見詰めてくる人、人、人。
おそらくはエリオと同年代と思われる少年少女たちが、興味深そうにこちらを見詰めてきていた。
その無垢な瞳に見詰められていると、自分が酷く汚らわしい存在に感じてしまう。
そんな自己嫌悪に陥るエリオの隣で、シャッハが淀みなくエリオの紹介を続けていた。
「はい、そんなわけで、短い間ですが皆さんと一緒に勉強をすることになった……」
そう言って、こちらを促してくるシャッハ。
そんな振りに、エリオは瞳に薄っすらと涙を浮かべたまま、それでも必死に笑顔をつくって。
「エ、エリ“ス”・モンディアルです。よろしくおねがいします!」
死にたいと……今すぐ舌を噛み切って死んでしまいたいと、エリオ――改め、エリス嬢は本気で思った。
大切な、何かとても大切なものを喪失してしまったように感じるエリオはそれ以上、言葉を連ねることも出来ずにどこか遠い何処かを見詰めているような視線で現実逃避。
さすがにそれ以上、続けることは無理だと判断したのかシャッハも早々と説明を終わらせることにする。
「み、皆さん仲良くしてあげてくださいねー。じゃ、じゃあエリスさんは、一番後ろの空いている席にでも……」
シャッハに促され、エリオはもはや生ける屍のようなフラフラとした足取りで教室の後ろへと歩を進める。
既に感情の置き所をぐるりと一回転させてしまったエリオの心境は、どうにでもなれ、という心持ちだ。
笑え、こんな僕を笑うがいいさ――、もはや悟りの境地一歩手前の状態でそんな事を思考していると、
『ぷっ……くくくっ……エッ、エリスッ……ぷぷっ、エ、エリスちゃん……』
脳内から押し殺した笑い声が響いてきた。
ああ、初めて知った……湧き上がるこの思い。これが殺意というものなのか。
『が、がんばって、エリス・モンディアル!』
『やかましいですよ!』
脳内で叫び返したところで、エリオにどっと疲れが沸いてきた。
大きく溜息をついて、最後尾の席まで辿り着くエリオ。
こうなってしまったのはもはや仕方がない。エリオに出来ることは変えられぬ過去を後悔することではなく、一秒でも早くこの悪夢から無事に抜け出すことだ。
その為には、気乗りしないとしても女学生として振る舞い、さっさと問題の制服ドロとやらを捕まえるだけである。
というか、割り切らなければ精神的な死を体験してしまうことになりそうだったエリオは、無理矢理にそう考えることで心を落ち着かせた。
それにしても、本当にバレてないのだろうか、とエリオは不安になってきた。
今のエリオはあくまで女子用制服に着替えているだけだ。カツラなどつけてないし、当然のように化粧も施してなどない。
初等部の人間で化粧などしているほうが目立つだろう。
つまるところ、今のエリオは女装というよりただのコスプレ状態なのである。
果たして、コレで本当にバレてないのだろうか、そんな不安が沸いてくる。
「あ、あの……よろしくお願いします」
とりあえず、試しにと隣の席に座るクラスメイトに声をかけてみる。
バレて無いのであれば、普通の対応が返ってくるはずだ。
なにか、訝しげな表情をされたら逃げよう。どこか、誰も知らない遠い地の果てまで。
そう思いつつ、エリオと同じ女子生徒――激しく矛盾しているが事実である――に挨拶してみる。
さすが、正面きって見つめることはできずに、視線は若干明後日の方向を向いたままだ。
そんなエリオの言葉に、
「よ、よろしくねっ。エリオ……じゃなくて、エリスちゃん」
励ますようなそんな言葉。まるでエリオの今の境遇を知っているかのように。
いや、その前に、このクラスメイトは今、読んではいけない名前で自分の事を呼ばなかっただろうか?
怖々と視線を向ける、そこには――
――キャロが居た。
教室の後ろで盛大な打撃音が響き渡る。
その音に、教室に居るものがそちらを振り向くと、エリオが教室の後ろに掲げてある黒板に頭から突っ込んでいた。
直立不動の体制のまま、まるでつっかえ棒のように倒れこんでしまっているエリオ。
シャッハがそんなエリオに恐る恐る声を掛けてみる。
「あ、あの……エリ――スさん? だ、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です! 別に何でもありません!!」
以外に、ハキハキとした口調で返事をし、立ち直るエリオ。
しかし、頭頂部から血がだくだくと流れでており、明らかに大丈夫ではない。
「いえ……あの、でも……」
「大丈夫デス!!」
なんとか、動揺を悟られないようにと平静を装うとしたエリオだが、そんな彼の態度が余計目立つ理由になると考えることが出来るほど、エリオの心境は落ち着いてなどなかった。
そのまま座席に座り、大丈夫だと伝えるようにこちらを向いているクラスメイト達に微笑み返すエリオ。
しかし、頭部から血を垂れ流している人間が微笑んだところで、ホラーでしかない。
結局、クラスメイト達はそのまま何も見なかったことにして、慌てて前へと向き直った。
数々の視線から逃れられたところで、ようやくエリオも一息つくことが出来た。
そうして、落ち着きを取り戻して、エリオは改めて隣にいるクラスメイトに小声で問いかける。
キャロはエリオと同じ制服に身を包み、変装のつもりかメガネなどをかけている。
果てしなくバレバレな変装だが、偶然ここに居るというわけではないだろう。
「なにやってるの、キャロ!」
「潜入調査だよ。カリムさんに頼まれて」
「なんで手伝うの! あの人はね、人の皮を被った悪魔なんだよ! 公式ならともかく、こういった類の話においては絶対に言うことを聞いちゃいけない人なんだよ!!」
酷い言いようである。あとただいまのセリフに非常に不適切な発言が生じたことをここでお詫びいたします。
「え、でも……この任務が成功したら御礼に2エリオが支給されるって言われて……あっ!」
「待って! ちょっと待って!? なにその『2エリオ』って聞きなれない新単位!?」
「な、なんでもない! なんでもないよ。強いて言うなら愛の力だよ!」
「それ、建前上そう言えって言われてるんでしょう!? なんなのその僕にとって不吉極まりない単位はいったいなに!?」
なにやら自分の身に果てしない危険を感じるエリオは、必死でキャロに食い掛かる。
しかし、キャロはそんなエリオの問いかけに、頬を赤く染め、俯くと、
「そ、そんなの恥ずかしくて言えないよぅ……」
「それ無効!! 無効だからね!」
迫り来る貞操の危機に、いままで感じたことのない恐怖を覚えるエリオ。
思っていた以上に、ヤバすぎる。一刻も早くこの悪夢から抜け出さねばならないと、改めて心に誓う。
えー、とキャロは不満そうな表情を浮かべるが、そこはぜひとも我慢していただいてもらいたい。
「それじゃあ、そっちの話はまた後で改めてお話しするとして……」
「ないからね! 支給されることはありえないからね!」
「エリオくん……じゃなくて、エリスちゃん可愛いねー」
話が変わったところで、クリティカルヒットだった。
突然の事態に、忘れてしまっていたが、自分がいまどんな状態かを思い出して、机の上にがっくりと伏せるエリオ。
「キャロ……お願いだから、その事には触れないで…………あと、できれば忘れて」
「えー、すっごく可愛いのに……ホントに女の子にしか見えないよ………………じゅるり」
「ちょっと待って! 最後の音は何!? いま、何を考えたの!?」
「え!? う、ううん、何も考えてないよ。そんなエリオくんだったら女装してても全然イケるなぁなんて、これっぽっちも考えてないよ!」
「誰かマジでたーすーけーてー!!」
エリオの悲痛な叫びが教室に響き渡った。
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