リリカル☆マテリアル 私の事情(1)



 高町なのはの朝は早い。
 ほんの一年程前までは武術に励む兄や姉とは違い、早起きは苦手だったなのはだが魔法と出逢って数ヶ月。

 魔法の訓練を行っている内にすっかり早朝に目覚める習慣が出来上がってしまっていた。
 現在の時刻は朝の五時。年が明けたばかりのこの時期では、未だに夜の闇が色濃く残っている時間帯だ。

 胸に抱くようにしていた携帯電話のバイブレーションアラームで目覚めたなのはは、布団に身を包んだまま瞼だけを動かす。
 電灯も灯らず夜の闇に沈む部屋の様子は、僅かに全体の輪郭を捉えられる程度。
 そんな暗闇の中で、机に置いた紅玉が僅かに明滅の光を灯した。

《Good morning. My master》
『うん、おはよう。レイジングハート』

 音を立てぬ様にとなのはは思念通話で朝の挨拶を返す。目覚ましアラームも普段ならば音を鳴らすが今日は設定を変更していた。
 それというのも、今この一室にはなのは以外の同居人が一人。今はベッドの傍らに敷いた布団で静かに眠りについている筈なのだ。

 ――起こさないように気をつけないとね。
 そう思いながら、体温の残る布団の温かさを名残惜しみつつ、なのはは静かに身を起こす。
 そこへ、

「おはようございます、なのは」
「うわぁっ!?」

 突如枕元から響いてきた明瞭な朝の挨拶に、なのはは驚きを隠すことなく、驚嘆の声を上げる。
 身を仰け反るようにして、ベッドの傍らを見ればそこには私服姿の少女が一人、背筋をぴんと伸ばした状態で正座していた。

 薄暗闇の中、微動だにすることなく座す少女の姿は、その静謐な佇まいとあわせ、どこか幽鬼の類を思い起こさせる。
 起き抜けに目の前に現れれば、なのはであったとしても悲鳴のひとつもあげるのは致し方ないことだろう。
 その顔形が自分自身にそっくりだと言うのならば尚更だ。
 そんななのはの反応に、しかし少女はやはり眉一つ動かす事無く、

「如何致しましたか、なのは?」
「う、ううん……な、なんでもないよ」

 未だに鼓動が高鳴り続けてはいたものの、ようやく落ち着きを取り戻したなのはは肩から力を抜き、少女に笑みを向けた。

「おはよう。えーっと……ユナ、ちゃん」

 まだ呼びなれないその名を、しかしなのははしっかりと伝えるように紡ぐ。
 対し、ユナと呼ばれた少女は鉄面皮を動かさぬまま、

「ユナ。私の個体識別名称ですね。認識しております。おはようございます、なのは」

 どこまでも感情の抜けた平坦な調子でユナは呟く。付けられたその名前に対しどういう思いを抱いているのか、その言葉からは一向に窺い知ることができない。
 そんな彼女の姿から思い返すのは昨日の事だ。

 ●

 目の前の少女がまだユナという名を持つこと無く、理のマテリアルと名乗っていた時間。
 つまりは昨夜の事だ。

 理のマテリアルを連れて高町家に戻ってきたなのは達を待ち受けていたのは、家族総出の手厚い歓迎であった。
 事前にリンディから連絡が行われていたようなのだが、いったいどういう風に伝えられたのだろうか。
 玄関を潜ったところで家族が総出で待機しており、なのはが事情を説明する前に理のマテリアルは桃子と美由紀に囲まれた。

「やーん、かわいいー。ホントになのはそっくりだぁー!」
「本当。きっと将来はすごい美人さんになりそうねー」

 頭を撫でられながら、そんな言葉を投げかける女性陣。対し士郎と恭也の男性陣は遠巻きに「ほほう」とか「うむうむ」とか感嘆や慈愛の面持ちでそんな理のマテリアルを見詰めていた。
 美由希や桃子に頬や髪を優しく撫でられながら理のマテリアルは無言を貫いる。
 しかし、この時ばかりは無表情のままだが僅かながら彼女が驚いていると言うか、戸惑っているのだと察したなのはは、

「ちょ、ちょっとお姉ちゃん! お母さんもっ、そんないきなりじゃこの子もびっくりするよ!」

 なのはのそんな諌める声に女性陣はハッっと意識を取り戻し、慌てて一歩を下がる。どうやらほんの僅かな時間ながらすっかり我を忘れてしまっていたようだ。

「ご、ごめんなさいねいきなり。本当になのはそっくりでびっくりしちゃって」

 頬に手をあて、理のマテリアルにすまなさそうに謝罪する桃子。理のマテリアルは女性パワーに圧倒されたのか、僅かにフラリと姿勢を崩すものの、

「いえ、お気になさらずに。この程度の事で破損したりしません」
「やぁーん。声もなのはそっくりよ、美由希ぃ!」
「ホントホント。しかもクール系! ショートカットの髪型と合わさってすごくいい感じ!」

 キャッキャと再び喜ぶ女性陣。なにやら永久ループにハマりかけているそんな肉親の姿になのははやや呆れつつ話を進める。

「えーっと、リンディさんからお話は来ていると思うんだけど――」
「ああ、今日からうちにホームステイして貰うんだろう。事情はあらかた聞いているし部屋も余っているから全然構わないさ」

 かわいいかわいいと騒ぐ女性陣の輪の外で、士郎が笑みを見せて応える。
 ホームステイ……まぁ間違ってはいないが、どうにも微妙な説明である。
 しかし理のマテリアルの心配ごとはやはり杞憂でしかなかったようで、彼女は再度桃子達に左右から抱きしめられ可愛がられている。

 ――あ、もしかしていま困ってるのかも。

 相変わらずの無表情ながら、なされるがままの理のマテリアルの様子を見て、なのははそんな感想を抱く。

「ほらほら。美由希も母さんも少しは落ち着けよ、その子が困っているじゃないか……えーっと、君の名前は……」

 そんな惨状を見かねた恭也が、ふと思案するように理のマテリアルを覗き見る。そういえば、まだ名前を聞いていなかったと言うように。
 けれど理のマテリアルは硬質な表情を崩さず、淡々と。

「私は闇の書の構築体が一基。個体識別が必要ならば理のマテリアルとお呼び頂ければよろしいかと」
「理のマテリアル? よく解らないが、それが君の名前なのかい?」
「いいえ、個体識別名です。一個体として私を認識するのならばそれで充分かと」
「ダメよ、そんなの!」

 と、士郎と理のマテリアルのは桃子だ。彼女は少し怒ったように頬を膨らまし、

「リンディさんから聞いているもの。この子達にはまだちゃんとした名前が無いって……だから、私たちでしっかりと考えてあげないといけないの……ね?」

 と、桃子は理のマテリアルに語りかける。もちろん彼女の方はといえば、眉一つ動かす事無く「いえ、私は別に」と呟くが、

「はぁーい。それじゃあ今日は桃子さんが腕によりをかけてごちそうをつくったから、みんなでこの子の歓迎会を始めましょう」

 そんな桃子の号令に応じる声がそこここで上がると、高町家の皆は有無を言わさぬ手際で理のマテリアルを掻っ攫い、玄関の方へと向かっていく。
 台風の如き素早さで行われる歓迎ムードのアクションに理のマテリアルは抗うことも出来ず連れ去られ、玄関先にはなのはがひとり呆然といった様子で取り残されていた。

「い、いいのかなぁ、こんな調子で……」
《Don't worry. Master》

 首からぶら下げられた紅玉はいつもどおり、そんな主の言葉に応えた。

 ●

 そこから先はなのはも加わり、理のマテリアルの歓迎会となった。
 宴のメインの話題としてはやはり彼女の名前をどうするのか、という点で盛り上がり実に十数もの候補が昇った。
 もちろん理のマテリアル自身はそんな話題に加わる事無く、楽しんでいるのかいないのかよく解らない無表情のままテーブルの上に並べられた料理を機械的に摂取していたのだが……

「じゃあ、今日から貴方の名前はユナちゃんね」

 最終的に熾烈な生存競争を勝ち残ったのは桃子のあげたその名前だった。
 突如、自身を定義する名を割り振られた理のマテリアルは、口の中に残っていた食べ物をしっかりと咀嚼し、ごくんと嚥下した後。

「それが私の個体識別名称――名前、ですか」
「そう。油菜でユナ。まぁ漢字はそのままだと可愛くないから優しい菜でユナ、かしらね。どう、気に入ってくれたかしら」

 アブラナは『菜の葉』の別名だ。なのはをオリジナルとして生まれた自分を定義するならば妥当な名称であると理のマテリアルは判断し、

「論理的に考えて、問題ないと判断できます」
「そう、良かったわ! じゃあ今日から貴方の名前はユナちゃんね。よろしくね」

 そうして、理のマテリアルは新たに自己を定義する名前を得た。

 ●

 時間は現在軸へと戻る。
 結局あの後、宴は夜半にまで続き、客間の準備が出来なかったユナはなのはの部屋に寝具を持ち込み眠りについたのだが、

「ユナちゃん……その、ちゃんと眠れた?」

 なのはの視線が向く先は部屋の隅、そこには布団とパジャマが丁寧に畳まれた状態でぴしりと置かれている。
 ユナ本人も、先日のうちに貸し与えられた私服を皺一つつける事無く綺麗に着込み、美しい正座の姿勢を保っていた。
 どう見てもつい今しがた目覚めたようには見えないその様子になのはは不安げに尋ねる。

「適度な睡眠を得ることはできました。今現在は体調的にも問題ない状態かと思います」
「う、うーん。それならいいんだけど」

 はきはきと喋るユナに変わった様子は無い。まぁそれも、いつもと変わらぬ無表情、と言うだけなのだが。

「ところでなのは。起床直後に申し訳御座いませんがご相談したいことが」
「ふえぇ!? え。は、はい!」

 凛とした響きを持つ声に、なのはは反射的に居住まいを正し、ベッドの上でユナの同じように正座する。

「えっと、なにかな……やっぱりちゃんと寝付けなかったとか……あっ! もしかして他のマテリアルさん達の様子が心配だとか?」
「いいえ、それは全然まったくこれっぽっちも」
「え……あ、そ、そうなんだ」

 間髪入れずに告げられる無体な返答に気勢を削がれるなのは。

「じゃあ、相談っていったい……?」
「ええ。昨夜就寝前に思考致しましたが、可能であるならばやはり何処かで奉職できれば、と考えているのですが」
「えっと、それはつまり……お仕事をしたい、ってこと?」
「端的に言えばそうなりますね」

 淡々と語るユナの言葉に、思い返すのは昨日の宴会の席でのことだ。
 彼女自身が提示した数少ない話題の一つに『これらの食費や私の滞在費などはどうなっているのでしょうか?』というものがあった。
 ちなみに答えとしては、そういったマテリアルの生活費等はすべてリンディを通して管理局からの経費で賄われているらしい。
 だから、安心していいのよ――と、桃子はユナに告げたのだが。

「だからといって無償で与えられるものに縋り続け、怠惰に過ごすのは気が引けます。論理的に考えても最低限自分の生活費は賄うのが妥当だと判断できます」
「は、はぁ……」

 真面目と言うべきか、愚直と評すべきか。
 なんにせよ、局の保障があると諭したところでテコでも動きそうにない様子である。

 ――意外と頑固な性格なんだなー。と脳裏で考えるなのは。

《You look like. Master(貴方もですよ。マスター)》
「へ? なにか言ったレイジングハート?」
《No. Master(いいえ、別に)》

 などという主人とデバイスの遣り取りはともかく。

「宜しければなのはにはどこか働き口を紹介して頂けるとありがたいのですが」
「う、うーん。とは言われましても……」

 はっきりと言ってしまえばこの日本という国において見た目9歳相当の女児をアルバイトとはいえ雇ってくれる店など存在しない。
 というか戸籍すら存在しないユナが正規の手続きの元に働けるわけが無い。
 となると残された選択肢は少ない。

「そうなると、やっぱり管理局かなぁ。一度リンディさんに相談してみないとなんとも言えないけど」
「局ですか……こう言ってはなんですが今現在魔法をまともに使えない私の利用価値はあちらには無いと判断致しますが」

 なのはやフェイトがこの年にして管理局の仕事を仮にも手伝っていけているのは彼女達が類稀なる魔導の才能の持ち主だからだ。
 管理世界の就業可能年齢が日本のそれに比べ低いとはいえ、さすがになんの能も持たない少女達を働かせたりはしないだろう。

「うーん……難しいかなぁ……」

 腕組して頭を悩ませるなのは。じっとこちらを縋るように見詰めてくるユナの眼差しを見ると、なんとかしてやりたいと思うが、なのはも魔法の力を除けばただの小学四年生。
 喫茶店を営む両親を持つどこにでもいる普通の女の子――、

「…………あ。あった」

 ●

「きゃー! かわいい!」
「うんっ。すごくよく似合ってるよ」

 それから三十分後。高町家のリビングには三つの人影があった。
 高町桃子となのは、そして――

「よく解りませんが機能的な服装であることは理解しました。問題ありません」

 喫茶翠屋のロゴがプリントされたエプロンを身につけたユナの姿がそこにあった。
 こうして理のマテリアルは喫茶翠屋のウエイトレスとしてこの日この瞬間から働くことになった。



前話へ

次話へ

目次へ

↓感想等があればぜひこちらへ




Back home


TOPページはこちら





inserted by FC2 system