リリカル☆マテリアル 僕の事情(1)
力のマテリアル。
闇の書の闇を構成する構築体の一基である彼女は、闇の書における意思を司る存在だ。
理のマテリアルが闇の書の論理的思考――行動原則を管理しているように、力のマテリアルは闇の書における根源的思念――意思を司る機構(システム)だ。
意思とは即ち力である。
何かを成すという目的――意思が在るからこそ結果は生まれる。
そんな彼女に与えられた目的とは勿論闇の書の復活、そして砕け得ぬ闇の完成である。
最早それは彼女の存在意義とでも言うべき悲願としてその根底に組み込まれている。
そこに常識や理性で量ることのできる善悪はない。
ただ、そうしなくてはならないから。
ただ、その為に生きなくてはいけないから。
そんな余人にはけして理解することのできない感情によってのみ彼女は動き続けている。
より具体的に言えば、彼女こそがただ砕け得ぬ闇を造り出す為だけに生み出されたどこまでも純粋な道具であった。
故に、彼女はその芯の部分だけを問うのならばあの王よりも闇の書復活を望んでいると言える。
ただ、あまりにも純粋であるが故にそんな彼女の弱点をひとつ挙げるのならば。
「いいか。僕の目的は闇の書の闇を復活させることだ! おまえらなんかと馴れ合うつもりは微塵も無いから覚悟しろっ!」
感情だけで動くために、深く思考しない、ということだろう。
ここは地球は海鳴市。住宅街の中でも一際目立つ高層マンション――その一室にあたる広いリビングにおける光景だ。
ソファーの背もたれの上で立ち上がり、眼下に居並ぶ人々を指差し、力のマテリアルは居丈高に叫んでいた。
そんな彼女を見上げる影は三つ。やや驚きの眼差しで力のマテリアルを見上げるアルフとエイミィ、
「いやー、こうして間近で見るのは初めてだけど、見た目はホントにフェイトそっくりだねぇ」
「性格や雰囲気がこうも違うともう違和感どころじゃなくて、なんだろ? むしろギャップ萌え的な?」
そんな風に力のマテリアルの宣戦布告をまるで聞いてない様子の二人。
それに加え、このマンションまで連れて行かれるのを嫌がり、隙あらば逃げ出そうとする力のマテリアルを宥めすかし、時には力ずくで引っ張って来た所為で疲労困憊の様子のフェイトだ。
「疲れた……ホントに色んな意味で、疲れたよ」
普段は弱音などまったくと言っていい程吐かないフェイトがここまで憔悴するのも珍しい。それほど子供の世話と言うのは想像以上の激務だったのだろう。
対し、力のマテリアルは未だに元気が有り余っているらしく、
「って、おまえらー! 僕の話を聞いてるのかー!」
誰一人としてこちらの話を聞いてない様子に、両手を挙げて怒りを露にする。
勿論、以前ならばいざ知らず一般人レベルの魔力しか持たない今の彼女に力尽くでこの場をどうにかする実力など欠片もない。
当然ながら、そんな彼女の言葉を真面目に聴き入ってくれる者などいるわけもなく、
「さぁ、晩御飯の準備が出来たから、みんな運ぶの手伝ってー」
ダイニングキッチンから響くリンディの声に、皆は「はーい」と返事を返し、それぞれ夕食の準備に取り掛かる為その場から腰を浮かす。
一人ぽつんとリビングに取り残された力のマテリアルは、一瞬ぽかんと呆気に取られた表情を浮かべ、
「ぼ、僕の事を心底バカにしやがって……ッ! ふん。そっちがその気なら僕にも考えがある。ここから逃げ出して、魔力が無いからと油断したことを後悔すればいいのさ!」
わざわざそれを叫ぶ必要はまったく無いのだが、表情に暗い笑みを浮かべ「くっくっく」と三下めいた笑みを浮かべる力のマテリアル。
そうして、ハラオウン家の面々に気づかれないように、彼女は音を立てないように忍び足で玄関へと向かおうとするが、
「あら? どこかに出掛けるの?」
キッチンから顔を覗かせたリンディに背中から声を掛けられ、その歩みがピタリと止まる。
――完璧に気配を隠していたはずなのに、なぜバレたんだ!?
脳裏に浮かぶそんな疑念に、額に冷たい汗を浮かべる力のマテリアル。
まぁ、ハラオウン家のリビングはキッチン、食卓も含め、すべてワンフロアに存在するオープンスタイルなので逃げ出そうとする力のマテリアルの姿はリンディからは丸見えであったと言うだけなのだが。
「くっ……見つかったのなら仕方ない。いいか、僕がおまえらの思い通りになるなんて思うなよ。今からここから逃げ出して必ず闇の書を復活させてやる」
開き直ったかのように向き直り、改めて布告する力のマテリアル。
そんな彼女の反応に、リンディは困ったように頬に手を当て、
「あら、そうなの? でも、折角貴方の為に晩御飯の準備をしたのに……残念だわ……」
本当に寂しそうに呟くリンディ。その言葉が真意であると伝えるかのように、キッチンの方からは芳しい夕餉の香りが漂い、力のマテリアルの鼻腔をくすぐった。
八神家の守護騎士のように、闇の書によって作り出された魔力構築体であるマテリアルにも食物の消化器官や食欲というものがある。
むしろ闇の書の欠片がほぼ消失し、外部からのエネルギー供給を求められない彼女達によって食事によるエネルギー補給はそれこそ死活問題である。
結果的に、食欲を刺激された力のマテリアルのお腹からは「きゅるるるー」と小動物が紡ぐようなかぼそい鳴き声が響いてきた。
だが、そこは誇り高き闇の書の構築体が一基、力のマテリアル。
良い匂いに忘我の境地に辿り着きかけ、我知らず垂れていた涎を慌てて啜ると強く首を横に振り、決別するかのようにビシリと人差し指をリンディに突きつける。
「て、敵からの施しなんて僕は受けない! 情けをかけられるぐらいなら、死んだ方がマシだ!」
「あら? それなら大丈夫よ。だって貴方はこれから私達の家族になるんですもの」
そんな力のマテリアルの言葉に、リンディはあっけらかんとした様子で間断なく呟く。
「家族が助け合うことは施しとは言わないわ。だから貴方も遠慮なんてしなくていいのよ?」
「家族……? ば、ばかじゃないのか! 僕達は敵同士なんだぞ、そんなものになれるわけないだろうが!」
「そうかしら? きっとそれは貴方が思っているほど難しい事じゃあないのかもしれないわよ?」
どこまでも気安い調子で呟くリンディ。しかし彼女の言葉にはどこか真実味を帯びた重みと言う物が伴っている。
フェイトを養子として迎え入れたことだけではない。次元航行艦の艦長であるリンディにとってアースラクルーは皆家族のようなものだ。
強い結び付きが無ければ船は動かない。それは海を往く船であろうと時空を越える艦であろうと同じだ。
そういった土壌があるからこそ、フェイトを養子に迎えることに躊躇はなく、そしてまた家族という言葉が軽んじられることもないのだろう。
「もし貴方がそれを不服だというのならば、それもまた構わないわ。さすがに無罪放免というわけにはいかないけれど、できるだけ貴方の意に沿う形の処遇を考えましょう。けれど私は貴方に施すつもりもないし、憐れんでいるわけでもない。それだけは覚えておいて」
「なら……なんでこんなことするんだよ……いったい、何が目的なんだよ!」
やや警戒した面持ちで、鋭く問いかける力のマテリアル。
彼女にとって、リンディというこの女はあまりにも未知の存在でありすぎた。
力のマテリアルにしてみれば、リンディ達は闇の書復活を阻む敵だ。
敵とは即ち、憎む者。倒すべき者。破壊し、踏み潰し、この世界から消し去るべき存在だ。
論理という言葉を彼方へと置き忘れた、ただ感情に従い導きだされた答えがそれだ。
それは、リンディ達にとっても同じ筈だ。
彼女達がマテリアルの敵であるのならば、その逆もまた然り。リンディ達にとって自分達は憎むべき敵でなければならないのだ。
なのにこちらに笑顔を向け、優しくするリンディの姿はあまりにも奇異に見えた。
そんな彼女の心情を知ってか知らずか、リンディは笑みを浮かべると力のマテリアルの問いに優しく答えた。
「そうね……今は腕によりをかけた料理を貴方に食べて貰いたいと思っているわね」
一切の含みを持たせぬ、ただ言葉どおりの意味しか持たないリンディの言葉に力のマテリアルは鼻白む。
しかし、迷ったのも一瞬。お腹の方から響く弱りきった小動物の鳴き声に力のマテリアルは警戒の眼差しを緩めぬまま、
「その……ニンジンは、嫌いだからな!」
紡がれたそんな言葉に、リンディは「ふふっ」と微笑みの表情を一切崩さぬまま、
「好き嫌いは、許しません」
放たれた妙なプレッシャーに、力のマテリアルは畏怖にも似た感覚を感知し「ひいぃ」と小さな悲鳴をひとつあげた。
●
「ディズィ、って言うのはどうかしら」
食事の席での事だ。食卓を囲うのはハラオウン家の面々と、警戒を続ける猫のように周囲を見配りながら、それでも忙しなく食事を摂る力のマテリアル。
その席上でリンディはつとそんな風に問い掛けてきた。
「なっ……なにがだよ!」
「構築体、だなんて流石に呼び難いでしょう。だから貴方の名前。フェイトはどう思うかしら?」
ふぇ!? と唐突に話を振られたフェイトは驚いた顔を浮かべたものの、しっかりと口の中のご飯を咀嚼し、飲み込んでから、
「えっと、いいんじゃないでしょう……か?」
自信なさげに応えるフェイト。その瞳には「なんで私に聞くんだろう?」という戸惑いの色がありありと浮かんでいる。
「あら、だってフェイトの名前から考えたもの。この世界における運命を現すもう一つの言葉――この子にならピッタリだと思うけど、一応フェイトの賛同も得ておかないといけないでしょ?」
そういって目を弓にして微笑むリンディ。フェイトという名がけして幸いな思いの元に付けられたもので無い忌み名であることはフェイト自身理解しているのだろう。
それでも、良い名前であると言ってくれる。そんなリンディなりの優しさに触れ、フェイトはもう一度、今度は力強く頷いた。
「――はい。いいと、思います」
そう、と満足げに微笑んだリンディはそのまま力のマテリアルへと視線を向け、
「貴方はどうかしら。気に入ってくれると嬉しいんだけど……」
「ぼ、僕の……なまえ?」
リンディとフェイトのやりとりを、どこか唖然と言った様子で眺めていた力のマテリアルが静かに呟く。
様子のおかしいそんな彼女に、リンディも不思議そうに首を傾げる。
「気に入らなかったかしら?」
「う、ううんっ! そんなこと、ないよ!?」
慌てて首を横に振る力のマテリアル。その後、彼女は何かを思案するように握り拳にもった箸を咥えたまま、何かを思案するように口の中だけで言葉を繰り始める。
「ディズィ……ディズィ……僕の、名前……僕だけの名前……えへへっ」
何度か誰にも聞こえぬようにと呟いた力のマテリアルは、うん、と力強く頷くと改めてリンディ達を見回し。
「しょ、しょうがないなぁ! まぁ、君達がどうしてもってそう呼びたいって言うなら僕の事、ディズィって呼んでもいいよ!」
力のマテリアルは口の端を笑みの形にして嬉しそうに叫ぶ。そんな彼女の反応が意外だったのかリンディも僅かに目を見開いたものの、すぐにいつもと同じ穏やかな笑みを浮かべ、
「そう、気に入って貰えて嬉しいわ……それじゃあ、今日からよろしくね、ディズィ」
「べ、別に気に入ったわけじゃない! それに、君達と馴れ合うつもりもないんだからな! 勘違いするんじゃないぞ!」
リンディに名を呼ばれ、耳まで頬を赤くしたまま釘を刺すように叫んだ力のマテリアルは、その表情を覆い隠すように伏せたまま食卓に残る夕食に再度箸を伸ばし始めた。
こうしてこの日、力のマテリアルにはもう一つの名前が与えられた。
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