リリカル☆マテリアル 我の事情(1)



 マテリアルの王。
 そう呼ばれるべき彼女は構築体の中においても特異な存在である。

 意思決定を執り行う力のマテリアル。
 行動原則を管理する理のマテリアル。

 この二基のマテリアルはそれぞれ目的達成の為の明確な役割を与えられている。
 つまるところ、彼女達は闇の書復活というマテリアルの悲願をスムーズに達成する為の部品として造られた存在に過ぎない。

 だが、王は違う。

 彼女にもマテリアルとして理と力、二基のマテリアルの制御統制を行う、つまりは司令塔としての役割は与えられている。
 だが、それはあくまで二次的なものだ。

 彼女が造られた本当の理由。それは闇の書が復活した際に新たな管制プログラム兼闇の書の真なる主として君臨する事だ。
 正確に言えばマテリアル達の目的は闇の書の復活――ではない。
 それはあくまで途中経過にしか過ぎず、その真の目的は闇の書を復活させ、未来永劫続く次元の海を渡る旅を続ける事。
 つまり、闇の書を正常な状態に戻す事だ。

 そして、その為には邪魔な者が二つ存在していた。
 それが壊れた管制人格と、愚かにも玉座を捨て去った闇の書の元主だ。
 マテリアルの王は、闇の書が復活した際にそれら“故障部品”の代替物として、闇の書を管理統括するべく造り上げられた存在なのだ。それがマテリアルの王と彼女が呼ばれる所以だ。

 彼女は闇の書が復活した折にはその名の通り闇を統べる王となるよう運命付けられているのだ。
 当然ながら理と力のマテリアルにも王が失われた際のバックアップとして機能できるよう、彼女らもまた闇の書の王となる事を優先目標のひとつとしているが、部品として生まれた彼女達と王にはその製作段階に置いて大きな違いが存在する。

 それはつまり、思考形態だ。

 理のマテリアルは正確な判断を下す為に論理的思考に縛られている。
 力のマテリアルは目的を見失わないよう感情的思考に縛られている。
 彼女達はそういう風に造られてしまっているのだ。

 だが、マテリアルの王にはその思考判断において論理や感情のどちらにも縛られる事が無い。
 管理人格として最終的には理と力のマテリアルを束ねる事になる王は、どちらかの思考に偏ることを善しとしない。論理と感情、その二つの判断材料を見極め、自ら判断することで最良の解を選択する。その為にも王自身には確固たる自由意志が存在していなくてはならないのだ。

 その為、彼女はその外見だけではなく――その“中身”もまた最も闇の書の主に相応しい存在をモデルケースとして精巧に造り上げられた。
 つまり彼女は、闇の書が記憶している“誰か”に非常によく似た性格の持ち主なのだ。

 ●
 八神はやては途方に暮れていた。
 守護騎士達と初めて出逢ったあの日以降、よほどの事では動じない自信を持っていた彼女だが、今日この時だけはそんなささやかな矜持も意味を為さなくなるほど今の彼女は精神的に弱り切っていた。
 その原因というのは勿論、

「ふン。我の世話役は貴様か子烏。本来ならば貴様等如き塵芥が我の動向に指図するなど在り得ぬ事だが……まぁいい、興が削がれぬ内は付き合ってやろう。感謝するがいい」

 そう、車椅子に座ったままのはやてを見下すような視線で、やけに偉そうに言葉を紡ぐ一人の少女。
 見た目だけを問うならば、まるで鏡写しか何かのように、そっくりな彼女こそが今、はやての悩みの種であった。

 今、周囲に彼女達二人以外に人影は無い。先程まで共に居たなのはとフェイトもそれぞれ一人ずつ自分そっくりの少女を連れ、とりあえずという事で自宅に帰って行ったのがつい数分前の出来事。
 そうして、この傲岸不遜を絵に描いたような自分そっくりの少女と二人きりで取り残されたはやては、一体どうしたものかと頭を悩ませる。

 ――できるんやったらなのはちゃんかフェイトちゃんに似た方の子がよかったんやけどなぁ。

 小さな溜息と共に、声には出さないままそんな思考を抱えるはやて。
 別に理や力のマテリアルが良かった、というワケではない。ただこの自らを王と名乗る自分そっくりな彼女だけは出来るならば遠慮しておきたかった――と言うのがはやての偽らざる本音であった。

「あんたは……あんたはええの? 私と一緒に住む事になっても?」
「む? なんだいきなり……? 虜囚の身が不満でないわけがないだろう。だが我自身の言葉ではなかったとしても貴様等に従うと了承した以上、約束を違えたりはせん」

 はやてのそんな問いかけに、眉根を寄せ明らかに不機嫌そうに王は応える。
 だがそれは囚われの身であることそのものに不満を抱いているだけで、はやて自身に対し特別な感情を抱いている様子は無い。

「勿論、我の悲願が闇の書の復活である事に変わりは無い。隙を見せればすぐにその寝首を掻き切ってやるからな。努々油断せぬことだっ」

 クックック、と悪そうな笑みを浮かべる王。そんな彼女の姿に、はやては辟易しつつ視線を逸らす。
 八神はやては、この少女の事が好きではなかった。
 もっと正確に、はっきりと言ってしまえば嫌いと断じても過言ではない。

 見た目が自分そっくりだから、という理由ではない。それよりもっと原初の部分、この少女の根幹たる何かが八神はやてを妙に苛立たせるのだ。
 当然の事だが、傲岸不遜をまるで絵に描いたような王の性格は人好きされるような代物ではない。その点から考えればはやてが王を毛嫌いするのは確かに普通の反応なのかもしれない。
 けれどはやての事をよく知る人物、例えば守護騎士達の誰か一人でもこの場に居れば、そんなはやての意外とも言える一面に目を丸くした事だろう。

 はやてとて別に聖人君子と言うわけではない。家族を傷つけられれば怒りを露にすることだってある。
 だが、それでも彼女が所謂普通の人間と比べ、“異常なまでに”優しく慈悲深い性格の持ち主である事は確かだろう。それこそ例えをあげるのならば八神はやてと出逢ったばかりのヴィータは今の王と比肩しうるような問題児であった。

 長く辛い時を、闇の書の守護騎士として過ごしてきた当時のヴィータは完全に心を閉ざしており、主であるはやてに対してもけして褒められたような態度を取る事は無かった。
 それでも、はやてはヴィータに対して悪感情を抱くこと無く、大切な家族として優しく接し続けた。その結果として今の八神家が存在しているのだ。
 故に、極論を言ってしまえば性格が悪い――というだけで王を毛嫌いするはやての姿はきっと守護騎士達にとっては非常に物珍しい光景であっただろう。

「はぁ……仕方ないから連れて帰るけど。とりあえず『ちりあくたぁ』とかウチの子達をばかにするような物言いはアカンからな。そんなんやったら誰とも仲良くできへんで?」

 それでも、見捨てるという選択肢は無いのだろう。重い溜息を吐きながらも王を先導するように車椅子の車輪を回すはやて。
 当然の事だが両者共に車椅子を押して貰うつもりも、押すつもりも無いようだ。
 そんなはやての後を、冷笑を浮かべたままの付いて行く王が変わらぬ尊大な態度で口を開く。

「仲良く? ふん、それこそ馬鹿らしい。我は王、この世界の頂点たる存在だぞ。下々の輩と馴れ合うつもりなど欠片もない」

 そんな風に、やはり微塵も態度を変える様子のない王。そんな彼女にはやては辟易の吐息を吐くばかりだ。

「そんな調子やったら、ひとりぼっちの寂しい王様にしかなれへんよ」

 責める様な、やはりいつものはやてからはあまり想像できないような厳しい言葉が飛ぶ。
 自分でも、何故こんなに王に対し厳しく当たるのかが解らない。それでも、何故か王に対しはやては苛立ちのような感情を抑えきる事が出来なかった。

 だが、そんなはやてに対し王はどこか楽しげに快活な笑みを漏らす、自分に逆らうはやての反応を楽しんでいるような風情だ。
 実際のところ、王は闇の書復活を阻む存在としてはやて達を敵視してはいるが、個人的に彼女達を憎んでいるわけでも嫌っているわけでもない。そもそもの性格として王の場合他人を見下す性質ではあるのだが、そこに特別な悪意はない。

「クックック。我の隣に誰かが立つ必要は無い、それだけのことよ。何故ならば、いずれ我が砕け得ぬ闇の王となった暁には我以外の全てが我の下に集い平伏すことになるのだからな。そうなれば我は孤高でありはしても孤独ではなくなる」

 つらつらと、それが己に科された使命であるかのように淀みなく答える王。
 だが、それはマテリアルの王としての悲願ではない。

 マテリアルの王としての目的は、あくまで闇の書の完成、そして維持のみである。
 故に、その言葉は彼女の中に存在する自己から導き出された――彼女自身の望みだった。

「そう、いずれ我は王となる。そうしてこの世の何もかもを統べるのだ。……ああ、そうすれば。そうすればきっと――」

 ――寂しくない。

 楽しげに、自信の夢を語る王。だが、その歩みが急に止まった。
 先を行くはやてが車椅子を止めていたのだ。その背後を追うように歩いていた王は、語り続けるのに夢中だったようで、そんなはやての挙動に気づかなかったようだ。

「うおっ。ぬ……どうしたのだ突然立ち止まったりしおって?」

 もう少しで車椅子に激突しそうな所で間一髪、つんのめりながらも踏みとどまる王。
 だが、はやてはそんな王の声が聞こえていないのか、こちらに背を向けたまま、

「ひとりぼっちは、イヤなん?」

 尋ねた。
 はやては、王の事を孤独な存在であると認識していた。
 他者を排し、ただ己の存在だけを頼りに玉座に収まり続ける――そういう存在なのではないかと。
 だが、

「む……? ただ一人でありながら王を名乗ることに意味などあるまい。従えるべき者がいるからこそ、我は正しく王となれるのだ。その為にも、我は世を統べるにたる偉大なる王であることを宿命付けられているのだ」

 はやての真意を理解せぬまま、ただ不思議そうに応える王。その姿に、その声に、はやては一人頭を抱えた。夕日に照らされるその頬は羞恥の感情に僅かに紅潮しており、

「アカン……そう言うことか……」

 頭を抱え、己の失態を悔やむような呟きを漏らすはやて。
 この時点で彼女は理解していた。自分が王に対しやけに反感を抱いていた理由に気づいてしまっていたのだ。

 人を見下すような性格をしているからではない。傲岸不遜な態度を崩さないからでもない。
 ましてや、見た目が自分そっくりであるからでもなく、
 そう。それはあまりにも単純な話。

 マテリアルの王と名乗る彼女は、あまりにも八神はやてにそっくりだったからだ。
 見た目だけではなく、その中身が。

 根源的な思惟とでも言うべき中身が、あまりにも自分と瓜二つであったから、はやては王に対し嫌悪のような想いを感じていたのだ。
 だが、はやてと王の中身が似ている、と言われた所で納得できる者など居ないだろう。

 その性格だけを論じるならば彼女たち二人は対極に位置していると言っていい。八神はやてという少女をよく知るものならば尚更だ。
 それでも、家族や親友達ですら知らない『八神はやて』という人間が、どういう者なのかをはやては誰よりも知っている。

 今の自分が善人だと言うつもりははやてには無い。
 それでも、過去の――闇の書の封印が解かれ、守護騎士達が現れる以前の――自分がけして誇れるような人間でなかったことをはやては知っている。

 両親を早くに失った自分にとって、仲の良い親子連れを見ることは苦痛の原因だった。
 満足に足を動かせぬ自分にとって、元気よく登下校する同級生達は嫉妬の対象だった。

 もちろん、そんな感情を表に出すような事はしなかった――いや、そもそも感情を露にし、不満をぶつけるべき相手さえ、かつてのはやてには居なかった。
 それでも、その内側に淀む感情は消えることなどなかった。
 ひとりぼっちで過ごす毎日が、辛くて、怖くて、悲しかったのだ。
 家族が、友達が、ほんの僅かな温もりが――どうしようもなく欲しかったのだ。

 なのは達は知る由も無いだろう。守護騎士達ですらそんなはやてを見たことは無い。
 知っているとすれば彼女の担当医であった石田医師。もしくは幼い頃からずっと共にあった闇の書の管制人格――リインフォースぐらいだろう。

 それははやてにとって出来ることならば思い返したくない過去。大切な家族が居ない光景だ。
 そして王と名乗るこの少女はあの時の自分と同じ。きっと同じなのだ。
 彼女が求めているのは、きっとかつて八神はやてが冀い。心から求めたものと代わりないのだ。
 家族を、確かな温もりを。

 けれど、それは持ち得ぬ者にとって、奇跡でも起きねば手に入れられない代物だ。
 だから彼女は王になろうと――そうすれば、きっと多くの人が自分の傍に居てくれると、そう信じているのだ。
 そう、信じなければ何一つできやしないのだ。

 けれど、どうしても欲しいものの筈なのに、決して手に入れる事が出来ない何か。
 自分はそれを手に入れることが出来た。家族と言う名の確かな絆を――だ。
 けれどもし、ほんの小さな奇跡さえ起きぬままだったなら――きっと八神はやては目の前にいる少女と同じ、それを求め続けていただろう。

 諦めることもできずに。妥協することもできずに。たった一人きりで。

 かつての自分。
 もしもの自分。
 そんなものを、目の前に突き付けられれば誰だって心がざわつく。

 けれどそれは嫌悪などではなく、ただただ恥ずかしいだけの事。
 誰だって、自分の事を本当に嫌いになどなれやしないのだ。

「自分のちっさい頃の恥ずかしいビデオ見せられてるようなもんか……はぁ、なんか色々と気が重とおなってきた……」

 ハァ、と深いため息を漏らすはやて。
 ジト目で注がれるはやてのそんな視線を受け、マテリアルの王は一人、尊大な態度を崩す事無くポージングを決め、

「くくっ、そう見つめるではない。まぁ我の類稀なる美貌に思わず見蕩れてしまうのは必然ゆえに、致し方ないことなのかもしれぬがなっ!」
「やーかーらー! そういうこっ恥ずかしい事を平然と言うのやめてーやー、ホンマに!」

 なんにせよ。この子の事はホンマに苦手やわ――疲れた表情を隠す事無く八神はやてはそんな風に王と家路を供にするのだった。

 八神はやてと、八神はやてによく似た少女の生活は、まだ始まったばかりだ。


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