リリカル☆マテリアル 私と僕と我の事情(5)



 草木も眠る丑三つ時。
 それは古来から神域・怪異に通ずると呼ばれ多くの怪談話において舞台となってきた時間帯だ。

 とは言え、この現代社会においてそれはあくまで午前三時でしかなく、ここ海鳴の町で百鬼夜行や丑の刻参りが行われている様子は微塵も無い。
 だが、どれだけ時代が移り変わろうとも、どれほど文明が発達しようとも、この時間帯が、魔の蠢く刻である事に変わりはないのだ。

 市街地から少し離れた閑静な住宅街。その片隅に小さな児童公園があった。
 大きな池やジョギングコースなどが整備された自然公園と比べれば、僅か一区画分程度の小さな面積に作られた公園だ。しかし砂場や滑り台、ジャングルジムといったお決まりの遊具はきちんと整備された状態で置かれており、普段は近くに住む子供達にとって格好の遊び場なのだろう。
 とはいえ、時刻は深夜。当然のように公園には人影はなく、片隅に立てられた街灯の青い光が僅かに物言わぬ遊具を照らしだしていた。だがそこに人ではない小さな影が一つ。

 猫、だ。
 全身が墨を流したように真っ黒で、暗闇に光る金の瞳が爛々と映える黒猫。

 彼は誰もいない公園を我が物顔で悠々と闊歩していた。首輪はなく、おそらくはここが彼の寝床であり、縄張りなのだろう。
 だが、青黒い街灯の明かりの下、ふと立ち止まった黒猫は首を巡らせ公園の出入り口へとその黄金色の瞳を向ける。そこから先の反応は素早かった。何かが近づいてきていると察知した彼はいつでも跳びかかれるようにと身を縮め、威嚇の声を喉から響かせる。
 相手が右も左も解らぬ子猫なら、それこそ尻尾を巻いて逃げ帰るくらい堂に入った威嚇だ。

 だが、今夜の闖入者はそんな彼の威嚇など何処吹く風といった様子でまるで歩調を変える事無く公園に這入り、仄かな明かりの元、その姿を現した。
 それは少女だった。当然ながら猫や犬ではなく、人間のカタチをした幼い女の子。

 栗色の髪に蒼い瞳。その未成熟な身体はまるで血がべっとりと貼り付いたかのような鮮やかな紫紺のワンピース型制服に包まれている。年の頃は十代に届くか否か、といった風情。それこそ、この公園で遊んでいてもおかしくはない年頃の子供だ。

 勿論、こんな時間帯でなければ、という注釈が必要な事実ではあるのだが。
 周囲には保護者らしき姿もなく、どこか感情の読めない鉄面皮の如き表情のままゆっくりと公園に這入ってくる。
 そんな彼女の視線が僅かに下がった。ちょうど足元で低く唸る黒猫の姿をそこで始めて認識したかのように、真っ直ぐ視線を向け、その蒼い瞳が黄金色をした一対の瞳を射抜く。
 瞬間、だった。猫は全身の毛を総毛立たせるとそれこそ子猫のような悲鳴を上げ、尻尾を丸めて一目散に逃げ出した。

「…………あっ」

 中途半端に手を出した姿勢のまま、脱兎の如く反転し、逃げ出した猫の行く手を淡々と見詰める少女。
 その様子はまるで人形か何かのようだ。

 否。まるで、ではない。何故ならば彼女は造られし者(マテリアル)。
 理のマテリアルと呼ばれる、闇の書復活の為に造られた魔導生命体なのだ。

「逃げられて……しまいました」

 己の掌を見て、小さく呟く理のマテリアル。そこにはやはり特別悲しんだり、驚いたりした様子は欠片も見えない。その声音や挙動はどこまでも抑揚の無い無感情なものだ。

「……ククク、何を畜生と戯れておるのだ。理の?」

 そんな彼女に呼びかけられる声がひとつ。どこか不遜なその声の出所を見遣れば、滑り台の一番上のタラップに何時の間にか新たな人影が座していた。
 ただの滑り台だと言うのに、それをまるで玉座か何かのように堂々とした様子で座っていたのはやはり十にも満たない少女だ。灰色の髪にエメラルドグリーンの瞳。その表情は無表情を貫き通す理のマテリアルとは違い、嗜虐や嘲笑といった言葉がよく似合う陰惨な笑みを浮かべていた。
 彼女もまた人ではない造られし存在。王と呼ばれるマテリアルの一基だ。

「いえ、別に……それにしてもお早いのですね王。待ち合わせの時間にはまだ早いようですが」
「うぐっ……お、王たる我はこの世全ての模範とならねばならぬからな、約束の時刻を守るのは当然の事よ……」

 額に汗を浮かべつつ、やや怯んだ様子で答える王。その動揺っぷりから見るに、他にも何か理由があるのだろうが、理のマテリアルは特に突っ込みをいれる事無く「そうですか」と静かに呟いただけで話を進める。

「ところで王。力のマテリアルの姿が見えませんが、彼女はまだなのですか?」
「ん? ああ、まだ見ておらんな。あやつめ、まさか眠り呆けておるのではなかろうな……」
「いくら彼女でも約束を忘れて眠り呆けている、とは考えたくありませんが、」

 あの子の事ですからね、と諦観にも似た呟きを漏らす理のマテリアル。
 だがそんな心配を払拭するかのように、唐突に声が頭上から響いた。

「フフフ、待たせたみたいだね!」

 声のした方向を仰ぎ見れば、ジャングルジムの頂上で無駄にカッコいいポーズを決めた第三の少女が居た。
 スクール水着とマントを組み合わせたような奇抜な服を纏い、ツインテールに結わえた蒼く長い髪を風に揺らしている。アメジスト如き瞳は真っ直ぐこちらを見据えており、

「力のマテリアル、ただいま参上!」

 少女は何処からか効果音が鳴り響きそうな構えを取りつつ名乗った。
 そんな彼女の姿を、理のマテリアルはやはり揺らぐ事のない無表情で、王は心の底から呆れ果てたような眼差しで暫らく見詰めた後、

「では、さっそく用件をすませましょうか」
「うむ、まぁアホが一匹いなくても特に支障はなかろう」

 力のマテリアルからあっさりと視線を外し、そのまま何事も無かったかのように話を進めようとする二人。

「ちょ、ちょっと待ちなよ二人共。なんで僕を無視するんだよ!?」

 慌てた様子でジャングルジムから降りてくる力のマテリアル。だがしかしまともな足場のない場所で急いだ為、

「と、とりあえず今そっちに行くから――のわぉぅ!?」

 唯一の足場でもある鉄パイプから足を滑らせ、そのまま少女の矮躯は一瞬だけ宙に浮いかと思うと、直後お尻からジャングルジムの穴に落ちていった。

「にょ、にょわあっ!? ぬ……ぐ……ぐぎぎぎ……」

 だが、ジャングルジムの中に吸い込まれるように落下する直前、力のマテリアルは両手両足を駆使して鉄パイプをホールド。すんでの所で落下を阻止することに成功する。
 だが、結果的にジャングルジム内部でもはや落下する事もままならず中国雑技団的姿勢のまま固定される力のマテリアル。
 そんな彼女の姿に、王と理のマテリアルは「おお」と感嘆の吐息と共に惜しみない拍手を贈る。

「いやいやいやいやっ!? 感心してないで助けてよ!? いや、ちょっとこれマジでヤバいんだよっ!?」

 ●

「……し、死ぬかと思った」

 ぐったりとバネでスイングする動物型の乗り物に身を預け、脱力する力のマテリアル。
 ジャングルジムに嵌り、ぷるぷると四肢を生まれたばかりの子鹿のように震わせながら必死で懇願する彼女を、さすがに見かねた理のマテリアル達が救助したのが数分前のほんの出来事だ。

「自らの身体を張ったギャグ。中々に見事だったと論理的に判断できます。まぁ面白いかどうか私には理解不能ですが」
「ギャグじゃないしウケを狙ったわけでもないよっ!? 下手すれば死ぬとこだったんだよ!?」

 うがー、と歯を剥き出しにして吼える力のマテリアル。対し理のマテリアルは何処まで本気なのかぼんやりとした表情をぴくりとも動かそうとしていない。
 そんな彼女達のやり取りを呆れたように聞いていた王は、

「ええい貴様ら、いい加減にせんか。我等は戯れにこうして集まったわけではないのだぞ!」

 そんな風に滑り台のタラップの上に立ち上がり、眼下を睥睨しながら言葉を続ける。

「そう。あの憎き塵芥どもは我等を分断して無力化したと思っているようだが。愚か者どもめ……こうして我等が夜中に結集して虎視眈々と逆襲の機会を狙っているとは夢にも思っていまいっ!」

 クックック、と悪の親玉っぽい笑みを浮かべ肩を揺すらせる王。そんな彼女を理のマテリアルは静かに見上げたまま、

「王。そんなところで仁王立ちするとスカートの中が丸見えですよ?」
「人が見栄を切ってるところに水を差すような事を言うなっ!?」

 言いつつも、さすがにこのままでは締まらないと判断したのか、コホンと咳払いした王は、そのまま滑り台を使って理のマテリアル達のところまで滑り降りてくる。

「ふん、まぁいい。そんなことよりも、貴様ら尾けられたりしておらんだろうな。認めたくは無いが今の我等は囚われの身。密会をしていたなどとバレれば如何な目に遭わされるか解らんからな……特にそこの青いの」

 ビシッと指差す王。その所作に、指を突きつけられた力のマテリアルは驚きの表情で、

「な、なんで僕限定なのさ!?」
「ふン。言わずとも解ろう。そもそも貴様に隠し事や隠密行動が勤まると思う方がどうかしておるわ」
「なっ……そ、そういう王はどうなんだよ! ちょーっとおだてられたら「ふふん、仕方ない。特別に話してやろう」とか言ってベラベラ喋りそうな性格の癖して!」
「なっ。貴様、我を愚弄する気か!?」

 結果的にやいのやいのと諍い遭う二人。そんな彼女達を尻目に、理のマテリアルは一人星の無い夜空を見上げ、

「まぁ、とっくにバレてはいるようですが」

 ●

「あらあら、さすがね。まぁこの場合、勘が良いというより、それが当然だと判断したからでしょうけど」

 頬に手を当てながら、リンディ・ハラオウンは何処か楽しげな調子で呟いた。
 彼女の視線の先。そこには無数に展開したウインドウがあらゆる角度から深夜の公園の様子を映し出している。その中でもメインスクリーンとなっている巨大なウインドウには直上から映し出された公園の姿――そしてそこに集まった三人の少女達の姿を鮮明に映し出していた。

 マテリアル達だ。
 そのうち二人はこちらの監視を気にする事無く何やら言い合っている様子だが、ただ一人、理のマテリアルだけがまっすぐこちらを見据えていた。

「これって監視している事が向こうにも筒抜けってことですよねぇ……艦長」
 オペレータ席に座り、監視装置の制御を行っているエイミィがやや怯んだ調子で背後、艦長席に座るリンディに声を掛ける。
 今マテリアル達が集っている公園の直上、遥か成層圏の彼方にその艦は停泊していた。

 次元航行艦アースラ。そのメインブリッジには艦長席に座るリンディ・ハラオウンを始め、アースラスタッフ一堂が真摯な眼差しでマテリアル達の監視任務に従事していた。

 王や力のマテリアルは尾行されていないかどうかと心配していたようだが、それ以前の問題として、今回の件の重要参考人物たるマテリアル達には始めから監視がついていた。
 リンディの監督の下、日常生活を行っている間にそこまで厳重な監視は行われていないが夜中にこっそりと家を抜け出したりすれば、さすがに監視レベルは引きあがり、このような厳重な監視体制が敷かれる事態にもなる。

「当然、彼女も監視が行われている事は知っている。それでもこうして怪しげな密会を行うのは、それが彼女の理に叶っているから、なんでしょうね」
「監視される事が、ですか?」

 どうにも解らないと言った様子でエイミィが告げる。本来ならば監視されていると理解しているのならば、それに気づかぬフリをするのが常道だ。その上で偽の情報を流せば少なからずこちらを混乱させる事さえできる。
 だが、理のマテリアルの目的はそうではない。

「彼女は私達に『自分たちは無害である』という事実を伝えようとしているのよ。彼女達が無害であれば私達も必要以上に危険視する必要はないし、あの子達にとっても無用な諍いを防ぐメリットになる。けどそれは言葉で説明しても納得しかねるのは確かだわ」

 現状は休戦状態となっているが、管理局と彼女達が敵対関係のままであることに変わりは無い。
 そんな彼女達に言葉で「自分たちに抗う力は無い」と言われても俄かには信じ難い、というのが当然の心情だろう。

「だから、なのはさん似の彼女はああして他の子達に監視されてる事を伝えずに好き勝手させてるんでしょうね。どう、今のあの子達の様子を見て危険そうに見える?」

 監視映像に視線を向けるアースラスタッフ。そこには王と理のマテリアルがお互いの頬を摘んでぐいーんと引き伸ばして涙目になっている至極間抜けな映像が映し出されている。
 そんな彼女達の姿を見て、危機感を覚える者はこの場には誰もいなかった。
 ただ一人。艦長席の背後に佇む黒衣の少年を除いて。

「例えどれほど無害に見えたとしても闇の書から生まれた構築体。またいつどんな切っ掛けで力を取り戻すかわからない以上、油断するのはあまり賢い行為だとは思えません……艦長」

 クロノ・ハラオウンだ。バリアジャケット姿は何時もの事だが、その手には待機状態のデュランダルが握られている。
 何か不穏な事態が起きればすぐにでも出撃できる構えを解かぬまま、彼は監視映像を注視し続けていた。

「今だって演技している可能性も無くはない。気を緩めるのは事件がすべて解決してからにすべきでしょう」

 リンディに、というよりこの場にいるスタッフ全員に言い聞かせるように述べるクロノ。その言葉にアースラスタッフ達は表情を引き締め監視業務に戻る。
 ただリンディだけは背後からのクロノの声を気にする事無く、

「演技……ねぇ。どう見てもあの子達が嘘を吐いたり、腹芸が得意だったりするようには見えないんだけれど……」

 ウインドウの中ではマテリアル達が子供じみたケンカを続けている。
 確かに、こちらを油断させようとこれを演技でやっているのだとしたら大したものだ。
 まぁ、十中八九彼女達は素のままだろうが。

「そんなことは解ってます。ただ油断するべきではないと言っているんです。彼女達の本質が法に触れる存在であることに変わりはありません。本来ならばこうして自由に行動させる事さえ僕は反対なんです……」

 くどくどと言葉を続けるクロノ。そんな彼の弁にリンディは呆れたように「ハァ」と盛大な溜息を吐き、

「もう、クロノってばセクハラや痴漢だけじゃあ飽き足らず監禁まで希望だなんて……母さんちょっとショックだわ……どこで育て方を間違えたのかしら」

 ざわり、とアースラの艦橋に妙な緊張が走った。
 オペレータ業務に勤しむ女性局員達がエイミィを中心に一箇所に集中し、ひそひそと噂話を始め、「えー、やだーサイテー」とか「執務官にそんな趣味があっただなんて」とか、あまり内容を詳しく聞きたくない類の言葉が風に乗って聞こえてくる。

「か、かかか、母さん!? で、ではなく艦長!? いきなり何を言い出すんですか!?」
「まぁ仕方ないわよね。ほら、彼女達ってなのはさん達にそっくりで可愛らしいものね。でもねクロノ。いくら身長が同じくらいだからって見た目小学生の女の子にそういう感情を抱くのはどうかって母さん思うの」
「何を真剣な顔して言ってるんですか!? というか身長に関しては触れないで下さい!」

 気にしているのだ。これでも。
 まぁ、リンディとしては場を和ませるためのジョークを言ってるだけなのかもしれないが、勘弁してもらいたいというのがクロノの正直な意見だ。
 今もアースラスタッフ男性陣が表向きは仕事に勤しみながらも明らかな「チッ」という明らかな舌打ちの音を響かせ、

「フェイトちゃんを義妹になんていう立場にしておきながらこいつは……」
「しかも見た目そっくりなツンデレ美少女に手を出しただと……許すまじ……」
「あんな可愛い女の子ばっかりいる家で男一人のポジションとか……リア充は蒸発しろ」
「いや待て!? もしリンディさんが今フリーならそこに納まることで夢の家族構成に加われるんじゃ……」


「おまえらちょっとは真面目に仕事をしろよっ!? というか最後の奴ちょっと前出て来いぶっ飛ばすぞコラァァッッ!!」


 キャラ設定が崩れるほど怒り狂うクロノ・ハラオウン(マザコン)であった。


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