リリカル☆マテリアル 私の事情(2)



 喫茶翠屋。

 商店街の一角に居を構えるその店を、ここ海鳴市に住みながらにして知らない者はそうそう居ないだろう。
 一流のパティシエールによる菓子類はそれこそデパートで売られているような既成品とは比べ物になるわけもなく、甘いものが苦手な人にすら絶賛されている。
 オリジナルのブレンドコーヒーやシュークリームなどに根強いファンもいて、店内は日々盛況していた。

 ここまでくれば支店を展開したり、県外からの客層も見込めるレベルなのだが、その名声は市外に行くにつれ薄まり、県外からの来客となると流石に珍しい部類に入る。
 それというのも、店主の意向かあまり店舗拡大には興味がないようで、マスコミからの取材も実のところ何度か申し込まれた事があるのだが、受け入れたことはあまりない。それこそ地元のローカル誌に一度掲載された事がある程度だ。

 故にそこまで店内が混雑するという事はあまりないが、地域の人々に愛され賑わう憩いの場――それが翠屋という喫茶店だった。

「ねぇねぇミーちゃんミーちゃん。今日も翠屋に寄って行こうよー」
「……またぁ? いやまぁあそこのケーキは確かにこの世のものとは思えないくらい美味しいんだけど、こう毎日だとお金と乙女の重さ的なものが……」

 時刻はちょうど夕方。学校帰りなのだろう制服姿の少女が二人、商店街を並んで歩いている。その道をまっすぐ五十メートルほど歩けば話題にあがっている翠屋の店舗が見えてくる筈だ。

「えー。ミーちゃん行かないの? 翠屋のケーキ、すっごく美味しいよー? シュークリームとか、もうほっぺたが蕩けちゃうよー」
「うわぁ!? やめろぉ、私を冥府魔道へ引きずり込むなぁ!? 今月はもうお小遣いがピンチなんだよぅ……」

 二人組の片方は、色々な理由からか翠屋へと行くのを躊躇っているようだが、この様子だと本能が理性に勝るのは時間の問題だろう。
 しかし既に行く気まんまんな方の少女は、欠片の邪気もない笑みのまま楽しそうに話を続ける。

「それにね、それにね。この時間帯だとホラ。天使ちゃんに逢えるかもしれないしさー」
「ん? ああ、あの手伝いしている女の子のことか。栞はホンットかわいいモノには目がないわね……」

 目をキラキラとさせながら少女が語る天使と言うのは、翠屋に足繁く通う者にとって菓子類の美味しさの次に周知の事実となっている、とあるウェイトレスの事だ。
 年の頃はまだ十代に届くか否かと言った頃合の、それは可愛らしい少女が働いている姿を翠屋では偶に目撃することができるのだ。

 勿論、従業員でなければバイトでもない。恐らくは翠屋の経営者の家族がお手伝いとして働いているだけなのだろうが、頑張って働いているその健気な姿に何時しかその少女は「喫茶翠屋の白い天使」などと渾名されるようになり、翠屋に通う者の中にも少なからずファンがいるのであった。

「天使ちゃんに逢いたいよ。逢えるかなぁ? 逢う! 逢ってはぐはぐする!!」
「やめなさい。アンタそれ前にマジでやって困らせていたでしょう」

 その時の事を思い出したのか、少女のうち一人が難しい顔をする。あの時は女の子同士という事もあり全力で謝ったが為に笑顔で許してくれたが、二度目がどうなるか解らない。この相方の少女が可愛い者を目の前にすると理性をトバすのはそう珍しい事ではない。

「くぅ……こんなのを警察のお世話にさせるわけには行かないし……解ったわよ、私も一緒に付いて行ってあげるわよ……」
「ほんと? わーい、嬉しいなぁー。と、気づいたらもう翠屋が目の前に!?」

 会話を続けている間に何時の間にか喫茶翠屋の店構えはすぐそこだ。

「ぬぬ!? あのシルエットは間違いない……天使ちゃんだ!? あの子の満面の笑顔で『いらっしぃませ』って言われると一日の疲れが吹き飛ぶよぅ!」
「アンタはビール好きのオヤジか……あ、でもホントに今日は出ているみたいね、あの子……」

 見れば、ガラス越しに小学生ぐらいの女の子が翠屋のエプロンを纏って立っているのが見えた。
 基本的にただの手伝いである為、白い天使に逢うには多少の運も必要なのだが、今日は喜ぶべきかちょうどお手伝いの日であるらしい。

 やれやれ、と今にも駆け出して行かんと興奮する相方の少女を諌めながら翠屋の扉を潜る少女達。
 そんな彼女達の来訪に気づいたのか、小さな影はゆっくりとこちらを振り返り、静かに呟くのだった。

「いらっしゃいませ。喫茶翠屋へようこそ」

 ただし、少女達の予想とはかけ離れた、眉一つ動かさぬ無表情で、だ。
 それもその筈、そこにいたのは翠屋の白い天使――高町なのはではなく、彼女と非常によく似ていながら、しかしまったく別の存在。

 理のマテリアルだったのだから。

 ●

 二名の来客者からの反応は無い。
 何故か信じられる者を見るかのような眼差しでこちらを見つめる二対の視線に、しかし理のマテリアルは僅かも動揺する事無く、高町桃子に教えられた通りの対応を続ける。

「お客様、二名様でよろしかったでしょうか? ……では、お席へとご案内致します」

 慇懃に呟いた後、踵を返し少女達を促すように先導する理のマテリアル。
 瞬間、背後から何かが崩れ落ちるような音が響いた。
 疑問に思い、振り返れば二人組の少女のうち一人がその場に崩れ落ち、

「お、おおっ……私の、私の天使ちゃんが……やさぐれてしまった……」

 さめざめと泣いていた。
 そんな彼女の様子に理のマテリアルは冷静に周囲の状況を判断し、

「……お客様、論理的に考えてそこはお席ではありませんのでこちらへどうぞ」
「うわああん。ごめんよぉ! この前はぐはぐした事まだ怒ってるんだよねー。ホントに反省してます、ごめんなさいー!」

 何故か更に涙腺を刺激してしまったようで、少女はぐしぐしと頬を涙で濡らしている。
 流石に予想外の反応であった為に、さすがの理のマテリアルもどうしたものかとやはり無表情で首を傾げるしか無い中、やはり硬直していたもう一人の少女がようやく我に返り、フォローに回る。

「ちょ、ちょっと落ち着きなよ栞。私もびっくりしたけど、たぶんこの子いつもの子じゃないよ。髪も短いし、なんか雰囲気も違うし……だよ、ね?」

 と、最後には確認するようにこちらへと問うてくる少女に、理のマテリアルは静かに首を縦に振り、

「はい。私は本日からこちらの仕事に従事させて頂いており、お客様との面識はございません」
「ふえ……? て、天使ちゃんじゃないの?」
「天使……? 残念ながら私は天の御使いではありません。私は闇の書の構築体が一基、理のマテリアルです」
「え? え? りのまてりあるちゃん?」
「呼びにくければ、ユナ、とお呼び頂いても問題ありません」

 ひたすらに淡々と受け答えする理のマテリアル。少女の方もようやく事態を理解してきたのかなんとかその場から立ち上がる。
 その姿に問題は解決したと判断した理のマテリアルはまるで何事も無かったかのように、先程と同じ動きを見せ、

「ではお客様。お席にご案内致します」

 そんな彼女の言葉に、二人の客は暫し顔を見合わせた後大人しく理のマテリアルの後について行った。

 ●

「うーん。やっぱり、ユナちゃんのこと見て驚くお客さんが多いねー」

 そんな理のマテリアル達の姿をカウンターの内側から眺めていた高町美由希は少々心配そうな眼差しで見つめていた。
 やはり、翠屋において高町なのはの存在はそれなりに有名であるが為、見た目がそっくりな理のマテリアルが接客に応じると、驚いてしまう客がそれなりに存在していた。
 先程の少女はさすがにオーバーなリアクションではあったが、反応の大小はあれで皆似たような反応を返すのだ。

 これで仮に彼女が普段の高町なのはのように満面の笑みで接客していれば、そこまでの反応されることも無かっただろうが、なにしろ理のマテリアルは眉一つ動かさない鉄面皮だ。
 多少のトラブルが起こるのは致し方ないことなのかもしれない。

「そうねー。でもでも応対とかは凄いのよ? ざっと眺めただけでメニューも全部覚えちゃったみたいだし、細かい気配りも出来てるみたいだし」

 同じくカウンターの中で微笑を浮かべたまま、理のマテリアルを評する桃子。
 見れば、理のマテリアルは先程の二人組のところへとメニューを差し出し、注文を伺っていた。その挙動に淀みは無く、随分と堂に入った様子だ。とてもではないがお手伝い初日のウェイトレスとは思えない所作だ。
 ただし、その表情はやはり鉄面皮ではあるのだが。

「……後は、笑顔を見せてくれると最高なんだけどねぇ」

 苦笑交じりに呟く美由希。そうねぇ、と桃子もそれには同意する。
 単に接客業だから、という理由ではない。そんなことよりも二人はきっと理のマテリアルが笑えば凄く素敵だと、そう理解しているから彼女を笑顔を望んでいるのだ。
 そんな二人の下へ、オーダーを無事に承ってきたのか、理のマテリアルがトコトコとこちらへと歩み寄ってきた。

「母上様。三番テーブルのお客様、特製シュークリームにレアチーズケーキ。それにブレンドコーヒーをひとつご注文されました」

 まるで報告書を読み上げるように、ひたすら淡々とオーダーを呟く理のマテリアル。
 そんな彼女に、桃子は特に気負った様子も見せることなく語りかける。

「ねぇねぇユナちゃん。ちょっと笑ってみてくれないかしら?」
「笑う、ですか? ……それは、仕事に必要不可欠な要素なのでしょうか?」

 ただ、疑問を提示するかのように尋ねる理のマテリアル。

「そうねぇ。絶対ってわけじゃあないけど、やっぱりこっちが笑顔だとお客様も笑顔になってくれるんじゃないかしら。折角の甘いお菓子ですもの、楽しく食べたほうが絶対美味しいわ」
「ふむ……そういうものなのでしょうか……」

 いまいちよく理解できていない様子ながら、理のマテリアルは与えられた任務に忠実に従う兵士のように、ふむ、と頷き、

「了解致しました。しかし母上様。私には感情というものがございません。笑う、という行為がどのようなものか把握していないのですが」
「大丈夫。簡単よ、ほら、こうして笑顔を見せてあげればいいの」

 そういって、理のマテリアルに向けて微笑を浮かべる桃子。
 理のマテリアルはそんな彼女の表情を暫くじっと見つめた後、

「理解いたしました。………………こう、でしょうか?」

 そういって、桃子の笑顔を可能な限り再現する理のマテリアル。だが、

「――――っっ!?」
「ひ、ひぃ!?」

 一体何を見たのだろうか?
 桃子の表情が微笑のままビクッと身を震わせたあと硬直し、隣で理のマテリアルの様子を伺っていた美由希にもまるで恐怖に引きつったかのような悲鳴を口の端から漏らした。
 ただ一人、理のマテリアルだけがただ淡々とした声音のまま、

「如何でしょうか母上様。姉上様。笑顔、とはこれでよろしかったでしょうか?」
「……え? そ、そうね……ええと、その、凄く個性的というか……その、もうちょっと練習してから使いましょう、ね!」

 どこか言葉を選ぶような物言いで、こちらを励ますように肩に手を置かれる。

「ふむ……まだまだ実戦にて使用できるレベルには至ってないようですね」

 そんな桃子の反応に、理のマテリアルは自分なりの笑顔を引っ込め、いつもどおりの無表情へと戻った。




 今はまだ浮かべる笑顔すらぎこちない、そんな理のマテリアルが「喫茶翠屋の黒い天使」として噂されるのはもう少し後の事である。



前話へ

次話へ

目次へ

↓感想等があればぜひこちらへ




Back home


TOPページはこちら





inserted by FC2 system