魔法少女リリカルなのはSS 温泉へ行こう〜出発編〜


 


 深夜の機動六課。
 隊員達の多くは隊舎へと戻り、夜勤の者達も数名が中央管制室に詰めるこの時間帯は昼間のそれと違い驚くほど静かだ。
 だがしかし、未だに明かりが煌々と灯る一室がある。
 機動六課の中枢、部隊長である八神はやての執務室だ。
 そのなかで、はやては高く詰まれた書類の山と格闘しつづけていた。
 もはや通常の業務においては電子書類が主だったものだが、それでもこうした紙媒体の書類が根絶することはない。
 特に役職が上に上がればあがるほど、直筆のサインを書く機会は多くなる。
 結局のところ、世の中がいくら便利になろうとも最後に信用を得ることが出来るのはアナログということなのだろう。
 そんなわけではやては先程から延々と書類に自分の名前を書き記し続ける。
 その相貌は目の下に隈が出来ており、憔悴という言葉から更に一段階上の状態にまでなっている。
 腕はもはや機械の様に、半自動的に書類にサインをいれ、次の書類を取り出し、再びサインを入れる。
 そんな作業を延々と繰り返し続けているのだ。
 もはや瞳には何も写らず、書類の内容が如何な物なのかすらはやては理解することは出来ないだろう。
 視界を少し横にずらせば、ミニチュアサイズの机にはリインが死んだように机に突っ伏している。
 彼女も様子は似たようなものだろう、先程までありとあらゆる書類と格闘していた彼女は、既に限界を超え安らかとはとても言いがたい寝息をついている。
 夢の中ではまだ書類と戦い続けているのかもしれない。
 そんなリインの姿を僅かに視界に納め、はやての瞳に力が戻る。
 そう、もう少しで終わりなのだ。
 すでに大半の仕事は終わっている。後ははやてのサインが全ての書類に記されればそこで仕事は終わりなのだ。
 そしてそれももうすぐ終わりだ。
 高く積み上げられた書類の殆どは既に完成したものだ。
 残った物も、もう数えるほど。はやては今にも落ちそうになる瞼を必死に開き、猛烈な勢いで作業を続ける。
 そして、ようやく最後の一枚。
 そこにサインを入れ終わると同時に、はやての手から万年筆が滑り落ちた。
「お……終わった……」
 ついに、長かった戦いが終わりを告げたのだ。
 すぐにでも倒れそうになる自分の身体。しかしはやてはそれすらも無視して両手を高らかに天井に向けて突き上げ叫んだ。

 

「行くでー、温泉旅行!!」

 

 ●

 

「はい、そんなわけで機動六課ももうすぐ試験期間を終了し解散となります。みなさんとのお別れは悲しいことですが、今はとりあえず、この初の六課メンバーでの局員旅行を楽しんでいきましょう!!」
『おーっ!!』
 貸し切ったバスの中、バスガイドよろしく前口上を述べたアルトの声にあわせ六課の隊員たちが唱和する。
 そう、この日はあと一ヶ月程で解散を迎える機動六課のメンバーの慰安旅行なのだ。
 もちろん、年中無休24時間体勢の管理局。全員で一度にと言うのはさすがに無理だったため、今回のメンバーは隊長陣を含めたフォワード組、それと交代制で選ばれたメンバーが何人かといったところだ。
 だが、それでも特殊な部署とはいえかなりの大人数で休みを取るのは生半可なことではなかったのだろう。
 その最大の功労者であり、唯一全員での唱和に参加しなかった……いや、できなかったはやては今バスの最後部座席でだらしなく高いびきをかいているところだ。
 その姿はお世辞にも女らしいといえない部分があったが、隊員達の全てが彼女の功績を称え、見なかったことにした。
 さて、そんな一部分以外では初の全員揃っての旅行ということで大変盛り上がっている様子である。
 まず最前列に居座るのはスバルとティアナのスターズコンビである。
 スバルはなにやら興奮収まらぬといった様子で鼻息荒く、なにやら今にも飛び出してしまいそうな雰囲気だ。
「ティア、温泉だよ、温泉! 楽しみだねー!」
 対してティアはそんなスバルの様子に辟易したような視線を送るだけだ。
「温泉って言っても結局は公衆浴場でしょう? そんな興奮することなの?」
 窓枠に肩肘をついて語るティアナの姿は、旅行自体が楽しくないというわけではなさそうだが、なにやら異常なテンションのスバルを見て僅かに引いているようである。
 しかし、そんなティアナの様子も気にならないのか、スバルは興奮したまま捲くしたてる。
「何言ってるの。今日行くところは露天風呂だよ。露天風呂っ!! なんでもなのはさんたちの故郷の文化で、ミッドチルダでは初なんだってさ!!」
「なによ、ロテンブロって?」
「だーかーらー、お風呂が外にあるんだよ、こう綺麗な風景を眺めながらお風呂に入れるの!」
 首を傾げるティアナに対して、スバルは先程配られた『旅のしおり』と書かれたわら半紙で出来たコピー本をばしばしと叩きながら訴える。
「外で………………それって大丈夫なの?」
 だが、そんなスバルの説明にあからさまに不振げな表情を作るティアナ。
 まぁ、露天風呂を知らない人間からしてみれば、ありえなくもない反応だ。
 しかし、そう考えればスバルも実際に露天風呂に入ったことはないだろうに、その反応は正反対である。
「ちがうんだって! なんて言うの『ワノココロ』だよっ、『ワビサビ』なんだよ!」
「アンタ……それって誰かの受け売りって言うか、意味分からないまま言ってるでしょ?」
 呆れ果てた表情でつぶやくティアナ。このコンビの漫才は今日も健在のようである。
 さて、その真横の席に座るのはエリオとキャロのライトニングコンビである。
 こちらは横のスバルたちとは違い、仲良さそうにおしゃべりに興じている。
 しかし、ふとキャロが思いついたように呟いた。
「あ、そういえば。お風呂ってどうなってるのかなぁ?」
「え? どうなってるってなにが?」
 不思議そうに尋ね返すエリオ。
 それに対してキャロは全く邪気のない笑顔で朗らかに、
「また、エリオ君と一緒に入れるかなーって」
 エリオが固まった。思い出すのは半年ほど前、任務において第97管理外世界――通称『地球』の海鳴市にて公衆浴場へと赴いた時のことだ。
「え、えっとねキャロ。やっぱりね。そう言うのはなんというかね……」
 額に汗を浮かせながら否定の言葉を述べようとするエリオ。しかし、どうにも押しが弱い。
 こういうところが自分のダメな所なんだなぁ、と自覚してはいるものの、
「エリオ君は、私と一緒じゃイヤ?」
 首をかしげて悲しそうに呟くキャロ。
 それだけで羞恥心とキャロを悲しませたくない気持ちとが拮抗し懊悩することになるエリオだった。
 さて、やはりそんないつものいちゃいちゃしたバカップルぶりを披露する二人は置いておいてその背後に控えるのはフォワード副隊長組。シグナムとヴィータだ。
 昨日は夜遅くまではやての手伝いにと奮闘した所為かヴィータはやや疲れ気味の様子で肘掛けにだらしなく体を預けながら、前の席で騒ぐフォワード陣をぼんやりと見つめている。
 だが、その隣。ヴィータと同じく夜遅くまで奮闘していたシグナムは正反対に背筋をピンと伸ばし、しっかりと前だけを見ている。
「元気だよなぁ。シグナムは……」
 そんな様子をちらりと盗み見たヴィータが感心というよりかは呆れたような声を紡ぐ。
 それは独り言にも似た呟きだったのだが、その言葉にシグナムは過剰に反応する。
「ん、何か言ったか、ヴィータ!!」
 なにやら無駄に元気である。
 見れば瞳は爛々と輝いているし、なにやら鼻息も荒いような気がする。
 そんなシグナムの様子にヴィータは若干引きつつ尋ねる。
「な、なんかえらく張り切ってるなぁ……疲れてねえの?」
「そんなことはないぞ! 英気は十分だ、今ならどんな敵が現れても一撃の下に叩っ斬れそうだ!」
 言って、豪快に笑うシグナム。
 異常なテンションである。
「そんなに楽しみなのか、温泉……」
「な、何を言ってるんだ、そんなことはないぞ別に! そんな温泉だからってはしゃぐほど私は幼稚ではない! ところでヴィータ、温泉というのは入るだけでケガや筋肉痛が治るという噂らしいぞ、他にも美肌効果とか――」
 滅茶苦茶楽しそうであった。
 あるいはスバルよりもシグナムのほうが楽しみにしているのかもしれない。
 そんな感じで延々とうんちくを聞かされ、辟易する様子のヴィータの横の座席にはフォワード組のラスト。なのはとフェイトの隊長陣に加え、なのはの膝の上で楽しげに歌を歌うヴィヴィオの姿があった。
「あるーひ、もりのなかー、くまさんにー、ブレ――」
「あー、ヴィヴィオ、それ以上歌うとちょっと色々困ったことになるから自重しようかー?」
「じちょう?」
 首を傾げて不思議そうになのはの方を見上げるヴィヴィオ。
 しかし歌を歌うのにも飽きたのかヴィヴィオはそのまま抱えていたリュックの中身をごそごそと漁り始めたかと思うとなにやら楽しそうに目当てのものを取り出した。
「ちょこー♪」
 取り出した袋入りのチョコを掲げて嬉しそうに言うと、そのチョコをまず隣の席に座るフェイトのほうへと差し出した。
「はい、フェイトままー」
「ありがとうヴィヴィオ、ヴィヴィオは優しいね」
 優しく微笑み、そんな小さな手が差し出してきたチョコを受け取るフェイト。
 しかし、そこでなのはの声が割って入った。
「あ、ダメだよヴィヴィオ。それにフェイトちゃんも。乗り物に乗ってるときにチョコなんて食べたら酔っちゃうんだからー」
 めっと言った感じで注意するなのは、そんな彼女を二対の瞳が涙目で見上げる。
「ちょこ……食べちゃダメ?」
「で、でもでもなのは。それって迷信って言うか体質によってだいぶ違うって聞いたことが……」
 小動物のようにふるふると震えながら懇願するヴィヴィオとフェイト。並の人間ならそれだけでなんでも言うことを聞いてしまいそうになってしまうがなのはの精神防御はかなり高度な陣形を敷いているようだ。
「だーめ。それに目的地に着いたらすぐに晩御飯なんだから、いまからお菓子ばっかり食べてるとお腹いっぱいになっちゃうよ?」
「なのはママのけちー」
 そう言って頬を膨らませてぷいっと顔を背けるヴィヴィオ、最近反抗というものを覚えてきたようである。
「あ、そんなこと言う子には食後のキャラメルミルクはあげませーん」
「ふえぇ、ごめんなさーい」
 しかし、いまだにそれが成功したことは無いようである。
 なんというか、本当に親バカップルとでも言うかのような光景である。
 はてさて、そんなフォワード陣に加え、さらに後ろの席ではアルトにルキノ、シャーリーにマリー、ヴァイスにグリフィスといつもの顔ぶれがそろっている。
 なんだかこの場にいてはいけない人間や、そもそも六課で無い者もいるが気にしたら負けである。
 そして最後尾に爆睡中のはやてとそれを看病するシャマルとリインといった面子を乗せ一行はを乗せたバスは一路、ミッドチルダ温泉『う゛ぁるはら』へと向かうのであった。

 

 ●

 

「はい、そんなわけでー到着しました『う゛ぁるはら温泉』!!」
 バスの中で十分な休息をとったおかげか、完全復活した姿ではやてが古風な旅館を前に叫んでいた。
 それにしてもなにやら趣があるというか、ここまでくると時代劇のセットのような和風旅館である。
 ヒノキでできた巨大な看板には毛筆で描かれた『う゛ぁるはら』の文字。ここまでくるともはや冗談にしか見えないが、やっぱり気にしてはいけないのだろう。
「なにやらバスの中ではオイシイ――楽しい時間を過ごしてたようですねー。私は徹夜明けで爆睡してましたが、いやいや、気にしとらへんよ。私ってほら部隊長さんやし?」
 なにやらえらく感情のこもった台詞であった。
 隊員たちも皆目を合わせないように俯いてしまっている。
「冗談、冗談やってー。そんな恨みがましいこと言う訳ないやん? はてさて、それじゃあ楽しい楽しい慰安旅行の始まりです、皆さん今日は無礼講ですんで骨の髄まで楽しみやがれー!!」
 やーっと六課メンバーが腕を天に突き上げて唱和。なにはともあれテンションが皆高くなっているようであった。
「うむ、みな元気でよろしい。そんなみんなの為に部隊長さんはより今回の旅行が楽しめるように企画を考えてきました、基本的に今後の行動はこちらに従って動いていただくことになります」
 はやての言葉に騒がしかった隊員たちがピタリと止まった。
 皆の脳裏に浮かぶのは、“あの”八神はやてが考えた“企画”であるという点。
 嫌な予感がする、果てしなく嫌な予感がする。
 誰もが無言のまま表情だけで如実にそんな考えを語っていた。
 そんな誰もが押し黙り不安に満ちた場の中、フェイトが代表してはやてに尋ねる。
「あ、あのー。はやて、その企画って言うのは」
「ふふん、既に三つも用意してあるでー。今夜は寝かせへんよー」
「ああ、そうじゃなくてさ。その内容を教えて欲しいんだけど」
「んー、そやなぁ。始まるまでは内緒にしとこ思っとったけどフェイトちゃんにだけは特別やでー」
 そう言ってはやてが懐から取り出したのはきちんとファイリングされてある三つのファイル。その表紙にはそれぞれ太字でタイトルが描かれている。

【絶対に笑ってはいけない温泉旅館】

【深夜に一人きり、恐怖体験、廃旅館の恐怖!】

【ドキッ女だらけの温泉旅行(ポロリもあるよ)】

 フェイトはそのタイトルだけを読むと、空高く三つのファイルを放り投げた。
「なのは、パス!」
「おっけー」
 同時にピンク色の極光が宙を貫き、三つの企画書は灰も残らずこの世から消え去った。
「ぬおぁー!? 仕事が終わった後に私が寝ずに考えた企画がー!!」
 なんというか、バスで寝ていたのも自業自得だった。
 膝を突いて絶望の表情を浮かべるはやて。そんな彼女にフェイトは優しい笑みを浮かべながら肩を叩く。
「そんなに落ち込まないではやて……ポロリもあるよ(首が)と普通の温泉旅行どっちが良かった?」
 フェイトの空いた手にはなぜかハーケンフォームなバルディッシュが握られていた。
「ふ、普通の温泉旅行がいいです」
 標準語で答えるはやて。
 そんな敗北者の姿を後ろになのはがすでに隊員たちに向けて指示を出していた。
「はーい、それじゃあみんなそれぞれ部屋に行ったら、晩御飯までは自由行動だから、でも羽目ははずしすぎないようにね」
 はーい、と頼れる隊長陣により悪の魔の手から救い出された隊員たちはぞろぞろと旅館の中へと向かっていった。
 後に残されたのははやてと、なんとも言えない表情で彼女を囲む守護騎士たちだ。
「あ、主はやて…………その、なんと言うか落ち込まないで下さい」
「えーねん、えーねん。わたし部隊長さんやから部下に嫌われてもえーねん。ただみんなに楽しんで欲しかっただけやねん」
 地面にのの字を書いて解りやすく落ち込むはやて。
 その周りで守護騎士たちもなんと言っていいか解らずに、それぞれの顔を見合わせながら。
「いや、でもさすがにあの企画はねーだろ?」
「廃旅館って、何処を廃旅館にする予定だったんでしょうね?」
「と、いいますか……昨日仕事が終わった後こんなこと考えてたんですかはやてちゃん……」
 流石に忠実な彼女たちも付いていけない様子だった。
「うわーん、もうええもん。わたし一人で女だけの温泉大会するんやもん。ていうかええ加減わたしのキャラどうにかせーっつーんじゃ、作者ァー!!」
「お、落ち着いてください。ここで言ってはいけない事を口走っています、主はやて!」
「ギャグ担当か、ギャグ担当なんか!? 悪かったなぁ、そりゃあカップリングしたくっても男っ気ないわー!!」
 なにやら危険な臭いがしてきたので強制的に場面は移る。
「あっ、コラ待てぇ、逃げんなぁ。私のキャラが完全に原作と違っとるって――」

 

 ●

 

 ふすまを開けるとそこには物の見事な和室があった。
「うわー、すごいすごーい。タタミだよタタミ。いい臭いだよー」
 部屋に入った途端、ぺたりと畳の上に寝そべり草の臭いを満喫するスバル。
 そんな様子を微笑ましげに見守るキャロと、やはりどこか訝しげな表情で部屋を見回すティアナ。
 部屋が三人部屋だったためにこのような部屋割りになったのだ。
「つーか、本当に何処から持ってきてんのよ、こんなの……」
 木でできた柱を撫でながら首を傾げるティアナ。
「あ、あのー、ティアさん。たぶんあんまり気にしてもしょうがないんじゃないかと、そこら辺の設定は」
 こちらの事情を察して的確な発言をするキャロ。気にしてはダメなのである。
「そんなことどうだっていいじゃーん。ふへー、気持ちいいよー」
 そんな二人のやり取りもどこ吹く風と、一人満足げに表情を緩めるスバル。
 ようやくそれでティアナも納得、というか気にしないことにしたのか荷物を持って部屋に入る。
「ほら、いつまでも寝転がってないで、荷物が片付けられないじゃないの」
「やーん、もうちょっと寝るー。ほらー、ティアも一緒に寝ようよー」
 そう言ってそばに近寄ってきたティアナを巻き込んで寝技に持っていくスバル。なぜか手つきが怪しげである。
「きゃ、いやっ、ちょっと、あんたどこ触って――」
「いいじゃん、いいじゃん。お休みなんだからさー、私たちもいちゃいちゃしようよー」
「アンタといちゃいちゃしたことなんて無いわーっ!」
 強制的に禁断の世界へとティアナを巻き込むスバル。
 それを少しばかり頬を赤くしながらキャロが困ったように呟いた。
「え、えーっとスバルさん? でも夕食の前にお風呂に行くんじゃ……」
「わわっ、そうだった! 急いで準備しなきゃ。おっふっろ♪ おっふっろー♪」
 あっさりとティアナを手放して露天風呂へと行く準備をしはじめるスバル。
 畳の上には衣服と呼吸の乱れたティアナの姿だけが残った。
「はぁーはぁー、た、助かったわ。キャロ」
 本当に感謝している様子で呟くティアナ。それを見てキャロは私お邪魔だったのかなー、などととりとめも無いことを考えていた。
「と、とりあえず私たちも準備しましょうかティアさん」
「でも準備たってねー、着替えとタオルぐらいでしょ? このまま直行しても良かったかもね」
 気を取り直して床に置いたバッグを再び手に取るティアナ。しかしそれをスバルが再び制した。
「ノンノン。解ってないなぁティア、温泉旅館といえばコレだよコレ!」
 そう言って彼女が備え付けの箪笥から取り出したのはティアナのあまり見慣れない生地で余れた衣服か何かのようなものだ。
「なによそれ?」
「なんか、民族衣装って言うか……それにしてはずいぶんと薄手ですけど?」
 不思議そうにスバルの手にしたモノを眺めるティアとキャロ。
「そう、これはユカタっていう由緒正しき民族衣装なんだよ。なんでも旅館では正装であるコレに着替えないとトンデモない目に遭うとかどーとか……」
 自信ありげに語るスバルだが後半がかなり曖昧だった。そんなわけでティアナはやはり不審げな表情で、キャロも困ったような笑みを浮かべて問題のユカタとやらを眺めている。
「アンタ、ホントは自分もよく解ってないでしょ?」
「い、いーから着るのー! ほら、サイズも色々あるし、はいこれキャロの分!」
 そう言ってティアナとキャロに浴衣を手渡すスバル。受け取った彼女達も暫くそれをどうしたものかと見つめていたが、
「まぁ、確かにここの人が用意したものみたいだし、郷に入っては郷に従えって言うしね……」
 不承不承といった感じで浴衣に袖を通すティアナ――ただし、服の上から。
「ちっがーう! なにやってんのティア、いまどきそんなボケしても誰も喜ばないよ!」
「だ、誰もボケてなんかいないわよ! なによ、なんか着方があるとかいうつもりなの!?」
 浴衣というより、裾の長い法被を着たような格好のままティアナが叫ぶ、その隣ではやはり服の上から袖を通そうとしていたキャロが頬を赤く染めながらいそいそと浴衣を脱いでいた。
「いい、ティア。これは服の上から着るものじゃないの! 基本的にこれだけ、他は全部脱ぐんだよ」
「ええっ? でもこれって前に止めるところ無いじゃん。これじゃあ下着が丸見えになるじゃない!?」
「ん? 違う違う、だから下着も脱ぐんだってば」
「どこの風習なのよ! 痴女の集まりかその世界は!!」
 遥か遠く、別次元の地で辱められる日本文化。まぁ確かな知識が無ければ他所様の文化など不可思議の塊でしかないのかもしれない。
「え、えーとあの、おそらくこのバスタオルみたいなので前を止めるんじゃないでしょうか?」
 とりあえず浴衣を持ったままティアとスバルの外国人コントを眺めていたキャロだが、浴衣の帯を持って恐る恐る問いかける。
「ああ、なるほど! なんだろーなーコレって思ってたけどそういう用途があったんだ!」
「アンタ……やっぱり中途半端な知識しかもってなかったわね……」
 ジト目でスバルを睨みつけるティアナ。それを冷や汗を掻きつつ受け流してスバルはキャロのほうに視線を向ける。
「で、でもよく解ったねキャロ」
「え……えっと、その私の前住んでいたところも似たような感じの服でしたから…………それは、上から着るタイプの服でしたけど」
 さっきの間違いがよっぽど恥ずかしかったのか再び顔を赤くして俯いてしまうキャロ。
「あははは、気にしない気にしない。私もよく解ってなかったしさー。さぁ、それじゃあいざユカタにお着替えだ!!」
 拳を突き上げて元気よく叫ぶスバル。そんな彼女の背中にティアナがやはりなんとも言えない声音で問いかける。
「ところで……服を脱がなきゃいけないのはホントなの?」
「そ、それはホントだって、ほらほらティア。急がないと夕食の時間になっちゃうよ、早く着替えて着替えて!」
「わ、解ったからそう急かすな! 脱ぐわよ、脱げばいいんでしょ!」

 

 そんなこんなで…………お着替えが終了。
 和室の中には三人の浴衣姿の少女がいた。ただし何故か皆微妙に内股より、というか膝を摺り合わせて離そうとしない。
「た、たしかに思ったより悪くないわね……生地も透けたりしなさそうだし、大きめにつくられてあるから身体のラインが出るって事もなさそうだし……」
 確かに見た目と違う意外な着心地にティアナはやっぱり知りもせずに異文化を馬鹿にしてはいけないなー、とは思った。思ったのだが……。
「あ、あ、あのっスバルさんっ、そのコレってホントにコレでいいんでしょうか!?」
 キャロが顔を真っ赤にしながら似たような表情のスバルに尋ねる。
 言いだしっぺの彼女も彼女で今の状態に果てしない違和感を感じているようだった。
「な、なんかすーすーするって言うか、すごく頼りない感じだね、あはははは」
 苦笑を浮かべるスバル。
 そう、今の彼女達はスバルの提案どおり浴衣以外何一つ身につけていない状態なのだ。
 履いてないである。
 パンチラがしたくても出来ないというあの魅惑の状態なのである。
 まぁ、確かにスバルの知識が間違っているというわけではないが、いくらなんでも最近の女性が下着を付けずに浴衣を着るということはないだろう。
 もちろん、そんな実態を知らない三人組はもじもじと膝を摺り合わせて、さてどうしたものかと視線で語り合う。
「と、とりあえず温泉にいこっか! ほら、お風呂に入っちゃえば結局ハダカだしさ、出たあとは出た後でちょっと考えよう、うん」
 とりあえず一応の結論をいささか無理矢理に紡ぎ出したスバルはそう言うとティアナの手を引いて温泉へと向かうべく走り出した。
「うわわっ、ちょ、手、手を引っ張るなぁ!!」
「あわわわわ、ダ、ダメですスバルさん走っちゃうと見えちゃいます、見えちゃいますって!!」
 そうして慌しい喧騒の中、彼女達は人生初の露天風呂へと向けて歩き始めた。

 

【温泉編へ続く】
 




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