魔法少女リリカルなのはSS 温泉へ行こう〜宴会編〜


 

「はてさて、皆様日頃の激務の疲れは温泉で癒せましたでしょうか。疲れを取ったら腹を満たす、そんなわけでこちらに盛大な宴の席を設けさせていただきました。本日は心行くまで山の幸を味わっていただければ幸いと存じますー」
 う゛ぁるはら温泉、極楽の間。
 縦長の長大な大広間には今、宴の席がずらりと並べ立てられていた。
 畳敷きの部屋に等間隔に並ぶ膳台、果てしなく和風の出で立ちなのだか既に誰も気にする者はいない。
 それよりも多くの者はその上に並ぶ豪華な料理の方に目が行っていると言うのが本音だろう。
「さて、それでは乾杯の音頭を機動六課部隊長である八神はやてさんに――」
 そうして持ったマイクを上座に向けるアルト。しかしそこは空っぽだ。座布団だけが鎮座している。
 首を傾げながらゆっくりと視線を移すと、部屋の隅っこではやてが頭を抱えて縮こまっていた。
「ちゃうねん……ちょお徹夜明けでハイになってただけやねん。本当は私だってもっとこうおしとやかに振舞えるねんて……」
「はい、かんぱーい!!」
 なにやら再起不能のダメージを受けている様子であったので気にせず進めることにした。
 誰も気にすることなくそれぞれの杯を上げ、乾杯と唱和する。


 宴が始まった。


 皆それぞれ、料理に手をつけ舌鼓を打ったり、隣の者と感想を言いあったりとかなりの賑わいを見せている。
 しかし、そんな場の雰囲気に馴染めないかのように黙々と箸を進めるだけの影が三つ。
 ヴァイス、グリフィスそしてエリオの男三人組である。
 前回の温泉事件の容疑は八神はやて本人からの証言によりなんとか無実を勝ち取った彼等の思いは全員一致している。
 つまり、もう面倒ごとには巻き込まれたくない――と、言うことだ。
 どうせ動いても自分達はろくな事にならないと思っているのだろう、出来るだけ目立たぬように彼等は下座側の部屋の隅っこに席を並べ食料摂取だけに勤しんでいた。
「もう、あんな目はこりごりだからなぁー」
 しみじみと呟くヴァイス。その身にはところかしこに包帯が巻かれている。
 まぁ、身体の疲れを癒しに来て新しい怪我を作ってるのだから、何か一言いいたくなるのも無理の無い話だろう。
「ま、まぁ、こう言っては何ですが、八神部隊長もあの様子ですし、大人しくしてればこれ以上酷い目には遭わないかと」
 確かに唯一の救いといえばそれだろう、あのトラブルメイカーは丁度ヴァイスたちの対角線上、上座の隅っこで守護騎士たちに囲まれている。未だに精神的ダメージから抜け出せないようだ。
「で、ですよねっ! それに普通の宴会ですし、そんな唐突に酷い目に遭うとかありませんよねっ!」
 何故か語彙を強くして尋ねるエリオ。まぁあんな天災にも似た理不尽な災厄に見舞われれば誰だって情緒がおかしくなるだろう。
「あー、ほれいいから落ち着けって。何も心配することなんてねぇ。みんな楽しく飯食って騒いでるだけだよ」
 エリオの肩を叩きながら、安心させるように笑いかけるヴァイス。
 そこでようやくエリオの肩からも力が抜けて、安堵の溜息をついた。
「そ、そうですよね。そんな酷い目に遭うとか早々あるわけが無いですよね」
「そうですよ、そんな日頃から悪行を働いてるというわけでもないですし」
「そうだよな。大丈夫、うん、大丈夫だよなっ!」
 皆、無理矢理納得するかのように頷いている。


 もしかしたら、彼等は気づいていたのかもしれない。
 この後自分達がどのような目に遭うのかということを……。



 ●



 一時間後。
 宴もたけなわ、とでも言うのだろうか、整然と並べられていた膳台はその列を乱し、もはや上座も下座も存在しない自由気ままな体裁となっていた。
 そう、本来ならば堅苦しい空気とは無縁なはずの空間。
 だというのに、ヴァイス・グランセニックは酒の入ったコップを両手に持ちながら正座の姿勢で俯いていた。
 酔いが回っただとか、そういう雰囲気ではない。なにしろ額から冷や汗を流し完全に萎縮しきっているその姿は酔っ払いのものではなくどう見ても怯えている人間のそれである。
 相手に気づかれないようにヴァイスはちらりと視線を前方へと向ける。
 黙したままの三対の視線がヴァイスを射抜くように睨み据えていた。
 ヴァイスの前方、扇状に展開するその布陣は左側にアルト、中央にシグナム、そして右側にティアナといった按配だ。
 皆それぞれ片膝を立てた胡坐という浴衣の姿ではやや危険極まりない姿勢でヴァイスを囲んでいる。
 アルトに無理矢理引きずられ、この場に座らせられたヴァイスは何がなんだかわからない。
 こちらを射抜く視線は何故か全て剣呑なものだった。
「あ、あのーだな、ちぃと聞きたいんだが……」
「ねーねーヴァイスくん?」
 ヴァイスの言葉を遮ったのは……ティアナだった、目が据わっている。
「あ、あのなティアナ。確かに今日は無礼講なわけなんだが、その何故いきなり“くん”付けで……?」
「あのねー、ちょっと聞きたいんだけど?」
 ヴァイスの言葉は完全に無視だった。吐く息が果てしなく酒臭い。
「ヴァイスくんってロリコンなの、それともシスコン?」
「いきなり人の尊厳ブチ破るような質問するのはやめてくれねえかな、マジで! どっちでもねえよ!!」
 流石に必死で抗議するヴァイス、ペドフィリアの謗りを受ける謂れは無かった。
 だが、
「嘘だっっっっっっっ!!」
 一喝された。
 ヴァイスには何も反論することは出来なかった。なにしろ目が怖い。光が反転してるというか、淀んでいるというか、いまにも鉈を取り出して暴れまわりそうな眼差しである。
 救いを求めるように視線を横に動かし、反対側にいる人物に注目する。
「な、なぁアルト。ちょっとオマエからもティアナになんか言ってやって……」
 しかし、そう呟く間にアルトの表情が急激に歪んだ。
 眉はハの字を描き、瞳からは大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。
 ガン泣きだった。
「え、なにこの急展開? ちょ、ちょっと待て、何でいきなり泣き出す!?」
「ヴァイスさんは……ヴァイスさんはなんでそんなにフラグを立てまくるんですか!?」
「何の話だよっ!!」
 ヴァイスの知識ではあまり理解できない領域で避難されていた。
「やっぱりアレなんですか、双子姉妹の髪の長いほうとかケンカが強い生徒会長候補とか学校をうろついている生霊とか図書館に引きこもっている天才少女とかの方がいいんですか、いいんですかっ!!」
「だから何処の世界の話をしているんだよ!?」
 別次元の話だった。
「はっ! そ、それともアレなんですか、本当はアーッ!!な人が本命なんですか!? 大きく振りかぶるんですか!?」
 何故か瞳をきらきらと輝かせながら期待に満ちた表情でこちらを見てくるアルト。鼻息が荒い。
「それ以上お前は口を開くなーッ!!」
 ついていけない、いや、付いて行ってはいけない話題に頭を振り、ヴァイスは最後の頼みの綱へと視線を向けた。
「あ、姐さん。ちょっと黙って見てないでコイツ等を止めてください」
 杯を傾けながら、どこか茫洋とした瞳でこちらを覗いているシグナムに向けて救難信号を送るヴァイス。
 やはり何故か目付きは鋭いが意思の光は消えていない。まだこちらの方がまともに会話が出来るとヴァイスは踏んだのだろう。
 しかし、シグナムは微動だにせぬまま小さく呟く。
「踊れ」
「はっ?」
 小さく囁くように放たれた言葉はヴァイスの元にまでは届かない。
 しかし、ヴァイスのそんな反応に構うことなくシグナムは立ち上がると腕を上から下へと一閃。
 ヴァイスの目の前で畳みにズドンという重く沈む音が響いた。
 同時にヴァイスが手に持つコップが音もなく縦に二つに割れた。
 何故か手の平には傷一つついてないが、二つに断たれたコップは音もなく下に落ちる。
 微動だに出来ないままコップの軌跡を追うようにヴァイスは視線を下へ、そこにはいつの間にかシグナムの手に握られていたレヴァンティンの剣先が畳にめり込んでいた。
「な、な、なにをしてんですか、姐さん!?」
「ん……うむ、安心しろ、峰打ちだ」
「コップが両断されてんですけど!?」
「大丈夫、今週の乙女座はラッキーデイ。すなわち何が起きてもオールオッケー」
 そのままシグナムは再びレヴァンティンを振りかぶる。その重さに操られるように足元がふらふらしており、なんとも危うい。
「自分乙女座じゃないっすよ! 誰の話してんですか! てーか、声優ネタはマジでやめてくださいって!!」
 それ以前にそろそろネタ切れである。
「つーか、なんで泥酔してるんですか、姐さんそんなキャラじゃないでしょうに!」
 後退りでシグナムとの距離をとりつつ抗議するヴァイス、しかしその両脇から人影が現れてがっちりとヴァイスの腕をホールド。ティアナとアルトだ。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「やっぱりティアナなんですね、ティアナと一緒に願いの叶う場所に行くつもりなんですね」
「マジでやめろー、んで姐さんも振りかぶらないでー!!」
「推して参る」
「ぎゃあああああああああああああああああ!!」


 どうやら惨劇は回避できなかったようである。



 ●



 ところ変わってこちらはグリフィスを中心とした穏やかな席が設けられていた。
 しかし、グリフィスの心中を述べるならば胃が痛いという他ない。
 口についていたコップを離すと中身は空に、それと同時に晩酌の手が左右から同時に伸ばされてきた。
 右側、メガネをかけている髪の長い女性はシャリオ・フィニーノ、通称シャーリー。グリフィスの幼馴染である。
 左側、薄い紫色の髪を短めに切りそろえている少女はルキノ・リリエ。六課解散後はグリフィスの補佐として同じ職場に勤める予定だ。
「あら、ルキノ。お酌ぐらい私がするから貴方はゆっくりしてていいのよ?」
「いえいえ、そんなシャーリーさんだけに押し付けるわけには、シャーリーさんこそあちらでごゆっくりして来てはどうですか?」
 うふふふふふ、とお互いに穏やかな笑みを浮かべるシャーリーとルキノ。傍目から見ればそれほど目を引く光景というわけではないのだが、何故かそんな会話が目の前で交わされるたびにグリフィスの胃痛は猛烈な勢いで強まっていく。
 酒に負けているわけではない。なにしろ母親譲りの遺伝の所為かそこそこの耐性はついている。
 しかし、今はそれが逆に苦痛だ。
 酒に酔い、何もかも忘れられれば今のこの胃痛ともおさらばできるかと思うと、自分の血筋を恨みたくなるグリフィスであった。
「あ、あのさ、シャーリーにルキノ。二人ともいつまでも僕の相手をしてなくていいからさ」
 遠慮がちにつぶやくグリフィス。しかしそのような言葉、この状況では火に油を注ぐ結果しか生まないというのに、まだまだ実戦経験を積まねばならないようだ。
「グリフィスさんは、私とシャーリーさん。どっちに注いでもらいたいですか?」
 当然のように矛先がグリフィスの方へと向いた。
「そうね、公平にグリフィスに決めてもらおうかしら」
 ずずいと近づいてくるシャーリー、表情が何処までも真剣である。
「え、えっと……それじゃあルキノに注いでもらおうかな……」
 そう言ってあえてシャーリーの方から視線を外し、ルキノに杯を向けるグリフィス。
 即断したのは男らしいが、英断とはとても言えない。
「ふふん」
 何故か杯に酒を注ぐだけなのになにやら勝ち誇った表情を浮かべるルキノ。しかも視線がグリフィスではなくシャーリーに向けられている。
 対するシャーリーもシャーリーでハンカチが手元にあったら噛み締めるくらいに悔しそうな表情を浮かべている。
 何故か、また胃が痛くなるのをグリフィスは神妙な面持ちで耐えていた。
 とりあえず、コップを空にしないようにと心に決め、軽く口をつけた後は手に持つだけで満たされた酒を眺めることに終始することに。
 しかし、険悪な空気は消えない。
 なにやら刺々しい視線が、両脇からこちらを射抜いているような気分がグリフィスに絶え間なく襲い掛かってくる。
 離れたい。今すぐ、この場から逃げてしまいたい。
 しかし蛇に睨まれた蛙状態のグリフィスは腰を浮かすことも出来ずに、結局はこの空気の中で時が過ぎるのを待つしかない。
 しかも宴の席だというのに、この周囲だけエアスポットか何かのように会話が発生しない。
 針のむしろとは正にこの事か。
「あ、あのさ……ちょっと聞いてもいいかな?」
 だからか、結局この言葉がどういう結果をもたらすのかをうすうす感じながら。口を開いたのはグリフィスであった。
「なぁに、グリフィス」
「何ですか、グリフィスさん」
 二人同時にこちらを向いて尋ねてくる。視線はやはりどこか睨みつけるというか獲物を狙うタカのような目だ。
「その……なにかな、なんかこう二人とも激しくキャラが違うような気がするんだけど、コレはいったいどういうことなのかな?」
 聞いちゃいけないことを真面目な顔で呟くグリフィス。
 途端、先程まで険悪な雰囲気を醸し出していた二人は、同時に深い溜息をつくとシャーリーがグリフィスを諭すかのように呟いた。
「いい、グリフィス……私たちはね。脇役なの」
 どうしようもないことを語りだした。
「どちらかがメイン張ってるとかじゃなくて徹頭徹尾脇役なの。華がないの。地味なの」
「シャ、シャーリー?」
 不可思議な会話を始める幼馴染の姿に困惑を隠せぬまま声をかけるグリフィス。しかし零れた水は戻らない。
 今度は反対側のルキノも力説を始めた。
「そうですよ、ただでさえキャラが多いのに私なんか方々でアルトと見分けがつかないだとか、髪の色ぐらいでしか判別できないとか言われてるんですよ! どうすればいいんですか! どうすれば濃いキャラクターを作れるんですか!?」
 グリフィスの方が聞きたい命題であった。
「えっとだね、何の話をしているのかよく解らないんだけど……それと今のこの状況と、どういった関係が?」
「わからないの! このままじゃ私たちノエルさんや石田先生のように消えてなくなる運命なのよ!!」
「と、とりあえずファンの人だって少しぐらい居るだろうから、その物言いはちょっとどうかと思うんだが……」
 額に汗を浮かせてフォローを入れるグリフィス。しかしシャーリーの独白は止まらない。
「だからルキノと相談して決めたの、キャラを立てようって……牡○と○薇のような感じで!」
「あれは姉妹だし、て言うかネタが古すぎるよソレ!!」
 思わず次元世界を超越したツッコミを入れるグリフィス。
 というか、自作自演だった。
「ほら、シャーリーさん、だから言ったじゃないですか。今はもっと過激に行かないとって、具体的に言うとナイスボートな修羅場展開で」
「いや、それもダメだから。色々な意味でダメだから!!」
 どう足掻いても鮮血の結末しか見えない自分の未来想像図に慌てて否定するグリフィス。
「グリフィスさんもさっきから文句ばかり言ってないで何か考えてください! コレは私たちの死活問題なんですよ!」
「とは言っても、そんな別にあえて目立とうとしなくても……」
 茶を濁すように呟くグリフィス。何処までも日陰者精神が根底にへばりついてしまっている。
「そんなんだから八神部隊長の陰に隠れて目立たないのよ! あの八神部隊長よ! 変身シーンもなく、たいして活躍する場面もなかった八神部隊長の」
「ふぐはぁっ!!」
 彼等とは別の方向で誰かが吐血する濁った声が聞こえた。
「いや、ほら僕はそういうポジションだから……」
 しかし、あくまでも消極的なグリフィス。目立ってもろくな事にならないという前回の経験がずいぶんと答えているようである。
「ダ、ダメですよそんなんじゃ! このシリーズは結構出番のあるキャラでも次のシリーズになったら当然のように姿を消してるんですよ! アリサさんとかすずかさんとかエイミィさんだって本編では僅かも出番がなかったじゃないですか!! 八神部隊長だって次は無いかも知れないのに!!」
「うがはぁっ!!」
 別の方向で以下略。
「いや確かに八神部隊長の出番は壊滅的なまでに少なかったけど、それでも一応三大ヒロインの一角を担ってるんだし、これから先にほんの僅かしかないとしても希望が――」


「あーんーたーらーなー」


 地獄の底から響くような怨嗟の唸り声がグリフィスの背後から響く。
 気づけば正面に居たシャーリーとルキノの表情も青褪めてしまっている。
 この状態で遠慮なく背後を振り返れるほどグリフィスは勇敢ではなかった。
「明確なカップリング相手がおらんとか、セクハラ大王とか、リインが他の人ともユニゾンできるなら存在意義なくね、とか余計なお世話なんじゃー!!」

「「「そ、そこまで言ってませーん!!」」」



 ロングアーチスタッフ壊滅(原因:自爆)



 ●



 こうなることは半ば予想していた。何かはわからない、しかし何か見えない悪意のようなモノが自分の周囲にまとわり着いていることをエリオ・モンディアルは肌で感じていた。
 これからはどう足掻いても逃げることなどできない。
 だから心構えだけは確かに、エリオは今自分の身に起こっている出来事に対して冷静に、あくまで冷静に対処しようと熟考し続けていた。
「エリオきゅーん、ろうしちゃったんれすかー。黙っちゃヤダらよー」
 そう甘い声で囁くのは当然というのか必然というのかキャロ・ル・ルシエその人である。
 彼女は今頬を赤く染め、とろんとした眼差しでこちらを見詰め続けている。
 明らかに、未成年は摂取してはいけないもので酔っている。呂律は回っていないし吐く息がアルコール臭い。
 誰が飲ましたのか、とか、何故キャロが自分に絡んでくるのかなどは最早追求しない。
 追求してもどうにもならないことだからだ。
 それにこの程度であればエリオの想定範囲内である。誰かが酔っ払って絡んでくるというのはある意味お約束ではないか。
 この程度で動揺しない程度にはエリオは相応の修羅場を潜ってきたのだ。
 だから、ここはあくまで落ち着いて『キャロ、大丈夫。もう寝た方がいいよ?』と優しく諭し、この窮地を難なく乗り切ろうと考え、実行に移そうとした。
「キ、キ、キキキキャロ!? 寝よう、うんすぐ寝よう!!」
 想像とは違い、現実では激しく動揺しまくるエリオだった。
 まぁ、それも致し方ないことなのかもしれない。なにしろ体勢が悪い。
 自分ではなく、自分とキャロの体勢がだ。
 今現在、エリオたちがどのような体勢になっているかというと、壁に背を預けて座るエリオ+エリオの首に腕を巻きつけ相対距離ほぼゼロでしなだれかかるキャロという図であった。
 ぶっちゃけ押し倒されてるようにしか見えない。
 その上、浴衣から伸びる足はエリオのそれに巻きつくように絡められ、その顔もエリオの頬に鼻先が当たるほど接近している。そりゃあ吐く息がアルコール臭いかどうかだって確かめるまでもなく感じることが出来るだろう。
「うにゃーん? エリオきゅんは眠たいれすかー? いいれすよー寝ましょうー。その代わり私も一緒に眠りゅー!」
 そう言って猫のように頬擦りをして甘えた声を出すキャロ。頬擦りされてる方は色々な意味でたまったものではない。
「ひ、ひぃぃぃぃ!! キャ、キャロ。ちょっと落ち着こう。うんとりあえず離れよう! ねっ!!」
 何よりもまず、この体勢がいけないのだと結論を下し、なんとかキャロを引き剥がそうと懸命に努力するエリオ。
 しかし離そうとすればするほど、何処にそんな力があるのかキャロはエリオへの抱擁を強くする。
「やーんれすぅ! エリオきゅん、すーぐどっか行っちゃうんれすから、もう離しましぇーん!!」
 ダメだ、この状態を一人で抜け出すことはとてもではないが出来ない――エリオはそう結論付けた。
 しかし、助けを求めようにもヴァイスもグリフィスも既に見えざる悪意の手によってモザイクを掛けなければお見せできない状態になってしまっている。
 とてもではないがこちらの救援に来られる状態ではない。
 しかし、その時彼には比喩でもなんでもなく天からの御使いのような人影を視界に納めることが出来た。
 迷うことなく、その人物に助けを求めるエリオ。
「フェ、フェイトさん! すみません、ちょっとキャロをどうにかしてくださいっ!!」
 救難信号を出した相手は、誰かに晩酌でもする予定だったのか片手に一升瓶を持ち一人でふらふらと座敷の中を彷徨っていたフェイトであった。
 助けを求めるには、あまりにも情けないことこの上ない相手と内容ではあったが背に腹は変えられない。
 そんなエリオの必死の願いが届いたのか、フェイトは方向を変えエリオ達の方に歩み寄ってくる。
 助かった、とエリオは心底安堵することが出来た。
 フェイトさんの手にかかればいくら面白おかしい状態になっているキャロでも何とかすることは可能だろう。
 だから、幾分か落ち着いた声音でエリオは近づいてきたフェイトに声をかけた。
「す、すみませんフェイトさん。キャロがなんだか酔っ払っちゃったみたいで、ちょっとどうにかしてあげて貰えません…………か?」
 エリオの語尾は尻すぼみになっていき、最後には何故か疑問系になっていた。
 それもむべなるかな、フェイトの様子がおかしい。
 いつもなら「もう、しょうがないなぁ」とか「まだまだ子供なんだから」などと優しい笑顔で語りかけてくれるはずのフェイトなのだが、今このときはそれがない。
 いや、むしろ何やら恐ろしいまでに真剣な眼差しでエリオたちのほうを見下ろしてきている。
 もしかしたら怒っているのかもしれない。まぁ確かに今の自分達の格好はとても教育上よろしくない姿になっているだろうから、彼女が怒るのも無理のない話なのかもしれない。
「え、えっとですね……これはキャロが誰かにお酒を飲まされたみたいで、それで……」
 とりあえず状況説明を始めるエリオ。しかしフェイトはそんなエリオの言葉を聞いているのか居ないのか、その場に膝を着くと、
「ん〜、えいっ!!」
 可愛らしい掛け声と共にキャロとエリオの間に腕を差し入れたかと思うと、そのままエリオをキャロの魔の手から引っぺがす。
 それだけならよかった、それだけならエリオの思惑通りだった。
 しかし、次の瞬間、
「エりゅオ、きゃわいいー!!」
 エリオがエりゅオになっていた。
 いや、それだけではない。フェイトはそのままエリオを力の限り抱擁し始める。エリオの顔がなにやらとてつもなく柔らかい感触に包まれる。
 おそらく浴衣の下に何もつけていないのだろう、エリオは始めて体験する未知の感触に、何がなんだかワケもわからずに目を白黒させている。
 むしろ、今現在、どのような状況なのかがまったくわからなかった――事態が好転していないという事実以外は。
「エーりゅオっ、うふふふふ。ママでちゅよー、もう最近全然甘えてくれないんだから寂しかったんでしゅよー?」
 とてつもなく甘えた声を出すフェイト。何がなんだかわからない。エリオの記憶にこのようなフェイトは僅かたりとも存在していなかった。
「フェ、フェイトさん!? いったい何を――って、くさっ、酒くさっ!!」
 どこまでもズブズブと埋まってしまいそうな胸の谷間から顔を突き出すエリオ、そこに強烈なアルコール臭を伴った息が吹きかかる。
 それだけではない、フェイトの白磁のように白い肌が今では真っ赤である。完全に酔っ払っている。
 おかしい、いくら無礼講の宴会だとはいえ、あのフェイトがここまで泥酔するとはとてもではないが思えない。
「フェイトさん、いったいどれだけ飲んだんですか」
「んー、ちょびっと、ちょびっとだけらよー?」
 可愛らしく首を傾げるフェイト、返事からしてもうかなり危うい。キャラ設定とかそんなものをもう完全に投げ出してしまっている。
 そこで、エリオはようやくフェイトが先程まで手に持っていた一升瓶を視界に納める。
「あのー、すみません。つかぬ事をお聞きしますが、その瓶はいったい……」
 一目見ただけでそれがとんでもない危険物だということがわかった。なにしろただの瓶のはずなのに禍々しいオーラが漂っているように見える。
「これぇ?」
 そう言って何気なく瓶をとるフェイト、ラベルにはこう書かれていた。


『銘酒 【冥王】 アルコール度数:全力全壊120パーセント!!』


「それだぁぁぁぁぁ!!」
 諸悪の根源がそこにあった。
「これねー、すっごく美味しいんだぁー。甘くてねー、お酒じゃないみたいにゃのー」
「ダメです、それは罠です! 話を聞かせて欲しいって近づきながら収束魔力砲をぶっ放すって言うとんでもない罠なんです!!」
 身を持って体験したかのように恐怖の表情で語るエリオ。しかし今やそんな彼の言葉を聞くものなどいない。
 フェイトは一升瓶を床に置くと、今度は両手でエリオを力いっぱい抱きしめてくる。
「しょんなこといいのー。それよりエりゅオをもっとギュってすりゅのー。最近ギュって出来なかったんだもんー、今日はするのー」
 完全に駄々っ子のそれであった。
 再び柔らか地獄に突き落とされたエリオは口も開けず為されるがままである。
 しかし、そこに異を唱えるものが一人……急にエリオを横から掻っ攫われたキャロである。
「フェイトしゃん。エリオきゅんとっちゃらめれすよー。それは私のれすー」
 そう言って再びエリオを取り返そうと、背中から抱きつくキャロ。
 エリオからしてみれば前後を巧妙に挟まれた形となる。
「ちがうろー、エりゅオは私のなのー、誰にもお嫁にあげないのー」
 対して父性全壊(誤字ではない)のフェイト。言っていることが既にめちゃくちゃ――いや、ある意味間違ってないのかもしれない。
「エリオきゅんは私のお嫁さんでしゅぅー、それだけは譲れないれすー。なにしろエリオきゅんは出会った瞬間に私と既成事実を作ったんれすからぁー」
「いったい、何時!?」
 身に覚えの無い言動に、サンドイッチ状態のまま講義するエリオ。いくらなんでも彼にだって譲れないものがある。
「わたしーエリオきゅんに押し倒されちゃったんれすよー、それでー、耳元で囁かれたんれす。『僕をお嫁さんにしてくれないか?』っれー!!」
 嬉しそうに叫ぶキャロ。どうやら彼女の脳内ではエリオとのファーストコンタクトは随分と面白おかしくなっているようである。
「違うでしょ! 事実として押し倒す格好になったかもしれないけどアレは不可抗力で、そしてそんな台詞僕は一度も言ったことはない!!」
 懸命に自分の無実を主張するエリオだが、誰も聞いてなどいない。ただフェイトがなにやら随分と不機嫌そうに表情を歪めただけだ。
「らったら、らったらー。私だって、この前抱きしめられたもん。危ないところを助けられてこういってたもん『危なかったですね……まったく、僕を花嫁にしてくれる約束はどうするつもりだったんですか?』ってー」
「だから言ってませんってそんな事! といいますか、何で全部僕がお嫁さん役なんですか、おかしいでしょう! それってどう考えてもおかしいでしょう!?」
 涙目で訴えるエリオ。しかしその姿はなんというか花嫁でも全然問題がないような気がしなくもない。
「…………エリオきゅん、なんかうるさいれす」
「うん、うるさいねー」
 何故か、冷ややかな瞳で間に挟まれているエリオを見詰めるキャロとフェイト。目がおかしい。
「え? あれ? ちょ、ちょっと待ってください、僕は至極まっとうなツッコミを……」
「黙らせるれす」
「黙らせようね」
 そう言って近くにおいてあったままの一升瓶を手にとるフェイト。もちろんラベルには燦然と輝く【冥王】の文字が。
 フェイトはそれを一気に煽ると、そのままキャロへと一升瓶を手渡す。彼女も流れるような動きで残った冥王を一気に口に含む。
「ダ、ダメッ。それは飲んじゃいけません! それ以上飲んだら帰って来れなくなります!!」
 必死で止めるエリオだが、酒を口に含んだままのフェイトとキャロは勿論喋れない。
 ただ、二人とも示し合わせたかのように否定の意味を込めて首を横に振る。
「は?」
 ワケが解らず呆然と口をあけるエリオ、その隙を突いてフェイトがエリオの口を塞いだ。自分の唇で。
「ん、んんーっ!?」
 何がなんだかわからない、目を白黒させているうちに口の中に焼けるような熱さを伴った液体が流れ込んでくる。
 それだけではない、小さな手で急に両頬を挟まれたかと思うとエリオはそのまま無理矢理首を捻らされる、刹那の間を置くことなく今度はキャロの唇がエリオのそれを奪った。
「んあーっ!?」
 そしてやはり流し込まれる不思議な液体。
 とてつもない熱さを持っているというのに、まるで花のような芳醇な香りが身体の中に広がってくる。
 幻聴が聞こえてくる。それは抑揚のない口調で延々と『なのー、なのー』と繰り返し耳元で響き続ける。
 聞いたことがある。食虫植物は甘い香りを発して獲物を捕まえるのだと。
 聞いたことがある。一定のパターンを繰り返す音楽やリズムは聞かせるものを洗脳しやすくすると。
 気づけばエリオはその液体を嚥下してしまっていた。
「な、ななななっ、なにするんですか二人と――――もぉっ!?」
 思わず自分の唇を拭いながら抗議するエリオ。しかしその言葉の途中で世界がぐにゃりと歪んだ。
「へ……はへ? にゃ、にゃにがひっらい……」
 呂律が回らない。視界はぐちゃぐちゃになり、しかしそこに自分の大好きな人がいることだけは理解できる。
「これでー、エリオきゅんも仲間らよー。ううん、私たちのお嫁さーん」
「うんうん、そうだよー。エりゅオは私たちの花嫁さーん」
「う、うんー、フェイトしゃんもヒャロも僕のお婿さーん」
 気づけば口が勝手に言葉を紡いでいた。


 その後の記憶はエリオには一切残っていない……。



 ●



「ごめんね、スバル。ヴィヴィオを寝かしつけるの手伝ってもらっちゃって」
「いいんですよ、それくらいお安い御用ですって」
 さて、ここは極楽の間へと続く廊下。
 宴の中頃、おねむになってしまったヴィヴィオを寝かしつけるためになのはとスバルは一旦極楽の間から離れていた。
 うとうとしてはいたもののなのはが席を立とうとするたびに涙声で引き止めるヴィヴィオを完全に寝かしつけるためにはそれ相応の時間を掛けてしまっていた。
「みんな今頃盛り上がってるかなー」
「まぁ、メンバーがメンバーですからね。盛り上がらない方が不思議といいますか……」
 機動六課の錚々たるメンバーの表情を思い浮かべて苦笑を漏らすスバル。
 それをなのはも笑いながら受け答え、極楽の間のふすまに指を掛けた。
 ゆっくりと横に滑らせる。その向こう側には不思議な光景が広がっていた。
 ヴァイスが何故か「ヴァイスさいこぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」と叫びながら座敷を走り回っていた。
 ティアナとシグナムがその後ろを鉈とレヴァンティンを掲げて追い掛け回している。
 アルトは何故か興奮した面持ちで「ヴァ、ヴァイスさん。やっぱりBLなんですね。BLなんですね」と叫んでいる。
 その隣でははやてが暴れまわっていた……なぜか片手でグリフィスを振り回して。
 ヴィータ以下守護騎士の面々はそれらを必死で止めようとしているらしいがはやての暴走は止まらない。
 何故か頭を鷲掴みにされ武器と化しているグリフィスは悟りきった表情で自分の身をはやてに任せきりだった。
 その傍らで、シャーリーとルキノが何故か平伏して謝りつづけている。なにやら大魔神の怒りを納めるためのイケニエか何かのようだ。
 そして座敷の片隅でエリオとキャロとフェイトが……なにやらピンク色めいた空間を形成していた。
 直視できないくらいピンクだった。だからなのはもスバルも見なかったことにした。
 いや、全てを見なかったことにした。
 そのままゆっくりと襖を閉じる。それだけで世界はやたらと平穏な姿を取り戻した。
「…………うん、ヴィヴィオが心配だから戻ろうか?」
「そ、そうですね。そうしましょう、是非そうしましょう!!」
 なのはの言葉に必死で頷いて回れ右をする二人。
 今宵の出来事は何もかもなかったことにするらしい。
 それが一番賢明な判断と信じて。



「み、見てくださいなのはさん。星が綺麗ですね!」
「うん、そうだねスバル、とても綺麗だよ!!」



 それを現実逃避と人は呼ぶ。



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 余談その一



「んーっ」
 大きく伸びをしてその人物はむくりと起き上がった。
 寝起きの所為か髪は跳ねまくりの姿ではあったが随分と清清しそうに起き上がった彼女の名前はマリエル・アテンザ。
 通称マリー。六課の局員ではないがこの温泉旅行にゲストとして招かれた人物である。
「んんー、よく寝たぁ……って、あれ?」
 しかし昨晩の宴会の席では乾杯の一口を飲んだだけでダウン。そのまま深い眠りに落ちてしまっていた。
 だからこうして目覚めて目の前に広がる光景がなんなのかいまいちよく解らず首を傾げていた。
 なんと言うか死屍累々とはこのことか。
 六課のメンバーの悉くが死んだように座敷の中に倒れ伏している。
 時折、呻き声のような寝言が聞こえてくるところを見ると、ただの屍ではないようだ。
「えーっと……みなさーん、朝ですよー」
 とりあえず声をかけてみるマリー。しかし返事は何処からも返ってくることはなかった。
「……ん? なんかまるで出番がなかったというか、私の役割ってもしかしてコレだけですか?」
 誰にともなく呟かれた言葉。
 ちなみに、コレだけである。



 ●



 余談その二



「…………嘘だ」
 呆然とエリオ・モンディアルは呟いた。
 たった今目覚めたばかりの彼はここが昨晩の宴の会場ではなく、誰かの部屋だということだけは理解できた。
 しかし、理解できたのはそれだけだった。
 右を見てみる、何故かキャロがそこで寝ていた。全裸だった。
 左を見てみる。何故かフェイトがそこで寝ていた。やはり全裸だった。
「…………嘘だ」
 呟きながら最後に自分の身を鑑みてみる。どこから取り出したのか何故かウェディングドレス姿であった。



「嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 悲痛な叫び声は誰の耳に入ることなく、朝の澄んだ空気の中に紛れていった。


 

【一日目終了?】
 

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