魔法少女リリカルなのは 星を砕く者 第7話 人形劇

 

 

 それは翼の失った鳥の話だ。


 空を飛べない彼等はどう生きればいい?


 虐げられるだけの存在に生きている意味はあるのか?

 

 まぁ、そのようなこと本人に聞いてみなければ真実など見えるはずも無いか。

 

 だが、私はこう思うだろうね。


 翼を失い、空を飛ぶことが出来なくなったとしても。

 

 空を飛ぶことが目的だというのならば。

 

 飛びたい、と。

 


 そう、願うだろうね。

 

 星を砕く物語、始まります。

 

 ●

 

 思いがけぬ人物の登場に場には僅かな緊張が走った。
 皆一様に現れた囚人服の男、ジェイル・スカリエッティを様々な思いを乗せた視線で見据える。
 しかし、当の本人はそんなけして好意とは言えない視線の数々を受けてなお、路傍の石を眺めるように周囲を睥睨し、つまらなさげに呟いた。
「なにかね、私は籠の中の鳥を愛ではするが、愛でられる趣味は無いよ」
 あくまで倣岸不遜な態度を崩さない。
 しかし、スバルもティアナも侮蔑にも似た言葉を投げかけられたことよりも、この場にいるはずの無い人物の登場に面食らっていたと言った方がいいだろう。
 エリオやキャロは既に知っていたのだろうが、それでも理由までには至らず、どう対応するべきか考えあぐねている様子。エリオに至っては苦々しげな表情でスカリエッティの姿を眺めるばかりだった。
 思えば、彼等がこうしてスカリエッティの直接対面するのは初めての事であった。
 機動六課で体験した事件の大半に関わっていた時空犯罪者。
 資料や映像でその姿を見る機会はいくらでもあったが、こうして直に対面し言葉を交わすのはスバル達にとって初の出来事であった。
 そうして言葉も無く新たな闖入者を見詰め続けるだけのスバルたちに代わるように、はやてとクロノが彼の前へと進み出る。
 そこでここに来て始めてスカリエッティの表情が笑みを浮かべる。
「ああ、これはこれは、闇の書の主ではないか、君は私の中でも希少な研究対象だ。こうしてお目にかかれて光栄だね」
「そいつはどうも。せやけど獄中生活で記憶が曖昧なようやね。私は夜天の書の主やで」
 流石にこういった手合いの相手は馴れているのか、スカリエッティの嘲りを含んだ言葉にも、はやては平然と受け流すかのように答える。
「まぁ、今日はアンタとこうして言い合うために呼んだ訳や無い。今日ここに呼ばれた理由、もうある程度は理解してるんやろ」
「はてさて、心当たりが多すぎて明確にしてくれなければなんとも言えないね。聖王のゆりかごの事かい、それとも巷を賑わせている地上本部襲撃事件のこと? ああ、もしくは仮面をつけた魔導師についての情報がご所望かね」
 周囲にいる人間の表情が険しい物へと変わった。
 スカリエッティが聖王のゆりかごについて知っているのは当然だ。何しろ彼自身が主犯なのだ。
 同様に地上本部襲撃事件の事を知るのもそれほど難しいことでは無いだろう。あれほどの大事件だ民間のソースにも流れている事ではあるし、スカリエッティの拘留されているのが海上隔離施設としても、これほど大規模な情報ならば幾らでも知る術はあるだろう。
 しかし、最後の一つだけはスカリエッティが知っているはずのない情報だ。
 なにしろ地上本部を襲撃したのが仮面をつけた者達であることは管理局内でも左官クラス、もしくはスバルたちのように直接対峙しなければ知りえない情報であるからだ。既にそのように情報操作がなされている。
 なのに、スカリエッティはまるではじめからその情報を知りたいのだろう、と言わんばかりのあからさまな態度をとっている。
 誰もが驚きの表情を浮かべる中、ただはやてだけは薄く笑みを浮かべながら話を続ける。
「なんでアンタがその情報を知っている……一応、そう聞いておいた方がええかな?」
「簡単な事だ。アレも私の作品だからだよ。まぁ失敗作だったので基礎理論のみを管理局に売り払った後、どういう経緯でああなったかまでは知らんがね」
 今度こそ、誰もが予想しなかった衝撃の事実をスカリエッティはやはり何処までも平坦な口調で述べた。
「ど、どういうことなんですか、それに管理局に売り払ったって……」
 おもわず口を挟むティアナ。驚くべきことにその言葉にいち早く反応したのは他でも無い、スカリエッティ自身だ。
 ティアナとスカリエッティの目が合う。思えばこうしてスカリエッティと目をあわすという行為さえティアナにとって初めてのことだった。
 美しく輝く金色の瞳。しかしその眼差しはそのような華美な物とは対極の、暗く濁った暗黒をイメージさせられる禍々しいものだ。
 その瞳に見つめられ、ティアナは思わず萎縮する。感じたのは紛れも無い恐怖だった。
 しかし、当のスカリエッティは数秒もしないうちに再び視線を正面へと戻した。
「ふむ……なかなかに興味深い」
 そう、謎の言葉を残しながら。
 そんなスカリエッティの挙動に気圧され、ティアナは二の句が告げられない。
 それを察してクロノが状況を説明するために口を開いた。
「……先の事件において管理局内では組織体制の改善が求められた。その際に不審な金銭のやり取りが発覚した。それがプロジェクトSD。管理局での極秘プロジェクトとして進められてきたものらしいがその実態を知るものは局内にも殆ど存在しない。ただ発覚した書類には責任者としてヴォルックス准将、実験場として第六十六管理外世界の名前が記されていた。そして……企画考案者の名前はJ・S。奇妙な偶然で片付けるには少々符号が合いすぎるためにこうして貴方を呼んだわけだが……まさかこうも簡単に認めるとはね」
 拍子抜けと言うか、あまりにもぞんざいな相手の態度に呆れを含んだ声音で呟きながらクロノは既にこの場では無用になってしまった問題の書類を掲げる。
 しかし、スカリエッティの態度はやはり僅かも変わらない。新たな裁きの源を突きつけられたと言うのにあくまで平然としたままだ。
 いや、それどころか至極つまらなさそうにして、彼は続きを促した。
「前置きはやめたまえよ。私の知っているプロジェクトSDの情報が欲しいのだろう。いいだろう、私の知っていることは全て君たちに教えようではないか」
「…………そう、トントン拍子に話が進むと逆に怖くなるなぁ」
 はやてはあくまで余裕の笑みを崩さないままでスカリエッティに冗談交じりに問いかける。
 だが、内心はその逆。その態度はともかく、あまりにもこちらの言葉に従順なスカリエッティに言いようもない不気味さを感じている。
 はたして、このまま話を進めたところでこの男は真実を口にするのかと、疑心暗鬼になる。
 目の前にいるのは、とてもではないが信用の出来る相手ではないのだ。
 しかし、あっさりと解決策は提示された。それも問題の人物から。
「ではギブアンドテイクとしよう。情報を提示する見返りに私はそれなりの報酬を頂くとしよう。もちろん報酬の履行は全てが終わった後で構わない。破格の条件だと思うがね」
 そう述べるスカリエッティには、明らかに駆け引きを行う心積もりではない。
「何が……目的や」
 その裏の意味まで込めてはやてが尋ねる。しかしスカリエッティはそれに気づいているのかどうか、素知らぬ顔で報酬の話へと進める。
「そうだな……私を釈放するというのは如何かな?」
「無理や」
 スカリエッティの言葉に間髪要れずに答えるはやて。その言葉にスカリエッティはおかしそうに笑うだけだ。
「即答かね。私の持つ情報はそれなりに貴重だと思うが……それでも一考に値しないと?」
「出来へんものは出来へん。私たちの出来ることはそれこそ僅かや。約束できないことを条件に交渉は無理やわな」
 これでその交渉が終わりを迎えたとしても構わない、そう言外に告げながらはやては言葉を紡ぐ。
 しかしスカリエッティはその言葉に満足したのか、それとも最初からこの流れを予測していたのか、すぐさま次善策を打ち出してきた。それも先の要求と比べてあまりにも破格過ぎる要求を。
「ではこうしよう。私以外の服役中のナンバーズ達に面会の機会を与えてやりたい。もちろん更正プログラムを受けている妹達とだ、私の方はそれで手を打つとしよう」
 あまりにも予想外の提案。それは破格ですらない、タダ同然の条件だ。
 おそらく何の確約が無くとも、それは実現可能な範囲の物事だ。もうすぐ更正期間の終了するナンバーズたちが面会を望めばすぐにでも実現されるだろう。
 そんなことはスカリエッティさえ、先刻承知の事実であろう。それをあえて条件として提示してくる不可解さ。
「理由を聞こうか?」
 油断の無い表情で尋ねるはやて。しかしスカリエッティは芝居がかった表情で表情を歪めて、
「なに、可愛い娘達が妹に会いたいとせがむものでね。父親として少しばかり骨を折る気分になっただけだよ」
 あまりにも白々しい嘘。おそらくスカリエッティはナンバーズたちをそのような慈愛の目で見たことなど無いはずだ。
「この提案でも無理かね?」
 しかしもはや選択は残されていない。情報を求めるのならばこの条件は飲まなければならない。
 なぜなら、それは誰の目から見ても実現可能な願いであるからだ。
 これを断ってしまえば、それこそ交渉が成り立たない。
「ええやろ……ただし、約束の履行はさっき言ったとおり、この事件が全て収束してからや。書面にでも残そうか」
「構わんよ、君達のことはそこそこに信頼しているからね」
 そう言って肩をすくめるスカリエッティ。そこでようやくはやてはスカリエッティの考えていることが理解できた。
 その裏に何らかの目的が隠されているかは解らない。
 しかし、この瞬間だけはただ単純に、彼は自分の持っている仮面の魔導師たちの情報を喋りたくてたまらないのだと言うことを。
 未だに警戒の視線を緩めぬはやての前で、スカリエッティは肩を竦めてから周囲を見渡し確認するように呟いた。

 

「さて、では舞台は整った。では、何から話そうかね?」

 

 ●

 

 正直な感想を述べるなら、フェイトは戸惑っていた。
 自分の置かれた状況――謎の魔導師たちに囚われ、こうして監禁されていることにではない。
 そちらの心の整理など当の昔についている。いまはこれからどうすべきか考える時間だ。
 しかし、今こうしてそのことも忘れフェイトはこれから自分がどうすべきかをひたすら悩んでいた。
 その悩みの原因と言うのは、もちろんいま自分の隣でベッドに腰掛けている『星を砕く者』と名乗った少女の存在にである。
 まるで幽霊か何かのように突然現れ謎の言動を残した彼女は、セオリーどおりにそのまま霧のように消えてなくなる、などということはまるで無く、普通にこうしてフェイトの部屋――というにはいささか語弊があるが今の彼女が唯一居れる場所に平然と留まっている。
 もちろん、幾度かのコミュニケーションはとろうとした。
 どうしてこんなところにいるのか? どうやってここに入ってきたのか?
 そういった本質的な問いかけに始まり、好きな食べ物は何かなどといった明らかに世間話の枠を超えない問いかけまでそれこそ種々様々にだ。
 しかし、その悉くが空振り。彼女は自分の名前を告げて以降、何一つとして語らない。
 子供は好きではあるがフェイトは元々語彙が豊富な方ではないし、考えてどうこうするタイプでもない。
 エリオのときもキャロのときもただ自然と体が動いた結果、今の状態になっただけだ。
 あらかた質問を終えた後は流石のフェイトもどうすればいいか解らず黙り込むことしか出来なかった。
 そんな少女は、今フェイトと共に狭いベッドに腰掛け、先程の日記帳を大事に抱え押し黙ったままだ。
 信用されていないのだろうとフェイトは思う。
 それは悲しむべきことだが、しょうがないものだとフェイトは己の境遇を思い返しながら考える。
 自分はあの時、誰の言葉も聞き遂げることは出来なかった。
 ただ母親の為に。それだけを胸に秘め戦い続けていた。
 それがどれだけ寂しいことか、悲しいことだったのか今なら解る。
 だからフェイトは諦めることだけはしないと改めて決心した。
 あの時、友達ですらなかった私の為にあの子は一生懸命言葉を紡ぐことを止めなかったのだから。
 だが、頭では再び固い決意を結んだところで語彙が増えるわけではない。
 再び開いたフェイトの口から出てきたのは少女に話す内容としては聊か無粋なものだった。
「えっと……貴方はあの仮面の人たちのことについて何か知っている?」
 言ってから後悔した。
 それは、今の今まであえて避けてきた話題だ。
 少女の正体がなんにしろ、この場にいると言うことは間違いなくあの仮面の者達とはなんらかの関係があるということだ。
 彼女に敵対の意思がないとしても、それは触れてはならぬタブーの筈なのだ。
 自分の迂闊ッぷりにフェイトは頭を抱えたくなった。第一こんな話題でどうやって話を盛り上げるつもりだったのかと思うと、改めて自分の所行を呪いたくなる。
 しかし、意外な事に小さく、掠れた声で返答があった。
「あの子達が…………友達」
 ひっそりと呟かれた言葉は、確かにフェイトの耳に届いた。そして思い出す。
 フェイトは確かに「友達はいるの」と先程少女に問いかけた。そのとき彼女は答えることは無かったが微かに首を縦に振ったようにも見えた。
 勿論その後に続く言葉はまるで無く、その話題はそれっきりになってしまっていたのだが……、
「その、良かったら……貴方のお友達のこと聞かせてくれないかな?」
 この取っ掛かりを失うわけにはいかない。そう考えたフェイトは少女を促すように尋ねた。
 自分は卑怯だと、フェイトは心の奥底で罵る。
 話が続けられること、それ以外に確かに彼女の心の中ではあの仮面の者達に関する新たな情報が得られた好機を喜ぶ自分がいる。
 それはもちろん管理局員として、一人の戦う者として正しい姿なのだろうが、この幼い少女を利用している事に気づき、自分に対するどうしようもない嫌悪感が生まれる。
 しかし、放たれた言葉は戻らない。
 少女は前と同じように無言を貫けばそれで終わりであった会話をこの時に限っては続けた。

 

「あの子達はね。私がここにきて始めて出来たお友達なの」

 

 そういう少女の表情はやはり何処までも無感動で、眉一つ動かさないものに見えた。
 しかし、フェイトにだけはその感情がわかる。
 それは楽しかった思い出を語る者の言葉ではなく、ただ苦痛と消失しか残さない悲しい物語の始まりなのだと。

 

 ●

 

「あれは企画段階で失敗作として私は破棄したために現状の詳細までは知らないが、あれ等は私の計画のプロトタイプ……いや、裏側として立案した。ガジェットドローンに搭載する機能としてAMFではなくOMF(オーバーマジックフィールド)を私は考えた」
 誰もがスカリエッティの言葉を固唾を呑んで聞き続けていた。
 周囲三百六十度から様々な視線に晒され、しかしスカリエッティはまるで舞台役者のように浪々と語り続ける。
 まるで喜劇の道化のように。
「さて、このなかには既に体験したものもいるだろう、謎の魔力暴走現象――周囲の魔力を相殺させ魔力行使そのものを妨害するAMFとは真逆の思想で作り上げられたOMFは言うなれば毒物だ。周囲の魔力を増幅させ、魔術を行使したものには例外なく牙を向く。なかなかどうして凶悪な代物だ」
 自慢げに語るスカリエッティ。
 確かにあの魔力暴走現象は厄介な代物である。現にスバル、そしてはやてたちもあのOMFに痛い目を見せられたのだ。
 しかし、それでもはやては挑発するようにスカリエッティの発言に言葉を被せた。
「でも、失敗作やね、アレは」
「そう、そのとおりだ。確かにOMFの効果は絶大だがありとあらゆる毒物とは排除されるために存在する。劇薬であればあるほど抗体が作り出されるように」
 それは既にはやてたちも認識していた。
 確かにOMFは脅威ではあるが、馴れない事はない。
 ヴィータのように力任せに扱うものもいれば、ユニゾンデバイスのように高度な魔力制御機構を持つデバイスならば脅威と呼べるレベルでもない。
 数度の戦闘を繰り返せば少々優秀なインテリジェントデバイスであっても同様の対抗策を身につけることさえ可能だろう。
 つまるところスカリエッティにとってはすぐに対策を採られてしまうOMFよりも、多少邪魔といった程度でも恒常的に効果を発揮することが出来るAMFのほうが優秀と取られたのだろう。
 だが、劇物が効果を発揮することの出来る状況はある。
 それが短期決戦だ。スカリエッティがかつて起こしたような長期的な作戦には向くはずもないが、今回のような電撃的襲撃においてこれほど効果を発揮する魔術妨害機能は類を見ないだろう。
 力任せに魔力を操ることの出来るヴィータやユニゾンデバイスの存在は管理局全体から見れば希少と言う言葉でも足らないほどの数だ。全体の戦局にはなんら影響を与えることも出来ないだろう。
 現実として地上本部が崩壊した現状を見ればなおさらだ。
「それで対策方法は?」
 相手が仇敵であるにもかかわらず惜しげもなく尋ねるはやて。今は体面を気にしている場合ではないのだろう。
「ふむ、いまはそれよりも話を先に進めたいのだが、いいかね?」
 苦虫を噛み潰したかのような表情で、ジェスチャーだけで先を促すはやて。
 それを受けてスカリエッティは満足したように、再び浪々と語り始めた。
「さて、ではあの仮面の魔導師は何なのか。あれこそがナンバーズの裏側、私の戦力として働くはずだった存在だ。私はフェイスと名付けたのだがね」
 皆の、特に直接対峙したスバルとはやてたちの表情が強張った。
「言いとうないけど……あれは何や、人間か、それとも戦闘機人か?」
 異常なまでの回復力、その異形の姿。それらが明確にノーと答えているにも関わらずはやてはスカリエッティに尋ねた。
「君ならば、既に何なのか理解していたと思ったが……違ったかね」
 しかし返された言葉にはやての顔が苦渋に満ちたものになる。
 そう、あの者達の正体を自分は“見た”。この目で確かにだ。おそらくはやては彼等の本質についてスカリエッティより理解が深いといっても過言ではないだろう。
「見たんだろう、彼等の根源を。あれこそが彼等そのものであると?」
 楽しそうに問いかけるスカリエッティ。その時、始めてはやての顔に感情が生まれた。
 いままでの表情が全て偽りだったのではないかと思えるほどの怒りを込めた眼差しがスカリエッティを射抜いている。
 周囲の皆ははやての突然の変貌に驚きを隠せずにいたが、それでも何も言えない、何故はやてがこれほど怒りを露にするのかまったく理解が及ばないからだ。
「それじゃあアレは、やっぱり……」

 

 ●

 

「私たちは、みんなどこか悪かった。私も大人になるまで生きられないって言われた。だからこの場所に来た」
 訥々と語られる少女の言葉にはやはり何の起伏も感じることは出来ない。
 ただ暗い思いだけが感覚として理解できるだけだ。
 だからだろうか、突然語られたその内容にフェイトは心を乱されることはそれほどなかった。
 いや、正確に言うならばその一言はフェイトの心に重大な衝撃をもたらした。
 だが、それでも今は俯くわけにはいかない、挫折するわけにはいかない。
 なぜならこの少女の心を覆う闇は“その程度”の物ではないからだ。
 その先に何かがある。
 果てしなく深い暗闇のように溜まる何かが、この少女には存在する。
 だから、フェイトは震えそうになる声を押さえて続きを促した。
「そこで、お友達と出遭ったの?」
 その問いかけに少女は僅かに頷き、そして言葉を続けた。
「うん、そこであの子達とお友達になったの。アイシスとイオス、それにファーゴとティーポ。みんな私と同じでもうすぐ死んじゃう子ばかりだった」
 少女の呼ぶ者の名をフェイトは誰一人として知らなかった。
 フェイスレスが呼びかけた名は、それぞれの仮面の浮かべる表情そのものの名前だった筈だ。
 しかし四人。あの異形の者達とその人数だけは一致している。
 偶然と摂るべきか、それとも彼女の言うとおり彼等こそが少女の言う“友達”なのか。
 明確な答えは得られぬまま、物語は進む。
「暫くはね、ずっと色々な検査ばかりしていた。いつもとおなじ、もうどうしようもないのに繰り返し、繰り返し、とても痛くて、とても辛かった……でも、みんなと遊ぶ時間もあった。その時間だけはとても楽しくて嫌なこととか全部忘れることが出来たんだ」
 そう語る少女の声音は今までのどの言葉より懐かしさと、嬉しさの篭った言葉だった。
 それが、おそらく少女がここで過ごした時間の中で唯一、幸せを感じられる時だったのだろう。
 友人と、ただ僅かな時間だけ遊び続けたその時間が。
 少女の言葉がそこで一区切りついたところで、フェイトは今までの情報を改めて整理してみる。
 無人世界に建設された研究施設。
 集められた余命幾許も無い子供達。
 そして監獄のようなこの部屋。
 いくつかの想像がフェイトの脳裏を駆け抜ける。
 もっとも期待するべき答えは、ここはただの療養施設であり。ここに勤めていた者達はただこの少女達の回復を切に願い続けたという希望。
 だが、フェイトの想像通り世界はそれほど優しくは無かった。
「それでね、ある日。私たちはお人形を貰ったの」
「…………お人形?」
 フェイトの視線が机の上にあるぬいぐるみに向けられたが、それに対し少女は首を横に振った。
「ううん、もっと小さくて、誰よりも弱くて、ずっと泣いてたお人形」
 少女の言葉はあまりにも抽象的過ぎて、まるでそれが生きていたかのような錯覚を覚える。
「それがね、私たちみんなにプレゼントされた時から、みんな少しづつおかしくなっていっちゃったんだ。アイシスとイオスはとても仲のいい双子だったのにケンカばかりするようになって、ディーポはずっとなにかを叩いてなくちゃいけなくなって、ああ、それにファーゴは最後までずいぶんと頑張っていたみたいだったけど……結局最後は壊れちゃった」
 淡々と告げられる少女の言葉。その瞳にフェイトは写っていない。おそらくはその時の残滓が彼女の視界にはこびりついているのだろう。
 仲の良かった友達がほんの少しづつ“壊れていく”姿を。
 そして最後にフェイトの見た“あの姿”になったのだと。
 おそらく原因の一端は少女の言う“お人形”にある。少なくとも少女はそう確信している筈だ、でなければ人形をプレゼントされてからなどという言葉は出てこない。
「貴方は……その、お人形を持っていないの?」
「ううん、持ってるよ」
 以外な程あっさりとそう告げて、少女はフェイトのほうを見上げる。
 こうして視線を合わせるのは二度目だ。
「見たいの?」
 暗い暗黒のような瞳で覗き込まれ、フェイトの理性ではなく本能が恐怖を訴える。
 しかし、それらを全て抑え込みフェイトはゆっくりと頷いた。
「うん、よかったら、見せてくれないかな」
 そう答えると少女はベッドから立ち上がり、フェイトの正面へと移動した。
 そして向かい合う姿勢のまま、少女は自分の着ているワンピースというにはあまりにも味気ない、まるで入院患者が着るような貫頭衣の裾を掴み、
「いいよ、お姉ちゃんには見せてあげる」
 そして、晒される少女の肌。

 

 それを見た瞬間、フェイトの心は完膚なきまでに叩きのめされた。

 

「これが、私のお人形――」


 そう言って自分の腹部を優しく撫でる少女。

 

 そこには小さな、本当に小さな人形のような“人型の何か”がまるで胎児のように身体を丸め、少女の身体に埋め込まれていた。



  ●


「ああ、君の推測の通りだよ。あれは“ユニゾンデバイス”だ」


 



>TO BE CONTINUED


目次へ

前話へ

次話へ

↓感想等があればぜひこちらへ




inserted by FC2 system