魔法少女リリカルなのは 星を砕く者 第12話 一撃必倒



 覚えているのは小さな背中。


 けれど、とても大きな背中。


 守られてばかりだと思ってた。


 けれど、そのままじゃいけないって解った。


 だから、私はまだまだだけれど。



 負けないように頑張ります。



 星を砕く物語、はじまります。



 ●



 スバルの視線の先、アンガーは動かない。
 その六本の足を地面へと穿つように突きたて、その無表情な瞳でじっとこちらを見詰めているだけだ。
 対するスバルも、構えは解かないもののどう攻めるべきか考えあぐねている状態である。
 魔導師はその性質上、できることが限られてくる。
 近中遠それぞれに秀でた魔導師というものは極珍しい存在だ。
 なぜならば魔導師のスキルという物は個人の資質により左右される。質量兵器が世の中に跋扈した時代であれば均一の武装、均一の編成で構成することが最良とされていたが、魔法世界ではそうはいかない。
 個人の資質が求められる以上、そこにはどうしても得手不得手が存在してしまう。
 例えばスバルならばその外見からも近接格闘に長けていることが手に取るように解る。逆に言えば遠距離戦に関しては苦手であると明言しているような物だ。
 ゆえに昨今の魔導師は分隊を組む、それぞれの短所をフォローし、長所を生かせるようにと。
 だが、一対一の戦闘になるとそうはいかない。
 自分にできる事のみで、何とかしなければならないのだ。
 そこで重要となってくるのが、相手の特性を読む事だ。
 相手が魔導師である限り、こちらと同様相手にも得手不得手は存在する。それを判断し、相手の弱点を突くのがこの世界の定石である。
 近接魔導師と遠距離魔導師の戦闘がそのいい例だろう。
 近接魔導師は何とかして相手の懐に入ろうと画策し、遠距離魔導師は相手に近づかれないように砲撃を繰り返す。
 要は自分の得意なフィールドに持ち込む事が戦闘においての大前提となるのだ。
 だが、スバルは現在その点に関して考えあぐねている。
 通常、相手の特性は使用しているデバイスやバリアジャケット、魔力量などでおおよそ判断する事が可能である。
 だがしかし、現在スバルが合間見えている相手は徒手空拳。しかもその姿かたちは今まで見たことも無いような異常な姿――上半身は人型だが下半身が蜘蛛のような形――になっている。
 これだけで相手がどのような魔力資質を持ちえているのか、また何を苦手としているのか瞬時に判断できるほどの閃きをスバルは持ちえていなかった。
 だがしかし、先程の一連の攻防で僅かばかりだが情報は得ることが出来た。
 スバルの一撃を防いだあのシールド。あれは相当に強固なものであった。それこそエースクラスの鉄壁を誇っているといっても過言ではない。
 そこから導き出されるのは相手が、こちらの攻撃を受ける事を前提として出来上がっている魔導師であるということ。
 足を止め強力な砲撃を放つ魔導師や、クロスレンジへと肉薄し相手を打倒する戦士である可能性が高い。
 だが、前者ではない。なぜなら相手が強力な砲撃魔法を得意とする魔導師ならばこの相対距離で仕掛けてこないはずがないからだ。
 そこから導き出される答えは、相手が自分とよく似た近接格闘を得意とするタイプであるという事――そこまではスバルも理解する事は出来た。
 だが理解できたのはそこまでだ。お互いに近づけねば相手に攻撃を仕掛けられないがゆえに現在は膠着状態となっているが未だアンガーには不明な部分が多い。
 ゆえに、こちらから攻め込むべきか否かスバルは量るように拳を正面に構えたまま動かない。
 その均衡に痺れを切らしたのは、アンガーが先であった。
「が――ああああああああああああああああぁぁぁぁ!!」
 その喉の奥から迸るのは、まるで獣の嘶きだ。
 人間らしさなど微塵も無い、ただ本能に従って四肢を動かす獣の咆哮が大気を奮わせる。
 同時にアンガーが動いた。
 その足を器用に動かし、こちらへと向かって突進を仕掛けてくる。
 その姿はまるで土木用の重機か何かのようだ。
 一歩大地を踏みしめるごとに地面は抉れ、盛大な土埃を巻き上げる。イメージとしては巨大な芝刈り機か何かだろうか。巻き込まれればズタズタに引き裂かれ無残な姿を晒す事になるであろう事は想像に難くなかった。
 そのままこちらへと向かい突撃してくる動きに策を弄しているかのような雰囲気は見られない。
 あくまでも愚直にこちらへと向かって直進してくる。
 だが、その巨大な質量。そして破壊力はそう易々と止められるものではない。
 その巨体はただまっすぐ走るだけで一級の兵器と化していた。
 だが、そのような直線的な動きスバルにしてみれば恐ろしくも何もない。そのスピードもあくまで想像の範囲内、驚異的なスピードを誇るというわけでもない。
 わざわざ真正面から力比べをするつもりはない。暴走する電車を受け止めたのもスバルからしてみればそれはあくまで必要な事であったからだ。
 マッハキャリバーが唸りを上げ、ホイールが回転。スバルは真横へと滑るように移動を開始。
 それだけでスバルはあっさりとアンガーの攻撃範囲から逃れられる――筈であった。
「――――っっ!?」
 スバルの表情が、驚愕へと変わった。
 視線の先、アンガーは見る見るうちにスバルの元へと駆けてくる。
 しかしスバルは動かない――否、“動けない”。
「くっ……シールド展開!」
『All right』
 瞬時に、スバルは回避する事を放棄し、振り上げた両腕の前で魔法を展開。
 先程アンガーが使用したのと同様のシールドタイプの防御魔法だ。トライエンブレムに光り輝く魔法陣がスバルの前に文字通り盾として顕現する。
 構図としては先程とは逆、スバルが防御しアンガーが攻撃するという絵になった。
 だがしかし、それはあまりにも無謀極まりない対処方法であった。
 暴走する猛牛を正面から受け止める闘牛士がいるだろうか。いや、存在するわけが無い。
 スバルもそんな事は理解していた、理解していてなお、こうするしか選択肢が無かったのだ。
 アンガーの一撃がスバルへと襲い掛かる。
 それは魔法でもなんでもない。分類するとすればただ一言、体当たりと呼ばれる単純極まりない攻撃だ。
 しかし圧倒的な質量と加速を伴ったその一撃は何よりも恐ろしい兵器となる。
 ハンマーで硬いものを殴打するような衝撃音が響く。
 そして結果はすぐに訪れた。それも先程の焼き直し。
 シールドが貫かれる事は無かったがスバルは展開したシールドごとあっさりと吹き飛ばされたのだ。
 だが、その威力は桁違いだ。まるで飛礫のように弾き飛ばされたスバルは広場の端にある大木に背中から激突、そのまま崩れ落ちるかのように膝を突いた。
「かっ――はっ!」
 息がつまり、スバルの喉から嗚咽が漏れる。
 だが、ダメージだけで見るならばそれはそこまで酷いものではなかった。
 確かに衝撃は凄まじかったがシールドを破られたわけではない、単純に吹き飛ばされただけである。
 痛みも木に激突した際の衝撃で背中が痺れる程度だ。戦闘の続行ができないほどではない。
 だと言うのに、スバルは未だに地面に膝をついたままであった。
 本来ならば、敵からの追撃が予測されるこの状況、まずは何よりも優先し自分の体勢を立て直さなければならないと言うのにスバルは立ち上がらない。
 いや、立ち上がれない。
 身体の動きが鈍く、言う事を聞かない。指一本動かすだけでとんでもないほどの力が今のスバルには必要だった。
 先程もそうだった。アンガーの突撃を避けようとした瞬間。凄まじい重圧がスバルを襲い瞬時に動く事が出来なかったのだ。
 まるで手足の先に鉛の詰まった袋を持たされているかのような感覚。
 痛みや疲労、ましてや精神的なものからくる症状ではなかった。
「なに……これ?」
 襲い来る未知の感覚に戸惑いの呟きを漏らすスバル。
 しかし、考えるまでも無かった、この異常事態は――“敵の攻撃”である。
 その隙を突くように再びアンガーがこちらへと押し迫る。先程と同様何の捻りも無いただの体当たりである。
 いつものスバルならば避ける事の容易い単純な機動、しかし未だに身体は思うように動かない。
 もう一度、シールドで防ぐか。いいや、それでは先程と同様の結果しかえられる事が出来ない、結局そのままいつかは追い詰められるだけだ。
 そう判断したスバルは地面に膝をつけた姿勢のまま右腕を振りかぶる。
 それだけで猛烈な疲労感がスバルを襲うが気合でそれを無視し拳を振り上げる。
「リボルバァアシュートッ!!」
 カートリッジをロード。先程と同様にナックルスピナーが猛烈な唸りを上げて回転。咆声と共に衝撃波を生じさせる。
 先程はこの衝撃波を拳へと纏わせ、威力を高めたが今回はその衝撃そのものを打ち放つ。
 ただし、アンガーに向けてではなく地面へと向けて。
 拳を振り下ろすように大地へと叩きつける。瞬間、衝撃が生まれた。
 ちいさな竜巻にも似た衝撃波は足元を爆散させ、その反作用によりスバルの身体自身も宙に投げ出される。
 だが、それで構わない。飛翔高度が頂点へと達した瞬間にスバルはウィングロードを展開。その上に華麗に着地する事は出来ず、肩からぶつかるように魔力で編まれた光の道の上に落ちた。
 しかし、功はそうしたようだ。アンガーはそのままスバルの背後にあった大木にぶつかり、それをへし折っている。
 だが、なんとか上空に退避するに成功したが、事態そのものが好転したわけではない。奇策にも似た形でアンガーの一撃を回避する事は出来たものの、身体全体を襲う鈍さは未だにスバルに襲い掛かっている。
「うっ……くぅ、なんなの、コレ?」
 ウィングロードの上で身体を起こしながらスバルが呟く、そこへマッハキャリバーからの進言が響いた。
『落ち着いて、バリアジャケットの出力を上げてください』
 呟かれる声はあくまで冷静さを失わない。スバルはその声に縋るようにバリアジャケットを構成する魔力を強化する。
 同時にスバルの身体を襲っていた疲労感が幾分か軽減された。まだ手足は重いが動けないほどではない。
「あ、ありがとう助かったよ、マッハキャリバー」
 復調に伴いスバルの頭も冷静に思考を取り戻す。そして同時にいくつか理解する事が出来た。
 やはり、先程までスバルを襲っていた現象はなんらかの魔力作用による“攻撃”であったのだろう。
 証拠に身体全体を保護する防御魔法でもあるバリアジャケットの出力を強化する事により、幾分か四肢の動きを鈍くしていた現象は収まった。
「でも……今のはいったい……」
 だが、その正体までは至ることが出来ない。この現象は敵が使用する何らかの魔法である事は理解できたが、それ以上の答えが得られない。
 考えられる可能性としてはバインドなどの捕縛魔法、しかし身体の一部を拘束するものならスバルも知っているが身体全体の動きを鈍くする魔法なんて聞いた事も無い。
 後は、考えられる可能性として……
『Gravity magic(重力魔法)』
 マッハキャリバーの言葉にスバルは頷く、そう考えれば身体が鈍くなった事実も明白だ。通常の数倍の重力がスバルを襲ったのだ。四肢の動きは鈍くなって当然であるし、俊敏な動きも制限されるだろう。
 しかし重力魔法は相当な高位魔法である。
 魔力と言うものは例えるならばガソリンだ。それはあくまで燃料でありエンジン――魔導師の魔法行使を行うために必要なものでしかない。
 もちろん魔力は特殊なエネルギーであり、衝撃波やシールドの形成と言った固定化は可能である。だが重力などと言った『現象』そのものを生み出すのは難しい。
 やってできない事は無いが、そういった魔法を行うには高度な術式と豊富な魔力が必要となるのだ。
 だが、アンガーがそのような魔法を行使した形跡は無い。呪文詠唱さえなしにそのような事が行えるはずが無いのだ。
 だが、可能性が消えたわけではない。
 スバルの良く知る人物にもそのような現象化魔法を実戦において利用する事が可能な存在がいる。
 フェイトやシグナム、それにエリオなど特殊な資質を持った魔導師だ。
 通常、雷や炎と言った現象も発動の難しい高位魔法だ。しかし先天的資質を持つ彼等は魔力を自分の得意とする現象そのものに変換する事が可能なのだ――それも呼吸するかのように。
 それでも炎や雷といったあくまでエネルギーとして使用されるものと比べれば重力魔法はもう一段階特殊な部類に入る。
 炎や雷、あるいは氷と言った魔力変換体質の魔導師は極稀とはいえ存在するが、魔力を重力に変換させる事の出来る魔導師など聞いた事も無い。
 だが、いまはそれらを否定すべき時ではない。
 あるわけの無い事実であろうとも、他に何かタネが隠されていようとも、現在事実としてスバルはその力を操る事の出来る魔導師と対峙しているのだ。そう考えなければならない。
 そう、今考えるべきなのは重力魔法と言う高位魔術を呼吸するかのごとく操る事の出来る魔導師をどうやって打倒すべきか考える時なのだ。
 その時だ、轟とスバルの真横を通り過ぎる強風が吹いた。
 何事かと空を見上げる。風は足元から上空へと向けて吹いていた。
 見上げた空の先、そこには先程の焼き直しでもあるかのように宙に浮くアンガーの姿。
 高い。
 ウイングロードの上に佇むスバルよりもそれは更に上、蒼穹の青空をバックに空を往くのはスバルの数倍はあろうかと言う巨体。だというのにその跳躍力は明らかに尋常ではなかった。
 憶測ではあるがアンガーは飛行能力は持たない、これはあくまで一つの跳躍により成し遂げられた距離だ。
 そして飛行能力がないということは、すなわち頂点へと達した瞬間。その巨体は重力の頸城に晒される事となる。
 落下が始まった。
 出会い頭の一撃と同じだ。その巨体を生かした単純極まりない攻撃――上から踏み潰すと言う単純なその一撃は、しかし必殺の威力を持つ。
 事前に幾分とはいえ敵の重力攻撃を緩和できた事が幸いであった。
 こちら目掛けて落下してくる巨体は先程の突撃とは比で無い破壊力を秘めている。受ける事はすなわち死を意味する一撃だ。
 瞬時にその場から飛び跳ねるスバル、アンガーの巨体は数瞬前までスバルの居た位置に正確に“着弾”。
 しかし今度の足場は地面ではない。魔力で編まれたウイングロードは単純な足場としても形成する事は出来るが、アンガーの一撃を受けあっさりと砕けた。
 ガラス細工が砕けるように、魔力光の残滓がキラキラと煌きながら地上へと降り注ぐ。足場を失ったアンガー、そしてスバルも同様に地上へと落下を始める。
 だがしかし、状況は動いているのにどうすべきか、考えが纏まらない。
 戦う意思に迷いはないが、初めて相対する敵に対し有効な打開策が思いつかない。
 そうスバルが思案している間に二人は同時に着地、相対距離は先程相対した時とほぼ同じ間隔に開いていた。
 体全体にかかる負荷は軽減したとはいえ、いまだに本調子の半分といったところだ。
 それはスバルの武器の一つでもある機動力が失われたことを意味している。
 着地の衝撃に硬直しているアンガー、しかし課せられたハンデにスバルはこちらから攻め込む機会を見失う。
 その逡巡が仇となった。
「る……お、ああああああああっ!」
 アンガーの唸りが大地に響く、まるで怨嗟の叫びのような唸り声。
 それはこちらを威嚇する獣の咆哮だ。
 だがしかし、それはただ相手を威嚇するだけの単なる叫びではなかった。
 魔力が、周囲に漂う十分すぎるほどの魔力が、アンガーの叫びに呼応するかのように一点に集中する。
 様々な色合いで明滅していた魔力の光は、いまや漆黒の色へと変化しながらアンガーの頭上に巨大な魔法陣を形成する。
 それは唸りでも叫びでもなく――れっきとした呪文詠唱なのだ。
 その事実をスバルはすぐに看破したが、それでもそれは遅きに失したというしかない。
 すぐさま攻撃に転じていればまだ防ぐ手立てはあったというのに、スバルが前へと駆けようとした瞬間、アンガーの魔方陣からは漆黒の球体が出現した。
 それが弾ける。
 まるで針を差し込まれた風船か何かのように、盛大に弾け飛ぶ黒い光球。
 同時に周囲を巨大な重圧が襲った。
 有効範囲は現在スバルたちのいるサークルそのもの、その全てに凄まじいまでの重力が働き、驚くべきことに大地そのものが一段階、下降した。
 それほどまでの重圧。当然のようにその範囲内にいるスバルに抗う術はなかった。
 今までの比ではない重力の楔は打撃にも似た威力を持ってスバルを仰向けに大地へと叩き伏せる。
 それが如何なる事象によって起きたものなのか、スバルは既に理解しているというのに、実際に体験したその一撃はありとあらゆる既知の魔法を凌駕していた。
 それはこのサークルの中に存在する全てを襲う“重力”という不可視の一撃だ。
 防ぐことも、かわすことも叶わない一撃を一体どうやって対処しろというのか。
 ダメージ自体はそれほどではない、あくまで先の一撃は凄まじい重圧を相手に与えるものでしかない。
 しかし、重く圧し掛かる圧力に抗う術もまた存在しない。その場に叩き伏せられたスバルは身動き一つ取れない。
 これが無差別に効果を及ぼす範囲魔法だというのならば、現在サークル内にいるアンガーとて同様の重圧を受けているはずだ。
 しかし、相対する相手は未だにその六脚の足で大地を踏みしめている。
 いや、それどころではない。
 アンガーは、ゆっくりと身を沈めたかと思うと――飛んだ。
 高く、大空へと凄まじい重圧の中を蒼穹の青空へと飛翔する。
 天を見上げる形となったスバルには、その姿をつぶさに観察することが出来た。
 落下地点はおそらく自分自身。身動きできない自分はいまや格好の的だろう、相手が外すことはありえない。
 なぜならば、この一連の行動は決められたパターンだからだ。
 どういう流れを経るにしろ、詠唱魔法により相手の動きを封じ、その巨体により一撃の下に押し潰す。
 そうやって、彼は敵を屠り続けていたはずだ。
 そんな止めの一撃において、ミスを犯すということは考えられない。
 そして、そこから得られる答えは、この一撃は、等しく相手を打倒する――必殺の技だということだ。
 受ければ、確実に死ぬ。
 理屈などではなく、スバルは直感でそう答えをはじき出した。
 だがしかし、それに対し自分はどうすることも出来ない。
 あの強大無比な魔法に対して、自分は未だにどうすればそれを打破できるのかの答えに至れていない。
 その巨影はゆっくりとこちらへと向かってくる。自然落下であるはずのそれはスバルの目から見たらやけにゆっくりと動いているかのように見えた。
 ああ、これで死ぬのかなと、特別な感慨もなくそんな言葉がスバルの脳裏を掠めた。
 まるで死神に誘われるかのように、そのまぶたがゆっくりと閉じた――



 ――瞬間だった。



 死という言葉と同時に、ひどく小さい、けれど何よりも逞しい紅の騎士の背中が見えた。


「バカが、グダグダ考えてんじゃねーよ。オマエに出来ることなんてタカが知れてるっつっただろーが――」



 走馬灯にも似たビジョン。
 それが鮮烈な光景となってスバルの網膜を焼き尽くす。
 同時に、彼女は閉じたまぶたを開いた。
 視線の先にはこちらに迫り来るアンガーの姿。
 すでに回避する手段はない、ならば……いいや、はじめから出来ることなどただひとつ。
「カートリッジロードッ!!」
 シリンダーが回転し二発のカートリッジを消費する。
 巨大な魔力砲すら放てるほどの魔力がリボルバーナックルを通じてスバルの体に流れ込む。
 その過剰魔力をスバルは攻撃魔法として使用しない。
 選択魔法は唯一つ、ありったけの魔力を込めた――



「ウイングロォォォォォドッッ!!」



 爆発的な魔力によって編まれた光の道がスバルの足元から空へと向けて飛翔した。
 ウイングロードとは魔力によって構成された足場である。
 基本的には移動用の魔法、しかし物理的に乗ることが出来るということは、それは明確な形を作っているということだ。
 しかし所詮は補助魔法、先程もウイングロードはアンガーの一撃にあっけなく潰された。
 だからこそのカートリッジによる余剰魔力の供給。
 その魔力をスバルは全て物理的強化に費やした。いまや鋼鉄にも似た高度を誇る魔力の道は正確に空への道を形作る。
 その先には、こちらへと落下するアンガーの姿。
 それをウイングロードの舳先が貫いた。しかし所詮は攻撃魔法ではない一撃。アンガーを打倒できるほどの一撃ではない。
 しかしウイングロードはアンガーの巨体を宙へと押し返す。それだけでスバルには十分だった。
 それはあくまで賭けだった。ウイングロードがアンガーの一撃に負け砕けていればそれでスバルはお終いだったろう。
 だが、スバルは賭けに勝った。
 今自分の足元にあるのは敵へと至る光の道。
 あとはただこの道をまっすぐ突き進めば、そこには相手がいる。
「いくよ相棒」
『All right』
 ゆっくりとスバルが立ち上がる。重力の楔は未だにスバルを襲い続けている。
 本来ならば身動き一つ出来ないはずのその中で、しかしスバルはゆっくりと身を起こす。
 そうだ、相手はこの重力が支配するフィールドの中、あれほど高く昇ったのだ。
 ならば、自分に出来ないはずがない。


 スバルは、そう“思い込んだ”。


 それはあくまで精神論だけの話、スバルを襲う重圧は僅かも緩んではいない。
 先程までと唯一違う点はスバルは今、自分も飛べると信じていること。
 ならばやることは、唯一つ。
 歯を食いしばり、拳を握り、そして――
 スバルの意思に呼応して、マッハキャリバーのホイールが回転する。
 踏みしめるべきは大地ではない、いまやスバルの目の前に聳える垂直の壁となったウイングロードのみ。
 重力の力は、今この瞬間もスバルを大地へと叩き伏せようと彼女の体を襲う。
 だがしかし、それがどうしたというのだ。
 人は本来、重力という名の鎖に縛られている。
 それは人を大地に繋ぎとめる為の物だ。だからこそ人はこうして大地を踏みしめ生きている。
 けれど、それでも……いつか大地に戻ることが定められた運命だとしても。


 空へと憧れた少女がここにはいた。


 光の壁をスバルが駆け上がる。
 まるで弾丸の如く天へと昇る彼女の体は重力の鎖を断ち切り、空へ、空へと舞い上がる。
 その先、終着にいるのはアンガーの姿だ。
 ウイングロードの一撃により、バランスを崩してはいる物のその身は未だに健在。
 こちらへと向かってくるスバルの姿を見咎めたのか、先程よりも一際巨大な防御魔法を展開する。
 スバルはあの防御を打ち抜くことが出来なかった。
 今度のそれは先程よりもより強固に組み上げられているのだろう。
 しかし構わない、自分に出来ることなどタカが知れていると既に理解している。
 だから彼女は迷うことなくリボルバーナックルを付けて“いないほう”の左拳を掲げ打ち抜く。
 選択魔法はシールドブレイク。対象に打撃を与える為ではなく、そのシールドそのものを引き剥がす魔法だ。
 本来ならば相手の魔術構成に割り込みをかけて論理的にシールドを破壊する魔法だが、アンガーの使用しているのは未知の魔法技術。
 ならば、始めからカートリッジにより得られた魔力を全力で叩き込み、力尽くで打ち破る。
 スバルの拳とアンガーのシールドが激突する。
 奇しくもそれはこの戦闘が始まり三度目の似たような衝突だった。
 一度目、スバルはアンガーのシールドを抜くことが出来なかった。
 二度目、アンガーはスバルのシールドを抜くことが出来なかった。
 単純な防御技術、攻撃力などを見ればスバルとアンガーの実力は伯仲している。
 ならば勝敗を分けるのは一体、なんなのか。


「あ、らららあああああぁっっ!!」


 アンガーの唸り声が響く。
 それは意味を成さない言葉ではない。それは彼等のれっきとした呪文詠唱。
 来る。再びスバルを大地へと叩き落とそうと強力な重力魔法が放たれる。
 アンガーの頭上に現れたのは先程と同様の黒い光球。それが弾けた時更なる重圧がスバルを襲う。
 そしてそれは至極あっさりと砕けた。
 大気そのものが巨大な鉄槌と化し打ちのめされる感覚。
 防御も回避も不可能、それは一種の自然現象としてスバルを襲う。


 だが、スバルは“落ちない”。


 それが不可避の一撃である以上、その牙は確実にスバルへと及んでいる。
 だというのに、彼女は僅かも怯むことなく、今この瞬間も空へと向けて飛翔を続けていた。
 何らかの打開策を打ったわけではない、ただひたすらに彼女は空へと目掛けて駆け続けただけだ。
 重力の鎖を、ただ打ち破るかのように。
「うおりゃああああああああっっ!!」
 裂帛の気合が迸る。スバルの左腕がゆっくりと開かれ、アンガーのシールドそのものを掴み取るかのように、その指先が食い込む。
 そして、破砕。アンガーの展開したシールドはまるでガラス細工のように酷くあっさりと砕けた。
 砕けた魔力は飛沫となり、周囲に散らばる。
 その過程において、アンガーの付けていた仮面が吹き飛ばされる。
 スバルの視線の先、今まで怒りの表情を象った仮面の下に隠されていたアンガーの左目に相当する箇所に、“彼”の姿を見た。
 それはまるで御伽噺に出てくる妖精かなにかのような、小さな人影。それがアンガーの左目があったであろう部分に住み着いていた。
 ひたすらに、無表情であったアンガーと違い。今“彼”は怯えている。
 自分の身を脅かす存在に。迫り来る恐怖に。
 それを目の当たりにし――しかし、スバルの中に迷いはなかった。
 するべきことは決まっていた。
 高潔な紅の騎士が教えてくれていた。
「近づいて――」
 今度こそ、右腕をスバルは振りかぶる。
 そしてシリンダーの中に最後に残ったカートリッジを装填する。
 それは通常のカートリッジではない。青色の外装に包まれたそれは対フェイス用の封印弾丸。
 シーリングカートリッジ。
 激発の音と共に、それをローディング。見たこともない魔法構築がスバルの脳裏に流れるが気にしない。
 なぜならば、スバルのすることは唯一つ。


「――ふっ飛ばすっ!!」


 そうして、スバルの拳は無防備なアンガーに向けて振りぬかれた。
 


>TO BE CONTINUED


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