魔法少女リリカルなのは 星を砕く者 第13話 譲れないもの一つ



私は誰かに頼られるような人間じゃない。



魔力だって人並み、特別な才能なんてこれっぽっちもありはしない。



そんな私だけれど、譲れないものはある。



大切な人を守りたい。



その為になら、プライドなんていらない。



足掻いて、足掻いて、足掻いて。



どんなにみっともない姿になろうとも、きっと、やり遂げてみせる。



それだけが、私の譲れない思いだから。



星を砕く物語、はじまります。



 ●



 振りぬかれた拳は確かにアンガーの頭部を捉えた。
 そして同時に、カートリッジにこめられた魔法が独自展開する。三重に広がった魔方陣はアンガーを取り囲むように出現したかと思うと、そのまま高速回転。
 中心部に位置するアンガーを取り囲むように、収束を開始する。
 徐々にその環を狭め、そして遂にはアンガーの頭部、いや、その中に存在する暴走ユニゾンデバイスを縛り付けるように拘束した。
「――――――――ッッ!」
 声として形にならない、だが耳を劈く高周波にも似た叫びが響く。それは僅かにスバルの表情を歪ませるが、すでに独自起動している封印魔法には僅かも罅を生じさせることはない。
 そうして遂に、封印が完了する。
 暴走ユニゾンデバイスを取り囲んだ魔方陣は、そのまま硬化。美しい多面体を描くクリスタル状の物体になったかと思うと、アンガーの体から弾けるように飛び出した。
 そこで、ようやく落下が始まった。全身から力が抜けたように脱力するアンガー、そして垂直の壁と化したウイングロードを伝って空へと飛翔していたスバルも、上昇限界点が訪れたのか、そのまま地面へと向けてまともな重力の鎖に捕まり、地上へと引き寄せられる。
 スバルは、地面スレスレのところでバランスを整え、再びウイングロードを展開。なんなく地面へと着地するが、アンガーの方は物理法則に従ったまま大地へと轟音を響かせながら墜落。
 その姿を眺めながらも、スバルは油断なくアンガーのほうを見据えながら攻撃の構えを解かない。
 いまだに、このフェイスと呼ばれる敵の詳細は不明なのだ。
 スカリエッティの作った封印用カートリッジは正常に作動したようだが、それでも相手が再び行動する可能性は微細なれど存在する。安心するには、未だに不鮮明な部分が多すぎる。
 ゆえにスバルは残心の姿勢を崩さぬまま、相手の出方を見ることにする。
 だが、それは杞憂に過ぎなかったのか再び相手が動き出す気配はない。そんなスバルの元へ、それ自体が浮遊性を備えているのか、ゆっくりと宙から先程、暴走ユニゾンデバイスを封印したクリスタルが落下してくる。
 それを片手で受け取るスバル。その間にもアンガーが動き出す気配は微塵もない。そこまで確認したところで、ようやくスバルは軽く息を漏らし、肩から力を抜いた。
 後に残ったのは、静謐なまでの静寂。先程までは成長する森の葉ずれの音が煩いぐらいに響いていたと言うのに、それすらも戦闘の余波に恐れをなしでもしたのか、妙な静けさが周囲を支配していた。
 そんななか、スバルはゆっくりと動かぬアンガーの方に歩を進める。戦闘態勢は解いたものの油断をしているわけではない。それでもスバルは確かめなければならない事があった……だから、ゆっくりとアンガーの元へと近づいていく。
 そうして見る。もう、けして動くことのないアンガーの姿を。
 戦闘の最中、けして表情というものを浮かべなかった彼は何故か、安心したような表情を浮かべていた。
 それがなにを意味するものなのか、スバルは解らない。解るわけがない。スバルはつい先程まで自分を殺そうとしていた、彼の事を何も知らなかった。
 ただ、唯一解るのが。彼がもう動かない、そんな当たり前の事実だけだ。
 事前に説明は受けていた。フェイスとは、暴走ユニゾンデバイスそのものであり、器となる肉体はあくまでデバイスによって動かされている操り人形でしかないと。
 その精神は既に遥か昔、彼の肉体とユニゾンデバイスが融合した時点で失われている。
 それを救う手立ては、存在しない。どのような形であれ失われた命を救うことなどできはしないのだ。
 そんなことはスバルも理解している。自分は神でも悪魔でもない。救える命と、救うことのできない命があると言うことなんて、当たり前のことなのだ。
 そして、フェイスたちはけして救うことのできない命なのだ。
 それはもはや遥かな時間の彼方に、スバルにはけして手を出すことのできない範疇において行われた事実にしか過ぎないのだ。
 どれほど優秀な魔道師であろうとも時間を歪めることはできない。
 だから、目の前に存在する事実は、既に決定していた事象にしか過ぎない。それに気をとられるのは時間の無駄でしかない。
 スバルも、説明を受けた時点で心構えはできているつもりだった。
 けれども、それが単なる動く死体であったとしても、自分の一撃においてその活動が停止してしまった事実はスバルに相応の精神の揺らぎをもたらしていた。
 だが、ここで膝を折ることは許されない。自分がここに来た目的、それを達成するまで立ち止まることは許されない。
 だから、スバルはその事実をしっかりと見据えたまま、小さく頭を下げた。
「ごめんなさい」
 囁かれた呟きは、なんに対してのものだったのだろうか。
 けれども、スバルはその一言だけを残して立ち止まることを止めた。それがただの自己満足に過ぎないということは彼女も理解していた。そんなことしかできない自分に苛立ちを覚え、それでも、やり遂げなければならない事がある。そう決心し、動かぬアンガーから背を向ける。
 それで、スバルはもう振り返らないつもりだった。
 だが、しかし――
「なんで、謝るの?」
 そのか細い呟きは、確かにスバルの耳に届いた。
 思わず振り返る、気づけばその声に引き寄せられるかのようにスバルは自然と、再びアンガーのほうへと身体を向ける。
 そこには、やはり動かぬままのアンガーの傍らに佇む少女の姿がいつの間にか存在していた。
 確かに、数瞬前まで同じ方向を見つめていたスバルは、そこに誰も居なかったことを確認している。誰かが近づいてきた気配を感じ取れぬほど油断したつもりもない。
 それでも少女は、そこに立ち尽くしアンガーの姿をただ見詰め続けていた。
 こちらを警戒するでも、戦う意思を見せるでもなく、ただ彼女はアンガーを見詰めるだけだ。
 スバルも唐突に現れた、その少女に対する警戒心は僅かも生まれなかった。幽鬼のように現れた少女は、それだけでも警戒に値する人物ではあったが、なぜかそのような気持ちが浮かぶことは無かった。
 なぜなら、その少女はただ彼の――動かなくなったアンガーを悼むためだけにその場にいることが、感じられたから。
 理屈ではなく、その悲しそうな瞳を見ただけでスバルはそう感じることができた。
 その姿から、少女がアンガーの、フェイスたちの関係者である可能性は非常に高いだろう。だとするならば、管理局員として今後の行動を有利に進める為に少女を保護――歯に衣を着せぬ言い方をするならば拘束し、情報を引き出すのが常道だろう。
 けれども、スバルは気づけば少女に尋ねていた。
「……貴方は?」
 そんなスバルの言葉に、少女はゆっくりとアンガーから視線をはずし、その何の感情も映さない虚無の瞳をスバルへと向けてから小さく口を開いた。


「私は……星を砕く者」


 そこに居たのは、独房においてフェイトと共にいた、あの少女だった。



 ●



 ゴン、ゴン。と断続的に響く鈍い音が地下の空間に空しく響いた。
 だが、ひときわ大きな打撃音が響いたかと思うと広い地下空間の一端に設置された金網が外れ、盛大な金属音が周囲に響き渡る。
 残響音が暫く続くが、それが収まると同時に周囲に満ちたのは耳に痛いくらいの静寂だ。
 そのまま何も起こらないかと思われたが、暫くした後、外れた金網の向こうから二つの人影が地下空間へと躍り出た。
 そのまま彼女達はそれぞれの武器を構え、周囲を警戒するように見回した後、自分達以外にそこには誰も存在しないことを確認したのか、膝立ちの姿勢からゆっくりと身を起こした。
「だいぶ強引な方法でしたけど、大丈夫だったみたいですね」
「まぁ、一応エリアサーチも行ったうえでだけどね」
 そう、言葉を交し合うのは唯一、合流できたティアナとキャロの二人だった。
 地表ではなく、天然の地下空洞へと飛ばされた彼女達であったが。その空洞を探索している途中に明らかに人工的に整地された空間へと進み出る形となった。
 そして、その後も探索を続けた結果。こうして空洞から抜け出すことのできる進入口を発見することができた。
 ただし、先程の破壊活動から見ると本来は人間が出入りするような箇所からではないようだ。
 随分と危険な賭けではあったが、そのおかげでこうして目的としているであろう施設へと侵入することができた――と、言ったところだろう。
「けど、他の皆さんと合流しなくてよかったんでしょうか?」
 けれど、結局エリオやスバルと合流することのできなかったキャロは、どこか心細げに呟く。
 確かに、自分とキャロでは戦力として十全とは言いづらい状況であることは否めないことはティアナとて理解している。だが、自分達に時間と言う最大の制約が掛っている以上、贅沢が言えない状況であることも確かだった。
「もちろん、戦闘はいざって言う状況じゃない限りできるだけ回避する方向で行くわよ。私たちの目的はとりあえず情報収集。少なくともフェイトさんが捉えられている場所が解れば作戦の立てようもあるしね」
 ティアナたちの目的はあくまでフェイトの救出。そして自分達の安全な脱出である。フェイスを倒すことはあくまで二の次。できることならば消耗を防ぐ為にも戦闘は極力避けたい……というのがティアナの本心であった。
 敵に臆しているわけではないが、この場合は真っ向からの戦いは無用の長物でしかない。あくまでティアナはフェイトの救出を優先する為に動いているのだ。
 それらを考えた場合、座して待つと言うのは得策ではない。できるだけ情報を集めなければならない。ならば少数で動いた方が有利に事を運ぶことができる。
 それに今の状況ならばスバルやエリオが陽動の役割を果たしてくれるかもしれないのだ。その間隙を突いて情報収集に勤しむのはけして悪い考えではない。
 ティアナ自身はあまり、こういう考えは好きではないが、いまは選り好みをしている場合でないことも確かであった。
「わ、解りました。それにしても……ここって、なんだか……寒いです」
 周囲を見回しながら呟くキャロ。思わず寒さに耐えるように肩を震わせる。だが、彼女達の着ているバリアジャケットはそれだけで防寒対策も施されてある。氷点下でもない限り、明確な寒さを感じるような代物ではない。
 だが、キャロがそう言いたくなる気持ちはティアナにも理解できた。
 この場所は、気温ではなく、空気が凍えている――そんな感覚がティアナにも確かにあった。
 改めて自分達の躍り出た室内を見回す。位置的にはやはり地下に位置するのだろうが、その割にはやけにだだっ広い空間である。部屋を照らすのは足元で仄かに灯る誘導灯めいた微かな光だけで全貌はようとして知れないが魔道師が十分に動き回れる訓練施設ほどはあるのではなかろうか。ただ、通常はなにも存在しない訓練施設とは違い、足元には等間隔に用途の知れない機械が設置してある。
 中心部に成人男性ひとりは楽に入ることができるような四角形の箱が寝かされており、そこに無数のケーブルや計器類が繋がれてある。
 置いてあるのは全て同一の規格の代物なのか、まったく同じ形をした機械が規則正しく並んでいる様子は壮観と言う前に不気味さを感じさせる。
「なんなんでしょうね、これ?」
 首をかしげながらその機械のひとつに近づくキャロ。その後姿にティアナが小さく声をかける。
「あんまり弄らない方がいいわよ、警報装置が付けられてる可能性も――」
 しかしティアナの警告はほんの少しばかり遅かったようだ。だがティアナが危惧したような事は起こらなかった。起こったのは青褪めた表情で小さく悲鳴を上げ、後退さるキャロの姿。
 それを不審に思い、ティアナもキャロの視線を追う。そこで目の当たりにしたモノにティアナも思わず悲鳴を上げそうになってしまった。
 設置されてある機械、その中心部たる四角い箱には中を覗き込めるように小さなガラスがはめ込まれていた。そこから覗くのは――人の顔だった。
 成人男性すら納められるような巨大な箱。そうは評したが、まさかそのものが入っているとはさすがのティアナも予想外であった。
 眠るように瞼を閉じるのは、性別もよく解らない特徴のない人間の表情だった。頭髪は綺麗に剃られ、まるでマネキンかなにかのような姿ではあるが、作り物ではない正真正銘の人であることだけは解る。
 その生死までは解らない、だが保護溶液につかるその姿は消して安らかな眠りにふける人間のものではなく、実験動物か何かのような雰囲気を醸しだしていることだけは確かだった。
 どちらにせよ、あまり直視し続けたい代物ではない。キャロは目を逸らし、再び寒さに震えるように自らの肩を抱いていた。
「ティアさん……これって、いったい」
「私も解らないわよ……けど、もしかしてここにあるのって」
 そう言って再び室内を見回すティアナ。そこには同様の機械がそれこそ見通すことのできない部屋の奥まで等間隔に並んでいる。
 恐らくはその全てに、“同じもの”が這入っていると考えるのが常道だろう。
 まるで地下墓地(カタコンペ)か何かを思わせる施設だ。長居していた居場所とは到底言えないだろう。
「けど、肝試ししてるわけじゃないしね……キャロ、大丈夫?」
「は、はい、大丈夫です」
 そうだ、今はこの正体不明の施設に臆している場合ではない。そのように自らを奮い立たせ、できるだけ覇気のある声音で話すティアナ。それに習ってキャロもまだ幾分か青褪めた表情のままではあったが、首を縦に振る。
「とりあえず、端末か何かがないか調べて見ましょう。恐らくはここも研究施設の一つだと思うから、それらしいのがあると思うわ」
 まだ、年端も行かない子供であるキャロに対して狙っての対応ではないが、精神的に磨耗せざるをえないこの状況は厳しいものがあるかもしれない。冷徹な対応だとは思うが気遣っている余裕は残念ながらティアナにもなかった。
 それでも、キャロも幾分か気を持ち直したのか。確かに頷くとそのまま周囲を警戒しながらティアナと共に未だに全容を掴めぬ暗闇へと歩を進める。幼くとも彼女もまた歴戦の勇士であるのだ。自分が今すべきことが何かを理解してはいる。
「……ティアさん。ここにあるのは……何の為の機械なんでしょう?」
 それでも、声を絞って尋ねてきたのは、正体の解らぬままでいる事の恐怖から出た質問なのだろう。
 だが、その質問にティアナは口を噤むことしかできなかった。
 それはここにあるものがティアナの理解の範疇を超えた代物であるからではない。推論ではあるが幾つかの予想を立てることはできた。だがその内容は口に出すには些かの躊躇を覚える内容であっただけだ。
 この施設が行っていた内容、そして保護溶液に浸かった特徴のない人間……それらから考えるに、彼等はなんらかの実験に使われた実験体なのだろう。恐らくは暴走ユニゾンデバイス実験における犠牲者達――そんなところだろう。機械郡は彼等を効率的に保管する為の物でしかない。
 今更そのこと自体に驚きはしない。スカリエッティの言質からここで行われた実験がそのようなものであることは理解していた。けれども身体の奥底に灯る怒りがそれで鎮火するわけもない。
 人を人とも思わぬ所業。ここで行われていた実験の詳細など知らない。知りたくもない。だがこれらの実験を行った者たちを許せないという感情だけは確かにティアナの中に存在した。
 だが、皮肉なことにティアナたちと敵対しているのは、その実験体そのものなのである。
 どうにもやるせない気持ちがティアナの中でぐるぐると渦を巻いていた。
 そんな思惑に囚われていたからだろうか、先に目的のものを見つけたのはキャロの方であった。
「ティアさん、アレ!」
 キャロにそういわれ、顔を上げた先にあったのは巨大な柱のような機械だった。ちょうど部屋の中央に位置するのだろうか、そこには天井まで達する巨大な機械が設えられてある。
 仄かに灯る明かりは、まだその機械に電源が通っている証拠だ。
 端末らしき部分を見つけたティアナは素早くその前に陣取ると、捜査を開始し始めた。
「こういうのの操作ってできるんですか、ティアさん?」
「ん、まーねー。執務官にはこういったスキルも必要だし……ここのは殆ど管理局の設備と同様みたいだからね」
 皮肉な話である。度し難い所業を行っているこの施設が、自分が所属する管理局の技術によって成り立っているという事実。それが今は操作の助けになっている。
 だが、今はそんな感情に囚われている場合ではない。端末を操作し、中にある情報をできるだけ掻き集めることが優先される。
「ビンゴ。中央部分とデータがリンクしてる。これならフェイトさんが捕まっている部分も大体予測できそうだわ」
 通常、こういった施設では端末はスタンドアローン。つまりはそれぞれ単体で稼動している状況が多いが、未開の無人惑星に設えられた施設だ。そういったセキュリティ部分が甘くなっているのは今は僥倖と言うしかない。
 つつがなく、施設の全体図を読み込みながら、同時に相手がどのような配置を取りやすいか、フェイトを監禁する場合どの施設が最も効率が良いかを推理していく。
 さすがにそういった部分に対しては門外漢なのか、キャロはそんなティアナの様子を関心しながら眺めるだけだ。
「……ティアナさん、こっちのファイルは何ですか?」
「えっと……重要機密……ね。おそらくはここの研究データが纏められてるみたいね」
 キャロが興味を示したものをチラリと眺めてから答えるティアナ。通常の操作任務であれば真っ先に確保しなければならない状況だが、いまはそれよりも優先すべきことがある。
 だが、そこでティアナが端末を操作する指が止まった。なにかが頭の奥底に引っかかる感覚。それはほんの僅かな違和感のようなものでしかない。
 けれども、それが何故か脳裏にこびりついて離れないティアナは施設のデータ展開を一端切り上げ、そちらの研究資料を開く。
 それは、ほんの軽い気持ちで行った行動だった。
 だが、空中に開いたホログラムウインドゥ、そこに展開されたデータは、ティアナに更なる絶望を与える結果を示すこととなる。



 ●



「ふざけないでよっ!!」
 激昂に身を任せた一撃がコンソールを叩いた。
 ティアナのそんな唐突な行動に、キャロは僅かに身を竦める。羅列されたデータの数々を凄まじい速さで読み込んでいたティアナが見せた第一の反応がそれだった。
「テ、ティアさん。どうしたんですか?」
 キャロも同様のものを眺めていたが、そのデータ容量の膨大さから内容を理解できてはいない。いま、この瞬間、ティアナが怒りに身を任せながらも、その表情が歪んでいる意味も彼女には解らなかった。
「そう……スバルの、スカリエッティの言っていた意味はこういうことだったのね。“裏側”か、とんでもないものを残してくれたわね」
 唇をかみ締めながらの囁きは独白にしか過ぎない。ティアナもティアナで突きつけられた新たな事実に思考を制御できていない様子である。
 キャロからしてみれば、常に冷静沈着であろうとする彼女がここまで動揺する姿は珍しい――そして、事の重大さが自分が考えているより遥かに切迫していることを言外に感じ取ることだけはできた。
 とりあえず、急かしても良い結果が得られないことだけは理解したキャロは、とりあえずティアナが落ち着きを取り戻すのを待とうと試みる。
 だが、彼女達はもっとも重大なことを忘れていた。
 それは、今この瞬間も彼女達は敵の只中にいるという事実。
 謎の衝撃に見舞われているティアナも、それに気を取られたキャロもほんの僅かの間だけ周囲に気を配るのを忘れていた。
 そんな間隙を突くかのように、その一撃はやってきた。
 それにティアナが反応することができたのは僥倖というしかない。例え予想外の事実に驚かされようとも、芯の部分ではけして冷静さを失わない彼女の機転が、その不意の一撃を回避させた。
 咄嗟の判断でキャロはティアナに庇われる形で床に伏せさせられる。その頭上を巨大な極光が通り過ぎたかと思うと、それは今の今までティアナが操作していた端末に直撃。
 僅か一撃で、その機械ごと端末を大破させた。
 これで、もはやデータを取得することは不可能となった。だが、もはやそんなことを言っている場合ではない。
 ティアナに押し倒された格好のままキャロは砲撃が飛来してきたと思われる方向に視線を向ける。その彼女の視線の先に、それは存在していた。
 それは、楽しんでいるかのように薄く微笑む仮面を付けた、自分とそれほど年の変わらない少女であった。フェイスとはこれが初邂逅であるキャロにとってその姿はどうしても一抹の驚きを感じせざるを得なかった。
 その少女には左腕がない。代わりにそこに存在しているのはこちらへと暗黒の淵を思わせる重厚を見せる、巨大な砲が備えられてあった。
 異形ともいえるその姿に、キャロは一瞬の躊躇を覚える。
 だが、同様の立場であるはずのティアナの反応は素早かった。待機状態であったクロスミラージュを素早く展開したかと思うと、すぐさま身構えて次の攻撃へと備える。
 一拍遅れてキャロも同様に戦闘態勢にはいるが、向こうからの新たな攻撃はその間行われることは無かった。
 不意の一撃が外れ、相手も驚いているのかもしれない。仮面を付けていない方から覗くその表情は、どこまでも感情を見せない無表情ではあったが、僅かに首を捻っていた。
 お互いに次の一手を考えあぐねている状況なのか、その隙をついてティアナからの思念通話がキャロの中に飛び込んでくる。
『キャロ……聞いて、アイツは私が引き付けるから、アンタはその隙にフェイトさんを助けにいって、いまアンタのデバイスにここのマップデータを送信した。フェイトさんがいるのはおそらくは被検体調整室って所だと思うから』
 告げられたその内容に、キャロは思わず目を見開く。それは当初予定していた行動とは随分とかけ離れていた提案だったからだ。
 ここでフェイトの救出を強行するのはあまりにも危険すぎる賭けだ。相応のデータを取得できた時点で一端体勢を整えるのが本来の計画だ。敵に発見されてしまったとはいえ、二人掛りであれば撤退するだけならばそれほど難しいことではない。
 だが、いまここでフェイトの救出を強行すれば、それはティアナとキャロ。どちらにも相応の危険が降り掛かることとなる。自分の、そして何よりも仲間達の安全を優先するティアナが推奨する作戦とはとても言いがたい。
 それをティアナ自身も自覚しているのか、思念通話に焦りを含んだ感情が混じる。
『今はきちんと説明している暇はないの。けど、事情が変わった。よく聞いてキャロ。アンタはフェイトさんを助け出したら、できるだけ早くアースラと連絡を取って。そしてシャーリーさんにアンタのデバイスに移したさっきのデータを見せて。シャーリーさんならそれだけで理解してくれるはずだから』
 それは、ともすればティアナたちを見捨てろという命令に等しかった。
『嫌です! ティアさんは言いましたよね。フェイトさんを助け出して、私たちも無事に帰ってくるって、でも、それじゃあ――』
「いまのは命令よ、キャロ・ル・ルシエ二等陸士」
 当然のように紡がれたキャロの懇願は冷徹なティアナの言葉によって遮られた。
 キャロが驚きにティアナのほうを向けば、彼女は確かな意思を持った視線で彼女をしっかりと見詰めていた。
 その視線を見て、キャロの中に芽生えかけたわだかまりは驚くほどの速さで霧散した。そこにあったティアナの瞳は何一つ曇ることなくそこに存在したからだ。
 自分を悪役に仕立て上げてまで信じるものの為に戦おうとするその不器用さは何一つ変わってなどいなかった。
 だから、キャロはそんな彼女を信じることにした。自分達の隊のチームリーダーである彼女の言葉を信じることに理由など要らなかった。
『わかりました……でも、そういうのはティアさんには似合いませんよ』
『うっさいわね。人の上に立つのなんて馴れちゃいないわよ』
 冗談交じりに交わされた言葉。そこには、すでに相手を信頼する感情だけが存在した。
『上への出口はアイツの背後よ、合図を送るから強行突破して。援護するわ』
『ハイ。わかりました』
 もはや迷う余地など存在しない。送られたティアナからの合図と共に、キャロは魔法展開。
「蒼穹を奔る白き閃光。我が翼となり、天を翔けよ。来よ、我が竜フリードリヒ――竜魂召喚!」
 呟かれた詠唱を終えると同時に暗い室内を満たす閃光が煌いた。同時にキャロの背後に広がった魔方陣から巨大な白竜の姿が現れる。
 フリードは出現と同時にキャロをその背に乗せると、彼にとっては狭い空間であろう室内を器用に羽ばたき、仮面の少女を飛び越す形で飛翔する。
 だが、今まで様子を見てきた仮面の少女も、キャロたちの行動に素早く反応する。自分の頭上を通り過ぎようとするフリードに向けて、その銃口を滑らせる。
 キャロは、もはやそんな相手の挙動など見ていない。その必要はないのだから。
 今まさに、迎撃しようと魔力を高める仮面の少女。だがそんな彼女目掛けて、数発の魔力弾が迫る。
 仮面の少女は素早く砲撃を中止し、腕代わりの砲を弧を描くように振り回す。それだけであっさりと魔力弾は掻き消されるが、構わない。
 その隙を利用し、フリードはキャロを伴い、出口へと向けて飛翔していく。
 それを止める術はもうない。止めようとすればもう一方からの攻撃が確実に仮面の少女を射抜くのだから。



 ●



「さてと、ホントはこういうのはスバルの方がお似合いなんだろうけど言わせて貰うわ……あの娘を追っかけたかったら私を倒してからにしなさい」
 そう言って、ティアナ・ランスターは仮面の少女――エンジョイに宣戦布告した。



>TO BE CONTINUED


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