魔法少女リリカルなのは 星を砕く者 第15話 駆け抜ける速さ中で
銃声が響いた。
シーリングカートリッジから開放された封印魔法が発動し、眩い光と共にエンジョイの体が幾重にも重なる魔法陣によって包まれる。
やがて、それらは段階的に収束して行き、最後には小さな光の塊と化してその場に落ちる。
抜け殻と化したエンジョイの身体の上に転がるのは小さなクリスタル上の物体。
この中に、フェイスの宿主。いや、そのものであるユニゾンデバイスが封印されている。
それらを除けば後に残ったのは星の光と、それに照らされるティアナだけとなっていた。
封印処理が完了したのを見届けたティアナは、クロスミラージュを構えたままその場に立ち尽くしていたかと思うと、その体がぐらりと傾いた。
誰に支えられるわけでもなく、ティアナは硬い床の上に仰向けの姿勢のままで倒れる。
体が、まともに言うことを聞かなくなっていた。
当然といえば当然だろう、エンジョイの砲撃を受けた時点で本来ならば相当なダメージを被っているのだ。
それに加え、エクスカートリッジによる膨大な魔力消費。すでにティアナの体力も魔力も底を突き掛けていた。
「ったく、なにが五分よ。一発撃っただけでスッカラカンじゃないのよ……」
けれども、愚痴を言える程度なのだから、まだ大丈夫――と、ティアナは己を鼓舞する。
事件は未だに収拾したわけでは無いのだ。とはいえ流石に今すぐ行動に移ることは出来そうにも無かった。どちらにしてもここでしばしの休息をとらなければ、動けない。
だが、だからこそ思考は顕著に働く。それも悪い方向にだ。
一人で先に行かせたキャロの安否、離れ離れになったままのストライカーズメンバー、通信が途絶えたままのアースラ、そして未だに囚われの身のままのフェイト。
フェイスの一人を倒せたとはいえ、問題は解決されないまま積み重なっている。
それに加えティアナがここの情報端末から知りえた重大な事実。
それは前述したありとあらゆる問題を差し置いても阻止しなければならない案件である。
いまだに、確証があるわけではない。だが、それにより幾つかの違和感が払拭されたのは確かだ。
狂気の沙汰としか思えない、アルカンシェル五基による惑星破壊も、今となっては妥当な処理と言える。
もし、あの計画が偶然にでも発動すれば、それこそ事態はこの第六十六観測指定世界だけの問題ではなくなるのだから。
思考だけが懸命に働くのに反して、指先一つ満足に動かせない現状が焦りを生む。
いざとなれば無理を推してでも、行動に移るべきではないかと感情がティアナに囁く。
――いいや、駄目だ。焦りすぎるとミスを誘発する。今ここで無理に動いても結果的に悪い方向にしか傾かない。
あくまで理性的に己を抑制することに成功する。常道とも言える判断だが、実際に焦りを含んだ局面でそのように判断できるものは少ない。
体から力を抜き、一秒でも早い体力の回復に備えるティアナ。
仰向けの姿勢からは天井に開いた穴から、星の光に満ちた夜空が垣間見える。
洞窟から直接この地下施設に移動した為に、すでに日の光が落ちていることに気づいたのはつい先程の事だ。
この惑星が何時間周期で自転しているのかは解らないが、既に時間は押し迫っていると見ていいだろう。
そんな当たり前の事実が、更にティアナを焦燥させるが、考えても詮無い事だと諦める。
文字通り瞬きの間に事態が急変したのは、その瞬間だった。
油断していたわけではない、今この場で敵に襲われればティアナに反撃する余力など無かったが、それでも警戒だけは彼女も怠っていない。
だというのに、ほんの僅かだけティアナが瞬きした瞬間に、そこに何かが存在していた。
先程まで、ティアナの視界を埋めていたのは夜空だけだった。だと言うのに彼女の目の前に、唐突にそれは現れたのだ。
少女、だ。まだ年端もいかない幼い少女がこちらを覗きこむように、そこにいた。
思考が、追いつかない。今この瞬間、何が行われたのかをティアナは理解することが出来なかった。
ただ、反射的に腕が動いていた。それだけで全身の筋肉が呻くような悲鳴を上げていたが、培われた反射行動は正確に目の前の少女にクロスミラージュの銃口を突きつけた。
だが、それが限界だ。それ以上はまともに動くことは出来ない。
もし、目の前にいるのが敵――フェイスならば、彼女の命はここで終わっていただろう。
だが、銃口を突きつけられた少女は、それが見えていないかのようにじっとティアナの方を見詰め続けている。
その、なにも映していないかのような光のない瞳で。
「――貴方は、辿りついたんですね」
尋ねる声は、どこまでも静謐で、何の感情も伺うことはできなかった。ただ事実を淡々と告げるテープレコーダーのように少女の口から音が紡がれる。
なにが起こっているのか、まるで解らない。
ゆえに、疑問はそのまま口から出ていた。
「アンタ、何者なの?」
そんなティアナの陳腐な疑問に、少女はやはり何の感情も見せない声で淡々と告げた。
「私は、星を砕く者」
●
エリオ・モンディアルは疾駆していた。
何もない廊下を彼はひた走る。その表情は焦りを含んだものだ。
彼がこの施設へと侵入を果たしてから、既にかなりの時間が経過してしまっている。
しかし、それも仕方がないことなのかもしれない。
この施設は通常の建築物とは違う、やけに入り組んだ構造をしており、まともに移動するのさえ困難を極めている。
侵入者を惑わす為ではない。それはもっと別の目的の為に仕組まれた構造だ。
似たような環境で身をもって体験したことのあるエリオはそれをよく理解している。
フェイトと出会うまでエリオが過ごした研究施設に、ここはよく似ている。
つまるところ、外からではなく内部の人間を外に出さないようにする為の作りだ。
フェイトが囚われているであろう場所は、おそらくその中心部であるはずだ。なぜならそこが一番、目標を拘留しやすい。
つまるところ、簡単にはたどり着けない場所に彼女は囚われているはずなのだ。
ゆえに、エリオはこの数時間を無為に探索する事となってしまっていた。
それに加え、今はもう一つの問題を彼は抱えている。
探索というには度を過ぎたスピードで疾駆する彼を、その問題そのものが物理的に迫って来る。
唐突に、長い廊下を疾駆するエリオの真横に黒い影が現れる。
それを知覚するのに合わせて、ストラーダを盾にするように構える。同時に衝撃がエリオを貫いた。
物理法則を無視して、直角に軌道を変えられるエリオ。相応の広さがあるとはいえ両隣に壁が存在する廊下内での動きだ。
そのままエリオは壁に向かって吹き飛ばされる――が、瞬時に身を捻って垂直の壁に着地したエリオはそのまま今来た方向へと向かって、飛翔する。
刹那の間に行われた行動ではあったが、エリオを吹き飛ばした黒い影も、そんなエリオに追いすがるように再び疾走を開始し始めていた。
後方から迫り来る影にエリオは視線を僅かに向ける。
そこに居たのは外見だけならばエリオとそう年の変わらない少女の姿だ。
それに加え、幾つか特徴を述べるのであれば、その顔の左半分を覆う笑みを象った仮面の存在と、右腕の変わりに挿げ替えられたかのような大剣の存在が挙げられるだろう。
どくどくと脈打つ異形の剣を振り被り、少女はエリオの後ろから押し迫ってくる。
直接接触したスバルからその詳細はエリオも聞き及んでいた。ラフティと呼ばれているフェイスの一人だ。
それが今、エリオに押し迫っている問題の正体であった。
彼等の邂逅は必然と言うべきだったのだろう。
ここは敵の本拠地だ。そこでうろうろしていれば、いくら少数精鋭の部隊とはいえ発見されない理由はない。
だが探索中に言葉も交わすことなく襲われたエリオは、戦闘を行うことも無く瞬時にその場からの離脱を選択した。
エリオの最優先事項は敵の拿捕ではない。それはあくまでフェイトを助け出した後に余裕があればの話だ。
ゆえに、彼は襲撃を感知するのと同時に相手を引き離すべく全速力でその場を後にした。
それは賢明な判断といえるだろう。結果がいかようなものであれ戦闘を行えば消耗する。フェイトの救出という必ず達成しなければならない目的があるのならば逃走を選ぶのはけして愚かなことではない。
だが、唯一の誤算があったとするならば――。
「くっ、ストラーダッ、フォルムツヴァイ!」
カートリッジロードと共にストラーダの装甲が展開し、そこから加速用のブースターが覗く。
白熱した噴射炎が発生するのと同時に、エリオのスピードが更に一段階跳ね上がって加速する。
屋外で使えば飛翔すら可能とする速度を伴い、エリオは狭い廊下を相手との距離を離すべく疾走する。
けれど――
「アハッ、アハハッ」
そんな彼をあざ笑うかのような笑い声が、エリオの真横から聞こえた。
驚愕の面持ちのまま視線を声のした方へと向ける。背景は流星のように流れ続けているというのに、そこには切り取った絵のように明確に存在するラフティの姿があった。
ラフティはそのまま右腕の大剣を担ぐように構える。来る――と知覚するのと空気の層を薙ぐような一閃が放たれたのはほぼ同時。
身体を捻るようにしてブースターを展開したままのストラーダを振り回し、エリオはその一撃をすんでのところで弾く。
だが、得られた結果はあまりにも芳しくない。無理に推進方向を捻ったことも災いしエリオの機動はデタラメな円弧を描くように歪む。
壁に激突しかけるエリオ。しかしストラーダが自動的に逆噴射を掛けたことによってそれだけは何とか回避することに成功する。
けれど、事態はより悪い方向へと。
その場に着地したエリオに先程のように反転し逃走する素振りはない。
すでにそれが無駄な行いでしかないことは理解している。なぜならば目の前にいる相手は“自分よりも速い”。
単純に、速さという領域で勝てない相手に足を使っての逃走が成功するわけがない。
それが、いまのエリオとラフティの明確な差であった。
それはエリオの逃走する意思すらもへし折る事実だ。
速さ、という概念においてエリオはそれなりの自負を持っていた。
もちろんエリオは驕るような性格の人間ではない。けれども戦うものである以上、譲れないものは確かにある。
それが一つもないというのならば、それは戦いに身を投じるべきではない人間だ。
それがエリオにとっての速さという領分である。
かつて所属していた六課で随一を誇るフェイトのそれには及ばないものの、並大抵の相手には負けないという自身はエリオにはあった。
だが、いまそれは目の前の相手に完膚なきまでに超越されてしまった。
余裕の表れか、もしくはエリオの逃走を警戒してのことか、ラフティは態勢を整えるエリオに追撃をかけるでもなく、じっとこちらを観察するように眺めながら一定の距離を保って半身のまま構えている。
彼我の距離はおよそ五メートル強といったところか、エリオならば一瞬の間につめることの出来る距離である。
そして、それは相手も同様に刹那の間にこちらへと仕掛けることの出来る距離であることは先程の未遂に終わった逃走劇から推察するに、簡単に成し遂げられる距離だろう。
逃走はもはや不可能。
ならばエリオの取れる選択肢は一つしかない。
ストラーダを腰溜めに構え、相手にその穂先を突きつける。それは明らかな交戦の意思を示していた。
そんなエリオの挙動を見て、ラフティは僅かに首を傾げたかと思うと、
「アハッ、ハハハハハハッ!」
無表情を変えぬまま、呵々とした笑い声をあげる。
そんなラフティの声がエリオの感情を逆撫でする。
「なにがっ……おかしいっ!」
激昂の感情を乗せて叫ぶ。けれど、ラフティの笑い声は些かもトーンを変えることなく、廊下に響く。
今、自分が相対している存在に感情といったものが備わっていないことをエリオは理解している。
ラフティはエリオを笑っているのではない。それだけしか、彼女は出来ないように造り出されただけなのだ。
同じ行動を繰り返す機械のようなものだ。
それに何を言ったところでまともな反応が返ってくるはずがない。
エリオも頭ではそれを理解することはできた。しかし、溢れ出る感情がそれらを冷静に対処することができないようにしていた。
いつものエリオならば、同様の状況に巻き込まれていたとしても、冷静さを欠くことなど無かっただろう。
だが、今の彼に普段と同様の冷静さを取り戻せといったところで無駄な行動でしかないだろう。
思えば、この星に飛ばされてからの彼の行動はらしくないものだった。
ティアナたちとの合流を優先せずに、無茶な単独行動を仕掛けている時点で普段の彼とは、あまりにも違いすぎる。
だが、それも詮無い事なのかもしれない。
自分にとって、母親も同然であるフェイトが拉致されたという事実。
自分のような境遇の人間を生み出すことになったスカリエッティと行動を共にしなければならないというジレンマ。
それらがエリオを精神的に追い詰めてしまっていた。
特にフェイトに関しては必要以上に彼に焦りを強調してしまっている。
どれほど彼女のことを信じていようと、未だにフェイトの安否は不明なのだ。その生死を含めて……だ。
だからこそ、一刻でもはやく彼女の元に赴きたい――そんな当然の感情がエリオを焦らせる。
機動六課において幾ら数多の戦闘経験を積んだところで、エリオはまだ子供と言うべき年頃の少年なのだ。
「そこを……どけっ」
それでも、できるだけ感情を抑えるように努めているのか、低い声音で呟くエリオ。
だが、そんな言葉が生態兵器であるラフティに伝わる筈がない。
返ってくるのは、なんの感情も見せることない無為な笑い声だけであった。
そこが、限界だった。
「そこを、どけって言ってるんだっ!」
叫びと共に、エリオはストラーダの先端をラフティに突きつけたまま疾走を開始する。
例え、速さにおいてエリオがラフティに劣っていたとしても、彼のスピードという武器が錆びたわけではない。
圧倒的な初速と共に突き込まれるその一撃は、人間大の弾丸と化して相手を貫くべく疾駆する。
触れればそれだけで致命傷は免れない、まさしく必殺の一撃だ。
だが、なんの衒いもない単調な一撃……それが今のエリオの放った一撃を一言で表すものであった。
先程の予測通り、エリオとラフティの間にあった距離は一瞬の間に縮められる。
だが、すでにストラーダの目指す先には何も存在していなかった。
エリオが貫いたのは、空気の壁だけ。なんの手応えも返ってこない現実にたたらを踏むのと、自らが取り返しようのない失策を犯したと自覚するは、ほぼ同時だった。
その瞬間、エリオの一撃を避けていたラフティは、エリオのすぐ真上に存在していた。
エリオの身体を覆うように影が包みこむ。エリオの放った必殺の一撃は、それが回避された時点で致命的な隙となってしまっていた。
既にラフティの右腕は振り上げられている。そこに存在するのはまさしく断頭台の刃だ。
そのままの勢いで振り下ろせば、なんの痛みも感じることなくエリオの生命は刈り取られるのだろう。
それはもはやエリオにとって、どうしようもない確定された未来でしかなかった。
相手を刺し貫くべく、前へと傾倒した姿勢では回避も防御も間に合わない。
もはや、彼に出来ることといえば自分の犯した過ちを後悔する程度の祈りの時間が残されているだけだ。
来るべき衝撃に備えて、それが意味のない行動であることを理解していながらも、エリオは両の瞼を閉じる。
だが――
『Dusenform――Explosion.』
衝撃は予測しえない方向からやってきた。
ストラーダの装甲が自動的に開閉し、右側面の噴射口のみを開放する。それと同時に爆発的な魔力が噴出され始めた。
突然のストラーダの挙動にエリオはその柄を保持できずに手放してしまう、だが、すでに推進力を得たストラーダはそのまま空中で左側に円を描くように旋回。
それを制御するということさえ忘れていたエリオの意思を離れたまま、ぐるりと回ったストラーダは、正確にエリオの側頭部を殴り、飛ばした。
当然のように真横へと突き飛ばされるエリオ。ストラーダも制御を失ったまま床に落ちたかと思うと無様に倒れ付したエリオの元へとガラガラと盛大な音を立てて転がってきた。
だが、結果的にいまの挙動はエリオの生命を僅かに繋げることとなった。
エリオの体がストラーダに吹き飛ばされた直後、ラフティの大剣が振り下ろされる。ちょうど、先程までエリオの首があった位置を正確にだ。
目標を見失ったまま、ラフティの大剣は床に激突、盛大な爪痕を残すことになる。
彼女もまた必殺の一撃を回避された格好になってしまっていた。
だがエリオは尻餅をついたまま、ラフティの無慈悲な一撃が振り下ろされるのを呆然と見詰めているだけであった。明らかなその隙を突く余裕などない。
なにしろ、いま何が起こったのかまるで理解できていないのだ。
解っていることは、自分の首と胴体が未だに繋がっているという事実。目を白黒させたままのそんなエリオに渇を入れる声が響く。
『Eile auf!(早く拾って!)』
声は自分の足元、床に転がるストラーダから響いた。
その声に導かれるように、反射的にストラーダの柄を再び握りなおすと同時に、体勢を整えたラフティからの追撃が来た。
横薙ぎに放たれる一閃。エリオに出来ることはストラーダを掲げることだけだった。
だが、それでも二度目の窮地を凌ぐことは出来た。構えも何もない防御だった為に、エリオの身体はその一撃に再び吹き飛ばされるが、今回はそれが幸いした。
再び、彼我の距離が離れる。両者の距離は初めに相対した時と同程度まで離れることになった。
ラフティも、それ以上は様子を見るべきだと判断したのか追撃をかけてくる様子はない。
戦闘は振り出しに戻ったことによって、均衡を見ることとなった。
だが、エリオ自身はというと、未だに軽い混乱から抜け出せずにいた。いま自分が何をしたのか、どうしてこうやって再び相手と対峙できているのか、まるで理解できないままであった。
――死んでいた。
確固たる事実として振りかかるはずであった死という状況。だが、その境遇から抜け出せたことにエリオは未だに信じられずにいた。
『Machen Sie unverfroren?(大丈夫ですか?)』
そんなパニック症状から救い出してくれたのもまた、手元にある自分のデバイスからの声であった。
僅かに視線を落とし、ストラーダを見る。感情や表情で訴えることのないエリオのデバイスは、ただ静かに自分の主に囁いていた。
「え……あ、うん……」
『Es war gut. Wurde es kuhl?(それは良かった。ついでに頭は冷えましたか?)』
囁かれる声には何の変化もない。それこそ機械のような単調さで告げられる言葉だったが、その内容にエリオは先程までの自分の行動を恥じる。
「ごめん、ストラーダ」
何の衒いも躊躇いもなく、エリオは素直に謝罪の言葉を述べる。
自分のやるべきことをエリオはようやく理解することが出来た。
フェイトの救出。達成すべき目的は変わらずに存在するが、それはいま、自分が成し遂げられるものではない。
いま、自分がやるべきことは唯一つ、目の前の戦いに集中すること。
ここで自分が死んでしまっては、自らが掲げた目的どころか全てを駄目にしてしまう。
だから、いま行うべきことは――戦うこと。
目の前にいる存在を打破し、乗り越えなければ何も手に入れることなどできやしない。
だからこそ、
「いくよ、ストラーダ」
『Empfang.』
今はただ、目の前に聳える壁を乗り越える為に、エリオは己の愛槍を握り締める。
●
落ち着きを取り戻すことができたエリオだが依然、状況は芳しくないままであった。
エリオの最大の武器でもある機動力が、相対しているラフティにはおそらく通用しないはずだ。
それはエリオにとって、大きなアドバンテージを相手に与えてしまったことになる。
今までの攻防から基本的な攻防スタイルがラフティと似通っていることもその原因の一端にある。
ラフティはエリオやフェイトと同じくスピードタイプの魔道師だ。その卓越した機動力を生かして相手を翻弄し、打倒する。
相対すればこれほど精神的に厄介な相手はいないだろう。
第一に、こちらの攻撃があたらない。
これは思うよりも対戦者のストレスとなって負荷をかけてくる。なにしろダメージをまったく与えることが出来ないのだ。
堅固な防御能力を持つ術者を相手にしたとしても、自分の攻撃があたりさえすれば幾らかのダメージを相手に与えることが可能だ。
それらを積み重ねさえすれば、いつか防御は崩れる。自分の行動が意味のあるものだと思うことができるのだ。
だが、回避されれば募るものは何もない。相手にとってこれほど苛立たしいことはないだろう。
もちろん、それらは極論でしかないのはエリオも同じタイプであるから熟知している。
スピードタイプはその機動力の変わりに防御能力を犠牲にするのが妥当である。一撃を受けただけで倒される――そんな思考を抱えたまま回避に徹するのはけして楽な作業ではない。
けれども、感情を廃しているフェイスにそれは無関係な代物だろう。そういった点でもエリオは目の前の相手に一歩劣っている。
だが、それで全てが決まるほど、戦いというのは簡単ではない。
仕掛けてきたのはラフティが先だった。
右腕の大剣を掲げたまま一直線にこちらへと駆けてくる。先程のエリオの刺突と同様の攻撃だが左右を壁に囲まれた廊下という地形状、それは必然的な行動と言えるだろう。
唯一の違いは得物の差。刺突をメインとする突撃槍を扱うエリオと違い、ラフティが振るうのは巨大な剣である。
大きく振り被られたそれは、エリオを射程内に捉えると同時に唐竹割りの要領で振り下ろされるだろう。
この時点で先程のラフティのように、上空に逃げるという選択肢は潰えた。相手の頭上を乗り越えようと飛んだ時点で切り裂かれるのが道理だろう。
左右、ならびに上に逃げ場はない。ならば取れる退路は背後だけということになる。
だが、スピードが勝る相手に対して直線的に逃げたところで意味はない。
シンプルであるがゆえに、隙のない攻撃。
残る手段は受けるか、相打ち覚悟でこちらから攻め込むか――つい、数分前のエリオであったのならば、思考する暇も無くどちらかを選んでいただろう。
だが今は違う。自分に出来ることを彼は確かに自覚している。
そうだ、機動性で劣っているというならば、別の部分で補えばいい。
相手が持たず、自分だけが持つ力で。
瞬時の判断でストラーダを逆手に握りなおしたエリオはそのまま最小限の動きで、固い床にストラーダの穂先を突き刺す。
まるで墓標のように突き立ったストラーダを握ったままエリオは高らかに叫んだ。
「ストラーダッ、フォルムドライ!」
エリオの言葉に呼応するようにストラーダの形状が変化した。後部噴射口から金色に輝く刃が二枚、アンテナのように突き出したかと思うと、それに合わせる様にエリオの持つ黄色の魔力光が更に光り輝く。
弾けるような音と共に周囲に漂うのはエリオが持つ先天性特殊能力により電撃へと変換した魔力だ。
そしてストラーダのフォルムドライ――ウンヴェッターフォルムは彼の持つ電撃能力を更に強化する機能を備えている。
右も左も上も背後も駄目だというのならば、新たな道を自分自身で切り開けばいい。
「サンダァァァレイジッッ!」
その詠唱と共に、巨大な雷が迸る。床に突き刺したストラーダを媒体として雷撃は廊下全体に伝播する。
単純な雷撃効果のみではなく物理的破壊力さえ備わった一撃は、あっさりと並大抵の攻撃ではびくともしない床に亀裂を生み出した。
そして、崩壊が始まる。
あっさりと耐用限界を超えた材質は崩壊を始め、瓦解する。
床が消失し、下層へと引きずり込まれるように全てが落下を開始した。
もちろん、同様の場所にいたエリオもその崩落に引き込まれる。だが、相手の一撃を回避し、新たなフィールドへと相手を引きずりこむことには成功した。
器用に、崩落する瓦礫から瓦礫へと飛び移るエリオ。
鋭く見据えた視線の先、そこには同様にラフティの姿もあった。
彼女もエリオと同じく落下しながらも崩落する瓦礫を足場として、こちらを見据えている。さすがに先の一撃で相手に有効なダメージを与えることは不可能だったのだろう。
流石にこの程度でどうこうなる相手ではないようである。しかし、今の状況を作り出したものと、巻き込まれたもの。アドバンテージはエリオのほうに確かにある。
その機を逃すことなく、エリオは攻勢に転じる。宙を落下する瓦礫の群れを足場に見立てて、その上を駆け抜けるようにエリオは疾駆した。
だが、距離は詰めない。ある一定の距離まで彼我の距離を詰めると同時に、エリオはストラーダを振り被った。
当然、ストラーダの攻撃が届くような距離ではないが、それは相手も同様。それを確認したうえでエリオはストラーダで宙を薙ぎ払う。
同時に、ストラーダからカートリッジが排出される。色は赤、通常の魔力強化カートリッジである。
だが、それにより莫大な魔力を得ると同時に、ストラーダの穂先から長大な魔力刃が形成される。
スタールメッサー。かつてはキャロの魔力ブーストと併用することにより使用していた魔法だが、いまではカートリッジの補強があればエリオ単体でも発動が可能になった中距離攻撃魔法である。
通常の魔力刃のイメージとは異なり柔軟に動くその刃は言うなれば、魔力によって編まれた鞭である。
だがその威力は刃と呼ぶに相応しい。ストラーダの機動をなぞるように疾駆する魔力刃は宙に浮く無数の瓦礫を易々と切り裂きながら、ラフティに向かって迸る。
だが、その一撃はあっさりとラフティの掲げた右腕の大剣によって弾かれてしまう。
しかし、それで構わない。再度、エリオはストラーダを振り被り、相手に向けて何度も宙を薙ぐ。その挙動を正確にトレースするかのように魔力刃はそれこそ無数のカマイタチの如き刃の嵐となって、ラフティに殺到する。
殆どの攻撃は、最初の一撃と同様にあっさりと弾かれてしまう。幾つか相手にかすり傷らしきものをつけることには成功するが、それもフェイスの驚異的な回復能力によってあっと言う間に復元されてしまう。
それだけを見れば、こちらの攻撃が効いてないようにも見えるが、エリオにとってはそれよりも有効な情報を得ることが出来た。
そうこうしているうちに、エリオたちと無数の瓦礫は盛大な音を立てて下層へと辿りついた。
相当な衝撃が彼等を襲うが、ラフティには関係のない事象なのか、地に足が着いたことを確認すると同時に距離を詰めるべくエリオの方へと押し迫ってくる。
だが、すでにステージは変更している。ここは狭い廊下ではなく随分と広い空間である。
エリオに周囲をじっくりと観察する暇はないが、ここはなぜか他とは一線を画すドーム状の空間だった。
意味合い的には本局の仮想訓練施設にも似ているが、床は硬質なものではなく何故か芝生が敷き詰められており、ドームの内壁も、エリオたちが天井を突き抜けて落下した所為でノイズ交じりではあるものの、わざわざ外界の夜空を投影している。
リラクゼーションルームか何かなのだろう。どちらにしろ、広大な空間に場所が移ったことが幸いした。
回避できる方向はいくらでもある、一定の距離を保ちながら跳躍し、相手の進路を塞ぐように再びスタールメッサーを振るう。
さすがに急所を狙った攻撃には防御か回避に回らなければならないラフティは、結果的にエリオとの距離を詰められずにいる。
その間に向こうからの攻撃は一切ない――エリオはそれを先の攻防で予測する事が出来ていた。
おそらくはラフティには中遠距離戦において効果的な攻撃法方が存在しない。あくまで個別能力に特化して精製されるフェイスは本来チーム単位での行動を念頭に置いた存在なのだろう。
だが、正式な稼動状況ではなく絶対数も少ない。更にはエリオたちが偶然にも分散したことが幸いした。
彼等は、その総数から分散した敵に対してはどうしても個別に対応しなければならない。
それでも、ラフティに限って言えば、その驚異的な機動性は一瞬で敵との距離を詰めクロスレンジでの戦闘に持ち込むことが可能だろう。本来、中遠距離戦とは縁のない存在のはずだ。
しかし、比較すれば劣っているとはいえ、相当な機動性を誇るエリオならばクロスレンジに持ち込まれる時間を引き伸ばすことが出来る。
あとは、その僅かな時間を利用し中距離攻撃魔法で牽制すれば、相手からの攻撃に晒されることはない。
ここに来て、エリオは絶対的に有利な状況を手に入れたといっても良い。
だが、決定的な打倒手段を持ちえない、というのもまた事実であった。
本来はエリオも一対一の状況においては、クロスレンジで真価を発揮するタイプの魔道師だ。
スタールメッサーのような攻撃方法では驚異的な回復能力を持つフェイスに致命的なダメージを与えることは不可能である。
相手に効果的なダメージを与えられるであろう範囲魔法も使えないことはないが、それにはどうしてもチャージタイムが生じてしまう。
けれど圧倒的な機動性を持つラフティが相手ではそのような隙を見せられるはずもない。
今のところは優勢を保ってはいるものの、結局のところ、ジリ貧なのはエリオのほうであった。
どうにかして、この状況を打開する手段を見つけなくては――ラフティに近づかれないように牽制しながらエリオはそんな思考を巡らせる。
だが、状況を変えるファクターはエリオでもなくラフティでもなく、まったく別のところから唐突に発生した。
「――――エリオなのっ!」
●
耳朶に届いた声は、間違えるはずもない。エリオが求め続けた者の声だった。
視界が動く、まるでその声に導かれるように。
声はエリオの背後から、首を巡らせたその先、瓦解したドームの向こう側から響いていた。
エリオが今いる自然環境を模したドーム内とは違い、アイボリーに染められた無機質な空間。
そこに等間隔に、鉄製の扉が並んでいる。
そう、まるで牢獄か何かのように……響いた声は確かにその方向からエリオの元に届けられた。
そこにいる。
フェイトがそこにいる、生きている。そんな安堵の感情が我知らずに満ち溢れてくる。
だが、エリオはそちらを向くべきではなかった。
なぜならば、今この瞬間も戦闘は続いているのだから。
責を問うというのならば、戦闘という渦中にありながらも気を逸らしてしまったエリオにあるだろう。
一瞬にも満たない時間、声の出所を探してしまったその行動は、本来ならば問題にもならない程度の隙をエリオに作らせていた。
だが、ラフティにとってそれだけで十分であった。
エリオからの攻撃が緩んだその瞬間に、ラフティは持ち前の機動力をもってして瞬きの間にエリオとの距離をあっさりと縮めた。
縮めて、しまった。
すぐさまエリオはラフティに注意を戻したが、それは遅すぎたとしか言いようがない。
気づけば、ラフティからの斬撃は放たれていた。
エリオに出来るのは可能な限り致命傷を避けるようにすることだけだった。
「ぐぅっっ!」
身を捻り、相手の攻撃から急所を守る。その甲斐あってか、ラフティの攻撃はエリオの右腕を浅く切り裂く程度に留まった。
だが、致命傷を避けるのと引き換えに、右腕に握っていたストラーダがその衝撃に弾かれる。
宙を舞うストラーダは運の悪いことに、ラフティの背後の床に突き刺さる。
再びエリオがストラーダを手にするには、ラフティの斬撃を潜り抜けなければならない――それが不可能であるということは今までの戦闘から明確に感じることができた。
反射的に後方へと飛び退り、距離をとるがストラーダが無ければ十分な魔法を展開することは出来ない。当然、ストールメッサーもだ。
相対するラフティも、それは理解しているのか今までのように飛び掛る機会を狙い済ますわけでもなく、悠々とこちらへと歩を進めて距離を詰めてくる。
「アハハハハハッ」
ラフティの感情の見せない笑い声が無為に響く。
だが、もはやその笑いに神経を逆撫でされるような感情は生まれてこなかった。
フェイトが生きている。未だにその姿を見たわけではないが、それだけの事実がエリオの心を今までよりも遥かに冷静にさせていた。
ならば、ここで負けるわけにはいかない。
目の前の相手を倒し、フェイトを救出する。その為にできることをするために、エリオは覚悟を決める。
今の状況は最悪と評していいものだ。唯一の救いがあるとするならば、武器を手放してしまった自分に対しラフティが油断している事実があるくらいだろう。
いや、フェイスに油断という感情があるかどうかさえ疑わしい。こちらに奥の手があると警戒しているだけなのかもしれない。
だが、構わない。武器を失ったエリオにできることなど、それこそ僅かにしか無いのだ。
覚悟を決めている最中にもラフティはその距離を詰めてくる、彼女の間合いに入るのまでの猶予は僅かにもない。
やらなければならない。
決意すると同時に、エリオは動いた。
ストラーダを回収する為に動くでもなく、逃走するでもなく、一直線にラフティの方向へと向かって。
ラフティの目から見れば、それは無謀な突撃としか見えなかったことだろう。
武器の無くなったエリオは、もはやラフティの大剣を止める術は持たない。デバイスなしの防御魔法を展開したところであっさりと叩き割られるのがオチだろう。
そんなことはエリオも理解している。
ゆえに、だからこそ、自分の方から相手に詰め寄らなければならないのだ。
エリオが目指すのは、唯一つ――ラフティ自身。
迷い無く一直線に突き進むその挙動は速い、けれど、エリオが幾ら速かろうともラフティが身構える方が一歩先んじる。
飛び掛ってくる相手に対応する為か、先程のような斬撃では無く刺突の姿勢、万が一にも撃ち漏らしのないように。
こうなってしまえば、エリオは固定された刃に向かって自ら突き進んでいるようなものだ。
だが――それでいい。それこそがエリオの求めていたシチュエーションだ。
徒手空拳のまま飛び掛るエリオは、相手に掴みかかるかのように左腕を眼前に掲げたまま疾駆する。
それに合わせる様に、ラフティも切っ先を調整する。エリオの胴体を刺し貫く為に。
同時に、エリオもその軌道を変えた。相手からの攻撃を回避する為ではなく、自らその剣先に飛び込むように。
そこで始めて、ラフティに動揺らしきものが見られた。それはほんの僅かだけ全身の筋肉を強張らせたような隙ともいえない反応だった。
誰だって、相手が自分の予想と違った行動をとれば、反射的に次の行動に対応する為にそうなる。だからそれはエリオが導き出した必然の動揺であった。
だから、その瞬間にエリオは更に前へと踏み込んだ――そして、鮮血が舞う。
赤い花が散るように、血が飛び散った。それは紛う事無くエリオ自身のものだ。
彼の左腕、開かれた掌を刺し貫くように、ラフティの大剣の切っ先が突き刺さっていた。
激痛がエリオを襲う。それは生半なことでは耐え切れない痛みをエリオに訴えかける。
だが、覚悟していたのならば、耐え切れないものではない。
今のこの状況を望んだのは、エリオ自身だ。ならば、今ここで痛みに倒れるわけにはいかない。
歯を食いしばるのと合わせる様に、エリオは大剣に刺し貫かれた左腕を握り締める。
それ以上動かないように、必要最低限の魔力で掌を覆うことによって完全にその動きを固定する。
もちろん、数秒でも持てばいいような緊急措置だ。長引けば今度こそエリオは左腕ごとその身体を断ち割られるだろう。
だが、数秒もあれば十分。すでに間合いはクロスレンジ。
ラフティの大剣はエリオの左腕により防がれ、残ったのはそれぞれの右手と左手。そこには相手を打倒する為の兵器はどちらも存在しない。
だが、エリオには相手を打ち倒す為に鍛え上げられたものが存在する。
速さだけではなく、能力だけではない。ただ実直に鍛え上げられたその拳が。
「紫電――」
ありったけの魔力がエリオの右拳に収束する。雷電へと変換された魔力が彼の右拳を覆うように展開し、金色に輝く。
引かれた拳は発射台に載せられたロケットのように、繋がれたままの相手に向かって疾駆した。
「――、一閃ッ!」
下から突き上げられるように振り上げられた拳は、正確にラフティの顎を打ち貫く。
彼女に被せられた仮面が粉々に砕け散り、ラフティ自身も空中に吹き飛ばされる。
その勢いのままに、左手からラフティの大剣が抜け、再び激痛がエリオを襲うが気に留めている暇はない。
鮮血を撒き散らしながらエリオは前へと、その途上で床に突き刺さったままのストラーダを拾い上げる。
同時に懐から取り出した新たなカートリッジをロード。その色は青。
「ハハハッ、ハハハハハハハハッ」
吹き飛ばされた姿勢のままのラフティから哄笑が響く。何故かそれはエリオの耳には何かを恐れているような感情を乗せているかのように聞こえた。
だが、今はそれを気に留めている暇はない。
エリオは一足飛びに飛び上がると、ラフティの直上へと。
見据える視線の先、割れた仮面の奥、その左眼窩の中にいた小さな人影が泣き笑いの表情を浮かべていた。
まるで、何かを訴えかけるように。
だが、それを振り払うようにエリオは駆ける。ストラーダを突きつけるようにして真っ直ぐに。
カートリッジロード――そして封印魔法が展開する。
●
どしゃり、と盛大な音を立てて二人の身体は地面に落ちた。
エリオの放った封印魔法により物言わぬ物体と化したラフティの身体は言うに及ばず、攻勢に転じたエリオ自身もだ。
受身を取って背中から落ちたが痛みは左腕から。
自ら為したとはいえ、ラフティの大剣によって刺し貫かれた左腕からは未だに鮮血が流れ出ている。
思えば、相手を打倒する手段がこれしか思い浮かばなかったとはいえ、無茶な真似をしたものだ。
エリオは、激突の瞬間に一切の魔法防御を展開しなかったのだ。それゆえに、ラフティの剣は何の抵抗も無くエリオに突き刺さる。
突き刺さった瞬間に魔力をかき集めて固定しなければ、それこそ切り裂かれていたのはエリオ自身だっただろう。
危うい賭けとしかいえないような無茶な行動だ。
しかし、そうでもしなければ勝てなかったのもまた事実。それによってエリオは重要な勝利を手にすることが出来た。
だが、払った代償もまた大きい。
神経まではやられていないようだが、左の指先にはまったく力が入らない。きちんとした医療施設で治療を受けなければ使い物にならないことは明白だ。
しかし、それでも構わない。
暫くの間左腕の調子を見ていたエリオは、立ち上がると崩壊したドームの向こうに視線を走らせる。
「フェイトさんっ、そこにいますか!」
果たして、エリオのその訴えに、求めて止まない声が返ってくる。
「やっぱり……エリオなんだね。どうしてここに……」
信じられないと言うような声音。いまだにその姿は厚い鉄扉に阻まれたままだが、優しさに満ちたその言葉をエリオが聞き間違えるわけがない。
「話は後です、今すぐにそこから出してあげますから」
そう言って、エリオは痛みを無視して声のした鉄扉の方に駆ける。
その先にあるのは重く硬い鉄扉だ。スライド式のドアのようだが手をかけてみたところで流石にビクともしない。
周囲を見回してみるが、幾つかの端末類は並んでいるが専門知識のないエリオにどれが扉の制御端末なのか解りはしない。
ティアナがいれば何とかなるかもしれないが、今は彼女の到着を待っている余裕はエリオには存在しなかった。
残った右手でストラーダを握りなおすと、エリオは厚い鉄扉に向き直る。
「フェイトさん、扉を破壊します、危ないからちょっと下がっていてください」
言葉と共にストラーダの切っ先を扉に向かって打ち放つ。さすがに一撃で吹き飛ばせるほど柔なつくりではないが、僅かに扉を削ることには成功した。
幾度か続ければ、人が一人通れる程度の隙間は作れるだろう。
そうして何度も何度も鉄扉を打ち付ける音が部屋の中に木霊する。
「エリオはどうやってここに来たの、他には誰かいるの?」
その音に混じってフェイトの声が聞こえてきた。どこか不安げな、彼女らしくもない弱々しげな声だ。
「八神部隊長とクロノさんに頼まれて、隊長たちはいませんが六課の……キャロや、スバルさん達も来ています」
エリオの答えに、フェイトは「そう」とだけ小さく呟いた。そこに込められた感情は単純な嬉しさではない、どこか複雑な感情。
おそらくだが、彼女はエリオたちに対して申し訳ないと思っているのだろう。
そう、考える人だと、エリオは作業を続けながらそんな風にフェイトのことを思う。
「エリオは、ケガとかしてない?」
「はい、かすり傷程度ですよ」
流れるように嘘が出た。フェイトをここから助け出したらすぐにばれるような嘘だ。左手の負傷はかすり傷程度で済まされるような代物ではない。
これを見咎められたら、またあの人は泣きそうな表情を浮かべるんだろう――そんな風に考えると、何故か笑みが零れた。
そんな悲しそうな表情はけして見たいわけではないのに、それでも今は何よりも早くあの人の顔が見たいと、そんな感情がエリオには溢れていた。
「エリオは、どうしてここにきたの……?」
再びのフェイトからの問いかけ。それは一番初めに問われ、答えなかった質問だ。
ストラーダを再度打ち付けると、鉄扉は歪み、ほんの僅かだけ中を見通せる隙間を作った。
一度膝を付き、そこから中を覗く。当然のように、そこには壁越しにこちらを見詰めるフェイトが、そこにいた。
やはり、どこか悲しげな表情を浮かべている。心配そうに、エリオを慈しむその瞳。
思えば、こうして直接的に顔を見合わせるのは久々のことであった。
日毎に通信回線を通じて話してはいたが、辺境世界を巡る自然保護隊に所属するエリオと日々を忙しく動き回る執務官であるフェイトだ。
六課が解散してから、こうやって直接顔を合わす機会は驚くほど少ない。だからだろうか、どうしようもない懐かしさを感じながら、エリオはフェイトを安心させるように微笑を浮かべて――彼女の問いかけに答えた。
「フェイトさんを、助けに来ました」
エリオの答えに、一瞬泣きそうな表情を浮かべるフェイト。
だが、彼女もそれに答えるようにゆっくりとその表情を微笑みの形に変えると、
「ありがとう……エリオ」
「――――けふっ」
返事は、咳き込んだかのような奇妙な音が響いただけだった。
自分でも、何故そんな声が出てしまったのかエリオには解らない。
ただ、解ったのは声と共に、口から真っ赤な鮮血が溢れ出してしまった、という事だ。
壁越しに存在したフェイトの顔にも、その血飛沫が降りかかり、真っ赤な血化粧を施す。
「あ……れ?」
疑問の声を振り絞ろうとする。だが、まともな声の変わりに出てきたのは喉の奥から溢れてきた血の塊だけだった。
自分の身に突如降りかかった異常事態に対し、エリオはただ不思議そうに正面を見据える。
フェイトの顔が、その白い肌を斑の赤に染めたフェイトの顔が、絶望に歪む。
ごめんなさい――そんな言葉が脳裏に浮かんだが、言葉にすることは出来なかった。
フェイトの表情が見たいとエリオは願った、けれどその顔を汚してしまい、いままた絶望に歪んでいくそんな表情を見たいわけではけしてなかった。
そこから目を逸らす為に、エリオは俯く。そこで始めて自分の胸から奇妙なものが突き出ていることを悟った。
直線的な鉄の塊のようなもの、それが突然、エリオの胸をその内側から食い破るように突き出していた。
思い浮かべたのは、ただの疑問符。
これが一体何なのか、まったく理解することが出来ないという事実。
そこに思い至ると同時に、違和感が到来した。
ラフティに左手を貫かれた時のような痛みではない。凍結した鉄の塊を内腑に突きつけられたかのような熱さとも寒さともいえないような――違和感。
それがエリオに痛みよりもなお苦しいモノとなって襲い掛かる。
体全体から、休息に力が抜けていくような感覚。それを覚えると同時に、エリオの胸から突き出た鉄の塊は瞬時に引き抜かれ、代わりに空いた風穴からは真っ赤な鮮血が溢れ出して来た。
支えを失ったエリオは、それこそ糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
「エリオッッ、エリオッッー!」
さっきまでは手を伸ばせば届くような距離だったというのにフェイトの声が、遠くから、果てしなく遠くから聞こえる。
悲しみと、怒りと、絶望を詰め込んだかのような魂の慟哭。
助けに行きたいのに、その泣き声を止める為に、大丈夫だと告げに行きたいのに――そこはもうどうしようもないほどに遠すぎる。
意識を失う最後の瞬間に、エリオが見たのは自分の背後に佇む男の姿だった。
フェイスレスと呼ばれる、敵の司令官。
彼は、鮮血に濡れる己のデバイスを携えながら、ただそこに佇んでいた。
●
「エリオッッ、エリオッッー!」
その叫びが届くことは無く、エリオは床に崩れ落ちた。
僅かに開いた扉の隙間から、フェイトは必死にエリオへと手を伸ばすが、覗き穴程度の隙間では限界がある。
結局、その腕はエリオに触れることはできなかった。
「囀るな」
そこに簡潔極まりない言葉が降りかかる。エリオの傍らに立つフェイスレスのものだ。
その手に持ったデバイスを振るうと、付いた血が飛び散る。
それを見たフェイトは目に涙を溜めたまま、必死に懇願の言葉を投げかける。
「エリオをっ、その子を助けてあげて! その子は、その子はっ……」
既にフェイトから冷静さなどというものは完膚なきまでに消え失せていた。
それが叶えられない願いだということを知りながら、目の前にいる相手がエリオを刺し貫いた張本人であることを理解しながら、形振り構わずに懇願する。
だが、やはりそれは叶うことの無い願いだ。
フェイスレスはどこまでも冷徹な無表情のまま、煩わしそうに呟く。
「安心しろ、どうせもうすぐすべて死ぬ。遍く全てがな」
どこまでも無慈悲なその言葉を最後に、フェイスレスはフェイトから視線を外す。厚い扉に阻まれ、魔法を使えもしないフェイトにはそれ以上どうすることも出来なかった。
「そうだ、、怒りも悲しみも喜びも意味は無い。何もかもがもうすぐ無くなる……」
そう言って、フェイスレスは視線を新たな闖入者へと向けた。
ドームの中、彼女は、ほんのつい先程からそこにいた。
そこにいて、エリオが刺し貫かれる姿を確かにその目に焼き付けていた。
「……ッッ。ヴォルテールッ!」
少女は叫ぶ。己の魂を焼き付かせるかのような激情を吐き出すように。
轟音と共に、巨大な魔法陣がドーム内に展開し、そこから獣の唸り声のような咆哮が響く。
それを見ながら、フェイスレスはゆっくりと再び己のデバイスを構える。
「それでも死に急ぐ存在を……愚か者と断じるのだ!」
>TO BE CONTINUED
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