魔法少女リリカルなのは 星を砕く者 第16話 始まりの終わり(1)






 星を砕く者。
 目の前の少女がそう名乗った瞬間、ティアナはブレそうになる銃口を必死で抑え、照準を定める。
 その名には、聞き覚えがあった。
 いや、ほんのつい先程、新たな情報としてティアナの中に叩き込まれたキーワードだった。
 自分に向けられた銃口を、やはり無為な視線で眺めながら、少女は言葉を続ける。
「貴方は、私がどういった存在なのかご存知ですよね」
 知っている。
 それこそが、全てを歪めた存在。
 この事件の根幹たる、何をおいても優先して阻止しなければならない危険な代物であることをティアナは知っていた。
 オペレーション・スターディーリング。
 それが、この星で進められてきた計画の名であった。
 それはけして、フェイスのような暴走ユニゾンデバイスによる強化兵士を作り出すような計画ではない。
 そんなものは、ただの副産物。このプロジェクトの成功確率をあげる為の小道具でしか無いのだ。
 スカリエッティは言った。
 この計画は、自分が進めてきた計画の裏側なのだと。
 そのとおりだった。ここにあるすべては、彼が進めてきた計画を実現させる存在の対となるモノだったのだ。
 アンチマジックフィールドに対するオーバーマジックフィールド。
 ナンバーズに対するフェイス。
 だが、それだけでは足りない。かつてスカリエッティが志したような計画を達成する為には、どうしても足りないものが一つあるのだ。
 それは、切り札だ。
 何もかもを圧倒し、自分の野望を実現させるに足るジョーカーの存在。
 かつて機動六課の人員がその浮上を懸命に阻止した聖王のゆりかごのような存在が無いのだ。
 だが、それは知らされてなかったというだけの話。
 ここには確かにそれが存在した。
 かの聖王のゆりかごに匹敵する最終兵器。


 それこそが――――星を砕く者。


 目の前にいる少女こそが、その最終兵器であった。
「アンタが……そうだって言うの」
 だが、幾ら知識として理解しているといっても、目の前の無害そうな少女がそのような存在であるということを認めろというのは、些か難しい問題であった。
 だが、油断はしない。銃口はそのままに、問いかける。
 しかし、少女はやはり関心が無いのか、ただ静かに首肯する。それは肯定の意味を示す態度。
 だが、それを知りえたところでティアナにはどうすることも出来ない。
 いや、どうすればいいのかが解らない。
 星を砕く者。そう呼ばれる存在がどのようなものかティアナは知っている。
 ならば、目の前の少女をどうこうしたところで意味の無い行いであることも明白であった。
「アンタが本体ってワケじゃないんでしょ」
 ティアナの再びの問いかけ、それに対する返事は劇的であった。
 先程のようにゆっくりと少女は無言のまま首肯したかと思うと、その姿はあっさりと消えた。
 思わず左右を見回す。だが、辺りを注意深く見回してもそこには誰も存在してはいない。
 だが、一通り周囲を注視したあとに、ティアナが元いた場所に視線を向けると、少女は先程と同じ位置にいつの間にか再び姿を現していた。
 狐か何かに化かされたような感覚。それが幻影魔法の類ではないことは同種の魔法を熟知しているティアナにはわかる。
 少女は、単純にほんの少しの間“この世界から消えて”そして再び現れたに過ぎない。
 それが意味の無い行動と悟ったティアナは、掲げていた銃口を下ろす。正直なところ極端な体力の消耗により銃を構えているだけでも辛く苦しいのが今のティアナの現状であった。
「つまるところ、アンタの大本は別の場所にいて、アンタは端末みたいなものと認識して構わないのね」
 言葉を忘れてしまったかのように、ただ静かに頷く少女。
 それが事実だというのならば、ここでティアナがジタバタしたところでどうにもならない。
「…………それで、何しに現れたわけ。ただ私たちを観察しに来たってワケじゃないんでしょ」
 それでもいつでも動けるようにと、油断せずにティアナが尋ねる。
 それに対してようやく少女はゆっくりと口を開いた。
 自分が望む目的をティアナへと告げた。



 ●



 目の前に現れた少女は、なにをするでもなくただじっと、動かなくなったアンガーの姿を見詰めていた。
 そこにどんな感情が籠められているのか、スバルには解らない。
 だから、意を決して彼女はその少女――星を砕く者。そう名乗った少女に声をかけた。
「えっと、君は……その人のことを知っているの?」
 今、もっとも知らなければならないのは少女がフェイスの関係者であるか否か。
 もっと直接的な言い方をするのならば敵かどうか、である。
 少女の見た目はアンガーとは違いごく普通。いや、無力なただの幼い少女としか思えない。
 年のころはエリオやキャロよりもまだ下、ヴィヴィオと同じくらいの年齢だろう。
 だが、見た目だけで判断することなど出来ない。地上本部においてスバルと剣を交えた者もまた、年端もいかない少女だったのだ。
 見た目が無害そうだからといって、油断することなどできはしない。
 だが、そんなスバルの警戒を他所に、少女は隙だらけにただ茫洋と立ちすくんでいるだけだ。
 その首がゆっくりとまわり、再びスバルの元へ視線が注がれる。
 その眼差しを受けた時、スバルの芯の部分に衝撃が走る。
 数時間前にフェイトが受けたのと同じ印象。少女の瞳には何も映し出されていなかった。
 目の前にある光景が、という意味ではない。感情と呼べるものがそこには何一つ存在していなかった。
 フェイトはその瞳を見た時、かつての自分自身、かつてのエリオやキャロを投影した。
 だが、そのような経験の無いスバルはただ単純に、寂しそうだと、そんな感想を思い浮かべた。
「あなたは、私たちを止めに来た……そう、敵なんですよね」
 言葉を選ぶように、たどたどしく呟く少女。そこにはやはり何の感情も籠められていないように聞こえる。敵意や警戒といったものもだ。
 何かが違う、とスバルは感じる。
 今まで出会ったフェイスたちや、あのフェイスレスという男とも違う何か。
 言葉に出来ないが、目の前の少女を見ているとそんな思いを抱いてしまう。
 少女に対して、なんと答えるべきか迷いを抱いていると、少女はやはり茫洋とした視線のまま再び言葉を紡ぎだした。
 別の場所で、ティアナに告げたのと同様の言葉を。


「なら……お願い。私を殺してくれませんか?」


 その言葉は、やはり何の感情も籠められていなかった。
「え、えっと……ごめん、よく解らないんだけど?」
 自分を殺して欲しい。そう頼んだ少女の真意がわからずにスバルは首を捻りながら尋ねた。
 スバルは未だになにも理解していない。
 目の前の少女の正体や、その意味さえも。
 少女も自分が唐突な言葉を告げていることを理解しているのか、その懐から一冊の本を取り出すと、それをスバルに差し出すかのようにゆっくりと掲げる。
 すでに、スバルにその動きを警戒するような素振りは無い。
 差し出されたハードカバーの本に手を取り、表紙に描かれた文字を読み取る。
 そこには、この本が日記帳であることを意味する単語が簡素に記されているだけだ。
「これは……読んでも大丈夫なのかな」
 スバルの確認の言葉にコクンと頷く少女。
「そこには……ここで起こったことが書かれてるから」
 その言葉が何を指しているのか、どのような意味を持つのかスバルには解らない。
 だが、それも結局はこれを読んでみないことには判断のつけようが無い。
 だから、スバルはゆっくりとそのページを開いた。
 それは一人の人間が書き記したものではなく、この施設に居た者たちが集って書き記したものであった。
 発案者なのだろう、最初のページにはこんなことが書かれていた。



『ここにミラ・リンドブルムの新たな生活を書き記したいと思います』



 それはミラ・リンドブルムとアルバート・リンドブルム。
 二人の人間が作り出した、一つの物語であった。
 舞台はここ第六十六観測指定世界――通称【ガーデン】。



 ●



 すべては一つの病から始まった。
 魔力硬化症。そう呼ばれる奇病があった。
 魔導士の力の源である器官。リンカーコア。
 この病にかかった者はすべからく、リンカーコア内を巡る魔力循環に障害が発生し、それに伴う各種疾患が多発するというものである。
 発症率は滅多になく、また魔力総量の低い人間が発症した場合も重要な疾患を起こすようなものではない。
 だが、絶大な魔力総量を持つものにとっては、重大な疾患を引き起こす不治の病であるのもまた事実であった。
 強力な魔力を持ちながら、その循環機能が働かない状態というのは危険極まりない。
 オーバーマジックフィールドと同様だ。術者の想定外の魔力がそのリンカーコアに蓄積された場合、重大な障害となる。
 ゆっくりとリンカーコアに溜まった魔力は、本人の意思で輩出される事も無く、やがてはその限界容量を超え――破裂する。
 そうなれば、術者として再起不能に陥るだけではなく最悪の場合、死に至るケースも考えられる。
 そして今現在、その魔力硬化症の根本的な治療法方は確立していない。
 そんな病にかかった者の一人が、ミラ・リンドブルムという女性であった。



 ●



「アルバート、もう行くのか?」
 時空管理局地上本部、その廊下で一人の男性が後ろから声を掛けられた。
 アルバート、と呼ばれたその男が振り向く。
 無駄に大きな丸メガネに、どこか儚げな笑みを浮かべるその姿は、初対面の人間からすれば、どこか頼りないと思わせる類の人種だ。
 一度、治安の悪い地域に放り込まれれば、すぐに身包みを剥がされてしまいそうな……そんな雰囲気を漂わせる青年だった。
 そんな彼が振り向いた先、彼に声をかけてきた人物は、まさにそれとは対極。
 彫りの深い精悍な顔つきに、屈強な肢体。引き締まったその体からは偉丈夫と呼べる風格が漂っている。
 着ているものはどちらも同じ管理局の制服だというのに、ここまで印象を違えるというのは珍しいことこの上ない。
「ああ、ゼストさん。はい、やっぱり僕には現場は向いてないようですしね」
 ハハ、と愛想笑いを浮かべながらアルバートは答える。
 ゼスト・グランガイツ。ほんの数時間前までアルバートの上司であった男だ。
 首都防衛隊。文字通りミッドチルダの首都クラナガンを守護する実働部隊であり、その任務は苛烈を極める。
 ゆえに、様々な理由によりこの部隊を離れるものはそう少なくない。
 負傷によるリタイア。任務についていけなくなった者の辞職。当然のように殉職といった理由も存在する。
 アルバート・リンドブルムはその中でも、自らの希望転属という形でこのたび同局内の人事部に異動することとなった一人であった。
 そういった者も少なくないなか、それでもゼストはこの場から離れていく部下に対して、惜しむような視線を送っていた。
「お前がいなくなると……寂しくなるな」
 それはゼストの本音であった。
 彼がこの職場から離れる理由は聞いている。それが納得の行く理由であるということも理解している。
 それでもゼストにとって、アルバートという男が自分の部隊から離れていくことを惜しいと思う気持ちは大きかった。
「よしてくださいよ。それに僕は隊長……ゼストさんに認められるようなことはしていませんよ」
 やはり、力ない笑みを浮かべてアルバートは答える。
 確かに、彼の外見だけを見れば到底荒事には向いていないようにしか見えない。それこそ事務仕事が似合うような風貌であることは確かだ。
「しかし、お前は……いや、もう何も言うまい。奥さんのほうは大丈夫なのか?」
 過去を振り払うようにそう言って、ゼストは話題を変えることにする。
 その言葉に、アルバートはほんの少しだけ表情を曇らせたかと思うと、自分の左手に視線を落とす。
 その薬指には銀色に光るリングが確かに嵌められていた。
「ええ、最新の医療施設が出来たようで、今はそこで静養しています」
 顔を上げて、鏡張りの外の景色をアルバートは眺める。視線の先にあるのは澄み切った青空だけだ。
 それは、件の人物が、この世界には存在していない事を示していた。
 遥か次元の向こう側、彼の思い人はいまはそこにいる。
 ミラ・リンドブルムという名の女性が。



 ●



 小鳥の囀る音が広場には響き渡っていた。
 周囲にはどこまでも広がる草原と雲ひとつ無い晴天の青空が広がっている。
 だが、それはすべて偽者の風景であった。
 小鳥のさえずりは目立たないように仕込まれたスピーカーから流れ出るものであり、周囲に広がる風景はドームの内壁に映し出された映像にしか過ぎない。
 だが、そこにいるものにとっては本物であろうとも、偽者であろうとも、そこが確かに在るべき世界だったのだ。
「……そうして、人々は幸せに暮らしました。めでたしめでたし」
 そんな世界に声が紡がれていた。
 今まさに、物語の終わりを告げる言葉を残し、声の主は膝の上に開いていた本のページを閉じる。
 美しい、女性だった。流れるように長い黒髪は絹糸のようにさらさらと揺れ、どこまでも端正な顔つきは、どこか儚げな印象を与えるものの、それが逆に彼女の美しさを際立たせていた。
 だが、彼女の朗読会に招かれた観客達は、誰一人としてそのようなものは見ていない。
 その女性が顔を上げると、人工芝に覆われた床に直接座り込んでいた四人の子供たちは紡がれた物語に対して余韻を残すように、どこまでも澄み切った瞳で、感心したようにただ女性を見詰めている。
 そこにいたのはすべてまだ幼い少年少女たちであった。娯楽の乏しいこの世界において女性が紡ぐ物語は、彼等にとってなによりも心を引き付けるものだったのだろう。
 しばしの間、それぞれ呆けたように中空を見詰めていた彼らだったが、その余韻も覚めると、次に起こったのは盛大な感想合戦だった。
「うわー、すごかったぁ……」
「ねぇねぇ、お姫様はどうなったの?」
「ミラさん、続きは無いのっ?」
 怒涛の勢いでそんな風に尋ねてくる子供達。
 ミラと呼ばれた女性は、そんな彼等の純粋な視線に柔らかく微笑み返す。
「続きか……うーん、どうなんだろうね。みんなはどうなったと思う?」
 頬に指を当て、考える素振りをしてからミラは子供達にそう聞き返す。
 そうすると、四人の子供達はしばし悩んだ末に、それぞれあーだろう、こーだろうとそれぞれの考えた続きの物語を議論し始める。
 そんな輪の外側にいながら、ミラは子供達の様子を愛しげに見つめていた。
 ここは【ガーデン】と呼ばれる施設。
 未だに治療方法の確立されていない魔力硬化症。その重度患者の治療及び静養を行う為の施設が、ここガーデンである。
 この場にいる四人の子供達と、ミラはすべてその重症患者であった。
 元々、魔力硬化症は遺伝的発生が多く見られ、幼少の頃からその症状に悩むことになる者が多い。
 対して重度の成人患者が少ないのは至極単純な理由――時間と共に症状を悪化させる魔力硬化症患者は成人するまで生きていられるケースが非常に稀であるからである。
 その点から言えば、ミラ・リンドブルムという女性は、この中の誰よりも死に近い人間であるということでもある。
 けれど、ミラはそんなことを感じさせない生気に満ち溢れた表情で、論議を交わす子供達を、それこそ母親のように見詰めている。
 そんな彼等の楽園に闖入者がひとり。
 何も無い空間――正確に言うならば景色が投影されていたドームの外壁の一部が開き、そこから白衣に身を包んだ男が現れた。
「やぁやぁ、皆さんおそろいで、健康そうで何よりだな」
 笑みを浮かべ、肩を揺すらせながら入ってきたのは老齢の男性だった。頭髪は白髪交じりでその顔にも深い皺が刻まれているが、姿勢はまっすぐ、老人らしさを見せない歩調でミラたちのほうへと歩み寄ってくる。
 そんな老人の登場に、子供達は議論の声を潜め、どこか敵視しているような眼差しを送る。
 楽観的に見ても老人と子供達の間に友好的な関係が築かれているとは言い難い状態だ。
 唯一、ミラだけが変わらぬ笑顔のまま老人の方へと視線を向けた。
「あら、トラバント先生。今日は検査の日でしたか?」
 この施設の責任者であり、この場にいる全員の主治医でもあるのが、目の前にいる老人ドクター・トラバントだった。
 彼は人の良い笑みを浮かべると、ミラに向かって皺に覆われた瞼を開いて暫しの間じっとその表情を眺める。
「ふむ、調子は良いようだな。いやなに今日は君に少々話しておきたいことがあってな。検査ではないが、少しの間時間を取らせて貰って構わないかね?」
「今からですか……そうですねぇ」
 少し考えるような表情を浮かべる、そんな彼女の身を包むスカートの裾が引っ張られる感覚。
 ミラが、下を向けば子供達のうち、一人の少年が彼女を引き止めるように、ぎゅっとスカートの裾を握り締めていた。
 離れたくないという心の現われ、言葉に出さずとも確かに伝わる感情を。
 見ればその背後に控える残りの子供達も、似たような表情を浮かべて無言のままミラを見上げていた。
 それを確かに受け取って、しかしミラは少年の頭を優しく撫でると、すまなさそうに呟く。
「ごめんね。私は先生と少しお話をしてくるからファルゴはみんなと一緒に待っててちょうだい」
 ファルゴ、と呼ばれた少年はそんなミラの言葉に悲しそうな表情を浮かべるものの、これ以上ワガママを言ったところでミラを困らせることにしかならないということを悟っていた。
 その程度には、判断の付く年頃である。ゆっくりとスカートを握っていた手を離して、一歩下がる。
 それに、ミラは再び笑みを浮かべると、立ち尽くしたままのトラバントのほうへと振り返った。
「では、行きましょうか先生」
「ああ、すまないね、ミラ」
 了承を得たことで、満足そうにトラバントは頷くとそのまま踵を返し、開け放たれたままの扉へと向かう。
 ミラもそれに続くが、最後に扉をくぐる直前、心配そうにこちらを見詰める子供達に振り返ると、小さく手を振った。



 ●



「さて、なにから伝えようか……そうだな、実際のところ、君はもう長くない」
 何の感慨も込めぬまま、トラバントは開口一番、ミラに向けてそういった。
 場所は先程のドームの中とは違い、装飾というものが見られない簡素な事務用品が並べられただけの部屋だ。
 そこで、ミラは自分の命がもうすぐ失われるという事実を聞かされる。
 だが、ミラはまるで動揺することも無く、おかしそうに笑みを零す。
「先生。私はこれまで三度、今のと同じ意味の言葉を聞かされてきましたよ。これほど直接的なのは初めてですけど」
 それは、既に彼女が幾度も生死の境を彷徨って来たという意味に他ならない。
 ミラは冗談交じりに呟くが、それはけして笑って語れるような過去ではないはずだ。
 生命を紡ぐ医師が、そのように宣言したのだ。そこには、それに相応しい症状があったはずなのだ。
 それを乗り越えて、ミラがこうして今も生きているのはただ単純に運が良かったとしか言いようの無い事柄であっただけの話だろう。
 しかし、そんなミラの言葉の言葉を聞いたトラバントも特別な感情を見せるわけでもなく、カルテに描かれた内容を目で追っているだけである。
「ふむ、そうかね。だが、事実として、君の身体は死に向かっている。そうだね。この調子だとあと数ヶ月と持つことは無いだろうね」
 どこまでも淡々と紡がれる言葉。そこには先程リラクゼーションルームで見せた人の良い老人のような笑みは一切浮かんでない。
 あくまで、ただ事実を述べる科学者の瞳だけが、そこには存在した。
 それが、トラバントという男の本質であることをミラは理解している。
 彼にとって、自分達が研究対象のひとつでしかないという事実。
 トラバントにとって、患者の生命の是非などひたすらにどうでも良いことなのだろう。
 その研究過程において、助かるのなら、それでよし。助けられないというのならば、研究対象として最後まで扱わせてもらう――それがトラバントの本音であった。
 それを子供達は本能で察知しているのだろう、彼の事を明らかに嫌悪の視線で見ているのはそんな理由だ。
 だが、トラバントが魔力硬化症を完治させることが未だにできないとはいえ、いくらかその症状を緩和させたり、病状の進行を遅延することが出来る能力を持っているのは確かな事実である。
 ゆえに魔力硬化症の重度患者である以上。そのような悪魔が相手であろうとも、縋らなければ生きてゆけないというのもまた事実。
 ここに集った子供たちは実験動物としての在り方を認める変わりに、生という報酬を得ている身なのである。
 それはミラも同様。
 だが、遂にその限界が訪れたようである。すでに考えられる全ての治療は施された。
 それによって幾度かの死の到来を免れたのは確かだが、それにもまた終焉は訪れる。
 それが、今回なのだろう。
 ミラ自身が自分の身体の変調からそれを感じ取っていた。
「それで、わざわざそれを伝える為にトラバント先生自ら呼び出された、というわけではないのでしょう?」
 だが、まだできることはある。そんな強い意志を持ってミラをトラバントに尋ねる。
「ほう、話が早くて助かるな。なに、結果的にするべきことは何も変わらない。君の身体を使って実験させていただきたい。ただ、それだけだ」
 治療ではなく、実験とトラバントは述べた。
 今までもそれ相応のことはやってきたが、あくまでそれらは治療の名の下に行われてきたものだ。
 だが、トラバントは言った。実験と。
 それがどのような意味を持つのか、解らぬミラではない。
 そこにあるのは、死という結果すら待ち構える非道の行いなのだろう――つまるところは安全性の確立されていない人体実験。
 良くて、そんなところだろう。
 それを理解していながらも、ミラはまるで怯える事無く、ただしっかりと目の前にいる老人に曇りの無い瞳を向けて言い放った。
「お願いがあります先生。あの子達を、助けてあげてください……」
 それが、ミラの出した答えだった。
 彼女と、この施設にいる子供達との出会いはこの世界に赴いてからだった。
 彼等はその全てが重度の魔力賞感染者という条件に従ってトラバントによって集められた孤児達であった。
 言うなれば、彼等とは関係の無い赤の他人にしか過ぎない。
 だが、ほんの短い間とはいえ共に過ごした者達。自分を母のように慕ってくれた子供達が、この先自分と同じような苦しみに見舞われることになる――それは、どうしようもなく悲しい現実であった。
 彼等の痛みを和らげてやることは、まして取り除いてあげることなどミラにはできない。
 だからこそ、死が決定した自分が彼等の病気を取り除ける、その手伝いだけでも出来るのならば――それに勝る喜びは無い。
 例え、その結果自分が死んだとしても、それは意味のある死だということをミラは嬉しく思う。
「ふっくく、ああ、いいとも。いやいや、君が協力してくれるというのならば、もしかしたら奇跡が起こり、君自身も生き永らえる可能性すらある。私たちは君のその勇気に最大限の感謝を送るよ」
 くつくつと笑うトラバント。その姿はどう贔屓目に見ても悪魔と呼ばれる類の醜悪な生き物の笑いにしか見えなかった。
 だが、それでもいい。
 どちらにしろ、自分に出来ることはもはや死を待つだけなのである。
 可能性だけしかないとしても、子供達を救えるというのならば、悪魔に縋ることさえ彼女は辞さなかった。
「ふむ、では明日から早速実験に入ろうか、君達を救う為に」
 どこまでも、芝居じみた口調で語るトラバント。そんな彼にミラは最後の願いを告げるのだった。
「それと先生。申し訳ありませんが……夫に、私は死んだと伝えておいてください」



 ●



 ミラ・リンドブルム。
 魔力硬化症による魔力暴走によって――死亡。


 そんな簡素な文面の知らせがアルバート・リンドブルムの元に届いたのは既に一年も前の事であった。
 そうして、アルバートはいまようやく、自分の妻が眠る地――第六十六観測指定世界【ガーデン】に立っていた。
 ミラの死の知らせを受け取ったアルバートに訪れたのは果てしない絶望だった。
 自分の妻が、不治の病であり何時この世を去るかもしれない身体であることは彼も理解していた。
 覚悟もしているつもりだった。
 だが、事実としてミラの死を突きつけられたアルバートに訪れたのは思い描いていた覚悟の比では無いほどの深い絶望だった。
 抜け殻のようなその後の生活。唯一彼が望んだのは死んだ妻の亡骸を迎えに行きたいと……ただ、それだけを願った。
 だが、彼のガーデンへの渡航申請は一向に受理される気配は無かった。
 第六十六観測指定世界。
 通常ならば不可侵であるはずの世界に設けられた医療施設。それが管理局の極秘プロジェクトの名の下に行われていた非合法の医療実験施設であることをアルバートは理解していた。
 どこから情報を手に入れたのか、地上本部に籍を置くヴォルックス一等陸佐がミラの治療のためにと、その話を持ちかけてきたのが三年前の事。
 当初は非合法であること、法の番人たる自分がそのような事に手を染めることにはもちろんアルバートも難色を示した。
 だが、ミラ自身の意思。そして何よりも妻が助かる可能性がほんの少しでも在るのならば……そんな希望に縋ってアルバートたちはヴォルックスの提示してきた契約に合意したのである。
 そうして、ミラは単身ガーデンへと赴き――死んだ。
 確かに、それによってアルバートにはどうしようもないほどの深い絶望が訪れた。
 しかし、医療実験そのものに怨みを抱くようなことはしなかった。
 それはあくまで結果。元々儚い希望に縋っていただけの行為なのだ。
 その結果が不服であったとしても、怨みを抱くのは筋違いの行為であると、アルバートは自己を戒めた。
 だが、彼の最後の願い。妻の顔をもう一度みたいという願いはなかなか叶えられることは無かった。
 当然といえば当然なのかもしれない。
 なにしろ管理局内には、そのようなプロジェクトは存在していないことになっているのだ。
 単純な渡航申請も建前上、観測指定世界となっているガーデンでは受理されるはずも無い。
 結果的に、アルバートのとった手段はけしてほめられた類の行いではなかった。
 計画の責任者であるヴォルックス准将――この頃には彼は既に昇進していた――に、自分の願いが叶えられないというのならば医療実験のことを暴露すると脅迫したのだ。
 正しい行為とは到底呼べない。だが、もはやアルバートには法を犯す事に対する抵抗はなくなっていた。
 そうして、一年という時間をかけてようやくアルバートにはガーデンへの渡航申請が通ったのだ。もちろんそれも極秘裏に行われる違法行為ではあったのだが、もはやアルバートにそのような瑣末なことで躊躇するような感慨は存在しなかった。
 そうして、彼はヴォルックスの息が掛った次元航行艦からの直接転送によってガーデンのトランスポートにその姿を現した。
「お待ちしておりましたアルバート・リンドブルムさん。私はこのガーデンの総責任者であるトラバントと申します。奥様のことは本当に残念でなりません」
 慇懃にこちらに頭を垂れるのは、深い皺を持つ老人であった。
 だが、アルバートにとってそんなことはどうでも良かった。意味の無い謝辞などもはや聞きたくも無かった。
「僕の妻は……ミラは、今どこに居る?」
 トラバントに詰め寄り、問いかける。その弱々しげな風貌とはかけ離れた鬼気迫る迫力だ。
 しかし、トラバントはそれに僅かもたじろくことなく、アルバートを落ち着かせるようにその肩に手を置く。
「アルバートさんには非常に申し訳ありませんが……奥様の遺体はここにはございません」
「どういうことだ、それはっ!」
 自分は、その為だけにここに来たのだ。だというのに、それが叶えられないという言葉を聞き、アルバートの怒りは遂に限界を迎えようとしていた。
 だが、そんなアルバートの目の前にトラバントは、一枚の紙面を差し出す。
 データ化が進められるこの時代に紙媒体の書面は比較的珍しい。管理局でも使われるのは高官が偽造を警戒して作る重要書類程度だ。
「ミラさんの死亡後、その遺体を献体として医療発展のために提供するという旨の書かれた書類です。ミラ・リンドブルムさんのサインも頂いております」
 差し出された書類を奪い取るようにひったくり、その文章を読み返すアルバート。確かにそこにはトラバントの言葉どおりの意味合いをなす文章が並べられている。
 そして最後に、確かに見覚えのある筆跡。ミラ・リンドブルムという名が書かれたそれをアルバートはゆっくりと指でなぞる。
「妻は……ミラは、いま……」
「誠に申し上げにくいのですが……既にお見せできる状態ではありません」
 きっぱりと告げるトラバントの言葉は既にアルバートの耳には届いてなかった。
 彼はその場に崩れ落ちるように膝を付くと、ミラの名が書かれたその書類を握りつぶすことも出来ず、ただ茫洋とその文面を見詰め続けていた。
 いや、もう彼は何も見ていないのかもしれない。
 最後に残ったほんの僅かな希望、亡き妻の顔をもう一度だけ見たいという願いすら、もはや叶うことは無いのだ。
「なぜ……なぜなんだ、ミラ……」
 解らなかった。妻がなぜ自らを献体としたのかを。
 ミラが心優しい者であったことは夫である自分自身が知っている。だが、それでも一言、自分に相談して欲しかったと願うのは贅沢なのだろうか。
 その立場上、定期的に連絡を交わすことが出来ないということは知っていた。
 けれど、それでも――ミラがどうして、そのような道を選んだのかが解らずに。アルバートはただ呆然とその場で俯き続けた。
「ふむ、そうですね。よければアルバートさんに逢わせたい者たちがいるのですが、折角このような場所にまで足を運んでもらったのです。良ければ、是非お会いしてもらえないでしょうか?」
 そんなアルバートにトラバントが声を掛ける。アルバートは光の宿らぬ瞳のまま、顔を上げて声の居た方を反射的に向き直るが、その目が何を見ているのか、既に定かではなかった。
 どうでもよかった。最後に願った希望すら叶えられないというのならば、アルバートにすべきことなどもう何も無い。
 あとは、ただ朽ちるように死んでいくだけだ。
 その途上にある、残りの生などアルバートにはどうでもよかった。
 体が、ただトラバントの言葉を指針として、自動的に動き始める。そこには意思と呼べるものは何も無かった。
「こちらです……」
 そういって、トラバントが先導する中、アルバートは歩き始めた。



 ●



 アルバートたちが、辿りついたのは先程までとはまるで趣が異なる部屋――と呼ぶには些か難のある、巨大なドーム状の施設であった。
 床には人口の芝が敷き詰められ、その内壁には偽者の空が流れる雲を映している。
 リラクゼーションルームの一種なのだろう。
 そこには、四人の子供達が一つのボールを追い掛け回し、元気いっぱいに走り回っていた。
 いずれも、アルバートの知らない子供達だ。
 ただ、彼等が元気いっぱいに走り回っているであろう事だけは一目その姿を見ただけで理解することが出来た。
 ここが、どのような目的のために作られた施設であるのかを理解すれば、そこに居る子供達がいったいどのような者達であるのかを理解するのは容易かった。
 重度魔力硬化症患者。
 ミラと同じ病に冒された、悲しい存在たち。
 魔力硬化症という病がどのようなものか、アルバートはよく知っている。
 定期的に襲ってくる発作は場合によっては死を望むような苦しみを発症者に与える。
 何時その恐怖が襲い掛かって来るのか解らないという不安。そこから発生するストレスは常人の想像の埒外にあるのだろう。
 ミラが、それに対して弱音を吐く姿をアルバートは知らない。
 だが、痛みに苦しみ悶えるミラの姿を何度も垣間見てきたアルバートにとっては、それがどれほど辛いものなのか理解することは出来ずとも、その一端を感じることだけは出来た。
 自らが、その病に犯されればけして耐え切れぬものではないということ……その程度にはアルバートは魔力硬化症という名前の実態を知っていた。
 しかし、草原の中で遊ぶ子供達は、誰もが楽しそうに遊びまわっている。何時、訪れるかもしれない死の恐怖が彼らには確かに存在するというのに。
 それは、アルバートにとっては信じがたい光景であった。
「ミラさんに御協力して頂いたおかげで、研究はかなりの進歩を見せることが出来ました。未だに完治には至りませんが、それでもその症状を和らげるには十分すぎるほどの進歩を」
 アルバートの後ろで、トラバントは小さくそんな呟きを漏らした。
「ミラは……ミラは、彼等を守れたんですか?」
 気づけば、アルバートの口からはそんな言葉が漏れていた。
「ええ、それどころか、彼女は彼等を救うことさえできるのかもしれません」
 断言するような言葉が背後から返ってくる。
 それは、妻の死が意味の無いことではなかったと、言葉ではなくそれ以上の意味を持ってアルバートを覆った。
 ミラの死という事実からくる悲しみが消えることはなかった。
 だが、それでも絶望だけに染まっていた彼の心に、ほんの少しだけ光が差し込んだのもまた事実であった。
 子供の一人が蹴ったボールが予想外の方向に弾んで、アルバートの足元へと転がってきた。
 それを追いかけるように、子供達もまたアルバートの居る方向へと駆けてくる。
「彼等にとって、ミラさんは母親のような存在でした。いくら子供達の為とはいえ、ミラさんを奪ったことになる私は嫌われております。席を外しますので、アルバートさんは是非彼らと話をしてあげてください」
 トラバントはそう言い残して、ドームの外へと身を翻した。
 後に残ったのはアルバート一人。そんな彼の元へ四人の少年少女たちはやってきたかと思うと、見慣れない珍客の存在を、ただ不思議そうに見上げていた。
「おじさん……だれ?」
 一番年の上であろう少年が、そんな風に尋ねてくる。
 アルバートはその場で膝を折り、彼等と同じ高さの視点を得ると、その頭を優しく撫でながら、できる限りの笑みを浮かべて子供達に尋ねる。
「アルバートという……その、君達はミラ・リンドブルムという人のことを知っているかな?」
 そう、尋ねると、僅かだが見知らぬ人間に対して警戒の色を浮かべていた子供達は、花開くような笑顔をそれぞれ見せてくれた。
「ミラさんのお友達なの?」
「違うよ、ミラさんが言ってたじゃない。とってもステキな旦那さんが居るって、この人じゃないの?」
「えー、でもあんまりカッコよくないよこの人」
「ねぇねぇ、貴方はミラさんの大事な人?」
 口々に彼等の間でそんな言葉が交わされる。それを優しくアルバートは眺めながら、確かに自身をもって答えられることが一つある。
「ああ、ミラは僕のとても大事な人だよ」



 ●



 たくさんの話を聞いた。
 ミラと子供達との出会い。
 多くの物語を聞いて、多くの優しさを教えられたこと。
 楽しそうに、ミラとの思い出を語る彼等からは、そんなミラの存在がありありと感じることができた。
 彼女の顔をもう一度見てみたい……その願いが叶うことは無かった。
 だが、その代わりにえられたものはもっと大きなものだった。
 子供達の語るミラという人物は、紛うことなく、アルバートが愛し続けていた者であるという実感。
 子供達の思い出の中で、ミラは確かに息づいていた。
 そんな彼女と出会えた事を、アルバートはただひたすらに幸福だと思う。
 だが、そんな優しい時間ももうすぐ終わりを迎えようとしていた。子供達と話し込んでいるうちに予定されていた滞在時間を迎えようとしていたのだ。
 初めからアルバートが申し出たのは無茶な願いだった。ゆえに、その滞在時間は数時間程度であり、再びこの地に戻ってくることはおそらく不可能だろう。
 もう、暫くの間、この子供達からミラについての話を聞いておきたかった。
 それが二度と訪れない機会だというのならなおさらだ。
 しかし、それらを振り払い。アルバートはその場から腰を浮かした。
「あれ? アルバートさん、もう帰っちゃうの?」
 子供達からの方も名残惜しげな声が紡がれる。できることならば、何時までもこの場に留まり続けたいのはアルバートも思う。
 だが、子供達――そして、その中に存在するミラ――と話たことにより、アルバートは確かに感じた。
 このまま過去に縛られ、悲しみと後悔に彩られたままの生を引きずることを、ミラはけして望んだりはしない。
 自分に出来ることがある筈だ。彼が感じたのはそんな今はまだ形にもならない儚い希望だった。
 既に話の中から知っていた。目の前に居る子供達は孤児だ。
 例えこの先、魔力硬化症が完治したとしても、その行く先はようと知れない。
 なら、自分に出来ることはミラが守りぬいた、彼等の行く先を守り抜くこと。全てが終わった後に安息できる場所を作ってあげることだと、漠然とアルバートはそんな願いを抱いていた。
 まだ、口に出して約束できるようなことではない。ほんのつい先程、思いついたばかりの淡い希望にしか過ぎないのだから。
 それでも、アルバートは精一杯の約束を彼等と交わすことにした。
「ああ、今日はこれで帰ることにするよ……でも、約束だ。必ず、また逢いに来るから」
 それは、新たな未来に向けて踏み出す、アルバートの第一歩になる――



「え? ミラさんには会っていかないの?」



 ――筈だった。
 だが、踏み出すはずのその一歩は子供達の一人から告げられた言葉によって大地に縫い付けられる。
 その少年の告げた言葉の意味を、アルバートは理解することが出来なかった。
 踵を返そうとしていた身体を戻し、子供達の方を見る。
 彼等はやはり、いつものようにそれぞれに顔を見合わせ、口々に言葉を紡ぎ始める。
「そうよ、ミラさんもアルバートさんに逢いたいと思ってるよ」
「このまま帰っちゃったら、ミラさんが可哀相だよ」
 子供達は、誰も彼もが不思議そうにそんな疑問を投げかけていた。
 だが、アルバートは紡がれるその問いかけに何一つ答えることはできなかった。
 出てくるのは単純な疑問だけだ。
「……君達は、何を言ってるんだ?」
 声を絞るようにして尋ねる。自分の声が震えていることが解った。
「アルバートさんのほうこそ、なに言ってるの?」
 会話が噛み合わない。アルバートと子供達の間で明らかな情報の齟齬が生じている。
 子供達は、まるで……まるでミラが“生きている”とでも言うかのように言葉を連ねる。
 だが、そんなわけが無い。そんなわけがないのだ。
 なぜなら、ミラは一年前に確かに死亡したことになっている。
 だから、アルバートはこうしてガーデンへと赴いたのだ。
「ミラは……ミラは、死んだのだろう?」
 だから、アルバートは発してはいけない言葉で、そう尋ねた。
 それがどのような結末を呼ぶのかを、半ば理解しながら。


「なに言ってるんだよ、ミラさんとは昨日話したばっかりなのに――」


 どこまでも決定的な言葉が少年から告げられる。
 見れば、残りの子供たちも同意するように首を縦に振っている。
 なんなのだろう、これは一体。何の冗談だ――アルバートはそう感じながらも、一つの結論を導き出していた。
 誰かが嘘をついている。
 目の前の子供達か、もしくは、このガーデンの研究者。そのどちらかがアルバートに対して虚偽の情報を植えつけようとしている。
 アルバートがミラの死を知ったのは一年前。それはあまりにも簡素すぎる報告書として届けられた。
 そして、アルバートは、妻の亡骸を拝んでいない。
 確認しなければならない。
 なにが真実で、なにが嘘なのかを。
「……君達は、ミラがどこに居るのか知っているのか?」
 声は知らずに冷静さを取り戻し、どこか底冷えする迫力を備えていた。
 子供達もその迫力に一瞬気圧されるが、すぐに首を縦に振ってくる。
「う、うん。良かったら案内してあげるよ」
「頼む」
 それだけを言って先導する子供達についていくアルバート。
 向かったのはアルバートが入ってきた扉とは逆方向。何も無い空間に見えるドームの内壁がスライドすると、そこには横一列に並ぶ扉の群れが整然と並んでいた。
 どれもこれも、まるで牢獄のように厳重な扉によって塞がれている。それぞれの扉には子供達の名を示すプレートが掲げられており、その中にはミラ・リンドブルムと描かれたプレートを備える部屋もあった。
 しかし、子供達は誰一人としてその部屋を目指す事無く、部屋の前の廊下の突き当りへと集まっていた。
「こっちよ、アルバートさん」
 そうひとりの少女が手招きするなか、少年二人は肩車をして天井付近にあるパネルを外しているところだった。
 覗いてみれば、そこにはパイプやケーブル類が通ってはいるものの人も通れそうな通風孔が伸びている。
「これは……」
「近道だよ、ミラさんは今ちょっと離れた場所にいるから」
 言っている間にも子供達は通風孔の中に身を滑らせていく、アルバートも沈黙のままその最後尾についていった。
 通風孔の中は子供ならば余裕で通れるのだろうが、アルバートにとっては手狭な空間だ。
 だが、その中を這い回りながらもアルバートには思考しなければならない事案が次々と脳裏を駆け回っていた。
 果たして、ここはいったい何の施設なのか。
 考えてみれば、初めからおかしな話だったのだ。非合法とはいえ、管理局がある一定の条件をクリアしなければ死亡率どころか発症率の低い重度魔力硬化症患者のために極秘計画を組むというのは、不自然すぎる事柄だ。
 かつてのアルバートたちは、その不自然さを理解したうえで、それでも縋る手段がそれしかないがゆえに、この計画に加担することとなった。
 ミラが助かるのであれば、その裏側にある存在がどのようなものであれ、縋るしかアルバートには道が残されていなかった。
 だが、ここでその裏側がついにアルバートの前に姿を現し始めた。
 牢獄のような居住区域、子供達の言動が真実だというのならば、ミラはそれよりも更に厳重な区域に監禁されているはずだ。
 ならば、助けなければならない。どんな手を使っても。
 ミラが生きているかもしれないという希望を手に入れながらも、アルバートの手に汗が滲む。
 全てがアルバートの考えている通りならば、ここは敵の領域だ。
 この施設だけでなく、この星そのものがだ。逃げ場は存在しないことになる。
 だが、もはや後のことなど気にして入られない。
 今、彼のすべきことは一刻も早くミラの元へと辿り付く事だった。
 やがて、先頭を進む少年から声が上がる。
「ここだよ」
 再びパネルの外れる音、そこから淡い光が漏れてくる。
 子供達が次々と降りて行き、最後にアルバートもそれに続く。
 降りた先にあったのは何らかの研究施設らしき部屋だった。
 アルバートたち以外に人の姿は見られない。光源は足元に灯る非常灯だけのために部屋全体を見通すことは出来ないが、なにか巨大な機械群が稼動する音が底冷えのする音と共に響いている事だけは解った。
 だが、アルバートの求めるものの姿はどこにも見当たらない。
「ミラは、ミラはどこに居るんだ?」
 焦りから、語気が強まっていくのが解る。それでも一人の少年は臆さずに一つの物体を指差した。
「そこにいるよ」
 少年が指差したのは、ちょうど部屋の中央に存在する巨大な円筒状の機械だった。
 周囲に存在する機械群から伸びるコードの類は、確かにその中央の機械に収束しているようだった。
 だが、その中身は堅牢な装甲板に覆われようとして知れない。
「ちょっと待っててね」
 少女のひとりがそういうと、近くにあった端末を操作し始める。すでに何度も同様に行っているのだろう、その動きは淀みなく続けられる。
 それに合わせる様にして、機械の作動音が一際大きく鳴り響いた。
 アルバートの視線の先、ゆっくりと装甲板が展開を始める。
 そうして、シリンダーはその中身をアルバートたちに確かに晒される。



 そこに存在したのは――――――――化物、だった。 








>TO BE CONTINUED


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