魔法少女リリカルなのは 星を砕く者 第18話 戦う者たち




 キャロが、その場に辿り付いた時に見たのはエリオが一人の男によって刺し貫かれるシーンだった。
 血が飛び散り、周囲に赤い花を咲かす。それはどうしようもない程の絶望という言葉でキャロを覆い尽くしていく。
 デバイスが引かれ、エリオの身体がその場に崩れ落ちた。
 赤い血溜まりが、作られていく。
 それは、冷たい床だけでなくキャロの視界そのものを真っ赤に染め上げていった。
 思考が沸騰し、感情がなにもかもを支配していく。
 キャロが見ていたのは、エリオの傍らに佇む一人の男の姿。
 エリオの血が付いたデバイスを手に持つ、男。
 その男が、エリオを刺し貫いた。
 キャロが考えることが出来たのは、そんな視界に納めた単純な事実だけだった。
 倒さなければならない。
 エリオを刺したあの男は、敵だ。
 だから、倒さなければならない。そうしなければ――ならない。
 キャロの頭の中に、それ以外の感情は浮かばなかった。
「キャロ……なんで、どうして……逃げて、逃げなさいっ!」
 どこからか響く言葉が、キャロの耳朶に届く。しかし脳はそれを根底から否定する。
 そんなものは、そんな言葉はどうでもよかった。
 今、すべきことはたった一つ。
 あの男を倒すこと。今のキャロの考えられることは、ただそれだけだった。
 だから、少女は呼ぶ。
 自らの力を。破壊と蹂躙を引き起こす、最強の竜を。
 呪文ではなく、能力ではなく、ただ自分の意思を持って。
「……ッッ。ヴォルテールッ!」
 広大なドーム空間に、巨大な環状魔法陣が展開される。
 その巨体は一瞬のうちに姿を現した。だがいくら広いとはいえ屋内での事だ。出で現れるその姿は上半身に留まり、残りは展開したままの魔法陣に呑まれたままの姿である。
 しかし、その圧倒的なまでの迫力は、並の魔道師相手では垣間見ただけで圧倒するような力によって形作られている。
 雄々しく伸びる二本の角。魔力増幅用の光球を備えた長大な六枚翼。黒色で塗り固められたその皮膚は装甲のように硬く、堅固な防壁となってその身体を包んでいる。
 真竜ヴォルテール。キャロの使役する最大最強の存在が今この場に姿を現した。
 お、から続く言語として成立しない、しかし気高き咆哮は、周囲の建造物を揺らす圧倒的な衝撃となり、その場を席巻した。
 それを真正面から当てられながら、しかし男――フェイスレスは僅かにも怯む事無く己のデバイスを構えなおした。
 構えは正眼。逃走ではなく、正面から迎え撃つ姿勢である。
 強大な力を持つヴォルテールに対してあまりにも無謀としか言えない行動だ。
 いくらフェイスレスが不死の肉体を持っているとはいえ、あまりにもその攻撃力は違いすぎる。
 ヴォルテールの一撃でその身体が跡形もなく消し飛ぶことさえありえる。果たして、その状態から再生することは可能なのか。
 流石のフェイスレスとはいえ、それを試したことは未だかつてない。
 ならば、それは圧倒的に分の悪い賭けとしかいえないような事態であった。
 しかし、そんな予測は無意味。すでに戦闘は開始の鐘を鳴らしていた。
 ヴォルテールの豪腕が神速の速さを持って振るわれる。ただの打撃とはいえフェイスレスから見れば、それは大型トラックが猛スピードで突進してくるのと変わらない。
 そして、ヴォルテールの拳が振りぬかれた。巨大な風圧を伴って下された一撃。
 だが、その一撃をフェイスレスはすんでのところで回避していた。
 深く深く身を沈め、ヴォルテールの腕はちょうどフェイスレスの頭上を通過する形となっていた。
 だが、それでも圧倒的なまでの拳圧はフェイスレスを襲っているだろう。
 だが、彼はそれをものともせずに前へ、ヴォルテールの懐に向かって疾走を開始する。いくらヴォルテールとはいえ直撃でなければ、この悪魔を押し留めるには足りなさ過ぎる。
 疾風のように、フェイスレスは一直線に走り抜ける。それを阻害する手段はヴォルテールには存在しなかった。
 その巨体が仇になる。いや、元々ヴォルテールは対人用にできてなどいない。
 確かにヴォルテールは強力に過ぎる竜である。
 しかしそれはルーテシアの扱う白天王のような同サイズの存在や、広域殲滅魔法による対複数戦の場合だ。
 今回のような近距離での魔道師との戦闘は、けして褒められた手段ではないのだ。
 なぜならば、今の状況――懐に入り込まれてはその巨体がヴォルテールの行動を阻害することとなる。
 こうなってしまえば、ヴォルテールにできることなどタカが知れている。
「これは、愚策だ」
 ゆえに、フェイスレスは非難するようにそう呟くと同時に垂直に飛んだ。
 己のデバイスの刃を天へと向け、ただ真っ直ぐに。
 その直上にあるのは、ヴォルテールの太い右腕だ。
 そして、信じ難いことにヴォルテールの腕はあっさりとフェイスレスの一撃により、切断された。
 それは、まるで悪夢のような光景だった。並の術士ではその堅牢な魔法防御によって傷一つ付けられないようなヴォルテールの腕は、滑らかな傷跡を残してあっさりと吹き飛ばされた。
 傷口から赤い雨が降り注ぎ、それと合わせる様に右腕が重い衝撃音と共に床に転がり落ちた。
 それが、フェイスレスの使う魔法だった。
 古式ミッドチルダ魔法。そう呼ばれる魔法がかつて存在した。
 それはかつて、いまだに質量兵器が世の全てを席巻していた時代において、初めて創りあげられた魔術の名であった。
 科学から魔術への変換期、その最中に作られた始まりの魔法。
 だが、それは古代ベルカ式のような現在の魔法技術では再現不可能な奇跡を引き起こすようなものではない。
 どこまでも未完成な、時代に淘汰された試作品としての側面しか存在しない魔法である。
 質量兵器が危険視され、その排除が始まったのが新暦元年。現在から数えても一世紀も経っていない歴史全体から見れば、ごく最近のことだ。
 それよりほんの少しだけ以前の時代。世界を席巻していた質量兵器が禁止され始める前に、それに変わる新たな武力としての魔道兵器の開発が始まった。
 だが、それは魔術と呼ぶには些か不似合いな代物であった。
 現代のものとは違い、既存の兵器を元に創りあげられたデバイス。
 そして魔術はそれに伴う効果の増幅といったものだけに絞られることになった。
 結果的に生まれたのは質量兵器と魔道兵器のハイブリット――といえば聞こえはいいが、魔術的に見るならば随分と中途半端な性能の技術となった。
 それが古式ミッドチルダ魔法。当然のように、それらの魔法は次々と生まれてくる新機軸の魔法技術に淘汰されていくことになる。
 だが、それはあくまで時代の風潮にそぐわなかったと言うだけの話。
 元来殺傷力の高い質量兵器を元にして創られ、さらに魔術的要素により効果を増幅させる古式ミッドチルダ魔法はその攻撃力に限って言えば既存の技術形態より遥かに優れている。
 もちろん、その用途は限られ、多様性を求められる現代の魔術戦ではどうしても総合的に見て一歩劣ることになるだろう。
 なにしろ飛行魔法どころか、簡単な防御魔法の展開すらも不可能なのだ。それでこの時代に生き残れるわけがない。
 フェイスレスがその古式ミッドチルダ魔法に精通していたのは偶然でしかない。
 彼の祖父が当時のデバイス開発に携わった一人である縁から、幼い頃から叩き込まれていたというだけの話だ。
 だが、その偶然により、質量兵器としての側面を持つフェイスレスの刃は高位の魔術的防護を誇るヴォルテールの腕さえもあっさりと切り落とすことを可能にした。
 ヴォルテールの口からは痛みの嘆きか、それとも怒りの咆哮か深く響く唸り声が漏れる。
 だが、その動きが鈍るようなことはない。例え片腕を失っても真竜ということかすぐさま残りの腕でフェイスレスを振り払おうと、薙ぎ払いの一撃を加えてくる。
 飛び上がったことにより、空中にいるフェイスレスに回避手段はない。彼は飛行魔法すら使えないのだ。
 それこそ飛び回る蝿を振り払うようにして、フェイスレスの身体はあっさりと吹き飛ばされる。
 その瞬間、骨が幾らかへし折れる音が響いたが、その程度、暴走ユニゾンデバイスによる驚異的な復元能力を持つフェイスレスにとってはダメージのうちにも入らない。
 単調な物理的手段では彼の行動を止めることは出来ないのだ。
 感性の法則を無視して吹き飛ばされたフェイスレスはそのままドームの外壁に叩きつけられる。
 しかし、フェイスレスはそのまま何事も無かったかのように、床の上に着地。へし折られた骨などその間に修復が完了していた。
 だが、対峙するヴォルテールもまた、その傷口が塞ぎかかっていた。常人から見れば規格外の再生能力を有しているのだろう。時間を掛ければ斬られた右腕の再生すら可能なのかもしれない。
 しかし、フェイスレスのそれとは流石に比べ物にならない。戦闘の最中に全快することはないだろう。
 ならば今の一合でダメージを負ったのはヴォルテールだけということになる。
 だが、その代わりといっては何だが、再び彼我の距離は遠く離れてしまった。近接戦闘手段しか持たないフェイスレスにとっては再びヴォルテールの懐に飛び込まねばならないことになる。
 そして、同じ愚を冒すような真似はしないのか、ヴォルテールは残った腕による拳撃では無く、翼にある光玉に莫大な魔力を収束し始めた。
 オーバーマジックフィールドによる魔力暴走現象の所為か、凄まじいほどの魔力がヴォルテールの意思の元に収束をし始める。
 通常の魔道師ならば到底制御できるような魔力量ではない。しかし、真竜であるヴォルテールはそのような常識からかけ離れているのか、完璧にその魔力を制御することに成功していた。
 ならば、そこから放たれるであろう魔力砲の一撃は驚異的な威力を秘めることになるだろう。
 いくらフェイスレスとはいえ、その一撃を受けてしまえば再生することが出来るかどうか解りはしない。
 けれど、フェイスレスは一切焦りを表情に浮かべる事無く、静かにデバイスを引いたかと思うと対峙するヴォルテールではなく、その背後に控える召喚術士の少女――キャロのほうへと視線を向ける。
 その瞳は怒りに満ち、憎しみの篭った視線をフェイスレスの方へと向けている。
 すでに、冷静な状況分析もできていないのだろう。もしかすればこの真竜も彼女の制御の元に動いているのではなく暴走している可能性もある。
 それでも、フェイスレスは静かに呟く。
「いいのか、ここにいるすべてのものが巻き込まれるぞ」
 その言葉に、キャロの瞳が何かに気づいたように、ようやく理性の光を取り戻した。
 向かう視線の先は倒れ付したままのエリオの姿、そしてその先にある独房の扉を向いていた。
 ヴォルテールの魔力量はすでに凄まじい総量に達している。それが一度放たれればフェイスレスだけではない、この施設一帯が焦土と化しても不思議ではない。
 ヴォルテール自身と、それに守られているキャロは無事ですむかもしれないが、それ以外がどうなるかは明白であった。
「だ、だめっ。ヴォルテール、撃っちゃ……だめっ!」
 瞬時に状況を把握し、キャロは己の使役する真竜に制止の声を投げかける。
 既に術士の制御を離れ、暴走状態であったならば無駄な行いでしかなかったのか、キャロの召喚術士としての力量が一年前より格段に成長していたおかげか、ヴォルテールはキャロの言葉に従い砲撃体制を解除する。
 そして、その際に生じる隙を見逃すほどフェイスレスは甘くは無かった。
 元々効果増幅作用を得意とする古式ミッドチルダ魔法だ。ありったけの魔力を脚力の増幅に費やし、ブースト効果を得たフェイスレスはまさしく風のような速さで一気にヴォルテールとの距離を詰める。
 ヴォルテールが、そんなフェイスレスの動きに反応し迎撃しようと身構えるが、既にフェイスレスの身体はヴォルテールの懐に飛び込んでいた。
 屋内であることが、より致命的な要因となってしまった。上半身のみの召喚という変則的な顕現により常より半分程度の身長しか有していないヴォルテールに向かって、フェイスレスは飛翔。
 単純な脚力のみで、フェイスレスはヴォルテールの頭上を取る。
 先程より格段に速い、その動きではヴォルテールの巨体では瞬時に反応することなど出来ない。
 その間隙を突いて、フェイスレスの一閃が迸った。
 本能的に危険と判断したのか、ヴォルテールはその一撃を回避しようと身を逸らしたことにより腕のように両断されることはなかった。
 しかし、その一撃は確かにヴォルテールの右目を含む頭部に深い傷跡を残した。
 鮮血が再び撒き散らされ、こんどこそ痛みに苦しむかのようなヴォルテールの甲高い叫びがドームの中に響き渡った。
 その惨状をキャロは怯えているかのような視線で見つめている。
 ようやく気づいたのだろう、自分の使役する竜がいま、どのような状態にあるのかを。
 その右腕は切り落とされ、いままた頭部に重大な一撃を受け嘶くヴォルテール。いくら再生能力を有しているとはいえ、それは看過できるようなダメージではない。
 まともな召喚術士なら、それが最早戦闘に耐えられる状態ではないことは明白であった。
「もういい、ヴォルテール戻って!」
 ゆえに、キャロは送還魔法によってヴォルテールを半強制的に魔法陣の彼方へと送り返す。流石に致命傷というわけではないだろうが、再起するには一体どれほどの時間を有するのか……召喚術士ではないフェイスレスには解らないが、すでにこの戦闘は決したと見ていいだろう。
 恐るべきことに、このフェイスレスという男はたった一基のデバイス。それも斬撃しかできぬような骨董品を用いて真竜クラスの召喚竜を退けたのだ。
 もちろん、フェイスレスが勝利できたのは偶然の賜物だろう。
 キャロが怒りに我を忘れず、始めから冷静に対処していればフェイスレスに勝ち目は無かったかもしれない。
 だが、結果としてフェイスレスはストライカーズの中でも最強の戦力たるヴォルテールを退けることに成功した。
 結果的に後に残されたのは竜を失ったキャロが一人。フェイスレスとの戦力差は試すまでも無く圧倒的な差があるだろう。
 先の竜が切り札であった事を理解しているのだろう、フェイスレスはデバイスを構えたまま悠然とキャロのほうへと歩み始める。
「うあ……あ……」
 キャロは怯えるように後退さるが、今から逃走したところでそれを見逃してくれる相手ではない。
 彼女に待つのは絶対的な死、だけである。
 そんなキャロの危機に反応したのか、彼女の眼前に再び魔法陣が展開する。
 先のヴォルテールを紹介したものと比べると幾分か小さいが、そこからは白銀の竜――フリードリヒが主を守るべく飛び出し、迫り来るフェイスレスに向かって突撃する。
 キャロの意思で行われたものではない。ただ主を守りたいと願うフリードの意思が、彼を成竜の姿へと変え、フェイスレスへと襲い掛かる。
「フ、フリード。ダメッ、いっちゃダメぇっ!」
 キャロの静止の叫びが響く。それはあまりにも正しすぎる反応だった。
 けれど普段は従順なはずのフリードはそんなキャロの言葉を無視し、真っ直ぐにフェイスレスへと飛び掛る。
 だが、フェイスレスにとってフリードの決死の一撃は、ヴォルテールと比べればあまりにも稚拙なものとしか映らなかった。
 歩みを止めることも無く、フェイスレスはただフリードと交差する一瞬にデバイスを一度だけ振るう。
 それだけだった。それだけでフリードの胸元は切り裂かれ、機動を逸らされたフリードの身体はフェイスレスの背後へと墜落する。
 それで、おしまい。
 もはや、キャロを守る存在は何一つとして存在しなかった。
 キャロには迫り来るフェイスレスに立ち向かうことも、傷つき倒れたフリードに駆け寄ることさえできなかった。
 フェイスレスの気迫に気圧されるようにして再び一歩退いたキャロは転がっていた瓦礫に足を取られ、その場に仰向けに倒れてしまう。
 その時には、フェイスレスは既にキャロを一刀の元に切り伏せることの出来る間合いにまで迫っていた。
「もはや、語るべき言葉など存在しない。なぜなら私の願いはすべてのものに死を与えること――――ゆえに、死ね」
 それが、最後の言葉だった。
 フェイスレスは、デバイスを担ぎ、その一撃をもってキャロの命を奪うだろう。
 それを止める術は、すでに存在しない。
 だから、キャロはぎゅっと瞼を瞑りまるで懺悔をするかのように呟いた。
「……ごめんなさい」
 それは、誰に対して向けられた言葉だったのだろう。
 しかし、もはやその言葉が届くことはない。フェイスレスは一切躊躇う事無く振り上げたそのデバイスを振り下ろす――――




 そして――雷が――落ちた。



 ●



 スバルは走っていた。
 ソラとの別れの後、スバルはすぐに行動を開始していた。
 迫り来るタイムリミット。それまでにしなければならない事が増えたスバルには時間が圧倒的なまでに足りない。
 戒めていたウイングロードを使用しての移動も躊躇無く行い、上空から発見することの出来た人口施設へと向かってひたすらに飛翔する。
 だが、それはやはり諸刃の剣であった。
 ウイングロードの軌跡がスバルの意思によって幾何学的な文様を刻む。
 それに合わせる様にして、スバル自身の進行方向も大きく変更されることになる。
 そうしなければならない理由があった。
 スバルが進行方向を変えた瞬間に、先程まで彼女が目指していた進行方向に敵からの攻撃が打ち込まれる。
 そう敵だ。彼女が懸念していた敵に発見されるという事態はまさに現実のものとなってしまい、スバルはいま敵の執拗な攻撃に狙われ続けていた。
 幾度も進行方向を変え、しかしそれは絶えずスバルを刺し貫こうと彼女のいる場所に殺到してくる。
 その正体は小さな針状の物体。フェイス特有の腫瘍の塊のような質感をしたアイスピック大の針が、それこそ驟雨の如くスバルの周囲に降り注いでいた。
 しかも、その針は頭上からだけではない。三百六十度ありとあらゆる方向からスバルを付け狙う。
 ほんの少しでもスピードを落とせば、スバルの身体はあっという間にその針の群れによって串刺しにされるだろう。
 それほどまでに執拗な敵からの攻撃。
 その攻撃を行っている張本人の姿はスバルの方からも確認できている。スバルの斜め前方、その空に一つの影が浮かんでいた。
 背に、魔力によって紡がれたものではない。醜悪な肉塊で出来た翼をもつ、フェイスの一人――彼等の間ではソローと呼ばれている、仮面の少年の姿があった。
 彼はスバルのように、忙しなく動くわけでもなく、ただ空中に浮遊しているだけだ。
 スバルを追い立てているのは、あくまで彼の操る針群のみである。
 では、こちらから攻撃を仕掛ければよいのではないか、敵の姿が見えているのならばそれは不可能ではないはずだ。
 そんな考えはスバルは会戦当初に既に試している。
 それでもと再度、こちらからの攻撃を試みるべくソローのいる空間に向かって進行方向を変えるスバル。
 だがその瞬間、針の嵐は急激にその密度を増した。
 全力で駆け抜けたところでどうにかなるレベルの代物ではない。その針の嵐の中に飛び込めば、確実にスバルは致命傷を負うことになるだろう。
 直前で、針の密度の薄い方向へと進路を変える。それにより被弾は回避できたもののソローとの距離は先程よりも更に離される結果となってしまった。
 繰り広げられるのは、先程からそんな光景ばかり。
 結果的にスバルはソローに一撃を入れるどころか、近づくことさえ出来ずにいた。
 中距離広範囲掃討型魔道師。
 それがソローに与えられた特性であり、スバルの最も苦手とするタイプの魔道師であった。
 スバルのような近距離パワー型の魔道師にとって、遠距離型の魔道師はけして勝てない相手ではない。
 なぜならば、それらはあくまで相反する存在だからだ。遠距離タイプが苦手とするのもまたスバルのようなファイターなのだ。
 近距離であるならばスバルの方が有利になり、遠距離であるならばそちらを得意とする魔道師に分があるというだけの話。
 それは地の利と戦略を駆使し。如何にして相手を自分のフィールドに持ち込むのかを問われる戦いだ。
 ならば、そこにあるのはあくまで五分五分の勝負でしかない。
 だが、ソローのような中距離広範囲型の魔道師は、そのような戦闘とは趣が異なる。彼等は相手が得意とするフィールドに絶対に踏み込ませない。
 特に同じ範囲攻撃を得意としていても、八神はやてのような一撃が大きい殲滅型と違い、あくまで敵の牽制を目的とする掃討型は、自分のフィールドを保持することを至上としている。
 相手を一撃で屠るような無理な攻撃はけしてしてこない。あくまでじっくりと敵を追い詰め、疲労させ、動きが止まったところを仕留める狩人なのだ。
 そして、狩場に追い立てられた獲物こそが、今のスバルの状態であった。
 その特質上、中距離広範囲掃討型の魔道師は遠距離砲撃にたいして驚くほどの惰弱性を見せるが、スバルのような近距離型に対してはまさに無敵の存在であった。
 今のところ戦闘は膠着状態を保っている。しかし、それも時間の問題だろう。
 絶大な保有量を誇るスバルの魔力とて無尽蔵に存在するわけではない。トップスピードで常に動き回っている今の状態では、そう遠くないうちに魔力が尽きることは明白だ。
 それに対し、ソローはただ空中に浮遊しているだけ。魔力弾ではなく質量を持った針を操るその魔力も驚くほど少ない。
 根競べに入れば、天秤がどちらに傾くのかは明白だった。
 そして、動きが止まったら最後。無数の針がスバルを刺し貫き、そこで終わりだ。
 何とかして、この状況を打開しなければならない。だが、その焦りがスバルの精神状態を益々悪い方向へと導く。
 更に、速度を上げてスバルは針の群れを僅かにだけ引き離す。その間にできた隙を利用し、リボルバーナックルにカートリッジを装填させる。
 選択魔法はリボルバーシュート。スバルが唯一得意とする中距離射撃魔法である。
 スピナーが甲高い鳥の鳴き声のような嘶きを発しながら高速回転を開始し、それにより発生した衝撃波がソローに向かって飛翔する。
 だが、それも足掻いた末の一撃でしかない。
 ソローはやはり微動だにしない。ただその意思に応えるよう、彼を守るように周囲に漂っていた針の群れは、突如としてリボルバーシュートの射線上に集中。
 その形を歪めたかと思うと、幾つもの針は一枚の巨大な円盤状の盾と化した。意味合い的にはシールドプロテクションと同等の効果を持つのだろう、リボルバーシュートの衝撃波はその盾の前にあっさりと打ち消されてしまった。
 ただ単に武器として使うだけでなく、自由に形を変えることによって防御方法としても確立しているのだろう。距離による減衰の激しいリボルバーシュートでは、どうやっても効果が見込めそうにない布陣である。
 結果的にスバルの行動は無駄な足掻きでしかなかった。それに対し、スバルはというと貴重なカートリッジを一発消費したのに加え、焦りのあまり空中機動の最中、無理な体勢でリボルバーシュートを撃ったことが災いした。
 展開したウイングロードの上から吹き飛ばされ、空の只中へスバルの身体が放り出される。
 それだけならば、ウイングロードを展開しなおせばいいだけの話だが、追撃してきた針の群れが無防備なスバルの元へと殺到してくる。
 慌ててスバルは防御魔法を展開、鉄槌の騎士の一撃すら耐え切るバリアプロテクションが彼女の周囲を覆う。
 針の一撃は、ヴィータのそれと比べれば比較にならない程に軽い。
 だが、その数。そして全方向からの攻撃という事実がスバルを追い込んでいた。
 シールドタイプの防御魔法と違い、全方向をカバーすることの出来るバリアプロテクションだが、その真価は敵の攻撃にあわせ、被弾箇所に魔力を集中することによって発揮される。
 逆に言えば、それ以外の箇所の防御能力は低下してしまうのだ。
 単発の攻撃ならばそれで対応することも出来るが、ありとあらゆる方向から連続的に攻め込まれれば、いくら防御魔法を得意とするスバルとはいえ、限界が存在する。
 結果、致命的なものを防ぐことは出来たが、いくつかの針はスバルの防御を抜け、彼女に殺到する。
 それでも、バリアによって進行方向を逸らすことにより、それらも皮膚を掠める程度に終わったがほんの僅かとはいえスバルの身体にはダメージが蓄積されていく。
 針の一斉攻撃によって、生じた隙を縫うようにスバルは再びウイングロードを展開。その包囲網から抜け出すことに成功する。
 だが、状況は未だに最悪なままだった。
 既に、スバルに打つ手は無いと言っても過言ではない状況だ。戦闘が長引けば長引くほど状況はスバルにとってより悪い方向へと傾くことになるだろう。
 ソローが、格段に強いわけではない。
 いや、その消極的な攻撃行動から見るに、ソローは他のフェイスとの連携によってその真価を発揮する支援タイプの魔道師なのだろう。
 その単独性能はフェイスたちの中でも劣る部類に入る筈である。
 そんなソローにスバルが太刀打ちできないのは、もはや相手が悪かったとしか言いようがない。
 だが、そんなことで倒れるわけにはいかない。そんなことで、スバルは諦めるわけにはいかなかった。
 しかし、現実というものは何時だって非情にできている。
 ウイングロードの上を駆けるスバルのスピードは目に見えて落ちてしまっている。魔力が底を突くのはもう少し先のことだが、低下した魔力は不調という形をとって確かにスバルに襲い掛かっていた。
 もはや、疾走することの出来ないスバルは、格好の的でしかなかった。
 そんな彼女に向かって針の群れは今度こそ獲物を仕留めようと殺到する。
 万事休すだった。防御魔法で防ごうとももはや身動きの取れないスバルには倒れるまで攻撃が続けられるだけだ。
 死というイメージが針の形を持って、スバルの額を貫こうと疾駆する。
 そして――


 ――オレンジ色に輝く魔力弾が、その針を撃ち貫いた。


 何が起こったのかを、この場で理解できるものはいなかった。誰もがただ砕け散った針の残骸が空に散っていくのを見守るだけ。
 そして銃撃は連続して響いた。空を翔る魔力弾の群れは幾重にもスバルを囲む針の群れを正確に撃ち落していく。
 それを成し遂げた者の姿は見えない。この場にはスバルとソロー以外の人間は誰一人と存在していなかった。
 けれど、その魔力の光を、太陽のように優しく輝きをスバルは知っていた。



 ●



「ったく、なにやってんのよアイツは」
 そして、それを成し遂げた存在は、スバルたちの戦闘空域より遥かに離れた場所――直線距離にしておよそ一キロはあろうかという、ガーデンの窓から身を乗り出していた。
 ティアナ・ランスターだ。ソラと別れたあと、キャロの後を追うためにガーデンの中を移動していた彼女は、遥か彼方で戦闘を続ける、自分の相棒の姿を見つけていた。
 その手に握られているのは、いつもの二丁拳銃でもなく、ダガーブレードでもない。
 それは長銃の形を持つクロスミラージュのサードフォーム、超長距離狙撃用であるブレイズモードだ。
 かつて、聖王のゆりかご浮上の際に、練度不足であることを察し、自ら封印したクロスミラージュの最後の姿がそこにはあった。
 備え付けられたスコープから覗くレティクルには彼女の相棒であるスバル――そして彼女を囲む小さな針状の物体の群れを観測することが出来る。
 その大きさはおよそ掌大といったところ、一キロという距離を隔てたそれらは、まさしく点としか表現できない目標だった。
 それに加え、目標は停止しているわけではない、この瞬間も常に高速機動を続けている。
 魔力による誘導措置を行ったところで到底、並の術士に当てられるような状況ではない。
 そのうえ、ティアナの魔力は先程まで枯渇しかけていたのだ。いくらか回復したとはいえ、そのコンディションは最悪といっても過言ではない。
 結果、いまの彼女は残りの魔力を掻き集め、弾体として使用するのが精一杯であった。発射後の操作誘導に回せる余力など一切存在しない。
 つまり、彼女は己の狙撃の腕だけであの小さな目標を撃ち貫かねばならないのだ。
 それは、想像を遥かに超える、途方もない難易度であることを示している。
 しかし、ティアナは迷う事無く引き金を引いた。
 極限まで圧縮され、貫通力を高められた魔力弾は空の彼方へと疾駆し、スバルの額を狙う針の一つを至極あっさりと打ち落とした。
 それは、ある意味当然の結果だった。
 聖王のゆりかごの事件が収束してからの半年、機動六課の日々において一体ティアナが幾千の、幾万の狙撃練習を繰り返したと思っているのか。
 最高の狙撃手の下、どれほどの鍛錬を積んだと思っているのか。
 機動六課を卒業してからの日々、修練を怠った日が一日でもあると思っているのか。
 才能があったわけでもない、機器に頼っているわけでもない。
 どこまでも泥臭い努力を越えた向こう側、途方もない鍛錬の末――彼女は成長した。
 そうやって積み重ねたものが、ティアナを裏切ることなどない。
 ならば、彼女が“この程度”の狙撃を成し遂げられない理由など、存在するはずがなかった。
 引き金を一つ引くたびに、針が一つ撃ち落されていく。
 まるで、それが当然の結末であるかのように。
「ボヤボヤしてないで、さっさと決めなさい。スバル」
 ティアナの口から小さな呟きが漏れた。



 ●



 その声がスバルに届くことはない。
 オーバーマジックフィールドによる、通信妨害は未だに続いている。遠く離れた場所にいるティアナの言葉が彼女に聞こえる筈がなかった。
 けれど、スバルは残りの魔力を掻き集め、疾走を開始する。
 その動きに迷いや躊躇いは存在しない。針が打ち落とされたことによる隙間を抜くように、スバルはウイングロードの上をひた走る。
 目的はただ一つ、ソローに近づくことだけ。
 見据える視線の先、ソローは新たな敵勢力が出現したことを察し、その影を捉えるべく周囲を注意深く見回している。
 だが、見つかるわけがない。ティアナはこの場にはいないのだ。彼女は遠く離れた場所、肉眼では直視することの叶わぬ地に存在している。
 けれど、ソローはそんな可能性を考慮しない。
 なぜなら、それほどの遠距離からの狙撃が成功するわけがないのだから――どこまでも常識的な見地に基づいたソローのそんな判断を笑うことが出来るものなどそうそう存在するわけがないのだから。
 だが、スバルは信じた。ティアナならば、それを成し遂げると。
 言葉ではなく、ただ信頼のみによって、スバルは疾走する。
 その接近に気づいたのだろう、ソローも新たな敵の姿を追うことを一時棚に上げ、迫り来るスバルの方へと向き直る。
 それは無数の針が、彼女に向かって飛翔することを意味している。
 そこには回避する隙間など存在しない。このまま飛び込めばスバルのみはその針の群れによって串刺しにされることは明白だ。
 だが、スバルは自分の身に迫り来る針の群れを視界に収めていない。彼女が見据えるのはただ一人、倒すべきものの姿だけである。
 なぜなら、それがスバルのするべきことだから。
 迫り来る針の群れを相手取るのは彼女ではない、それは、自分の相棒の獲物である。
 空を翔る魔力の光が、針を打ち貫く。正確に、スバルが辿る道を妨げるものを排除するかのように。
 スバルは、ただ真っ直ぐに駆け抜けた。避ける必要など、危惧する必要などないのだから。
 針の群れは、まるですり抜けるかのようにスバルのいた場所を通過していった。その身にはかすり傷一つ付いていない――そんなことは当然だ。
 ソローの操作によって、針の群れは回頭しスバルの背中を狙うべく背後から押し迫る。
 だが、もはやスバルとソローとの間には何の障害も存在しない。ならば、残る力を振り絞って全力で疾走するスバルに追いつけるものなど、存在するはずがなかった。
 リボルバーナックルに、青い封印用のカートリッジが装填される。
 迷うことはない、スバルはただ真っ直ぐに、空に浮かぶソローに向けて、渾身の一撃を撃ち放った。



 ●



 漆黒の空間がそこにはただ広がっていた。
 それ以外には何も存在しない。虚無たる空間。
 そこに突如として巨大な魔法陣が展開される。
 何もない空間から現れた魔法陣が紫電を発しながら肥大化し、そしてその中央から船の舳先が出で現れた。
 次元航行艦クラウディア。
 クロノ・ハラオウンが指揮を取るその船は、ゆっくりと宇宙空間にその威容を現していった。
「通常空間への転移完了。問題はありません」
「ミリティア、バルスーラの転移も確認しました。他の僚艦も順次転移してきます」
「魔力計は現在のところ通常よりも高い数値を示していますが、航行に問題はありません」
 オペレーターたちの間で報告が次々と交わされていく。けれど、その報告はクロノの耳にまで届くことはなかった。
 艦長席に座し、彼はただメインモニターに映し出されるその光景を見詰め続けていた。
 そこに映っているのは、緑に輝く一つの惑星。
 第六十六観測指定世界と呼ばれる、クロノがこれから消滅させねばならない星の姿がそこにはあった。
 どこまでも複雑な感情を乗せた瞳で、クロノはただその星の姿を眺め続けている。
「全僚艦の転移完了を確認しました。艦本体、アルカンシェル共にコンディション・グリーン。いつでも作戦行動には入れるとの事です」
「本局からは、可能であるならば作戦時間の早期実行を行うよう打診が来ておりますが……如何致しますか?」
 できるわけがなかった。
 あの星には、自分の妹が、そしてまだ戦っている者たちがいる。
 それに向けて、引き金を引けるわけがなかった。
「作戦は計画に準拠する。周辺の警戒を怠らぬまま警戒態勢を維持するように」
 しかし、タイムリミットは刻一刻と迫っていた。
 それが尽きた時、クロノは引き金を引かなければならない。
 時空管理局に籍を置くものとして、法と正義の執行者として。
 クロノは、ゆっくりとサイドレストを撫でる。そこに自分が座っているという意味を考えながら。
 艦長席、それは選ばれたものだけが座ることを許された特別な場所である。
 クライドも、リンディもこの席に座っていた。
 クロノにとって、この場所に辿り付く事は一つの夢だった。
 修練と勉学を積み重ね、そして長い年月を掛けてクロノはこの場所に辿り着くことが出来たのだ。
「けれど……僕は無力だ」
 悲しげに目を伏せ、クロノは誰にも聞かれることのない、そんな呟きを漏らした。


 


>TO BE CONTINUED


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