魔法少女リリカルなのは 星を砕く者 第19話 雷光の騎士





 大切な人がすぐ傍にいる。


 守らなければならない。守りたいと、心から願う人たちがそこにいる。
 けれど、身体は動かない。
 どう足掻こうとも、絶望的なまでにそれは身体の全てを覆っていた。
 死、と一概に呼ばれる存在だ。
 それはどこまでも暗く深い暗黒をイメージさせ、侵食してくる。
 紙一重のところで、その暗闇に飲み込まれないように抗うが、それが限界だった。
 指先一つ微動だにさせることは出来ず、槍の柄を握ることすらできない。
 無力だった。どうしようもないほどに。
 死なないから、なんだというのだ。
 大事な人を守れずに、生きていくことに意味が存在するのか。
 あるわけがない。ここで動かなければ自分は何の為に生まれてきたのかさえ解らなくなる。


『Yes.』


 同意の意味を込めた、言葉が響く。
 しかし、その言葉に応えようにも、身体は動かない。
 それが現実。自分はこうしてただ傍観することしか出来ない。
 いやだ。そんなのは……いやだ。
 やらなければならない事がある。果たさなければいけないことがある。


『Yes.』


 フェイトを助けなければいけない。
 自分を深い絶望の底から救ってくれた大切な人。
 彼女を失いたくないと心から願う。
 救わなければならない。助けてくれた分、いやそれ以上に応えなければならない。
 彼女が誇れる、自分自身であるために。
 その為に、こんなところで倒れ付しているわけにはいかない。


『Yes.』


 キャロを救わなければならない。
 大切な……護りたいと、共に居たいと願った。
 彼女は今、危機に陥っている。
 駆けつけなければいけない。彼女を助ける為に。
 一緒にいようと約束した。一緒に歩いていこうと誓った。
 だから、こんなところで失わせるわけにはいかない。


『Yes.』


 指先はもう、動かない――それがなんだというのだ。
 瞼はもう、開かない――それがどうしたというのだ。
 立ち上がることなど、できるわけがない――そんなわけ、ある筈がない。
 為すべきことが存在するのに、ここで倒れるなんて、他の誰が認めようとも、自分自身がけして認めやしない。
 ならば、立ち上がるしかない。
 それでも、それでも自分に力が足りないというのならば――


「力を、貸してくれ。バルディッシュ」



『Yes“sir.”』



 そして――雷が――落ちた。



 ●



 雷鳴は、迸る衝撃と共に轟音を響かせた。
 フェイスレスは、視線をそちらへとやる。そこには確かに胸を刺し貫いた筈の少年――エリオ・モンディアルがしかと立ち上がっていた。
 しかし、既にフェイスレスのデバイスはキャロに向けて振り下ろされている。
 それは、もはや止まることのない一撃だ。
 防ぐ手立ても、回避することもできやしない。
 すでに、時間という圧倒的なまでに足りないものが存在していたのだ。
 なのに、そのはずなのに――気づけばフェイスレスの一撃は止められていた。
 デバイスを持つその右手首は、しかと握られ、フェイスレスの斬撃は完膚なきまでに止められてしまっていた。
 それを成し遂げたのは、フェイスレスとキャロの間に割って入ったエリオ自身。
 だが、そんなわけがない。ある筈がないのだ。
 瞬きも許されはしない、つい先程までエリオは距離にして約十メートルはあろうかという向こう側に存在していたのだ。
 刹那の間にその距離を詰めることなど人類に可能な事ではない。
 だが、現実にエリオが元居た位置には何一つとして存在することはなく、確かに彼はフェイスレスの一撃を止めていた。
 振り払うように、エリオの手を振り解き距離をとるフェイスレス。
 エリオはそれを追うでもなく、ただ立ち尽くしているだけだ。
 そのバリアジャケットの胸元が黒く焼け焦げているのが、フェイスレスは確認することができた。
 おそらくは先程の雷。あれで自らの傷口を焼いたのだろう。そこからの出血は確かに止まっている。
 けれど……いや、だからこそフェイスレスの表情には疑念の色が強く浮かんだ。
「何故、動ける?」
 エリオを刺し貫いた一撃が致命のものであることは、それを為したフェイスレス自身がよく理解していた。
 すぐに死が訪れることはなくとも、立ち上がることなど、ましてや文字通り目にも留まらぬ速さで動くことなどできるわけがない。
 人間というのは、それほど頑丈には出来ていないのだ。
 痛みはその動きを阻害し、それ以上の負傷を抑える為に身体にリミッターを掛ける。
 それは生物としての、極当たり前の本能からくる衝動だ。
 フェイスレスのような不死の肉体というのならばまだしも、常人がそれに抗うことなど出来ない。
 ましてや高圧の雷で自らの身を焼いたのだ。そこからくる痛みは一体どれほどのものなのか、想像することすら叶わない。
 それが精神論でどうにかなる類のものではないことは明白な事実であった。
 しかし、エリオはそこにいる。
 キャロを守るように、確かにそこに立っている。
 キャロも、そんなエリオの背中を信じられないものでも見るかのような驚愕の面持ちでただ見上げていた。
 そんなキャロに、エリオは僅かに首を向けると、どこかぎこちのない作り笑いのような――けれど、キャロを精一杯安心させようと、笑みを浮かべる。
「ごめ、ん、ちょっと……遅れちゃっ、た」
 紡がれたその言葉は、やけに掠れており、どこか違和感を感じさせる。
 それでも込められた優しさだけは、けして変わることのないエリオ自身の言葉だった。
「エリオ君……どうして、ケガは、刺されたのに大丈夫なのっ!」
 だが、キャロが安堵できるわけがない。彼女も知っているのだ、エリオを襲った一撃があまりにも決定的なものであるということを。
 動いていいようなものではない。すぐにでも充分な医療施設において絶対安静にしていなければならないような傷であったことは確かだ。
 しかし、エリオは笑みを崩さぬまま、その掌に握られたものをキャロに見せる。
 そこにあったのは待機状態のデバイス。フェイトの愛機であるバルディッシュが握られていた。
「フェイトさん、が……助けて、くれた」
 エリオが刺し貫かれた瞬間、フェイトはそのデバイスをエリオへと投げ渡していた。
 魔力妨害されていたフェイトの居る部屋から出たことにより、バルディッシュは自律起動。出来る限りの治癒魔法を展開し、エリオの命を救っていた。
 もし、これがなければ今頃、エリオは絶命していたかもしれない。
 だが、それはあくまで応急処置にしか過ぎない。致命傷の一撃を回復させる力などどんなデバイスにも存在しないのだ。いまだにエリオの肉体が安静を必要とするものであることには変わりない。
 それは不安という形でキャロの表情に出ていたのだろう。
 しかし、エリオはそんな彼女を安心させるように、その髪を優しく撫でる。
「大丈、夫。約束、した……よね。だから、一緒に…………フェイトさん、を助けに、いこう」
 たどたどしく紡がれる言葉。それはかつてエリオとキャロが交わした約束だった。
 ずっと、共に歩んでいこうと。彼等はそう約束を交わした。
 それは破られることのない、確かな誓い。
 ならば、キャロが今すべきことは何か。
 そんな物は、始めから確定されている。
 ずっと、一緒にいようと、約束したのだから。
「だか、ら……い、くよ。キャロ」
 エリオが再び前へと、身構えるフェイスレスの方へと向き直る。その両の手に金色の輝きが煌いたかと思うと、それは二本の刃と化しエリオの掌に収まった。
 その背中を、見詰めながらキャロはもう迷わない。
 すべきことは、決まっているのだから。
 そして、戦闘が開始される。



 ●



 その両の手に光り輝く刃を持ってエリオは一瞬でフェイスレスとの距離を詰めた。
 速い。その動きは到底目で追えるような代物ではない。
 頭上から降りそそぐ二条の閃光。その一撃をフェイスレスが己のデバイスで受けることが出来たのは直感に身を任せた結果でしかない。
 身体が、勝手に動かなければフェイスレスは今の一撃で看過することの出来ないダメージを受けていただろう。
 それほどまでに、その一撃は神速の速さを持って行われた。
 まさに稲妻。それを視覚で追う事などできるはずがない。
 しかし、フェイスレスに神速に至る速さは持ちえないが、それを補うことの出来る技術を持っている。
 それは経験という名の、気の長くなるような時間をもって手に入れることの出来る確かな力だ。
 デバイスが、エリオの刃を受けたと感じると同時にフェイスレスは動いていた。
 峰を返すような仕草で、デバイスを回すフェイスレス。それによってエリオの打ち込んだ二刀は意図的にその方向を捻じ曲げられる。
 中空を突き刺すかのように、まったく見当違いの方向に向けられるエリオの斬撃。
 それは致命的なまでの隙を生む。そして意識的にエリオに隙を作り出したフェイスレスは、三百六十度ぐるりと一回転したかと思うと、そのままの勢いを持ってエリオの胴を両断するべく、デバイスを振り下ろす。
 だが、おかしなことが起こった。
 フェイスレスの刃は確かにエリオの胴を薙ぎ払ったというのに――まるで手応えを感じさせることなく、通過したかと思うと、そのまま床に深い爪痕をつける。
 幻影。フェイスレスが切り伏せたのは魔術によってではなく、単純な速さのみによって作られたエリオの虚影であった。
 すでに、その場にはエリオの姿はない。
 ならば、彼はどこにいるというのか――思考したときには、既に遅かった。
 エリオは、フェイスレスの頭上に居た。彼が気づいたその瞬間には彼は空中で光の刃を構えており、彼が反応する前にその刃は振り下ろされた。
 咄嗟に回避行動に入るフェイスレスだが、速さでエリオに敵うわけがない。
 結果、フェイスレスの左腕はその一撃により、あっさりと切り飛ばされることになる。
 だが、フェイスレスは痛みを感じさせない挙動で距離をとるべく大跳躍。彼我の距離を大きく引き離す。
 その間にも、恐るべきことに彼の左腕は信じがたい速さをもって再生を始めていた。
 いまからエリオが追撃を行ったところで、辿り着いた頃には再生は終了しているだろう、それほどまでに驚異的な再生速度である。
 そのまま間髪居れずにエリオが飛び掛ってくることはない。
 おそらく、先程の不意打ち気味の一撃で、フェイスレスはその警戒レベルを高めた筈だ。そこに無策のまま飛び込んだところで危険極まりないだろう。
 隙を窺うべく、エリオは二刀を持ったまま身構える。
 その間に、想像通りフェイスレスの左腕は完全に復元してしまっていた。
 先程まで左腕を失っていたとは思えぬ挙動で、フェイスレスもゆっくりと迎撃の構えをとる。その表情に相手が子供だと侮るような色は一切存在していなかった。
 今の一合で、フェイスレスはエリオの身に起こっている異変に気づいたのだ。
 それは、エリオが想像よりも速いということ……それは言葉どおりの単純な意味ではない。
 なぜならば、フェイスレスの想像できぬ程の速さというのは、人体が辿り付く事の出来ないスピードなのだから。
 フェイスレスは、速さというものを知っている。
 彼自身が至る事は出来ずとも、その限界は積み重ねてきた経験上、肌で感じることが出来る。
 フェイスレスと刃を交わした剣の騎士――シグナムは確かにフェイスレスを超える速さを持ちえていた。しかし、それもまた想像の範疇のスピードでしかない。
 なぜならばヒトという身体を持っている以上、どうしても越えられぬ壁が存在するのだ。
 それが速さの限界。それを超えることは人間には事実上不可能である。
 魔力によるブーストを得ることにより、その限界を一瞬だけ超えることは可能かもしれないが常に、その速さを得ることなど――――。
 そこまで思考して、フェイスレスは答えに辿りついた。
「貴様、始めから死ぬつもりか」
 もはや動くことすら叶わぬ身体。それに反するかのような限界を超えた機動。
 それを解き明かす答えをフェイスレスはようやく悟った。
 ブリッツアクション。
 各関節部に魔力を集中し、その効果によって各種動作を高速化させるという移動魔法の一種だ。
 高速機動を得意とする魔道師にとって比較的ベーシックな魔法である。
 エリオはそれを、更に一段階昇華させた魔法を使っているのだ。
 彼は身体全体を、雷撃へと変換した魔力を用いて強制的に稼動させているのだ。
 人は脳からの電気信号によってその五体を動かす。エリオはそれを魔力によって作られた雷を使って強制的に稼動させているのだ。
 それにより、エリオの身体は意識すると同時に神速の速さを持って反応するだろう。
 電圧によってはそれこそ、人間の限界を遥かに超える反射速度を有することが可能だろう。
 だが、それにより生じるデメリットは得られる速さという名の力と比例して、見過ごすことの出来ない代物になるだろう。
 やはり人間には限界があるのだ。それを超えてしまえば、後に待つのは破滅だけなのである。
 視覚できぬほどの速さ。それに人の体は耐えられやしない。
 それに加え、やはりエリオはもはや指先ひとつ動かすことの出来ぬ身体なのだろう。
 魔法によって強制的に動かすことによって、辛うじて立っているだけに過ぎない。
 魔法行使を止めれば、おそらく彼は身動き一つ取れなくなるだろう。今のエリオはもはや意志の力によってのみ、そこに立っているに過ぎない。
 ぎこちない笑みも、たどたどしい言葉も、馴れぬ力によって無理矢理に動かしているが故の事なのだろう。
 しかし、瀕死の重傷を負いながらそんなことを続ければ死が早まるだけである。おそらく数分もしないうちに彼は自滅することになるだろう。
 どちらにしても、エリオに待ち受けるのは死だけである。
「ちが……う」
 だが、エリオはフェイスレスの問い掛けに否定の言葉を返す。
「僕たちは、帰る、んだ。ストライカーズの、みんな、で、フェイト、さんと、キャロと、一緒に生きて、帰る」
 それは、フェイスレスではなく、まるで世界の全てに宣告するような呟きだった。
 その言葉に、フェイスレスの胸がざわつく。
 かつてアルバートと呼ばれた一人の男が願い、そして叶えられなかった思い――それと似たような妄言を恥ずかしげもなく口にするエリオの姿はフェイスレスに例え表しようのない不快感じみたものを呼び起こさせる。
 気づけば、フェイスレスは己のデバイスを掲げ、エリオに向かって疾駆していた。
 その圧倒的なまでの気迫を備えた踏み込みに、エリオは一瞬だけ気圧される。
 いくら絶対的な速さを手に入れたところで、反応することができなければ意味はない。
 ほんの僅かにだけ、エリオが体を硬直させてしまった隙に、フェイスレスは己の間合いへと踏み込んでいた。
「戯言を、ほざくなっ!」
 裂帛の気合をもって、フェイスレスの一閃が迸る。
 それに対し、エリオも神速の反応をもってして左の手に握る刃でその一撃を受けるが、その衝撃に光の刃は音を立ててガラス細工のように砕け散ってしまった。
 エリオの持つ二振りの刃は、ライオットをモデルとして組み上げたものだが、その威力、強度共にフェイトが使用するものと比べれば格段に劣ってしまう。
 それは絶対的に練度の足りないエリオにとって、仕方のない事実だった。
 だが、一瞬とはいえフェイスレスの一撃を防いだことにより、斬撃の軌道を逸らすことには成功する。
 しかし、その一撃が外れたと見るや、フェイスレスは流れるような動きで横薙ぎの一閃を放ってくる。
「理想や願望だけで、世界が変えられると本気で思っているのか!?」
 怒りを込めた一撃がエリオに襲い掛かる。
 それをエリオは残りの一刀でなんとか受け止めることに成功する。刃を一つ失ったことにより余剰魔力を残った一本に回したのだ。
 エリオたちはそのまま鍔迫り合いの状態となる。しかし、明らかなウエイト差がある以上、分があるのは当然フェイスレスの方だ。
 フェイスレスの気迫と共にじりじりと押し込まれる。
 だが、僅かにエリオの体が退いたところで、その動きが止まった。
 エリオの視線は、怯む事無く迫り来るフェイスレスをまっすぐに見据えていた。
「そん、なんじゃ……ない」
 小さく呟かれるエリオの言葉、それが契機となった。
 力任せにエリオはフェイスレスの一撃を跳ね除ける。突然湧き上がったその力に、たたらを踏むフェイスレス。
 それに合わせるようにして、エリオの攻勢が始まった。
「理想、なんかじゃ、ない」
 圧倒的なまでの速さを持つ一撃は、それに伴う破壊力を有する。
 フェイスレスは瞬時に、防御姿勢をとるものの、エリオの一撃はその上から彼の身体を吹き飛ばす。
「願いなんか、じゃないっ」
 追撃が走る。一瞬の間に三条の閃光が走る。物理的にありえない速度を持った三連撃を防ぐ手立てはなくフェイスレスの身体はその斬撃に切り裂かれる。
 しかし、その程度でフェイスレスを止めることはできない。
 自らが傷つくことを厭わずに、フェイスレスはエリオのほうへと踏み込み逆襲の一撃を放つ。
「ならば、なにをもってそのような妄言が吐ける!」
 それに対し、エリオも全力の一撃を持って迎え撃つ。


「約束……だっ!」


 それぞれの一閃が交差する。
 その一合により、エリオが持つ刃が砕け散る。やはり度重なる酷使に、耐えることは出来なかったのだろう。
 しかし、結果的に退いたのはフェイスレスだった。
 彼は最後の瞬間、攻撃ではなく回避を選んだのだ。
 単純な斬撃において、その身体が死を迎えることなどありはしない。だというのにフェイスレスはエリオの気迫に圧され、確かに退いた。
 もはや柄だけになった剣を手に、しかしエリオは僅かにも怯む事無く、宣言するように言葉を連ねる。
「約束した、一緒に、歩いて……いこうって、約束、したんだ……」
 それは、エリオ一人が夢見た理想ではない。
 それは、エリオだけが思う願望などではない。
 エリオとキャロ、二人が共に交わした約束なのだ。
 フェイスレスはそれに気づくことが出来なかった。
 だから、エリオの背後にいる、もう一人の戦う存在を今の今まで知覚することが出来なかった。
 そこにはキャロがいて、両手を包むグローブに嵌められた光球が今この瞬間も光り輝いている。
 ブーステッドスペル。
 今この瞬間もエリオはキャロの加護により、これ以上エリオの身体が傷つかないように身体保護の魔法を掛け続けていた。
 だからこそ、エリオは無謀とも言える強化魔法によって戦い続けることが出来たのだ。
 そして、それはキャロも同様。彼女もまた、エリオが瀕死の身体を圧して戦っていることを知っていた。
 かつてのキャロならば、そんなエリオの無茶を必死で圧し留めていただろう。
 だが、今は違う。
 なぜならば、彼女もまたエリオと約束したのだから。
 一緒に歩いていこうと、そう誓ったのだ。
 ならば、キャロのすべきことは唯一つ。エリオを信じ、彼がこれ以上傷つかないように――戦い続けるだけだ。
 かつても今も、一人で戦ってきたフェイスレスとは違う。
 彼等は二人の力を持って、そこにフェイスレス最大の敵として立ち塞がっていた。
「だから、僕たちは、あなたを倒して――生きて、帰るんだっ!」
「ならば――そのくだらない約束ごと、粉々に砕くだけだっ」
 だが、フェイスレスもまた引くわけにはいかない。
 彼にも譲れないものは存在する。たった一人になろうとも、成し遂げなければならない事がある。
 ゆえに、彼は顔の右半分を覆うバリアジャケットに指を掛けた。
 完全にその身体と融合しているそれを、力任せに引き剥がす。その下から現れるのはフェイスレスと融合したユニゾンデバイス、その管制人格の姿だ。
 背に翼を持つ人形のようなそれは泣いているような、慟哭の声を響かせていた。
 フェイスレスの姿が、フェイスとは違い人型を保っているのは、暴走するユニゾンデバイスを自分の意思でもって抑えているからに他ならない。
 その制御を、フェイスレスは自らの意志で放棄する。
 押し留めていたユニゾンデバイスの力をすべて解放し、意図的に暴走状態にしたのだ。
 その結果、リミッターの外れたユニゾンデバイスから供給される魔力は桁違いに跳ね上がる。
 だが、それは諸刃の剣に他ならない。
 そんな真似をすれば、フェイスレス自身の肉体、そして精神がどうなるのか――ただ無事には済まされないということだけは確かな事実だ。
 だが、フェイスレスにとってはそんなものはどうでもいい。
 彼はただ目的を達成することが出来れば、それで構わないのだ。
 その過程に自分の死が含まれたとしても、それは路傍の石よりもなお価値のない出来事にしか過ぎない。
 彼は、とっくの昔に生きることを諦めたのだから。
 そして、暴走が始まる。
 変化は一瞬、彼の細胞という細胞がユニゾンデバイスから噴出す魔力により、その情報ごと書き換えられていく。
 アポトーシスの制御が外れ、全身を悪性の腫瘍に侵されたかのように歪に肥大化していくその身体に、フェイスレスという存在が飲み込まれる。
 もはや、そこにいるのはフェイスレスと呼ばれた存在でも、かつてアルバートと呼ばれた人間でもない。
 そこにいたのは、どこまでも醜悪な、一匹の化け物が存在しているだけだった。
『じネッ……ナニもがも、シネばいいっ……』
 怨嗟に満ちたその声がどこから響くのかさえ、漠然としている。
 もはや人のシルエットさえ保たぬ化物は、痛みに暴れるかのように、四肢――そんなカテゴリーさえ意味をなさない触腕を振り回す。
 それだけで、床はひび割れ、部屋全体が鳴動と共に崩壊を始める。
 雨のように降りそそぐ瓦礫の山、このままここにいればそれに巻き込まれてしまうことは明白だ。
 しかし、エリオたちは一歩も退く事無く、化物と化したフェイスレスをしかと見据える。
「そんなこと、させは、しない……立ち塞がる、んだったら、あなたを倒して、僕は約束を、果たして、みせるっ!」
 エリオの右手に、刃のなくなった柄ではなく己のデバイス。ストラーダが握られる。
 その逆の手には鉄色のカートリッジ。見れば、キャロもまた同じ色のカートリッジを増設されたチャンバーに組み込んでいた。
 そして、エリオもまたストラーダにカートリッジを装填する。
「エクスフォーム、ドライブイグニッションッ!」


『Empfang.』



 ●



 光が弾けるように迸る。
 周囲の圧倒的なまでの魔力を吸収し、眩い光を放つ魔力の奔流がエリオとキャロの元に収束していく。
 それはもはや質量を持った疾風と化し、周囲を席巻する。
 その中心で、二人の魔術師はその出で立ちを変えていた。
 後方に待機するキャロ。そのバリアジャケットの形状は通常のものとの差異は殆ど見られないが、その背には八神はやてが持つものと似た魔力収束用の六枚翼が展開していた。
 光り輝く翼はキャロの魔力光と同じ淡い桃色に神々しく光り輝いている。
 付けられたその名はカドゥケウス・フォーム。
 一切の攻撃能力を持たないという、極端に過ぎる設計理念によって作られたカドゥケウス。
 それが可能とする魔法は唯一つ、対象となる存在の全能力向上――フルブースト、それがカドゥケウス・フォームの持つ能力。
 蓄えられた全魔力を、すべてブースト効果に変換するその魔法は、対象を何倍にも強くする。
 ただ守りたいと願うキャロの思いを形にするために存在する力が、そこにはあった。
 その庇護の下、エリオもまた新たな力と共に大地を踏みしめた。
 その姿は純白のロングコートに覆われており、長大な槍の群れが彼の背後に付き従うように整然と並び立てられていた。
 それらの数は瞬時に数えられる物ではない。凄まじい数の槍が、幾重にも連なる横列を作り、宙に浮いていた。
 ファランクスフォルム。フェイトの得意魔法をモデルとして組み上げられたと思われるその姿は、まさしく言葉通り密集陣形をとる軍団のように、槍の穂先を天に向け主であるエリオを先頭に隊列を形作っていた。
 そのプログラムを組んだのがスカリエッティであるのは、なにかの皮肉だったのだろうか。
 だが、事実はどうあれ、それは確かにエリオの力となって今この場に姿を現した。
 エリオは、自らも槍を持ち、その穂先を人の形を捨てたフェイスレスへと差し向ける。
「いくよ、ストラーダ」
『bereit!(構えっ!)』
 エリオが手に持つストラーダの号令が響き、背後の槍群は一糸乱れぬ動きで一斉に槍の穂先を敵へと差し向ける。
 そして、激突が再開される。
 エリオを先頭とし、配下の槍群がそれに付き従うように飛翔を開始する。
『うるおああああああああああっっ!』
 迎え撃つは、猛獣のような唸り声を響かせるフェイスレス。彼は右腕――だったと思われるもの。その見た目は丸太のように太く、そしてひたすらに長い。それを鞭のようにしならせたかと思うと、横薙ぎの一閃が放たれる。
 それは暴力――いいや、もはや一つの災害と呼べるほどの破壊力を伴ってエリオたちに襲い掛かる。
 ただの一薙ぎで先陣を駆ける数十もの槍の群れが、あっさりと粉砕される。
 その間にも突撃は続き、粉砕された数を上回る槍が、フェイスレスの身体に突き刺さるがその動きに遅滞は見られない。
 まるで効いていないと判断するのが妥当である。
 だが、そんな物は解りきった事実でしかない。先の一撃を上空へと跳ぶ事によって回避したエリオは空中で体制を整えながら敵を見据える。
『dringen Sie.(刺し貫け)』
 エリオの意思を瞬時に読み取り、その手に持つストラーダから再度号令が飛ぶ。
 それを忠実に実行するべく、展開する槍群は言葉どおり槍の雨と化し、眼下にいる敵に向かって降り注ぐ。
 回避などできる量ではない。それらは津波のようにフェイスレスに突き刺さる。
 だが、それだけだ。その穂先がいくら深く突き刺さろうとも、やはり今のフェイスレスにはかすり傷程度のダメージしか与えることが出来ない。いや、ダメージを受けているのかさえ定かではない。
 再度、フェイスレスの巨大な腕が振るわれる。振るわれたその一撃はドームの天井を貫き、崩壊を更に早めていく。
 大雑把なその一撃をエリオが避けることは容易いが、このままではよくて生き埋め。仮にエリオがそこから抜け出せたとしても、未だに魔法が使えぬまま監禁されているフェイトが崩落に巻き込まれれば、ひとたまりもないだろう。
 フェイトを助け出し、この場から生きて帰るには、まずフェイスレスを打倒しなければならない。
 だが、こちらの攻撃では暴走したフェイスレスに有効なダメージを与えることが出来ない。
 それに加え、エクスカートリッジを使用したことにより新たな制限時間が発生してしまっている。
 既にエリオたちに残された時間は三分程度。それを過ぎれば暴走魔力により、そのデバイス及びリンカーコアに重大な障害が発生してしまう。
 そうなれば、もはや戦うことは不可能。そうなる前に、エリオたちはこの化物との決着をつけなければならないのだ。
 だが、エリオの瞳に不安に慄くような色は一切ない。
 ただ、見据えた目的の為に。交わされた約束を果たす為に、その瞳は意志の力で輝いている。
 しかし、その間にもフェイスレスの再生――いや、進化は留まる事無く進んでいる。
 秒を追う事に、突き刺さった槍までをも飲み込み、細胞を分裂させ肥大化してゆくフェイスレスの肉体。その大きさは単純な全長だけをみるならば既にヴォルテールと同等クラスにまで巨大化を果たしていた。
 このままでは、エリオたちが存在するフロアをすべて埋め尽くすのは時間の問題だ。
 どこまでも時間という不可逆の存在はエリオたちに牙を向く。
 それに対して、エリオたちが出来るのはどこまでも無駄な抵抗でしかないのかもしれない。
『Gebuhr!(突撃!)』
 地面に着地すると同時に、ストラーダが振るわれ、その指示の元。槍の群れは三度フェイスレスの巨体に向かって押し迫る。
 けれど、対多数広範囲攻撃として調整されているファランクスフォルムは、どうしてもその一撃一撃が軽いものとなる。
 今のフェイスレスのような存在を倒す為には、収束魔力砲のような敵を一撃で灰燼に帰すことのできる強大な一撃が必要なのだ。
 エリオの一撃が幾千と迫ろうと、もはやフェイスレスにとってそれらは何の脅威でもない。
 自らに迫る槍を気にする事無く、フェイスレスは再度、その巨大な腕をエリオに向けて振るう。
 それを避けることはエリオにとって難しいことではない。
 だが、その時。肥大化したことによりフェイスレスのリーチは先程よりも遥かに伸びていた。
 そして、エリオの背後には今もエリオに対して庇護の魔法を掛け続けるキャロの姿が。フェイスレスの一撃は彼女もまたその攻撃範囲に加えていた。
 このままエリオが避ければ、その一撃は確かにキャロを襲うだろう。
 カドゥケウスフォームによるフルブーストは、その全魔力を対象となるものに対して使われるため、防御魔法を展開することは出来ない。
 どこまでも極端すぎるその設計仕様に歯噛みしながら、エリオはキャロを守るべく、その傍らへと瞬時に移動。同時にストラーダを構える。
『Ansammlung(集え)』
 主を守ろうと槍群がその前面へと集い、巨大な槍の壁を形成する。
 しかし、圧倒的なまでの威力を持つ破壊槌の前で、それはあまりにも脆弱な壁でしかなかった。
 一閃。ただそれだけでエリオの築いた城壁はあっさりと粉砕される。
 エリオに出来たのは背後にいるキャロを庇うように抱きしめ、その破壊の一撃に対して背を向けることだけだった。
 そして激突――エリオの身体はキャロを抱きしめたまま驚くほど遠くへと吹き飛ばされ、ドームの外壁に激突する。
 幸いだったのは、槍群の防御により幾らかその衝撃を緩和できたこと、そしてキャロを守れたことだった。
「エリオ君っ!?」
 エリオの胸の中でキャロが悲鳴にも似た声をあげる。いくらかかすり傷程度は見られるが、目立った傷はない。
 それを確認すると、エリオはキャロを離し、再び立ち上がる。
「……大丈夫、あと一撃くらいは、なんとかなるよ」
 実際は、今の一撃により骨が幾らか折れてはいたが、エリオはキャロを安心させるように呟く。
 それはある意味真実であり、そしてとうに限界を超えているエリオの虚勢でもあった。
 始めから、エリオは戦えるような身体ではないのだ。それをいま、意志の力によって無理矢理動かしているに過ぎない。
 その上で、今また重症としか呼べないようなダメージを負った。いくら魔法による強化を行っているとしても、それを司る意識を何時失っておかしくない状況だ。
 だからこその一撃。あと一撃放てば、その結果がどうなろうともエリオはそこで戦うことの出来ない身体になるだろう。
 もはや時間もない。ならば、その一撃に全てを賭ける。
 その決意の元、エリオは再びストラーダを構えた。
 そんなエリオを引き止める言葉をキャロは知らない。
 なんとかなると、彼は言ったのだ。
 生きて、一緒に帰ろうと、彼は約束してくれたのだ。
 ならば、キャロのすべきことは彼の言葉を否定することではない。
「うん、きっとなんとかなるよ」
 エリオを信じ、自分に出来る事をするだけだ。
 エリオの身体が桃色に輝く魔力光に包まれる、そしてその光は流れるようにエリオが手にするストラーダのその先端にすべての魔力を収束させる。
 ストラーダの先端に巨大な刃が形成される。キャロの魔力はいま、全てを貫く力となってそこに顕現する。
 ならば、エリオに出来ることはただ一つ。
「疾風――――迅雷!」
 前へと、駆ける。
 誰よりも速く、何よりも強く、ただ前へと駆け抜ける。
 それを迎撃すべく、フェイスレスの触腕が押し迫る。もはや腕という区分は関係ないのか、その数は三つ。それらがエリオを押し潰そうと迫り来る。
 だが、エリオがそれに怯むことはない。回避も何もない、彼はただ真っ直ぐに駆け抜けていく。
 エリオの道を塞ぐものなど存在しない。その直線上にあろうとも関係ない。
 全てを貫く一陣の風と化したエリオを止められるものなど存在しない。
 正面から押し迫る巨大な触腕は、その刃に触れると同時に二つに裂かれる。エリオとキャロ、二人の力が重なった一撃をその程度で止められるわけがないのだ。
 エリオが飛翔する。狙うのは管制人格が存在するフェイスレスの頭部。
 風を切り裂きながら跳ぶエリオは、正確にその管制人格を刺し貫く。
『らぁああああああっっ!』
 ユニゾンデバイスが叫びをあげる。だが、それだけだ。
 切り裂かれたはずのその身体は、ストラーダに貫かれたまま再生を開始する。その復元速度は凄まじく、ストラーダどころかエリオ自身をも飲み込もうと膨れ上がる。
 やはり、単純な一撃で、この化物を打倒することなどできはしないのだ。
 だから、エリオはフェイスレスの身体にストラーダを突き刺したまま――――叫ぶ。
「サンダーレイジ・ファランクスブラスターッッ!」
 その声に呼応するかのようにストラーダの、フェイスレスの身体に突き刺さったままのすべての槍群の形状が変化する。
 金色の刃のようなアンテナを各稼動部から突き出し、それはある種の避雷針と化す。
 エリオがフェイスレスに対し、効かぬ筈の攻撃を繰り返したのは、この一撃の為であった。
 そして、雷が走る。
 エリオの残りの魔力をすべて雷撃へと変換した一撃は、フェイスレスの身体に存在するすべての槍を媒体として、その全身を駆け巡る。
 爆雷と表現すべき、金色の奔流が迸る。それはフェイスレスの肉体のありとあらゆる箇所を駆け巡る。
 いくら不死の身体を持とうとも、それを動かしているのはあくまで電気信号。
 ならば、それらが通る神経をすべて焼ききれば、いくらフェイスレスといえども行動不能に陥らざるをえない。
 肉の焼ける音と共にフェイスレスの身体からは黒煙が立ち上り、その巨体がぐらりと揺れる。
 その感激を突くように、ストラーダはカートリッジロード。硝煙をたなびかせ、あらかじめ装填されていたいたカートリッジを開放する。
 巨大な魔法陣が浮かび上がり、その中心に存在する管制人格を包み込む。
『ああああああああああああああっっ』
 泣き叫ぶかのような、そんな声が響いた。
 だが、それも収束していく魔法陣に包まれ、やがて消えていく。
 そうして、フェイスレスだったものの肉体は巨大な音を立てて倒れ付した。
 その上で、エリオはストラーダを付きたてたまま、それに縋るように身体を支え、けれど、力強く告げる。


「僕たちの、勝ちだ……」



>TO BE CONTINUED


目次へ

前話へ

あとがきへ

次話へ

↓感想等があればぜひこちらへ




inserted by FC2 system