魔法少女リリカルなのは 星を砕く者 第20話 星が消える時



 夢を見ていた。
 それは最初で最後の、幸せと呼べたそんな時間の再現。
 未だに名の無かった一人の少女が見た夢物語であった。
 当時の彼女自身は、既にガーデンの地下深く、その培養シリンダーの中に存在し、生まれてからただの一度も――今現在に至るまで、そこから一歩も動くことは無かった。
 しかし、星との接続に成功した存在である少女は、この星のなかであるのならば、どこにでも存在することができた。
 星で起こる出来事をすべて知覚し、そして端末を作ることで擬似的な接触すらも可能であった。
 そんな少女が始めて出逢ったのは、実験体である子供達であった。
 年齢という概念は少女に存在しなかったが、その背格好が似通っていること、そしてなによりも自分の身体を調べることにしか興味を持たない研究者達ではないことに惹かれ、こちらから接触を行った。
 そうして、少女と子供達はお互いをトモダチと呼ぶ間柄になった。
 だが、その関係も長くは続かなかった。
 一人の見知らぬ男がこの地に訪れたことによって、すべてはゆっくりと崩壊へと傾き始めた。
 その際に起こった事件を機に、子供達に対してユニゾンデバイスとの融合実験が行われ始めたのだ。
 その結果は――全滅。
 子供達は全て自我を失い、暴走したユニゾンデバイスに操られるただの人形と成り果てた。
 だが、少女はそれら一連の出来事に対して何の感情も浮かべることは無かった。
 彼等と共に居た時間に、喜びや楽しみは存在しなかった。
 彼等が消えてなくなったその事実を知っても、怒りも、悲しみも湧いてこなかった。
 そういう存在として、少女は造られていた。
 だから、幸せを得ることも無く、絶望を得ることも無く、少女はただそこに居ると言うだけの存在でしかなかった。
 そんな彼女がミラ・リンドブルムの存在に興味を持ったのは、やはりただの偶然というほかない。
 切欠は、子供達とユニゾンデバイスの融合の引き金となった当時のこと。
 完全に隔離され、星との接続を絶ったミラの存在する部屋は、少女にとって唯一知覚することの出来ない空間だった。
 そこに何が存在するのか、殊更に知りたいと思うことは無かったが、その時の騒ぎによって少女はミラの存在を知ったのだった。
 それは自分と似た存在だった。
 子供達のように、背格好が似通っているというわけではない。
 それはもっと根本的な部分、それが似ていると少女はそう感じたのだ。
 自分と彼女の関係を調べることは容易かった。この星で行われていることで少女が知りえないことは無かった。
 その結果、自分がミラという女性を元にして造られた人造魔道師であることがわかった。
 そこにはやはり、特別な感情は生まれることは無かったが、そうやって少女とミラとの出逢いの基盤は生まれたことになる。
 そうして、暫くして出逢いは訪れた。
 いくら人がジャミングを施しても、ミラの前ではさほど意味の無いことだ。その能力をフルに活用すればやはりこの星の上で彼女が存在できない場所はない。
 少女が、その部屋を訪れた時。ミラは眠るように保護液の詰まったシリンダーの中に浮いていた。
 その境遇もまた、自分に似ている。そんなことを思いながら少女はミラに話しかけた。
「悲しいの?」
 第一声が、そんな言葉だったのは、瞼を閉じる彼女の表情が、どこか泣いているように見えたからだ。
 感情のない少女には、そういった感情というものが理解できない。
 だからこそ、そこに興味を持って尋ねたのだ。
 その言葉に、ミラはゆっくりと重く閉じたままの瞼を開く。そこから覗く瞳は光のない、くすんだ色合いをしている。
 その口が、僅かに動いたが声は聞こえない。シリンダーの中にいるからという訳ではないのだろう、すでに彼女には声帯と呼ばれるものすら存在しない身体だというだけの話だ。
 けれど、口の動きから何を伝えたいのか知ることは容易い。視力ももはや失われているのだろう、どこか宙を見つめるように、ミラはこう言った。
『研究者の人じゃないわね……けど、ファルゴたちでもない……あなたは誰?』
 ファルゴというのは、実験体の子供たちのうちの一人の名前だ。まだ彼等が生きていたころ、ミラという名前だけはすでに子供たちから聞き及んでいた。
 それもまた、こうして少女がミラに会いに来た理由のひとつでもある。
 しかし、そんなミラの問いかけに少女は返すべき答えを持たなかった。
 当時の彼女には、まだ自分を表すべき名称は存在していなかった。辛うじて生体ナンバーが存在するだけだが、それが明確な答えでないことを少女は知っている。
 だから、少女は答えなかった。答えることができなかった。
 唐突に現れ、無言を貫く少女をミラはどう思ったのだろうか。再びゆっくりと口を動かして話題を変えてくる。
『あなたは……ファルゴの、あの子達のお友達かしら?』
 それならば、答えることはできた、ほんの短い間ではあったが彼等は確かに自分の事をそう呼んでくれたことがある。
 その意味を、最後まで理解することはできなかったが。
「うん、トモダチだよ」
『そう……あの子達は元気にしているかしら?』
「ううん、もう別のモノになった。あの子達はもういない」
 返事は、どこまでも端的に、ただひとつの情報として紡がれた。
 そこに感情は一切込められていない。それがこの時の少女の、ありのままだった。
 けれど、少女の言葉を聞き届けたミラの表情は誰が見ても、悲観にくれるかのように曇ってしまう。
 自分の、どの言葉がミラにそのような感情を芽生えさせたのかが、少女にはわからない。
『やっぱり、そうなのね…………せめて、あの子達だけでも幸せになってくれたらよかったのだけれど……』
 予測できていたことだが、改めて事実を知らされたことが原因なのだろうか、悲観にくれるような表情を浮かべるミラに少女は、静かに尋ねる。
「彼等が、いなくなったことが悲しいの?」
『悲しい……ああ、そうなのかもね。人間じゃなくなって随分と経つから、忘れかけていたのかもしれないけど――やっぱり、それは悲しいことなのよね』
「トモダチがいなくなると、悲しい?」
 感情のない少女にできるのは、それらを関連付けることだけだ。
 失うことは、悲しいことだと――少女は至極単純にそう問いと回答を結びつけることしかできない。
『もしかして、あなたは……そういうものが、解らないの?』
 そんな少女の不自然さに、ミラも気づいたのだろう。実際にミラは音としてその言葉を発しているわけではない。
 ゆえに、そこから感情を読み取ることはできないが、それを紡ぐ唇が僅かに震えたことは、少女にも知覚することができた。
 それも、感情が生み出すものなのだろうか。そんな風に思いながら、少女は淡々と答える。
「うん、私に感情と呼ばれるものは存在しない。だから、それを知りたいと思っている――無駄なことなのかもしれないけど」
 それを自覚しながら、少女は感情と呼ばれるものを求めていた。
 何故、少女がそのようなことを考え出したのか、理解できるものはいない。
 ただ、少女はこの星の上で行われてきたすべての出来事を見ているうちに、そう思うようになった。
 笑う人。喜ぶ人。怒る人、悲しむ人。
 そんな様々な感情という名の仮面を付け替える人々を見るうちに、自然と自分もできるのだろうか、と思っただけだ。
 その結果が無為なものになろうとも、その時はただ感情を知らぬままの自分がいるだけだ。如何な結末だろうとも、後悔することはない。
『あなた、名前がないのね』
 ただ、まっすぐにシリンダーへと視線を向ける少女に、ミラは唐突にそんな言葉を告げた。
 おそらく、最初に行われた質問の答えが無言だったことから、推測したのだろう。
 それに対する答えを持つ少女は、こんどはすぐに返答した。
「うん、私に名前と定義されるものは存在しない。名前の有無は感情を知るのに必要なの?」
 少女が知りたいのはそれだけだ。名前が欲しいと思ったことは一度も無かった。
 だが、ミラはそんな少女の態度に、唇を笑みの形に変える。
『違うわ、アナタとかじゃこれからしばらく話していくのに味気なさ過ぎるもの』
 ミラの言動は、少女にとって不可解極まりないものであった。
 対象が一人しかいないのであれば、相手を区分するための名称など不要なものでしかないと、少女は考える。
 それでも、ミラは嬉しそうに。
『ソラ、っていうのはどうかしら? 私の名前から少し取ったものなのだけど』
 自分を区別するための名が付けられたことに、少女はやはり何の感慨も抱くことは無かった。
 ただ、結果的に感情というものを知ることができるのならば、名前があろうが無かろうか、どうでもいいことにしか過ぎない。
 いや、少女にとって、何もかもがどうでもいいことだった。
 感情を知りたいというのは少女の気まぐれにしか過ぎない。それが叶えられなかったところで、それを悲しむ気持ちなど、少女には無いのだから。
「うん、別にかまわない」
『そう、じゃあソラ。たくさんお話をしましょう……そうすれば、いつの日かきっと――』



 ●



 大事なことを、知ることができるから。
 ゆっくりと瞼を開けて、夢から覚めたソラはミラがそんな言葉を言っていたことを思い出していた。
 だが、結果的にソラが感情を知ることは無かった。
 あれから、ソラは幾度かミラと会話する機会に恵まれたが、結局最後まで感情というものを知ることはできなかった。
 彼女が理解できたのは、人に優しくされれば嬉しい。大事な人が死ねば悲しい。
 そんな数学の公式じみた原因と結果の関連性でしかなかった。
 知識として、それをいくら知ったところで感情と呼べるわけが無い。
 その証拠に、ソラはミラの死を看取ったとき、悲しみに表情を歪めることは無かった。
 ソラは、ただいつもと変わらぬ無表情のままで、朽ち果てていく彼女の姿を見つめていただけだった。
 結局、ソラは彼女の言う大事なことを何一つ理解することなく、ミラと別れることになった。
 ただ、彼女は最後にソラに向かってこう言った。
『悲しみを、これ以上増やさないで』
 それが彼女の遺言だった。
 ミラのその言葉もまた、ソラを揺り動かすものにはなりえなかった。
 だから、そんな彼女の願いを聞き届けようと思ったのも、感情を知りたいと思ったのと同じ動機でしかない。
 ただの、気まぐれだ。
 ゆえに、彼女は自分を大量殺戮兵器――いや、世界そのものを滅ぼす星を砕く者としてフェイスレスが利用しようと知った時――自分自身の死を願うことにした。
 自己の消滅に対し、恐ろしいと思う感情の無いソラにとって、それが悲しみを増やさぬための最善の方法だった。
 だが、その身体をガーデンの地下深くにあるシリンダーに保護されているソラに自分自身を殺す術はなかった。
 いくら、この星のどこにでも存在できるとはいえ、それはあくまで幻影のような存在でしかない。何かを破壊したり、傷つけるような力は無いのだ。
 けれどソラ以外のこの星にいる存在――フェイスレスと、彼の意のままに操られるだけのフェイス達に頼むことはできない。
 だからこそ、彼女は自分を殺すことのできる可能性を持つスバルたちに、その望みを託そうとした。
 それは結果的に失敗に終わったが、ティアナの言葉を信じるならば、自分が星を砕く者として稼動する前に時空管理局による消滅作戦が決行されるはずだ。
 ならば、それでミラの最後の望みは果たされることになる。
 約束を交わしたつもりは無かったが、それは確かに悲しみを増やさぬ結果になるだろう。
 ならば、ソラにとってそれは最善の結末となるだろう。
 ただひとつ気がかりなのは――――最後に言葉を交わした青い髪の少女のこと。
 彼女は言った、ソラが死ぬと悲しい、と。
 それは、ミラが望んだものとは違う結果を生むことになる。
 だが、論理的に考えて、ほんの僅かに語ったというだけの存在に対して、悲しみを覚えることは無いはずだ。
 あの少女にとって、ソラはけして大事な人などではないのだから。
 だから、それは杞憂にしか過ぎないのだろう。そう思いながらもソラの胸の中には抜けることの無い小さな針が突き刺さったような、違和感が付き纏っていた。
 だが、どちらにしろ全ては時間が解決してくれる。
 あと少しで、感情だけではない、考えることすらもすべて彼岸の彼方へと消え去るはずだ。
 だから、ソラはもう何も考えることなく、再び瞼を閉じて二度と覚めることの無い眠りにつこうとした。
 その時だった。盛大な破壊音と共にソラのいるこの部屋を守る分厚い扉が吹き飛んだのは。
 何が起こったのかを、ソラが理解することはできない。
 ただ、彼女が見つめる先、それはゆっくりと、ゆっくりとソラの前に姿を現した。
 それこそが、絶望という名の最後の怪物だった。



 ●



「ティアー、無事だったんだ、よかったよー」
 そう言いながら、こちらへと走ってくるスバルの姿が、ティアナの視線の先にあった。
 無駄に嬉しそうな笑顔を浮かべたまま、スバルはこちらへブンブンと手を振ってくる。
 そのまま彼女は両手を広げてティアナを抱きしめようと、こちらへ向かって突進してくる。
 その動きに対して、ティアナは手を振り上げ――そのまま降ろす。
 すると、それは見事な勢いをもってスバルの頭頂を叩き倒す結果となる。
「ひでぶっ! なっ、いきなり何するのさ、ティア!」
 完全に油断しきっていた為、前のめりに躓きそうになったスバルは、なんとかその場に踏みとどまると叩かれた頭を擦りながら、涙目で抗議するように呟く。
 それに対し、ティアナはというと、
「……ん。あ、ゴメン。なんかアンタのアホ面みてたらつい」
 反射的な行動だったのだろう。意外にも素直に謝るティアナだったが、やられた方は溜まったものではない。
「なんなのそれはー! 折角の感動の再会だっていうのにー」
「はいはい、悪かったってば。でも、まだ何も終わってないんだから、気を抜くんじゃないわよ」
 何故か逆に怒られてしまうスバル。
 流石に憮然とした表情を浮かべるが、確かに今のところ状況は何も動いてないに等しい。
 フェイトの救出に加え、未だに彼等はアースラとの連絡もとれていないのだ。
 既にタイムリミットは予断を許さない状況にまで差し迫っている。
 できることならば、今すぐこの星から撤退したいというのが、ティアナの思惑であった。
「とりあえず、フェイトさんの捕まってる場所は目星が着いたからそこに行くわよ。キャロもそっちに行ってるから、まずは合流を――」
 スバルに背を向けて、すぐに次の行動に移ろうとするティアナ。
 だが、そんなティアナの背に向けて、スバルはどこまでも真剣な口調で呟いた。
「ごめんティアナ……私はまだ、他にやらなきゃいけないことがあるんだ」
 なにかを決意しているかのような、そんな意思の篭った言葉。
 ティアナはスバルのその言葉を、ある意味予測することが出来ていた。
 星を砕く者。その端末が述べたとおりならば、スバルもまたあの少女と邂逅し、そしてその存在理由を聞いている筈だ。
 そして、それを知ってしまったスバルが、あの少女を見捨てることなどできない事も、ティアナはよく解る。
 誰よりも長く、相棒として組んできたのだ。
 そんなスバルの考えを、ティアナが読めないはずがない。
 だから、ティアナは出来るだけ意識がそちらに向かないように、あえてスバルとの会話を流していた。
 しかし、それもどうやら無駄だったようである。
 小さく溜息を付きながら、ティアナは振り返り、スバルを正面から真っ直ぐ見据える。
「あの子の話を聞いたのね?」
 ティアナのそんな言葉に、スバルは僅かに驚きの表情を浮かべる。スバルはティアナと星を砕く者が接触していたことは知らなかったのだろう。
 だが、すぐにスバルは表情を引き締めると、揺るぎない調子でティアナの言葉に答えた。
「うん……だから、私はあの子を、ソラを助けてあげたい」
 ティアナにソラという名は聞き覚えがなかったが、文脈からあの少女の名前であることは容易に察することが出来た。
 ただ思うのは、自分が想像したとおりの最悪の状況に、いま自分がいるということだ。
「アンタ、本気で言ってんの?」
 それでも、今のティアナにはやり遂げなければならない事がある。
 だから、怒りを込めた口調でティアナは低く呟いた。
「私たちは、いまギリギリの状況に追い詰められている。ひとつ下手を打てば、それだけで全滅しかねない状況になっているのよ。なのに、アンタは自己満足の為に、勝手に動くつもりなの?」
「ティア……でも……」
 ティアナの沸々と湧きあがってくる確かな憤怒の感情に、スバルはただ悲しそうに表情を歪める。
 そんなスバルに対し、ティアナがとった行動はどこまでも解りやすいものだった。
 彼女は、手に持つクロスミラージュの銃口をスバルへと向けたのだ。
「スバル・ナカジマ一等陸士。仮初とはいえ私には貴方に命令をする権限があります。私の指揮の元、作戦行動を続けなさい。もし、それでも勝手な行動をとるというのならば、いまここで貴方を抗命罪を犯したものとみなし、処罰します」
 その瞳にも揺らぎは一切存在しない。スバルが命令を無視するというのならば躊躇いなく撃つという意思がそこに明確な形となって存在している。
 それが、ティアナの選んだ道だった。
 彼女は、何よりも隊員たちの命を優先しなければならない。フェイトを助け出し、無事に帰還しなければならない責務が彼女にはあるのだ。
 それを成し遂げる為には、個人的な感情だけで動く者などいてはいけない。いや、存在すれば、それは明確な障害となってティアナの目的に牙を向く結果になりかねない。
 ならば、そんな物は要らない。いや、いてはいけないのだ。
 だから、ティアナはそれが長い年月を共に過ごしてきた親友だとしても撃つ。
 その結果、例え非道と呼ばれようと構わない。
 今の自分には、それでも成し遂げなければならない事柄があるのだから。
「答えなさいっ、スバルッ!」
 トリガーに、指がかかる。いつでもその引き金が引けるようにと。
 ティアナが、本気であることはスバルも理解していた。
 それがわかる程度には、彼女達は共に過ごしてきたのだ。
 それがティアナの歩むべき道であることも、スバルは他の誰よりも強く理解していた。
 それでも、
「ごめん……ティア」
 スバルが紡いだのは否定の言葉だった。
 ティアナが信じる道があるように、スバルにもけして譲れない道が存在するのだ。
「私は……私はソラを置いていく事なんて出来ない。それだけは、できないんだよ」
 銃声が鳴り響く。
 純度の高められた魔力弾は、非殺傷設定のものではない。
 けれど、銃弾はスバルのこめかみの横を通り過ぎ、幾本かの髪をもっていくに留める。
 だが、それはティアナが妥協したわけではない。
 その証拠に彼女は更に一歩踏み出すと、次は外さないというかのように、その銃口をスバルの額に突きつけた。
「命令を……聞きなさい」
 ただ、静かに告げられるティアナの言葉。
 だが、そんな脅しが無駄であることは、誰よりもティアナが一番よく知っていたのかもしれない。
「あの子は、自分を殺して欲しいって言ってた……でも、そんなの違う。あの子は泣いていた、助けて欲しいって必死に訴えかけているようにしか私には見えなかった」
 スバルには、ソラが泣いている子供にしか見えなかった。
 それはもしかしたら、スバルがただそう感じただけしかない幻想なのかもしれない。
 しかし、スバルは確かに、ソラという少女がそう見えたのだ。
「それを見なかったことになんて出来ない。それは、あの時の私を見捨てることになるんだ……そんな悲しみを止める為に、私はここに居るのに、それを放っておくことなんて、私には出来ないっ」
 幼かったあの日。
 なにもできない、ただの子供だったあの時、スバルは一人の魔導士に助けられた。
 だからこそ、スバルは今ここに居る。
 強くなりたいと。泣いている人を助けてあげたいと、それだけを思って、彼女はここまで辿り着いたのだ。
 なのに、その誓いを果たせぬまま生還できたところで、スバルは大切なものを失ってしまったことになる。
 それはソラという少女だけではない、スバル自身の大切なものすら、失うことになるのだ。
 そんな結果を、そんな結末をスバルは認めるわけにはいかない。
 だが、それが自分の個人的な我侭であることをスバルは自覚している。
 だから、逃げることも、突きつけられた銃を払うこともしない。
 その結果、親友に撃たれることになろうとも、それはスバルが貫こうと決めた道の最後であるというだけだ。
 いいや、そんなものはただの戯言なのかもしれない。
 スバルは、ただ自分の親友に認めてもらいたかっただけなのかもしれない。
 そうしなければ、胸を張って進むことは出来ないと、そう感じたから。
「だから、私はソラを助けにいくよ、ティア」
 最後に、スバルはそれだけを呟いた。その瞼を閉じることはない、ただ真っ直ぐにティアナを見据える。
 その視線の先、ティアナはどこまでも冷徹な無表情で、その瞳にスバルの姿を映しているだけだった。
「そう……それじゃあ、ここでお別れね」
 彼女は静かに別れの言葉を呟く。そしてトリガーはあっさりと引かれ――カチン、と撃鉄の落ちる乾いた音だけが僅かに響いた。
「…………え?」
 魔力は一切込められていなかった。クロスミラージュはただその動作を確かめるかのように、撃鉄を動かしただけだった。
 だが、スバルは何が起こったのかまったく理解できておらず。どこか呆けたような表情を浮かべるだけだ。
 そうこうしているうちに、ティアナはクロスミラージュを降ろすと、手馴れた動きでホルスターへと収納する。
「え? あれ? ティアナ……ど、どうしたの?」
 ティアナの真意が解らず、慌てふためくスバル。
 そんなスバルに対し、ティアナは一度大きく溜息を付いたかと思うと、
「ふんっ」
 精一杯の力でもって、スバルの頭を拳骨で上から殴る。どこまでも鈍い衝撃音が響き、スバルは涙目になりながらふらふらと後退する。
 そんなスバルに、ティアナは真っ赤になった手のひらをブラブラとさせながら、どこまでも詰まらなさそうに呟いた。
「まず、正規の命令でもないし、今回の任務に管理局は一切関与してないんだから、命令する権利だの抗命罪だの適用されるわけないでしょうが」
 嘯くように、そんな言葉を連ねるティアナ。
 だが、例え建前のみであってもチームである以上、リーダーの命令に逆らうことは是ではない。
 一つ間違えれば、チームのメンバー全てが命の危機に晒されるという事実が変わることはない。
 ゆえに、クロスミラージュを突きつけた時、ティアナは本当に、スバルを撃つことをひとつの結果として受け入れていた。
 それでも、ティアナは親友を撃つことが、その夢を諦めさせることが出来なかった――ただ、それだけの話なのである。
 指揮官としては、失格もいいところだと自分でもティアナは思わざるをえない。
 けれど、不思議と後悔はしていなかった。
 例え、結果的に任務が失敗に終わり、この星でその人生を終えることになったとしても、満足がいく程度には。
 キャロも、エリオもそれには賛同してくれるだろう。
 だから、ティアナはスバルを見送ることにした。
「それと、ここでいったん別れることになるけど、絶対にきちんとその子を助けて。帰ってくること……手ぶらで帰ってきたら、本当に撃ち殺すわよ」
 そう言って、スバルの胸に軽く拳を当てるティアナ。
 そんなティアナをスバルは、ただ呆然と見詰めるだけだったが――すぐに、表情を引き締めると突き出されたティアナの拳を優しく握り締める。
「うん、絶対に……約束、するよ」
 そうして、決意は揺るぎないものとなる。
 だが、その瞬間。異変が起こった。
 大地が鳴動する。それは巨大な自身となり、スバルたちの身体を浮かしかねない、衝撃を生じさせる。
 何かが、動き出そうとしていた。



 ●



 最後の一撃を放った後、意識を失い昏倒してしまったエリオを支えたままキャロは重苦しい鉄扉の前に立っていた。
 既に重症という域を遥かに超えていたエリオだが、辛うじて呼吸を続けている。
 いまだに予断を許さない状況ではあるが、こうしてキャロに支えたられたままヒーリングを受けている限り、これ以上生命の危機に立たされることはないだろう。
 すでにキャロ自身もエクスカートリッジ使用によって心身ともに疲弊しきっている状況だったが、彼女は弱音一つ吐く事無く、エリオへの治癒を続けながら、もう一つの大事な作業を続けていた。
 その傍らには、フェイスレスに付けられた傷も一応の回復を見せたフリードも健在で、彼もその身を器用に使い、辺りに散乱する建築材を取り除いている。
 やがて、キャロたちは一つの扉を前にする。それはフェイトが捕らえられている独房だ。
 その性質上、堅牢に出来ているおかげか中が崩落に巻き込まれた様子はなさそうだ。
「フェイトさん……いますか?」
「キャロ……大丈夫なの。エリオは、エリオのケガは!?」
 返ってくるのはフェイトの心配そうな声。最後に見た光景が、エリオが刺され、キャロもまたフェイスレスに襲われようとしていたシーンだ。
 心配するなと言う方が酷な話だろう。
「大丈夫です……エリオ君も、まだ安心できませんけど、とりあえず無事です」
 今の自分の状況を簡潔に語って聞かせる。壁の向こうからは最悪の事態を回避できたことを安堵する吐息が漏れてきた。
「いま、開けますね。フリードはまだ大丈夫?」
 主の言葉に応えるように、フリードは羽をいっぱいに広げる。
 そんなフリードにキャロも頷き返すと、彼女達はさすがに歪曲してしまった扉の隙間をそれぞれ掴み、力の限りに引く。
 何度か鉄が軋む音が響き、そして数回目、ようやく鉄の扉は重たい音を響かせ外れた。
 同時に、フェイトが独房の中から姿を現す、制服を着た彼女の姿はいつもと変わらぬことなく、しかし、その瞳に涙を溜めたまま、周囲を見回す。
 扉が舞い上がった衝撃に埃が舞い上がり、けふけふと咳き込むキャロと彼女に支えられたままのエリオの姿を見つけたのは次の瞬間。
 もはや、ボロボロになってしまったバリアジャケット。その顔には幾つもの擦り傷や切り傷が拵えられている。
 そして、彼女はキャロたちの元へ駆け寄ると、優しくその身体を包むように抱きしめた。
「ごめんね……ごめんね。私のせいで、こんな目に逢わせちゃって……ごめんね」
 涙を流しながら、フェイトはひたすらに謝り続ける。
 自分が捕まらなければ、彼女達がこんな目に逢う必要はなかった。こんな大怪我をすることもなかった。
 そう思うと、後悔の念は止まる事無く、フェイトはただ涙を流したままごめんね、と謝ることしかできなかった。
 キャロが、そんなフェイトの姿を見たのは初めてだった。
 彼女は何時だって、強くて、そして自分たちを守ってくれる優しい存在だった。
 けれど、今目の前に居る彼女は、泣き崩れる子供のようで――だから、キャロは自然に動いていた。
 その手をフェイトの背中へと回し、こちらからぎゅっと抱きしめる。
 かつて、一人孤独に怯えていた自分を、フェイトが優しく抱きしめてくれたことを思い出しながら。
 その背中を優しく撫で、安心させるようにキャロは呟く。
「約束したじゃないですか。フェイトさんが困っている時は、絶対に助けにいくって……だから、だからこんなのへいっちゃらですよ」
 精一杯の笑みを浮かべ、フェイトに大丈夫だと伝えるように微笑む。
 フェイトは、それでも泣きそうな表情のままで――ただし、後悔によってではなく、その優しさに触れて――キャロとエリオを抱く手に力を込めた。
「ありがとう……ありがとうね……」
「く、苦しいですよ。フェイトさん」
 くすぐったそうに笑うキャロ。そうして暫く抱擁は続いたが、それもひと段落着くと、フェイトも落ち着いたのか目じりに浮いた涙を拭い、しかと立ち上がる。
 その瞳にはもう、悲しみにくれる表情はない。今すべきことをしっかりと見定めている者の眼差しだ。
「確か、スバルたちも来てるんだよね? 合流は出来そうかな?」
「えっと……ティアナさんはこの場所をご存知ですから、合流は可能だと思います。ただ、スバルさんの方は……」
 未だにスバルの行方を知らぬままのキャロは、不安そうに呟くが、フェイトはそんなキャロの肩を安心させるように優しく叩く。
「そっか、じゃあとりあえずティアナと合流して、それからまた考えよう、どっちにしても情報がないと動きようがないからね」
「あっ、フェイトさん。あのこれ……」
 周囲の状況を見回すフェイトに、キャロが差し出したのは待機状態のデバイス――エリオがフェイトから預かっていたバルディッシュだ。
 本来の主の下に戻れることを喜ぶかのように、バルディッシュが僅かに輝く。
「エリオ君が言ってました、フェイトさんが助けてくれたって」
 それを受け取ると、フェイトはそれを愛しそうに握り締める。
「ありがとうキャロ。バルディッシュもエリオを助けてくれて、ありがとうね」
『No problem.』
 いつものように言葉少なに呟くバルディッシュを懐に収めるフェイト。
「よしっ、それじゃあ行こうかキャロ。みんなで無事に帰るために」
 その時だった。彼等を衝撃が襲った。
 建物全体が揺さぶられるような感覚。再び建築物の崩壊が始まる。
 突然の事態、ゆえに彼女達がその異変に気付くことはなかった。
 少し離れたその場所。化物と化したフェイスレスが倒れ付しているその場所。
 あまりにもその形は歪で、その場にいる誰もが気付くことが出来なかった。
 その一部が、その場からいつの間にか消失していたことなど。
 何かが、始まろうとしていた。



 ●


 それは、かつてアルバートと呼ばれ、そして今またフェイスレスという個さえも失った――醜悪な化け物だった。
 怨嗟のような、悲鳴のような、そんな嘶きと共にそれはソラの前に姿を現した。
 その姿はもはや人型を留めてはいない。ただの融解した塊のように、ただ蠢いている。
 それが、目前に現れた理由をソラは誰よりも理解していた。
 すなわち、星を砕く者としてソラを利用するために、彼はこの場に姿を現したのだろう。
 だが、もう遅い。
 今からその怪物が、どのような手段を用いようとも、その目的が成就されることはないだろう。
 すでに、時空管理局の次元航行艦が第六十六観測指定世界の大気圏外、アルカンシェルの有効射程範囲内にて待機していることをソラは知覚していた。
 星を砕く者発動の前兆があれば、彼等は容赦なく破壊の一撃をこの星に打ち込むだろう。
 それを回避する術はない。既に状況はチェックメイトを指しているのだ。
「残念だけれど、アナタの目的はもう達成することはできない。もう、諦めたほうがいいよ」
 フェイスレスの目的、全てのものに死を与えることなどソラには何の興味も持てなかった。
 だからこそ、彼女はミラが目指したもの――悲しみをこれ以上増やさないように――ただ、それだけを優先して実行する。
 その為の説得だったが、フェイスレスからの返答は言葉として成立することはない呻き声だけだった。
 もはや、人格と呼べるものは彼の中に存在していないのかもしれない。
 ならば、それもまた無駄なことなのかもしれない。
 今にも崩れ落ちそうな、フェイスレスの姿をソラはただ見つめる。
 全ては無為なことだったのだ。
 誰がどう足掻こうとも最初から結末は決定づけられていたに過ぎない。
 フェイスレスはその野望を果たすことなく散り、ソラは感情を知らぬままこの星と共に消滅する。
 それが生まれたときから定められた運命というものだったのだろう。
 それを悼む気持ちも、悲しいと思う感情もソラにはなかった。
 ただ『ああ、そうだったんだ』と、そんな諦めにも似た言葉が脳裏に思い浮かんだだけだった。
 ならば、ソラにできるのはその運命を静かに受け入れるだけだ。
 だがしかし、その運命を。そんな結末を望まぬ存在が、この場にいた。
『うるおあああああああああああっっ!!』
 この世に存在するありとあらゆる感情を全て混ぜ合わせたような、咆哮が響く。
 それを、ソラはフェイスレスの断末魔か何かだと、そうとしか思わなかった。
 だが、違う。
 それは、終わりを告げる声などではなかった。
 それこそが始まり。
 真の星を砕く物語の、始まりを告げる合図だったのだ。
 フェイスレスの身体から、ソレは飛び出した。
 ソレは、彼の身体を覆う醜悪な塊。暴走ユニゾンデバイスと呼ばれる存在だ。
 自らの主が、もはや器として稼動させることができないと判断したソレは“自分の目的を遂行する為”に新たな宿主に乗り移ろうとしていた。
 飛翔するソレは、ソラのいるシリンダーにその身を張り付かせる。いったい、どれほどの力がそこにあるのか、締め上げるような音と共に強化ガラスに亀裂が走る。
 それは新たな宿主。ソラを取り込もうとしているのだ。
 それに対し、ソラは今何が起ころうとしているのか理解することができなかった。
 暴走ユニゾンデバイスに人格は存在しない。それはただ力を持つ人形としての側面しかもたない存在なのだ。
 そういう風に彼等は作られているのだ。意思のない、ただ命令を遂行するだけの操り人形としての能力を目指した彼等に、意思など無用の存在だからだ。
 稼動が不可能となった宿主を廃棄し、新たな宿主を探すのは彼等の本能のようなものだ。
 だから、フェイスレスからソラに移り変わろうとする行動だけを見るならば、理解することはできる。
 だが、
『があるあわぁああああああああっっ!!』
 今、ソラの目の前にいるユニゾンデバイスは、まるで意思を持っているかのように、感情を持っているかのように吼え猛る。
 目的など持つはずのない存在が、いまひとつの目的の為にソラを取り込もうとしていた。
 強化ガラスが砕かれる。初めて外界に晒されることになったソラに逃げ出すことなどできなかった。
 その酷く醜い容貌の群れが、ソラと強制的に融合しようと接触してくる。
 そして、情報が――そのユニゾンデバイスの持つ意思がソラの頭の中に流れ込んできた。
 それは、どうしようもないほど醜悪な殺意の塊。
 全ての人を、全ての存在を、全ての世界を、ただ殺しつくしたと願う、その外見よりもなお暗く醜い殺意という意思の群れだった。
 それが、全ての根源だった。
 全てを破壊しつくさなければならないという感情は、フェイスレスの持つ意思ではなかった。
 それはただ一基のユニゾンデバイスが――研究の為に生み出され、人格を与えられることなく操られ、ミラやアルバートと融合したことにより感情を知った、知ってしまった一基のデバイスが辿り着いた――――答えだった。
 フェイスレスもまた、その一点の曇りもない殺意に操られていただけだったのだ。
 自らの意思を残そうとも、ただその殺意に突き動かされるだけの操り人形でしかなかったのだ。
 そして、その殺意の塊は、フェイスレスの身体を捨て、ソラを飲み込もうとしていた。
「……いやっ」
 その存在との接触により、全てを知ったソラは否定の言葉を呟く。
 だが、ソラとユニゾンデバイスの融合を止められる存在など、この場には存在しなかった。
「いやぁ……やめて、知りたくない、こんなもの知りたくないっ!」
 それは、少女が知った初めての感情――恐怖と呼ばれる思いから紡がれた悲痛な叫びだった。
 だが、それを聞き届けてくれるものは今、この場には誰もいない。
 そして、融合が果たされる。
 星を砕く物語が、始まろうとしていたのだ。



 ●



 盛大なアラートが、クラウディアの中に響き渡った。
 館内の全ての光源が警戒を示す赤色に灯り、雄弁に異常事態が発生していることを告げていた。
「現状報告、急げっ!」
 館長席からクロノの檄が飛ぶ。
 館内はこの宙域に姿を現した時から最大レベルの警戒態勢を引いている。
 さらに加え、ここは第六十六観測指定世界を目視できるとはいえ、遥かに離れた宇宙空間内なのだ、敵の妨害行動とはとても思えなかった。
 ならば、いま何が起こっているというのか。
 それを一人のオペレーターが叫ぶように、告げてくる。
「膨大な魔力反応を確認。すでに魔力計は限界を超えてますが、いまだに上昇している模様!」
 そして、次の瞬間にはクロノを含めた全ての者が、その異常事態を目にすることになる。
 正面に移ったモニター。そこにはずっと第六十六観測指定世界の映像が映し出されている。
 それが今、光り輝いていた。
 七色に光る虹のような輝きが、惑星全体を全て覆いつくしていた。
 その光の正体が、すべて高濃度の魔力であるなど、誰が信じることができるだろうか。
 だが、しかし現実として、第六十六観測指定世界はもはや強大な魔力の塊と化そうとしていた。
 始まったのだ――プロジェクト・スターデストラクションが。
 ありとあらゆる次元世界を崩壊させる、最悪の兵器が動き出そうとしているのだ。
 クロノはその様子を、絶望にも似た表情で見つめていた。
 だが、彼は血が滲むほど自分の拳を握り締めると、何もかもを決心した表情で、面を上げた。
「全僚艦に、アルカンシェルの発射シークエンス起動の許可を出せ」
 事情を知っている幾人かのクルーが驚愕の表情でクロノの方に視線を向けたのが解った。
 だが、もはや躊躇している時間は無かった。
 作戦開始時間など、もはや関係ない。タイムリミットが訪れたのだ。
 第六十六観測指定世界が、近隣の惑星と衝突するために動き出せばもはや手遅れだ。次元航行艦では予想されるその移動スピードについていくことはできない。
 いまだに動きを止めている今しかチャンスは無いのだ。
 それを見逃してしまえば、数多の次元世界に存在する無数の人命が失われることになる。
 それだけは、なんとしても止めなければならなかった。
 例え、自分が死地に向かわせた部下を殺すことになろうとも、大切な家族をその手に掛けることになろうとも。
「何をしているっ、アルカンシェル発射準備急げっ!」
 血を吐くかのような、無理矢理に搾り出されたクロノの叫びが艦橋に響く。
 同時にクルーが動いた。彼等もまた迷っているわけにはいかなかった。
 その間に、クロノは取り出したアルカンシェルの発射起動キーを取り出し、それを強く握り締める。
 最後の引き金を引く役目を誰かに譲ることなど出来なかった。
 その罪は、クロノが全て引き受けなければならないのだから。
 そう、クロノが覚悟を決めたときだった。悲鳴にも似たオペレーターの報告が彼の耳に届いたのは。
「い、異常魔力群収束を開始しています!」
 それが何を意味するのか、理解できたものはいなかった。
 ただ、その言葉どおりの出来事が第六十六観測指定世界で起こっていた。
 七色に光る惑星を覆う魔力が、重力に引かれるように惑星の中心に向かって凝縮されていく。収束しているのだ。
 何が起こったのか、なにが起きようとしているのか、それを知る術を持つものはこの場には誰もいなかった。
 ただ、収束する魔力は七色を通り越し、ただ白く輝く光のように輝いたかと思った瞬間――爆裂した。
 全てを白く染め上げる閃光が、周辺宙域の全てを覆っていく。
 モニターもただ白だけを映し出し、なにが起こっているのか知る術は無い。
 しかし、それも一瞬。光は発生したのと同様に、瞬きの間に消えていった。
「な……何が起こった……?」
 呆然とつぶやくクロノ。初めは第六十六観測指定世界が、その魔力を暴発させたのかと思った。
 だが、それならば自分を含めクラウディアも全て蒸発していてもおかしくない。
 だが、どうやら自分はまだ生きているらしい。いまだに視力は先ほどの閃光により、一時的に視力を減衰させているようだが、それだけはクロノも確認することが出来た。
 やがて、クロノを含めたクルーたちの視力も回復の兆しを見せ始める。
 そうして、彼らが最初に見たのは、あまりにも信じられない光景だった。
 宇宙は、本来の漆黒を見せている。先程まで第六十六観測世界を観測していたモニターも含めて、だ。
 そこには、何も存在していなかった。
 まるで初めから、そのようなものがなかったとでも言うかのように、そこにはただ虚無の空間だけが広がっていた。
 その場にいる誰もが、そのありえない光景にただ呆然とモニターを見つめることしか出来なかった。
「周辺宙域を探査しろ、何が起こったかを突き止めるんだっ!」
 最初に正気を取り戻したクロノの叫びに呼応するように、クルーたちもその驚愕から抜け、それぞれに出来ることを開始し始めた。
「あ、ありとあらゆる探査を試みましたが何一つこの周辺宙域にはなにも存在していません。先程の異常魔力群もです!」
 だが、その結果は――なにもわからないという事実が、解っただけだった。
 いったい何が起きているのか。それを知るものはこの場に誰一人としていなかった。
 だからだろうか、クロノは理解できぬがゆえに、あの時聞いたひとつの言葉を思い出していた。
 思えば、それが全ての切欠だったのだ。
 それは、カリム・グラシアの出した、あまりにも抽象的過ぎて、それが何を意味するか解らなかった一文からなる予言。
 だが、それはどうしようもなく単純に、いまのこの状況を表していたに過ぎなかった。
 予言は、確かに告げていたのだ。


『星が、消える』


 そうして、予言は成就された。





>TO BE CONTINUED


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