魔法少女リリカルなのは 星を砕く者 第21話 たった一つの願い






 ミッドチルダ首都郊外。
 閑静な住宅街の一角に、その家はあった。
「はい……はい……解りました。ええ、ヴィヴィオのことは任しておいてください」
 その一室で、通信回線を前に語るのは機動六課が解散した後、高町家のハウスキーパーとして働いているアイナ・トライトンだった。
 すこしばかり緊張した面持ちで電話相手から幾つか言付けを預かり、その後ゆっくりと通信をきる。
 その後、アイナは頬に手を当て、小さくため息をついた。
 仕事が辛いわけではない。ただもう暫くの間、親子が顔を合わせられないこの状況を嘆いているような、そんな表情だ。
 いま、ミッドチルダには戒厳令が敷かれていた。
 先の地上本部崩壊事件の影響で、ヴィヴィオの通う学園も一時的に休校となり、こうしてアイナが高町家へと赴いているわけだ。
 そして、危惧すべきはもう一人。
 緊急召集により、まだしばらくの間は局にて待機せざるを得ない母親の存在だ。
「いくら正義の味方でも、親子が普通に会えないって言うのは……悲しいものよね」
 機動六課に勤めていたのだ。いまが予断を許さぬ状況であることはアイナも理解している。
 それは誰かが、何かを犠牲にしてでも成し遂げなければならない仕事だということ。
 しかし、感情的にはこの慈愛に溢れる親子が当事者でなくてもいいだろうに――そう思ってしまうのはしょうがないことなのかもしれない。
 それでも、為すべきことは為さなければならない。それはアイナも同様だ。
 これから彼女は、リビングで一人、母親の帰りを待つ少女に、お母さんはもうしばらく帰れないみたいと伝えなければいけない。
 それはこの仕事の中でも、もっとも過酷な仕事かもしれない。
 特に、その相手が心優しい良い子ならば、なおさらだ。
 ワガママを言わず、ただほんの少しだけ寂しそうに表情を曇らせるその顔を今から見なければならないかと思うと、さすがにこの職が長いとはいえ、アイナも精神的に堪えてしまう。
 それでもと、気合を入れるように頬を叩くと、アイナはヴィヴィオのいるリビングのほうへと向かった。
 先程まで、絵本に夢中だったヴィヴィオだが、今それはリビングの床に放り出され、彼女はなぜかベランダに続くガラス窓から外を覗き込むように張り付いていた。
 何をしているのか気になったが、今はそれよりも伝えなければならないことがある。
「ヴィヴィオ……その、ママのことなんだけど、やっぱりお仕事が忙しくて――」
 遠まわしに言ってもしょうがないと、端的に伝えようとするアイナ。
 しかし、そこでヴィヴィオの様子がどこかおかしいことにアイナは気づいた。
 アイナの呼びかけにヴィヴィオは反応しない。ただじっと窓の外の風景を……いや、視界はもっと高く、空を見つめている。
「ヴィヴィオ?」
 改めてその背に声を掛けると、ようやく彼女も気づいたようで驚いたように振り替える。
「あ、アイナさん……」
「何を見てたの、なにか珍しいものでもあった?」
 なにがそれほどヴィヴィオを熱中させているのか、興味が湧き尋ねる。
 すると、ヴィヴィオはどうにも要領を得ない答えを返してきた。
「えっと……あのね、お空に星があるの?」
 星、という言葉にアイナは初めミッドチルダの周囲を公転する衛星の姿を思い浮かべた。
 ミッドチルダには大小いくつかの衛星が存在しており、日中でもその姿を見せることは珍しいことではない。
 それがヴィヴィオの目を引くものとは到底思えないアイナは、彼女が見たものを確かめるべく、先程のヴィヴィオと同様にガラス窓越しにミッドチルダの空を見上げる。
 そこに、星があった。
 衛星などではない、それよりももっと巨大な七色に光る巨大な惑星の姿をアイナはそこに見た。
 それが第六十六観測指定世界と呼ばれる、ほんのつい先程まで別次元の向こうに存在していた存在であることを知るものは誰もいなかった。
 だが、それを見た誰もが感じることだけは出来た。
 それが、どうしようもなく不吉な存在であることを。



 ●



 ガーデンは崩壊しようとしていた。
 収まることのない巨大な地震は堅牢なはずの施設を破壊しはじめる。
 倒壊を続けるそんな施設の一角から、巨大な白い影が飛び出した。
 それは大空に翼をはためかせるフリードリヒだ。その背にはバリアジャケット姿のフェイトを筆頭にライトニングチームが跨っている。
 突如として崩壊を始めた施設から、フェイトの魔法とフリードの突破力を利用して命からがら離脱してきたところだった。
「なにが起こっているの……」
 フリードの背に立ったまま眼下を見下ろし、フェイトが戦慄の言葉を呟く。
 いまだに大地は鳴動を続けていた。その振動が収まることはなく、時間を追うごとに激しくなっているような気さえする。
 そこへ、キャロの悲鳴にも似た驚きの声が届いた。
「フェ、フェイトさん……あれは……」
 キャロは、フェイトとは逆の方向。空を見上げていた。その瞳に浮かぶ色は、目の前にある光景が信じられないと如実に語っている。
 その視線を追うように、空を見上げたフェイトも、それは同様だった。
 そこに、巨大な天体が浮いていた。
 驚くほど近くに存在するそれは、けして衛星などではない。
 大陸の形すら如実に見ることのできるその惑星を、フェイトは知っていた。この場にいる誰もが知っていた。
 ミッドチルダ、と呼ばれる管理局の中枢たる惑星。フェイトたちが帰るべき場所が、そこには存在していた。
 夢や幻などではない。それは確かにそこにあった。
「転送したって言うの……この星ごと」
 自分で呟いておきながらも、フェイトはその言葉を信じることができなかった。
 だが、残された答えはそれしかなかった。
 第六十六観測指定世界は次元世界を崩壊させることのできる圧倒的な魔力――その、ほんの一部――を利用して、惑星ごとミッドチルダ宙域に次元間転送を行ったのだ。
 馬鹿げているとしか言いようのない推測。しかし、今目の前にそれが現実として突きつけられている以上、その真意を確かめる事など意味のないことなのかもしれない。
 信じられぬ面持ちのままただ天に浮かぶその星を見上げるフェイトたち。
 そこにノイズ交じりの声が響いてきた。
『……すかっ…………じをして………ちらアースラ。だ……か聞こえます……』
 アースラ。懐かしいその言葉を聞き取り、フェイトたちは慌てて通信回線を開く。
 やはりノイズ交じりのものではあったが、スクリーンにはシャーリーの姿が確かに浮かんだ。
『フェイトさ……。ご無事だった……ですね!』
 向こうにも無事だったフェイトの姿が写ったのだろう、シャーリーの目尻に涙が浮かび、喜んでいる様子が伺える。
「うん、心配掛けてごめんね。でも、再会を喜ぶのは後にしよう。今がどういう状況かそっちでは把握できてる?」
 挨拶もそこそこに、話を進めるフェイト。自分を助けに来てくれたことには言い切れない感謝の念があったが、今はそれどころではない。
 シャーリーもそれは理解しているのか、涙をぬぐうと表情を引き締め仕事を遂行する者の顔になる。
『こちらでも詳細は不明ですが、第六十六観測指定世界を中心として異常な魔力収束現象が発生した直後、次元座標が変更されました。ここはミッドチルダ宙域です。アースラは現在同惑星大気圏内にて待機中』
 やはり、目の前にあるものは幻ではないようだ。
 だが、いまのフェイトたちにそれに対して対抗できる手段はない、それにエリオは未だに重症の身だ。
 なにをするにしても、まずは合流しなければ話にならない。
「こっちの位置は補足できる、シャーリー」
『あ、はい。ちょっと待っててください……はい、発見しました。トランスポートを使用すれば転送回収も可能です』
「了解、できれば早めに転送と……医療班の準備をお願い、エリオが負傷しているの。それとスバルたちとはまだ合流できていないから、そっちのほうの補足もしておいて」
 フェイトが矢継ぎ早に指示を出す。その時、通信に割り込むようにひとつの回線が開いた。
『ほう、話し振りからすると脱落者はいないようだな。やはり君たちには予測を超える何かがあるようだ』
 低い笑いを含んだ男の声。その声の主をフェイトはよく知っている。この場にいる誰よりも熟知している。
 だからこそ、その表情に今まで見せたことのない驚愕を浮かべた。
「ジェイル・スカリエッティ……」
『ほほう、覚えていてくれたとは光栄だね。フェイト・テスタロッサ執務官』
 自分がスカリエッティのことを忘れられるはずがない。そんな当たり前の事実を知りながらスカリエッティは通信越しにそんな言葉を述べる。
「なぜ貴方がここに?」
『なに、ただの見学だよ。別に君たちの邪魔をするつもりは毛頭ない』
 肩を竦めながら、どうでもいいと言わんばかりに呟くスカリエッティ。その隣のウインドウでシャーリーが慌てふためいていた。
『あ、あのフェイトさん。これには些か事情があって、それで特例で彼の協力を――』
 いくら論理的な訳を述べようとも、それでフェイトの心情が納得するわけがない、そう思いつつも必死で弁解するシャーリーだったが、そんな彼女の思惑とは別に、フェイトはどこまでも冷静に振舞っていた。
「解りました。この件に関して、私から言うことは特にありません」
 きっぱりとそう告げるフェイトに対して、シャーリーだけではなく、スカリエッティもほんの僅かだが驚きの表情を浮かべていた。
『ふむ、殊勝なことだが、いいのかね、君にとっては私は仇敵のようなものだ。晴らしたい確執もいくつかあるのではないかね?』
「私にできるのは時空犯罪者を捕らえ司法の場に連れて行くだけです。それはもう終わった、その後どんな判断が下ろうとも、そこから先は私が踏み込むべき場所じゃない」
 フェイトにとって、スカリエッティとの因縁はゆりかご事件の際、あの地下施設で終わったのだ。
 今、自分の傍らにいる子供たちに救われた。だから、フェイトがスカリエッティに囚われることはない。
 それだけは、確かな事実だった。
『なるほどなるほど、それはすばらしい心がけだね。巣立っていく娘を見ているような気分だよ、まるで』
「気持ち悪いことを言わないでください。それに、もし貴方が再び法を犯すというのならば、その時は再び容赦なく捕縛させていただきますから」
 だが、個人的に嫌いだという気持ちは変わっていないようである。
 憮然と語られたその内容に、スカリエッティは大層おかしそうに呵々と笑い声を上げた。
『はは、いいだろう、覚えておくことにしよう……ところで、その少年は重症を負っているそうだな。ならばさっさと連れてきたまえ、君が望むならば私が治療を手伝ってやろう』
 唐突に告げられたその提案に、フェイトたちの会話を聞いていた者たちの表情が驚きのそれに変わった。
 確かにスカリエッティはドクターの名のとおり、医療技術に掛けては時空管理局の医療班と比べても遜色のない、いや、それ以上の腕を有しているだろう。
 だが、彼が今まで行ってきた治療という名目を借りた行為は、どこまでも忌むべき存在だ。
 そんな提案を上げられたところで、心情的に応えられるわけがなかった。
 けれど、
「エリオは、また騎士として戦えるようになりますか?」
 気を失ったままキャロに抱かれているエリオに視線を動かし、フェイトはそんな質問を投げかけていた。
 エリオの傷は重症と言う言葉すら霞むほどのものだ。内臓器官の負傷に、無茶な魔法行使。充分な治療を行えば、その命が失われることは回避できるかもしれないが、再び魔導師として生きていくのは絶望的であると、フェイトはエリオの様子を見てそう判断していた。
 それほどの、覚悟を決めなければならない状態だったのだ。
 だが、それに対しスカリエッティはいつものように倣岸不遜な表情を崩さぬまま、
『約束しよう。ああ、もちろん違法行為は行わない治療で……だ。二度も捕まるのは勘弁していただきたいところなのでね』
 そんな皮肉まで返してくる始末。
 そんなスカリエッティの態度に、フェイトはやはり不安を覚えないわけではなかったが、
「エリオのことを、お願いします」
 そう、スカリエッティに頭を下げて頼んだ。



 ●



 足元からくる、突き上げるような衝撃にバランスを崩すスバルたち。
 それがただの地震などではない、もっと大きな脅威が動き出す前兆であることは、確かめるまでもなく理解することができた。
「な、なにコレッ」
「わかんないわよ……でも、タイムリミットまでもう僅かなのは確実ね……」
 そんな言葉を交し合うスバルとティアナ。
 そんな二人の眼前に唐突に通信用のウインドウが広がった。
 そこに写るのは、アースラで通信官制を行っているアルトの姿だ。
『ストライカーズ残りの両名共に確認。スバルたち、大丈夫!?』
 どこか慌てた様子のアルトが報告と、こちらの安否の確認を交互に行っている。
 アースラが無事だったことに安堵するも、向こうもこの異常事態に混乱している様子がありありと見て取れた。
「よかった……アルト、そっちの様子はどうなってるの?」
『どうって言われても、こっちも何がなんだか……それよりも、フェイトさんの無事が確認されたよ! キャロたちと一緒にこっちに転送してる。詳しい事情はあとで話すからスバルたちもはやくこっちに戻ってきて!』
 そう言われ、スバルたちの間に緊張にも似た空気が流れた。
 フェイトの無事が確認されたのは良かったとしか言いようのない出来事だ。
 だが、これでスバルたちがこの場に留まる、最大の理由がなくなったことになる。
 けれど、スバルにはまだやらなければならないことがあるのだ。
 だが、それをここで強弁に実行しようとするのは、果たして本当に正しいことなのだろう。そんな感情がスバルに湧き上がる。
 先程、ティアナが言ったとおりだ。
 自分のワガママで仲間たちを危険に晒そうとしている。
 すでに状況は逼迫している。終わることのない地震がその前兆として明確に危機を告げていた。
 フェイトの救出という本来の目的を終えた今、一刻も早くこの場を離脱するのが一番賢明な――いや、愚者だろうとも選び取る道筋だ。
 なのに、スバルは誰もが選ぶはずのない道を選ぼうとしていた。
 果たして、それは正しいと言える行為なのだろうか。
 それは、ただの自己満足にしか過ぎないのではないのだろうか。
 それに、仲間たちの命を賭けることは、最低の行いなのではないだろうか。
 そんな風に思考していた時だった。スバルの迷いを断ち切る一撃が振るわれたのは。
 背中を叩かれる。それを為したのはスバルの相棒であるティアナだった。
 彼女は渇を入れるように、スバルの背中を大きな音が出るほど叩いたかと思うと、そのまま回線が開いたままのウインドウに向き直る。
「了解。ただ要救助者がいます。今からスバルが救出に向かいますので、彼女の合流はそれからになります」
 まるで迷うことなく、ティアナはきっぱりとそう言った。
 スバルがそんなティアナの横顔を呆然と眺めていると、ウインドウの中でアルトは当然の反応を示す。
『え、ええっ? 要救助者って、この状況で何を――』
 更に何か述べようとするアルトだったが、ティアナはそのまま通信を閉じてしまう。下手をすれば重大な規則違反と取られてもおかしくない、あまりにも大胆すぎる行動だった。
 そんなティアナの行動を、ただ愕然と見つめるスバル。
 そんな彼女の視線の中、ティアナは静かに呟いた。
「助けに、いかなきゃならないんでしょう?」
 大きく溜息をついて、俯くティアナ。自分が今行った行動を後悔しているのかもしれない。
 ただ、前髪が目にかかったその横顔からは、彼女がどんな表情をしているのか知ることはできなかった。
「ティア…………」
「私はっ……もう魔力もほとんど空っぽで、アンタについていったところで足手まといにしかならない。それに、私には仮初とはいえ果たさなきゃならない責任がある――だから、私はアースラに戻るわ」
 スバルと共に行くことができないことが、なによりも悔しいことであるかのように、ティアナは呟いていた。
 だからこそ、それを振り払うようにティアナはスバルに向き直ると、どこまでもまっすぐな瞳で彼女を見据えた。
「だから、ちゃんと最後までやり遂げて、無事に帰ってきなさいよ」
 そういって彼女はスバルに向けて拳を差し出す。
 スバルに、もう迷いはなかった。
 最高の相棒が見送ってくれるこの状況で、迷うことなどありえなかった。
 だから、スバルは差し出されたティアナの拳とあわせるように、自分の拳を差し出す。
 拳と拳が打ち合わされ、それが一時の別れの合図となった。
 スバルは踵を返し、ティアナはそんなスバルの背中をただ見つめる。
「行ってくるよ、ティア」
「行ってらっしゃい」
 そして、スバルは走り始める。
 救うべき者の元へと一直線に。



 ●



 ミッドチルダ仮設地上本部。
 地上本部が倒壊したことにより、ミッドチルダ西部の陸上警備隊拠点を利用した仮設本部は今、混乱の渦に巻き込まれていた。
 突如として、ミッドチルダ上空に現れた謎の惑星。
 それがもたらした衝撃は、今まで無数の事件に立ち向かってきた局員たちでさえ震撼させた。
 対応すべきマニュアルが存在せず、元より突如として空に現れた惑星に対応する術など誰も知りはしなかった。
 いや、今までの過去の歴史上、考えようとさえされなかった。
 それほどまでに荒唐無稽な事態がいま、ミッドチルダを襲っているのだ。
 どの部署でも喧騒が鳴り止むことなく、何をすればいいかも解らない中、管理局はひたすらに混乱に陥っていた。
 だが、そんな仮設本部において、唯一静寂に包まれた場所があった。
 仮設本部の屋上。誰もが慌しく動き回る中、局員がそんな何もない場所に来るはずもない。
 しかし、今その場には一人の魔導師が立ち尽くし、天にある巨大な星に視線を向けていた。
 白い純白のバリアジャケットに身を包んだその魔導士はただ静かに、空を眺め続けている。
 そこへ、扉の開く音。彼女が星から目を離し、そちらへと向き直れば、そこには彼女の知った顔が並んでいた。
「こんなところでサボりとは、関心せーへんなぁ」
 笑みを浮かべながら、こちらに歩み寄ってくるのは八神はやて、その傍らで、やはり柔和な笑みを浮かべていたのは元々この陸上警備隊に勤めているギンガ・ナカジマであった。
 旧知の間柄である二人の登場に、彼女も笑みを返す。
「前線メンバーは命令がないと動けないからね……それを言うならはやてちゃんこそ、こんなところに居ていいの?」
 自分より、よほど重要な役職に就いているはずのはやてに向かって彼女は仕返しの言葉を返す。
 もっともなその反論に、はやては笑みを歪めると、味方をさがして傍らのギンガの方へと視線を向けてみる。
「え? あ、あの私も基本的には現場主体の捜査官ですから……」
 巻き込まれないようにと視線をそらすギンガ。どうやらはやてに味方は居ないようだ。
「ええもん、私だって今は指揮官やのうて特別捜査官やからサボってもええんやもーん」
 拗ねたように呟くはやて。それを見てギンガと彼女はくすくすと笑みを漏らしていた。
 やがて、それも収まったかと思うと、彼女は再び視線を空に向けた。
 はやてもギンガもそれに習うように天を見上げる。そこには変わることなく浮かび続ける巨大な星を姿が鎮座していた。
「あー、これはもしかしたら世界の危機ってやつなんかなぁ」
「かもしれないね」
 その内容とは裏腹に、どこまでも暢気な口調で彼女たちは呟く。
「落ちてくる途中で燃え尽きたりせえへんかな?」
「あの質量だとさすがに難しいと思うよー」
「あれが落ちてきたら、さすがに死ぬかなぁ?」
「うーん、ちょっと防ぎきれそうにないねぇ」
「あ、あのお二人とも、こういう場面では必須の緊張感といったものが圧倒的に足りない気がするんですけど……」
 紡がれ続けるそんな暢気な会話に、ギンガが一応の突っ込みを入れる。
 それを受けて、彼女とはやては、ギンガのほうに向き直ると、やはりどこか緊張感のない笑みを浮かべる。
「まぁ、しゃあないわな」
「うん、しょうがないね」
「はぁ、しょうがないんですか……」
 どうやら雑談はそこで終了らしい。
 彼女たちはそれぞれもう一度だけ、空を見上げる。
 だから、これからは戦いの時間だ。
「じゃあ、しゃあないから止めにいくか」
 ひどく何気ない口調で、はやてはそんな言葉を告げる。それが始まりの合図だった。
「そうだね」
 彼女の右腕には、その時にはもう杖が握られていた。
 彼女の同存在である不屈の魂がそこにはある。
 すでに準備は整っていた。
 そんな二人の何時もと変わらない様子に、ギンガは一人呆れたような表情を浮かべるだけだ。
「とりあえず言わせていただきますと、止められるものなんですか、あれは?」
 この流れを知りながらも、そう言わずにはいられない。
 だから、それに対する答えももうギンガは知っている。
「まぁ、頑張れば何とかなるんちゃうかな?」
「そうそう、それにみんな頑張ってるみたいだから、私たちもいい加減サボり続けるわけにはいかないよね」
 見上げる視線の先、あの星に今この瞬間も賢明に走り続ける者がいる。
 だから、ここでただ見ているわけにはいかない。
「まぁ、そんなわけやから……一応この混乱のどさくさに紛れてナカジマ三佐に許可はもろうとるけど、あとのフォローはお願いするな、ギンガ」
「また面倒な役を押し付けますね……まぁ、あれだけ高くにいられちゃ拳も届きませんし、解りました。こっちのほうは任せておいてください」
 彼女同様、騎士甲冑に身を包むはやて、どちらも戦闘準備は整っている様子だ。
「ああ、それと、もし会ったらスバルにあんまり無茶しないように言っておいてください。あの子ったらちゃんとした人が見ていないとすぐに無茶しますから」
「了解、きちんと伝えておくよ」
 スバルの無茶を実の姉以上によく知っている彼女が、そんなギンガの言葉に笑みを返す。
 この場にいる誰もが、死ぬかもしれないなどという悲壮を見せることはなかった。
 楽観しているわけではない。いまミッドチルダを襲っている脅威は、あの聖王のゆりかごの時よりもなお危険極まりないものであることを彼女たちは肌で感じていた。
 けれど、例え覆ることのない絶望が目の前に存在していようとも、笑顔で迎えられる結末を彼女たちは信じている。
 その為に、自分たちはここにいるのだと――そう確信しているのだから。
「さてと、ヴィータたちも先に空にあがっとる、機動六課再結集とまではいかんやろーけど、久々に派手に行こーか」
「そうだね、みんな待ってるだろうからね」
 そう言って、彼女たちは飛び立つ。
 どうしようもない絶望の空に、一筋の希望の道筋を立てるために。



 ●



 スバルが始めに聞いたのは胎動の音だった。
 大地が振動する轟音の中だというのに、それは一際強く周囲一帯に響いた。
 まるで心臓の鼓動のようなそんな音。
 それに耳をとられ、スバルは立ち止まる。
 だが、周囲に広がるのは瓦解した研究施設後だけだ。
 正直なところ、スバルは困り果てていた。
 救い出すべき少女がどこにいるのかまったく見当がつかず、ただ無為に瓦礫の中を探し回っていただけだった。
 それゆえに、唐突に響いたその胎動音に足を止める。
 しかし、音はたった一度だけ、後にはやはり大地が振動する音だけが残っていた。
 さすがに、先程の音がそのまま人間の鼓動の音というわけではないだろう、それにしてはその音は周囲に響く音よりもなお高く響き渡っていた。
 だが、今のところ手がかりらしきものはそれしかない。
 このあたりを重点的に探してみるかと、一歩を踏み出すスバル。
 その時、異変が起こった。
 ピタリと先程まで絶えず振動を起こしていた地震が止まったのだ。
 先程まで、まるで星全体が振動していたかのような規模の地震だったというのに、それがなんの前触れもなく収まった。
 いや、果たしてそれは収まったと言うべきなのだろうか。
 不気味なまでの静寂を残した今の状態は、さらなる段階への前触れとしかスバルには思えなかった。
 そして、それは正しい判断だった。
 衝撃が、突き抜けるように周囲を襲った。
 先程の地震によって引き起こされていたものではない。それよりもなお強く激しく視界に入るもの全てがブレる。
 まるで地面そのものがひっくり返され、重力の方向すら錯覚させるような衝撃が世界を脅かす。
 そして、大地が割れた。
 何の比喩もなく、その言葉どおりに、大地に亀裂が走り巨大なクレバスを形成する。
 それに飲み込まれなかったのは僥倖というしかない。大地に傷跡は時間を追うごとに無数に発生し始める。
 地盤沈下を思わせる異常事態。
 だが、それもまた常識の範囲内の出来事にしか過ぎなかった。
 その後に行われたのは、もはや例えようもない怪異でしかなかった。
 突如として、大地に刻まれた傷跡から柱が――いや、柱のようなものが突き出してきたのだ。
 それは一部の例外もなく、あのフェイスの異常部位を思わせる醜悪な材質でできており、形も大小さまざま、それがまるで吹き上がる水柱のように、次々と大地から突き出してきたのだ。
「これは……星が、侵食されている?」
 その異常な光景に、スバルはただ呆然と呟くことしかできなかった。
 それは思わず口をついて出ただけの言葉だったが、概ね正しい推察であった。
 彼女の言うとおり、暴走したユニゾンデバイスが主導権を握り、この星を掌握しようとしているのだ。
 それが、それこそが星を砕く者の真の姿だった。
 次々と打ち立てられていく不気味な柱、それを阻止する術も、これから何をするべきかもスバルには解るわけがなかった。
 そんな彼女の背中に声がかけられたのは、その時だった。
「逃げて……」
 小さく、か細く呟かれる声。その声の主をスバルは知っていた。
 振り向けば、そこにはいつの間にかスバルが捜し求めていたあの少女が、どこか苦しそうに立ち尽くしていた。
「ソラ……よかった、探していたんだ――」
「早くっ、逃げてっ!」
 求めていた存在を見つけたことに安堵の表情を浮かべて近づこうとするスバルだったが、そんな彼女の動きは強い否定の言葉でせき止められた。
 差し伸べようとした手は途中で止まり、どうすべきかスバルはただ迷う。
 そんなスバルに向けて、ソラはやはりどこか苦しそうに、まるで何かを必死に耐えているような表情で、呟く。
「星を砕く者が動き出したの……なんとか停止させようと試みてるけど、私じゃああの子は止められない」
 ソラの告げる言葉をスバルは殆ど理解することができなかった。
 それが危険な代物であることは知っていたが、星を砕く者と呼ばれる存在が、一体どのようなものなのか、その詳細までスバルは聞き及んでいたわけではない。
 ただ、ソラが必死になってスバルに警告を告げていることだけは解った。
「逃げて、どこか遠くに。無駄かもしれないけど……それでも、逃げて……」
 このまま、この場に留まれば間違いなく死んでしまうから。ソラは言外にそんな言葉を告げていた。
 だが、そんな警告がスバルを諦めさせる理由になどなりはしない。
「逃げるとしても、その時は一緒だよ。ソラ」
 スバルはそう言って、一歩踏み込むとソラの小さな手を握り締める――いや、握ろうとした。
 だが、スバルがソラの手に触れようとした瞬間、彼女の小さな手のひらはまるで砂で出来ていたかのように細かな粒子となって宙に消えていく。
 スバルはただなにもない空中を握り締めるだけの格好となり、残ったのは驚きに目を見開いた彼女の表情だけだ。
 そこで、スバルは気づいた。腕だけではない、ソラのその小さな矮躯の全てが、向こう側に透けて見えるほどに、希薄なものになっているということに。
 右手のなくなった痛々しい姿になりながらも、ソラはまるで動じることなく、ただどこか悲しげにスバルを見つめるだけだった。
「既に私自身はこのユニゾンデバイスに飲み込まれてる。ここにいるのはその残滓にしかすぎないの」
 つまるところ、この場にいるのはただの幻でしかないという事実。
 その手を握り締めることなどできず、彼女を助けることも出来ない。
「今どこにいるの、助けに。すぐに助けに行くから!」
 ソラは言った、自分はユニゾンデバイスと融合してしまっていると。
 それはつまり、彼女自身は確かにこの星のどこかに存在するということだ。
 だが、もはや星と同一化したユニゾンデバイスのどこにソラがいるのかを知る術は、スバルにはない。
 しかし、ソラはそんなスバルの質問を拒否するかのように、小さく首を横に振るだけだ。
「私は、もう助からない」
 それは、何もかもを諦めたものの言葉だった。
「もう、私の自我が保たない。もうすぐ、私という存在が消えてなくなる。もう、どうやったって、それを止めることなんかできない……できっこない」
 ソラは、自己の消滅という事実すら全て受け入れているのか、ただ淡々と言葉を紡いでいた。
 それはもはやどう足掻いても仕方のないことだからか、それともソラに感情というものが存在しないからか。
 それを確かめる術はスバルにはない。
「だから……だから、お願い。ほんの少しでも悲しみを止めるために、すぐに逃げて」
 ゆえに、ソラは最後にスバルの前に姿を現したのだろう。
 ほんの少しでも、悲しみを止めるために。だが――、
「違うよ」
 それは違う。そんなものは望むべき未来などではない。笑顔で迎えることの出来る結末などではない。
 だから、スバルは否定する。そんなどうしようもなく悲しい結末への道を示すソラの言葉を。
「そんなのは、悲しみを止める手段なんかじゃない。誰かを犠牲にして、笑顔で過ごすことなんて、私には出来ないよ」
 迷いない、スバルの言葉。
 それが、ソラの“感情”を爆発させた。
「ならっ、どうすればいいのっ!」
 ソラは涙を流しながら、どうしようもない理不尽を突きつけてくるスバルに怒りの表情を見せる。
「もう、どうしようもないのっ! もう、星を砕く者を止めることなんて出来ないし、私が助かることも、貴方を助けることもできないっ……ならっ、なら、どうすれば悲しみを止められるって言うの!」
 既に、物語が終わっていることをソラは知っていた。
 いま自分がしていることが無駄なことで、後に残るのは不可避の死だけしかないことを知っていた。
 星を砕く者が発動すれば、ミッドチルダだけではない、周辺に存在する数多の次元世界がすべて消滅する。
 逃げることなど出来ない。世界に内包する全ての存在は迫り来る死から逃げ出すことなど出来ない。
 すべてが、手遅れなのだ。
 世界中の人々にも、スバルにも、ソラにも、後に残されているのは絶対的な死だけなのである。
「もう、誰も助かりっこない! なら……ならっ、諦めること以外にどうすればいいの!?」
 ソラに、できることはもうなかった。
 悲しみを止めることも、誰かを救うこともソラにはできなった。
 彼女に出来ることは、ただ泣いて、喚いて、嘆くことしかできなかった。
 けれど、
「そんなのは、簡単だよ」
 スバルは違った。彼女は何一つ諦めることなく、そこに存在していた。
 ただ、泣き崩れることしか出来ないソラを前にして、たったひとつの簡単な答えをスバルは教えてあげる。
「がんばって、足掻いて、それでもどうしようもないんだったら――」


「助けて、って呼んでくれればいいんだよ」


 ソラがスバルのほうを見上げれば、彼女は泣いている子供を安堵させるかのように、穏やかな笑顔をソラへと向けていた。
「そうすれば、私がきっと助けに行く。きっと、ソラを助けてみせる」
 それは慰めなどではない。それが出来ると心の底から信じている者だけが紡ぐことの出来る、力強い言葉だった。
 だが、何の根拠もないその言葉をソラは信じることが出来ない。信じられるわけがない。
「無駄だよ。そんなことしたって、どうにもならないことなんだよっ」
 スバルに、いや、この世界の誰にだって星を砕く者を止めることなんてできやしない。
 それは、もはや人がいくら足掻こうがどうしようもない絶対的な存在なのだ。
 例え奇跡が起ころうとも、覆ることのない運命なのだ。
 だと言うのに、そんなことは解りきっている事実だと言うのに。
「大丈夫だよ」
 スバルの心の奥底に存在する輝きが、曇ることなど一切なかった。
 彼女はただ伝える。大丈夫だと、きっと助けてみせると。
 そこにどんな障害が存在しようとも、問題ではない。問題になるわけがない。
 なぜならば、彼女はその為にここにいるのだから。
 泣いてばかりで、何も出来なかった自分。けれどそれが許せなくて、強くなろうと心に願った。
 泣いている人を、どうしようもない困難に見舞われている人を助けてあげたくて、この道を選んだ。
 ならば、だというのならば。いまここで、それができないわけがない。
 その為に、自分は今ここに存在しているのだから。
「駄目だよ……無理、なんだよ」
 けれど、ソラはそれでも否定する。スバルの思いを、スバルの願いを。
 それは、しょうがないことなのかもしれない。
 それが淡い希望でしかないと、ソラは思っている。信じたところで儚く散ってしまう夢物語でしかないと、そう知っている。
 だから、願うことなどできない。
 しかし、スバルはもう何も言わない。
 自分が伝えるべきことは言ったから、だから彼女に出来るのは、ただソラの言葉を待つことだけだ。
 その一言があれば、きっとどんな奇跡も霞むほどの力を出すことが出来るから。
「…………っ」
 だが、ソラもその言葉を言えずにいた。ただ沈黙を返すことしか出来なかった。
 その間にもゆっくりとソラの身体は、宙に溶けるかのようにその密度を減衰させていた。
 もはや半透明の希薄な存在となってしまったソラ。その姿が完全に消えてしまうまで、もはや時間は残されていなかった。
 このまま、彼女は消えてしまう。そうなれば、本当に何もかもが終わってしまうだろう。
 ソラは、ただ消え行く自分の身体を呆然と見詰めていた。
 もう、端末を制御する力も残っていない。この身体が消えたならば、それがソラの最後に見た光景となるだろう。
 もうしばらくは、本体の方は耐えることが出来るかもしれないが、その身体が目覚めることはもうない。
 覚めない夢に囚われ、そのままなにも感じることなく、死を迎えることになるのだろう。
 そう考えると、自然とソラは我が身を抱くように身を縮めていた。
 それを為した感覚を、その感情をソラは知っている。
 それはユニゾンデバイスに取り込まれたときに感じた原初の感情。恐怖と呼ばれる、死に抗いたいと願う、誰もが持っているそんな当たり前の感情。
 ソラは、この時初めて、これから訪れるであろう死と言う現実がとても恐ろしいものであることを知った。
 涙が溢れてくる。
 死にたく、なかった。生きて、いたかった。
 だから、ソラは自分の身体が消えていく最後の最後。粒子の欠片となって消えていくなか、小さく呟いた。



「…………たすけてっ」






「うん、すぐに助けに行くよ、ソラ」









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