魔法少女リリカルなのは 星を砕く者 第22話 守るべき世界
再び、大地を凄まじい振動が襲った。
これまでの比ではない、爆音を伴って、巨大な柱が地中より天を貫こうと噴出してくる。
いや、もはやそれは柱と形容すべきものですらない。
その直径がおよそ五十メートルを超える円柱状の物体は、もはや柱などとは言わない。
それは塔だ。天を貫く巨大な塔が、一瞬で空を穿ち貫こうと突き出した。
もはや、その全項がどれほどのものかさえ解らない。見上げたとしても、その天頂が視界に入ることはなかった。
それをスバルは見上げる。
突如現れた巨大な塔に対して、驚くことなく、怯むことなく、ただ見上げる。
そこに、ソラがいると感じた。
理屈ではなく、ただそこに自分が求めている者が存在するという確信がある。
ならば、スバルの為すべきことはたった一つ。
助けを求めている者がいる。自分が、そこに至るのを待ってくれている人がいる。
その為に、しなければならないことがある。
手にしたのは鉄色のカートリッジ。今この瞬間、この時の為に残されたスバルの最後の力。
それをリボルバーナックルに叩き込む。
「ドライブ・イグニッション」
装填する音が響き、光が弾ける。
エクスフォーム・ヘブンスキャリバー。
大空へ導く者と名づけられたそれは、スバルを遥か彼方、天空の頂へと届かせるための力だ。
魔力加速用のスピナーが四基。通常リボルバーナックルのある右手以外にもそれぞれ四肢に装着されている。
そこから風が巻き起こる。
いや、それは風などではない、スピナーの回転によって圧縮、加速された魔力がジェットエンジンの噴射口から迸る推進剤と同じ役割を果たし、爆風を生んでいるのだ。
つまり、それは前へと進むための力となる。
ヘブンスキャリバーの設計思想はただひとつ。
それは誰かを打ち倒す力を求めたものではなく。
それは誰かをより強くするためのものではなく。
それは誰かを守る為に存在する力などではなく。
ただ、スバルをより速く、より強く、より高く、走らせるためだけに存在するデバイス。
それは自分の手が届く場所へ、救うべき者の元へ一刻も早く辿り着くための手段となる。
だから、やることはただひとつ。
深く身を沈め、爆発の一瞬に備える。
準備完了。
ならば、あとはシグナルが灯るだけでいい。
その為の言葉を、スバルはもう知っている。
だから、迷うことなくその言葉を彼女は呟いた。
「準備はいい、相棒?」
『All right buddy.(はい、相棒)』
翼が、スバルの足元から光の翼が生まれる。
大空を行くための翼は、いま空へ至る道を駆けるために、大きく羽ばたく。
さぁ、一緒に行こう。
●
突如としてミッドチルダ上空に現れた惑星が、その形状変化とともに降下を始めたとの報は管理局仮設地上本部を更なる混沌の渦へと巻き込んだ。
誰しもが絶望にも似た表情を浮かべ、これからどうすべきなのか、何をするべきなのかすら解らないと言った有様だった。
しかし、その中でもほんの僅かな動揺も見せぬものも確かにいた。
自分のオフィスの椅子に深く腰掛けるゲンヤ・ナカジマもその一人だった。
彼はオフィスで一人、今こちらへと向かって落ちてきている第六十六観測指定世界の姿を、モニター越しにただ眺めているだけだ。
迫り来る死に、諦めを覚えたわけではない。
彼はそれほど諦めのいい性格ではなかったし、心配しなくていいことに不安を思うほど臆病者でもなかった。
天が落ちてくると皆は言う。
しかし、そんなものはそれこそ、杞憂と言うものだ。
そんな世界が滅ぶような事が起きるわけがない。
なぜならば、時空管理局局員は法と正義。そしてなによりも世界に住む人々を守るために存在しているのだから。
ゆえに、自分たちが生きている限り、世界が滅ぶわけなどないと――彼はそう信じていた。
そんなゲンヤのオフィスに、盆に茶を載せたギンガが入ってきた。
その姿に手を上げて答えると、彼女は呆れたように小さく溜息をつき、彼の傍らへと歩み寄ってくる。
「嬢ちゃんたちは、もう行ったのか?」
「はい、ナカジマ三佐によろしく伝えておいて欲しいって頼まれましたよ」
ギンガから差し出されるお茶を受け取り、それを口に持っていくゲンヤ。
しかし、予想よりも熱かったのか慌てて口を離し「あっつー」などと呟いている。
そんな父の姿をギンガはどこか、非難するかのように見つめていた。
「それにしても随分と暇そうにしてますね。ナカジマ三佐」
やけに棘の含まれた物言いだった。
それに対しゲンヤもどこか不機嫌そうに眉根を寄せるだけである。
「んなこと言ったってなぁ。地上本部を追い出されたお偉いさんが威張り散らして指揮とってるもんだからな。ったく、緊急措置かなんか知らんが、人の庭にズカズカ踏み込んできやがって」
それがゲンヤがこの慌しい状況の中、手持ち無沙汰になってしまっている事情であった。
まぁ、そのおかげではやての申請や、その他諸々の準備を整えられたのも確かな事実ではあるのだが、さすがに不安が募らないわけがない。
面子や体裁を気にする地上本部の高級官僚が、事態が帰結する前に、その指揮をゲンヤたちに戻すことは恐らくないだろう。
まったく持って、難儀な話である。真に正義を行いたいと願う者に仇名す輩は、身内に存在すると言うのだから。
「だが、そいつももう流石に我慢の限界ってやつだぜ」
そういうと、ゲンヤは湯飲みを一気にあおり、まだ熱いままの中身を飲み干す。
湯飲みを机の上に置くと同時に立ち上がる。そこへ通信ウインドウが開いた。
そこに映るのはゲンヤの部下であるラッド・カルタスの姿だ。
『三佐。準備の方は整いました。中央への補給物資がどうやら有り余ってるようなんで、いくらか拝借させていただきましたが、大丈夫でしたか?』
「なぁに、奴さんたちが使わないから、ちょいと借りるだけだ。いつ返すかは解らんがね」
どうみても悪者にしか見えない笑みを浮かべて、ゲンヤは呟く。
ギンガはそれを見て、やはり疲れたように小さな溜息をつくばかりだ。
「あとで怒られても知りませんからね」
「上等だね。うちの娘が今必死こいて頑張ってんだ。いつまでものんびりしてるわけにはいかねーだろう?」
そういった次の瞬間には、ゲンヤは制服の襟をただし、指揮官の顔つきとなった。
「陸士108部隊出動するぞ。空のデカ物を落とすことはできねえが、何も世界を救うってーのはそれだけじゃねえ」
「地域住民の避難誘導、予想される災害の事前阻止ですね」
「おうよ、さぁて、それじゃあいっちょ世界を助けに行くか、ギンガ」
そして、彼等もまた戦いの場に赴く。
自分たちが出来る、自分たちの居場所へ。
ただ、世界を守るために。
●
独自の組織体制を持つ聖王教会は地上の要である本部を落とされた時空管理局とは違い、混乱の度合いは少なかった。
だが、それが良いほうにばかり傾くわけではない。
そのひとつがミッドチルダ上空に突如、謎の惑星が出現してからと言うものカリム・グラシアに秒単位の休憩すら取れぬほどの激務が待ち受けていたことだった。
「住民の地下シェルターへの移動の方は……わかりました、その調子でお願いします。騎士団はいつでも動けるように第一級警戒体制のままで……ええ、なにが起こるか予想できませんから。管理局のほうはどんな様子…………そう、向こうは体勢が整うまでもう少し時間がかかりそうね。いざとなったら自治領外の救助活動も行います。越権? それはこちらの方で何とかします。今は人命優先で、ええ」
一事が万事この調子だった。
無数の通信ウインドウを利用しての会話に加え、手元はこれから必要になるであろう書類作成に余念がない。
「いやー、まさに休む暇もないとはこのことだね」
その様子を一言で表す暢気の声が響いた、同時に部屋中にさっきが膨れ上がり、その声の主を射抜く。
しかし、未だに通信ウインドウを前に会話を続けるカリムに出来るのは不機嫌そうなオーラを放出することだけだ。
だからというわけではないが、非難の声は別のところから響いた。先程からカリムの執務机と各部署を山程の書類を抱えて何往復も行き来を重ねていた聖王協会のシスター。シャッハ・ヌエラだ。
「アコース査察官は、この緊急事態に随分と余裕がおありですねぇ」
その言葉の端々には盛大な皮肉と非難の感情が入り混じっている。その彼女の視線の先。ヴェロッサ・アコースはシャッハの言葉どおり、この誰もが慌しく動き回る中、かなりのリラックスムードで過ごしていた。
応接用のソファーに腰掛け、優雅に紅茶など啜っているその姿は、まぁ忙しく働くものにとって苛立たしいものであるのは確かだろう。
しかし、ヴェロッサはティーカップを机の上に置くと、心外だとばかりに肩を竦める。
「やだなぁシャッハ。これでも必死に働いてるんだよ。なにしろ世界中に犬を放って状況を確認したり、新しい情報を集めているんだから」
ヴェロッサの言う犬とは、彼の希少技能である【無限の猟犬】の事だ。
魔力によって生成された犬たちは、通常の魔法行使とは違い、その運用距離に制限がない。そのうえ赴いた先で見たもの、聞いたものを正確に術者であるヴェロッサに伝えることが出来る。
混迷を極める今の現状では彼が知ることの出来る情報は、各地の状況を知ることの出来る、なによりも貴重なものだ。
「そんなことは知ってます。ですがロッサ、何故貴方はここで優雅にティータイムに興じているのですか?」
「いやいや、これって楽そうに見えるけど結構疲れるんだよ? だからきちんと栄養補給はしなくちゃね。倒れちゃったら大変じゃない」
そんなことを言いながら持参したお手製のケーキなどを頬張るヴェロッサ。
その出来栄えに満足したのか、嬉しそうに微笑んでいる。
「ですからっ、なぜ私たちの前でこれ見よがしにケーキを食べてるんですか、貴方はっ!」
「酷いなぁシャッハ。僕に出て行けって言うのかい。局の方をほったらかしにしてこっちを手伝っているんだよ、もうちょっと優しくしてくれてもいいじゃないか」
軽快に笑いながら肩を竦めるヴェロッサ。書類の山でシャッハの両手が塞がっている今の状況を最大限に利用している様子である。
でなければ今頃ぶん殴られていてもおかしくはない。証拠にシャッハの額にはそれはものの見事な青筋が浮いていた。
しかし、ふいにヴェロッサは表情を引き締めたかと思うとフォークをテーブルに置き僅かに居住まいを正した。
「それに、もしかしたら次の瞬間に世界が終わりを迎えるかもしれないんだ。家族と共に居たいと願うのはおかしいことじゃないだろう?」
そんなヴェロッサの台詞に、シャッハも表情を引き締める。
そうだ、そんなことは起きるわけがないと、誰が言い切ることが出来るだろう。
終わりは訪れる。それは生きている以上絶対に回避することの出来ない事象だ。
そんな悲劇を起こさない為にたくさんの人が今も戦い続けている、だから終わりは訪れるわけがない――そう、断定できるものなど存在しないのだ。
「ロッサ……」
普段、滅多なことで見せることのないヴェロッサの真摯な眼差しに、シャッハは彼の覚悟を感じ取る。
ヴェロッサだって、今この瞬間も世界が終わりを迎えないように必死で頑張っているのだと。
しかし……、
「いや、まぁ冗談なんだけどね?」
相好を崩して軽快に笑うヴェロッサ。先程の真面目な眼差しなど一ミリたりとも残ってはいなかった。
プチ、と何かが切れる音がした。俗に堪忍袋とか呼ばれるものの切れる音だ。
続けて書類の束が盛大に落ちる音が響いたかと思うと、次の瞬間にはシャッハは無言のままヴィンデルシャフトを両手に構えていた。
「え? あれ? ちょ、ちょっとシャッハ? 何かいろいろと大事なもの、主に書類とか道徳観とかシスターとしてのおしとやかさとかを落としたみたいだよ?」
「大丈夫です。終わったらちゃんと懺悔しますので」
ひたすらに、真面目な面持ちのまま呟くシャッハ。目がマジである。
「いや、ちょっと待って。わ、解った真面目にする。真面目にするからっ!」
「問答無用ですっ!」
そう言ってヴェロッサに飛び掛ろうとするシャッハ。
そこで机を叩く盛大な音が響いた。
衝撃に身構えるヴェロッサも、慌てて急停止したシャッハも、音のした方向へと視線を向ける、そこには、
「シスターシャッハ。アコース査察官。仕事の邪魔になりますので、暴れるなら……出て行ってもらえますか?」
何時もと変わらぬ柔和な笑顔のまま、その背後からなにやらどす黒いオーラを醸し出すカリムの姿があった。
『今すぐ真面目に仕事をさせたいただきます』
直立不動の姿勢で答えるシャッハとアコース。それを受けてカリムはニコリと微笑むと「よろしい」と一言だけ告げて再び仕事に戻った。
シャッハは涙目になりながら散らばった書類を拾い上げ、ヴェロッサも無限の猟犬から送られてくる情報の整理に集中しようとする。
だが、その前にヴェロッサは窓の向こうに広がる空を覗き見た。
そこには空を覆いつくさんとばかりに広がる、巨大な星の姿。それを見ながら彼は小さく呟いた。
「まぁ、家族も一人足りないことだし、世界の終わりにはもう少し待ってもらうことにしようか」
●
駐機場には今、喧騒が満ちていた。
しかし、それは混乱により引き起こされていた仮設本部の中で行われていたものとは、些か趣を異にする。
そこにあったのは、これから起こるであろう事態に対して士気を高めるような、どこか高揚を感じさせる喧騒だった。
それもそのはず、この場に集っているのは全て前線で戦うために集った者たちだったからだ。
中央の航空武装隊を中心都市、各地区の地上警備隊。なかには教導隊のメンバーや執務官の姿さえある。
立場や身を包む制服はまるで統一を見せることなく、しかしここに居るのはたった一つ目的を持って集った者たちであった。
つまり、この世界を守りたいと、そう心の底から願うものたち。
彼等にはこれから困難に過ぎる任務が待ち受けているのというに、悲壮感を見せるものは誰一人として存在しない。
誰もが笑顔で、肩を叩きあい、初見だというのに十年来の友人に出会ったかのように雑談に興じている。
そんな彼等の間を縫うように長身の女性が一人。
赤い髪を揺らすシグナムだ。彼女は顔見知りの青年を見かけて、その傍に寄っていく。
それに気づいたのか、先に声をかけてきたのは青年の方からだった。
「うっす、シグナム姐さん。そっちのほうはどうでしたか?」
機動六課が解散後も本局所属のヘリパイロットとして幾度かシグナムと任務を共にしているヴァイス・グランセニックだった。
いつもはその性格から、その周囲には誰かしら集まる傾向にあるが、今は珍しく一人で愛銃であるストームレイダーの整備をしているところだった。
「各隊長の方々が動けるように上申してくださっている。出動規制ももうすぐ外れるだろう」
「そいつは上々。ようやく腕の見せ場ができましたよ」
嬉しそうに呟きながら、カートリッジチャンバーの動作を確かめるヴァイス。その様子に、シグナムは意外そうな表情を浮かべる。
「いつになくやる気だな。何か思うところでもあるのか?」
「んな、俺が普段は真面目に働いていないみたいな……まぁ、それ抜きにしてもやる気も出るってもんですよ」
心外そうに呟くヴァイスだったが、次の瞬間にはどこか悪意ある含み笑いを漏らしていた。
「アルトの奴にはお呼びがかかったってーのに、俺が呼ばれないとは……ふっふっふ、この鬱憤どこで晴らしてくれようかと思っていたんですよ」
どうやら、フェイト救出のためのメンバーに自分が選ばれなかったことを根に持っているようである。
後輩であるアルトが休暇を利用して出向していることが、より彼の不満を募っているのだろう。
彼もまた、できることならばかつての仲間の為にアースラに乗り込みたかったと言うのが本音なのだろう。
しかし、そんなヴァイスの言い分に、シグナムは呆れたような溜息を返すだけだ。
「まったく、何を子供みたいなことを言って拗ねてるんだ、お前は」
「姐さんにはこういうシチュエーションに燃える男気ってもんが解んないんッスよー」
後輩に対してはよい兄貴分として慕われているが、シグナムなど気心の知れた目上の者に対しては偶にこうして子供っぽい一面を見せることのあるヴァイスだった。
きちんとそこら辺を使い分けられているのはよい事だが、できるならば常に真面目であって欲しいと願うのは贅沢な悩みなのだろうか。
ふ、とどこか諦めにもにた、しかしけして悪い感情から来るものではない吐息を漏らしてシグナムは踵を返す。
「まぁ、士気が高いのはいいことだ。ただ、本番前に燃え尽きたりするなよ」
「了解ッス、あ、ところで姐さん」
ここにはついでに寄っただけだったシグナムだったが、そんなヴァイスの呼びかけに再び足を止める。
その長いポニーテイルを翻し、身体ごと彼女は振り返る。何をするにしても真っ直ぐに過ぎる性格だ。
「どうかしたのか?」
「いや、さっきまでここの奴らと賭けをしようとしてたんですけどね」
「また、おまえは……」
真面目に居て欲しいと考えた傍からこれである、やはり一度徹底的に教え込んだほうがいいだろうか。物理的に。
そんな物騒なことを考えるシグナムに気づいていないのか、彼は駐機場の天井を見上げる。
そこには採光用の窓がついており、しかし、そこは今暗い影が落ちたように漆黒に染まっていた。
「それが、アレがホントにここまで落ちてくるかどうかって賭けにしようと思ってたんですけどね……姐さんならどっちに賭けます?」
くだらない、本当にどうしようもなく下らない質問だった。
だから、シグナムはそのまま再び踵を返してこの場を後にしようとする。
最後に、その質問の答えを背中越しにヴァイスへと返して。
「そんなもの、なんの賭けにもならんではないか」
「やっぱ、そうッスよねー」
ヴァイスもシグナムから返ってくる答えを知っていたかのように、ただ気の無い返事を返すだけだった。
結局のところ、この場に集ったのはそんな輩ばかり、ということである。
●
誰もが皆、本当は震えていた。
終わるわけにはいかない。終わらせなどしない。
そう胸に刻みこもうとも、空を見上げればそこには、ひたすらに破壊をイメージさせる脅威が浮かんでいた。
それを見て、戦慄せぬものなど、恐怖を覚えぬ者などいるわけがない。
みんな、怖かった。みんな、それが恐ろしかった。
もうすぐ、自分は死んでしまうのだと、誰もが連想した。
その脅威に対し、人がどれだけ集い力を合わせようとも、無駄でしかないと理解していた。
もはや、それは絶対不可避の存在としてそこに君臨する、死と等号で結びつけることしかできない存在だった。
挫けるものが居た。諦めるものが居た。ただ絶望を感じるだけの者もいた。
それが当然。
それが人間という存在の限界だった。
それが当たり前の事実であった。
だが、その中にほんの僅かだけ、諦めなかったもの達も存在していた。
彼等もまた、ただの人間だった。
立ち上がろうとする脚は震え上がり、立ち向かおうとする心は震え、奇跡を起こすような特別な力を持つことも無い、ただの人間だった。
それでも彼等は立ち上がり、意思を持ち、ほんのちっぽけな力をその手に握った。
何が彼等をそうさせたのか――それはどこにでも転がっているような理由でしかない。
この世界を守りたいから。それ以外の理由など、存在していない。
大切な者がいるこの世界を、大切な場所のあるこの世界を、大切な者を育んでくれたこの世界を、守りたいとそう思っただけなのだ。
『世界を救う? そんなこと、ただの人間にできるわけがないだろう?』
誰かがそう言った。
それはどこにでも存在する者の言葉だった。誰もが知っている普通や常識と呼ばれる存在だ。
“彼”は呟く、全ての人々の耳元で。
『馬鹿げている。そんなことできるわけがない。夢を見るのもたいがいにしろよ』
それは、諦めろと囁く。それが無為な事でしかないと。神話の英雄でもない貴様ができることなどではないと。
その言葉はゆっくりと彼等の心の奥底に浸透していく。
時が経てば経つほど、それは積みあがり、立ち上がったものすらも押し潰そうと圧し掛かる。
まったく、それは――――なんて戯言。
“彼”はそんな言葉で立ち上がった人々を再度、跪かすことが出来ると、本気で思っているのか。
普通? 常識? そんな名の人間など存在しやしない。それはただの幻想にしかすぎないのだ。
そんな希薄な存在が、怖れ、慄き、恐怖に身を震わせながら立ち上がった者を屈せさせることなど、ありはしない。
だから、怯えようとも迷うことは無い。怖れようとも諦めることなど無い。
だから、彼等は世界を救うために、自分に出来ることを成し遂げるために、その震える足で前へと――
●
――ひた走る。
目の前に聳える巨大な塔を駆け上る。
その先に、助けを待っている人が居るのだから。
足首に装着された二基のスピナーが鳥の嘶きのような稼働音と共に、推進剤となる魔力を爆発的に放出する。
強力なグリップコントロールにより、垂直にそそり立つ塔を道とし、スバルは大空の彼方にある頂を目指して走り続ける。
それを、煩わしいと、それが邪魔だと感じたのだろう。
妨害は、すぐに塔を走るスバルへと襲い掛かってきた。
それは、この塔自身。いや、より正確に言うのならば、この星と融合を果たした星を砕く者だった。
塔の壁面が歪み、そこから巨大な蝕腕が生えてくる。塔全体を巨大な幹と考えるのならば、それは枝だった。
塔の外壁を突き破り、次々と姿を現す無数の枝。
それらは、一つ一つがまるで意思ある獣のように、多角的にその全容を変貌させ、スバルを打ち潰すべく彼女の元へと殺到してくる。
枝とはいえ、その全体のスケールから考えれば一本一本が大木ほどもある巨大なものだ、それが凄まじい速さで押し迫ってくる。その破壊力は一体どれほどのものなのか。
少なくとも人間一人を潰すには有り余る力であることは確かだろう。それが幾十、幾百もの群れをなして襲い掛かってくる。
だが関係ない。どんなものが来たところで、スバルが怯むことなど無い。
「邪魔だああああああああぁぁっっ!!」
両手を進行方向へと突き出す。同時にエクスフォームの効果により周囲に満ちている尋常のものを遥かに超える量の魔力が、両腕に付けられたスピナーの回転に同期するかのように収束していく。
そして、蓄えられた魔力は開かれた彼女の前で確かな形を成した。
それは近代ベルカ式のトライエンブレム。スバルが選んだのは迎撃の為の攻撃力ではなく、全てのものを弾く防御の力だった。
迫り来る無数の枝の攻撃を、その二枚のシールドで全て防ぐ心積もりなのか。
だが、それは無限に近い魔力を得たスバルとはいえ難しい。足を止めてしまえばあっという間にその小さな身体は巨大な枝の群れに囲まれてしまうだろう、そうなればもはや動くことは……ソラの元に辿り着くことはできない。
だから、スバルの選んだ答えは単純明快。
彼女は、止まらなかった。
両手の先に浮かんだトライシールドを構えたまま、更に両足に魔力を込め加速。
空色の魔力光の尾を引くその姿は、さながら空へと駆け上る流星のように。
そして、着弾。スバルと巨大な枝が激突する。
その結果は、あまりにも解り切っていた事実だった。巨大な枝は、スバルと接触した途端、あらぬ方向へと弾き飛ばされたのだ。
減速などおきない、そのままのスピードでスバルは更に前へと突き進む。
その原理は恐ろしく単純極まりない。基本的な原理はエクセリオンによるA.C.Sと何も変わらない。
時速十キロで飛ぶボールと、時速百キロで飛ぶボールが正面からぶつかればどうなるか。
正解は簡単。遅いほうが弾かれる。
つまるところ今のスバルの役割は、速いボールであるということだ。
もちろん、今現実に起こっている事はそれほど単純な話ではない。スバルと枝の間には圧倒的なまでの質量差が存在し、なにより正面からぶつかればスバルとて減速は免れない。
だが、今のスバルはボールではない。両腕に展開したシールドの効果範囲を円錐状に変化させた今の彼女はさながら弾丸だ。
正面から来ようとも、穿ち貫く力を持った一発の弾丸。
それに銜え、ヘブンスキャリバーによる圧倒的なまでの加速力を加えれば、その破壊力は何乗にも跳ね上がる。
それはもはや加速力や速度といった概念のものではない。突破力とでも言うべき、巨大な力だった。
ストライク・チャージ・システム――S.C.Sとでも呼ぶべきそれは、スバルをもはや止めることの出来ない一条の閃光に生まれ変わらせる。
群れを成す枝は、誘導弾じみた軌道を描き、そんなスバルを叩き潰すために押し迫るが、もはやその程度の攻撃がどれほど彼女に降りかかろうとも、枝はスバルに触れることすら出来ない。
近づいた途端に片っ端から軌道を反らされ、叩き潰すどころかその進行を足止めすることすらできやしなかった。
だが、星を砕く者も効かぬ攻撃を繰り返すほど愚かではない。
それがスバルを打倒する手段になりえぬと判断した瞬間には、新たな攻撃方法を確立していた。
枝はスバルを追うのではなく、その進行方向の一点に急速に寄り集まり始めた。
枝と枝が絡み合い、その大きさが肥大化していく。
ひとつでも大木ほどの大きさを誇るそれが、収束しているのだ。気づけばそれは比喩するものが存在しないほどの巨大な鎚と化していた。
その役割はただひとつ、叩き潰すことのみ。
ゆえに、その巨大なハンマーはスバルを再び正面から打ち砕こうと押し迫る。
先程のものとは比べ物にならないその質量さ、弾き飛ばすには流石に無理があった。
だから、いや、だからこそ話は簡単だ。
弾き飛ばすことが出来ないというのならば――穿ち貫けばいい。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおああっっ!」
咆哮と共に、スバルが広げていた両腕を組んだ。それは眼前にひとつの拳となって形作られる。
そしてその手のひらの先に浮いていたトライシールドもまた、その拳の先でそれぞれ上下逆さまに重なり、ヘキサグラムを描く。
それによって、
より強靭に、より強く、より硬く形成されるスバルの盾は、その速度を持って突破力という名の全てを穿ち貫く槍となる。
そして、激突。
叩き潰すための巨大なハンマーと穿ち貫くための鋭い槍が交差する。
しかし、結果は見なくとも解った。
すばやく動き回る羽虫を確実に叩き潰すために被弾面積を広げた星を砕く者のハンマーと、ただ前へと突き進もうと一点を貫くために創られたスバルの槍。
その意思を折ることが出来ないように、スバルの一撃も砕かれることは無い。
スバルは振り下ろされたハンマーの中心を打ち貫き。バラバラに吹き飛ぶその中をまるで速度を緩めることなく突破した。
気づけば、スバルは塔の中腹にまで登りつめていた。
もはや眼下には霧のように霞む大地が僅かに見えるだけであり、天頂方向には遂に塔の途切れる場所――その頂が微かに視界に入る。
あそこにいる、助けを求めている人がそこにいる。
だから、スバルは請い願う。
もっと速さを、もっと速度を、高く遠くまで飛ぶための力を――と。
しかし、そんなスバルの飛翔を阻害しようとするものは未だに諦めてなどいなかった。
星を砕く者は、単純な物理的手段ではスバルを止めることが出来ないと悟ったのか、その根本的な阻害手段を変えることにした。
考えてみれば、律儀に叩き潰す必要など星を砕く者にはないのだ。
なぜならばスバルの敵はこの星そのものであり――それはつまり、今彼女が踏みしめている塔もまた星を砕く者の一部であるという事実。
そして、その次の瞬間には巨大な塔は、歪れた。
まるでそれ自体が飴細工か何かであるように、捻れ、歪み、崩れ、スバルが踏みしめるはずの外壁は突如として彼女の足元から消え失せることとなった。
そう、もはや彼女が踏みしめるべき大地すら、スバルの敵なのだ。
塔はそのまま更に形を歪ませ、さながら崩壊を続けるバベルの塔のように絶えずその形を変える。
もはや、それが足場として機能しないのは明白だ。
そして、足場を失ったスバルは、中空へと放り出される形となる。いくら、とてつもない加速力を持っているとしても、進むべき道が無ければ意味は無い。
途端に速度を失い、空を彷徨うスバル。
そこへ、止めとばかりに塔の外壁から再び枝が無数に突き出し、宙に放り出されたスバルを改めて叩き潰そうと殺到する。
だが、星を砕く者はまだ何か勘違いしていたようだ。
踏みしめるべき道がスバルに存在しない。
誰が、そんな世迷いごとを信じるというのだろう。
彼女には果たさなければならない目的がある。やり遂げなければならない使命がある。
助けなければならない、人がいる。
その為の道が存在しないと言うのなら――自らの手で、創り上げればいい。
「相棒ぉっ!」
『Heavens Road.』
爆音にも似た咆哮が、スバルの両足から響いた。
それはスピナーが高速で回転を続ける轟音だ。魔力が集い、光の粒子となってその場に溢れる。
そして、道は創られる。
集い集まった光の輝きは、明確な形となってスバルの足元に生まれる。
それが切欠だった。次の瞬間には光は爆発的に広がり、巨大な塔の周囲を囲む巨大な螺旋状のレールとなる。
スバルの求める者が存在する場所を終着点とし、一瞬で道は出来上がった。
それこそが、スバルが創り上げたソラへと至る道。
そして舞台は整った。ならば後は駆け上がるだけだ。
スバルは、確かにその光の道を踏みしめると疾走を再開した。
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