魔法少女リリカルなのは 星を砕く者 第23話 ソラへ至る道




 光の道がそこには存在する。
 大空にある、あの頂へと続く遥か長い道。
 しかし、どれだけ長い道程であろうともその終着が存在しないことなどない。
 終わりはどんなものにでも存在する。
 それは道行きの終点だろうと、世界の終末だろうと同じことだ。
 ならば、話は簡単。
 どちらが、先に辿り着けるか。それを競い合うだけでしかない。
 だから速く、誰よりも速く、終わりよりも速く、スバルは駆けるだけだ。
 もはや爆炎のような魔力の奔流を、その足元から迸らせ、スバルは自らが作ったレールのうえをひた走る。
 塔の周囲を囲むように、上へと伸びる螺旋を描くようなその軌道は、先程、塔の外壁を垂直に走っていた時よりもその道程が長くなってしまった事を意味している。
 しかし、メリットもいくらか存在した。
 それは今スバルの居る場所が、自らが作り出した光の道以外、何も存在しない空間であるということ。
 いまや、この星そのものと化した、星を砕く者と敵対しているスバルにとって唯一安全な場所が、その何もない空間だった。
 塔の外壁からは、未だに無数の枝が伸び、スバルを追い落とそうと追跡を掛けてくるが、それが彼女に効かないことは既に立証済みだ。
 星を砕く者に打つ手がないというのならば、たとえ垂直の外壁を走るより、時間が掛かったとしてもスバルは安全確実に天頂へと辿り着くことが出来るだろう。
 だが、星を砕く者は自分の身体を這い回る害虫を、見過ごすことなど出来なかったようだ。
 その前兆はスバルの直下から、轟音となって響いてきた。
 既に大地は遠く離れ、そこで何が行われているのか、スバルに知る方法はない。
 だが、わざわざ知ろうとする必要などなかった。それは腹の底に轟くような重低音を、秒単位で大きくしながら、スバルの元へと近づいてきた。
 それは、塔だった。スバルが先程まで昇っていたものではない。
 新たな第二の塔が、地上から空に居るスバルに向けて押し迫ってきているのだ。
 なるほど、目の前にある塔が全てであるわけがない。なにせ、この星は全て星を砕く者の指揮下にあるのだ。
 ならば、同じものをもうひとつ作れぬ理由がどこにあるというのだろう。
 ほぼ同スケールの第二の塔は、スバルを直下から突き上げるかのように凄まじい速さで、成長を続ける。
 このままでは、飲み込まれてしまうと判断したスバルは慌てたようにスピードを更に一段階上げ、天上への道を疾走する。
 直後にスバルの背後で轟音が響いた。
「あっぶなぁ……にしても、無茶苦茶するなぁ」
 背後の様子を伺ってみればスバルがつい先程まで居た空間は、そこに存在する光の道ごと第二の塔に飲み込まれていた。そのまま第二の塔は更に天上へと向けて成長を続ける。
 流石に、直径五十メートルはあろうかという巨大な柱の一撃を弾いたり、突き崩すことは今のスバルとて難しい。
 それほどまでに、今のは規格外の一撃だった。しかし、地上から伸びてくるという制約がある以上、第三、もしくは第四の塔がスバルへと押し迫ってきたとしても、もはや遥か空の彼方にいるスバルに届くまでには幾らかのタイムラグが生じる。
 その隙を突いて、回避することは容易いことだった。いくら強大で絶対的な力であろうとも、当たらないというのならば、それはもはや脅威でもなんでもない。
 だが、その時スバルは正確に把握していなかった。
 いま自分が何と戦っているのかということ。そして、その本質を見透かすことは未だに彼女は出来ずにいたのだった。
 スバルが今敵対しているのは、この星そのもの。
 つまるところそれはこの星に存在する何もかもが、星を砕く者の意のままに操ることの出来る手足だという事実を、理解していなかった。
 その可能性は既に示唆されていたというのに、スバルが迫り来るその脅威に気づいたのは、自分の周辺全てを暗い影に覆われてしまってからだった。
 何かが、自分の頭上に存在する。既にスバルは何もない大空高くにいるというのに、自分の足元に巨大な影を形作る何がそこに存在するというのか。
 見上げれば、答えはあまりにも明確にそこに存在していた。
 塔だ。スバルが回避し空高くへと打ちあがったはずの第二の塔が、まるで回頭するようにその身を捻り、その先端を今度は頭上からスバル目掛けて落としてきたのだ。
「――くっ!」
 判断は瞬時。やはりあれほどの大質量のもの、受けられるわけがないし、弾くことも出来はしない。
 スバルは魔力を噴射剤とし、更に加速を行う。進むべき方向は前ではあったが、それでも彼女は回避を選んだ。そうしなければならない相手であった。
 再び、塔の一撃はスバルが元いた場所を食い破り、そして、今度はそのまま下方へと過ぎ去っていくことはなかった。
 慣性や重力と言ったものを全て無視して、塔はその身体をぐにゃりと、九十度曲げたかと思うと逃げるスバルへの追跡を開始したのだ。
 それは片っ端からスバルの残した光の道を食い破り、その先にいる彼女へと喰らい付こうとその身を絶えず歪ませ、追ってくる。
 もはやそれは塔ではなかった。それは獲物を執拗に追い続ける大蛇とでも呼ぶべき存在だった。
 枝、鎚ときて次は大蛇。まったくもって整合性もなにもない無秩序で、そして何よりも無茶苦茶な攻撃だった。
 身を捩じらせながら光の道を走る大蛇はもはや、スバルだけに狙いを定めて疾走してくる。
 大地から伸びているはずのそれは、秒を追うごとに成長と変化を繰り返し、際限なくこちらへと迫り来る。
 それに対し、スバルが出来るのは残念ながらより速く前へと、逃げることだけだった。
 幸いなことに、真っ直ぐに伸びるのとは違い、スバルの後を追うように複雑な成長を絶えず繰り返している大蛇のスピードはそれほど速くはない。
 このまま逃げ切ることは可能だ。
 しかし、今までの攻防から星を砕く者は、今行っている攻撃が意味を為さないと判断した瞬間に、新たな攻撃を行ってきている。
 先読みするような発想力は低いが、状況に対応する学習力は非常に高いようである。
 ゆえに、このままでスバルに追いつけないと判断した大蛇は進行ルートを変えた。スバルの行く道を追うように光の道を食らうのではなく、突如として直上へと成長方向を変えた。
 スバルの創った光の道が螺旋を描いている以上、真上にはスバルがやがて通るべき道が存在していることになる。
 大蛇はスバルではなく、まずその進行ルートを潰そうと企んだのだ。
 ウイングロードの応用魔法、ヘブンスロードはその利用方法が元のそれより若干違う。
 スバルの意思により絶えず道筋を変え、空を飛ぶ為の翼となるウイングロード。
 それとは違い、ヘブンスロードは完成した時点で始点と終点までの完全な道を作る空へと至る道を創る魔法だ。
 これだけを聞けば応用力が足りない分、ヘブンスロードのほうが劣っているように見えるが、完全固定化によりその強度はウイングロードよりもはるかに高くなり、加速用の付加魔法が掛かっているために道の上を走るときは通常よりも高速での移動が可能となっている。
 結局のところ、どちらにもメリット、デメリットが存在する魔法なのだが、今回はその完全固定化の弱点を狙われてしまった形となった。
 流石にウイングロードと比べ、強靭な強度を誇るのだが、流石にあれほどの物体に激突されれば移動魔法であるヘブンスロードが耐えられるわけがない。
 直上にある道と大蛇が激突した時、光の道はあっさりとガラス細工が砕けるように吹き飛ばされてしまった。
 それはスバルの進むべき道が一部が掛けてしまったことになる。それを飛び越すことも、迂回することも可能ではあるが、その分スピードが落ちてしまうのは否めない。
 結局スバルが選んだのは、飛翔だった。開いた大穴を一足飛びに飛び越える。なんなく向こう側へと着地することには成功したが、やはりその分スピードが落ちてしまう。
 その隙にも大蛇は暴れまわっていた。スバルの道行きにある光の道を次から次へと食い潰す。
 虫食いだらけの道を先程と同等のスピードで疾駆することはもはや不可能だ。それが星を砕く者の狙いなのだろう。
 そして、必然的にスピードの落ちたスバルは大蛇の格好の獲物となる。
 それを確認した大蛇は、光の道の破壊をやめ、今度こそスバルを叩き潰すべく真っ直ぐにこちらへと落ちてくる。
 スバルの進行方向には巨大な大穴、加速による回避はもはや出来ない。
 受けることも、弾くことも不可能。それを知ったとき、スバルは足を止めた。
 走ることを止め、その場に留まったのだ。
 もはや棒立ちとなったスバルに向けて大蛇がその先端を開いた顎に見立てて喰らい付く。
 それは人間一人を屠るにはあまりにも強大に過ぎる力だった。その一撃を喰らえば、衝撃でバラバラに砕け散ったとしてもおかしくない程に。
 だが、激突の瞬間、あまりにもおかしなことが起こった。
 大蛇がその進行を、成長を止めたのだ。いままで絶えず成長を繰り返してきたその身がいまや微動だにしない。
 スバルを倒した今、その意味もないということか。
 いや、違う。大蛇は進行を止めたのではない――止められていたのだ。
 見れば、塔の先端にスバルがいた。彼女は両の手を掲げ、大蛇の先端にその手をめり込めませ、確かに光の道の上に顕在していた。
 だが、それは余りにも無謀極まりない対応だ。その一撃は人間に止められる限界を遥かに超越している。
 それでもスバルは立っていた。限界を超えたその向こう側に既に彼女は辿り着いていた。
 スバルの目の色が、いつの間にか変わっていた。
 それは比喩ではない。彼女の翡翠色の混じる黒瞳は、いまや光り輝く金色の瞳となっていた。
 戦闘機人モード。彼女の中にある戦闘機人としての能力を最大限に発揮することのできるスバルの能力のひとつである。
 通常ならば、魔力制御が不可能な状態での使用を主として使われるが、いまスバルは現存する全ての魔力を大蛇の一撃を受け止めるための防護の力へと変換していた。
 それにより、何とかその一撃を受けることには成功した。
 そして戦闘機人としての力を利用して、迎撃の一撃を放つ。
 四基のスピナーが高速で回転を始める。魔力ではなくスバルの持つ能力を最大限に発揮させるために。
「振動爆砕――寸頸」
 スバルの先天的固有技能。振動破砕。
 振動波による共鳴現象により、接触した相手を粉砕する一撃必倒の技である。
 通常、スバルはこれを拳に纏わせ、振動拳と呼ばれる打撃攻撃として利用するが、今の一撃はそれをアレンジしたものだ。
 大蛇に突き刺さった両腕を触媒とし、触れているもの全てに振動波を直接送り込む零距離崩壊技能。
 そして、刹那の間に振動エネルギーはスバルと繋がったままの大蛇の全てを駆け抜けた。
 その大蛇を構成している物質は暴走したこの星そのものである。しかし生きている以上その振動波から逃れることは出来ない。
 ひとつの振動は、しかし次々と共鳴現象を引き起こし、大蛇の中で暴走を続ける。
 そして、その末に行き着くのは完全なる崩壊だ。限界を超えたその振動波に、大蛇の全身が更に膨れ上がったかと思うと、全長数キロ、直径が五十メートルはあろうかと言う大蛇は次の瞬間に崩壊した。
 スバルのたった一撃の拳によって、その巨大な物体は完全に粉砕されたのだ。原理が解っていても、到底信じられる光景ではなかった。
 だが、それによってスバルが負ったリスクもまた小さなものではなかった。
 大蛇に突き刺していた両腕はまるで火傷を負ったかのような無残な負傷痕が残されていた。機械部品を積んでいる右腕のリボルバーナックルやヘブンスキャリバーも深い亀裂をその身に刻まれてしまっていた。
 積み重ねた研磨により制御することを可能とした振動拳とは違い、振動破砕をアレンジした先程の技は、どうしてもスバル自身にも重大なダメージを負わせてしまう諸刃の剣であった。
 魔力を防御へと回したことにより、その被害は最小限に抑えられはしたが、それでもあと一撃、全力の一撃を放てるかどうかは微妙な所であった。
「ごめんね」
 傷ついた己のデバイスを見て、スバルは悲しそうに呟く。
 もはや、あの状況でとれる手段は他になかったとはいえ、やるせない気持ちになってしまう。
 だが、そんなスバルに向けて声が届いた。
『Worry is not needed.(大丈夫です)』
 見れば、足元の宝玉が明滅し、自分の相棒であるスバルに語りかけていた。
『different from that time. You and we can still run. (あの時とは違います。貴方も私達も、まだ走ることが出来ます)』
「マッハキャリバー……」
 “彼女”は、かつてその期待に応えることができなかった事がある。
 敗北を経験し、自らの主を――いや、相棒の為に走ることができなかった。
 スバルの大切な人を助けるために、走ることが出来なかった。
 だから、力を求め――そして今またスバルを空に至らせることの出来る事のできる力を手に入れた。
 ならば、走ることが出来ないわけがない。
 ソラへと導くことが出来なくなることなんてない。
『Let's prove. Meaning where we are together(だから、証明しましょう。私達が共にいる意味を)』
 相棒のその言葉で、スバルは覚悟を決めた。
 失うことを怖れて前へ踏み出すことが出来なければ、何も手にいれることはできない。
 何かを守れることなど出来ない。
 だから、スバルは迷うことなく天を見上げる、その先に守るべきものがあると信じて。
『Are you ready buddy?』
「うん、行こう。マッハキャリバー!」


 彼女達を止められるものなど、もはやどこにも居ない。



 ●



 既にアースラは第六十六観測指定世界の大気圏外から離脱し、周辺宙域にてミッドチルダへと落下を続ける巨大な惑星を見渡せる地点に待機していた。
 あの星に留まることは出来なかった。
 突如大地を割って飛び出してきた無数の蝕腕群がアースラを打ち落とそうと迫ってきたのだ。
 武装のないアースラにそれに抵抗する術はない。
 結局彼等は逃げるように第六十六観測指定世界から離脱することしか出来なかった。
 スバルを一人、あの星に残して。
 それは仕方のなかったことだった。あの場に残ってもアースラスタッフに出来ることはなく、ただ全滅を待つことしかできなかったのだから。
 その判断を非難することの出来るものなど居ない。
 たった一人の為に、アースラに乗る全ての者の命を危険に晒すわけにはいかなかったのだ。
 それはスバル自身も納得していることだ。いや、彼女のことだ、自分のために誰かが命を賭けることなどけして望まないだろう。
 だから、これはある意味当然の結果であった。
 どうしようもないくらい非の打ち所のない、あたりまえの答え。
 だが、それに異を唱えるものがここに居た。
「離して、キャロ!」
 ティアナ・ランスターだ。彼女はいま転送トランスポートに向かおうとしていた。
 たった一人、あの星に取り残されたスバルを助けるために、単身第六十六観測指定世界へと戻ろうとしていたのだ。
 そんなティアナをキャロは必死に引きとめようとその腕をつかんで離さない。
「ダメです。今戻ったら、ティアさんも危険です!」
 キャロにとって、ティアナもスバルも大事な仲間だ。比べることなどできず、どちらも失いたくなどない。
 しかし、だからと言って無策のままあの星に戻ったところで、犠牲者がより増えるだけの結果しか残さない。
 それを知りながらティアナを行かせることなど、キャロにできはしなかった。
「今あの星に戻るのは危ないってことはティアさんだって、解ってますよね!」
 説得を続けるキャロ。しかしティアナが前へ行こうとする力を緩めることはない。
 彼女はキャロの方ではなく、ただ転送ポートがある方向だけを向いたまま呟く。
「そんなこと、充分承知してるわよ……」
 魔力もない、体力も限界を塔に超えているボロボロの自分があの星に行ったところで、それが無為に終わる可能性が殆どだということくらい、ティアナも理解していた。
 それでも、前へと進もうとするティアナの意思はけして揺るぐことなどなかった。
「なんで、なんでそんなことするんですか! ティアさんが死んじゃったらみんな悲しみます、スバルさんだって、そんなこと願ってない!」
 それはキャロがそう思っているというだけではない。スバルの確かな思いなのだろう。
 だが、
「そんなこと、解ってるわよ!」
 答えるティアナの声は震えていた。
「けど、いまあの馬鹿はよく知りもしない誰かを助けようと戦ってんのよ! 自分の事なんかちっとも考えずに、自分が死ぬかもしれないって、知りながら……」
 気づけば、ティアナの歩みは止まっていた。
 ただ泣きそうな、震える声で小さく呟くだけだ。
「なら……誰が、アイツを助けてあげられるのよ……誰がスバルを守ってくれるのよ……」
 スバルはずっと守ってくれていた。
 どんな時も、どこに居ても、ずっと守ってくれていた。
 何度も、何度も助けられた、諦めそうになった時は、いつだって救ってくれた。
 なのに、彼女が危機に陥っている今、自分は彼女の事を守れずに居た。
 訓練校で、出逢った時からコンビを組んだ。
 彼女が前衛で、自分が後衛。だからスバルの背中を守るのは自分の役割の筈だった。
 けど、本当に大事な時はいつも守られてばかりで、本当に大事な時に助けてあげることができなくて。
 そして今もまた自分は、ここに居る。
 スバルの背中を守ることの出来る場所ではなく、その手が届くことのない場所に。
「教えてよっ、なんで私はアイツを助けてあげられないの! なんで、スバルの事を守ってやれないのよ……」
「ティア……さん……」
 泣き崩れる子供のように震えるティアナを見つめる事しかキャロには出来なかった。
 彼女もまた、今のこの状況をどうにかできる力なんて持っていなかった。
 辛そうに、悔しそうに見守る事しか出来なかった。
「お願い…………誰か、スバルを助けてあげてよ……」
 縋るように紡がれるティアナの言葉。
 しかし、無力な少女達の懇願の言葉を、受け入れてくれる存在など――、


『大丈夫だよ』


 声と共にティアナたちの傍らで通信ウインドウが開いた。
 ティアナとキャロは突然現れたその通信に、ゆっくりと視線を向ける。
 彼女はその中で、慈愛に満ちた笑顔を浮かべたまま、ただ静かに告げていた。大丈夫、だと。
 その願いを聞き届けてくれるものはこの世界に確かに存在すると。
『ティアナもキャロも、頑張ったよね。頑張って、頑張って……それでもどうしようもないから、泣いているんだよね?』
 時空管理局にはいくつかの尊称が存在する。
『でも、それはけして恥ずかしい事なんかじゃない。いつだって人ができる事には限界があって、どうしようもない事があるから』
 その中のひとつに、エースと呼ばれる称号がある。
『だから、それでも悲しい結末を迎えないために、できることはあるんだよ』
 たった一人で敵陣を突破し、不可能といえる任務を成し遂げ、生還する事が出来るものに与えられる称号。
『呼んで、私たちのことを。信頼できる仲間のことを』
 そのなかでもエース・オブ・エースと呼ばれる一人の魔道士が、そこに存在した。
『そうすれば、きっと……助けてみせるから』




「なのはさん……スバルを、助けてあげてください」




『うん必ず。約束するよ』


 時空管理局戦技教導隊所属――そして、元機動六課スターズ分隊長。
 少女の願いを叶えるために高町なのはが、そこにいた。



 ●



 ミッドチルダ地上から遥か一万メートル以上。
 俗に成層圏と呼ばれる空域だ。
 それは魔道士として行動できる限界ギリギリの距離だ。バリアジャケットの出力を最大にまで引き上げる事が出来なければ存在する事さえ許さない過酷な戦場。
 並の魔道士では辿り着く事さえできはしないだろう。
 そんな場所に高町なのはは居た。
 ティアナたちとの繋がっていた通信ウインドウを閉じ、あちらのほうはもう大丈夫だろうと、ひとつ安堵の溜息を漏らすなのは。
 そこへ、親友の声が届いた。
「なーに、手柄を独り占めしようとしてるんかなぁ、このエースさんは」
 内容とは裏腹に、親しげな笑みを浮かべているのは八神はやてだ。
 彼女もなのはと同様に騎士甲冑に身を包み、この場へと辿り着いていた。
 そちらへと向き直り、なのはは苦笑を浮かべる。
「そんなんじゃないよ……ねぇ、はやてちゃんエースの意味って知ってるよね」
 会話が続いたことに、はやては少しばかり驚きを覚える。
 先程の言葉は、軽いジョークでしかなかったために、その話題が続くとは思っていなかったのだ。
 しかし、どことなく真剣な表情を浮かべるなのはに、はやては一度考えるように、顎に手を当てる。
『はいはーい、リイン知ってるですよー。魔導師の中でも特に優秀で、単独でも困難な任務を解決できる方をエースと呼ぶですよね。なのはさんの事ですー』
 はやてとユニゾンしたまま、リインが答える。
 一時はフェイスレスに掌握されそうになり、体調を崩したリインではあったが、この最終決戦を前に全快したようである。
 そんなリインが告げた内容に、なのははやはり苦笑を返すだけだ。
「そうだね。でももしかしたら、私はエースなんて呼ばれる存在じゃないのかもしれない」
 なのはは謙遜しているわけでも、弱気になっているわけでもない。なぜか彼女は、それが誇らしい事であるかのように言葉を紡いでいた。
「やっぱり、私一人じゃどうしようもない事はたくさんあるんだ。今までの戦いだって、フェイトちゃんやはやてちゃん、クロノ君やユーノ君にたくさん助けられてきたし、ゆりかごの時はスバル達に助けられた……」
 過去に浸るように、なのはは瞼を閉じ、その時々にあった記憶を思い返す。
 なのはは何時だって、誰かに支えられてきた。
 魔法だって、ユーノとレイジングハートに出会う事がなければ覚える事も出来なかっただろう。
 でもそれはけして、情けない事なんかじゃない。
 自分の事を助けてくれる、大事な友達がいたという大切な記憶だ。
「そして、いまこの時も、たくさんの人たちに私は助けてもらっている」
 瞼を開き、なのはは周囲を見渡した。
 そこにはなのはとはやてだけではない。大勢の魔導師たちがいた。
 武装隊の教え子達、管理局の仕事で知り合ったもの、名も知らぬ空戦魔道士もいる。
 彼等は、存在するだけでも辛い、この過酷な戦場に誰一人弱音を吐くことなく集っていた。
 彼等もまた、それぞれの理由により、この場に集まったのだろう。
 しかし、彼等の目的はただひとつ。大切な者を守りたいという願いの元に集まったのだ。
 いまから自分がやろうとしていることは、絶対に一人では叶えられないだろう。
 だから、助けが要る。助けてくれる人が居る。
 それをなのはは、とても幸いな事だと思う。
「だから、私はエースじゃないのかもしれないけど、きっと願いは叶うと思うんだよ」
 そう言って、なのはは傍らにいる友人に視線を向けた。
 しかし、はやては未だに何かを考えているかのように顎に手を当てたままの姿勢だった。
「なぁ、なのはちゃん、私が思うエースって奴はな」
「ま、まだ考えてたんだ……」
 話が終わったと思ったところで答えが返ってきたために、それこそ何もない空中でコケそうになるなのは。
 しかし、はやては自分の出した答えが満足なのか、誇らしげな笑顔を浮かべて紡ぎだした答えを告げた。
「たぶん、そう思える人が、エースって呼ばれるに値するんやと、私は思うよ」
 人は一人では生きられない。それを自覚しているからこそ、エースと呼ばれる者になれるのだと、はやてはそんな答えを出した。
「そうなのかも、しれないね。うん」
 はやての答えに穏やかな笑みを浮かべるなのは。
 そこへ、待ち侘びていたもう一人の親友が姿を現した。
「ごめん、遅れちゃったかな?」
 そういって、なのは達の元に現れたのはアースラからの転送により、この場に急行したフェイトだった。
 突然現れた親友に、なのはとはやては少しばかり驚いたような表情を見せる。
 そんな二人の視線に晒されて、フェイトは何かを思い出したように頭を下げた。
「その……心配かけちゃってゴメン。私の所為で色々と迷惑かけちゃったみたいだし……本当にごめんなさい!」
 通信では既に伝えていたが、フェイトが救出されて顔を合わせたのはこれが初めてだった。
 しかし、元気そうなその姿になのはは安堵を覚え、隣に居るはやてと目を合わせた。
 再開の言葉は決まっていた。
「フェイトちゃん、フェイトちゃん」
 ペコペコとなんども深々とお辞儀を繰り返すフェイトになのはが声をかける。
 その声に、視線を上げた彼女に向かってなのはとはやては異口同音に告げる。
『おかえり、フェイトちゃん』
 再開の言葉は、それだけでよかった。お礼や謝罪の言葉など特に必要ではなかった。
 それを察したのか、フェイトも気恥ずかしげに、頬を赤く染めると、やわらかい笑みを浮かべて返答してくれた。
「ただいま、みんな」
 そうして、再開は果たされた。
 幼いころから共にいた三人は、まるで何事もなかったかのように、ひとつの環となった。
「それにしても、直接ここに来るやなんて、大丈夫なん、フェイトちゃん?」
「うん、ケガとかもしてないし……それにゆっくりできる状況じゃなさそうだしね」
 そう言って、フェイトは天頂方向を見据えた。なのは達もそれに習うようにフェイトの視線を追う。
 そこには、もはや世界の全てを覆うほど巨大な天蓋が存在していた。
 第六十六観測指定世界と呼ばれる、いまからここに落ちてくる巨大な惑星がそこにはあった。
「今から……あれを止めなきゃいけないんだよね」
 フェイトが何かを決意するかのように呟く。
 それは、あまりにも無謀でしかない、これから行われる戦いの全容だった。
 フェイトのそんな言葉に、はやては困ったように頭をかいて何気なく呟く。
「……んー、まぁ後先考えない全力の魔力砲撃ぶち込んだったら――――そうやな、0.3秒くらいなら時間を稼げるんとちゃうかなぁ」
 それはあまりにも絶望的で、そして理想にしか過ぎない時間だった。
 はやては、一瞬としかいえない時間を稼ぐ事しか出来ないと、そう思っているのだ。
 いや、実際にはそれはあまりにも希望的観測に過ぎなかった。。
 星が落ちてくるのだ。それを刹那の間だろうと止められるわけがない。
 なのに、それなのに、その表情には何の絶望も浮かべてはいなかった。
 この場にいる誰もがだ。
「じゃあ、私は頑張って0.5秒ぐらい止めてみようかな」
「あ、わ、私は長距離射撃は苦手だから……たぶん0.2秒くらい……」
 それぞれにそんな事を述べるなのはとフェイト。
 それを受けてはやては、どこかおかしそうに笑った。
「ハハッ、やったら合わせて一秒は稼げるな」
 それがどこまでも、楽しい事実であるかのようにはやては笑う。
『リインもいるですよー、頑張ってはやてちゃんをお手伝いして……えと、えーっと、0.1秒くらいは頑張るです!』
 そこへ姿を見せないリインの声も繋がる。
 それが始まりだった。
『小娘ばかりにいいカッコさせてたまるか……0.6秒ぐらいは耐えてやらあ』
『なのは教導官のためなら命を賭けれるッス。0.3秒くらいならなんとかっ』
『………………1秒ジャスト』
『あ、テメェなにカッコつけてやがんだ! 2秒、2秒止めて見せてやる!』
『バーカ、オマエに出来るわけないだろうが、0.5秒止められれば精々だろうに』
『あー、ご褒美になのはさんがほっぺにキスしてくれるんだったら5秒止めて見せます!』
『なに抜け駆けしてんだゴラァッ! あのデカブツ撃ちぬく前にテメェに風穴開けるぞ!』
『できれば自分ははやてタンに膝枕なんかを……』
『おーいみんな、ちょっとアイツで試射してみようぜー』
『はーい、ご褒美やご要望がある方はこちらにならんでくださーい、厳正な抽選の後に発表することなく焼却処分しますのでー』
 周囲のいる魔導士からの通信でにわかに騒がしくなる。
 まったく、どこからこちらの会話を聞いていたのか。笑い声が、自然と溢れ出てくる。
「あはははははっ、みんな緊張感の欠片もないなー、まぁ全部あわせて一分くらいは稼げるやろう」
「うーん、じゃあちょっと頑張ってみようかな」
「そうだね、みんなが居ればきっとできるよ」
 そんな呟きがそれぞれから漏れる。
 そうして、暫くの間、何もない大空に笑い声が響いた。
 しかし、それもやがて収束していく。あとに残ったのは耳に痛いくらいの静寂のみ。
 そこに居るものたちは、みな表情を引き締めていた。
 なのはも、フェイトも、はやても、その他の魔導士たちも。
 自分がこれから立ち向かう、巨大な星を見上げ、その手にそれぞれデバイスを掴む。
 戦う時がきたのだ。


「じゃあ、一分だけ、世界を救ってみようか」



 迫り来る脅威を前に、誰かがそんなことを呟いた。






>TO BE CONTINUED


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