魔法少女リリカルなのは 星を砕く者 最終話 星に願いを






 ティアナ・ランスターは地上本部跡に来ていた。
 あの事件の発端でありながら、もはやまったく関係の無い場所として収束してしまった場所である。
 既に地上本部崩壊“事故”は新型の魔力炉の暴走によるものだと公式見解が出ており、既に復旧工事も始まっている。
 あと数ヶ月もすれば、ここも以前と変わらない景観を取り戻す事になるのだろう。
 そうしてティアナ自身が関わった事件は、もはやなんの痕跡も残すことなく消えていく。
 それはそれで一つの正しい結末だとティアナは思う。
 過去の傷痕をひた隠しにする事が正しいとは思わないが、未だに残る恐怖をただ曝け出すのもまた間違いなのだろう。
 もはや隠蔽といっても過言ではないレベルの代物ではあるが、それにティアナが異を唱えたところで意味も無い。
 結局のところ、彼女自身は今の結果に満足していると言うのが本音だった。
 名誉とか、真実とかに興味は無い。ただ大事な人たちと、そしてまたあのパートナーと笑いあえる日が来るというだけで充分だ。
 そんな彼女が、今日この場所に赴いたのは、とある人に呼び出されたからだ。
 地上本部前にある公園は被害も少ない。それでも、ほんの少し曲がってしまった広場中央にある時計塔はどうやら正常な時間を示しているようだ。
 待ち合わせ時間まであと十分。待ち合わせた相手は流石にまだ来ていないようだ――と、そこへ、ティアナの背後から懐かしい声が聞こえてくる。
「あれ? ティアナ、もう来てたんだ?」
 その声に振り返れば、そこには私服姿の高町なのはが、こちらへと向かって慌てて駆けてくるところだ。
「ごめんね。待たせちゃったかな?」
「いえ、ちょうどと言いますか……まだ待ち合わせ時間前ですしね」
 どうやら十分前というティアナの読みはかなり正確な部類であったようだ。
 今日の待ち合わせ相手が彼女だった。ティアナを見つけて走ってきた所為か、ほんの少しだけその頬は上気している。
「あのっ、それでなのはさん……本日はどんな用件で」
 直立不動の体制のまま尋ねるティアナ。そんな彼女の様子に、なのはは一瞬キョトンとした表情を浮かべたかと思うと柔らかい笑みを浮かべた。
「今日はプライベートなんだから、そんなに畏まらなくても大丈夫だよティアナ」
 そう言われても、ティアナの緊張はそれほど柔らぐ事は無かった。
 正直なところ、今のティアナにとってなのはと会うのは些か気恥ずかしい事態であった。
 なにしろ、随分と情けない姿を彼女には見られてしまった。
 仮初とはいえ、ティアナはリーダーとしてどんな状況に陥ろうとも冷静に対処しなくてはいけなかった。
 なのにスバルの危機に自分はただ慌てふためくだけで、結局なにひとつ出来はしなかった。ミッドチルダへと第六十六観測指定世界が移動してからの彼女はただの傍観者にすぎなかったのだ。
 いや、ただの観客ならばまだいい。あの時の自分は劇を台無しにしかねない泣き喚くだけの子供でしかなかったのだ。
 また、落胆させてしまっただろうか――――そんな想いが今のティアナにはあった。
 だから、なのはに会いたいと呼ばれた時から緊張は膨れ上がるばかりであった。
 それでも分隊長としての責務を最後まで成し遂げるために、ティアナはこうしてこの場へと赴いた。怒られることも覚悟していた。
 しかし、そんな思惑までは流石に解らないがティアナの緊張を察したなのはは、ティアナの頭を優しく撫でるように触れ、変わらない笑みを見せる。
「そうだね、ここじゃ何だから、とりあえずそこにベンチにでも座ろうか」
 そう言って、なのはは手近な場所にあったベンチへとティアナを誘導する。ティアナはそんななのはの様子にただ流されるままに。
 だが、その時に伺ったなのはの横顔は、笑みを浮かべてはいたもののどこか明るさではない、むしろ悲しみを孕んだような表情であることにティアナは気づいた。
 何か、思いつめてるようなそんな顔。ティアナには今のなのはがそんな風に見えた。
 ベンチに横並びに座るティアナとなのは。けれども二人の間に会話が生まれる事は無く、沈黙だけがしばしの間続いた。
 結局、沈黙に耐え切れなかったのはティアナだった。
「なのはさん……その、私、すいませんでした」
「え、えぇ?」
 必死に紡いだティアナからの謝罪の言葉、しかしなのははそれに驚いたような表情を返すだけだった。
「な、なんでティアナが謝るの?」
 そのまま、なぜ急にそんな事を言われるのか解らないといった雰囲気で問い返されるティアナ。
 何か、この二人の間で話の食い違いが起きているようである。
 なのはのそんな予想外の態度に、ティアナは状況を整理するように呟き始める。
「えっと……その、私は、あの事件の時にスバルやキャロを纏めなきゃいけない立場だったのに……結局、まともに指揮なんてできなかったし、それに最後の最後であんな醜態を晒してしまいました……」
 自分で言っていて情けなくなる。けれどもそれが事実だった。
 ティアナはリーダーとしてあまりにも致命的なミスをいくつも犯してしまった。
 結果的にあの事件でストライカーズ分隊から犠牲者を出す事はなかった。しかし、それはけしてティアナ自身の力によるものではない。
 偶然と、自分が与り知らない者が努力した結果によって成り立っているものだとティアナは思っている。
 本来ならば、もっと、もっとうまく出来た筈なのだ。
 第六十六観測指定世界へと辿り付いた時に、無茶な短距離転送を行わなければストライカーズが分断される事は無かっただろう。
 星を砕く者の真実を知った時、事の重大さに惑わされず、キャロと分かれることが無ければもっと安全確実にフェイトを助け出す事が出来たかもしれない。
 そして、リーダーとしての義務を果たすべきならば、あの時、スバルを行かせてしまったのはやはり間違いなのだろう。
 ティアナは、その時はそれが最善の行動であると確信して全てを行ってきた。
 だが、こうして落ち着いてあのときのことを振り返れば、どうしても、こうしておけばよかったんじゃないか、という後悔に苛まれてしまう。
 そうすれば、もっと良い結果が得られたのではないかと、そう思い続けているのだ。
 なぜならば、ティアナにはそれができた筈なのだから。
 機動六課での日々で、ティアナはずっと見てきた。
 分隊長として自分達を引っ張ってくれる高町なのはの姿をずっと見てきたのだ。
 何時だって彼女は無茶をしそうになる自分達を諌めてくれて、危険な事から守り続けていた。
 それはティアナの憧れだった。執務官という夢ではなく、自分もそう在りたいと願う尊敬すべき姿だった。
 けれどもそれはやはり理想でしかなくて、いざ自分が彼女と同じ立場に立たされた時には、ただ無様な姿を晒す事しか出来なかった。
 ティアナはそれが悔しかった。悲しかった。
 そうして、ティアナはようやく気づいた。怒られる事が怖くて緊張していたわけではない。
 自分は、ただ諌めて欲しかっただけなのかもしれない。情けない、そんな自分を高町なのはという憧れの人に。
 そう思うと、なんだか余計に自分が惨めに思えてきて……ティアナの瞳からは自然と涙が零れていた。
 結局、自分は今になっても、彼女に甘えてばかりなのだとそう自覚してしまって。
 だが、そんなティアナの様子に、なのははようやくティアナが抱えていた複雑な思いを理解したのか、ほんの少しだけ表情を柔らかくしたと思うと、
「ティアナは、よく頑張ったと思うよ」
 空を見上げて、そんな言葉を紡いだ。
「お世辞なんかじゃないよ。ティアナがあの星でどういう風に戦ってきたのかは、キャロやスバル、それにシャーリーとかから聞いているよ。その上で、私はティアナはちゃんと自分に出来る事をやり遂げたって、そう思うよ」
 それは、同情や優しさから紡がれた言葉ではない。真実、彼女の本音だった。
「で、でも私は結局、何の役にも立てなくて……」
「そうじゃ、ないよ」
 断言するように、なのははそう言った。
「……そうだね。機動六課で一緒だった時、私はティアナにとってあんまり良い隊長さんじゃなかったかもしれない」
 弱音を吐くように呟かれるそんな言葉に、ティアナは慌てて首を横に振る。
「そ、そんなことありません! なのはさんは何よりも信頼する事の出来る隊長でした!」
 でなければ、尊敬などするはずがない。そうでなければ、その姿に憧れを抱くわけがない。
 そんなティアナの迷いのない返答に、なのはは柔らかい笑みをティアナに向けた。
「じゃあ、私はティアナにとって良い隊長さんで居られたんだね」
 その微笑みは、とても嬉しそうな、親に褒められた子供のような純粋な笑み。その賛辞がとても誇らしいから、自然と湧き出た微笑だった。
 そこまで告げられて、ティアナはなのはが何を伝えようとしていたのか、ようやく理解する事が出来た。
「本当は、こういうことは言葉にするものじゃないから反則かもしれないけど、ティアナは時々真面目に考えすぎちゃう時があるからね」
 黙りこんでしまったティアナの横で、なのはは言葉を続けた。
「過程や結果は確かに大切だよ。でも、やっぱり他人を指揮する立場にいるとき一番大切なのは、その人の事を心から信頼できるかどうかだと思うの」
 それは、馴れ合いや同情から来るものではない、自分の生死すらを預けるに足る存在であるかどうかを問われる、なによりも難しい事だ。
「だから、スバル達と話して、私は思ったよ、ティアナはとてもいい隊長さんだったんだなって。それでも、まだ力が足りないと思うんだったら、努力すれば良い。いっぱい勉強して、いっぱい練習して、力にすればいい。ティアナはそれができる娘だって、私は知ってるから」
 ……結局、ティアナはやはり彼女に教えられてもらってばかりだった。
 やはりティアナにとって、高町なのはという存在は道に迷いそうになる自分を救ってくれる、そんな憧れの存在だった。
「ありがとう……ございます……」
 だから、なのはのその言葉は、他のどんな賛辞よりも誇らしいものと思えた。
 ティアナの安堵したその様子に、なのはも表情を緩める。
「でも、びっくりしちゃったよ。ティアナったら急に謝ってくるんだもの」
「あ……あの、それは……すみません」
 結局のところ、ティアナが思い描いていた罪悪感は彼女の早とちりでしかなかった。
 だが、そこで不思議に思う。先程のティアナの考えがただの早合点だというのなら、なぜ、なのはは自分を呼び出したのだろうか、という事だ。
 慌てて、なのはの方へと視線を向けると彼女はどこか悲しげな表情で、空を見詰めていた。
「それにね、本当に謝らないといけないのは私のほうだよ」
 どこか遠くを見るように呟くなのは。だが、そんな彼女の言葉にティアナはますます混乱する。
 なのはが、ティアナに謝らなければならないような事は何一つとして存在しないはずだ。
 いや、先程の件が無くてもティアナは壊れそうになった時に、なのはの言葉に救われたという音がある。
 あの時、スバルを助けられない事に対して自棄になっていたティアナは、なのはの言葉に助けられた。
 彼女が居てくれたから、無茶をせずにすんだ。そのことに対して感謝しなくてはならないくらいなのに、謝られる義理などない。
 しかし、なのはは一つ、自分を落ち着かせるように大きく吐息をついて、告げる。
「ティアナと約束したのに、私は結局スバルを助けに行く事が出来なかったから……ね」
 自分を責めるかのような痛々しい笑みがなのはの口から漏れる。
 それは、ティアナとなのはが交わした約束だった。
 スバルの救いを求めて、ティアナはなのはに願った。自分の代わりに、あの娘を守って欲しい。助けてやって欲しいと。
 だが、結局なのはがスバルを直接助ける事はできなかった。
 その前に、事件は収束し、そしてスバルも無事に生還する事が出来た。
 それはスバル自身が諦めずに走り抜けた結果だ。それ自体はなによりも喜ばしい事だと思う。
 だが、ティアナとなのはの間に交わされた約束は果たされなかったことになる。
「で、でもっ、それは仕方の無い事で! なのはさんはあの時、やらなくちゃいけない事があって……」
 惑星衝突を防ぐための絶対防衛線。なのははあの時その戦列に加えられていた。
 そこに貴重な戦力として含まれている以上、約束を交わしたとはいえ、ただの一隊員を救うべく単独行動など出来るはずがない。
 けれど、なのははそんなティアナの言葉に、小さく首を横に振った。
「そうじゃないよ。あの時、ティアナと約束したときに、私はスバルを助けにいけないことを知っていた」
 罪を告白するように、なのははそう告げた。
「あの場から動けない事は……スバルを助ける事が出来ないっては私自身が知っていたんだよ。なのに、私はティアナと約束した。スバルを助けてみせるって、嘘をついちゃった……だから、ごめんね」
「でも、それはっ――」
 それは、ティアナの為に紡がれた優しい嘘だ。
 あの時、なのはの言葉が無ければ、なのはが約束してくれなければ、自分はそれこそとんでもない過ちを犯していたかもしれない。
 ティアナを救うために、なのはは自分が悪役になる事も厭わずに、嘘の約束を交わしたのだ。
 それを責める事などで気はしない。いや、真に責められるべきは、それこそ、そうでもしなければ止める事ができなかったであろう、ティアナ自身だ。
 なのはが気に病むことなど一つも無いのだ。
 だが、そんな解りきった事実を告げたところで、なのはが抱える罪の意識が消える事はないだろう。
 彼女は誰よりも、高潔で誇り高い人間なのだ。そんな彼女が如何な理由があったとしても、嘘の約束を交わしたことを許しはしないだろう。
 だけど、だからこそティアナはそんななのはの姿など、見たくはなかった。
「あ、あのっ。私知っています!」
 意を決したように叫ぶティアナ。唐突なその声に、なのはも僅かに吃驚したようにティアナの方へと視線を向ける。
 今日、出会ってから、始めてきちんと目を合わせられたような、そんな気がした。
「あの時、最後の瞬間。惑星の予測落下時間が、既に超過していたって事!」
 そう、あの惑星がミッドチルダ上空から突如と消え去ったその時、本来ならば既に世界は滅びていたはずだった。
 その超過時間、僅かに一分。
 そう、本来ならば世界は事件の全てが終結する一分前にすべて消え去っていたはずだったのだ。
 それは、もしかしたらただの誤差の範囲内なのかもしれない。
 だが、公式にはただの誤差だと報じられようとも、ティアナは知っている。
 誰かが、世界を守ってくれていたのだ。とてつもない絶望を前にして、一分という永遠にも似た時間を稼いでくれた者達が居てくれた事を、ティアナは知っている。
 それは、ティアナがどう足掻いても稼ぐ事の無かった時間だろう。
「それは……私だけの力じゃないよ」
 それでも、なのはは自信無さげに呟く。だが、そんなのは当たり前だ。
 だから、ティアナはそれを認めたうえで、大切な答えを告げる。
「でもっ! 誰か一人でも欠けていたら、そんなことはできなかった! みんなが、フェイトさんや八神部隊長。それになのはさんが居てくれたから、世界を守る事が出来たんです!」
 この世界に存在する何もかもを、彼女達は守ってくれたのだ。
「だから、なのはさんはスバルも、私の事も守ってくれた。約束は違えられてなんかいません!」
 そう、ティアナは信じている。他の誰が認めなくとも、世界中の何もかもが、そんなことはありえないと言おうとも、
「少なくとも、私はそう思っています……それじゃあ、ダメなんですか?」
 それは、なのはがティアナに告げた思いだ。
 評価は自分自身が下すものではない。それを見たものがどう思っているのか――そういう側面もあるのだという教え。
 そして、なのはと約束を交わしたティアナは、その願いが確かに叶ったと、そう思っているのだ。
 ならば、それを否定するのは……相手に対する侮辱でしかない。
 ティアナはなのはにそう教えられた。だから、ティアナはそうではないと、確かに告げたのだ。
 そんなティアナの告白に、なのははほんの僅かだけ目を丸くして――けれど、次の瞬間には、あの優しい微笑を浮かべてくれていた。
 彼女の手が掲げられ、それはそのままティアナの頭の上に、優しく乗せられる。
「ティアナは……本当に、良い子だよね」
「なっ……や、やめてください。子供じゃないんですから」
 頭を優しく撫でられ、くすぐったさから身を捩ってしまう。けれどもなのははテイアナの頭を優しく撫でる事をやめることは無く、
「ありがとう……すごく、救われたよ。ティアナが私を助けてくれた」
 慈愛に満ち溢れた眼差しが注がれる。そこにはもう、自己を責める色はない。それが信頼してくれたものに対する裏切りでしかないと、彼女は知っているから。
「それは、私もです……だから、ありがとうございます」
 けれども、ティアナはなのはほど真っ直ぐに相手を見詰める事は出来ずに、僅かに目を逸らしながら呟いてしまう。
 それでも、お互いが持っている気持ちに、偽りなど欠片も無かった。
「なんだか、私達お互いに謝ったり、お礼を言ってばかりだね」
「そう……ですね」
 自然と笑みが漏れていた。何かが吹っ切れたようなそんな微笑が自然と浮かんでいた。
 そうして、なのははティアナの頭から手を離し、ベンチから立ち上がる。
「さてと……それじゃあ、もうすぐお昼だし、どこかで一緒にランチでもしようか、ティアナ」
 そう言って、ティアナに手を差し伸べるなのは。ティアナもそれを自然と握り返す。
「そうですね……あのっ、なのはさん。私、また色々とお話を聞かせてもらいたいんですけど」
「ん? いいけど、どんなこと」
「なんでもいいんです。今までの事とか、これからの事。あ、それにスターライトについても色々と聞きたいことがあって――」
「ティアナは真面目さんだねぇ。でも、うん、いいよ。時間はまだたっぷりあるし、いっぱいお話しよう」
 そう囁きながら、なのはとティアナは並んで、その場を後にした。
 戦いによって残された無残な爪痕は、もう、どこにも残っていない。



 ●



 空には、満天の星々が光り輝いていた。
 どこまでも広がりを見せる広大な漆黒のキャンパスに、宝石のような煌きが無数に散りばめられている。
 それを見ていると、ソラはまるで吸い込まれそうな錯覚を覚える。
 いままで、ソラは夜空をこうしてただ見詰める事など無かった。
 そんなものを見たいと思うことも無かったし、見上げたところで特別な感慨を抱くような感情も持ち合わせていなかったからだ。
 しかし、今のソラには何よりも意味のある光景だった。
 その漆黒の広さに恐怖を覚える。その輝きの美しさに感嘆を知る。
 そこに存在するのは、ソラにとって全て始めて知る感動の集合体だった。
 何もかもが、ソラにとって初体験だった。それらにソラはただ目を奪われる。
「あんまり遠くに行っちゃダメだよー」
 星に魅入られたかのように夜空を眺めるソラに丘陵の向こうから、付添人であり、今のソラの担当医でもあるマリエル・アテンザの声が響いていた。
 星を砕く者事件が終了して、一番問題になったのがソラの処遇だった。
 彼女はSD計画によりミラ・リンドブルムという女性を元に作り出された人造魔導師だ。当然のことだが、彼女には身寄りどころか戸籍すら存在しない。
 その上、管理局は第六十六観測指定世界で行われてきた実験の存在そのものを抹消しようとしていた。
 その抹消リストの中には当然のように、その研究成果――ソラも含まれている。
 SD計画にとってただの研究材料でしかないソラを管理局に差し渡せば、良くても封印処理。最悪の場合は人知れず処分されることもありうる。
 結局のところ、ソラに帰る場所など存在していないというのが、悲しい現実だった。
 けれども、それに異を唱える者がいてくれた。
 彼女は他の者に頭を下げて頼み込み、ソラの事を庇ってくれたのだ。
 そうして、ソラは形式上、今回の惑星接近による災害の被害者――戦災孤児として、扱われる事になった。
 そうして、いままで隔離に近い状況で過ごしてきたソラは念のためにと、マリエル技術官に預けられる運びとなったのだ。
 技術部に所属しており、言うなれば門外漢であるそんな依頼をマリエルは快く承諾してくれた。
 それに加え事情を知るマリエルは、ソラに対して普通の少女として対応してくれた。行われた検査も、ガーデンで行われていた実験とは違い、ずっとソラの身体を心配してくれていた。
 そうして、各種の検査に負われながらも穏やかに数日を過ごしたソラは唐突に、マリエルから「星を見に行きません?」と誘われた。
 そんな顛末があって、ソラはいま、研究所の近くにある自然公園へと赴いていた。
 ソラにとっては初めて自分の身体で知る外の世界。今はただ目の前に広がる光景に目を奪われていた。
 ただ、ひとつだけ心残りがあるとするならば、この感動を伝えたいと思う人が今この場に居ないという事実ぐらいだ。
 しかし、そんなソラの願いを星が叶えてくれたのか、待ち侘びた人の声が背後から聞こえてきた。
「こんばんわ、ソラ」
 驚きに振り返る、そこには間違えるはずも無い、ソラを助け出してくれた一人の少女がいた。
「スバルッ」
 喜びの声を上げて駆け出すソラ、ここ幾日かで随分と自分の感情を自然に表現できるようになっていた。
 ソラはそのままスバルの胸の中に飛び込むように駆け寄る。
 スバルもソラの小さな身体をしっかりと受け止めてくれた。
「今日は会いにくるのが遅れちゃってゴメンネ。研究所の人に聞いたらここにいるって聞いて、慌てて追いかけてきたよ」
 事件が終わってから、スバルはこうして毎日ソラに会いに来てくれるが、一日ぶりでも再会が喜ばしい事に変わりは無かった。
 そんなスバルからの精一杯の抱擁に、自然と笑顔が漏れる。
「何を見てたの、ソラ」
「うん……星を見てたの。すごく綺麗で……あと、すこし悲しかった」
 スバルの問いかけに、ソラはほんの僅かにだけ表情を曇らせた。
 そうして、スバルから離れるとソラは再び夜空を見上げる。
 そこには数え切れないほどの星が煌き瞬いている。その中から、まるでたった一つの宝物を探すかのように、ソラは視線を彷徨わせていた。
「あの星のどれかに、みんな居るのかな?」
 ソラが紡いだのはそんな問いかけ。
 彼女は、既に星を砕く者との一時的な融合により感情と言うものを知った。
 それが、喜びだけを生み出すものではないという事は知っていた。
 感情を知ったソラに同時に芽生えたのは、大切な者を失ってしまったという記憶だった。
 友達と呼んでくれた人達が居た。
 大切な事を教えてくれた、かけがいの無い人が居た。
 最後の最後に、自分を、世界を守ろうとした人が居た。
 彼等を失ったという情報は、既にソラは知っていた。だが、それは感情の無かったソラにとって、やはりただの情報でしかなく、悲しいと思うことさえ無かった。
 しかし、今は違う。
 それが、どうしようもなく悲しい事で、泣きそうなくらい苦しいことだという事をソラは知った。
 けれど、感情を知ってしまったという後悔はない。
 今、こうして彼等を失ってしまったことを、悲しいと悼む事の出来る自分の気持ちを、ソラは誇らしく思う。
 そんな思いを乗せて夜空の星を見上げるソラ。
 そこに消えていった者たちが居るはずがない。おそらく、それが確かな現実なんだろう。
 けれど、今のソラは星を見て彼等を想うことに何の抵抗も無かった。
 それでも、ほんの少しだけ寂しそうな背中を見せるソラに、スバルが意を決して声をかける。
「ねぇ、ソラ知っている。星にはね、お願いを叶えてくれる力があるんだよ」
 そう言って、ソラの方を抱き、彼女と同じく夜空の星々を見上げる。
「星が……願いを?」
 それもまた、あまりにも非科学的な話でしかない。単なる惑星でしかない星に願いを掛けたところで、それが叶う道理はないだろう。
 それでも、スバルの言うことならば信じても良いかもしれない。そんな子供らしい素直さで、再び天を見上げてみる。
 しかし、夜空には文字通り、星の数ほどの輝きがあり、そのどれに願いを掛ければいいものか、悩んでしまう。
 どうしたらいいものかと、ソラはスバルに問いかける。
 すると、彼女はほんの少しだけ気恥ずかしげに微笑んだあと、
「それなら、あの星に願ってみると良いよ。きっと、叶うから」
 そう言って夜空に輝くひとつの星を指し示した。ソラもスバルがどの星を指したのかがすぐに解った。
 青白い光を放つ、綺麗な星だ。
 それに向けて、ソラはスバルの言うとおり願い事を掛けてみる事にした。
 一つ、たった一つだけ叶って欲しい願い事がソラにはあった。
 それはなんの変哲も無い、何処にでもあるような願い。


 スバルと、ずっと一緒にいられますように。


 そんな願いを星に掛ける。
 そうして、しばらくの間、星を見上げてからソラはスバルへと向き直った。
 少しだけ、気になる事があったからだ。
「スバルはなんで、あの星を選んだの?」
 空にはそれこそ無数の星がある。なのに、僅かに迷うことなくスバルはひとつの星を選んだのだ。
 それに何か理由があったのではないかと、ふと、そう思ったのだ。
「実はね、あの星はスバルって言うんだ」
 そんなソラの問いかけに、スバルは頬を掻きながら、恥ずかしげに呟いた。
「本当は、この世界にある星じゃなくて、別次元にある星団の名前なんだけどね。ちっちゃい頃に私の名前はその星から来てるって聞いて……それで、父さんに、聞いたんだ、私の星は何処にあるのって?」
 無邪気なそんなスバルの質問に、彼女の父親は随分と困った事だろう。
 なにしろ、この世界の何処を探しても、そんな名前の星はないのだから。
「でも、その時に母さんが一緒に探してくれたんだ。私の名前の星を……それで、私が綺麗だなって思った星に、勝手に名前をつけちゃった。だから、本当は違う名前があるんだけど、私にとってあの星はスバルって名前なんだ」
 過去を懐かしむように、そう言ってから……スバルはソラと再び視線を合わせた。
「それで、ソラはどんなお願いをしたの? 私で出来る事ならきっと叶えてあげるよ?」
 そう言って、笑みを浮かべるスバル。けれど、ソラの願いを本人に言えるわけがない。
 これも、新しく覚えた感情。
 自分の願いをスバルに告げるのは、ほんの少しばかり恥ずかしいと、そう思ったのだ。
 だから、彼女は小さく微笑んで、スバルにこう告げた。
「…………ナイショ」
「あっ、気になるなー。教えてよー」
 顔を背けるソラに抱きつき、なんとかその願いを聞きだそうとするスバル。
 ソラもそんなスバルの抱擁から逃げ出そうと必死でもがく。
 そんな二人の姿はまるで仲の良い姉妹のようで、ただ光り輝く星が、そんな二人の姿を照らしていた。



 ●



 それは、どこか遠い、誰も知ることのないひとつの世界。
 そこは何も無い世界だった。
 生けるものは何一つとして存在せず、ただ荒涼とした空間が広がるだけの寂しい世界。
 しかし、そんな場所に、二つの人影が存在した。
 一人は長身の男性。彼はまるで力尽きたかのように、大地に仰向けの姿勢のまま横臥している。
 しかし、その瞼は確かに開いており、天頂方向をただじっと見据えている。
 もう一人は、小さな少女。
 男の傍らで、背を向けたまま、まるで拗ねているかのように膝を抱えて縮こまってしまっている。
 二人の間に会話はなく、視線が交わる事も無い。
 ただ、そこに居るというだけのそんな関係だ。
 それでも、彼等はこの広く寂しい世界に、ただ二人きりで存在していた。
「風が気持ち良いな」
 ふと、男がそんな言葉を発した。それはともすれば独り言にしかすぎない言葉であった。
 だが、少女がそれに対して反応を見せることはない。
 ただ、男に背中を向けたまま、
「うるさい、死んじゃえ」
 そんな小さな呟きが漏れるだけだ。
 少女のそんな予想通りの反応に、男は苦笑を浮かべるしかない。
 二言目には、彼女は死ねといつも呟く。
 しかし、もはや何の力も持たない彼女にそれを実行する力はなく、男も死ぬつもりは毛頭ない。
 結局のところ、もう暫くの間はこの奇妙な関係を続けていかなくてはならないのだろう。
 しかし、それも悪くないと男は思う。
 どうせ、時間はある。このいつも不機嫌そうな少女と仲良くなるチャンスもいつかは訪れるかもしれない。
「星が綺麗だぞ」
 男の言葉どおり、夜空には無数の星が瞬いている。
「黙れ、ついでに死ね」
 だが、道程は遥かに長く遠いようだ。
 小さく溜息をついて、男は再び夜空を見上げる事にする。



 そこにはやはり、美しいまでに輝く夜空が、そんな二人を照らしていた。













 ≪When you wish upon a star≫ Then ≪Your dream comes true≫

 ≪Star Dust Story≫ is HAPPYEND.







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