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お題SS第12回

リインフォース : 酔った勢い



「ばか」      執筆:コン



 酒乱がいた。酒瓶片手にケラケラ笑う酔っ払いがそこにいた。
 何がおかしいのか大笑いしながら無意味に机を叩いていた。

「リインさん、飲みすぎなんじゃあ……」
「よっれませんよ!」
「いや、あのぅ……はぁ」

 完全にできあがった――珍しく人間大になった――リインを前にして溜め息を零すエリオ。妙にしめやかだった十数分前とは打って変わって――多少飲んでいることを考慮せずとも――頭痛がするほど騒がしかった。
 この部屋にはエリオとリインしかいないというのに、煩いくらい騒がしい。

「まあ、落ち込んでるよりマシなのかなあ。ははっ」

 ほんの数時間前の出来事を思い出し自嘲するエリオ。
 土台無理な話だった。それが分かっていても辛かった。

「え〜り〜お〜。のむれす! のむれすよ!」
「わ、ちょ、酒瓶持って迫らないでくださいよ!?」

 フェイトに告白しても玉砕して終わることなんて分かりすぎるくらい分かっていたはずだった。

「のまないとやーってられませーん!」
「どうして僕よりリインさんの方がお酒に溺れるんですかぁっ!?」

 両手に酒瓶を抱えたリインが思いっきりエリオに圧し掛かった。人間大になったリインの背丈はエリオとさほど変わらない。
 堪らずエリオはカーペットを敷いた床の上に押し倒された。

「き〜き〜た〜い〜れ〜す〜か〜?」

 それは運命の悪戯だったのだろうか。エリオが恋愛相談を持ちかけた相手はリインだった―――と言うより、リインにフェイトに想いを寄せているかどうか尋ねられたのだ。
 エリオはリインに様々な助言をもらいながらフェイトにアプローチを掛けていき―――今日、玉砕したのだった。

「き、聞かせていただければありがたいかなー、と」

 酔って目が据わったリインに睨まれ、エリオは脂汗を噴き出していた。なにかよくない予感がする。残念なことにそういう未来予知は外れたことがない。
 地雷を踏んだかもしれないと思いながらも、既にエリオは成す術を持ち合わせていなかった。

「……言えませんよ」

 にわかに声のトーンが落ちるリイン。エリオが見上げた彼女の表情は今にも涙の堰が決壊しそうだった。
 リインのあまりの変わりように困惑するエリオ。一瞬「泣き上戸」という単語が過ぎったが、過ぎったので、

「ええと。今度は泣き上戸ですか……?」

 口にしてみた。

「ばかぁっ!」
「ごふっ!?」

 マウントという圧倒的優位なポジションを奪われているエリオは水月への無慈悲な打撃を受けた。
 腰の入った一撃は重く鋭く、ずしりとした衝撃は背骨すら突き抜けた。しばらく立ち上がれそうにない。

「ばか! ばかばかばかばかばかぁっ!」

 今度は硬く握られた両手の拳に胸を打たれる。―――が、痛くない。
 それどころか胸を打つリインの力は次第に弱くなっていき、最後には力なく降ろされる。
 ぽたりと、一滴の涙が落ちた。

「あの、リインさん……?」
「何も答えたくありません……っ。言ったらエリオはきっとリインを避けます」

 開けてはならない扉に手を掛けている。その手は引くべきか、押すべきか。
 エリオが正常な判断を下せる状態ならば――誰が望もうと――扉から手を引いただろう。
 だが、リインほどではないにしろ、エリオも酒に酔っていた。
 エリオはリインが抱えていた酒瓶を手に取る。まだ三分の一ほど中身が残っていた。
 酒瓶の中身を一気に飲み干すエリオ。

「ぷはっ。お酒を一気飲みすると頭がくらくらしますね」
「エリオ、大丈夫ですか?」
「あはは、あんまり大丈夫じゃないかもしれません。これで僕も酔っ払いです。だから――」

 掌をリインの頬に添え、エリオは親指で彼女の涙を拭った。不意な行為にリインは小さく身じろいだ。

「――話してくれませんか? 大丈夫、酔っ払いは寝て起きたら全て忘れてしまいますから」

 リインはそっと目を閉じ、顔をエリオの胸に埋めた。それは表情を隠すためのようであった。
 くぐもった小さな声がエリオの耳に届く。一字一句聞き漏らさぬよう、エリオは聴覚に全てを集中した。

「1番好きな人に振られたら1番好きでいてくれる人を選びませんか?」

 その言葉の意図を読めず困惑するエリオ。だが、胸のどこかに針のようなものが突き刺さった。
 この先を聞いてはいけない、と思った。
 もしかしたら自分は残酷な仕打ちをしていたのかもしれない、そんな考えが浮かび上がってくる。

「リインじゃだめですか……?」

 息が詰まった。ここ数週間リインと過ごした記憶が洪水のように蘇ってくる。
 自分は彼女の前で何度言ってしまったのだろうか。彼女以外の女性への愛を何度語っただろうか。
 よく思い返せ。笑顔で聞いてくれているようでいて―――彼女は、いつも泣き出しそうな顔をしていなかったか?

「あの、僕は、」
「だめですっ!」

 なにかが胸を込み上げて口を突いて出ようとした。けれどすぐさま飛び込んだ制止の声に阻まれてしまう。
 エリオは、視線を落とし胸に蹲っているリインを見やった。
 低く押し殺した嗚咽が聞こえた。

「ごめん、なさい」
「言わないで」
「で、でも」
「何も言わないでくださいっ!」

 頑とした拒絶を前に、エリオは自身が発言する資格を持ち合わせていないことを悟った。
 ただただ――本当は誰にも聞かれたくないであろう――リインの嗚咽を耳に入れながら時が過ぎ去ることだけを待ち続けた。
 リインが泣きつかれて眠ってしまうまで、ずっと。
 そして。
 やがてリインが寝入ってしまうと彼女をベッドに運んだ。
 暖かい布団を掛けてやり、自身はベッドの横に腰掛けた。

「僕、何をやってるんだろうなぁ」

 天を仰ぐエリオ。酔いなんてすっかり醒めていた。

「情けないや、あはは」

 自嘲の笑いを零すと肩を落とした。
 寝起きしようと日が経とうとリインの言葉を忘れられそうにはなかった。





     ◇     ◇     ◇





 リインは酔っていた時の記憶が残っていないのか、目が覚めると普段通りの態度だった。だがエリオは忘れていない。
 数日間、気まずさからリインを避けていた。

「……どうしてリインを避けるですか?」
「え、いや、それは、その」

 だが。とうとう廊下の隅でリインに捕まってしまった。
 リインは人間大の姿を取るとずずいっと迫りエリオを問い詰める。彼女の剣幕にしどろもどろになるエリオ。
 慌てて弁解しようとしたエリオの耳に口元を寄せ、リインは言った。

「―――うそつき」

 瞬間、記憶の歯車が回転した。数日前のある一言がエリオの脳裏に蘇る。
 『言ったらエリオはきっとリインを避けます』
 ああ、その言葉通りじゃないか。

「リインのこと好きになってくれなくてもいいです。けど、けど、リインの前からいなくならないでください……」

 胸にしなだれかかるリイン。思わず、その小さな身体を抱きしめてしまおうと手が伸びて――躊躇った。
 どうすればいいかが分からなくなり、結局その手を降ろした。
 今の自分がリインを抱きしめていいとエリオには思えなかった。
 変わりに言う。

「ごめんなさい。でも、気持ちの整理を付ける時間をくれませんか……?」
「……エリオのへたれ」
「……ごめんなさい」
「しかも、ずるいです。惚れた弱みに付け込んでます。リインはだめって言葉を言えないじゃないですか……」
「えっと、それは」

 エリオが何か言う前にリインが彼から離れた。表情が見えないようにくるりと背を向け、背中越しにエリオに告げる。

「期待して待っててもいいですか?」

 表情を隠そうとしても震える肩から内心が透けてしまうリインを見ながら――それでもエリオは正直な気持ちを返した。

「わかりません。でも、嫌いにはなりません。そして、もう二度と避けません」

 リインが返答することはなかった。彼女は堪え切れないように走り出し廊下の奥に消えてしまう。
 取り残されたエリオはその場に屈むと頭を抱えた。

「ああ、もうっ!? 僕のばか……っ!」

 どうにもこうにもいっぱいいっぱいだった。


 ●



 感想などは 『魂の奥底から叫んでみよう!』 へどうぞー







「小さなリインのπなメロディ 〜機動六課の長い一日〜」     執筆:緑平和


「わたしのわたしの彼がー、振動拳〜♪」

 楽しげな、随分と楽しげな鼻歌が厨房から聞こえてきた。
 深夜の機動六課食堂。既に営業時間を終え、電灯の消えたその場所で、しかし先程からそんな歌声と、食器や調理具がかき鳴らす金属音が断続的に響いている。

 厨房の中に人影はない。だが、音は確かにその中から響いてきていた。そこにあったのは調理器具そのものが舞い踊り、一人でに料理をしているかのような不可思議な光景だった。
 見るものが見れば、機動六課七不思議のひとつに『恐怖! 深夜の厨房で謎の死を遂げた料理人の霊』と仰々しいタイトルと共に加えられてもおかしくはない光景だ。

 もちろん、つい最近新たに作られた機動六課の隊舎に謎の死を遂げた料理人など存在しないし、そもそも心霊現象の類でもない。
 それはただ単に、調理人の姿が小さすぎて、見え難いというだけの話だ。

 よくよく見れば、宙を舞う料理器具のひとつ、かきまぜ棒の先端に人型をした何かがしがみ付いていた。
 取っ手の部分にしがみ付き、大きくグラインドするかのようにしてボウルの中身をかき混ぜている。

「愛をMOT〜! ラブをMOTT〜!!」

 テンションがあがって来たのか、シャウトし始める謎の人影。
 もちろん、ここ機動六課において、全長30センチにも満たない人影の正体など一人しかいない。

「ふぅふぅ……これでスバルもイチコロですぅー」

 一仕事終えた表情で、額の汗を拭うのは二代目祝福の風ことリインフォース・ツヴァイであった。
 そんな彼女が満足げに見つめるボウルの中にあったのは、リインが丹精こめて練り上げた珠玉のクッキー生地である。後は型を抜いて焼き上げれば完成といった按配だ。
 と、ボウルの中身を見つめるリインの表情が変わった。

 満足げな表情から、口の端をキュっと吊り上げる笑みの形へ。薄暗い照明の所為かなぜかその表情はえらく邪悪にみえた。
 そんな笑みを顔に貼り付けたまま、彼女は懐から薄い紙に包まれた掌大の錠剤を取り出した。もちろんリインの縮尺から考えるに実際は摘む程度のものだろう。

 平たい円盤型をしたよくあるタイプの錠剤で、間違わないようにとの配慮か中央には小さく用途が彫り文字で入れられている。


『いやらしくなるクスリ』


 かなり直球なタイトルである。薬がなぜかカタカナなのが更なる怪しさを醸し出している。付属の取扱説明書によると即効性の強力な代物らしい。
 リインはそれを暫く、顔に笑みを貼り付けたまま見つめていたが、やがて首を横に振って錠剤を持つ手を自分から遠ざけた。

「い、いけません。こんなものに頼るだなんて! わ、私はスバルさんのことを純粋に思っているだけで、そんな手篭めにしたいとか、そんな願望は――」

 言いながら、いやいやと首を振るリイン。
 そんな一人芝居をしばらく続けた後、彼女は伸ばした自分の手の位置とボウルが置かれている場所を横目で確認し――ごく自然な動作で掌を返した。

「ああ、手が滑りましたですー」

 リインの口から明らかな棒読みのセリフが紡がれる。それが彼女の本当の意思かどうかは甚だ疑問だが、とりあえず掌の上にあった錠剤は彼女の手から零れ、そのまま“偶然”真下にあったクッキー生地入りのボウルの中に落下する。

「わぁ、どこにいったのか、ぜんぜん見えなかったですー」

 言いながらわざとらしくキッチンのあちこちに視線を走らせるリインフォース。クッキー生地には白い錠剤が明らかな存在感をもって半分ほど埋まっていたが、リインはゆっくりとそこから視線を外し、とりあえずといった感じで周囲を一度ぐるりと見回した。

「見つからないですねー、でもまぁ元々捨てるつもりでしたし、無くなっても問題ないといえば問題ないような気がしなくもないわけで……」

 うんうん、と自分を納得させるように彼女はうなずくと、再びかき混ぜ棒を取り出し、その身に抱いた。

「いまはスバルの為に、これを完成させるですー!」

 そういって、再びクッキー生地を盛大にこねくり回し始めるリインフォース。
 その工程の最中、白い錠剤が砕けクッキー生地全体に満遍なく広まっていくのだが、リインはそれに気づかない――本当に気づいてないのだろうか?

「うふ、うふふふふ。これでスバルは私のものですー!」

 それからしばらくの間、リインの邪悪な笑い声が止むことはなかった。
 

 ●


 一時間後。
 オーブンの『チンッ』という出来上がりを示す音がキッチンに響いた。

 リインは周囲を警戒するように、一度左右に首を振り、誰もいないことを改めて確認すると、ゆっくりとオーブンの蓋を開ける。
 そこから漂ってきたのは、クッキーの芳しい香りだ。それだけで食欲を刺激してやまない出来のようだ。

 ただひとつ問題点をあげるとするならば、クッキーの色がなぜか毒々しい紫色に染まっていることだろうか。正直手を伸ばしたくないというか、凄まじい威圧感さえ感じる。擬音で言うなら『ゴゴゴゴゴ!』だ。
 それを見たリインは無言。本来ならばここで味見のひとつでもしてアウトならば破棄するのだが、さすがにこれを口に入れる勇気はなかったらしい。

「想像以上の代物になってしまいましたです……」

 戦慄、といった様子で呟くリイン。はたして、これをどうするべきかと思案を巡らす。
 この異常な見た目のものをスバルに食べさせるのは流石に躊躇を覚える。彼女の性格からして誰かからの贈り物なら残さずに食べてしまう可能性が高いので、尚更だ。

 かといって、廃棄するのも悩みどころだ。例のクスリは、幻術魔法の一種かモザイク入れたフェレット状の物体からかなり高額で買い取ったのだ。それをただ捨ててしまうのも忍びない。
 とりあえずオーブンにいれたままにしておくわけにもいかず、用意していたバスケットに盛り付けては見たもののやはり凶悪な見た目である。一般的な見識をもった人間ならばまず間違いなく引く代物だろう。

 そんな紫色したクッキーを前に暫く悩んだリインだったが冷静になるにつれ、罪悪感も生まれてきたらしく、結局それは捨ててしまうことにしたようだ。
 ハァ、と溜息をつきつつリインがバスケットに手を伸ば――そうとした時だった。

「あれ? そこにおるんは……リイン?」

 突然背後から飛んできた聞きなれた声に、ビクッっと彼女の背筋がまっすぐ伸びた。
 手には禍々しい色合いのクッキーの入ったバスケット。パッと見はただの失敗作だがあまり人に見られたい代物ではない。咄嗟に隠そうとも思ったが自分の身長と同程度の大きさを持つバスケットを瞬時に隠す方法もなかった。

「こんな時間まで起きてるなんて、リインは不良やなー」

 焦り、意味もなく視線を彷徨わせていると声の主が更に一歩近づいてきた。
 そこで彼女の方もリインの様子がどこかいつもと違うことを悟ったのか、笑みの混じっていた声が怪訝なものへと変わる。

「リイン? どうかしたんか? なんか怪我したとか?」

 機動六課部隊長であり、リインのマイスターでもある八神はやてがそこにいた。

「な、ななな、なんでもないですよ、はやてちゃん!?」

 そんな彼女の問いかけに咄嗟に返事を返すリイン。しかしどう見ても挙動不審なその態度にはやての首はますます横へと傾いていく。

「こんな遅ぉまでなんしとん、リイン?」
「えっと、それは、その……そういうはやてちゃんはどうしたですか、こんな時間に食堂に来るなんて!」

 自分の事はとりあえず棚にあげて話題転換を試みるリイン。

「ん? 私はさっきまで仕事してて、ちょお小腹がすいたからなんか無いかなー思うて来たんやけど……にゅ? なんや、ええ匂いがするな」

 すんすん、と鼻を鳴らしながらはやてが呟く。リインの表情が強張った。匂いの元はおそらく彼女の背後にあるクッキーからのものだろう。匂いだけはなにやら甘ったるくて美味しそうなのだ……匂いだけは。

「き、きき気の所為じゃないですか〜? ぷひゅーひゅー♪」
「ちゅーかリイン、背中はみ出しとるで」

 そう指摘するはやての視線の先には、明後日の方向を向いて口笛を吹く(吹けてない)リインの背中から豪快にはみ出たバスケットの存在がありありと見て取れる。芳しい匂いは明らかにそこから漂ってきているのだ。

「こ、これは駄目です! え、えっとその、これは失敗、そう失敗作なんです」
「えー、でもええ匂いしとるやん、ちょっとくらい焦げてたってかまへんよ?」
「と、とんでもないです! はやてちゃんに食べさせるような代物じゃあありませんから、ホント!」
「むぅ……そないなこというて、ホントは全部スバルに食べさせるつもりやないん?」

 当初はその予定だったが、すでにそれも水泡に帰している。しかしどうしたものか、この産業廃棄物じみた色合いのクッキーを見せればさすがのはやても諦めるとリインは思うのだが――

「あ、噂をすればスバルや」
「ふぇっ!? スバル!?」

 唐突に思い人の名を告げられ、咄嗟にはやての視線を追うように首を巡らせるリイン。
 だが、振り向いた先にはただ無人の空間が広がっているだけだ。どこにスバルがいるのかとリインが首を傾げた――その瞬間、リインの死角を縫うようにはやての腕が横を通り過ぎ、バスケットの中に潜り込んでいた。
 あ、と思った時にはもう遅い。「いっただきぃ」という声と共に、はやてはバスケットの中にあるものを掴むと、引き返す動きでそのまま掴んだ代物をキチンと見もせずに口の中に放り込んだ。

「うわ! うわぁ! ああーっ!?」

 悲鳴にも似た声がリインの口からあがるが、そんな彼女の目の前で無慈悲なまでに咀嚼の音が響き、止めと言わんばかりに疾風の口の中のものが嚥下されていった。

「うわっ、めっちゃおいしいやんコレ! ほぅら、やっぱりリイン独り占めするつもりやったんやろ?」

 得意満面といった表情で、リインの方を振り向くはやて。
 だが、そこにあったハラハラと涙を流すリインの表情に、さすがのはやても驚きを隠せずにいた。

「うわ、ちょ、ええぇ。な、泣かんでもええやん。ご、ごめんなリイン。ちょっとふざけ過ぎたかな?」

 戸惑いにも似た感情のまま、謝罪の言葉を述べるはやて。しかしその言葉にリインは一度首を横に振ると、涙を拭いつつはやてに語りかけた。

「は、はやてちゃん……落ち着いて、聴いてください」
「な……なに? 私、そんな取り返しのつかへん事したん?」

 リインとはやてでは共通見解にやや違いが見られる会話内容だったが、言葉だけを見れば概ねあっていた。
 だから、リインははやての言葉に一度頷くと、厳かにこう言った。


「はやてちゃんは今、とっても“いやらしく”なっているです……」


「…………は?」

 一瞬、なにを言われたのか理解することのできなかったはやては、頭の上に大きなハテナマークを乗せたままリインに尋ねる。

「ええと、よう聞こえんかったから、もう一回言うてくれるかな、リイン?」
「ですから、はやてちゃんは今、非常にいやらしくなってるんです!」

 必死な形相でリインに言われ、はやては口の中でその言葉を幾度か反芻したあと、脳内においてその言葉の意味するところを導き出すために思案に耽る。
 そうして、五秒ほど熟考した結果、はやてが導き出した答えは、

「あんなリイン。私、最近ちょおふざけ過ぎたかな?」

 自分のここ最近の行動を省みての反省の言葉だった。ここ最近のイロモノめいた行動がやや目立っていたんだろうかと我が身を振り返るはやて。
 だが、リインが言いたいのはもちろんそういう事ではない。

「そ、そうじゃなくてですね。さっきのクッキーに、その、えっと……」

 怪しげなクスリが混入していたのだ、とは流石に正直に言いづらいところがあるリインはそこで口篭る。
 そんな彼女の様子をみて、はやてはとりあえずリインを落ち着かせるべく、まぁまぁとジェスチャーで指し示す。

「ちょお、落ち着きぃリイン」
 そんなはやての態度はあくまで理性的である。そこでリインも唐突な出来事からの動転から立ち直り『あれ?』と首を捻る。リインが見る限りはやての様子はいつもと変わりない。即効性とのことだが、薬の効きが悪いのか、はたまた元々そんな効力は無かったのか――そんなふうに、リインが薬そのものに疑いの感情を抱いていると。


「落ち着いて、おっぱい揉ませてぇや」


 落ち着いた微笑みを浮かべたまま、はやてがそう呟いた。
 今度は、リインがはやての言葉の意味を熟考しなくてはならなくなった。

「え? あの……はやて、ちゃん?今、いったいなにを」
「んー、何をってリイン――」

 恐る恐るといった様子で尋ねるリインの言葉に、対応するはやての様子はあくまで理性的である。
 理性的なまま――


「おっぱいを揉ませぇ」


 完全に壊れていた。
 それを聞いたリインは「ひ、ひぃっ」っと表情に明らかな恐怖の色を浮かべ、距離を離すように後ずさる。
 言っていることは喜ばしいのか悲しいのかよく解らないが、いつものはやてとそれほど変わらないが――それもまぁ、かなり問題だと思うが――なんだろう、今の彼女からはドス黒いオーラが感じられる。
 あまりにも穏やかなその笑顔も、恐怖を煽る一因となっていた。笑みを顔に張り付かせたまま、はやては緩慢な動作でゆっくりとリインに迫る。

「や、やぁ……は、はやてちゃん、正気に戻ってくださいですぅ……」
「ややなぁ、私は至って正気やで? なぁ、せやから……おっぱいを揉ませろー!!」
「いやあああああああああああですうううううううう!!」

 口の端をキュッと吊りあげ、まるで悪魔のような笑みを作りながら八神はやてはリイン目掛けて一直線に襲い掛かっていった。

 カチリ、と時計の針が進む音が聞こえた気がした。
 奇しくもその時、時計の針は深夜十二時を示していた。新しい一日が始まったのだ。
 後に『機動六課の長い一日』と影で噂され、けして公表されることのない伝説として人伝いに広がっていく、そんな一日が始まろうとしていた。




 ●


『エリオ! キャロ! 見ちゃだめ』
『なんて……惨い事を、リイン曹長が……リイン曹長が』
『やぁ、もうらめれふぅはやてちゃぁん。リイン、壊れちゃいますぅ』


 ●


『そんな……なのはさんが手も足も出ないなんて!?』
『今の部隊長の力は、それほどまで跳ね上がってるの!?』
『は、はやてちゃん! そんなとこ触っちゃ――ああんっ♪ ダメ……だってばぁ』
『あの、なのはさんがまるで少女のような甘えた声を出してるよ!?』


 ●


『ヴァ、ヴァイス陸曹?』
『俺たちは八神部隊長の部下だ。どんな状況になったって、俺たちはあの人を信じてついていく――そう、決めてんだ』
『もの凄い笑顔で言われてもなんの説得力も無いですよ』
『ふはははははは! なんとでも言うがいい。俺たちのエルドラドは今ここに! 八神部隊長、一生付いていきま――』
『うわぁっ!? 八神部隊長からの本気の攻撃がヴァイスさん達に直撃して消し炭のように!?』
『やっぱり、男の子に興味ないのかなぁ?』


 ●


『ス、スバル……』
『リ、リイン曹長!? 大丈夫なんですか!?』
『はいです……もうちょっとで二度と戻れなくなるところでしたが、なんとか帰ってこれました』
『で、でもそんな身体で動くなんて無茶ですよ!?』
『構わないです。今はそんなことより、スバルあなたに頼みたいことが……』
『リイン曹長……でも、なのはさんやフェイト隊長。それに副隊長やティア達も八神部隊長の毒牙に……今更、私一人が刃向かったところで……』
『そんなことないです。スバルにだって――いいえスバルだからこそできることがあるですよ』
『私に……できること?』
『そう、今こそ偉大なあの称号を、スバルに譲るです……その名は――』







 おっぱいマイスタースバル!!

〜機動六課の長い一日〜





 新たなヒーローがこの日、生まれる。

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