STAYDAYS 02


 ここは緑豊かな国、ビスコッティ共和国。
 その中央に位置するフィリアンノ城の中、とある一室で若い一組の男女が向かい合わせに座っていた。

 場所はベッドの上、だが彼等の間に甘やかな雰囲気など微塵も無い。
 少年――シンク・イズミはなんともいえないような困った表情を浮かべているし、少女――この国の領主でもあるミルフィオーレ・F・ビスコッティはどこか心配そうな表情でシンクを上目遣いで見詰めている。

 やがて、何かを観念したようにシンクが口を開く。

「あの……姫様。ひとつ、聞いてもよろしいでしょうか?」
「は、はいっ、なんなりと!」

 やや緊張気味に応えるミルヒ。そんな彼女を落ち着かせるように「では」と静かに呟いたシンクは、自分とミルヒの間にある“モノ”を指差して、

「これはいったい、なんですか?」
「首輪です」

 返答は間髪居れずに返って来た。その答えに、シンクは納得する。そこにあったのは確かに見間違えようのない立派な――首輪だ。
 じゃらりと音を響かせる長い鎖のリード。そしてその先には随分と高級そうな皮のベルトが付けられている。ベルトには等間隔にトゲのような鋲がついてるが、怪我しないようにとの配慮か、柔らか素材でできていた。ぷにぷにである。
 ベルトの直径はそう、ちょうど目の前の女の子の首より僅かに大きめと言った所だ。

 なるほど、確かにこれは首輪だ。首輪オブザ首輪と言ってもいいだろう。これほどまでに立派な首輪はさすがのシンクもお目にかかるのは初めてだ。
 これで一つの大きな疑問が氷解した。だからこそシンクはハハハ、と快活に笑い、

「ですよねー。どう見ても首輪ですもんねーコレ、あはははは――で、なんでこんなものがここに?」

 後半真剣な表情で尋ねるシンク。むしろ聞きたいのはコレがなんであるかではなく、なんでこんなモノがここにあるかだ。
 その問いに、先ほどは間髪答えてくれたミルヒだが、今回は何故か頬を紅くし、恥ずかしそうに俯いたまま視線を逸らしつつ応える。

「え、えっとその……そ、それは……」
「そ、それは……?」

 中々続きを言おうとしないミルヒを促すように鸚鵡返しに尋ねるシンク。その声に、ミルヒは意を決したように拳を握り、

「わ、私を勇者様のペットにしていただく為ですっ!」
「はいアウトォッー!!」

 親指を立て、声高に叫ぶシンク。けれどミルヒはそんなシンクの行動が理解できないまま、

「あ、あの勇者様? 今のはいったい……?」
「オーケィ、姫様。まずは一つ落ち着きましょう。ここは一度冷静になって、れ、れれれ冷静になってですね」

 明らかに冷静さを失った状態のシンクは、しかし一度深呼吸を入れた後、一つづつ事態を解決していく事に決めた。今のままではツッコミどころが多すぎて付いていけない。

「えーっと、そうですね……まずはその、ペットと言うのはどういう意味なんでしょう?」

 その問いに、何故かミルヒはパアッと輝くような笑顔を浮かべ、

「はいっ、あいがんどーぶつの事です!」
「いえ、はいまぁ確かにそれで合ってはいるんですが……」
「そして、いんらんにくどれいの事ですね!」
「何処でそんな言葉覚えたっ!?」

 思わず敬語も忘れ、全力でツッコむシンク。しかし、ミルヒは言葉の意味までは解ってなかったのか、頭上に「?」マークを浮かべたまま、

「あの……私なにか間違ってましたか?」
「違います。ぜんぜんまったくもって違います!」

 いやだがしかし冷静に考えるとアレも一種の愛玩動物には違いないというかまさかそっちの意味で言ってるんじゃないだろうかいやちょっとまて僕負けるな僕想像するなぁぁぁぁ煩悩退散っ煩悩退散っ!!

 手近な柱に向かって何度か頭部をゴツゴツと強打する事で最強最悪の敵に打ち勝つ事に成功するシンク・イズミ。現役中学生。特技は棒術とアクロバットでっす☆ミ

「あ、あの勇者様。だ、大丈夫ですか」
「あ、いえ、大丈夫です。はい」

 無言で天蓋付きベッドの柱に頭を打ち付けるシンクにミルヒが案じるように声を掛ける。
 それに対し、努めて笑顔で返したシンクは、ひとつ深呼吸を入れ、

「えー……でですね。ペットにしてというのは、その具体的にはいったいぜんたいどういう意味で……?」

 正直、愛玩動物方面も正視できるような内容なのだがもうひとつがさすがにぶっ飛びすぎてて不思議と冷静に尋ねられた。

 こう言っては何だがこのお姫様は何か勘違いしているような気がする。それも激しく。
 そんなこちらの問いかけに、ミルヒは何故か逆に不思議そうな表情を浮かべ、

「え……? 勇者様の世界では私達のような者を愛玩動物として飼われるものではないのですか?」
「いやまぁ……確かに犬とか猫とかを飼う人はいますけど、さすがに姫様みたいな人をそんなペットにしたりはしませんよ……」
「う、ウソです! そんなことはありません!」
「いや、そう言われましても……」

 何故かムキになって反論するミルヒ。彼女はこちらの言葉を聞かず、こちらに背中を見せるとゴソゴソと何かを探りはじめる。
 やがて、何か見つけたのか彼女はそれをこちらに突き出すように見せつけ、

「見てください! この勇者の遺物にもちゃんと書かれています。私だって勉強しているんですからね!」

 そう言って彼女が見せ付けたのは犬耳犬尻尾を付けた体操服姿(ブルマー)の女性が扇情的なポーズを取っているグラビアページであり、アオリ文は『魅惑のコスプレペットプレイ! 深夜の淫乱肉奴――

「うわああああああああああああああっっっっ!!??」

 反射的にミルヒの手からその謎の雑誌を奪い取り、中身を見ずに窓の向こうに放り捨てるシンク。

「あ、ああっ!? 我が国に保存されている貴重な勇者の遺物が!?」
「いや違いますから!? アレはそんな崇高なもんじゃないですから!? ただのエロ本ですよアレ!?」
「えろほん……ってなんですか?」

 この国の倫理規定が低いのか。それともこの姫様の情操教育がアレなのか。
 ひとつ大きなため息をつき、大きく肩を落とすとシンクは疲れた表情を隠すことなく、

「いいですか姫様。僕の世界でも姫様みたいな子をペットにするとかそういう風習はありません」
「でも、さっきのえろほんには」
「あれは一部の特殊な嗜好を持つ人の極々狭い趣味の一環であり、けして僕らの世界のグローバルスタンダートじゃあないんです。あとエロ本って言わない」
「で、では勇者様は私みたいな子をペットにするようなご趣味は無いんですか!?」
「ありません。至ってノーマルです」

 その問い掛けに胸を張って頷ける人間は紛うことなく勇者だろう……いやまぁ、確かに自分も一応勇者だがなんというかジャンルが違う。その筈だ。

 にべも無いこちらの返答に「う、うう……そうなのですか……」と、どこかショックを受けた様子で項垂れるミルヒ。その耳や尻尾も力なく垂れ下がってしまっている。
 まるで捨てられた子犬のようなその姿に、別段悪い事をしていない筈のシンクにも重い罪悪感が圧し掛かる。

「あのですね姫様。なんでその……いきなりペットにしてください、だなんて言ったんですか?」
「それは……そのっ……」

 優しく諭すようなこちらの言葉に、僅かに怯えの色を見せるミルヒ。けれど彼女はぽつぽつと自身の思いを語りだす。

「ペット……というのはそちらの世界では大切な家族の事だって、リコの集めてくれた資料に書いてたんです……」
「…………家族?」

 シンク自身がペットを飼った記憶は無い。だが、それでもペットを愛すべき家族として迎え入れる人がいる事は理解できる感情だ。

「わ、私の浅はかな行動で……勇者様はご家族ともご友人とも離れ離れになってしまって……だから、そんな私が今更こんな事したって、おこがましいって解ってるんですけど……」

 感情を堰き止められなくなったのか、大粒の涙をぽろぽろと零しながらそれでも言葉を紡ぐミルヒ。

「私が……私なんかじゃ代わりにもならないですけど。でも、それでも勇者様の家族になれたら、ひゅ、ひゅこしぐらい元気じゅけられるかなって思っへ……」

 えぐえぐ、と最後の方はもはや鼻声でうまく言葉にすらならない。
 それでも、彼女の優しい気持ちだけは充分すぎるくらいシンクの胸に伝わった。

「ありがとうございます、姫様。そんな風に僕の事を心配してくれて」

 零れる涙をそっと指先で拭うシンク。未だに潤んだままの瞳でこちらを見上げるミルヒに向けて、彼は作り物ではない晴れやかな笑みを見せ、

「大丈夫ですよ。まだ本当に帰れないって決まったわけじゃないですし……それにこの国の人たちは皆いい人たちばかりだし、ずっと住み続けるのも悪くない」

 それが単なる強がりだと言うのは自覚している。
 帰りたくないわけではないし、家族や友人に再会したいと思わないわけが無い。
 だけど確かに、悪くない――と。確かにシンクはその時思ったのだ。

「――だから、そんなに悲しい顔をしないでください姫様」
「け、けど……私は勇者様に……」
「貴女が――大切な、家族が泣いていたら僕も悲しくなります。だから笑ってください」

 その言葉に、鼻を啜るような泣き声が途絶えた。ミルヒは目を大きく見開いた驚きの表情でこちらを見上る。未だに何が起きているのか解っていない様子のまま彼女は未だに震える声を必死な様子で紡ぐ。

「あ、あの勇者様……それは、どういう……?」
「ええと、その、そう何度も口にするのは流石に恥ずかしいんですけど……ええ、姫様がもし家族になってくれるんなら、僕はとても嬉しいです」

 きっとそれが正しい答えなんだろう。シンクはそんな思いの元、柔らかな笑みを見せる。
 それに応えるように、ミルヒもまた花開くような笑みを浮かべ、

「じゃ、じゃああの勇者様……その、わ、私を……」
「うん、姫様」
「ペットにしてくれるんですね!」
「それは違います」

 ツッコミは否定の言葉となって容赦なく二人の間に突き刺さる。
 その言葉に、嬉しそうに首輪を掲げようとしていたミルヒは再び今にも泣き出しそうな表情で慌てふためき、

「え? え? で、でも勇者様いま家族になってくれるって!?」

 いくら家族という間柄を築くにせよ、流石にペットとその主人、という関係性はマズい。
 なんというかこう体面的に色々と。

「いえ、ですから僕が言ってるのはなんていうかこう気持ち的なものでしてね……というかなんでそうペットっていう響きに固執するんですか?」
「え? ペットじゃないなら血が繋がってないと家族にはなれないじゃないですか?」
「うわぁ、なんでそこ酷く現実的な問題なんですか……」

 それに、と前置きしてシンクは言葉を紡ぐ。

「血が繋がってなくったって、例えば養子になるとか……」
「す、すみません……ビスコッティ共和国では領主はそう簡単に養子縁組を行えない制度がありまして……」
「え? あ、そうなんですか……ええと、じゃあ……あ、ほら、例えば結こ――」

 ん。と続けそうになってシンクは気付いた。
 例えばそう、ここで「結婚すれば家族になれるじゃないですかー」と冗談交じりにでも提案すればどうなるか。

 ペットになる、などと平然と言い放ってくるミルヒの事だ。もしかすると凄くいい笑顔を浮かべて「わぁ、それはナイスアイデアですね! じゃあ結婚しちゃいましょう!」と言ってきたとしてもなんらおかしくはない。

 この国の人々は総じてミルヒの事を愛すべき領主として敬虔の眼差しで見詰めている。国内だけではない、プロの歌い手である彼女には国外にも数多くのファンを抱える身だ。
 考えてみるがいい。そんな彼女がある日突然「私、本意ではないんですけどお家に帰れなくなった勇者様の為に結婚しまーす」とでも発表した日には、

 ――こ、殺される!? エクレールとかその辺に確実に殺される!?

 ありありと思い浮かぶそんな未来想像図に冷たい汗を浮かべ、身震いするシンク。

「けっこ……?」

 急に一時停止したこちらの言葉の意図が解らず、鸚鵡返しに呟くミルヒ。
 反射的にシンクは緊急回避スキルをアクティブ状態にシフトする。

「け、結構思いつかないもんですよねー。あ、あはは、あははははっ!」
「うーん、そうですよねー。私も先程から考えているんですけど……何か、誰でも思いつくような方法があった気がするんですけど……」
「ペ、ペット! やっぱり家族になると言ったらペットですよネー! さすが姫様、ナイスアイディアです!」

 自ら深い墓穴を掘っているような気がしてならなかったが、もはや退路は絶たれていた。
 こちらの言葉に、ミルヒはきらきらと瞳を輝かせ、

「で、では私の事……ペットにしてくれますか?」

 何かを期待するかのような上目遣い。出来ることならば否定の言葉を紡ぎたかったが、それが最早時間稼ぎにしかならないと嫌と言うほど理解したシンクは観念したようにひとつ吐息をいれ、

「わかりました……」
「えっ! ホ、ホントですかっ!? や、やったぁっ!」

 嬉しそうに手を叩き、耳と尻尾をぴょこんと立てるミルヒ。けれど、そんな彼女を制止するようにシンクは掌を突き出し、

「けど条件があります」
「条件……ですか?」

 真剣なこちらの声に応じるように、居住まいを正すミルヒ。
 正直なところ、ペットと言う単語の所為でかなりアレげな雰囲気が出てはいるが、結局のところミルヒはシンクの事をどうにかして慰めてあげたい、という思いに従って行動しているだけだ。

 それが無自覚な行いだったとしても――いや、だからこそ被害者であるという自責の念に駆られるミルヒにとって、シンクの紡ぐ許しの言葉は免罪符にならない。
 むしろ、シンクに優しい言葉をかけられる程、罪悪感は増していく。

 だからこそ、彼女はペットなどという突拍子も無い、強制力にも似た束縛を頑なに必要としているのだろう。
 そうすることが、自分自身の罰だと思い込んでいるのだ。

 なら、その思いを叶えてあげればいい。
 それでミルヒが何らかの拠り所を得て、安堵する事ができるのなら安いものだ。
 ただ一つ問題をあげるとするならば、

「その……この事は僕と姫様だけの秘密にして欲しいんです」

 体面の問題だ。先程も思案したが、一国の姫であるミルヒが勇者という肩書きを持っているとはいえ、そんじょそこらの中学一年生のペットになる、など周囲の人達に知られたら一体どうなる事か。
 特にエクレールとかエクレールとかエクレールとかに、だ。

 考えただけでも血が失せていくのが解かる。

 ――ただ、この姫様が果たして大人しく受け入れてくれるかどうか。

 今までの流れから言って「え? なんでですか? 国中のみんなにもお伝えすればいいじゃないですかぁ?」とか物凄い笑顔で天然ボケをかますとも限らない。
 いや、むしろ本気でやりそうなのが恐ろしい。

 そんな彼女の暴挙をどう言い繕って止めるべきかシンクが難しい表情を浮かべる中、しかしミルヒは、

「えっ……え、あ、あの、それは……その、ふっ、二人だけの秘密ということですか!?」

 何故か頬を赤くしたまま驚きの表情を見せる。

「は、はい……そうして頂けるとありがたいんですが……何か問題でも?」
「い、いえっ! も、問題はないと言うか、え、ええと、その、あの……」

 なんだろう? 自分は何か姫様が困るような質問をしてしまったのだろうか? と首を傾げるシンク。けれど、ミルヒの尻尾はわっさわっさと今までに無いくらい激しく左右に揺れ動いててる

「ゆ、勇者様と二人だけの秘密……」

 何故か感極まった様子でぽつりと呟くミルヒ。どうにも情緒が安定しない彼女にシンクは気遣うように尋ねる。

「え、ええと……あの、お嫌でしたらそこまで無理強いはしませんけど」
「い、いえ! 嫌じゃないです! 嫌なんかじゃないです!!」

 何故か今度は力強く否定してくる。そのまま彼女は恥ずかしそうに目を伏せ、こちらを見ないままに震える声を紡ぐ。

「あ、あの……この事はけして誰にも言いません。約束します。絶対に、絶対に秘密にしますから……だから、私を……勇者様のペットにしてください……」

 なんだろう。今この部分の会話だけを誰かに聞かれでもしたらもれなく破滅へと一直線になりそうな気がする。
 背中にじわりと浮かぶ冷たい汗を感じつつも、しかし震える声で必死に言葉を紡ぐその姿に、シンクは自然と頷いていた。

「ええと、こんな僕でよろしければ……よろこんで……」

 あまり気の効いたセリフとは言えないが、残念ながらシンクには今まで同年代の女の子をペットにした経験などないのだから仕方ない。そんなものがあってたまるか。
 けれど、ミルヒはこちらの陳腐なセリフに対し、花開くような満面の笑みを浮かべる。

「は、はいっ……私、頑張って立派な勇者様のペットになりますっ!」
「ハ、アハハハ……が、頑張ってください……」

 乾いた笑みを浮かべつつ応えるシンク。もうそう言うしかなかった。
 かなりの紆余曲折を経たものの、なんとか一段落着いたことで溜まりに溜まった精神的疲労が一気に噴出す。どうやら想像以上に自分は疲れているらしい。どれほどハードな筋トレだろうとここまでの疲労感を覚える事は無いだろう。

 ミルヒに気づかれぬように、肩の力を抜き、吐息を漏らすシンク。
 まるでそんな間隙を突くかのように、その言葉はやってきた。

「あ、あの……では勇者様。さっそくお願い致しますっ!」
「……へ?」

 気を抜いた瞬間を狙い済ましたかのようなお願いに、思わず「何が?」と尋ね返しかけるシンク。
 だがその必要はなかった。振り返った先、視線の向こうではミルヒが意を決した表情で“ソレ”を差し出していたからだ。

 首輪、だ。

 この話の発端となったソレは、話が一段楽した今になっても明らかな異彩を放ってミルヒの手の上に鎮座している。
 それが何を意味するか、半ば理解しながらもシンクは乾いた笑みを浮かべて尋ねてみる。

「あ、あの姫様……それをいったいどうするおつもりで?」
「え……? そ、それはもちろん勇者様に付けて頂こうと……これこそがペットの儀式が完了した証。首輪を付けてないとペットはホケン城という怪しげな施設に強制的に連れて行かれるという情報も勇者の遺物に記されておりましたし……」

 確かにそれは間違った情報ではないのだが、何か色々と激しく間違ってしまっている。

「あのですね姫様。それは……」
「あ、あの私もちょっと恥ずかしいですけど、でもっ勇者様の為なら喜んでお受けいたします! だから、お、お願いしますっ!」

 なんとかミルヒを説得しようと口を開くシンクだが、ミルヒはこちらの言葉を聞くことなく、首輪をこちらへと押し付けてくる。
 そうして、目を閉じたまま餌を求める小鳥のように、首をこちらへと上向きに傾げるミルヒ。

 傍目から見ると、その姿勢はまるで恋人にキスをねだっている、ように見えなくも無い。
 無防備に瞼を閉じたまま、耳と尻尾だけをぴこぴこと動かすミルヒ。その姿にシンクも我知らず己の心拍数が跳ね上がっていくのを感じる。

「あ、あの……勇者様? どうかされましたか?」
「え、あっ、は、はいっ。大丈夫です、なにも問題ありません!」

 どのくらい見蕩れていたのだろうか。ミルヒの問いに思わず反射的に背筋を正して応えてしまうシンク。
 そうじゃなくて誤解を解かなきゃ、と我に返るがミルヒは既に緊張の面持ちを見せながらも、完全に首輪を付けられるのを待っている姿勢だ。

 今更止めるとは酷く言い出しづらい状況。ミルヒから渡された首輪を握る掌にじわりと汗が浮かぶのを自覚しつつシンクは思考する。

 ――これはあくまでただの儀式なんだ。それで姫様もきっと納得してくれるだろうし。それに僕だって別に邪な感情を抱いているわけじゃないし、うん。そう、全然おかしな事なんかじゃないよね。ね。

 必死に己の中で葛藤し続ける理性を説得するシンク。

 ――そう、首輪だと思うからおかしいんであってコレはちょっと奇抜ではあるけれど、アクセサリーみたいなものだと思えばいい。ちょっとゴツめのチョーカーだ。

 そうやって自身の中で一応の落とし所を見つけたシンクは意を決した表情で首輪を握り締め、

「で、では行きます……」
「は、はひっ! お願いしますっ!」

 お互いに居住まいを正し、身構える二人。
 シンクは一度深く息を吐いて呼吸を整えると両手をそれぞれミルヒの首横に差込み、後ろへと回す。その際にミルヒのさらさらと流れる髪に触れてしまい、彼女は一瞬だけビクりと身を震わせる。

「えっと……大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です! 問題ありません、そのまま続けてください!」

 反射的に動きを止め、心配そうに尋ねるシンク。しかしミルヒの確固たる意思の言葉に支えられ、再度動き出す。
 後ろへと回した首輪の一端を空いた手で掴み、そのまま前へと回す。髪を巻き込まぬように最大限の注意を払いながら、シンクは僅かに震える指先で、ベルトの留め金を締めていく。
 もちろん、ミルヒの首が絞まらぬようにかなりの余裕を持って、だ。

 そうして余ったバンドをベルト通しに通す事で首輪の装着は終わった。たったそれだけの行程なのに、異常に緊張したシンクは額にうっすらと浮かんだ汗を拭いながら、瞼をぎゅっと閉じたままのミルヒに告げる。

「姫様……えっと、その……終わりましたよ」

 こちらの言葉にミルヒは恐る恐るといった様子でゆっくりと瞼をあける。その大きな瞳に見詰められ、首輪を付ける為に思いのほかミルヒとの距離が近づいていた事実にようやく気づき、心臓の鼓動は大きく高鳴るのを自覚する。

 ミルヒもそれは同様だったのだろうか、こちらと目が合った事に気づくと恥ずかしそうに慌てて視線を逸らす。その動きに合わせ、首輪から伸びる鎖が金属音を奏でる。
 響くその音に、ようやく自らの首に首輪が掛けられている事に気づいたのだろう。恐る恐ると言った様子で己の首に嵌められた首輪に触れるミルヒ。

 そこに確かな皮の手触りを感じた彼女は、目尻に光る涙を浮かべたまま安堵の表情を見せ、感極まった様子で呟く。

「よかったぁ……これで私、勇者様のペットになれたんですねっ」

 笑顔で紡がれるセリフの内容に沸騰しそうな程、頬の温度が上がっていくのを自覚するシンク。彼はそのまま残った最大限の理性を総動員し、ふらりと背後へと倒れていく。

「え……あ、あの、勇者様。どうかされましたか!?」
「あー、いえ。なんでもないです。なんでも」

 そう応えながらも、バクバクとビートを刻む心音を聞きながら「なんだろう、この可愛い生き物は」と自問するシンクであった。


 ●


 その後、執務があるとの事でミルヒは名残惜しそうな表情を見せながらもシンクの部屋から退室していった。
 もちろん首輪は外した状態で、だ。

 一度はそのまま出て行こうとしたミルヒにペットである事と同様、それはシンクとミルヒが二人きりの時だけ、というルールを提示する事でなんとか納得してくれた。
 そうして、ミルヒを見送ったシンクはふらふらと揺れる足取りでベッドに向かうと、そのままうつ伏せに倒れ伏す。

 紡がれるのは心の底から吐き出される溜息と共に一言、

「つ、疲れた…………」

 ハァ、と全身を脱力させベッドに沈み込むシンク。今日はもうこのまま何もかも忘れて眠ってしまいたかった。
 それでも瞼を閉じ、思い起こすのはミルヒのあの愛らしい笑顔。

「…………可愛かったよなぁ」

 思わず口を突いて出た言葉。それに対しシンクは慌てて首を左右に振るう。

「いやいやいや、姫様は善意で言ってくれてるんだからそういう風に考えちゃダメだダメだ!」

 彼女はあくまで元の世界に戻れなくなった自分に同情してくれているだけだ。そう心の中で何度も唱え、自身を戒めるシンク。
 けれど、気になるのは去り際にミルヒが告げた言葉。

『私、もっとちゃんと勉強して立派な勇者様のペットになりますから……楽しみにしていてください!』

 拳を握り、やけに強い調子でそう告げるミルヒ。その様子を見る限り、まだまだ何か激しく勘違いしているような気がしなくもないが、

「まぁ、いっか……今日はもう、寝よう……」

 疲労感に追い遣られ、思考する事を放棄したシンクはそのままゆっくりと夢の世界に旅立とうとした。
 けれど、その瞬間、

「勇者ァァァァァッッッ!!」

 部屋の扉が大喝の一声と共に吹き飛んだ。蝶番ごと弾けた木製の扉はそのまま縦に三回転した後、部屋の壁に突き刺さる。
 一瞬で生まれたその惨状を微動だにできぬまま見送ったシンクは、そのまま青褪めた表情で視線をかつて扉があった方向へと向ける。

 すると何故かそこには悪鬼羅刹の如き表情で立つ緑髪の少女が一人。

「エ、エクレール? あ、あの……いったい何が……?」

 状況を理解できぬまま、少女――エクレールへと声を掛けるシンク。
 彼女は憤怒の表情を見せたまま抜き身の短剣をシンクへと突き付け、叫ぶ。

「な、ななな、何がじゃなーいっっ! きっ、貴様この神聖なるフィリアンノ城になっ、なんて破廉恥なモノを持ち込んでいるんだっ!」

 そう言って、エクレールが空いた手でこちらへと突き付けるのはどこかで見た事のある冊子。開かれたページに掲載されているアオリ文は『魅惑のコスプレペットプレイ! 深夜の淫乱肉(以下略)』

 そこで思い出す。ミルヒから取り上げたそのエロ本を自分がどう処理したのか、という事を。

「え! いや、ちょ、ちょっと待ってエクレール。それは僕のじゃあっ!?」
「う、嘘をつけぇ! これが貴様の部屋の窓から飛び出たのを見た者が何人も居るんだぞっ。あ、あまつさえ、こんな汚らわしいものを、ひっ、人の頭の上に……っ!」

 何か思い出したのか、瞳に涙を浮かべて声を上ずらせるエクレール。どうやら見てはいけないものを直視してしまったらしい。

「えっ、えっとちょっと落ち着こう、エクレール。その……は、話せば解るはずだからっ、えっと、その……」
「問答無用ォォッッ!!」

 怒りの言葉と共に、エクレールの背後に紋章のヴィジョンが浮かぶ。
 その光景に、シンクは「うわ、これ死んだなー」と他人事の諦観を覚えながらふと思うのであった。

 ――ああ、この国の情操教育がアレなんじゃなくて姫様だけが特別なんだ。


 直後、勇者の部屋が爆圧の光と共に派手に弾け飛んだ。






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