魔法少女リリカルはやて Stille Nacht



 それは雪の降る聖夜に紡がれた奇跡の物語。



 轟々と、吹き荒ぶ雪が空を舞っていた。
 恐ろしいまでに真白に染められた世界がそこには延々と広がっていた。伸ばした指先すら吹雪にかすめ取られ、あっさりと視界から消え失せる。
 雪と氷に覆われたこの世界は、空も、大地もただただ白い。
 そんな中、吹雪に紛れるように音が響く。
 剣戟の音、砲撃の音、獣のような嘶き、断末魔の悲鳴ーーそれは戦いの音だ。
 白に埋め尽くされたこの場所で誰かが、何かと戦っていた。

『小佐、第三魔導師小隊からの念話が……完全に途切れました』
「くそっ! なんたることだ……相手はたかが一人の筈だろうが! なぜ二小隊もの戦力を投じて撃破できん!?」
『小佐。我々は完全に見誤っています。ここは負傷者をできるかぎり救出して撤退を』
「バカな!? このままおめおめと引き下がれというのか!? なんとしてでもヤツを引きずり出すんだ!」
『無茶です! いえ、そもそも、あんなもの相手にしちゃいけなかったんですよ! あれは……悪魔だ。俺たちをニブルヘルへ誘う悪魔なんですよ!」
「黙れ! 黙れ黙れぇ! 臆病風に吹かれおって! ここで我らニブルヘイム王立護衛軍の気概を見せなければ、またあの管理局の奴らにーー」
『あ、あ、あああああああああっっ!?』

 その時、耳をつんざく悲鳴が小佐と呼ばれていた男の脳髄に響いた。
 だが、それも一瞬。すぐさま彼の耳朶に届くのはびゅうびゅうと吹き荒ぶ風の音だけになる。

「な……何が起きた……? げ、現状を報告しろ! 今すぐにだ!」

 猛烈な吹雪に負けじと叫ぶ小佐。だが、返答は返ってこない。先程まで彼と言い争いを続けていた下士官だけでなく、派遣されていた部隊の誰ともだ。

「く、くそがぁぁぁ! 舐めるなよっ」

 己を鼓舞するかのように吠える男。そんな彼の右手から燃え盛る炎熱が噴き出した。
 ここ、ニブルヘイムにおいてはその自然環境に対抗する為か、炎熱魔法に特化した魔導師が数多く存在する。
 少佐と呼ばれるこの男も上級炎熱魔法の使い手だ。
 そんな彼が炎の灯る右腕を振るうと、周囲を囲むように巨大な火柱がいくつも立ち上る。炎は空を舞う雪や大地を固める氷すら焼き尽くす勢いで燃え上がる。
 触れれば火傷などではすまない。骨までその身を焼き尽くすであろう凶悪な代物だ。
 攻勢防御魔法とでも呼ぶべきか。男を守るように、三百六十度を絶え間なく燃え上がる火柱の群れを突破するのは管理局の高ランク魔導師でさえ難しいだろう。
 それは彼の自負であり、魔導師としての力のみでここまで這い上がってきた男の矜持でもあった。確かに、この魔法は余程の事がなければ破られることの無い鉄壁の防御であっただろう。


 だが、しかし。今彼が相手にしているのは、そんな常識を遥かに超越する――化物だった。


「――解析、開始」


 静かに語られる静謐な言葉。それは吹きすさぶ雪の音や、燃え盛る火炎の音すらも超え、男の耳朶に届いた。
 粛々と語られる少女の声。

「魔力構成確認。分類:炎熱変換型特殊魔法。ストレージに類似魔法の存在を二百五十四件確認。パターン構成編集。魔力反応値計測。許容範囲内と確認されました」

 まるで機械のように淡々と語られる言葉の羅列。
 同時に、燃え盛る炎がガラスのように砕け散った。

「な――!?」

 本来ならばありえぬその光景に、術者たる男が目を見開く。
 だが、そんな彼の驚愕を塗りつぶすかのように、割れた炎の向こうから一つの影が飛び込んできた。
 真紅の瞳、銀の髪。
 そこにいたのは、あまりにも美しく儚い、一人の少女。

「こんな……こんなものに、我らが負けるというのか!?」

 激昂の言葉が男の口から放たれる。だが少女はそんな男に一瞥をくれることもなく、一直線に押し迫る。
 少女のか細い手から放たれる手刀の一撃。それは酷くあっさりと男の胸を貫く。
 だが、血が流れる事はない。その代わりに、少女は男の胸から光輝く結晶を、握り締めるように引きずり出す。
 リンカーコア。魔導師の力の源となる光の欠片。それを体外に引きずり出されたショックに男の喉から耳を塞ぎたくなるような苦悶の声が響き渡る。
 だが、少女は眉一つ動かす事無く、男の胸から引きずり出したリンカーコアの輝きをただじっと見詰め続けていた。
 そして、少女の空いた手が宙に掲げられる。


「顕現しなさい――ドゥンケルハウト」


 その言葉にあわせるように、何も無い中空から滲み出てくるものがある。
 本。それは一冊の本だった。
 穢れを知らぬ、まるで淡雪のような純白に染められた装丁。題字もなにも描かれる事無く、ただ中央に剣十字のレリーフを刻まれた古めかしい本だ。
 ただ、特筆すべき点として、その本は生きていた。どくん、どくん、とまるで心臓の鼓動を刻むかのように胎動している。
 宙に浮く、その本を掲げながら少女は呟く、最後の言葉を。


「蒐集、開始」


 途端に、宙に浮かぶリンカーコアが強く強く光り輝いた。
 まるで消え去る直前の蝋燭のように、煌々と淡い色の光が世界を照らす。
 その輝きに歓喜するかのように、その輝きを祝福するかのように。
 白き本が溢れ出る魔力を喰らう。
 まるで己の血肉とするかのように。まるで自分の一部にするかのように。
 そうして暫くの時が過ぎ、リンカーコアから輝きが失せた。その奥底、まだぼんやりと灯る残り火はあるものの、世界を照らす程ではない。
 色褪せたそれを、少女が手離すと、リンカーコアは本来の主の下へと戻っていく。同時に完全に意識を失っていた男の身体はそのまま雪の降る大地にどしゃりと倒れ付してしまった。
 辛うじて、まだ息はあるようだが、少女はもはやそんな男には僅かも興味を見せない。
 彼女が見詰めるのは宙に浮く真白い魔導書の姿だけだ。

「……もう、お腹いっぱい?」

 首を傾げながら尋ねる少女。それに対し魔導書は応える口を持たない。ただ静かにそこに佇むだけだ。

「そう、じゃあもっともっと探さないとね」

 けれど、少女には魔導書の意思が伝わったのか、納得したように頷く少女。
 そんな彼女の返答に満足したのか、真白い魔導書は現れたときと同じように、宙に溶け込むようにその姿を消した。
 あとに残ったのは、一人の少女。
 赤い目に、銀髪の幼い少女。

 彼女は雪と氷に覆われたこの世界で、たったひとりぼっちだった――。


 魔法少女リリカルはやてStilleNacht


 清し この夜 星は光り
 救いの御子は 馬槽の中に
 眠り給う いと安く

 清し この夜 御告げ受けし
 牧人達は 御子の御前に
 ぬかずきぬ かしこみて

 清し この夜 御子の笑みに
 恵みの御代の 朝の光
 輝けり ほがらかに



「君に特別頼みたいことがあってね」
「いややわぁ、はやてちゃん大人気で休む暇もあらへん。つか、今さっき辺境地域の調査任務から帰ってきたトコなんやけどー?」
「君にしか、頼めそうにないことなんだ」

 いつも生真面目なクロノだが、この時だけは僅かにも余裕を見せる事無く、切羽詰った様子で呟いていた。
 そこから感じ取った何かに、はやても気構えを一段階上げる。

「なんやまたキナ臭い事が起きたん?」
「……規模から言えば、先のJS事件と比べればどうというレベルじゃない。だけど、僕の個人的な意見を言わせて貰えば、これほど性質の悪い事件は無い」

 そう、前置きしながらクロノは語り始める。ひとつの管理世界で起きた忌々しい事件の概要を。

「第十七管理世界。現地惑星名称ニブルヘイム。君もよく知ってる場所だ」
「ああ、あの女王様の居るトコか……えらい懐かしいなぁ」
「あまり懐かしがってばかりじゃいられないぞ……そこで、現地の独立魔導部隊が何者かの襲撃を受けて一個中隊が壊滅したらしい」
「……よう、ここまで情報がきたなぁ。あそこは反管理局の風潮が強うなかったっけ? 普通ならそんな散々な結果ひた隠しにするもんやと思うけど」
「そうも言ってられないんだろうさ。幸いなことに死者はでなかったらしい」
「それで一個中隊が全滅って……どういうことや?」
「…………被害者は、皆一様にリンカーコアを抜き取られ、致死量ぎりぎりまで魔力を蒐集されたらしい」



 それが、後に『最後の闇の書事件』と呼ばれることになる事件の始まりだった。



「お嬢ちゃん? お名前はなんてーの?」
「……ナハト」
「ナハトちゃんかぁ……ええ名前やん」


「――そこで、シグナムがこう言うねん。『主はやて、私にも斬れぬ物はあります』ってなぁー! はっはっはー、どや、傑作やろ?」
「すみません。今どこで笑うべきだったんでしょう? 申し訳ありませんが一から説明していただけませんか?」
「うわぁーん!! ナハトがイジめるぅー!!」


「ほう、ほほう……これは、うむ……将来が楽しみやな!」
「……なぜ、そこまで執拗に胸部接触を望むんですか? そういう病気なのですか?」
「ふふーん、今はなんと言われようともへこたれへん! ナハトの乳は私のもんやっ!!」




 それは、八神はやてと一人の少女が過ごした、かけがえのない時間の物語。






 大好きな貴方に、胸いっぱいの祝福と――ほんの僅かな不幸を。




「私は幸せになっちゃダメなんだと思います。そういうことをしてきたんだと思います」




 聖夜に、たった一つの奇跡を起こしにまいりましょう。






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