魔法少女リリカルてぃあなX’s 第1話(下) 【それは不思議な出会いかな】



 逃走の判断がほんの僅かだけ早かったことがティアナの命を一度だけ救った。

 クレーターの底から這い上がる様に出た次の瞬間、宙に跳ねた黒毛の球体が先程までティアナがいた地点に落ちてきたのだ。
 ズン、と重い音が周囲に響き渡る。あの化け物がどれほどの重量をもっているかは解らないが、
 あの場に居たままだったら無事でなかったことだけは確かだろう。

 しかし、ティアナにはそんな幸運を喜ぶ暇も確認している暇もない。 
 地を伝う振動にフラつきながらも、彼女は必至に駆け始める。道なき道を、あてどなく。

『モクひょうガとウソウ、ツイせきしまス』

 背後から響く無機質な声に追い立てられるように、ティアナは走る。
 スカートから伸びた素足が足元に生える草薮に裂かれ、痛みを訴えるがそれを意識的に無視し、前へ前へ。
 体力にはそれなりに自信があった。何事も身体が資本という家訓に則り、学校から帰った後はいつもランニングを行っている。

 だが、今はあまりにも状況が違った。
 着ているものは運動に適していない学校の制服、足元は舗装されていない獣道、更に彼女は今――襲われている。

 なにか得体の知れない存在に、だ。

 結果的に彼女のフォームはばらばらで、数歩走る度にバランスを崩し転げそうになる。
 対し黒毛の球体はというと――こちらはデタラメだった。それは、迷うことなくティアナに向けて突進してきたのだ、それも直線的に。
 間にある草木どころか、そこそこの大きさを誇る大木すらまるで飲み込むようへし折りつつ、彼は己の身を引きずるように前進を行う。
 その様は道なき道すら走破する重戦車の行軍にそっくりだ。

 アレがなんなのか、何が目的なのかは解らない。ただ、触れただけでティアナの身が無事では済まないことは明白だ。
 横目でそんな冗談じみた光景を見て、ティアナは自分の身体に鞭打って更にスピードを上げる。

 ――なんなのよ、いったい!?

 心の中だけで愚痴を紡ぐ。本当ならば声高に叫びたいところだったが、ほんの僅かな酸素すら今は純金よりも貴重だった。

 だが、そんな彼女の必死の努力がついに実った。木々がその密集度を極端に下げたのだ。
 ここは深い森の奥ではない。それなりの広さを誇るとはいえあくまで街中にある公園なのだ。
 まっすぐ走ればいずれ公園の端へと躍り出る。ティアナの視線の先にあったのはそんな境界だった。

 咄嗟に逃げ出したために、進行方向にあるのは通常の出入り口ではなく柵に囲まれた外壁だったが、充分に乗り越えられる高さだ。
 公園から脱したところで、背後の化け物が諦めてくれるかどうかは微妙だったが、それでも道なき道を走るよりは格段に条件が違う。
 上体を前へと倒し、一気に公園からの脱出を計るティアナ。

 だが――

「冗談……でしょう?」

 思わず呟いていた。鉄柵を乗り越えるために、縁を掴もうと伸ばした掌が、その直前で静止したのだ。

 ティアナの意思が止めたわけではない。ただ単純にそれ以上進めないのだ――まるで、そこに見えない壁でもあるかのように。
 見えない壁に突いた手をティアナはそのまま横にスライドさせる。しかし掌に返ってくる感触は同じ。
 公園と外界とをまるで遮るかのようにそこには見えない壁が存在していた。

 透明なガラスやプラスチックというわけではなく、そこには確かになにも存在していないのに、壁がある。
 ファンタジーにも程があると、胸の奥にふつふつとよく解らない怒りが込み上げてくるが、
 それがなんの解決策にもならないことぐらいはティアナも理解していた。

『ティあぁな・ラんスタアぁ』

 響く声に、振り返る。黒毛の球体は迷うことなくこちらへと直進を続けている。
 その巨体がティアナの身に直撃するまでものの数秒と言ったところだろう。
 ティアナは足を引きずるように後退するが、その結果は背中に妙な壁の感触を覚えただけだ。
 隙間さえ存在しない壁は破壊することも、乗り越えることも出来そうにない。

 ティアナの頭はそれでも必死にこの場を脱する方法を思考するが、なにも思いつかない。
 そうこうしているうちに、彼女の視界は黒い化け物で満たされ、次の瞬間、衝撃が彼女を襲った。


 ――彼女は、横合いから誰かに突き飛ばされたのだ。


 え、と声なきまま唇が疑問の形を作る。やけにゆっくり感じる時間の流れの中で、ティアナは衝撃が来た方向に視線を走らせた。

 そこには、自らの身体ごとティアナを突き飛ばすように横から飛び込んできた白い少年の姿があった。
 少年。そうティアナを救いに現れたのはまだ年若い――いや、幼いと称しても問題ない年頃の少年だった。

 エリオやキャロよりなお頭一つ分小さいその身をひらひらと風に揺らめく白装束で覆う彼は、ティアナを救う為に死地へと飛び込んできた。

 そして、彼とティアナがもつれるように地面へと倒れる直前、黒毛の球体はまっすぐ直進し、見えない壁に激突した。
 音は無い。ただ圧縮された空気が押し出されるように強い風が一瞬周囲を通り抜ける。
 轟、と風巻く音だけがその衝撃の強さを静かに語っていた。

 ただ、結果的に見えぬ壁は崩れることなく――漆黒の化け物にもダメージは与えられなかったようだ。
 壁に激突した黒毛の球体は、その場でぐるりと回転するように己の身を回し、奥底で赤く発光する二つの光をティアナたちの方へと向けてくる。

 見た目からは解りにくいが回頭したのだろう。
 それを見て、再び息を呑むティアナ。だが、少年の反応は速かった。彼は素早く身を起こすとティアナの手を握り締め、叫ぶ。

「飛ぶぞ!」

 果たして、ティアナが聞いたとおりの事象が次の瞬間起こった。
 少年は、手を繋いだティアナの身体ごと空高く飛翔したのだ。周囲に聳える木々よりなお高く、あっという間に。
 だが唐突に視界が開けたティアナには何が起こったのか理解することが出来ない。

 いや、先程から連続して彼女を襲う不可解な事態に、脳が許容量を超えてしまっているのだ。
 パニックを起こさないだけ彼女はまだ理性的と言えるだろう。
 だが、その飛翔高度が最高点に達したとき、聞こえた言葉がティアナをほんの少しだけ現実に引き戻した。

「お……重い……」

 苦しげに呻く少年の声。それは救われたことも帳消しにし乙女の怒りに火をつけるには充分すぎる言葉だった。

「な、なによいきなり! これでも一応適正体重は――」

 維持している、と叫ぼうとしたところで、飛翔の動きはガクリと傾き、落下のそれに変わった。
 重力の楔がまるで慌てて追いついてきたかのように身体全体に纏わり尽いてきたのだ。

 結果的に、彼女達は飛翔するかのように大地へと向けて真っ逆さまに墜落していった。


 ●


「死ぬかと、思ったわ……」

 それも本日三回目ともなれば、それなりに耐性ができるのか、恨めしげに呟く余裕がティアナには出来ていた。
 彼女は今葉っぱまみれの格好で土の地面の横臥している。
 結局公園から抜け切れなかった彼女達は木々の枝を何本かへし折りながらこの場へと着地
 ――というには些か不恰好な態勢ではあるが、この場合目立った外傷も無く無事だったことを喜ぶべきだろう。

 それにしても、だ。

「ワケわかんないバケモノに、見えない壁、おまけに空飛ぶ少年って……これは夢の続きかなんかなの?」

 そう、問いかけるようにして視線を下へ向ける。そこには平然と立ち尽くしこちらを見下ろす少年の姿があった。
 ティアナから見れば、彼も黒い化け物と同じ“あちら側”の住人であることは確かだろう。だが、不思議と恐怖は感じない。
 命を救われたことや、見た目が無害そうな少年であることを差し引いたとしても、なぜかティアナは目の前にいる彼はワルモノではないと確信していた。

 だがイイモノでもない。強いて言うなら……嫌いになれないヤツである。

 そう感じる理由は解らない。あくまで本能のレベルでそう感じるというだけの話だ。

「黙れバカ娘。なぜこんなとこにいるんだ貴様は?」

 そんなティアナに向けて、明らかに見下すような視線を向けたまま、心の底からバカにしているかのように問いかける少年。
 ゲージが一本溜まった。怒りゲージである。

 ――いや、待て落ち着けティアナ・ランスター。相手は子供じゃあないか。それに一応命の恩人だ。ここで怒るのは流石に大人気ないだろう。

 自分自身にそう言い聞かせ、握り締めた拳から力を抜いていくティアナ。しかし額には青筋が浮いたままだった。
 そのまま彼女はぎこちない笑みを浮かべつつ、

「そ、そんなこと言われても私だって巻き込まれて迷惑してるのよ」
「巻き込まれた? ハッ! わざわざ自分から危険な場所に踏み込んできたの間違いだろう?」

 嘲笑とタイトルをつけたら参考として辞書にでも載せられそうな笑みを浮かべつつ、肩を竦める少年。
 その頬を思い切り抓りあげたくなってくる。

 ――いやいや、待て待て私。確かに嫌な予感は感じていた。その上でここに訪れたのは確かに私の判断だ。
 いくらなんでもこんなトンデモな事態に巻き込まれるとは誰だって予想できやしないだろうが、
 私が不注意だったと言えなくもない。反省しよう――うん、反省した!

「うん……そうね、うん。確かに私が悪かったわ。うん、ごめんなさい」

 なぜ自分が謝っているのかティアナ自身欠片も理解できなかったが、とりあえず謝罪することにする。
 そんなティアナに対し、少年はやれやれと額を抑えつつ首を横に振り、

「今更謝ったところで遅いわバカ娘」
「うがーっ!!」

 ティアナがキレた。

「アンタ、ちょっとアンタッ! アンタ何様よ! こっちだっていきなりワケわかんない状況に放り込まれて迷惑してんのよコラァッ!!」

 今までの鬱憤を晴らすかのように、少年を指差しながら乙女にあるまじき気炎を吐くティアナ。
 好意的な見方をするならばよく今までもったと言ったところだろう。

 けれど、そんなティアナの怒りの爆発に対して、少年は微笑んだ。
 先程のような嘲笑ではなく、どこか昔を懐かしんでいるかのような優しげな笑みだ。

「調子が出てきたじゃないか、そうだ、落ち込んでいる暇も反省している暇も無いぞ。まだ戦闘は続いている」

 そう言って、ティアナから視線を逸らす少年。その逸らした先の向こう側から低い咆哮が轟いた。

 お、から始まる重低音が木霊し、森の木々を揺らす。
 そこでティアナもようやく冷静さを取り戻し、音の響いてくる方向へと視線を向ける。

 考えるまでも無く、この雄叫びはあの黒い化け物のものだろう。いまだにティアナは窮地を脱したわけではなく、敵も追跡を続けている。
 確かに反省も後悔も、命あっての物種だ。今はアレをどうにかしなくてはならない。
 ティアナにとって今考えるべき事は、あの化け物をどうにかする方法だ。

 まず、第一に考えるのは逃走と言う選択肢だ。逃げるという言葉はティアナの趣味ではないが、この場合間違ってはない。
 むしろ敵の正体が不明な上にこちらに戦う手段がない以上最良の選択と言っても過言ではないだろう。

 しかし、問題は――

「あの見えない壁……あなたなら突破できる?」
「無理だな。この公園を覆う結界はあの黒いのが仕掛けた罠だ。引っ掛かった獲物を逃がさぬためのな」

 公園を覆う透明の壁。あれをどうにかしない限り逃げ切る事はできない。
 結界という言葉は耳慣れなかったが、少年の言葉から抜け穴や突破口があるようなものでないことも理解できる。
 でなければ罠として機能しないからだ。

 ――だとすれば。

 残る選択肢はあの化け物を打倒することだ。
 だがしかし、あの不条理の塊のような代物を相手にどうやって?

 そんな堂々巡りにも似た考えに頭を悩ませるティアナ。そんな彼女を少年は「ほぅ」と珍しそうに見ていた。
 それに気づいたティアナが表情を曇らせる。

「…………なによ?」

「いや、思いのほか冷静だなと思ってな」

 こちらをバカにしているわけではなく。少年は本当に感心している様子だ。

「普通の人間ならば、こんなありえない事態に巻き込まれれば冷静さを失い、酷ければパニックを起こす。
 なぜなら人間とは自分が目にしたものを信じるのではなく、頭の中にある常識を信仰する生き物だからだ」

 その言葉に、なるほどとティアナは妙に納得していた。

 確かに、自分は今の事態をすんなりと受け入れすぎている気がする。
 化け物に見えない壁、そして目の前に確かに存在する空飛ぶ少年。受け入れるには少々度し難い代物ばかりだ。

 自分の目で見たものを、そう簡単に信じることができる人は実のところそういない。
 どれほど不思議なモノを見せ付けられたところで植えつけられた常識が、自分が目にしたものを信じないのだ。

 なにか仕掛けがあるんだろう、そう見えるだけだろう、と。

 そして、その許容を超えた時――人は否定する。
 現実を、真実を。

 だが、それがいけないわけではない。それがまっとうな人間としての正しい在り方なのだ。
 ティアナもどちらかと言うと、そちら側に属していたはずだ。

 だが、気づけば直面した異常事態を自分は何の抵抗もなく受け止めた上で、これからどうすべきかに頭を悩ませている。
 よくよく考えてみれば笑ってしまうほどのおかしな話だが。

「夢を、見たのよね」
「夢?」
「ええ、どうしようもなく荒唐無稽でフザけた夢。だから、馴れたのよ。たぶん」

 とりあえず、そういうことにしておく。
 いまは難しく考えるより、現状を受け止めどうにかしなくてはならない時間だ。
 そんなティアナの答えを聞いて、少年は楽しそうに微笑んでいた。

「そうか、やはり強いな」
「変なトコで感心してないで、アンタもなんか考えてよ。専門家じゃないの?」

 少なくとも、この少年は自分の知らない多くの事を知っている筈だ。

「ん? ああ、手伝ってやりたいのは山々なんだがな、こちらも実のところかなり絶体絶命でな」

 どこが? と尋ねたくなりそうなぐらい平然とした顔つきで言われ。怒りよりもまず呆れの感情が沸いてくる。
 そもそも、この少年は一体なんなのだろうか?
 自分よりも遥かに幼い見た目でありながら傲岸不遜を絵に描いたような憎たらしい言動を繰り、さらには空も飛ぶ。
 命を救ってもらっておきながらなんだが、怪しいことこの上ない。

 そこでふと思い出す。自分は目の前の少年の名前すらまだ知らないのだと。

「ねぇ、アンタの名前――」

 なんて言うの? と紡ごうとしたところで、少年が身を低くしたままティアナに向けてタックルするような形で飛び込んできた。
 うえ? と思わず身体を仰け反らせるティアナだが、少年は気にすることなくその小さな身体のどこにそんな力を持っているのか、一気に彼女を突き飛ばす。

 まるで、先程の場面の焼き直しだ。それは、つまり――

 空から、黒い塊が堕ちてきた。
 天頂方向から一直線に降ってきた漆黒の塊はティアナの目の前で大地に深い傷を刻み込み、それに合わせるように大地が震える。
 衝撃は大地を揺らし、風を生む。

「てぃぃぃぃぃぃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁなぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」

 腹の底に響く低音。爛々と輝く二つの赤い光。今更それらを確認するまでもない。再びヤツがやってきたのだ。

「ホントにもう、しつこい!」

 その姿に、ティアナは愚痴をこぼす。最初に邂逅したときは恐怖しか感じなかったが、随分と耐性が出来てきたようである。
 とはいえ、なにか特別な打開策が見つかったわけではない。結局、出来ることと言えば無駄と知りつつも、

「ほら、逃げるわよ!!」

 それぐらいだ。

 自分を庇うように引き倒した少年を起こそうとティアナは手を差し伸べる。
 憎たらしくはあるが、さすがに二度も命を助けられておいて見捨てるわけには行かないし、そのつもりも毛頭ない。
 だが、ティアナが差し出した手を少年は受け取らない。いや、それどころか返事すら返ってこなくて――

「もう、なにやってんのよ! 急いで!」

 無理矢理引き立たせる為に、ティアナの指先が少年の脇下に差し込まれた。
 瞬間――ぐちゅり、という音を響かせる手応えがティアナの指先に返ってくる。

 まるで崩れたゼリーに指先を突き入れたかのような感触。明らかに人肌ではないその手触りにティアナは思わず手を引いた。
 その指先が赤に染まっていた。見れば少年の纏う衣装も内側から滲み出る赤の色によってゆっくりと浸食されるかのように染め上げられていた。

 ティアナの表情から血の気がさっと引いた。

「アンタ……この怪我……私を庇ったときに?」
「勘違いするな、これは昨夜付けられた損傷だ」

 震える声で言葉を紡ぐティアナ。だが、それに対し思いのほかしっかりとした少年の声が返ってきた。
 首を巡らせ、少年がこちらを振り向く、その表情は酷く冷静で痛みに耐えてるようにはとても見えない。
 だが、彼は自分で言ったのだ。絶体絶命だと。

「だ、大丈夫なの……?」
「この程度で壊れるようには出来ていない――と言いたい所だが、さすがに自律行動は無理のようだ。少しばかり無茶をしすぎたか」

 迂遠な物言いではあるが、それは訳すと動くことが出来ないと言うことだろう。
 不自然に震える己の右腕を見て、少年は疲れたように呟く。

 なんでそんな身体で無茶を、とは言えなかった。
 ティアナが知る上で少年が積極的に動いたのは僅かに二度だけ、そのどちらも自分を庇う為の動きだ。
 だから、ティアナは喉から出かけていた言葉を飲み込み、肩を貸すような形で彼の身を抱えあげる。

 重い。

 見た目はティアナよりとても幼い少年だというのに、その重さが。ひとつの命の重さがティアナの肩に圧し掛かる。
 その状態では走ることなど――あの化け物から逃げることなど到底不可能でしかない。
 それでもティアナは口を閉じたまま、少年を引っ張りあげるように抱えあげる。そんな彼女の姿を見つめながら、少年はひとつ重い溜息をついた。

「ふむ……実は私には死ぬまでに一度言ってみたいセリフがあってな」
「なによ、言ってみなさいよ」
「ここは私に任せて、おまえは先に行け――どうだ? 好感度が三段階ぐらい跳ね上がっただろう?」

 冗談めかしていう少年。そんな彼の言葉にティアナの反応はと言うと、馬鹿にしたような笑みひとつだった。

「だっさ……」
「ふむ、そうか……いまの流行りではなかったか」

 どことなく寂しそうに呟く少年。それにしても笑えない。まったく笑えない冗談だ。

 少年の肩に回した手を消して放すことなく、ティアナは笑う。
 そんな彼女の目の前には漆黒のバケモノ。肩には捨てるに捨てれないお荷物。

 ああ、まったく。これは絶体絶命と言う奴ではないか――と、ティアナは笑う。
 どうしようもない危機だと言うのに、楽しそうに、可笑しそうに。

『あああああああああああああぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!』

 獣の嘶きが響き、それを契機としてその巨体がまっすぐこちらに駆けてくる。
 木々をへし折りながら向かってくるその暴虐の嵐を防ぐ術も、避ける術もありはしない。

 だから、ティアナはまっすぐ迫り来る死の危険を見据えた。
 けして目を逸らすことなく。それが自らの矜持であると示すかのように。

「ああー、兄さん。ごめん」

 思わず出てきた呟きは、兄に対する謝罪の言葉だった。
 それはティアナ・ランスターが確かに死を受け入れ、覚悟した証。
 だが、その言葉に異を唱える存在がここにいた。

「勝手に諦めるな阿呆が」

 呆れた声。視線をそちらに向ければ未だ名も知らぬ少年がこちらに手を伸ばしていた。
 その手を、握れと言うかのように。

「――使え」

 少年は言う。何かを“使え”と。

 だが、この場には身を守る盾も、敵を倒す剣も存在しない。
 だというのに、何を使えと彼は言うのか。

「私を使え! ティアナ・ランスター!」

 それが契約の証だった。

 ティアナが伸ばされた少年の手を握る。
 瞬間、世界が光で満たされた。


 ●


 光が乱舞する。

 繋いだ手の先で、少年が光に包まれていた。そして彼の身はゆっくりと光そのものへと化していく。
 目に見えぬほどの、橙色に輝く粒子へと分解されていく少年。

 少年の、皮肉に満ちた微笑みだけが最後に残され、彼のみはすべて粒子の光と化す。
 その輝きにティアナの身体が包まれる。

 感じるのは安堵。親しい者に優しく抱き止められているかのような安心感をティアナは感じる。

 ――ああ、知っている。私はこの輝きを知っている。

 輝く光の名は魔力。
 世界を包み、ありとあらゆる奇跡を起こす魔法の源。

 そして、この身を包むのはバリアジャケット。
 魔導師が纏う、堅牢な魔法の鎧。

 思考せよ――強いモノのイメージを。
 思考せよ――この身を、この心を守る鎧のカタチを。
 思考せよ――魔法とは、どうしようもなく理不尽でデタラメな存在であるということを。

 そしてティアナの身が光り輝く。

 周囲を漂う橙色の粒子が、その四肢を優しく包み、確固たる形を得る。
 彼女の身を守る強い心象。

 その心を守るのは、汚れなき純白の衣装。
 その身を守るのは、四肢にあてがわれた重厚な金属パーツ。

 反発するはずの二つのイメージは、しかし見事な調和をなしてティアナの身を包む。

 さぁ、これで身を守るべき盾は手に入れた。

 ならば、必要なものは後一つ。

 私はその存在を知っている。
 私はその意味を知っている。
 私はその名前を知っている。

 だから、呼ぼう。
 大切な、大切なその名を――

「クロスッミラージュッ!」

 誰に教えられることもなく、ティアナは何かを掴むように手を伸ばす。
 その指先に、暖かな感触。
 こちらの手を、しかと握り返してくる光の粒子。

《ああ、またその名前で呼んでくれるんだな》

 少年の優しげな――思わず泣いてしまいそうな――そんな呟きが聞こえたような気がした。
 そして、橙色の輝きはティアナの掲げた掌へと一気に集束した。


 ●


 ティアナの視界を橙色の輝きが埋め尽くした。

 過ぎ去った時間はわずかに一瞬だけ。
 その一瞬の間に、ティアナの頭の中に膨大な量の情報が走り抜けたかのような感覚が残る。

 だが、それは夢の中の出来事と同じ。

 意識が覚醒すると同時に、輝きの中で起きた出来事は急速に霧散していく。
 そして、瞼をゆっくりと開いた彼女は己の身を包む衣服を目にし、愕然と呟いた。

「な、なにこれ……?」

 それは、彼女もよく知っている服だ。今でもタンスの奥深くに大事に保管されている筈の制服。
 ただし、それをティアナが着ていたのは四年も前の出来事だ。
 今朝も見たばかりの服。そう、今朝キャロが着ていたものとまったく同じデザインのその服は――聖祥大付属小学校の制服だった。

「な……な……な……」

 正確に言えば、その衣装は正規の聖祥大付属小学校の制服とは若干違う。
 色合いも白一色のではなく青いラインが入っているし、そもそも服の末端に金属でできたパーツや宝石がはめ込まれている。

 それでもベースはやはり小学生用の制服であり、サイズは一応自分にぴったりになってはいるものの
 とっくの昔に卒業したはずの制服に袖を通しているという事実に、ティアナの頬が羞恥に赤く染まる。

「な、なんなのよこれぇっ!?」


 深い森の中で、彼女の悲鳴が木霊した。


 ●


 魔法少女リリカルてぃあなX’s 第一話 それは不思議なであいかな 了

 第二話へ続く



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