魔法少女リリカルはやて テスタメント 1-2





第一章 君に胸いっぱいの祝福と、ほんの僅かな災いを




 麗らかな午後の日差しが差し込む一室。
 けして絢爛豪華というわけでは無いが、落ち着いた趣のあるアンティークに囲まれた、どこか気品の漂うその部屋に、今二つの影が向かい合うような形で座していた。

 樫の木で出来た丸テーブルに載っているのは綺麗な琥珀色をした紅茶が注がれたティーカップ。
 女性の黄金色に輝く長い髪をさらりとかき上げつつ、カップを受け皿ごと手にとり、静かに口につけた。

「それではやて。最近お仕事の方はどうなの?」

 カリム・グラシア。
 聖王教会直轄の騎士にして、時空管理局内においても重要な役職に就く才女であり、機動六課の運用において多大な支援を行い、八神はやての直属の上司でもあった人物だ。

 だが、それ以前にはやてにとってカリム・グラシアはかけがえのない友人の一人でもあり、姉のような存在だった。
 今日はそんな彼女の誘いによって、はやてはここ、聖王教会の一室で行われるお茶会に招かれていた。

「ん? そやね……まぁぼちぼち、かな。捜査官として色んな現場を飛び回って勉強させてもらっとるよ」

 今のはやては一時的に指揮官職から退き、元の鞘――特別捜査官としての活動している。
 事件捜査において一時的に指揮官として辣腕を奮いはするが、自らの部隊を持つまでには至ってない。
 だが、頬を掻きつつ、照れくさそうに呟くはやての表情は、日々が充実している事を示しているかのように、どこか生き生きとしている。

「機動六課で一年間、部隊指揮をやって色んなものが見えてきた。やから今の所、あの一年は私のなかで無駄にならずにすんどるよ」

 機動六課が解散して既にそれなりの年月が経過している。その間にもはやては幾つもの事件を担当し、それらを解決してきた。
 しかし、それらがすべて上手くいっているわけではない。

 悲しむべき事件が起る度に、自分の力の無さを嘆いた事も一度や二度ではないだろう。
 多くの事を知れば知るほど、良い事も悪い事もたくさん直視することになる。

 だが、それでもはやては自分の信じる道を進む事に、躊躇いはなかった。

「そう。なら良かった。私も力を貸した甲斐があったわ」

 そんなはやての導き出した一つの答えに、我が事のように嬉しそうに微笑むカリム。
 それは正に妹の活躍を心より喜ぶ姉の表情に違いなかった。

 だが、そんなカリムの表情が僅かに曇る。
 はやてから視線を落とし、ティーカップの中身を無言のままに覗き見るカリム。
 まるで、そこに何かしらの答えが浮かび上がらないかとでも言うかのように。
 そんな彼女を他所に、はやては自分の分の紅茶に静かに口をつけ、

「ええよ」

 カリムの方を見ないまま、呟くはやて。

「……え?」

 驚いたような表情で顔を上げるカリム。
 はやては始めから気づいていた。今日この場に呼ばれたのはカリムが自分に何かを伝える為なのだと。

 だが、それははやてにとって吉報ではないのだろう。
 だからこそカリムは、それをはやてに伝えるべきか思い悩んでいるのだ。

 カリムが何を伝えようとしているのかは解らない。けれどそれはきっとはやてを苦難の道に導く可能性のある何かなのだろう。

 そして、同時にそれははやてが知らなければならない何かなのだ。
 でなければ、カリムがここまで悩む必要などない。

「なんか私に言わなアカン事が……ううん、ちゃうな。私が聞かなアカン事があるんやろ?」
「はやて、あなた……ええ、そうね。貴方に伝えなくてはならない事があるの。聞いてもらえるかしら」

 はやての言葉を受け、居住まいを正したカリムは真っ直ぐはやての瞳を見返した。

「うん。私は大丈夫やから。ええよ」

 まるで気負った様子も無く、静かに頷くはやて。カリムの口からどんな言葉が紡がれようとも、それを受け取る覚悟は既に整っている。
 だが、カリムは僅かに迷いの表情を見せる。
 それは伝える事を迷っているのではなく、何から伝えるべきかを迷うような仕草で――やがてカリムは意を決したように、言葉を紡ぎ始めた。

「ねぇ、はやて……ヘルの事を覚えているかしら?」
「ヘ、ヘル……ってあの、ニブルヘイムのお姫様の?」

 どこか遠慮がちに呟かれたその名前を聞いた途端、はやての表情が引き攣った。
 先程までは何かを決心したように表情を引き締めていたのだが、今は明らかに眉根を寄せ、表情が曇りきっている。
 言葉にするならば「やっぱ聞きたくないなぁ」と心底嫌がっている様子だ。

 そんなはやての反応をある程度予測していたのか、カリムも同調するように頷きながら、諦めたように言葉を続ける。

「そう。“その”ヘルよ。貴方が逢ったのは十年ぐらい前の事だったかしら。よく覚えて……あ、いや、忘れられるわけないわよね」
「うん。そやね……あれは、忘れたくても忘れられへん人やから……」

 ヘル・D・ニブルヘイム。
 それは第十七管理世界――現地惑星名称ニブルヘイムを治めていた“元”王族の名だ。

 ニブルヘイムは聖王教会とはある種の因縁とでも言うべき縁のある世界であり、その為か聖王教会の重鎮であるカリムにとっても幼い頃からの知り合いだ。
 そして、はやてもまた十年前にニブルヘイムで起きた事件を期に知己の間からとなった人物だ。
 言うなれば共通の知り合いというわけだが、その名を聞いた途端お互い疲れたように肩を落とすはやてとカリム。

「それで、あのお姫様がどないしたん? 私のところにも遊びに来ないかって時候の挨拶はよう送って来とるけど……」

 どっと疲れが吹き出たかのように、脱力した様子で呟くはやて。
 ちなみに十年前に別れて以来、はやてがヘルの元に遊びに行った事は一度たりともない。
 できるならば、彼女とは二度と再会したくない、というのがはやての偽りなき本音だからだ。

「……それが今、第十七管理世界で起きている、ある事件の情報を個人的に提供してきたの……」
「ある、事件の情報? 管理局やのうてカリム個人に?」

 再度表情を引き締め重々しく告げるカリム。だが、その言葉にはやては不思議そうに首を傾げる。

 ニブルヘイムは第十七管理世界の名の通り、管理局が統治管理する管理世界の内の一つだ。
 だがその成り立ちは非常に複雑で、ニブルヘイム内で管理局に反感を抱くものは少なくない。
 なかでもフェンリル騎士団と呼ばれるニブルヘイム独自の治安組織はその態度が非常に顕著だ。

 建前上、彼等が表立って管理局に反抗する事はないが、ニブルヘイム内で起きた次元犯罪の情報を開示しない事もザラにある。
 ヘル自身は反管理局思想など持ち合わせていない――というか、まったく興味がないようだが――それでもあの女が何の理由も無く自国で起きた事件の情報をリークするとは思えない。

 だから、それをカリムに――そしてはやてに伝える――理由がある筈なのだ。

「ええ……貴女に伝えて欲しいって伝言付きでね。まったく、あの人は本当に変わらないわね。“どうすれば人を苦しめられるか”よく解っているわ」
「予想はしとったけど、あんまり愉快な内容や無いみたいやね……」
「そうね。はやてに伝えるべきか、最後まで迷ったけれど、確かにこれはあなたが知っておかなきゃならない事ですものね」

 深い溜息を一つ。カリムが視線を上げるとその動きに同調するように丸テーブルの上に幾つものウインドウが展開表示される。
 ヘルから提供されたという膨大な量の捜査資料が、幾つも重なってスクロールする。

「“魔導師連続襲撃事件”……ニブルヘイムではそう呼ばれているらしいわ」

 それは、ともすればありふれた名前の事件。

「ニブルヘイムの王立騎士団に所属する高い魔力適正を持つ騎士が、ここ数ヶ月のうちに何人も襲われているそうよ。襲われた人達は命に別状は無いみたいだけど、事件の被害者は例外なく――リンカーコアから魔力を奪われている」
「…………え?」
「更に近隣の魔力資質を持つ大型生物等も同様に魔力を何物かによって蒐集されているそうよ。被害者からの情報によると犯人は古代ベルカの使い手で少人数のグループ、らしいとの事――」

 カリムは既にこの情報を知り尽くしているのだろう。展開する多大な情報の概要を彼女はただ淡々と読み上げる。

「ちょ、ちょっとタンマ! な、なんなんそれ……それは……それじゃあまるで――」

 そんなカリムの言葉を、はやては慌てた様子で堰き止める。
 だが、その声は明らかに震えを帯びていて、

「そう……“まるで闇の書事件みたい”よね」

 カリムの一言が、とどめを刺すかのように明確な答えを示していた。

 魔導師連続襲撃事件――後に闇の書事件と呼ばれたその事件は、闇の書と言う古代遺物の存在が発覚するまで、そう呼ばれていた。
 ゴクリと唾を飲み込む音が室内に響く、

「でも……そんなことあるわけが」
「そう。あるわけがない、闇の書事件は解決したわ。だから、この事件はあくまで偶然かもしれない。それか、過去の事件を真似た模倣犯の仕業、という可能性もある」

 けれど、それでも

「もし万が一、これがあの事件の続きなら」

 知らなくてはいけない。何が起きているのかを。
 それが八神はやての、最後の夜天の書の主たる彼女の役割だから。



 三日後、彼女は守護騎士達を連れ雪と氷に覆われた極寒の地、ニブルヘイムへと入国した。


 ●


 ゴトゴト、と断続的に響く振動が馬車全体を揺らしていた。
 座席を含め、全体の設えがしっかりしている為か、座っていて身体が痛くなるような事は無い。
 ただ、やはり馬車の中は狭く、向かい合わせの席に四人と一匹が乗り込めば流石にぎゅうぎゅう詰めと言った雰囲気は否めなかった。

 そんな馬車という前時代的な手段によって八神家一同は目的地に向けて、移動を続けていた。
 カリムとの会合から三日。
 あの後、すぐに諸々の手続きや根回しに奔走したはやては、信頼できる仲間――つまりは八神家一同を従え、事件の中心地となっているここ第十七管理世界――ニブルヘイムへと訪れていた。

「――と、言うわけで今のところニブルヘイム側ではそんな事件は起きてへんって事になってると。やから管理局としては今回の事件に表立って介入するわけにはいかんわけやな」

 今はその道中。協力者となるある人物の居る場所へと移動する馬車の中で、はやては今回の事件の概要、そして自分たちの置かれた状況を他のメンバーに語っていた。

「ああ、なるほど。だから今回は表向きは家族旅行、なんですね」

 ぽん、と手を叩き、得心したといった表情を浮かべたのははやての隣に座るシャマルだ。
 彼女を含め、今この場にいるメンバーは誰一人として管理局及びそれに類する身分を証明する服装――つまりは陸士隊の制服などは身に着けていない。皆、防寒着を兼ねた旅装――私服姿だ。

「そー言うこと。ならべくなら今回の事件は隠密に解決したいところやけど……どうなるやろなー」
「でもさーはやて。なんでそんな七面倒くせえことしなきゃならないんだよ。その情報源が確かなら事件が起きてるのはもう確定事項なんだろ? だったらこんなコソコソしなくても正式に調査すればいいんじゃねーのか?」

 そう、納得いかなさそうに呟いたのは、はやてのちょうど対面で退屈そうに身体を揺らすヴィータだ。

 もちろん、彼女の言い分は最もだ。今のはやて達の身分はあくまでただの旅行者でしかない。
 捜査に関する権限など無いに等しい状況なうえ、管理局のバックアップもまったく期待できない現状だ。
 カリムや協力者の助けがあっても捜査を行えるような状態ではない。
 はやてを守護する事をなによりも最優先とする騎士の一人として、今の状況に不平の一つも零したくなるのがヴィータの偽らざる気持ちだった。

「あー……まぁ確かに無理を通せばそのやり方でもなんとかなるとは思うんやけど……」
「何か、問題が?」

 はやてからちょうど対角線上に当たる席で先程から腕を組み、思索を続けていたシグナムが尋ねる。
 彼女としてもはやての提案に不満など抱くわけも無いが、現状があまり良くない状態であるのはヴィータと同意見なのだろう。

「まぁ、まずは単純に縄張り意識の問題やね。特にこの世界独自の軍……フェンリル騎士団の一部には未だに反管理局感情が強い人も居てな。協力を拒まれるだけならまだしも、最悪捜査を妨害される可能性もある」
「……まぁ管理局内部でもそういうイザコザはあるけどよ。捜査妨害って……そこまですんのか、ここの連中は?」

 呆れたように呟くヴィータ。管理局内部でも陸と海の確執は度々現場の人間である彼女達に降りかかるが、管理世界に登録されている以上、この国には捜査協力の義務が発生している筈だ。
 それを無視して捜査妨害となってくるともはや管理局に対する明らかな敵視を抱いているといっても過言ではない。
 もちろん、管理局としても非協力的なニブルヘイムに対して何度となく抗議や改善要求を送ってはいるが、それが現場レベルで徹底される様子はまるで無い。

「まぁ、成り立ちからして結構複雑なんよ。この国は。民間の人は結構ええ人なんやけどな」

 疲れたように肩を落とし、呟くはやて。
 そんな彼女のどこか慣れ親しんだものを語るような様子に、何かを思い出したかのような表情を浮かべる。

「ああ、そう言えばはやてちゃんは一度この世界に来た事があるんですよね……ええと、あれは何時ごろだったかしら……?」
「十年ほど前だな。確か主はやてが捜査官として本格的に従事し始めてすぐの頃だった筈だ」

 思案するシャマルの代わりに四人がけの馬車の中央、狼形態のままのザフィーラが蹲ったまま淡々と呟いた。

「そやね。まだ右も左もよう解ってなかった頃の事や。やからこの世界の事はそれなりに知ってるし、ヘル――今回の件の協力者ともそこで知りあったんよ」
「ヘル女王……いえ、元女王でしたか。主はやての知己だとは伺っておりましたが……いったいどのような方なのですか」

 十年前、とある古代遺物の調査の為にこの国に訪れたのははやて一人だった。
 その為、今回の事件の情報提供者であり、自ら協力を買って出たヘルなる人物について守護騎士達は殆ど知らない。
 解っているのは、それこそはやての知り合いである、という事ぐらいだが、当のはやて本人が彼女の事を滅多に語らないのだ。

 だが、それを聞こうと尋ねた瞬間、はやての表情が明らかな渋面に変わる。

「いや……うん……まぁ、なんというか……ちょっと言葉にしにくいって言うか……」

 明らかに言い辛そうに眉間に皺を寄せるはやて。そんな主の姿に守護騎士一同は皆揃って首を傾げる。
 普段社交的で、人付き合いを得意とする――そうでなければ指揮官や管理責任者など務まらない――はやてが人物評に関してこれほど言いよどむのも随分と珍しい。
 一体、このヘルなる人物とはいったいどんな人間なのか――シグナム達はそれをこれから嫌という程理解する事になる。

 馬車を引く馬の嘶きが響き、振動が収まったのはちょうど次の瞬間。
 今まで御車台に座ったまま一言も喋らず馬を繰っていた隻腕の少年が静かに扉を開け告げる。

「お屋敷に到着いたしました。ヘル様がお待ちですのでこちらの方へどうぞ」





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