魔法少女リリカルはやて テスタメント 1-3


「はははははっ! 久方ぶりだなぁ八神はやて。随分と久しぶりじゃないか」

 両開きの重厚な扉ははやて達が近づくと同時に、まるで旅人を飲み込む怪物の顎のようにあっさりと開いた。
 同時に、呵々と酷く澄んだ少女の笑い声が彼女達の耳朶を打つ。

 視線を巡らせれば、そこは豪奢なホールだった。
 足元は毛足の長い絨毯に隙間なく覆われ、壁には額縁だけを見ても流麗な細工を施された油絵が景観を損なわない程度に飾られている。
 それはまるで御伽噺に出てくるような西洋の洋館そのものが彼女達の目の前に現れたかのような光景だ。
 吹き抜けとなっているホールの正面には赤絨毯の敷かれた大階段が設えられており、その最奥、巨大な人物画の前に彼女はいた。

 それは美しい少女だった。
 それ自体が輝いているかのような金糸の髪に、透き通るように美しい宝石のような碧眼。
 新雪を思わせるような白い肌と対を為すかのような黒一色のドレス――まるでそれはよくできた人形のように美しすぎる少女だった。

 ただ、その表情だけがまるで新しい玩具を与えられた無邪気な子供のような満面の笑みに彩られていた。
 彼女はゆっくりと大階段を降りながら、眼下のはやてに向けて本当に嬉しそうに言葉を紡ぐ。

「ああ、逢いたかったよ、八神はやて。私は貴様に凄く、凄く逢いたかった」

 どう見積もっても十代前半にしか見えない少女は、まるで“十年来の”友人に再会したかのように感極まった様子で告げる。
 だが、そんな少女の登場に、誰よりも驚き、目を白黒させていたのは他ならぬはやて自身だった。
 そんな彼女の様子に、シグナムが案じるように声を掛ける。

「この方は……主はやてのお知り合いですか?」
「え? あ、えっと、たぶん……」

 はやてはまだ信じられないといった様子のまま、こちらに歩み寄ってくる少女を守護騎士達に向けて紹介しようと手を挙げ、

「ええと、この方が――」
「八神はやての恋人だ」

 その言葉を継ぐように、少女が胸を張って誇らしげに告げた。

「こ、恋人っっ!!??」

 守護騎士達の驚きの声がホール内に響き、少女に向けられていた視線が一斉にはやてへと注がれる。
 当のはやてはその言葉に慌てて首を横に振り、

「ちゃ、ちゃうで!? そんなんやないで!?」
「む? なんだ、違ったのか? ふむ…………では仕方ないな。少し不服だが愛人という事で我慢しよう」

 はやての言葉に、少し残念そうに表情を曇らせたものの、すぐに名案を思いついたと言った様子で告げる少女。

「あ、愛人っっ!!??」

 守護騎士達の視線が、再度はやてへと向けられた。

「せやから、ちゃうって言ってるやろ! ていうか、なんで見た目も中身の十年前からちっとも変わってへんねん。ヘル!?」

 狼狽したまま怒ったように少女をビシリと指差すはやて。
 その先で、ヘルと呼ばれた少女は口元に歪な笑みを浮かべたまま、くつくつと楽しげに微笑んでいた。
 鈴を鳴らすようなその声はどこまでも無邪気な微笑みだ。

「寂しい事を言ってくれるな、八神はやて。十年前のあの日、あんなにも熱く激しい夜を共に過ごしたというのに……」
「うーがー!? そういう誤解を招くような言い方やめぇ!」

 ヘルの言葉に、顔を真っ赤にして叫ぶはやて。そんな彼女を守護騎士達は驚きの表情で見詰めていた。
 守護騎士達や幼い頃から友人の前では歳相応の表情を見せる事も珍しくないが、だが、彼女達にとってもこんな風に感情を露にする彼女を見ることが珍しかったからだ。
 そんな風に守護騎士達が軽い驚きを胸中に見詰める中、ヘルははやての反応に満足したのか「ふふん」と楽しげに鼻を鳴らし、

「まぁいいだろう。久しぶりの再会だ、その辺りはまた追々事実確認をしていこうではないか……」
「事実もクソも……」

 明らかに不満げな表情を隠そうともせず、まだまだ言い足りないといった様子のはやて。
 だが、ヘルはそんな彼女をスルーして周囲へと視線を巡らす。

 そこにははやての背後に控える守護騎士達の姿があり、ヘルはそんな彼女等をためつすがめつといった様子で観察するように見詰めている。
 まるで物珍しい骨董品でも見るかのように、だ。

 特に話しかけてくるでもなく「ふぅーん」「へぇー」と偶に何か感心した様子で呟くヘル。
 そんな彼女に対し、守護騎士達は聞こえないようにと思念通話で言葉を交わす。

『なるほど……これがヘル王女か。確かに主はやてが評するのに躊躇いを覚えるのも理解できる人物だな』
『てーか、完全に変人だよなぁ。コイツ』
『コラ、ヴィータちゃん。そういう言い方したらダメでしょ。まぁ確かに変わってるけど……はやてちゃんのお友達みたいだし、そんなに悪い人じゃないんじゃない』

 ヘルという人物に対して遠慮なく語る守護騎士達。
 もちろん、それはヘル自身には聞こえていないだろうが、彼女は暫らく守護騎士達を眺めた後、彼女は飽きたと言わんばかりの表情を浮かべると、そのままはやてへと視線を戻し、

「ふぅーん……ふむふむ、そうか。こやつ等が貴様の“家族”とやらか。八神はやて」
「…………ああ、せや。この子達が、私の大切な家族やよ」

 何故だろう。

 普段なら家族を紹介する時、はやてはまるで一番の宝物を自慢するかのように、満面の笑みを浮かべる。
 それは守護騎士達にとって何よりも喜ばしい事であり、どんな武勲よりも誇るべき事だ。

 だからこそ、今この瞬間あまりにも辛そうな表情を浮かべているはやてに守護騎士達は強烈な違和感を感じたのだ。
 まるでそう、大切な宝物を奪われる事を忌避する子供のように。
 そして、それはあまりにも正しすぎる答えだった。

「ははははっ! おいおい八神はやて。貴様はやはり面白いなぁ。こんな玩具を侍らせておきながら家族だってぇ? ハハッ、頭悪いんじゃないかぁ?」

 場の空気が、その一言で一変した。
 どこまでも純粋に、どこまでも無邪気に、ただただ可笑しくて仕方ないと嗤うヘル。

 そんな彼女から放たれた言葉を守護騎士達の誰もが一瞬理解することができなかった。
 だが、次の瞬間にはその意味するところを悟り、殺気にも似た怒気が広大なホール全域に一瞬で充満する。 

「――なっ! テメェ! 今なんつったァッ!?」

 怒りも露にヴィータが一歩を踏み出し、ヘルに掴み掛かろうとする。
 自分たちが玩具だと軽んじられるのはまだいい。
 だが、はやてを愚弄するようなヘルの発言はヴィータの、そして守護騎士達にとってけして許せぬ言葉だった。

 しかし、寸での所で機先を制するようにヴィータとヘルの間にはやてが立ち塞がり、その動きを妨害する。
 そのまま彼女は予め、何が起きるのかを予測していたかのように叫ぶ。

「ヴィータ! みんなもっ! …………ええから。ここはええから」
「なっ!? はやて……?」

 何故止めるのか、と無言のままに問いかけるヴィータ。
 しかしはやては静かに首を横に振り、ヴィータ達を必死で諌めるだけだ。
 そこへ、笑い声が静かに響く。

「おいおい、はやて。八神はやて。そう怒るなよ。なぁに、安心しろ。私は貴様の大事な玩具を奪ったりはしないさ。だってそんなの、つまらないもんなぁ」

 まるで天使のように無垢な笑みを浮かべるヘルに、ヴィータは一瞬、全ての怒りが吹き飛んだかのように踏鞴を踏む。
 その時、ヴィータは――いや、ヴィータだけではない。この場に居る守護騎士達は皆この少女に恐怖した。

 まるで底知れない暗い暗い闇の底を覗き込んだかのような、圧倒的な不安。
 ありとあらゆる強さがけして通用しない、虚無のような何かを彼女達は天使のような少女の向こう側に見た。

 見てしまった。

「そうじゃあないもんなぁ。貴様が傷ついて苦しんでのたうち回って打ちひしがれるのは、そういうシチュエーションじゃないもんなぁ?」

 彼女はもしかしたら、無自覚に誰かを傷つけるような言葉を吐くような、そんな類の人間だとヴィータ達は思っていた。
 だが違う。

 ヘルはあくまで意識的に、明確な意思を持って、誰かを傷つけようとしている。
 いや、誰かではない。
 彼女は現れてからずっと、はやてしか見ていない。彼女にとってヴィータ達は最初から最後まで、ただの玩具でしかない。

 ヘルはずっと――八神はやてを傷つけようとしていたのだ。

「相変わらず、そのおかしな趣味は治ってへんみたいやな、ヘル。やからアンタは友達ができへんねん」

 だからこそ。はやては怒りに震える守護騎士達を止めた。
 始めからヘルが自分だけを狙っていると理解していたからこそ、彼女はその矛先がズレないように努めていたのだ。

 そして、はやてはヘルがどういう人間であるかを十年前に嫌という程理解している。
 彼女がどうすれば喜び。どうすれば嫌がるかと言う事も。

「ハハハ、手厳しい言葉だな。思わず傷ついちゃったじゃないか。八神はやて」

 はやての不躾な言葉に、しかしどことなく嬉しそうに応えるヘル。
 それで満足したのか、ヘルは踵を返すとはやて達をそのままにスタスタを歩を進め始める。

「まぁいいさ。晩餐の準備が出来ている。今日一日ぐらいゆっくりと寛ぐがいい。十年分の思い出話でも語ろうではないか」
「ちょい待ちぃ、ヘル」

 ヘルにとって、それで話は一段落ついていたのだろう。呼び止められたヘルは“本当に”不思議そうに首を傾げ、振り返った。

「む? なんだ八神はやて」
「アンタが私を傷つけて楽しむ分にはかまへんけど、この子達を傷つけるんは許さへん。家族を傷つけてまで、私は自分の夢に固執するつもりはないで」

 これだけは譲らない、と明確な意思を篭めてヘルに宣言するはやて。
 それははやての決意表明でありながら、なぜか“ルール違反”を咎めるかのような糾弾の言葉だった。

「……ふむ、そうか。それはまぁ、確かに困るな」

 暫らく思案顔を浮かべた後、ヘルはヴィータ達に向き直り。

「すまなかったな。貴様等の主を馬鹿にした事は詫びよう。まぁ、性分という奴だ。許せ」

 ひどく尊大な態度だが、素直に頭を下げるヘル。
 守護騎士達は皆一様に戸惑いを隠せずにいた。
 向けるべき怒りをぶつける的が消えてしまったかのような感覚。

 話はそれで終わりとばかりに、守護騎士達の返答を聞かぬままヘルは再度踵を返す。
 どうやら彼女は心の底から守護騎士達の事をどうでもいいと思っている事だけは如実に感じる事ができた。

「さて、では食事にしようではないか。今日は貴様の為にコックが腕によりをかけたそうだ。ゆっくり楽しんでくれ」

 ゆっくりと離れているその小さな背中を見据えつつ、守護騎士達は皆憮然とした表情を隠せずにいた。
 そんな彼女達を代表するかのように、皆が疑問に思っていることをシグナムが思念通話ではやてへと尋ねる。

『……主はやて。いったいあの方とどういうご関係なのですか……?』
『んー、正直私もよく解ってないというか、話せば長くなるというか……』

「なぁに、難しく考える必要などない」

 思念通話に割り込むように紡がれた天使のような声。
 こちらの会話内容が、伝わるはずが無いというのに、彼女は楽しそうに視線を背後――はやて達の方へと向けた。

 その笑みに、全員に緊張が走る。
 はやて達のそんな反応に、ヘルは微笑み、

「愛しているのだよ。心からな。まぁ、どうやら片思いのようだが」

 ただ一言だけ告げ、廊下の奥へと消えていくヘル。
 その背中をはやて達は暫らく呆然と見詰めることしかできなかった。






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