魔法少女リリカルはやて テスタメント 1-5


「さて……と、ここに来るんも久しぶりやな」

 吐く息が白く染められ宙に舞っていく様を見詰めながら、はやては小さく呟く。
 目前の景色に視線を巡らせるとそこに広がっていたのは白銀に彩られた古い町並みだった。

 広がるのは降り積もった雪に覆われた白銀と、対を為すかのように除雪された隙間から見える石と煉瓦によって作り上げられた暗い色の家屋と石畳。
 まるでヨーロッパの田舎町にでも辿り着いたかのようなその景観――十年前となんら変わらぬ町の姿に、はやては懐かしさにも似た感情を覚える。

 首都エリューズニール。
 その名の通り、ここがニブルヘイムの中心都市なのだが、その技術レベルはお世辞にも高いとは言えない。

 石畳の道を往来するのは自動車ではなく荷馬車であり、電子機器など町のどこを探しても見つかりそうにない。
 管理外世界においてはそれほど珍しくない光景だが、正式に管理世界に属している国としては珍しい光景だ。

 だがそれは偏に、ニブルヘイムが古代ベルカの流れを汲む由緒正しき魔導国家である事に起因している。
 古来から独自の魔法体系を構築しており、その技術によってのみ生活を続けていたニブルヘイムの人々は管理世界においても有数の魔導大国なのだ。
 この世界に住む人々もまた高い魔力素質を秘めた者が多く、既に名のある魔導師が幾人も輩出されているくらいだ。

 だが、高度に発展した魔導技術は科学技術の進化や発展を妨げ、今も人々はこうして中世の頃のような暮らしを続けている。
 管理世界に属してからは、管理局による技術提供によって技術革新を遂げはしたが、今のところそれらの技術は軍部や行政機関が独占しており、民間の生活基準はさほど変容していないのが現状だ。
 畢竟、こうした昔ながらの景色がニブルヘイムには残っている――というわけだ。

「確か区長さんのウチは広場の向こうやったかな。あんまり自意識過剰になるのもなんやけど、誰かに見つかる前に会えればええんやけど」

 目深に被ったフードが脱げないようにと正しながら、静かな町並みを歩くはやて。
 その周囲に守護騎士達の姿はない。

 昨夜行われた作戦会議の結果、シグナムとザフィーラは襲撃犯の出現が予測される近隣の異世界へ、はやてとヴィータはニブルヘイムの市街調査を。
 そして残ったシャマルはヘルの館で全体のバックアップを行う――という按配になっていた。

 管理局の支援が得られない現状、犯人達の探索は個々人の裁量に掛かっている。
 即ち、出現が予測する地点で張り込むか、隠れ潜む犯人たちを見つけ出すか。
 もしくは自らが囮となり、犯人を誘き寄せるしかない。

 勿論、守護騎士達はその案に真っ向から反対した。
 自分たちならともかく、はやてを囮に使うことに彼女達が異論を挟まぬ筈がない。

 だが、圧倒的に人手が足りない現状を理由に、はやてはやんわりと守護騎士達を諭し、こうして単身市街地への調査に乗り出した。
 けれど、それはあくまで守護騎士達を納得させる為の表向きの理由でしかなかった。

 はやては単純に、この町で他の守護騎士達と共に行動したくなかったのだ。
 なぜならそれは――、

「ん?」

 まるで犯罪者か何かのように、フードで顔を隠しながら俯き気味にこそこそと目的地への近道である公園を横断しようとするはやて。
 そんな彼女の足元にふとした衝撃。見れば、足元には遊戯用のボールが所在無く転がっていた。
 どこかから飛んで来たボールがはやての足にぶつかったのだろう。ふと視線をあげれば慌てた様子でこちらに駆けてくる人影が見えた。

「あ、ごめんなさいっ。だいじょうぶですか」

 そう言って駆けてきたのは温かそうな防寒着に身を包んだ六歳ぐらいの女の子。
 はやては足元に転がったボールを拾い上げながら、そんな少女の姿にふと思案に耽る。

 ――まぁ、このくらいの歳の子やったらさすがに顔を見られても大丈夫やろ。

 自らの立場を棚に上げ、そんな風に気楽に考えたはやては腰を落とし、こちらに駆け寄ってくる女の子と視線を合わせると、笑顔でボールを差し出した。

「はい、ボール。気をつけて遊ぶんやでー」
「………………」

 だが、はやての差し出したボールが受け取られる事はなかった。
 はやての目前までやってきた少女は、ボールではなくその向こうにあるはやての顔を何故か呆然とした様子でじっと見詰めている。

 ――あれ、なんか失敗した? と額に軽く汗を浮かべ首を傾げるはやて。対する少女の視線は何故かはやての顔と、更にその背後にある“何か”を驚いた様子で交互に見比べていた。
 そんな少女の様子に、何か後ろにあるのかと一抹の嫌な予感を覚えながら恐る恐る振り返るはやて。

「うげっっ!?」

 それを見た瞬間、はやての口から女の子らしからぬ驚きの声が自然とあがった。

 だがそれも致し方ないことなのかもしれない。
 なぜなら、そこにあったのは公園の広場中央に堂々と屹立する八神はやて――の銅像が聳えていたのだから。

「やっぱり! 救世主さまです!」

 額に大量の脂汗を浮かべ、やたらとカッコいいポーズを決めている等身大の自分の銅像にどうツッコめばいいのか解らぬまま息を呑むはやて。
 そんな彼女が正気を取り戻せたのは背後から響く「救世主さま」と自分を呼ぶ女の子の嬌声だった。

 ギ、ギ、ギ、と油を差し忘れた機械のような動きで、再度女の子の方に向き直るはやて。
 そこには瞳をキラキラと輝かせながらこちらを見上げる少女の羨望の眼差しがあり、

「あ、あのっ! 救世主さまですよね! わぁ、すごいっ! まさか本当にお逢いできるだなんて……」
「や、あの、ちょ、ちょっと待ってな。なんで、その、私の事を知ってるんかなぁ……」

 興奮しつつ捲し立てる少女の言葉をやんわりと遮るはやて、とりあえず一つづつ状況を整理しなければオーバーフロウで倒れてしまいそうだった。

「この辺りに住んでいて救世主さまの事を知らない人なんていません! 十年前に奇跡の技を持って世界をお救いになった女神さま……私もちっちゃい頃から救世主さまのお話を何度も聞いてきましたもん!」

 感極まった様子で語られる女の子のセリフに、がっくりとその場に膝を付き、力なく項垂れるはやて。その表情には焦燥と疲れの感情がありありと浮かんでいた。

「……や、確かに別れ際に、私の事をずっと語り継いでいくとか言うとったけど、まさかマジでやっとるとは……」

 思い出すのは十年前のあの日の事。

 確かにあの時、八神はやてはこの世界を救った。
 そして町の人々はそんなはやての事を救世主と称え、随分と感謝されていた事を覚えている。

 だが、別れ際に言われたあの一言はてっきりご老人方の冗談か何かだと思っていたのだが、どうやら彼等は本気だったようだ。
 勿論、はやても多少は嫌な予感を覚えていたからこそ、こんな風に顔を隠したり、守護騎士達と離れ単独行動をとっていたのだが――まさか銅像まで建てられていたのは完全に予想外だった。

 なんちゅーことを、と頭を抱え懊悩するはやて。
 その時だった、ふと視線を傍らに動かすとそこにははやてに向かって跪き、祈りを捧げる幼い少女の姿が見えた。

「わ、わぁーっ! ちょ、ストップ! ストーップ!!」
「ふ、ふぇ!? ご、ごめんなさい救世主さま。私なにか失礼な事を……」

 慌てて止めに入るはやて。だが、その静止の声に女の子は目に大粒の涙を浮かべてしまう。

「や、そーやなくてな……あー、えっと、そう。お姉ちゃんな、実は今日はこっそりやってきてんねん。やから、ここで私と逢ったこと、秘密にしてくれたら嬉しいかなー、なんて……」
「な、なるほどっ! そうやって影から私達を見守ってくれているのですね! すごい、絵本で見たとおり!」

 ――絵本まで出とるんかい! というツッコみを心の奥底に必死に留めるはやて。
 引き攣った笑みを浮かべたまま、はやてはこれ以上ややこしい事態になる事を避けるべく、曖昧に頷く。

「せ、せやねん。やからここでお姉ちゃんと逢った事は内緒な」
「は、はいっ! 救世主さまに誓ってこの事はナイショにします!」

 ぎゅっと拳を握って力強く告げる少女。
 対しはやては私に誓われてもなー、と暗澹たる思いを抱きつつ、女の子の後ろから一緒に遊んでいたであろう同世代の子供たちがやってくる姿を見て慌ててその場から立ち上がる。

「そ、それじゃあな。ボール遊びする時は気をつけえよ!」
「は、はいっ! あ、あの救世主さま……その、またお逢いできますか?」

 ついと差し出されたボールを受け取った少女は、こちらを不安そうに見上げながら呟く。
 はやてはそんな彼女の頭を優しく撫でてやり、

「ええ子にしとったらな。そん時は一緒に遊ぼうな」
「は、はいっ!」

 パァっと輝くような笑顔を見せて、大きく頷く少女。そんな彼女にはやては小さく手を振って、足早にその場から立ち去っていく。
 入れ替わりに、後から来た子供たちが感極まった様子の女の子の下に集り、

「ねー、いま誰と話してたのー?」
「え、えっとね! うんとね、私、すっごい人に逢っちゃった! あ、で、でも約束したからナイショなの!」
「えー、なんだよそれー。誰と会ってたのさ?」
「え、えっと絶対言っちゃダメだよ……秘密なんだからね、えっとね……」

 背後から風に乗って聞こえてくるそんな会話に、更なるピンチを感じたはやては再びフードを強く被りなおすと、駆け足気味に公園から走り去っていった。









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