魔法少女リリカルはやて テスタメント 1-7


 鐘の音が、再び大きく世界を震わせた。
 がらぁん、がらぁんと鳴り響く鐘の音は雪に覆われた白い町並みに凛然と響き渡る。

 ――そうして八神はやては彼女と出逢った。

「ま、待ってっ!」

 祝福の儀式が行われていた教会で、はやては一瞬だけ見かけた銀の色。
 その影を追い求めるかのように気づけば、その身は何時の間にか駆け出していた。

 何故、そんなことをしているのか自分でも理解できず、はやてはただひたすらに少女を追う。

 そして、追いついた。
 子が離れていく親を求めるかのような叫びが、視線の先にいる少女の足を止めていた。

「はじめまして、救世主さま」

 静かに振り返り呟く少女。
 キラキラと輝くその銀の髪を、深く澄んだその真紅の瞳をはやては知っている。

 それは二代目(ツヴァイ)には受け継がれる事のなかった色彩。
 遥か昔に失われ、けれどけして色褪せない大切な記憶として、八神はやてはよく覚えていた。

 年の頃は十代になるかならないかと言った少女の物だが、その姿は正に生き写し。
 彼女に幼い時分があったとしたらという、もしもの仮定が現実としてそこに存在していた。

「……リイン、フォース?」

 ただじっと此方を見詰め、黙して語らぬ少女に、衝動的に手を差し伸べるはやて。
 だが、その指先が少女の髪に触れる直前、

「八神さまーっ!」

 背後から響く声。己の名を呼ばれた事によってハッと意識を取り戻したはやては慌てた様子で声のした方向に振り返った。

「あ、区長さん……」

 見れば、そこには息せき切ってこちらへと駆けて来る区長の姿が。

「ひぃ……はぁ……ど、どうかされたのですか? 急に駆け出されましたが……」
「あ、えっと……その、この女の子が……」

 そう告げながら、再度少女の方へと向き直るはやて。だが、そこには、

「はて……? 女の子?」

 首を傾げ告げる区長。その言葉の通りはやて達の視線の先には誰もいない。
 その事実に、はやては力ない笑みを浮かべ、

「あ……いえ、すんません。ちょっと知ってる人によう似た子を見かけたんで」
「ほう、八神さまのお知り合いですかな? 町の者ならば呼び出す事もできますが……」
「いや、ええんです。私の知ってるその人は……ここに、いる筈のない人ですから……」

 己の胸の内に生まれた微かな痛みを自覚しながら告げるはやて。
 アインスはもういない――どんな魔法でも、その事実を覆す事はできないのだ。

 だが。
 だとしたら、かつてのリインフォースとあまりにも似た面影を持つあの少女は一体なんなのか。

 夢や幻ではない。あの時少女は確かにはやての目の前に存在していた。
 思い浮かぶのは今まさに自分が追っている事件。十年前に起きた闇の書事件と非常によく似た今回の事件。

 そしてその場に現れたアインスと酷似している少女。
 それは、ただの偶然と捉えるにはあまりにも出来すぎている事実だ。

 ならば、あの少女こそが――

「八神さま……どうかされましたか?」
「……え? あ、いや、なんでもないですよ!」

 何時の間に暗く沈んだ表情を浮かべていたはやては、こちらを気遣うような区長の声に、努めて暗い感情を払拭するかのように声を上げる。

 だがその時だった。視線を上げた先、区長はこちらを見ていなかった。
 彼の視線ははやてではなく、その背後。そちらを眉根を寄せた困惑の表情でじっと見詰めている。
 何が、と振り返ろうとするはやて。その直前、背後から野太い声が響いてきた。

「おい貴様らっ、そこで何をしている!」

 響くのはこちらを萎縮させる事を目的とした、どこまでも威圧的な声。
 振り返れば、そこには何時の間にか白狼のエンブレムを意匠として掘り込んだ揃いの西洋鎧に身を包んだ四人組の男たちが立っていた。

 頑健という言葉をそのまま形にしたかのようなプレストアーマーに口元だけが覗けるフルフェイスのヘルム。
 手には剣や槍の代わりに長銃型のデバイスを担っているが、その姿は正に中世の騎士そのものの見た目だ。

「おお、これはこれはフェンリル騎士団の皆様。お勤めご苦労様です」

 そんな彼等とはやての間に割り込むような形で、区長が人好きのする笑みを浮かべて歩み出た。
 フェンリル騎士団。

 それこそが管理世界に所属する以前からこの世界における治安運動を行っている組織だ。
 科学技術に乏しい代わりに、ニブルヘイムはその卓越した魔導技術によって栄えてきた。
 だが、魔導という個人の資質に拠るところの多い技術によって成り立ってきたが為に、この世界において魔導を使えるものと使えないものの差は非常に大きく、一部の優秀な魔導師による専横が往々にして行われてきた。

 その結晶とも言える組織が、フェンリル騎士団だ。
 卓越した魔導技術や特殊資質、稀少技能を有する魔導師によってのみ組織されたこの騎士団には歪んだエリート思考が蔓延しており、反管理局とも言える思想すら抱いている有様だ。

「なんだ貴様か。区画責任者がこんなところで油を売ってるとは、この区の連中はよほど暇なのか?」
「いえいえ、それもこれも騎士団の皆様方が治安を守ってくださっているおかげですとも。これからもよしなにお頼み申します」

 区長を前に、フンと鼻をならし見下すように呟く団員。
 だが、区長は嘲笑されている事を知りながらも、そんな彼等に笑みを絶やす事無く頭を深々と下げる。

 区長という役職は、あくまでその地区における民間の代表者でしかなく、騎士団にしてみれば下民の一人、といった感覚しかないのだろう。
 そんな騎士団の横柄な態度に、はやては強く歯噛みする。だが、区長ははやてを護る為にわざわざ矢面に立っているのだ。

 今、はやてが怒りに任せその正体を露にすれば、そんな区長の思いを踏みにじる事になる。
 だからこそ、その意を汲み取り必死に自制するはやて。

「ハッ! そう思っているのなら、少しは騎士団への献金を増やしてもらいたいものなのだがな。街中におかしな銅像を建てるような無駄に掛ける金があるのだろう?」
「あれは……とある御方の個人的資産により建てられているものでして……騎士団への献金は徴収した税から適切な額を納めさせていただいておりますれば……」

 団員達の言葉に深々と頭を下げる区長。年の功とでも言うべきか、へりくだってはいるが、別段堪えている様子もなくのらりくらりとかわすその態度に、隊員達の間にも明らかに面白くなさそうな空気が生まれる。

「フンッ……まあいい。用もないのにあまりフラフラと出歩かぬことだな。我々の邪魔をするなら区画責任者であろうと容赦なく捕らえるぞ」
「おや……それは恐ろしい。何か、この辺りで事件でも起きたのですかな?」

 区長の言葉に隊員達の表情が強張る。既に事件が起きている事を知っている区長のブラフにあっさりと動揺する騎士団の隊員達。
 その様子を背後で見詰めながら、自分が手助けする必要などまったくなかったなぁ、と区長の意外な老獪さに感心するはやて。
 団員達は皆明らかに慌てた様子で声を荒げ、

「貴様には関係のない事だ! 例え事件が起っていたとしても我々がすぐに解決する!」
「おお、それはなんとも頼もしいお言葉です。では、お頼み申しましたぞ、騎士団の皆様方」

 そう言って、わざとらしい程に深々と頭を下げると、区長はそのままはやてを伴いその場から去ろうとする。だが、

「待て。そこの貴様……この辺りでは見慣れないな。顔を見せろ」

 一歩を踏み出した時、団員達の最奥で今までじっと黙していた大柄な男が低く響く声を放つ。
 プレストアーマーの肩に付けられた階級章は、声の主が中尉――この場で一番権限を有する者――であることを示していた。

「お、おお、これはバスカル隊長殿。ご心配なされずともこの方は私の客人でしてな。けして怪しい方ではありません、この私が保証致しますぞ」

 僅かに額に汗を浮かべつつ、区長は取り繕うように再度はやてを庇うように間に立つ。
 しかし、バスカルと呼ばれた大男は微塵も揺らぐ様子も見せず、

「貴様の保障などいらん。私は顔を見せろと言っているのだ。それとも、何か顔を見せられぬ理由でもあるのか?」
「そ、それは……」

 獲物を狙う猛禽の如き鋭い眼差しを見せるバスカル。他の団員とは一線を画すその迫力に区長は思わず言葉に詰まる。
 そんな区長の肩を優しく叩き、ここが限界だろうと判じたはやては入れ換わるように団員たちの前へと進み出る。

「区長さん。大丈夫、ええですよ」
「で、ですが……」

 心配そうな表情を浮かべる区長に笑みを送り、騎士団の男たちの前に怯む事無く立つはやて。そのまま彼女は淀みない動作で、顔を隠すフードを取り払った。
 瞬間、露になったはやての姿を見た団員達の表情に驚愕の色が浮かぶ。

「なっ、き、貴様は……ハシン……!?」
「ハシン……!? こいつがユグドラシル事件の……」
「相変わらず、十年経ってもその呼び方変わってないんやな。あれはハシンやのうてヤガミって読むんや」

 驚き一歩下がる騎士団隊員達の様子を歯牙にもかけず、余裕の態度を崩さないはやて。
 だが、唯一人バスカルだけが僅かに眉を動かしただけで、先刻とまったく変わらぬ低いトーンではやてを問い詰める。

「ハシン……管理局の狗が何故ここにいる。我々は貴様等の介入を認めてなどいないぞ」
「管理局の狗って……酷い言われようやなぁ。まぁでもご心配なく。私も今は休暇中や、ここにはあくまで観光に訪れとるだけや」
「観光、だと……? 笑わせてくれる。わざわざこの国に、このタイミングでか?」
「なんの事を言っとるかよう解らんけど、私はあくまで単なる旅行者やで」

 どちらも一歩も引く事無く言葉を交わすはやてとバスカル。
 しかし、ここで問答を続けた所で無駄と悟ったのか、先に視線を外したのはバスカルの方だった。そのまま彼は静かにこちらへ背を向け、

「……まぁいい。旅行者だと言い張るのならそれでもいいだろう。好きに見て回るがいい」
「それはどうも……さ、区長さん。お許しもでた見たいやし、はよう行きましょ」

 そう言うと、フードを被りなおし、区長の背を押して、急ぎこの場を後にしようとするはやて。だが、その背中にバスカルの鋭い声が突き刺さる。

「いいかハシン。貴様が英雄を気取るのは構わんが、あのバケモノどもは我々の獲物だ」
「……バケモノ?」
「我等の狩りを邪魔するならただの旅行者であろうと――この世界の救世主だろうと――全力で排除する。よく覚えておけ」

 その言葉に彩られた感情。
 それは深い深い憎しみの言葉だった。






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