魔法少女リリカルはやて テスタメント 1-9


 白天の夜空がある。

 夜のニブルヘイムを照らすのは。この世界に大小二つある月の光。
 だが、月光は舞い踊るように吹き荒ぶ雪嵐に阻まれ地上にまで降り注ぐ事はない。

 変わりに生まれるのは空一面に広がる、純白のヴェールだ。
 降り注ぐ雪に月光が反射して生まれるその白い夜はこの世界特有の景色だ。

 そんな夜空の下。延々と広がる雪原の只中では音が生まれている。
 それは人の紡ぐ声。奏でられるのは哀哭の言葉だ。

「うっ……ひっくっ……ぐすっ……やだよぉ。こんなの、やだよぉ」

 雪原に膝を折り、零れる涙を拭いながら肩を震わせているのは幼い少女だった。
 きっちりとボブカットに切り揃えられた琥珀色の髪に、中世欧州の小公女を思わせるドレス。その端正な顔立ちも手伝ってまるで人形のような少女が、そこにいた。

 時刻は深夜。そんな要因を取り除いたとしても、このような何も無い雪原に、幼い少女がすすり泣いている光景は異に映るだろう。
 けれど、彼女は一人ではなかった。その周囲には少女を囲むように幾つかの人影がある。

 数は四つ。それらは皆フェンリル騎士団の鎧に身を包んだ屈強な体躯の持ち主ばかりで――そして皆、力尽きたように雪原に倒れ伏していた。
 団員たちは僅かに呼吸をしている様子ではあるが、その殆どが完全に意識を失い、雪原に半ば埋もれるように倒れている。

「う……ぐぁ……貴様ァ……貴様らァ!!」

 だが、たったひとりだけ満身創痍の身でありながら、意識をしかと保ったままの騎士が震える身を叱咤するようにして身を起す。
 それは夕刻に、はやてと邂逅した騎士の一人。バスカルと名乗ったリーダー格の男だ。

 彼の怨嗟に満ちた声に、ぐずる少女は怯えの表情を見せ、バスカルと距離を離すように身を捩る。その瞳からは涙がぽろぽろと零れ落ちる。

「や、やだ……来ないでよ。な、なんでボクが……」

 この世の理不尽を訴えるような悲痛な声が少女から漏れる。だが、バスカルは怒りの形相を浮かべたまま声を大にする。

「黙れバケモノがっ! 貴様等のような存在を我々は認めんッ!」

 そう叫ぶや否や、バスカルは雪に半ば埋もれていた長銃型デバイスを拾い上げ、その銃口を少女へと向ける。
 同時にバレルの向こうにベルカ式魔法陣が浮かび上がり、その中央で炎の塊が生まれた。

 生じた炎塊は高速で回転する魔法陣によって収縮され、灼熱の炎球へと形を変え、遂には鋼鉄さえ焼き穿つ弾丸と化す。
 それは始めから非殺傷設定など考えられていない、ただ相手を殺傷するためだけの魔法だ。だからこそ、その破壊力は尋常のものではない。

 バスカルはその銃口を幼い少女に向けたまま、一欠けらも躊躇することなくトリガーを引き絞る。
 対象の確実な破壊を目指し、三点バーストで放たれる銃弾。白い夜を紅く染めるその輝きに、少女は避ける事もできぬまま、ただ怯え蹲る。

「あぁー、めんどっちいなぁー」

 だが、発射の直後。どこまでも間延びした場違いな声がその場に響いた。
 バスカルと少女の間の距離は僅かに五メートル強。音速を超えて飛翔する弾丸は、それこそ刹那の時間で少女の身に辿り着き、その幼い身体をずたずたに引き裂くだろう。

 だが、その刹那の間にバスカルは見た。先程まで誰も居なかったはずの彼我の間にある空間に、長槍を担ったままぼんやりとした表情で現れた長身の女性の姿を。
 当然のように、放たれた弾丸は操作誘導される間もなくひたすらに直進。少女の代わりを求めるように女性の身を穿った――かに見えた。

 命中はしている。だが、

「バッ……バカなっ……直撃、だぞ……」

 炎弾の熱によって、激しく吹き出る蒸気の渦。その向こうで、長身の女は撃たれたと言う事実を感じさせぬ様子で気だるそうに頭を掻きつつ、大きな欠伸を一つ。面倒くさそうに背後にいる少女に視線を向けた。
 動きやすそうな軽装の鎧が包んでいるのは引き締まった肉体と長い手足。
 それこそまるでモデルか何かのようなスタイルの良さだが、ただ一点、腰の下まで伸びる瑠璃色の長い髪だけが酷い寝癖でぐちゃぐちゃになっており、彼女の比類なきだらしなさを醸し出していた。
 そんな彼女は口元を隠そうともしないまま大きな欠伸を一つ浮かべ、

「ふわぁあーあ……眠ぃ……。プリメラぁー、大丈夫ー?」
「……ッ! …………ッッ!!」

 どこか間の抜けたその問い掛けに、プリメラと呼ばれた少女は目尻に涙を浮かべたまま無言でこくこくと頷いた。
 そのまま彼女は長身の女性の元に駆け寄り、その足元に隠れるようにしがみつく。

「……ひっ、っく……あっ、ありがとう、ベクトラ」
「んー……まぁ別にいいけどさー、次からは自分でなんとかしなよぉー」

 声を詰まらせつつも、御礼の言葉を紡ぐプリメラ。対するベクトラは肩に長槍を担ったまま、適当な指使いでプリメラの頭をぐしぐしと撫でる。
 それはまるで仲の良い姉妹が見せる光景そのものだ。しかし、

「このっ……大人しく、くだばれっっ!」

 そんな二人に向け、バスカルは再度長銃の砲口を向ける。
 彼は知っている。彼等がどれほど人間のフリをしようとも、その正体が人の皮を被ったただのバケモノだと言う事を。
 だからこそ、バスカルは躊躇なく再びトリガーを引き絞る。そうして展開した魔法陣に先程のものを越える巨大な炎の塊が生じるが、

「女子供に銃を向けるたぁ、武人の風上にもおけねえなぁ!」

 怒気を帯びた青年の声と共に雪の帳を引き裂き、金の影が飛び掛ってきた。
 その正体は体長二メートルを優に超える四足動物。金の鬣を揺らすそれはニブルヘイムには存在しない筈の猛獣――巨大な獅子だった。

 横合いからバスカルに飛び掛かった獅子は、彼の持つ長銃に長く鋭い牙を突き立てると一撃でそれを粉砕。
 雪原に着地すると同時にガラクタとなったそれを器用に掃き捨てる。

「ぐっ!? き、きさまらっ……!」

 強大な力で奪われる寸前、バスカルは自ら長銃を手離し滑る様に後退。変わりに懐から刃渡りの長いマチェットを引っ張り出す。
 高い熱伝導率を誇る金属によって作られたマチェットは構えと同時にバスカルの魔力を反映し赤熱化、触れるものをすべて焼き切るヒートナイフとなる。

 だが、対する獅子の反応は素早かった。雪の上で身体をバネのように縮めると、一足飛びに飛翔。
 同時に獅子の全身が金色の光に包まれたかと思うと次の瞬間にはそのカタチが入れ替わるように人型へと変化した。

 一瞬で金髪碧眼の青年の姿に変貌した獅子は、飛翔の勢いをそのままに身を捻り、マチェットを持つバスカルの右手目掛け蹴りを叩き込む。
 その一撃に、外側へと右腕を蹴り弾かれるバスカル。そして、

「喰らえァッ!!」

 そのまま青年はくるりと宙で身を捻ると、がら空きになったバスカルの胸部中央をソバットの要領で蹴り抜く。
 放たれた一撃は甲高い金属音を響かせながら重厚な騎士鎧を割り砕き、バスカルを吹き飛ばす。
 空中での二連撃の後、難なく着地を決めた青年はそのままバスカルに人差し指を突きつけ、

「おいテメェ。よぅく肝に命じとけ。この牙の守護獣アイオーンが居る限り、こいつらには指一本触れさせねぇ。喧嘩を売りてぇつーならまずオレを狙いな」
「黙れっ犯罪者風情がっ……法を犯す貴様らに人の道理を説かれる筋合いなどないっ!」

 倒れはしないものの、その場に膝を付き、苦しそうに喘ぐバスカル。口の端からは血が溢れているが、憤怒の思いは消える事がない。

「貴様等のような罪人を根絶やしにするのが我等の使命。人の皮を被ったバケモノにやる情けなど一欠けらもない」

 気力を振り絞り、マチェットを構えるバスカル。既に満身創痍の身だが瞳に宿った殺意は微塵も揺れていない。
 それに応えるように、アイオーンも腰を落とし身構えながら長い犬歯を剥くように笑う。

「いいぜ、来な。けど向かってくるなら容赦はしねえ……オレの牙はどんな防御も貫くぜ」

 場に一触即発の空気が流れる。だが、それを払拭するかのように響く声。
 高く澄んだ一声は空気を震わせその場にいる者の耳朶に等しく届く。

「そこまでですわ! 退きなさい、アイオーン!」

 そう叱咤する声の主は、何時の間にかアイオーンとバスカルの間に割り込むような立ち居地に現れた翡翠の髪をうなじで一纏めにした僧服の女性。
 突然の割り込みにアイオーンは今にも飛び掛りそうになった身を慌てて崩し、困った表情を浮かる。

「……おいおいエクセル。邪魔ァしてくれるなよ。こいつは男と男の決闘なんだぜ」
「お黙りなさい。毎度毎度中学二年男子みたいな発言ばかりして恥ずかしくないのですか?」

 冷徹、というかどこか見下すような視線で罵られるアイオーン。だが問われた彼はそんな罵倒に動じることなく、むしろ誇らしげな表情を浮かべ、

「……フッ。心の奥底より湧き上がるオレの魂の叫びに、恥じるとこなんて一つもねぇよ」

 堂々と告げるアイオーン。そんな彼を一秒だけ半眼で見詰めた後、エクセルと呼ばれた僧服の女性はそんな彼を完全に無視したまま、バスカルの方に視線を向け、

「貴方もここでお止めなさい。これ以上バカに関わると貴方もおバカになりますし……このまま戦闘を続けるならば命に関わりますのよ」
「犯罪者風情が情けをかけるつもりか……愚弄するなっ」
「そう仰るならば、続けるといいですわ。勝てぬ戦いに身を投じ、ご同輩三人を死なせるのが貴方の信奉する正義なら」

 鋭く、糾弾するように叫ぶ。その視線の先、倒れ伏した騎士団員の姿が三つ。
 彼等はリンカーコアを抜かれ、気を失っているだけで誰かがすぐにでも救援を呼べば命に別状はない。だが、この雪荒ぶ夜空の下野晒しにされればそう遅くない内に凍死するだろう。

「なぜ貴方が今もこうして立っていられるのか、よく考える事ですわね」

 冷然と言い放つエクセル。それはバスカルがわざと生かされているという事に他ならない。
 そして今の今まで自分が手加減されていたという事実を誰よりも理解していたバスカルは強く歯噛みする。その様子に、エクセルはバスカルが武装解除しない内に背を向ける。

「なっ……ま、待てっ! なんなのだ……貴様等はいったいなんなんだっ!?」

 慌ててその背を追おうとするが、一歩踏み込んだ足はもはや言う事を聞かず、自然とその場に崩れ落ちる。
 それが先のダメージによるものか、それとも恐怖ゆえか、バスカル自身にもそれはわからない。
 ただ、事実としてその間にもエクセルを含めた四つの影は雪の帳の向こうへと消えていった。

「我等は必勝不敗を命じられた森の騎士――ヴァルトリッター。貴方達がバケモノと呼ぶ存在ですわ」

 最後に、そんな一言だけが吹雪の向こうから聞こえてきた。
 一人取り残されたバスカルは怒りに打ち震えるような慟哭の叫びを白天の夜空に向けて放った。






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