男たちの挽歌ーバカー ザ・チョコレイツバトル



 機動六課卒業まであと一ヶ月と少しといった二月十三日。

 その日は皆、どこかおかしかった。

 妙に落ち着きがないというか、なにかを気にしているというか。
 かと思えば、偶さかに物凄い集中力を発揮しているというか、獲物を狙う鷹のように眼光を鋭くしている人物も見られた。
 それはまるで……そう、決戦を控える戦士達の昂揚する雰囲気に似ていた。
 そんな感覚を肌でひしひしと感じながら、エリオ・モンディアルは首を傾げる。

 いったい、なにが始まるんだろうか、と。

 彼が違和感を感じたのは今朝の事であった。朝いつものようにキャロに挨拶をしたところ――逃げられたのだ。
 声は確かに届いていた筈だ。しかしキャロは返事を返すどころか、慌てたように視線を外すとそのまま脱兎の如く逃げ出してしまったのだ。残念ながら突然の事態に追いかけることも叶わず、エリオは暫くの間そこで棒立ちする羽目になってしまった。

 何か怒らせてしまっただろうか、と最初はエリオも考えた。
 しかし、その後訓練の時間になるとキャロの方からエリオに声を掛けてきたのだ。

『さっきはごめんねエリオくん。その、ちょっと寝癖がついたままだったから』

 本当にすまなさそうに、そして若干恥ずかしそうにしながら声を掛けてくるキャロ。もちろんエリオとしては怒らせたわけではないことに安堵を覚え、笑って応じることが出来た。

 ただ、ひとつだけ気になることがあるとするならば、あの時のキャロに果たして寝癖などあっただろうか?
 始めは、そんな小さな違和感だった。普段ならあまり気にすることなく「まぁ、女の子だしなぁ」で納得してしまうような出来事。

 しかし、それも積もれば明らかな引っ掛かりとなる。

 それは例えばフェイトの不調。こういっては何だがプライベートではどこか抜けているところのあるフェイトだが、訓練や公務といった場合には愕くほどの完璧さを見せる。
 だが、この日は違った。一対一の模擬戦において――フェイトがコケたのだ。
 エリオは十中八九こちらを誘う罠だと思ったし、直後にはすぐに体勢を整えていたフェイトだが、確かに一瞬つんのめって顔から地面にぶつかっていた筈だ。証拠にフェイトの鼻頭がその時真っ赤に腫れあがっているのをエリオは目撃している。

 全体的にそんな雰囲気が漂っていた。スバルやティアナ、更にはあのヴィータ副隊長までどこかソワソワと落ちつきない様子。
 ただ一人高町なのはだけが「もー、みんなしっかりしないとダメだよー」と怒っていたが、何故かその手に握られていたのはレイジングハートではなく『ふえるわかめ』だった。おかしいといえばアレが本日一番おかしかったかもしれないが、怖くてエリオにはツッコむことができなかった。
 ただ、今日のなのはは普段よりも数倍強く感じたのだが、なぜだろう?

 閑話休題。

 そんな何かがおかしい訓練を終え、夜。オフシフトとなった途端、皆が姿を消した。
 いつもは時間の空いた隊員たちの憩いの場となっている談話室にも人影はなく、今はただがらんとした光景が広がっている。

 ただ、彼女達がどこにいるかは解っている。
 給湯室。呼んで字の如く湯を沸かす為の場所だ。しかし六課のそれは自炊する者の為にかなり大きめに作られており、調理器具一式の他に小さめだが冷蔵庫やレンジといったものさえ揃っている中々豪勢な一室である。
 エリオの良く知る者達の声はその給湯室から響いてきた。扉を挟んでいてもなにやら慌しいというか、騒がしい声が筒抜けである。

「お、おうわぁっ!? フライパンがみるみる焦げていくよ!?」
「わああっ、バカッ! だから直接やるもんじゃないって言ってるでしょ!」
「と、とりあえずスバルさん落ち着いてくださいぃー!?」

 なにやら阿鼻叫喚といった様子である。果たしてこの中ではいったい何が行なわれているのだろうか? 扉越しではいまいち解らない。
 とはいえ、中に踏み入って確認することもままならない。なぜなら給湯室の扉は今『KEEPOUT』と描かれた黄色いテープで厳重に封印されている。よくよく見れば六課に保管されている本物だった、勝手に使っていいのだろうかコレ、と思いつつもエリオは扉の向こうへと声を掛ける。

「あ、あのすみませーん」

 本来なら給湯室も公共の場所であるからノックする必要などないのだがコンコンと扉を叩く律儀なエリオ。
 だが、突然の来訪者の存在に扉の向こうの慌しさが急激に跳ね上がった。

「わ、わわっ、エ、エリオ!?」
「な、なんでココに!?」

「いや、あのお湯が欲しいんですけど」

 空のカップを掲げて困ったように呟くエリオ。そんな彼の言葉に暫くの間ジタバタと響く雑音の後、給湯室の扉が僅かに開かれた。

「はい、エリオくん。悪いけどちょっとこれを使ってて」

 その扉の隙間から差し出されたキャロの手には電気ポッド。どうやらこれを使えということらしい。
 とりあえず、ツッコむべきところはいくつもあったが、エリオは結局黙ったまま電気ポッドを受け取ることにした。そして再び閉じられる給湯室の扉。もはやそこが開く気配はない。

「えーっと……とりあえず一緒に談話室にでも行こうか、フリード」
「きゅぅ〜」

 エリオと同じく閉め出されているのか、給湯室前で悲しげに俯くフリードを伴い、エリオはとりあえず給湯室を後にするのであった。


 ◆


「それにしても、みんないったいどうしちゃったのかなぁ?」
「きゅくるぅー」

 そんなこんなで人気のない談話室で、手ずから淹れたコーヒーを啜るエリオと、その頭の上で項垂れるフリード。そんな彼等が考えるのは何やら今朝から様子のおかしい仲間達の事である。
 誰か個人の様子がおかしいというのならばまだ解るが、六課全体になにやら妙な雰囲気が漂っている。
 だというのに、エリオ達にはその理由がまったく解らないのだ。結果的に、なにやら取り残されているかのような、疎外感じみたものを覚える。

 知らず、重い溜息をつくエリオとフリード。
 だがその時、そんな暗澹たる雰囲気を払拭するかのような明るい声が談話室に響いた。

「ん? エリオにチビ竜じゃねえか、暗い顔してなにやってんだよ!」

 笑みを浮かべてこちらにやってくるのは、ヴァイス・グランセニックだ。

「お? 珍しいな。いつもなら嬢ちゃんたちの一人か二人侍らせてるってーのによ、なんだ愛想でもつかされたのか?」
「侍らせてるって……そんなんじゃないですよ。……ああ、でも愛想をつかされたって言うのはあるかも?」
「くきゅー」

 いつもの調子で冗談半分に語りかけてくるヴァイスに、思わず悲しげな表情を浮かべるエリオ。

「なぁにマジで落ち込んでんだよ。んなことあるわけねえだろうが。つーか、普段は女の子に付き纏われて困ってますとか言いつつ、いざ居なくなると寂しいって贅沢なヤツだな、おまえは」

 わしわし、と頭を強く撫でる――というか掻き回されるエリオ。そんなヴァイスの浮かべる笑みにつられてエリオも微笑を浮かべる。

「だからぁ、そういうのじゃないんですってば! なんか、今日は六課全体の雰囲気がいつもと違うって言うか、おかしな感じがするんですよ」
「ん? そうか……あんま普段と変わらねぇと思うけどなぁ――お、ちょうどいいとこに話し相手が、おーいグリフィス」

 と、そこで見知った顔でも見つけたのかヴァイスがエリオから視線を外し声を上げる。その方向にはメガネをかけた一人の青年の姿がある。珍しく私服姿の彼は片手になにやら分厚い本を持ったまま談話室へと向かって来ているところだった。

「どうかしましたか、ヴァイス陸曹長?」

 いつもどおりの杓子定規なその声に、ヴァイスがヤメヤメと手を振る。

「そのカッコ、今の時間はオフだろ? 堅苦しいのは無しにしようぜ、部隊長代理殿?」
「……そうですね、では、ヴァイスさん、エリオくん、こんばんわ。今日はあまり人が居ないようですが、どうかしたんですか?」

 ほんの僅かにだけ――それこそ見ても解らぬレベルで――表情を和らげ周囲を見回しつつ呟くグリフィス。
 彼も妙な静けさを持つ談話室の雰囲気に妙なものを覚えていたのだろう。

「ん、いや、なんかエリオの話だと、六課全体の様子がなんかおかしいって言うんだけどさ、グリフィスはなんか心当たりないか?」
「おかしい……?」
「なんていったら言いかよく解らないんですけど、なんだか皆そわそわしてるというか、なんというか……」
「きゅるきゅるー」

 エリオ自身よく解ってない為に、明確な言葉にはならないがグリフィスには伝わったのか、ああ、と小さく頷く。

「そういえば、今日はなんだかオペレーターの子達の様子がそんな感じでしたね。仕事には特に支障はないようでしたから放っておきましたが」
「そうかぁ? こっちはいつもどおりだったんだけどなぁ?」

 不思議そうに首を捻るヴァイス。とそこでエリオは普段と変わらないヴァイスやグリフィスを見てあることに気付く。エリオの周囲にはあまり居ない為に気付くことができなかったが、今朝から様子がおかしいのは、

「――女性の方ばかりですね」

 エリオの言葉にそれぞれ納得の表情を見せるヴァイスたち。

「ああ、確かにオペレーターは女性ばかりですね」
「ウチは男所帯だからなぁ、そりゃあ気付かねえわ……ああ、いやでもアルトの奴がなんか変だったな、確かに」

 それぞれ職場環境がだいぶ違うので公式見解を得るのが遅れてしまっていたようだ。
 だが、様子がおかしい人たちの共通事項が解ったはいいが――

「でも、なんで女の子の様子がおかしいんだ?」
「…………」
「きゅくるー」

 すぐに行き止まりに躓いてしまった。しかし、三人寄ればなんとやらとでも言うべきか、グリフィスがふと思い出したかのように声をあげる。

「そういえば……最近女性の間で話題になっている……ええと、なんだたっけなぁ、ヴァレンティンをするとかどうとか……?」
「なんだそりゃ、姉御の新しいデバイスか?」

 エリオとヴァイスの脳内で「寄らばKILL!」と謎のデバイス・ヴァレンティンを大上段に構えるシグナムの図が浮かぶ。

「いえ、そうじゃなくて地球――八神部隊長達の故郷で行なわれていた風習のようです」
「そういえば、フェイトさんに聞きましたけどあの世界は色々な文化形態が交わっていて多種多様なイベントが行なわれているらしいですね……確かえーと、オニを退治するために豆を撒いたりとか?」
「豆を撒く……? てーかオニってなんだ?」
「よく解りませんけど、退治って言うぐらいだから模擬戦みたいなイベントじゃないんですか? だったら……僕たちでいうと、なのはさんみたいな人の事を指すんですよきっと!」

 ぶるり、となぜかエリオの背中に怖気が走った。

「くきゅーるー」

 何かを感じ取ったフリードの悲しげな鳴き声が漏れる。

「ま、まぁとりあえず話を戻そうぜ! え、えーっと、ヴァレンテーだっけ?」
「違いますよヴァイスさん、ヴァレンテェエンですよ」
「きゅっきゅるー」
「あ、あの皆さん? なんで僕から距離をとるんですか?」

 野生動物でなくとも何かを感じ取れるらしい。
 なにはともあれ、話題をヴァン・アレン帯へと戻すことにする一同。

「そもそも、どういうイベントなんだそれ?」
「さぁ、僕も噂で聞いただけですから……ああ、そういえば確かチョコレートがどうとか?」
「チョコを撒くのか?」

 チョコをヘリの上から盛大に撒き散らす自分の姿を想像してみるヴァイス。その下では子供達が「ぎぶみー! ぎぶみーちょこれいとー」と必死に駆け寄ってきている。

「なんか間違ってません、それ?」
「イベントというか敗戦国で見られそうな光景ですね」
「きゅー」

 なぜか優越感に浸るヴァイスに冷静に突っ込むツッコミと天然ボケと竜。

「うるせーやいっ! エリオが豆を撒くとか言うからいけねえんだろうが!」
「僕の所為ですか!?」

「まぁでも確かに、あの世界……というか異文化の風習はよく解らないものが多いですからね。これも聞いた話なんですが、向こうの世界にはマツリという行事があるそうです」
「マツリ……ってフェスティバルの事か?」
「ええ、意味合い的には宗教色が強い行事らしいんですが、なんでも下着姿の筋骨隆々の男たちが何十人と密集して御神体を担ぎ上げ、市中をダッシュ、その美しさを競うという奇異極まりない行事だそうです」
「怖いなぁ!? 地球!?」

「え、あれぇー? フェイトさんそんなこと話してたっけかなぁ?」

 盛り上がる男二人の傍らでエリオが首を傾げるが、ツッコむまでには至らない。彼も向こうの事については又聞きぐらいしかしたことがないのだ。
 と、そこでヴァイスが表情を恐怖に引き攣らせる。

「待てよ……つまり今までの話を統合するとだな――」
「え!? 統合しちゃうんですか!?」

 エリオの突っ込みは真剣な表情を浮かべるヴァイスには届かぬまま話は続く。

「ヴァレンタインってーのは溶けた熱々のチョコレートを半裸の男達にぶつけて退治する地球のマツリなんだ!」
「な、なんですってー!?」
「くきゅー!?」

 驚愕の表情を浮かべるグリフィスとフリード。だがそんな彼等とは対称的にエリオは薄く笑みを浮かべている。

「やだなぁ、ヴァイスさん。グリフィスさんも乗らないでくださいよ。幾らなんでもそんな奇異な事誰もしませんよ」

 ははは、と爽やかな笑みを浮かべるエリオ。だが、ヴァイス達の真剣な表情は僅かも崩れない。

「いいや、よく考えてみろエリオ。だったらなんで女性にばかり情報が渡っていて男たちは何も知らされてないんだ?」
「え、あー、それは……」
「はっ!? そういえば、今日はなんだか仕事中に射るような視線を何度か感じたんですが、あれはまさか!?」

 グリフィスが額に冷や汗を浮かべながら慄くように呟く。
 そんなグリフィスの言葉に、ヴァイスが、そしてエリオも笑みを凍らせ今日一日の出来事を思い返す。
 そうだ、なぜか今日は誰かに見られてるような、ずっと監視されているような視線を幾度も感じた。
 気の所為だと、そう思いたかった。だが、思い出せば思い出すほど誰かに見られてるような、そんな気がしてくる。

「は、ハハハ。や、やだなぁグリフィスさん。そんな、まさか……」

 無理に引き出した笑いは引き攣り、声は震えてしまっている。ここにきて、エリオも己が身に看過することのできない危機が迫っていると感じていた。

「ひぃっ!?」

 そこへ、ヴァイスの詰まった悲鳴が響く。そんな彼が震えながら指差す先へと視線を向けてみれば、そこには起動六課の女性局員が何人か、柱の影からこちらの様子を、じっと、じっと窺っている。
 彼女たちは見つかった事に気づいたのか、すぐさま逃げるように立ち去っていく。だがエリオたちは確かに見た。
 まるで獲物を狙う鷹のような眼差しでこちらをじっと見つめる彼女たちの姿をだ。

 じわり、と握った拳が汗で濡れるのが解った。
 誰も何も口にできぬまま、ただ嫌な沈黙だけが談話室に広がる。

 そこへ、ボーン、ボーンと心の臓を止めるかのように重低音が連続して響き渡る。ビクリと震え、音の鳴る方を見れば、なんのことはない壁に掛けられた柱時計の告げる時報の音だ。

 時刻は深夜十二時。
 気づけば2月13日は終わり、新たな一日――そう、バレンタイン・デイの到来を告げていた。

 最初にプレッシャーに耐え切れなくなったのはヴァイスだった。彼は勢いよく立ち上がると周囲に宣言するように叫ぶ。

「こ、こんなところに居られるか! 悪いが俺は一人で自分の部屋に鍵を掛けて篭らせて貰うぜ!」

 そういって、エリオ達が止める間もなく、自分の部屋へと足早に駆け始めるヴァイス。

「あっ、ヴァイスさ――」

 慌てて立ち上がり、そんなヴァイスを引き止めるべく声を掛けようとするエリオ。だが、廊下を曲がりヴァイスの姿が視界から消えた途端――

「ぎやああああああああああああああああああああっっ!」

 悲鳴が、絹を引き裂くようなヴァイスの悲鳴が六課に響き渡った。
 エリオとグリフィスは僅かに腰を浮かした体勢で完全に静止してしまっている。

「ヴァ、ヴァイス……さん?」

 恐る恐る、グリフィスが呼びかけてみるが返事はない。変わりに聞こえるのは――。

「……おにいちゃぁん、おにいちゃぁん」

 声が聞こえる。あまり聞き覚えのない少女の声だ。
 できることならば、このまま立ち去りたかった。だが、その角の向こうで何が起きているのか確かめないまま引き返すことも恐ろしい。
 結果彼らはゆっくり、ゆっくりと曲がり角に近づき、そこから向こう側の様子を窺うように覗き込む。
 そこには、果たして生きているのか、廊下に伏せるヴァイスと――その傍らでヴァイスに手を差し伸べる少女の姿が。

「おにいちゃぁん? おにいちゃぁん?」

 そして、その手に握る包み紙から覗くのは――チョコレイト。

「うわあああああああああああああ!!」
「ぎゃあああああああああああああ!!」

 エリオとグリフィスが逃げ出した。



「もー、お兄ちゃんったらっ! なによっ、ティアナさんにバレンタインの事聞いて折角かわいい妹がチョコ持ってきてあげたのに! 人のチョコ見ていきなり失神するだなんて、失礼しちゃうなぁ…………あれ? 今誰か居たような?」


 ◆


 部屋の片隅でがたがたと震え続けるエリオとグリフィスが発見されたのは、2月14日が終わった直後であったとどうとか?



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