LIGHTNING STRIKERS : START 02-01



 天気はゆっくりと、しかし荒れ模様の様子を呈してきていた。

 今はまだ、その到来を告げる程度の雨量もこれから激しくなるのかもしれない。
 窓から見える空は暗雲に飲み込まれ、まだ早い時間だと言うのに世界を黒色に染め上げている。

 そんな景色を眺めながら、キャロは周囲に漂う重い空気に、ただ小さく溜息をつくことしか出来なかった。
 キャロがいるのは、時空管理局が運営する病院の廊下だった。
 管理局内での負傷者などの治療に使われ、キャロ達も六課時代には世話になったことがある。
 けれども、やはり望んで赴きたい場所ではない。

 ましてや、今この場に居る理由が単純な負傷によるものだけでないとするならば尚更だ。

 今、エリオは目の前の病室にいる。
 しかし、その病室の扉は固く閉じられ、更に扉を守るように屈強な大男が二人、その脇に控えていた。

 キャロがエリオのいるその病室に入る事は出来ない。
 唯一幸いなのは、その理由が怪我による面会謝絶ではないということだろうか。

 それでも、心が晴れないのは同じだ。
 なぜなら、エリオ・モンディアルは今、ある事件の重要参考人としてその病室の中に囚われているのだから。

 空港で起きた突然の爆破事故。
 それに巻き込まれたキャロ達だったが、事件が収束する前に事態は彼女達の思わぬ方向へと動き出した。
 管理局内警察とも呼ばれる監査部の者達の来訪。
 そして、唐突に告げられたエリオ・モンディアルへの疑惑。

 キャロはその内容について詳しく聞かされていない。けれど、監査部の男達がエリオをとある事件の容疑者として引き立てようとしている事実だけは理解する事が出来た。
 キャロにしてみれば、それは何かの冗談としか思えなかった。
 エリオが犯罪に手を染める事など、天地がひっくり返ったとしてもありえない事態である。

 彼の事をよく知りもしない監査部の人達が、エリオを犯罪者に仕立て上げているようにしかキャロには見えなかった。
 もちろん、フェイトもその悪質な冗談に対し、抗議の声を上げた。
 何かの間違いだ。エリオがそんなことに関わっているはずは無い――と。

 しかし、その後に突きつけられた令状には確かにエリオ・モンディアルを重要参考人として、その身柄を一時的に拘束することを許可する旨が描かれていた。
 法的に認められている以上、いくらフェイトとはいえ、それに抗う事はできない。
 彼女もまた法の番人である以上、それを無視する事はできなかったのだ。

 結局、エリオ本人が監査部と同行することを承諾し、フェイトもその意思を尊重することとなった。
 彼女に出来たのは、直接地上本部へとエリオを連れて行こうとする監査部の人間に、エリオの治療の必要性を求め、この病院へ取調べの場を移させることぐらいであった。

「エリオ……くん……」

 祈るように頭を垂れ、大切な人の名を呟くキャロ。
 しかし、今この場にはその声を聞き届けることのできる者は誰もいない。
 悲痛な表情を浮かべる、彼女を安心させてくれる笑顔はここにはなかった。

 今、彼女の心を苛むのは、何もできなかったと言う後悔だ。
 キャロは、エリオが理不尽な容疑に晒された時、なにもすることが出来なかった。
 フェイトと違い、抗議の声を上げることもエリオを庇ってあげることもできず、ただ場に漂う異様な雰囲気に呑まれ不安な面持ちのまま沈黙を保つことしか出来なかった。

 それが、今の彼女を苛む。

 抗議したところで今の状況が変わったわけではないだろう。例え誰であろうともそれは同じだ。
 それでも、フェイトと違いエリオの為に何一つすることが出来なかった自分はあまりにも不甲斐なく……情けない。

 キャロは心の底から信じている。どのような理由があろうとも、エリオが犯罪に手を染める事などないと。
 ならば、自分はあの時、例え無駄だと解っていても、エリオにあらぬ疑惑を掛ける彼等に主張するべきだったのだ。

 エリオの潔白を。そんなことがある筈が無いと。
 だが、それはもはや過ぎ去った出来事だ。
 事実はエリオの潔白を主張するどころか、突然の事態にキャロはただ言葉を噤むことしかできなかった。

「ごめんなさい……」

 呟く声はか細く、それはやはり誰の耳にも届くことは無かった。


 ●


「アトラス監査官。事情の説明をお願いいたします」

 言葉の内に、明らかな険を含んだフェイトの声が室内に響いた。
 ここはエリオのいる病室から僅かに離れた応接室だ。
 室内には今、フェイトともう一人、先程の監査官――アトラス・フェルナンド――がテーブルを挟み、それぞれソファーに座していた。
 事情が事情な為か、鬼気迫るといった表情でアトラスに詰め寄るフェイトだが、アトラスはまるで仮面を被っているかのように無表情のまま、一度紅茶の注がれたティーカップを口元まで運ぶ。
 フェイトの手元にも同じものが置かれていたが、当然のように彼女はそれに手をつけてなどいない。

「聞いておられますか、アトラス執務官」

 そんな余裕は今のフェイトには無い。黙したままティーカップを傾けるアトラスに向けてフェイトは更に言葉を重ねる。
 やがて彼はティーカップを受け皿に置くと、眼鏡の奥にある瞳をフェイトの方へと向ける。
 まるで人を射るかのような視線。常人ならば晒されただけで尻込みしてしまいそうな眼差しだ。監査官という役職はただの看板というわけではないのだろう。
 しかし、フェイトも臆すことはない。彼等の動向にエリオが関わっているのなら尚更に。
 そんなフェイトの眼差しを見て、アトラスは諭すように言葉を紡ぐ。

「まぁ落ち着きたまえ執務官殿。紅茶の香りには人を冷静にしてくれる作用もあるそうだ。一杯飲んで心を落ち着かせては如何かな?」
「申し訳ありませんが、今はそのような気分ではありません。然るべき説明を受けない限り」

 あきらかに話をはぐらかそうとするアトラスだったがフェイトはそれを一蹴。
 明確な答えを得るまで、一歩も退くつもりはないと言外に語っていた。
 そんな彼女に根負け――と言うわけではないだろう。どちらかと言うと、これ以上問答を続けても無駄と感じたのか、アトラスは小さく溜息をつくと、やがてぽつぽつと語り始めた。

「まず、君は思い違いをしているのかもしれないが、私はモンディアル二等陸士が我々の担当する案件の犯人であると言っているわけではない。あくまで参考人の一人であり、話を少しばかり聞きたいだけだ」
「貴方達の建前は私には関係ありません、事実のみをお願いいたいます」

 アトラスの言葉はそれだけを見ればエリオが犯人だと明言しているわけではないが、それが詭弁でしか無いと言う事はフェイトも知っている。
 彼の言葉は『まだ犯人と確定しているわけではない』と言っているだけで、エリオを疑っていることに変わりは無いのだ。
 あくまでアトラスはフェイトと真面目に問答するつもりはないようだ。
 しかし、フェイトとて諦めるわけにはいかない。エリオの無実を証明する為にも今は正確な情報を得なければならない。

「事件の詳細と、エリオ……彼が容疑者に上がった理由。それをお願いします」

 それこそまるで取り調べをするかのような調子でアトラスに詰問するフェイト。
 そんな彼女に、やれやれと肩を竦めたかと思うと、アトラスは意外にもあっさりと事件の顛末を語り始めた。

「事件が起きたのは三日前。遺失物管理部の重要保管庫が何者かに襲撃された」
「遺失物管理部に襲撃!?」

 その名はフェイトも当然知っている。事件の重要証拠品、または封印指定のなされた危険物を管理する部署だ。
 当然、その中には古代遺物と呼ばれる類の代物も保管されている。

「死者は出なかったものの重軽傷者が十数名。また、管理物のリストと比べた結果、ある古代遺物が紛失しているのが発見された」

 アトラスが言葉を続ける中、ホログラムウインドウが宙に浮いた。
 そこには盗まれた古代遺物の詳細だろうか、小さな手鏡の絵と詳しい詳細が並べられている。
 取っ手の無い、手のひらに収まる程度の丸鏡だ。裏側にはなにやら微細な彫刻が掘られており、ただ見せられただけではアンティークの鏡にしか見えない。
 同様に記載されている情報をフェイトは目で追うが、次にアトラスが紡いだ言葉に思わず顔を上げる。

「そして、これが“事件当時の監視カメラの映像だ”」

 再び、フェイトとアトラスの間に新たなウインドウが開く、そこには何やら粒子の粗い映像が流れている。
 薄暗い室内を映し出した固定カメラか何かの映像は、ただ動くものの無い景色を映し出している。

 だが、それも始めの数秒だけだった。
 誰かが、ゆっくりとした足取りで室内へと入ってくる。

 赤毛の少年だ。しかし監視カメラに映っているのは背中だけではっきりとそれが誰かと特定する事は出来ない。
 ――フェイトやキャロといった彼の事をよく知らない者が見ればの話だが。
 それは、確かにエリオ・モンディアルだった。

 フェイトだからこそ、それを見間違うわけが無い。

 だが、それを認めるわけにはいかない。故に、フェイトは慌てて否定の言葉を放つ。

「こ、これはなんらかの偽装です」
「ほう、君には彼が誰なのかすぐに解ったのかね。さすが、と言っておこうか」

 そんなフェイトの言葉に、アトラスはその表情に始めて笑みと言うものを浮かべて、おかしそうに肩を揺する。
 彼のその態度を見て、フェイトは己の失態を深く後悔する。

 アトラスが意外にあっさりと事件の事を話し始めたのは、この映像を見せた時のフェイトの反応を観察したいが為だったのだろう。
 普段のフェイトならば、このようなブラフに騙されたりはしない。しかし、事が事だけにいつもの冷静さを発揮することは出来なかったのだろう。
 始めのフェイトの怒りをわざわざ買うような言動も、全てこのための布石だとするならば、その狡猾さをもはや称えるしかない。
 彼の術中にまんまと引っかかった形となったフェイトは悔しげに唇を噛むしかできなかった。

「くくくっ、安心したまえハラオウン執務官。先程も言ったとおり我々もこの監視映像をそのまま鵜呑みにするつもりはない。君の言うとおりなんらかの偽装の可能性も無いわけではないからな」

 余裕、とも見える態度を隠しもせず、アトラスは言葉を続ける。
 だが、もはや彼が何を言おうとそれがフェイトにとって福音にならない事だけは誰しもが理解する事が出来た。

「しかし、ではここで問題だ。何故犯人はモンディアル二等陸士の姿をしているのか?」
「それは……」

 彼が何を言いたいのか、フェイトは理解した。それが反論不能の内容であることも。
 故に、フェイトから続く言葉は出てこない。

「彼に罪を着せようとする何者かの仕業か、彼の姿をよく知っている者の犯行か……もしくは、彼自身が犯人なのか」
「エリオはそんなこと――!!」
「どちらにせよ」

 フェイトの言葉を打ち消すように、彼は一際強い語調で呟く。

「犯人と彼になんらかの関係性がある可能性は限りなく高い。だからこそ、我々は事件解決の為にも彼の話が聞きたいと言っているだけなのだよ。お解りかね、ハラオウン執務官?」

 それがとどめの言葉となった。
 それが例え建前であろうとも、彼の言葉には確かに正当性がある。ここでフェイトがそれを否定したところで一蹴されるのが当然だ。

「勘違いしないで貰いたいのだが、我々も管理局の一員だ。真実を白日の下に晒すのが責務であり、モンディアル二等陸士が無実ならばそれにこしたことは無いと我々も思っているのだよ。ただ――」

 そう言いながら、アトラスはまるで困り果てたかのような――そんな作り物の表情を浮かべる。

「彼の方はあまり協力的ではないようだ。事件の関連性についてどころか、容疑を否認することも無い。さて、これはどう受け止めるべきか」

 新たに告げられた事実に、フェイトは驚愕の表情を浮かべ俯きかけた面を上げた。
 アトラスがまた、自分を陥れる為に戯言を言ったのだと本気でそう思った。

「どういう……こと、ですか?」
「そのままの意味だ。モンディアル二等陸士は我々の質問について全て無言を貫いている。これはおかしな話ではないかね?」

 それはフェイトのほうが聞きたかった。
 既にエリオへの取調べは始まっている。もちろん、その席にフェイトやキャロは同席を許されていない。
 故に、彼等の間でどのような問答が行われたのか、フェイトも知りはしない。
 だが、もしアトラスが言っている事が本当ならば、それは異常としか呼べない状況だ。

 管理局の法にも、自分の不利になる事を証言しなくてよい権利、いわゆる黙秘権は存在する。
 だが、自分の身が潔白である以上、それを行使する意味は無い。知らない事は知らないと、言えばいいだけの話だ。
 しかしエリオはひたすらに沈黙したままだという。罪を認めることも否定することもせずに。

「そんな……馬鹿なこと……」

 おかしい。何かが狂い始めている。
 思えば、炎上する航空機から脱出してからのエリオの様子はいつもと違った。
 どこか、心ここにあらずと言った感じで、フェイトは始めどこか怪我でもしたのではないかと考えた。

 それゆえに、エリオを地上本部ではなく検査の為にもこの病院へと移送することを提案したのだが、果たして本当にそうなのだろうか?

 炎に巻かれたあの航空機の中で、エリオに何かあったのではないだろうか?
 エリオは、中には誰もいなかったと言った。
 しかし、その言葉は真実なのだろうか――そんな疑惑がフェイトの中に生まれる。
 フェイトは今、この場にエリオの潔白を証明するために立っているのに、その中には確かな疑念の心が生まれてしまっていた。


 それは、もしかしたら致命的な綻びだったのかもしれない。


 その時だった。フェイト達のいる部屋の扉が強くノックされたのは。
 思考に耽っていたフェイトのその音にビクリと震える。
 しかし、対するアトラスは落ち着いた様子で扉へ向かい、新たな来訪者を迎えていた。

「どうかしましたか? ここは病院です、あまり騒々しいのは感心しませんよ」

 扉の向こうに立っていたのはアトラスの取り巻きの一人だった。
 その表情には明らかな焦りの色が浮かんでいる。
 本来ならば、彼の報告はアトラスだけにもたらされるべきものだったのだろう。
 しかし、彼はあまりにも焦っていたのか叫ぶように言葉を放つ。

「申し訳ありません監査官。対象に……エリオ・モンディアルに逃げられました」


 それは同じ部屋にいるフェイトの耳にも確実に届いた。
 届いて、しまった。





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