リリカル☆マテリアル 僕の事情(2)



 眩い光に包まれたと思った瞬間、クロノ・ハラオウンの周囲は一変していた。
 刹那という時間を経てアースラの転送装置にあったその身体は海鳴市にあるマンションの中、転送用に割り振られた空き部屋へと移動し終わっていた。

 足元に広がる魔法陣の淡い輝きも徐々に失せると、残ったのは薄暗い部屋の光景だけだ。
 元々は物置部屋として作られている部屋に窓の類はなく、扉の隙間から漏れる隣室の光だけが僅かな光源となっている。
 そんな淡い光の輝きに加え、食卓の方から楽しげな談笑の声も隙間を通って聞こえてくる。

「ああ、ちょうど夕飯時か……なんとか間に合ったかな」

 腕時計に視線を遣り時刻を確認する。昼ごろから急に慌しくなった仕事の所為で、本来ならば夕食には間に合わないと腹を括っていたが他のアースラスタッフの協力によりなんとか状況を一段落させることがつい先程の事だ。
 それと言うのも、

「闇の欠片事件はまだ、終わっていないか……確かに予想よりもあっさりと収束したとは思っていたが」

 眉間に皺を寄せ、困ったように呟くクロノ。
 当然の事ながら彼の頭を今悩ませているのは再発の兆しを見せ始めた闇の書の欠片に関する一連の出来事だ。

 先日、たった一夜にして解決した『闇の欠片事件』
 その重要なファクターであったマテリアルの復活という報は、想像以上にデリケートな問題だ。

 それこそ闇の書の復活さえ可能性としてありえる以上、管理局員達は常に最悪の事態を考慮しなくてはならない。
 今も衛星軌道上に留まり続けているアースラでは海鳴市全域に対する監視が二十四時間体勢で行われている所だ。
 現状、マテリアルの再起動以外の異常は検知されていないが、それでも予断を許さぬ状況であることは確かだろう。

「数千年に及ぶ呪い……そう簡単には祓えないと言う事か」

 もとより、クロノは前回の闇の欠片事件が――いや、一月ほど前に収束した闇の書事件そのものが、あまりにも“あっさりと解決しすぎた”と考えていた。
 確かに、闇の書の呪いとも言える防衛システムは八神はやて率いる守護騎士達。それになのはやフェイトと言った優秀な魔導師達の手によって消滅させることはできた。
 だが、口には出さないもののクロノはその時から違和感を覚えていた。

 ――こんなものなのか、と。

 それはおそらく、闇の書という古代遺物を幼い頃から知り、追いかけていたクロノだからこそ出てくる思いだろう。
 古代ベルカの時代より無限とさえ呼べる破壊と再生を繰り返してきた闇の書の終わりが、
 数多の優秀な管理局員達がその存在を追い、けして封印できなかった古代遺物が、
 自分の父親を死に追い遣った、たった一冊の本の終極が、

 ――果たして、こんなものなのか、と。

「……ダメだな僕は。もう振り切ったつもりなんだけど」

 強く首を左右に振り、心の奥底に淀む澱を振り払う。
 闇の書が健在であって欲しい。そんな願望が僅かながら自分の中に存在している事を、クロノは自覚していた。

 勿論、闇の書の存在を容認しているわけではない。
 ただ、父の死が闇の書と深く関わっている以上、闇の書の消滅が父との繋がりを一つ断ってしまう事実は変わりない。

 父との繋がりを失いたくないが故に、闇の書という絶対悪を求める。
 それは別段異常でもなんでもない、健全な精神活動だ。

「とは言え、何時までも引き摺っているわけにもいかない、か」

 決意を新たにするように、クロノは表情を引き締め、もう一つの――というより本来の懸念事項に思いを馳せる。
 今この扉の向こうに居るのは見慣れた家族だけではない。
 来訪者とでも言うべき存在が一人、そこに居る筈なのだ。

 マテリアル。闇の書の根幹を成す構築体。その内一基がここハラオウン家にて保護観察という名目の元、監視下にあることは既にクロノもその過程も含め上がってきた報告書から把握はしている。
 魔力を殆ど失っているとは聞いているが、闇の書復活の可能性がある以上、その危険度はけして低くは無い。
 消滅処理を行えとまでは言わないが可能ならばしかるべき施設において厳重な監視体制の下に置いておくべきだ、とクロノは思案するのだが、

「まったく……母さんは何を考えているんだ」

 現場の最高責任者たるリンディ・ハラオウンの下した命令は「緩い」と評してもなんら差し支えないものだ。
 フェイトやヴォルケンリッター達とは違う。下手すれば反抗される可能性だってあるのに――、

「まぁ、あまり深く考えても詮無い事か……」

 リンディがそういう結論を出した以上、それは何かしら考えがあってのことだろう。
 身内贔屓と言われるかもしれないが、彼女の立案能力は折り紙付きだ。今回の件もけして感情に流されたが故ではなく、リンディなりの理由があってのものなのだろう。
 ならばクロノとしてはそんな母の事を信じるしかない。
 それに、

「結局僕はあの事件の際に構築体とは接触できなかったしな……」

 なんの因果か、闇の欠片事件の際にクロノが遭遇したのは闇の欠片によって作られた複製ばかりだった。
 勿論資料などで構築体がなのはやフェイトを元にした存在である事などは知りえているが、結局クロノが直接マテリアルと相対する事はなかった。

 マテリアルは闇の欠片の複製とは違い、確固たる自我を有しているという。そんな彼女達の人となりをクロノは知らない。
 もしかしたら、リンディはそんな彼女達にフェイトやはやて達と同様に信用できる何かを見出したのかもしれない。
 闇の書が造り出した存在なのだから悪い、という決め付けは己の判断を誤らせる。
 当然ながら油断するつもりも無いが、あまり猜疑心に囚われすぎてもいけないと結論付けたクロノは肩の力を抜いて事に当たる事にした。

「そうだな。話してみたら意外と良識ある意思を持っているかもしれないしな。うん」

 己に言い聞かせるように呟き、クロノは「ただいま」と言いながらゆっくりとリビングへ続く扉を押し開いた。
 そんな彼を出迎えた声は、

「あーっ!? あの時の痴漢!?」

 そんな弾劾の声であった。

 ●

 扉を押し開けたクロノが見た光景はここ二ヶ月程ですっかりと見慣れた自宅のリビングにいつもと同じハラオウン家の面々。
 しかしそんな彼の真正面。そこに一点だけ違和感を醸し出す存在が鎮座していた。

 目にも鮮やかなブルーの髪が嫌でも目に付く少女だ。外見だけを問うならばその隣に座るフェイトと鏡写しのように瓜二つなのだが、その色合いに限らず、目つきや纏う雰囲気があまりにも違い過ぎるが故に、どう見ても別人としか感知しえない。
 そんな特異な雰囲気を持つ少女が突然現れた自分に、僅かに驚きの眼差しを向けていた。

 ――確かに、見た目だけはそっくりだな。

 少女の姿を見遣りながら、そんな感想を浮かべるクロノ。
 異変は次の瞬間、起こった。
 突然現れたクロノを、どこか呆とした様子で見上げていたマテリアルが、唐突に「あーっ!?」と悲鳴にも似た叫びを上げたかと思うと、こちらを指差し柳眉を逆立てたまま叫んだ。

「あの時の痴漢っ!?」

 一瞬何を言われたのか解らなかった。
 痴漢、という言葉が何を意味するかぐらいはクロノにだって理解できる。しかし何故目の前の少女が自分を指差し、そう叫ぶのかを理解することはクロノには出来なかった。
 別に自分が高潔の士であると言うつもりはないが、犯罪に手を染めるような卑劣な男でもないと自負している。

 フェイトを義妹に迎えてから何故かアースラスタッフから「チッ……上手いことやりやがって」とか「月の無い晩には気をつけることですね……」などと殺気混じりの呟きが聞こえるようになりはしたが、それとこれとはまったく別次元の問題だろう。
 ましてや痴漢などと、そんな下劣な真似をするつもりも、した覚えもクロノには当然無い。

「ちょっと待て……なんなんだいきなり。大体、僕と君はこれが初対面だろう?」

 突然のマテリアルからの糾弾にハラオウン家の面々は目を白黒させており、事態の変化にまだ馴染めていない状態だ。とは言え、クロノとて今の状況を理解している訳ではない。
 今言葉にしたとおり、クロノも目の前の少女と会うのはこれが初めてなのだ。
 畢竟、痴漢などと呼ばれる道理も無い。
 だというのに、構築体の少女は目に涙を溜めたまま、己が身をクロノの視線から隠すように抱き、

「嘘だっ。僕は覚えているんだぞ! 突然後ろから僕を縛ったかと思うと「すこし、調べさせてもらう」とか言い出して僕の未成熟な身体を隅々まで弄って……う、ぐすっ……ひぅ……」

 最後にはしゃくりあげる涙声となり、そのままその場に顔を伏せ泣き崩れるマテリアル。
 そんな少女の姿に、ハラオウン家女性陣のそれこそ犯罪者を見るような氷点下の視線がクロノに突き刺さる。

「クロノ……貴方、そんな……母さんに相談してくれればっ……」
「クロノくんサイテー。見損なったよ……」
「クロノも男だってことなんだね……フェイト、ダメだよアイツに近づいちゃあ」

「濡れ衣だぁー!?」

 あっと言う間に犯罪者にしたてあげられ、恥も外聞もなく叫ぶクロノ。
 当然の事ながらクロノ自身にそのような覚えはない。しかし圧倒的女性率の高いこの空間で彼の言葉がいったいどれほどの効果を発揮することやら。
 案の定、リンディやエイミィはこちらの話を聞こうともせずに、さめざめと泣き続けるマテリアルの肩を優しく抱きながら、

「大丈夫。もう安心していいのよ、二度と、あの子には家の敷居を跨がせないから」
「そうだよ。クロノくんにはきっと私たちが然るべき報いを受けさせるから、だから安心して!」
「うっ……ひくっ。ぐす……あ、アイツ。縛られて抵抗できない私に「フルドライブだっ!」とか言って無理矢理……」

 周囲から膨れあがった殺気がクロノを刺し貫いた。
 そんな激動の渦中のなか、身を守るように立つアルフの背中から事態の推移を見守っていたフェイトだけが一人冷静な様子で、

「あの、それってもしかしたら闇の欠片が造りだしたクロノのコピーじゃあ……」

 闇の書の欠片は基本的に闇の書に関わった者達の記憶から造りだされている。その中には自意識を持つような存在もあり、けして構築体の指揮下に置かれていたわけではない。
 例えばの話になるが、もし闇の書に深い因縁を持つ「過去のクロノ」が顕現し、闇の書の気配を持つマテリアルと遭遇したとすれば――

「そ、そうだ! フェイトの言うとおりだ。きっとそれは闇の欠片の僕がしでかした事で――」
「でもさ。それだと過去のクロノくんが潜在的に性犯罪者だと認めてない?」

 エイミィの鋭いツッコミに「うぐっ」と言葉を詰まらせるクロノ。
 まぁ、実際のところマテリアルの弁はやや誇張された表現も多々あり、実際はバインドで捕縛された上で、少々尋問にあったと言ったところなのだろう。
 とは言え、実際の被害者であるマテリアルが体験した恐怖は変わらないらしく、

「うわーん! 僕の純情を返せぇー!!」

 涙目になりながらクロノに食ってかかるマテリアル。襟を掴まれガクガクと揺さぶられながら、さすがに一方的に犯罪者呼ばわりされたクロノも我慢の限界に達し始めたのか声を少しばかり荒げ始める。

「ええいっ。だからそれは僕じゃないって言っているだろう!」

 掴まれた襟を振り払い、強く抗弁するクロノ。そんな彼にリンディの諌める声が響く。

「あら、ダメよクロノ。女の子にはもっと優しくしてあげなくちゃ……あと、どうしても我慢できなくなったからってフェイトやこの子に手を出すのはさすがに母さんもちょっとどうかと……」
「母さんもいい加減にしてくださいっ! 大体、僕がこんなお子様をどうこうするわけがっ――」

 そう、リンディの方を向きながら構築体の少女をビシリと指差すクロノ。
 その指先に――妙な感触が返ってきた。

 どこか違和感を感じさせるその感触に、クロノの頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。
 言葉にするならば、柔らかく暖かい。軽く押し込めば、僅かな弾力を返すその感覚は低反発枕やマシュマロといった言葉を連想させる。

 何度かその正体を確かめる為に、むにむにと何度か軽く押してみるクロノ。
 そんな彼の姿を遠目から眺めていたリンディを始めとするギャラリーからは「あらまぁ」だとか「うわぁ、やっちゃった」だとか「クロノの奴、やっぱり……」だとか「だ、だめだよクロノ。そんなことしちゃ」だとかそんな非難交じりの声が聞こえてきて、

 ギ、ギ、ギ。と錆付いた機械のように首を巡らし、突き出した右手の先に視線を向けるクロノ。
 そこには、自分の右手人差し指が構築体の少女の胸部に僅かに埋もれている光景と、目に涙を溜めたまま、怒っているような、泣いているような表情でふるふると震えるマテリアルの姿があり、

「いや。その待て。これはその偶然の事故であって別に他意はっいや確かに柔らかいなとか思ったりはしたが――」
「このっっ、ドすけべぇぇぇぇ!!」

 振り抜かれた右の拳がクロノの顎を見事に貫き、その場に崩れ落ちたクロノの意識はそのまま暗転していった。


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